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● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
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私ごとで恐縮だが、我が家は夫婦で別々のミニバンを所有している。筆者がフォルクスワーゲン ゴルフ トゥーラン、妻は先代の日産セレナだ。 郊外に住んでいるので、最低でも一家に1台はクルマがないと正直厳しい。事実、近隣の職場までクルマ通勤をしている人も多いエリアだ。我が家の周辺ではミニバンと軽自動車という組み合わせが定番なのだが、他のエリアはどうなのだろうか。 筆者の肌感覚では、トヨタ アルファードとホンダ N-BOXあたりが王道の組み合わせといえる。大事に乗ればリセールバリューも期待できるだろうし、両車ともに両側電動スライドドア。実用性とコスパ重視でファミリーカーを選んだとして、現時点では最強の組み合わせかもしれない。 ■なぜ我が家はミニバン2台体勢に「なってしまった」のか? そもそも、なぜ我が家はミニバン2台体勢に「なってしまった」のか?そして、なぜミニバン2台体勢という矛盾(?)が生じたのか。 もともと、我が家もミニバンと軽自動車という組み合わせだった。最大の要因はゴルフ トゥーランが電動スライドドアでなかった点が大きい。子どもを乗り降りさせるとき、一般的なヒンジドアでは不都合が生じる場面が増えてきたのだ。 子どもが生まれたのを機にゴルフ トゥーランを選んだのだが、郊外のスーパーやショッピングモールの駐車場のなかには1台分の駐車スペースが狭いところも少なくない。 で、これが予想以上に大変だった。となりのクルマにドアパンチしないかヒヤヒヤしながら子どもをチャイルドシートに乗せる。雨の日、屋根がない駐車場だと、これだけで親はずぶ濡れになる。それはつまり、夫婦喧嘩の要因が増えることを意味する。 子育て世代でSUVに乗っているご家庭は、このあたりの大変さを承知のうえで所有しているとしか思えない。たしかに子育て世代であっても(だからこそ、なのかも)ミニバンだと生活感があってイヤだという話をしばしば耳にする。この気持ちも分からなくはない。 話を戻すと、それまで妻はホンダN-ONE(初代)を所有していた。冒頭に記した「定番のミニバンと軽自動車の組み合わせ」だ。しかし、ある日突然「ワタシ、ミニバンを買う」といい出した。それが今から2年前。2021年の秋だった。 コロナ禍と半導体不足で新車の供給が遅れはじめていた時期だったが、そもそも新車はいらない(そして、そもそも高い)。それに、どうせ子どもたちが汚すに決まっているから、新古車か中古車にしよう、ということで話がまとまった。 とはいえ、なかなかいい売り物が見つからない。すったもんだの挙げ句、近隣の日産中古車センターで売られていた試乗車落ちのセレナをカーセンサーで見つけ、夫婦で実車確認に行った。すると妻はその場で即決してしまった。 「ええっ!? ひと晩考えないの?」と思ったが、クルマを買うのもお金を払うのも(ついでに名義も)妻だ。余計なことをいうと機嫌を損ねそうなので黙っていた。この決断力を見習いたいと心底思う。 こうして我が家はミニバン2台体勢となった、というか、なってしまった。以来、家族の移動時にゴルフ トゥーランの出番はほぼなくなり、妻のセレナが大活躍している。 この業界で仕事をしていると「ミニバン2台もいらないんだし、買い替えればいいじゃない?」といわれることも少なくない。ま、たしかにミニバン2台は無駄だ。 しかし、妻からは「トゥーランは壊れるまで乗りなさい」と厳命されているため、買い替えるという選択肢はありえない。それに、つい先日車検に通したばかりだ。ここで乗り換えたら、少なくとも向こう3ヶ月は口をきいてくれないだろう。 これといって故障もないし、不満もなければローンの残債もない。わざわざ買い替える理由が見つからないこともまた事実だ。 ただ……趣味車は一生モノだけど、普段用のクルマとなるとなかなかそうはいかない。いつかは買い替えの時期が訪れる(はずだ)。 ■いつかは訪れるであろう「Xデー」のために妄想する日々? いつかは訪れるであろうXデー(トゥーランとの別れ)は、考えるだけでも辛い。