1963年11月12日にデビューしたオープンカー、ホンダスポーツの60周年イベントが開催された。
会場である「中伊豆ワイナリー」には50台以上のS600、S800のクーペやオープンが現れ、オーナーたちが交流を深めていた。
冒頭の挨拶には現ホンダ副社長でもある青山氏も登壇。
自らもホンダエスのオーナーであることを明かし、いちクルマ好きとして、その素晴らしさを語ってくれていた。
デビュー当初は4色(別冊CGより)しかなかったが、会場に現れたのはその後追加されたカラーやオリジナル塗装のものなど、さまざまなカラーリングのエスが並んだ。
また50周年の折に一般に先駆け、茂木でクラブ員だけに先行公開された復刻プロトタイプのS350も展示され、会場を彩っていた。
■60周年を迎えるホンダスポーツ
ホンダスポーツは1962年、第9回全国自動車ショーにて初めて世の中に登場する。
これは当時の通産省による自動車業界再編案に対して反発した本田宗一郎が、法案が成立する前に対応するべく開発を進めたものであった。
翌1963年、ホンダスポーツは「S500」として正式にデビューを果たす。
当時の販売価格は45万9000円であった。
翌年の1964年にはより排気量の大きいS600がデビューし、のちに輸出仕様も念頭にS800へと発展していった。
基本的にはFRレイアウトのモデルだが、面白いのはスペアタイヤの収納の関係でデファレンシャルから直接ドライブシャフトが伸びておらず、その先をチェーンにより延長しての後輪を駆動させる形態になっている。
これはのちにスペアタイヤの位置を見直すことで完全なシャフト駆動になっており、チェーンドライブとシャフトドライブとで区分けがされている。
冒頭のあいさつでも話があったのだが、既にオーナーご自身が還暦を迎えていたり、さらに年齢を重ねている方も多数いらした。
つまり、オーナーとともに歩んだ還暦祝いともいえるだろう。
ナンバーも宮城や関西のナンバーなど広範囲に及び、まるで新車のごとき仕上がりのエスもいれば、登録以来そのままの時間が経過した車体もある。
いずれもオーナーのスタンスによって形作られ同じような個体はないといっていいだろう。
■若い2代目ドライバー
筆者が前日宿泊で知り合った若者がいた。
S800オーナーの家族で同乗者として参加していて、まだ18歳という。
彼は小さなころから現オーナーである父親とS800でドライブをして、気がつけばすっかりオープンカー好きになってしまったらしい。
父親であるオーナーの車輌も良コンディションであり、また自らインパネやシフトノブ座席の張替も行なって、すっかりオリジナル感があるクルマとなっている。
そんな若い彼の現在ほしいクルマはロードスターやビートだという。
やはりオープンカーが良いそうだが、それにしても欲しいのはS660やNDのロードスターではなく、NAやビートといった90年代の車輌というのが、どこか今どきの若者と違っているところだ。
いつかは父からステアリングを引き継ぐ日を思いながら日々精進している。
我々おじさんからみれば将来有望な若者だが、彼の目下の悩みは同年代で話が合う人間が少ないことだという。
■イベント会場の横道を行く
会場の周辺の駐車場にいる見学車輌にスポットを当てるべく、横道を行ってみることに。
外部駐車場がない当会場では、そうしたクルマはあまり見当たらない。
しかし、展示車輌に謎のクルマが1台。
メルセデス・ベンツの名車300SLガルウィングが置いてあった。
なぜホンダのイベントに?
よく見るとオリジナルよりも圧倒的に小さく、リアのグレードのロゴには600SLとある。
これはエスのシャーシをベースにして作られたカスタムカーだったのだ。
当日はこのほかに、S600ベースのモデファイドモデルのグリフォンも参加。
イベントに華を添えている。
■70周年に向かって進むホンダスポーツ
前回の50周年で、また何かやろうということでS800の50周年を3年後に行ない、さらにまたなにかと思っていた矢先、コロナ禍でイベントそのものが難しくなってしまった。
還暦祝いのこの日、集まったメンバーと再びイベントが開催できた喜びを分かち合うことができた。
終了の挨拶では「次の70周年も」という話で締めくくられたが、次の10年新たなオーナーを向かえるエスもいるだろう。
もしかしたら交通事情も大きく変わっているのかもしれない。
それでもホンダスポーツは颯爽と走り続けることだろう。
[ライター・カメラ / きもだこよし]