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「六次の隔たり(6 Degrees of Separation)」をご存知だろうか。
この地球上では、相手が誰であろうが、最大でも、たった5人の「知り合い」をたどれば、「つながる」ことができるという説だ。
人口が僅か500万人ほどの島国ニュージーランドは、六次ではなく二次(2 Degrees)の国であるというのが一般的な理解で、国内にはその名を冠した携帯キャリアが存在するほどだ。
実際、「小学校が同じ」、「兄弟と知り合い」などといったことは、日常茶飯事だから面白い。
そんな「みんなが知り合い」という特色を利用して、旧車オーナーや業界人を次々とご紹介いただき、「つながる」ことを実感しようというシリーズ。
それがこのインタビュー「2 Degrees」だ。
記念すべき「第1弾」となる今回は、筆者tomatoの知り合いである、オークランド在住のKendall(ケンダル)夫妻をご紹介したい。
ご夫妻との出会いは、2018年12月にさかのぼる。
場所はAuckland CBD(Central Business Districtの略で、要は中心部という意味)から、70㎞ほど南下した先にあるHampton Downs(ハンプトンダウンズ)サーキットだ。
その日は、ドリフトレーサー「Mad Mike(マッドマイク)」主催のイベントが行われており、日本から星野仙治氏が持ち込んだ「Mazda 767B (202号車)」が、誰もが酔いしれる「4ローターサウンド」を奏でて周回し、大盛況だった。
そこで、お互いが話す日本語が聞こえたのが出会いのきっかけだ。
旦那さまのStephen(スティーブン)さんは、キーウィ(ニュージーランド人の通称)だが、実は奥さまのMichikoさんは日本人なのだ。
ニュージーランド生まれのお嬢さまも、日本語が堪能なバイリンガルで驚かされたのを記憶している。
今回、「インタビュー」を快く受けてくださったので、ご自宅に話を伺いにいった。
ちなみに、ふたりの会話は、ミチコさんが日本語で、スティーブンが英語で話すという不思議なもので毎回新鮮だ。
正直、筆者は、ふたりと話すと少し混乱するのだが… (笑)。
■TODAY
2023年7月執筆時点で、ケンダルご夫妻は、なんと3世代全てのRX-7を所有(完全制覇)している。
・SA22C(マッハグリーン・メタリック)
・FC3S(トルネードシルバー・メタリック)
・FD3S(ヴィンテージ・レッド)
ナンバーなしの車両2台(下記)も含めれば5台のRX-7だ。
・サーキット走行用のFD3S(シルバーストーン・メタリック)
・保管中のSA22Cターボ(ドーバー・ホワイト)
さらに、RX-7以外の自家用車も含めれば、計8台も所有されている。
特にマッハグリーンのSAは、自らが「フルレストア」した作品。
その出来は、工場のラインを出たばかりの新車レベルで、まさに正真正銘の「ヘンタイ(もちろん良い意味で)」だ。
なお、これは最上級の誉め言葉であるので、誤解のないようにしていただきたい。
▲StephenさんとMichikoさん
■YESTERDAY
まずは、そんな「現在」に至るまでの道のり、「過去」をお聞きしよう。
「Kendall」というファミリーネームをネットで調べると、イングランドが起源の名のようだが、スティーブンさんによると、このケンダル家は、むしろアイルランドの血が濃く、ニュージーランドには約150年ほど前に先祖が渡ったそうだ。
スティーブンさんは、4人兄妹の次男として1968年に生まれた。
小学生になる頃までは、タウランガやプケコーヒにあった近郊のサーキットで、父のBrian(ブライアン)氏が草レースをやっていた影響から、ガソリンやオイルの匂いがする家で育った。
レースといっても、Datsun 1600 Deluxe(510 ブルーバード)やDatsun 180B(610 ブルーバード)など、ケンダル家にある自家用車にレース用のシートベルト、ヘルメット、消火器を装備しただけというから、本当に羨ましい時代だ。
▲スティーブンさんの父親であるブライアン氏と、Datsun 180B(610 ブルーバード)
その後、より家族との時間を優先することになっても、家族でレース観戦に行くこと、クルマ雑誌が家に置いてあることが日常の風景だった。
ちなみにブライアン氏は、当時人気が高く、入手が困難であったイギリス車をあきらめ、Datsunに手を出したわけだが、その信頼性に感銘を受け、R30からR35まで渡り歩くなど、無類のNissanスカイライン党になっていく。
そんな環境で育ったスティーブンさんは、新聞/広告配達やスーパーマーケットでアルバイトし、1985年(16歳)に自動車運転免許を取得するやいなや、1972年式のDatsun 1600SSSを、当時の2,000 NZドルで購入した。
その1,600 ccのエンジンをリビルドするなどし、自動車知識をさらに養っていく。
▲若かりし頃のスティーブンさんとDatsun 1600SSS(510 ブルーバード)
彼は技術系大学の夜間コースに通いつつ、自動車の板金工としてのキャリアをスタートさせた。
社会人生活も5年ほど経ったころ、彼は仕事を辞め、友人達と半年間のヨーロッパ旅行に出るのだった。
●そのヨーロッパ旅行は、価値観などに何か影響を与えましたか?