そんな後ろ髪を引かれつつ、原稿が煮詰まったときなど、普段用の愛車の次期候補をカーセンサーで探してみたりする習慣が身についてしまった。 現時点で気になっている5台のクルマをピックアップしてみた。なお、新車はありえない(すぐに過走行になってしまう)ので、中古車一択だ。 1.トヨタIQ デビュー以来、ずっと気になっているトヨタIQ。浅田真央ちゃんも赤いIQに乗ってたっけ。 今年の春に取材させていただいたときにじっくり拝見してさらに好きになってしまった(浅田真央ちゃんじゃなくてIQの方。念のため)。走行距離が5万キロ前後であれば車輌本体価格は50万円台もゴロゴロある。 ほぼ2シーターみたいなものだけれど、撮影機材と三脚が載せられるのであれば問題なし!それに、このデザインでこの価格は正直いってかなり魅力的だ。 6MTもあるけれど、妻はオートマ免許なのでAT一択。カーセンサーを観ていたらますます欲しくなってしまった。どうしよう。 2.スズキ キザシ 密かに気になっているスズキ キザシも検索してみた。当局が覆面パトカーとして運用していることでもお馴染み(?)のモデルだ。 どちらかというとマイナー車だし、きっと安く買えるだろう……と思ってタカをくくっていたら5万キロオーバーでも100万円近い。さらには100万円オーバーの個体も少なくない。これなら他にも選択肢がありそうだなぁ。高速道路を淡々と走るだけでも「覆面パトカーオーラ」を発することができていいかなと思ったのだが・・・。 3.スズキ ジムニー(シエラを含む) 次に、これは旧車王ヒストリアの枠からは外れてしまうけれど、現行ジムニー(シエラを含めた)の中古車だ。 某案件で一緒に仕事をしているカメラマンさんが現行ジムニー(軽の方)に乗っていて、撮影時に何度か運転させてもらっているうちに気に入ってしまった。以来、仕事机には常時「新型ジムニーのすべて」が置いてあるありさま。 しかし、新車をオーダーするといまだに納車まで1年待ちらしい。不意にXデーが訪れ、いざ次のクルマが必要になったらそんなに待っていられない。カーセンサーで調べてみると、安いモデルだとすでに10万キロオーバーの個体もあったりする。それでも車輌本体価格が135万円なのだからすごい。つまり、中古車としては全体的に「割高」なのだ。 4.メルセデス・ベンツ Eクラスワゴン(S212型) いかにもなチョイスだけれど、10数年前に日帰りで東京〜名古屋〜京都を往復してもまったく疲れなかったことに感激して以来、いまだに忘れられないのがS212型のメルセデス・ベンツEクラスワゴンだ。 かつて、メルセデス・ベンツのステーションワゴンの中古車といえば高値安定の代名詞だったけれど、近年は驚くほど寝落ちが早い。購入後の維持費はさておき、車輌本体価格100万円台がゴロゴロあり、ジムニーの中古車よりもハッキリいって割安感があるのは魅力的だ。 買えば何とかなるのかなあ、とか、メルセデスだとご近所さんに驚かれるかなあとか(まさか100万円台で買ったとは信じてもらえないだろう)、いろいろと妄想は尽きない。 5.マツダ ロードスター(ND型) かつてNAロードスターを所有したきっかけを作ってくれた恩師のイチオシがマツダ ロードスター(ND型)の中古車だ。恩師曰く「セレナがあるんだし、この際、2シーターオープンでもいいんじゃないの?」と、痛いところを突いてくる。 幕張で行われたデビューイベントも観に行っているし(仕事ではなくプライベートで!)、このデザインは本当に好み。先日のマイナーチェンジでも、外観の変更はほとんどなかった点からも「メーカーとしても完成されたデザイン」なんだと思う。 検索してみると、走行距離や年式にこだわらなければ100万円台の中古車もゴロゴロある。取材先にロードスターで乗りつけても困る場面はない。タマ数が豊富なうちに乗っておきたいのは偽らざる本心だ。 ■まとめ:ああでもないこうでもないとこねくり回しているときが一番楽しい? こんな風に、ああでもないこうでもないとこねくり回しているときが一番楽しいのかもしれない。ただ「今は買わないけど、タイミングがあえば絶対に契約しているよなあ」と、密かに思いを寄せていた個体が売れてしまうと正直かなり悔しい。 告白するほどの勇気はまだないけれど、何かの機会があればもっと仲良くなりたいと思っていた女の子に彼氏ができたことを知ったときのあのやりきれなさ。自分には手が届かない存在だと確定してしまったときに味わうあの悔しさ。このときの感情に少し近いかもしれない。 ふとそんなことを思いながら、妄想の秋の夜はふけていく。一向に進まない原稿書きという現実とともに。 [画像/TOYOTA,Nissan,Mercedes-Benz,Mazda,SUZUKI ライター・撮影/松村透]
