目次
奇跡といっていい年。
それが1989年。
国産車が次々と誕生し、まさに「国産車天国」「国産車の桃源郷」といっていい年だろう。
フルモデルチェンジや新規モデルはもちろん、MCや追加車種を含めると実に1年間に45モデルが誕生したとされる年。
数だけでなく、魅力あふれる質の高い国産車がどんどん誕生したのが特筆すべきことだ。
厳選して数台をピックアップしながら「なぜそれらは人気者になったのか?」を追っていき、最後に1989年が当たり年になった背景も交えていきたい。
■まさに「スターの輝き」。まずはこのモデルを挙げないわけにはいかない、日産R32スカイラインGT-R
1989年国産車といえば……、まず日産R32スカイラインGT-Rを挙げないわけにはいかないだろう。
なにせ「1989年のクルマ=R32」と、0.7秒ほどですぐさま頭の中で結びつく人がほとんどだと思うから。
今見てもまとまりのある、2ドアスポーツモデルのカタチ。
絶妙に張り出したブリスターフェンダー。
格好いい~!と声を出さずにはいられないが、1989年当時の興奮度はこの比ではない。
先代GT-Rの販売終了から16年ぶりの復活誕生。
注目の浴び方はハンパなかった。
当時日産で行なわれていた「901運動」の集大成、新開発の2.6Lツインターボエンジン搭載。
日本車初の最高出力300psモデルを目指したが、馬力規制により280psに留められたモデル……
など、「見出し」になるネタがテンコ盛りというのもこのクルマの特色。
そして、いわゆる25年ルールが解禁され、アメリカがR32を輸入できるようになった昨今。
R32がもはや神格化している北米では、オークション落札価格が日本円で1000万円以上という事例も多いという。
日本で世界で、まさに「スターの輝き」のR32である。
■R32が誕生した年に4代目フェアレディZ(Z32型)までも登場!もう泣くしかない!
日産のスポーツモデルの流れで、お次は日産4代目フェアレディZ(Z32型)に登場いただこう。
「フェアレディZといえばあのデザインね」と3代目までが頭の中にインプットされていたところ、このZ32型の姿を見て誰しも衝撃を受けたはずだ。
デザインからして「Zの新章スタート!」を感じるのに充分だった。
先代までのロングノーズ・ショートデッキではなく、ワイド&ロー。
先代より全幅がプラス65mmの1790mmとなり、当時としてはかなり平べったい日本車。
それだけに衝撃度も増し増しだった。
デザインのポイントは、これまた当時のクルマ好きにインパクトを与えたリアデザインとテールランプ。
現行RZ34型にこのテールランプデザインが盛り込まれているのは有名な話。
このデザインで、V6・3Lツインターボのアグレッシブな走りを見せるワケだから、街中で目を引かないわけがない。
それにしても、前項のR32スカイラインGT-RとZ32が同じ年に生まれるなんて……、やはり1989年は奇跡の年なのである。
■ずっと憧れの的だったトヨタセリカも5代目が誕生。それが1989年という年だ
筆者のように「アラウンド還暦」世代にとって、子ども時分から格好いいクルマといえばセリカ。
憧れの存在でもあった。
そのトヨタ5代目セリカが生まれたのも1989年。
WRC用のホモロゲーションモデル、GT-FOUR RCも1991年に発表され、日本では限定1800台が販売されたという。
ということもあり、特別に5代目セリカのWRCカーの雄姿をお届けしているのが上の写真だ。
筆者の好きなハリウッド俳優、エディ・マーフィをCM起用し、「スゴスバ セリカ!」がキャッチフレーズ。
4代目より近未来感あるデザインになり、今見ると、現行クラウンクロスオーバーを思わせる顔をしていません……か?(こちらはリトラクタブル・ヘッドライトだが)
直4・2Lターボの最高出力は235psをたたき出し、当時の若者を興奮させるには充分。
歴代セリカでも強いインパクトを残した一台だ。
■2人乗りコンパクト2ドアクーペというスペシャリティ感を味わえる、トヨタ2代目MR2
スポーティカーの流れでお次はトヨタMR2だ。
日本車史上、初の市販ミッドシップモデルとして誕生した初代のあとを受け、1989年に2代目MR2が誕生。
当時の日本車では珍しかった2人乗りコンパクト2ドアクーペ(今の日本車でも稀有な存在だが……)。
中身はセリカ/コロナベースがベースだが、初代の「角が取れた」感じの絶妙な曲線デザインが目を引いた。
のちに前項のセリカと同じ2L・直4にターボが追加され、シャープな走りを体感させてくれた。
乗るほどに2人乗りコンパクト2ドアクーペというスペシャリティ感が味わえるクルマ。
トヨタさん、よくぞこんなクルマを出してくれました~!と今でも感慨に浸るほどだ。
■1989年誕生のスポーツモデル……。忘れちゃ困るぜ「人馬一体」のマツダロードスター
R32GT-Rを皮切りに、1989年誕生のスポーツモデルの魅力を4台続けざまに取りあげてきた。
「スポーツモデルはもうないでしょ?」と言いたいところだが、あるんです。
そう、マツダ初代ロードスター(ユーノスロードスター)だ。
現行4代目まで脈々と続く「人馬一体のマツダロードスター」というクルマの礎を成した金字塔的クルマまでも、この年に生まれていたなんて……。
やはり、1989年という年は只者じゃない。
クルマ好きにとってまさに「盆と正月が一緒に来た」ような年である。
「MGのようなライトウェイトカーを作ってみよう」が開発のきっかけとされ、「人馬一体」というテーマがブレることなく現行モデルまで真髄を貫いているところは、脱帽するしかない。
爆発的な走りでもなく、アグレッシブな走りでもない。
車重を極限まで軽くした特有の「ひらひら感」あるFRの走りこそがロードスターの真骨頂、と筆者は熱く語りたい!
