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かつて、若者だった世代であれば、バブル期に一世を風靡した「デートカー」という概念があったことを記憶している人も多いだろう。
当時のデートカーはホンダ プレリュード、トヨタ ソアラ、日産 シルビアといったクルマたちが代表格であり、それらのクルマはドイツに向けても輸出されていた。
しかし・・・。
そもそも当時、ドイツには「デートカー」という概念は存在していたのだろうか。
さらにいえば、現在のドイツのクルマ好き、あるいは若い人の間に、デートカーという概念は存在しているのだろうか。
今回はその点をドイツで暮らす日本人の視点で考察してみようと思う。
■そもそもドイツは「流行」そのものが存在しにくい社会
結論を先に書いてしまうと、「デートカー」という概念はドイツには存在しない。
過去に存在しなかったし、これからも存在することはおそらくないだろう。
なぜここまで筆者が断言できるかには理由がある。
大前提として、ドイツにおける「流行」というものについて、少し話をしなければならない。
ドイツでは、なにか特定の文化・考え方が一世を風靡する、という現象は起こりにくい。
というか、そうした現象が起こることについて強い忌避感がある。
第二次世界大戦とその後の東西分断でドイツという国がなにをしたか、ドイツ人はよく知っているし、その時代を想起させるような「極端な一体感」を嫌う。
だから、日本のように「今、○○の間で○○が大流行!」という内容のテレビ番組が放映されることはない。
また、若者や社会人が世代ごとに似たようなファッションになることもないし、「こうした考え方が世間の常識だ」などというような考え方の強要が行われることはない(個々人が抱えている正義や主義・主張は当然あるけれども)。
もちろんドイツにもフォルクスワーゲン ゴルフのような、ろくに宣伝などしなくても黙って月何万台も売れていくようなベストセラー商品は存在する。
ただしそれは、あくまでひとりひとりがゴルフの大きさなり価格なりを「ちょうどいい」と思うから買っているのであり、「ドイツでは今、フォルクスワーゲン・ゴルフが大流行!」「○○人にひとりが購入しています!」という宣伝文句にあおられて買っているのではない。
つまり、ドイツでの「流行」は、ごく身近な人間関係のなかでは形成される可能性はあるものの、テレビや雑誌などが主導で社会全体を動かすものにはなりにくい。
現在ドイツで流行っている概念といえば「自然環境保護」や「無農薬」「地産地消」などだが、これらは政府が力を入れているものだ。
これからも継続していこうという考え方であり、一過性の「流行」とはいい難い。
ドイツは日本におけるような意味の「流行」が起こりにくい社会なのである。
■ドイツにおける「流行」は局地的に発生するもの?
デートカーの概念に戻ろう。
ドイツでは「流行」という概念そのものが存在しにくい社会であるから、「このクルマに乗っていればモテる」「このクルマに乗っている男性・女性はかっこいい」という考え方が、個人の考え方の範囲を超えて社会全体に浸透する、ということは起こらない。
トヨタ ソアラに乗っていればモテる、というような価値観は、ドイツ社会では形成されることすらありえないのである。
そういった意味から、「デートに向いているクルマ」というのも存在しない。
あなたが男性だとして、今売れているからといって最新のスタイリッシュなSUVを購入したとしよう。
そのクルマを意中の女性が気に入ってくれるか(そしてそのクルマに乗っているあなたを気に入ってくれるか)は、その女性がどんな考え方を持っているかに左右される。
彼女は「とても素敵なクルマに乗っていますね」とほめてくれるかもしれないし、「時代遅れでナンセンス。環境保護を考えるとクルマを持たないか、せいぜいピュアEVが妥当なところじゃないですか?」と問い詰めてくるかもしれない。
一方、ベルリンに住む移民の最大派閥・トルコ系の男性の間では今、ドイツ製のハイパフォーマンス・セダンが大人気である。
彼らは、AMGやBMW Mシリーズ、アウディのS・RSシリーズを大きな借金をしてでも買い、ベルリンの街を爆走する。
彼らにとってそうした高級セダンはステータスシンボルであり、成功者の証であり、将来の結婚相手を見つけるときの大きな武器であり、なにか困った事態が発生したときは即座に売ってお金に変える「保険」でもある。
彼らは結婚式の際にフェラーリやランボルギーニをレンタルして、編隊を組んで走行したりもする。
しかし、これはごく狭い文化圏の話だ。
ドイツに住む大多数の人間はこんな価値観を持ってはいないし、こうした価値観を時代遅れだと考えている。
■「自分らしさ」を大事にしてクルマを選ぶ
「流行」は存在しない。
クルマ(そして自分)が気に入られるかどうかは相手に左右される。
それなら、デートに出かける時のクルマなんて、なんでもいいのだろうか?
個人的に感じるのは、仮に男性側がクルマを用意して女性とどこかに出かける、となったとき、男性側に求められるのは、明確な「なぜそのクルマを選んだのか」という理由と、そのクルマが好きだ、という気持ちだと思う。
それがはっきりしていればしているほど、お互いの理解が進むのは間違いない。
自分は小さくて軽いハッチバックが好きだ、運転していて楽しいし、維持費も安いし燃費もいい、駐車場を探すのにも困らないよ。
僕は古いクルマが好きだ、デザインが美しいと思うし、たしかに壊れやすいけれども、自分で直して面倒見ながら乗るのも楽しみのひとつだよ。
私は乗り心地が良くて静かなセダンが好きだ、友人を乗せても満足してもらえるし、なにより長距離を走っても疲れない。
俺は荷物も家族も友達も、なんでも飲み込むような大きなバンが好きだ、こいつにキャンプ道具をたくさん積み込んでみんなで出かけるんだ、最高だぞ!
自分の主張をはっきりさせたら、あとは相手の判断に委ねるしかない。
その結果、意中の相手とうまくいかなくても、必要以上に落ち込むことはしない。
自分自身に正直に、うそをつかないで生きていくことの方が重要であり、自分を偽って相手に媚びて一緒になっても幸せにはなれない、と多くの人々が考えているからだ。
■あのクルマだけは唯一「デートカー」と呼べる?かもしれない
当時日本で流行したデートカーたちは、ドイツの中古車市場ではほぼ流通していない。
今では部品が入手困難だし、そもそもそれほど多くの数が輸入されていない。
これまで散々「デートカーという概念は存在しない」と書いてきたが、過去から現在まででほぼ唯一、ドイツの女性の目を見開かせるようなクルマがある。
ポルシェ911だ。ポルシェのことは誰でも知っているし、911のデザインは一目で「あのクルマ」だと認識してもらえる。
高価なクルマであることは一般的に認知されてはいるが、一方で実用性をも兼ね備えた、控えめなスポーツカーである。
ポイントは高い。
しかし一方で、これは踏み絵でもある。
あなたが911に乗って彼女を迎えにいった場合、非常に注意深く観察されることを覚悟しなければならない。
クルマに見合った年収を稼げているか、クルマばかりに熱中して家族をかえりみない人物ではないか、環境保護や政治についての明確な考え方は持っているか……。
ま、それはさておき・・・さあ、楽しいデートの始まりだ。
[ライター/守屋健]