ここ10年くらいで「終活」という語句の響きや意味合いが、比較的ポジティブに捉えられるようになった印象がある。 いまや、銀行口座の暗証番号や、生命保険の連絡先、ネット関連のパスワードなど、基本的に本人しか知り得ない情報をまとめて書き記すことができる「エンディングノート」が100円ショップでも売られているほどだ。 それだけ「終活」という行為が市民権を得られるようになったのかもしれない。 しかし、お膳立ては整っていても、当の本人が行動を起こさなければ何もはじまらない。そして「そのとき」に周囲を巻き込んだ大騒動にもなりかねないことも事実だ。 ■愛車の終活。不意に「そのとき」が訪れてからでは遅すぎる 「そのとき」。 それはつまり、クルマを所有するオーナー(この記事を読んでいるあなた)が、すぐにでも入院したり、施設に入居しなければならないなど……。オーナーの体調が思わしくない"のっぴきならない状況"を意味する。 そんな急を要する状況で、「クルマの終活云々」だなんていってられないことは容易に想像ができるだろう。 とはいえ、オーナーとしては自分の家族はもちろん、大切な愛車のことも気になって仕方がないはず。ただ、当の本人はそれどころでなくて、どうにもできない状況であることもまた事実なわけで……。 こうなってしまっては残された家族も大変だし、「大事なクルマなのは分かるけれど、処分に困る」というのが本音だろう。 早すぎるということはない。とにかく早めに動いておくことが重要だ。自分自身への戒めを込めて。 ■「早く処分したい」のか「大切に乗り継いで欲しい」のか? 前者であれば話が早い。買取り業者に依頼して買い取ってもらう方法がもっとも手っ取り早く、しかも手間いらずだ。 ただし、買取り業者が査定に来たその日に大切な愛車が引き取られていく可能性が高いので「最後にドライブをしてからお別れをしたい」といった時間的猶予がないことを知っておいたほうがいいだろう。 そのため、ひととおり別れの儀式を済ませてから買取り業者に依頼することを強くおすすめしたい。 反面、後者の場合はどうだろうか。 身内をはじめ、信頼できそうな友人・知人に声を掛けてみるといいだろう。「俺(私)がいざというとき、このクルマに乗って欲しい」と。 悲しいかな、前述の人たちから色好い返事がもらえなかったら、SNSを活用するか、ネットが苦手であれば、信頼できる身近な人に代行してもらえれれば、誰かしら名乗り出てくれる。 あまり興味がない身近な人より、オーナーと熱量が近い(あるいはそれ以上の)次期オーナー候補に託した方が、クルマとしても長生きできる可能性が高まるはずだ。 ■購入希望者と面談するという手もある 「かといって、手塩に掛けた大事な愛車を"どこのウマの骨とも分からんヤツ"にだまって譲るわけにはいかん!」 その気持ちも痛いほど分かる。 日々、取材を通じてオーナーインタビューをしていると「前オーナーさんと面談をして、お眼鏡にかなったから譲ってもらえた」というエピソードを伺うことがある。 不思議なもので、相対したときの第一印象というのは総じて当たることが多い。 いわゆる「直感」というやつだ。 電話やメール、LINEなどでどれほど美辞麗句を並べても、実際に会ってみないとその人の"人となり"は分からないものだ。 ひまひとつ信用できない、目が笑っていない……などなど、ふとしたときに感じた違和感(直感)は信じた方がいいと個人的に思う。 たとえ口下手であっても、本気度って伝わるもの。むろん、その逆も然りだ。 ■手放して別の誰かのものになった瞬間、決定的に何かが変わる 仮に長年の付き合いの親友が大事な愛車を引き取ってくれたとしよう。 いつでも会える間柄だし、気心知れた相手に譲ることができてホッとしているかもしれない。 しかし、手塩に掛けた愛車はもう他人のものだ。たとえそれが小学生の頃から付き合いがある親友であったとしても。 マフラーを交換しようと、オールペンしようと現オーナーの自由だ。 仮に、親友が前オーナーであるあなたに敬意を表して「現状のまま」乗ってくれたとしよう。 