その源流が初代モデルだ。
この誕生に感謝するしかないですね!
■海外メーカーにインパクトを与えた初代セルシオ。「高級車・新ステージ」への突入
今、「歴代の国産モデルのなかで海外メーカーにインパクトを与えたのはどれ?」と自動車ジャーナリストへ尋ねると、多くの方がこの名を挙げる。
それがトヨタ初代セルシオ。
1980年代前半、それまでの北米の高級車市場といえば、キャデラックやリンカーン、メルセデス・ベンツなどが占め、日本車メーカーが割って入れない状況が続いていた。
そこへトヨタが本腰を入れ、堅い門をこじ開けたのが高級車「レクサス」ブランドの戦略。
1989年、最初に投入されたのが初代LSで、それの日本仕様がトヨタ初代セルシオだ。
クルマ所有の大目標として「いつかはクラウン」が体の中に沁みついていた日本人にとっても、初代セルシオの登場は衝撃的だった。
(センチュリーは別格として)クラウンの上をいくセダンが誕生したわけだから。
が、当時はバブル景気、真っ盛り。
「超高級車、アリかも!」と市場が活気づき、初代セルシオは人気を博した。
時代背景も後押しし、「高級車の新ステージ」を築きあげたモデルといっていいだろう。
セダン然としたスタイル、全長4995mmという堂々たる風格。
新設計のV8・4Lエンジン搭載……。
クルマに新たな価値観が生まれたのも、1989年という年である。
■ランクル80系と初代レガシィツーリングワゴン。のちのRVブームの礎となった2モデルも登場
現在、世界でも日本でもSUVの潮流は続くが、その源となるのがクロカン(クロスカントリー)だ。
そのクロカンやステーションワゴン、ミニバンといったカテゴリーで一時代を築いたのが、1990年代末から21世紀初頭にかけてのRV(レクレーショナル・ヴィークル)ブーム。
いまや「RV」という言葉自体が懐かしすぎますが……。
そのクロカンというカテゴリーを、歴代モデルたちが軸となり構築してきたのがトヨタ ランドクルーザーといっていい。
そして、ランクル80系が誕生したのが1989年だ。
2023年現在、復活販売として話題になっている70系の次の世代。
「無骨さの塊」という印象の70系以前より、洗練された雰囲気がある外観。
が、ランクルの真骨頂、ラダーフレームを基盤にオフロードでもタフな走りを見せる無骨さは健在。
オンロードでの快適性が向上したのも80系の特徴だ。
1989年にはもう一台、人気者のクロカンが登場している。
トヨタ2代目ハイラックスサーフで、ランクル80系を1.5まわりほど(!?)小さくしたモデルだ。
全長4470mmというサイズ感もあり、若い世代にも人気が高かったクロカン。
そして、のちのRVブームを支える大黒柱となるスバル レガシィツーリングワゴン、その初代モデルが誕生したのも1989年(写真下)。
いい意味で「レガシィよ、お前もか!」と有名な諺をアレンジして使いたくもなりますよ!
スバル レオーネの後継モデルとして誕生。
それまでの各社のワゴンデザインが急にやぼったく見えるほど、洗練されたスポーティなデザインに目が留まった。
スタイルには確実に新鮮味があった。
5人がムリなく乗れ、荷物をたくさん積めるラゲッジという実用性の高いパッケージングは驚くばかり。
2Lターボが搭載され、スバル特有の4WD走破性。
「優等生」を地で行くクルマで、「ステーションワゴン」というカテゴリーに市民権を与えた立役者だ。
■そして日産パオも誕生。1989年は「国産各メーカーの技術進化の絶頂期」でもあった!
1989年生まれの魅力あふれる国産車。
スポーツモデルやクロカンなどを取りあげてきたが、最後は毛色を変えて日産パオ。
今も記憶に残る、Be-1やフィガロとともに1990年前後に登場した日産パイクカーシリーズの一台だ。
どこかレトロ風味がありつつも、アウトドアテイストをも感じるスタイル。
いい意味で、初代マーチをベースにしたとは思えない出来。
3カ月間の予約受注で約5万1000台も売れ、時代のニーズに合致した「仕立て」だったことがよくわかる。
今スタイルを見ても、ユニークなボディサイドのキャラクターライン、上下二分割のリアガラス、開閉式の三角窓、外ヒンジのドア……など、かなり凝っている。
当時の企業としての日産の、余裕とセンスの高さが滲み出ているモデルといっていい。
……ということで、「国産車の桃源郷」の年といえる1989年に登場した魅力あふれるクルマたちを取りあげてきたが、いやはや、よくぞこんなにも凄いクルマたちが同じ年に出揃ったな、とつくづく感じる。
国産各メーカーの技術進化と技術競争におけるひとつの絶頂期と、バブル景気の時期が重なり市場が一気に膨らんだ……ということが背景にあるといえるだろう。
後世に語り継がれる「奇跡の一年」。
1989年はなんとも濃い!です。
[ライター / 柴太郎 ・ 画像 / Dreamstime]