(スティーブン)「うん、そうだね。海外で、『その日暮らし』という形ではなくて、『地に足のついた暮らし』をしてみたいと思うようになったんだ。この経験のおかげで、日本に行くことになるんだ」
ニュージーランドに戻ったスティーブンさんは板金工に復職し、その2年後に広島の自動車整備会社からの仕事のオファーを掴んだ。
(スティーブン)「不安はなかったよ。仕事は1年契約(ワーキングホリデー)だったし、往復の航空券と住む場所が与えられたから、『最悪でもタダで日本旅行できる』と思ったよ(笑)」
1993年、スティーブンさんは広島で暮らし始める。
勤務先は、Hertzレンタカーも運営するなど、広島の業界内では名の知れた大きな会社だったようだ。
会社には、同じように採用された3人のニュージーランド人も一緒だったので、ご両親も安心だっただろう。
●日本の第一印象はどうでしたか?
(スティーブン)「もっと近代的なだけの国だと思っていたけど、歴史の浅いニュージーランドでは見ることのない、歴史的なものと、モダンなものが両方あることにとても驚いたよ」
■人生の伴侶、Michikoさんとの出会い
ミチコさんとの出会いは、ニュージーランドではなく、彼女の故郷、日本の広島だ。
具体的には、彼女が当時通学していた英会話学校の先生に連れて行かれた、市内中心部の流川町にある「外国人(Expats)が通うバー」だったそうだ。
当時の彼女にとって、英語は単なる「海外旅行の手段」であり、クルマはホンダ グランドシビックを所有はしていたが「移動の手段」でしかなかった。
なのに、翌年の94年にはゴールインしてしまうのだから、「愛の力」は本当に偉大だ。
■ロータリースポーツ「MAZDA RX-7」との出会い
当時、傘下のHertzレンタカー店には、ブリリアント・ブラックのFD3S型のRX-7があった。
しかも、マニュアルトランスミッションだ。
同じ傘下なのだから、お客さまがぶつけるたびに、板金工のスティーブンさんに回ってくるというサイクルだったのだ。
そして、修理が済むと、試運転(?)も兼ねて、山陽自動車道の広島東ICと広島ICの間にある「安芸トンネル」を爆走するのが、楽しみで仕方がなかったそうだ。
社用車のマツダ・ボンゴを「普段の足」としているなかで、入庫するほとんどは、普通のクルマなわけだから、そんな若者がRX-7とロータリーエンジンの虜にならないはずはなかった。
この時点で「人生詰んでいた」のかもしれない。
■母国「ニュージーランド」へ
21世紀の足音が近づくつれ、スティーブンさんは母国ニュージーランドへの帰国を望むようになった。
日本の(特に自動車整備の)労働環境が苦痛になってきたのだ。
また、板金工というスペシャリストとしても、外国人としてもキャリアアップがまだまだ難しい時代でもあったのだろう。
そんな彼の望みを受け、ミチコさんはニュージーランドへの永住を決意する。
簡単なことではなかっただろう。
そして西暦2000年に、ふたりは、冒頭のヴィンテージレッドとシルバーストーンの2台のFD3S型 RX-7、そして奥さまのマツダ ランティスとともに移住する。
板金工をする傍ら、シルバーストーンのFDで草レースを楽しむという生活が始まったそうだ。
▲スティーブンさんのサーキット走行
●全世代のRX-7を揃える計画を立てたのは、いつごろですか?
(スティーブン)「2015年頃かな。年齢的なこともあって、プライベートプロジェクトとして、レストアをしてみたいと思ったんだ。本当はRX-2とかRX-3が欲しかったんだけど、少し遅かったみたいで、すでに価格が高騰し始めていて、手が出せないと判断したよ。すでにFDは持っていた訳だから、SAとFCを入手して、RX-7を全世代揃えることに方針転換したんだ」
その後、ふたりは日本在住のオーストラリア人の仲介により、日本のオークションで、予算内のSA22型(フルノーマル)を2年程探すのだが、SAもまたどんどん高価になっていった。
狙いをより安価なFC3S型に切り替え始めた2017年、オートマということもあり、程度極上の個体を日本のオークションで落札することに成功した。
が、そのわずか1週間後に、手頃なSA22型もオークションに出品されたのだ。
(スティーブン)「そのSA22型は、ボディの所々にサビがあるなど保存状態に問題はあったけど、腐食で穴があいているなどということはなく、各コンポーネントもオリジナルを保っていたから、『買い』だと思ったよ。きっと日本人なら手を出さないだろうけどね」
そう、その2台が、現在のSA22型(マッハグリーン)とFC3S型(トルネードシルバー)だ。
(ミチコ)「SAは、最初は、少しずつキレイにしながら使って、いろいろガタが出始めたら、一気に修復すれば良いと思っていたんだけど、『どうせ、何年後かにそうなるなら』って、スティーブンが2019年に、2年プロジェクトの“フル”レストアを決意したんです」
●自分にフルレストアができると思った? 不安はなかった?