それでもやっぱりもはや別のクルマだと悟るべきだ。 手放して別の誰かのものになった瞬間、決定的に何かが変わる。 その揺るぎない事実はいまから覚悟しておいた方がいいかもしれない。 ■まとめ:誰にでもクルマの終活の時期は訪れる。そのためにも・・・ どれほど手塩に掛けた愛車であろうとも、悲しいかないつかは別れのときが必ずやってくる。何人たりとも「必ず」だ。 それが1年後なのか、30年後なのか誰にも分からない、というだけのことだ。 その「いつか」に大して備えることはできる。 エンディングノートや遺言書に明記する方法もそのひとつだろう。 次期オーナー候補に(口約束でもいいから)話をつけておいてもいいかもしれない。 筆者の知り合いには「家族は乗らないことが分かっているから、自分が何かあったときに困らないよう、いまから奧さんの名義にして有事の際にはいつでもクルマを売却できるように」と、明確に方針を示している人もいる。 無事に次期オーナーが決まり、大切な愛車を引き継げたら……。 それはもはや、最愛の娘を嫁に送り出したようなものだ。 それこそ新たな生活に口出しするのは野暮というもの。 あとは何も「見ざる聞かざる言わざる」を貫き、少しずつさまざまな思い出を美化していくことで、自身のカーライフも無事「大団円」を迎えることができると信じたい。 余談:クルマ好きによるクルマ好きのための・・・ この記事の初稿ができあがったあと、旧車王ヒストリアの運営母体である「旧車王」の担当者の方にもチェックしていただいた。 すると「編集長、これだけは念を押して読者の方に伝えてほしい」と、普段ではあまりないトーンで返信があった。 『旧車王としては、お客様の気持ちも踏まえて買取りをしているし"最後にドライブしたい"というお気持ちにも寄り添っています!』としっかり書いておいてください、とのことだった。 「旧車王」を立ち上げたカレント自動車の人たちとは長年、お仕事をさせていただいているが、クルマ好きの人たちの集まりだということは筆者もよく知っている。 クルマ談義になると仕事そっちのけで脱線することもしばしばだ。 オーナーにとってまたとない愛車を手放すときの心境、そして行く末も案じたうえで買い取るように心掛けているというのは、同じクルマ好きとして本心だということが伝わってきた。 もし、ゆくゆくは愛車の終活を考えているとしたら、一考の余地はあると思う。 [画像/Adobe Stock ライター・撮影/松村透]
もともとコレクター気質であることは自分でも自覚している(つもりだ)。 いつだったか覚えていないが、躊躇することなくハードカバーの本を買えるようになったとき、少しは大人の階段を上ったと実感したものだ。 そしてミニカーを買うきっかけになったのは、1台目のナローポルシェを手放したあとに、外車王SOKENおよび旧車王ヒストリアの執筆陣のおひとりである北沢剛司さんにポルシェディーラーに連れて行かれ、まんまと911ターボセットを買う羽目になったせいだ。 しかし、ここ最近は本もミニカーも極力買わないようにしている。 気になる本は買うのだけれど、なかなか読む時間がないのだ。 読書する時間が持てることって、実はとてもぜいたくなのかもしれない、と遅まきながら気づいた。 時間を気にすることなく読書できるようになる頃にはおじいちゃんになっているかもしれない。 そしてミニカー。気づけばポンと買える金額ではなくなってしまった。 いつの間にか、1/43スケールのミニカーが1万円オーバーでも驚かなくなった。 いまや、かつての1/43スケールの価格が1/64に相当するのだ。 いまさら1/64に鞍替えする気にもなれず、ミニカー蒐集は事実上の休止状態だ。 コレクションとは無縁の生活になって早数年が経ち、平穏な日々・・・と思いきや、「MAJIで蒐集する5秒前」状態になっているものがある。 Rollbahn(ロルバーン)のノートだ。 以前からRollbahnの存在は知っていたけれど、どちらかというとMOLESKINE(モレスキン)党だった。 しかし最近になってRollbahnのノートが急激に数を増やしつつある。 クルマ関連のRollbahnのノートが少ないにもかかわらず、だ。 なぜだか分からないが、クルマに関連するRollbahnのノートをあまり見掛けない。 その代わりなぜか惹かれるのが「鉄道関連」だ。 最初に手に入れたのは、てっぱく(鉄道博物館)に行ったときに売店で見つけたEF55(通称ムーミン)のノートだ。 