目次
■まずは自動車誕生の時代からの歴史を振り返ってみよう
●蒸気自動車の誕生から技術の確立
最初の自動車は、重量級の荷物を運ぶため、頑強な台車の先端に馬の代わりに蒸気エンジンを付けたもので、1769年に誕生した。
その後、ワットは蒸気機関をさらに改良、高効率化と著しい信頼性の向上に成功している。
さらに、ピストンの上下運動を回転運動に変える技術で特許を取得。
こうした新技術の確率により、1700年代後半になると、人間用の馬車も蒸気自動車へと移行していったわけだ。
●対抗する動力源の出現 第1号はバッテリー&モーター!?
その後、蒸気機関は技術を進化させながら、100年以上も自動車の主力動力として君臨するのだが、同時期に別の動力源を模索する流れもあった。
最初に頭角を現したのは電気自動車だったという。
おそらく、廃バッテリーの処理問題や、電解液漏れ防止の難しさなどの扱いにくさ、充電時間や航続距離などの問題が多々あったと思われるが、蒸気自動車の一角を崩すことには成功したようだ。
●次世代の主力、ガソリンエンジンの誕生と乗用車の普及
ガソリンエンジンの登場は1886年のこと。
それは、G・ダイムラーの四輪車と、C・ベンツの三輪車だ。
上の画像は1889年のダイムラーだ。自転車のような細いタイヤに時代を感じる。
1900年代初頭の段階では、高速性能面も含め、蒸気自動車優位の状態でスタートしたようだが、自動車産業界にアメリカが参入したことで大きく変貌を遂げることになる。
そう、大衆化の潮流である。
ヨーロッパでの自動車は、上流社会のステータスという存在だったが、アメリカでは馬車に代わる一般大衆の長距離移動手段。
オールズ・モビルは量産化によるコストダウンに成功、フォードは当初より大衆車を目指して構造の簡素化とイージードライブに徹したT型フォードを開発し、自動車の普及に大きく貢献した。
上の画像は1909年式 Ford Model T Town Car。この時点でのスターターはまだ手動式だった。
加えて、セルスターターシステムの発明も大きなポイントである。
手動でクランクを回してエンジンをかける従来方式から解放された事で、非力な女性オーナーにも容易に扱える道具となったわけだ。
■日本での自動車産業黎明期
日本での自動車生産は、1904年の山羽式蒸気自動車に始まるが、実用上の国産一号車は、1907年の純国産ガソリンエンジン車である、吉田式「タクリー号」だった。
ただし、残念ながら当時、日本の工業技術は未熟で、多くのチャレンジはあったものの、成功を遂げたモデルはなかった。
やがて、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、国産メーカーは解散。
その後、1932年に、現在の日産自動車の前身「ダットサン商会」が、翌33年には現在のトヨタ自動車の前身となる「豊田自動織機製作所自動車部」が設立され、国産自動車開発にチャレンジを始めたが、第二次世界大戦前には軍需用トラック製造が優先されることになる。
■国産乗用車生産の実質的スタートは第二次世界大戦後
日本国内での自動車生産が自由にできるようになったのは、1949年に、GHQによる自動車生産制限が解除されてから。
上の画像は、純国産を貫いたトヨタのトヨペットクラウン。1955年に発売された。
創業以来、純国産を貫いてきたトヨタはそのフィロソフィを貫いたが、1951年に東日本重工(現三菱自動車)がカイザー・フレイザー社製「フレイザーJ」のノックダウン生産を開始したことを皮切りに、53年頃から、日産はオースチンのA40、日野はルノーの4CV、いすゞはルーツのヒルマンのノックダウン生産をスタートしている。
その後も多くのメーカーが自動車メーカーとして名乗りを上げ、自家用車普及を目的とした1955年の国民車構想政策にも後押しされ、日本独自のユニークなクルマが数多く誕生した。
そして、1964年のオリンピック開催地が東京に決まると、高速道路などのインフラも急速に充実し、クルマの高性能化競争や価格競争が激化。
現在も愛され続ける、数々の名車が誕生したのだ。
■国産旧車、年代別の特徴と魅力
●1960年代以前
最初から純国産を貫いたトヨタを除けば、アメリカ、イギリス、フランス製車両のノックダウン生産車から国産乗用車はスタートした。
特に、日産が生産したオースチンA40&A50は、本家バージョンの熱狂的愛好者が多いだけに、古いわりにパーツ供給の不安は少ない。
上の画像は、日産がノックダウン生産したオースチンA50ケンブリッジ。今見るとなかなか洒落ている。
また、初のダットサンとして知られる、ダットサン110型が登場したのもこの時代だ。