(スティーブン)「スキルはあったからね。あとは、行動に移すだけだったよ。幸い、レストアを本格的にやっている親子とも知り合いになれたから、『やってやろう』と思った」
■写真で見るフルレストア(Full Restoration)
▲レストア開始時のSA22型
▲車体のサビ
▲エグゾーストパイプのサビ
▲サビ除去の「どぶ漬け」工程
▲分解 → 研磨 → 加工 → 保管
▲レストア前の12Aロータリーエンジン
▲レストア後の12Aロータリーエンジン
▲本格的な塗装(スティーブンの職場の塗装ブース)
▲下回りの完成
▲内装トリムの塗装と乾燥
▲シート生地の修復
▲シート組付け後
▲(レストア前)「Limited」と「マツダオート茨城」
▲(レストア後)「Limited」と「マツダオート茨城」
●何が一番大変でしたか?
(スティーブン)「ワンオーナーだったから、モノは揃っていたんだ。交換したのは、テールライト、ウェザーストリップとかのラバー類、ホース類、サスペンションのブッシュ類とか、どうしても経年劣化する部分がほとんどだった。あとは、ラジエーターとか、1つ1つのコンポーネントを『外して』→『分解して』→『ポリッシュして』→『脇に置いておく』というプロセスの繰り返しでしかなかったから、その数は凄いけど、大変ということは…」
レストア作業の写真を数枚見せてもらっただけでも、筆者には「途方に暮れる作業」に思え…改めて、「知識と経験は、人間をどんなところへも、連れて行っていけるのだ」と心底感じた。
(スティーブン)「あっ、一番大変だったのは、エンジンルーム内とかに貼るステッカーの修復/複製かな。それだけは、やったことなかったからね(笑)」
(ミチコ)「私が全部やりました!」
▲複製した各ステッカー(ほんの一部)
■通称『ケロちゃん』
●ずばり、レストアの魅力は?
(スティーブン)「2021年2月のEllerslie Car Show(エラズリー カーショー)*に展示できたんだ。そういったイベントに行く度に、人だかりになったりするんだけど、それが最高のご褒美であり、『Rewarding(やりがい)』だよ」
(ミチコ)「この『ケロちゃん』(緑色のカエル)が行くところ行くところ、すぐに人が集まって来て、いろいろな人に声をかけられるんですよ。本当は、その翌年のエラズリー カーショー*では、コンクール(競技会)への参加を予定していたんですけどね。コロナ禍で中止になってしまって、スティーブンは『もう待てない』って、『普段使い』し始めちゃったんです(笑)」
▲2021 エラズリー カーショー*
(*)「Ellerslie Car Show」に関しては、すでに記事を公開しているので、そちらをご覧いただきたい。
https://www.qsha-oh.com/historia/article/ellerslie-car-show-2023/
●やっぱり、レストアはイギリスの「バックヤードビルド」文化の影響なのでしょうか?
(スティーブン)「それもあるだろうけど、過去の閉鎖的な経済政策も影響していると思う。そもそも多くの国から物理的に離れているから、品物が少なかったし、90年代まで、クルマなどさまざまな外国製品に対して高い関税を課していたからね。『まずは自分たちで直す、DIYする』という社会だったんだ」
■TOMORROW
ふたりの「明日」、今後の計画について尋ねてみたところ、別途所有されている「SA22C型 12Aターボ」のフルレストアを2年以内に開始したいそうだ。
(スティーブン)「本当は、レストア自体を生業にして、培った知識を若い世代に遺せたら、最高なんだけどね。あくまでも、自由に使えるお金がある裕福な人が、思い立ったそのタイミングで発生する業務だからね。ビジネスとしては成立しにくいんだよね」
残念なことに、その若い世代の筆頭と成り得るケンダル家の「お嬢さま」は、クルマへの興味がまったくなく、今はファッションとK-POPに夢中だそうだ。
でもしかし、筆者は「まだ分からない」と思う。
だって、ミチコさんがそうだったじゃないか。
なにかのタイミングで、クルマ愛が化学反応的に表面化する日もあるはずだ。
クルマのイベントに、いつも仲良く夫婦2人で参加される姿は、「微笑ましく」、そして「羨ましい」。
ぜひ、いつまでもお幸せに!
[画像提供/Kendallご夫妻、 ライター・撮影/tomato]