色合いといい、デザインといい、一目ぼれ。迷わず購入した。 鉄とRollbahnは相性がいいのか、魅力的なノートがいくつもある。 何を隠そう、小学生までは「バリバリ」に「バリ」がもうひとつ加わるくらい、筋金入りの鉄ちゃんだった。 私が幼少期の頃、父親は電車通勤だったこともあり、家にはクルマがなかった。 加えて父親は鉄道模型が趣味だったので、HOゲージを買い集めていたのだ。 そして母親の実家の目の前は線路。昼夜問わず列車が走る。 赤ちゃんの頃から眺めていたのだから、そりゃ鉄にならない方が無理なハナシだ。 しかし、中1のときに鉄道からクルマに鞍替えした。そして現在にいたる。 4才になる息子もバリバリの鉄ちゃんだ。 今年に入り、プラレールでしか見たことがなかったホンモノのドクターイエローを、東京駅まで親子で観に行った(すごい人だった)。 息子もクルマ好きでもあるけれど、鉄道との比率は9:1くらい。「一応、クルマ好き」のレベルだ。 子どもにはまだ知らせていないが、クローゼットには幼少期に集めたNゲージが眠っている。 オトナ買いした20系ブルートレインのフル編成(電気機関車込み)も未使用のまましまってある。 よもやこんなお宝が自宅に眠っているとは夢にも思わないだろう。 それはさておきRollbahnだ。 先日、家族で江ノ電に乗ったとき、鎌倉駅の売店でRollbahn×江ノ電コラボのノートを見つけ、即買いしてしまった。 このあいだは東京駅限定のRollbahn……。 他にもどんな種類があるのかと、ついにメルカリやヤフオクの物色を始めてしまった。 子どもたちが好きな絵本のRollbahnノートを見つけて、思わず落札してしまった。 いや、これはまずい。 「MAJIで蒐集する5秒前」だ。 自分でも分かる。おそらく、ここが踏みとどまる最後のチャンスだと。 もしここでタカが外れたら、一気に蒐集癖が爆発するのは目に見えている。 送料込みで1000円前後という手軽さも非常によろしくない。 開封すらしないであろうRollbahnのノートを何十冊も集めてどうすんだ。 これでクルマ関連のRollbahnのノートが増えてきたらもうダメだ。 各自動車メーカーの皆さま、どうかRollbahnとのコラボ企画のノートが出ませんように……といいつつ、めぼしいアイテムがないかチェックしている自分がいる。 「MAJIで散財する5秒前」だ。誰か止めてください。 [ライター・撮影/松村透]
松本零士先生の訃報といい、ショッキングなニュースが相次いでいる2023年。 先日、何気にスマニュー(SmartNews)のアプリを開き、スポニチの記事に釘付けになった。 それは「タモリ倶楽部が3月末で終了する」という衝撃的な見出しだった。 これぞまさに青天の霹靂。不意打ち。想定外だった。 タモリ倶楽部、なかでも筆者は生粋(?)の空耳アワーフリークだと自認している。気づけば空耳歴は30年近い。人生の半分以上を空耳アワーに捧げてきたわけだ(かなり大げさ)。 空耳アワーとの出会いはまだ筆者が10代だったころだ。 あるとき、友人が2本のビデオテープを貸してくれた。「とにかく観てくれ」と。2本ともタイトルが書かれたラベルシールがない。確か、ビデオテープのツメが折られていたように思う(意味が分からない若い世代の方はご両親に聞いてみてください)。 ラベルシールなし&ツメ折り済みのビデオテープ、そして「とにかく観てくれ」という意味深なメッセージ。それが何を意味するのか?男性諸氏であれば「言わずもがな」だろう。多くは語るまい。あれしかない。"Audio Visual"ではない方の「アレ」だ。中3のとき、我が家が上映会場になり大変だった・・・ことは別の機会にしよう。 男性陣が几帳面な家庭だと「ルーブル美術館」とか「日本の四季。長良川の美」といった、比較的手に取られにくい、巧妙な方法(?)でカムフラージュされていることもある。 しかし、ついうっかり本人以外の家族が誤って手に取って再生しまうと、我が家の三大ニュース(黒歴史編)として、きっと末代まで語り継がれる事件になりかねない映像が収められていることが多く、まさに諸刃の剣だ。 ま、それはさておき、高まる期待を胸に、ビデオテープをデッキに押し込みいざ再生!・・・してみると、そこにはタモリと長髪の男性が。肩すかしをくらった。なんじゃこりゃ。