純国産を貫いたトヨタからは、観音開きが特徴で、現在でも優れた実用性を持つ初代のトヨペット・クラウン&トヨペット・マスター、初代コロナ(ST10型)などがリリースされている。
その他では、プリンス・スカイライン&グロリア、スバル360、ダイハツ・ミゼット、そしてダットサン・ブルーバード(310型)が誕生している。
この年代のクルマ達はまさに文化遺産。
日本の産業文化史に残る個体を動態保存しているのだ、と、誇りを持って楽しんでいただきたい。
●1960年代
ある意味、最も輝いていた時代が1960年代だ。
1964年に開催される東京オリンピックに向け、道路の舗装、高速道路建設などのインフラも急速に整備され、各メーカーの開発競争、販売競争も激化。
多くのニューモデルが誕生しただけでなく、従来車のモデルチェンジやマイナーチェンジサイクルが短かった時代だ。
また、二輪の世界で大成功をおさめたホンダが、初の四輪車としてS500&S360を発表している。
実際に発売されたのはS500だけだったが、S360用に開発したドライブトレーンを搭載した軽トラック、T360を発売。
スポーツカー用エンジンを搭載した軽トラであり、農道のフェラーリなどと呼ばれ、趣味人にも人気が高いモデルである。
ホンダがF1レースに初参戦したのもT360発売と同時期、1963年8月のことである。
マツダが四輪車市場に参入したことも大きなニュース。
この画像は、マツダ初の四輪自動車として1960年に発売されたR360クーペ。62年にはファミリーセダンのキャロル360を加え、日本のモータリゼーションに貢献した。
R360クーペ、キャロル360の発売から、初代ファミリア、ルーチェ、そしてコスモスポーツに始まるロータリーエンジン搭載車シリーズの発売まで、一気にトップブランド総合自動車メーカーの一角を担うまでに成長した。
逆に、高度な技術をウリにしていた名門であるプリンス自動車が、日産自動車に吸収合併されたのもこの時代の出来事。
また、通産省による自動車産業再編構想の影響もあって、日野自動車とダイハツはトヨタグループとなり、日野は乗用車事業から撤退している。
この年代のクルマは、個性に溢れるモデルの宝庫であり、我が国におけるクラシックカー趣味の主役といえる年代。
特に東京オリンピック以降に誕生したクルマ達の強い個性は別格。
そのクルマのオーナーになったその日から、メーカーや設計者の理念を感じるに違いない。
自分好みにモディファイするのも良いが、できることならノーマル状態を知り、設計者との時空を越えた対話を楽しんでもらいたい。
いや、そうすることが先人に対する礼儀であり、クラシックカー趣味道入門の心得だと思う。
●1970年代
70年代は激動の時代となった。
アメリカのマスキー法施行によって、排出ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の量を1/10以下にすることが決定されたことを受け、日本でも排出ガス規制を強化することになったのだ。
日本では、本家が施行を延期する中、より厳しい規制値を定め、それをクリアするべく全メーカーが生き残りをかけて開発に注力することになる。
そのため、70年代のクルマは、規制強化前で60年代の余韻が残る70~73年、段階的に強化される規制値クリアに四苦八苦していた73~77年、目標規制値達成後の78年以降と、大きく3パターンに分けられ、それぞれの時代背景を感じるクルマが誕生している。
特に興味深いのが、公害対策をクリアしながら生き続けたトヨタのツインカム・エンジン車たち。
カタログから消えた時期もあったし、対策前よりパワーダウンはしているが、2T-G型や18R-G型搭載車の存在は、当時も現在も趣味人を刺激する。
この画像は、セリカLB2000GT。排出ガス規制をクリアした18RGE-U型エンジンを搭載している。
なお、JCCA(日本クラシックカー協会)主催のイベントでは、レースについては1975年以前に生産されたクルマ、展示イベントの場合は、基本的に79年までに発売されたクルマ、またはその同型車と規定されている。
つまり、旧車の中でもクラシックカーの世界を楽しみたいのであれば、70年代までの車両にこだわった方が賢明だろう。
●1980年代
この時代の特徴は、多くの国産車が、FRからFWDへと移行したことだ。
そんな中、時の流れに抵抗するようにFRを貫いたAE86やFC型RX-7などは、人気アニメ「イニシャルD」の影響もあって、世界中に熱狂的ファンが生まれている。
もちろん、FWD車にも魅力的なモデルが多く誕生しているが、FR車が華やかだった最後の時代という風潮が強いためか、この時代に生まれたFWD車は、中古車市場での人気が低い。
たとえば、FRの310型サニーとFWDになってからのB11型サニーでは、市場価格に数倍の差が出てしまうし、他の車種でも同様の傾向があるのだ。
