欲しいクルマがあるとしよう。なぜだか分からないけれど、たいがいは「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」だったりする。
フェラーリ250GTOに憧れても、人生を賭けて本気で欲しいと思う人は稀だろう。
何らかのきっかけで大金が転がり込んできたとしても手が届く存在ではないし、このクルマに相応しい生活や保管環境がある。
さらにいえば人格だって求められるかもしれない。
それはさておき、「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるには?
いまより所得を上げるか、何らかの形で大金を手に入れる(用意する)必要がある。
仮にAさんとしよう。憧れのクルマを手に入れるべく、転職して、ゆくゆくは起業するという。
それも夢物語ではなく具体的なプランとして進めている。夢を現実にしようと行動を起こしているのだ。
あくまでも直感だが、Aさんは憧れのクルマを手に入れることができるような気がするし、実際にそうであってほしい。
そして、Bさんという人にも憧れのクルマがある。
周囲がお膳立てしても、あれこれと理由をつけて「自分には無理」と決めつけてしまっているフシがある。
それでいて欲しいという気持ちに変わりはないし、いまの愛車にも結構なお金をつぎこんでいる。
そんなお金があれば本当に欲しいクルマを買えばいいのに・・・と周囲の誰もが思っている。
結局、それだけの覚悟がないのだろう。
「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるのは、それなりのリスクが伴う。
貯金をすべて使うか、転職や起業して稼ぎを増やすか、どこかの誰かに貢いでもらうか。日々、ただ漫然と過ごしているだけでは手に入らない。
どこかで覚悟を決め、一念発起するしかないのだ。それが分かっていて行動に移せないのだから、やがて「結局、アイツは買う気がないんだな」と思われてしまう。
そして、いくつもの「いい話」が目の前を過ぎ去り、結局チャンスを逃す。
「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を何としても手に入れたいのなら・・・人生を賭けるくらいの覚悟があってもいいかもしれない。
湾岸ミッドナイトに登場する「ブラックバード」こと島達也が、主治医である北見淳との会話のなかで「じゃ、なんでお前はこんなの乗れんだ?」と聞かれ、「カンタンですヨ。全部つぎこんでいるからですヨ」と答える場面がある。
欲しいクルマが買える人と買えない人の決定的な差とは?
貯金をゼロにしてでも買うべきなんてとてもいえないけれど、それに近い『覚悟』がなければ「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」は手元にやってきてくれない。
それはいつの時代も変わらないのかもしれない。
[ライター・撮影/松村透]