何を隠そう、それが空耳アワーとの出会いだった。 つまり、友人は「タモリ倶楽部のコーナーに空耳アワーという名物企画があるから観てみろよ」と、2本のビデオテープを筆者に貸してくれたのだった。それならばはじめからそういってくれよ(笑)。期待して損した。 落胆するモヤモヤな気持ちを抑えつつ、気を取り直して友人が編集した「空耳アワー初期の傑作集(豪華2本立て)」を観てみることにした。 こじつけとしか思えない強引な空耳、当時から映像の暴力(笑)といわれた絶妙な再現映像。その面白さに魅了されてしまった。 以来、筆者の人生にタモリ倶楽部、そして空耳アワーは欠かせないものとなってしまった。年に1度くらいの頻度で行われる「空耳アワード」がオンエアされるときは、ビデオデッキのタイマー予約をしつつ、オンタイムで観たものだ。周囲の友人知人にも知らせまくり、喜びを分かち合った(笑)。 マイケル・ジャクソンやクィーン、メタリカ、ジプシー・キングスなど、FMラジオでお馴染みのあの名曲も、空耳アワーの格好の餌食(?)となった。不意にスピーカーから流れてくると笑いが止まらなくなり、まともに聴けない時期もあったほどだ。 メタリカが来日したときのコンサートを観に行ったが、空耳作品のオンパレードで笑ってしまった記憶がある。メタリカといえば空耳アワーの名作が目白押し。空耳アワーとの出会いがなければメタリカを聴くこともなかったし、ましてやコンサートに行くなんて想像もつかない。 マイケル・ジャクソンやクィーンの名曲の多くも、空耳アワーが引き合わせてくれた気がする。もしかしたら、熱狂的なファンからすれば動機が不純だと怒られるかもしれないが、新たなファンを獲得するために、空耳アワーが一役買っていることは間違いない。 マイケル・ジャクソン「スムーズ・クリミナル」といえば『パン 茶 宿直』だし、プリンス「バットダンス」といえば『農協牛乳』といった具合に、空耳アワーの金字塔ともいえる名作(ジャンパー作品)も数多く生まれた。また、深夜番組ということもあり、下ネタのオンパレードであることはいうまでもない。企業コンプライアンスが厳格化された現代では、モザイク加工しない限り地上波で再生不可能な作品も数多い。 個人的に好きな空耳作品は数多くあるが、最近の目下のお気に入りはヴァン・マッコイの「ハッスル/上越」だ。有名な曲なのでラジオでもオンエアされる機会が多い。フルコーラスで聴くと「上越」を連呼する(実際にはしてないけれど)ので、笑いを堪えるのに必死だ。運転中にこの曲が流れてくるとあぶない。 そんな空耳アワー、そしてタモリ倶楽部があと1ヶ月で終わりを迎える。4月以降、マニアックな企画も、しょうもない空耳作品の新作を観ることができなくなる。 来年で笑っていいとも!が終わりを迎えて10年になる。会社員時代、お昼時に飲食店に入れると、テレビチャンネルはフジテレビが選ばれ、当たり前のように笑っていいとも!がオンエアされていた。いまだに復活を望む声が聞こえてくるけれど、おそらくあの空気感は2度と戻らない。 仮に空耳アワーだけを独立させ、新たな司会者を呼んできて、ソラミミストの安西氏とコンビを組んで番組として継続しても、おそらく面白くもなんともないだろう。安西氏もタモリがいるから活きるのだろう。 笑っていいとも!と同様に、タモリ倶楽部も、ヘタに延命処置をしてグダグダになるよりも、美しい思い出としてスパッと終わりにするのが妥当なのかもしれない。 当たり前のように続いてきたものであっても、いつか終わりを迎える。改めて思う。やはり永遠はないのだ。 まだまだ朝起きてからメチャクチャ寒いし、そんなときこそゲー!早く起きなきゃ!だし、なんとか起きられたらまずは農協牛乳だ。来週の避難訓練ではバケツリレー、水よこせー!って怒鳴ることになりそうで今から気が重い。今夜も締め切りに追われてアハハハ・・・お~頭痛いってなるのも確実だ。パン茶宿直を覚悟しつつ、お客さんに嫌われるぞーっていわれない程度に仕事を頑張りたいと思う。 ありがとう、そしてさようならタモリ倶楽部、空耳アワー。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