失われたパワーをカバーするターボ車が注目されるようになったのも80年代の特徴。
ただし、初期のターボ車は、3000回転を越えたあたりから急に目覚める「ドッカン・ターボ」だったので、回転を上げれば強いGを感じる強力な加速を楽しめるものの、低回転域でのトルクはNAモデルより小さく、街中では扱いにくいことを知っておくべきだろう。
この画像は、日本初のターボ搭載車となった430型セドリック。グロリアとともに、1981年に発売された。
全体を見ると、インパクトの強いモデルが少ないように思えるが、80年代半ば以降に誕生したモデルの多くはエアコンも装備されているだけに、日常的に使いやすい旧車として狙ってみたくなってしまう。
主にヨーロッパの市場で高く評価された、1978年発売のプレリュードに始まるパーソナルカー市場も、80年代の大きな特徴だが、その極め付けは81年に発売されたトヨタ・ソアラだ。
当時の最先端技術を惜しみなく投入した高級パーソナルカーであり、動力性能、快適性能共にライバルを寄せ付けないクルマだった。
80年代も後半になると、バブル景気で日本経済全体が急成長する。
クルマの世界でも、輸入車が爆発的に売れ、特に人気が高かったBMW320iに代表される3シリーズBMWは、六本木カローラの愛称(?)で、若者の間に浸透した。
本来はハイソサエティカーとして誕生した、日産のシーマも予想以上に若者の人気が高くなった。
シーマ現象と呼ばれる不思議な傾向で、ただ所有し優雅に乗るだけでなく、大胆なシャコタンとキンキラのモールやオーナメントを基本とするVIPカーという世界が確立したのだ。
まぁ、楽しみ方はイロイロだが、80年代半ば以降に生産されたクルマなら、快適装備も問題なく、日常的な使用もノープロブレムという点も魅力。
旧車の香りと現在の快適性がうまく調合されたモデルが多いので、旧車入門にもオススメの年代だ。
●1990年代以降
80年代後半から90年代前半までの数年間は、まだバブル景気の勢いがあったためか、ユニークなクルマが多く誕生している。
日産のBe-1、パオ、フィガロ、エスカルゴ、そしてトヨタのオリジン、クラシック、WILLシリーズ、ダイハツのミゼット2など、いわゆるパイクカーが大量発生したのだ。
こうした、シリーズとしての継続性がない、いわばメーカー純正のカスタム車両は、比較的新しい旧車といえる90年代車両独自の世界かもしれない。
国産車としては約20年ぶりとなるオープン2シーター、89年発売のマツダ(ユーノス)ロードスターも90年代を代表する趣味人御用達実用車。
この画像は、ミアータの名で先行発売された輸出仕様のロードスター。軽快な運動性能で、スポーツドライビングを満喫できる。
ミッドシップのホンダビート&トヨタMR2、FWDのホンダCR-X、FRのマツダロードスター、日産シルビア&スカイライン、ホンダS2000と、各駆動方式ごとにワクワクするモデルが誕生している。
さらに、98年にはFRの4ドアセダン、トヨタはアルテッツァを発売。
ドライビングを楽しめる正統派スポーツセダンとして、人気上昇中のようだ。
旧いといってもまだ新しい年代なだけに、残存する絶対数は多いはずだが、かなりの数がアメリカに輸出されていることも事実だ。
これは、製造から25年以上経過した車両はクラシックカー扱いとなり、ハンドルが右であっても、アメリカに持ち込むことが可能となるルールがあるから。
国内の旧車ファンにとっては、価格高騰に直結するだけに迷惑な話しだ。
アルテッツアも間もなく25年ルール適用となるので、興味があるなら、早めに動いたほうが良さそうだ。
■まとめ:旧車の世界は奥が深い
ここまで、クルマ誕生の歴史から、国産乗用車誕生にふれ、大雑把であるが各年代の時代背景を確認してみた。
本当はもっと深く考察し、その時代を疑似体験できるほど掘り下げ、そのクルマが生まれた年代の社会環境を感じてほしい。
要するに、あなたが選んだそのクルマとの生活を楽しみながら、当時の空気感というか、イメージというものに理解を深めていっていただきたいのだ。
そうすれば、多くの旧車ファンが敬遠する、近代的な色への塗り替えや、最新の超扁平タイヤなど、時代に合わない手法でのモディファイを選択することもなくなるだろう。
時代というものにこだわるのは、クルマは道具であると同時に、その時代が生んだ文化遺産だからだ。
でもね、ボディだけを活かして、エンジンは別のクルマからスワップするのも一つの楽しみ方だし、時代は合わないけど夜間走行の安全性優先でヘッドライトをLED化するのもアリ。
まぁ、イロイロ言ったところで、楽しみ方は千差万別なのだ。
[画像/トヨタ・日産・マツダ ライター/島田和也]