欲しいクルマがあるとしよう。なぜだか分からないけれど、たいがいは「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」だったりする。 フェラーリ250GTOに憧れても、人生を賭けて本気で欲しいと思う人は稀だろう。 何らかのきっかけで大金が転がり込んできたとしても手が届く存在ではないし、このクルマに相応しい生活や保管環境がある。 さらにいえば人格だって求められるかもしれない。 それはさておき、「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるには? いまより所得を上げるか、何らかの形で大金を手に入れる(用意する)必要がある。 仮にAさんとしよう。憧れのクルマを手に入れるべく、転職して、ゆくゆくは起業するという。 それも夢物語ではなく具体的なプランとして進めている。夢を現実にしようと行動を起こしているのだ。 あくまでも直感だが、Aさんは憧れのクルマを手に入れることができるような気がするし、実際にそうであってほしい。 そして、Bさんという人にも憧れのクルマがある。 周囲がお膳立てしても、あれこれと理由をつけて「自分には無理」と決めつけてしまっているフシがある。 それでいて欲しいという気持ちに変わりはないし、いまの愛車にも結構なお金をつぎこんでいる。 そんなお金があれば本当に欲しいクルマを買えばいいのに・・・と周囲の誰もが思っている。 結局、それだけの覚悟がないのだろう。 「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を手に入れるのは、それなりのリスクが伴う。 貯金をすべて使うか、転職や起業して稼ぎを増やすか、どこかの誰かに貢いでもらうか。日々、ただ漫然と過ごしているだけでは手に入らない。 どこかで覚悟を決め、一念発起するしかないのだ。それが分かっていて行動に移せないのだから、やがて「結局、アイツは買う気がないんだな」と思われてしまう。 そして、いくつもの「いい話」が目の前を過ぎ去り、結局チャンスを逃す。 「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」を何としても手に入れたいのなら・・・人生を賭けるくらいの覚悟があってもいいかもしれない。 湾岸ミッドナイトに登場する「ブラックバード」こと島達也が、主治医である北見淳との会話のなかで「じゃ、なんでお前はこんなの乗れんだ?」と聞かれ、「カンタンですヨ。全部つぎこんでいるからですヨ」と答える場面がある。 欲しいクルマが買える人と買えない人の決定的な差とは? 貯金をゼロにしてでも買うべきなんてとてもいえないけれど、それに近い『覚悟』がなければ「おいそれとは手が届かない対象だけど、頑張れば何とかなる(かもしれない)存在」は手元にやってきてくれない。 それはいつの時代も変わらないのかもしれない。 [ライター・撮影/松村透]
最近、あまりテレビを観る機会がなくなりつつあるのだが、久しぶりに楽しみな番組を見つけた。 去る1月13日にオンエアされた、NHK プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論 〜校正者・大西寿男〜」編だ。 仕事柄、大西氏のお名前は存じ上げていたけれど、詳しいことまでは把握していなかった。 果たしてオンエア当日、子どもと一緒に寝てしまい、目が覚めたのは放送終了後。 タイマー予約録画も忘れていたので、後日、NHK+で視聴した。 拝見してみて、大西氏の真摯かつ誠実な仕事ぶりと、秘めた情熱のようなものを垣間見た気がする。 文章は数式とは異なり、正解は1つではない。 それが仕事をするうえでやりやすくもあり、時にやっかいだ。 半ば勢いで原稿を仕上げ、何度も何度も推敲するけれど、一晩寝てふたたび目をとおすと気になる箇所が100%の確率で見つかる。 毎回、その繰り返しだ。 結局、どこかで妥協(この表現は好きではないけれど)して納品したり、公開することとなる。 第三者の視点や赤入れ、事実確認をしたうえで公開されたらどんなにラクだろうと思うこともしばしばだ。(事実、案件によっては校正の方に加わっていただいており、これが本当にこころづよいのです) 書き手によっては、校正者がチェックを入れることに対して猛烈に反発する人もいると聞いたことがある。 こんな心強くて、しかも拙い自分の表現に磨きを掛けてくださる存在を無下にする感覚が理解できない。 そういえば、校正者ではないけれど、かつてある輸入車の取扱説明書を制作していたとき、翻訳家の方が表現にこだわるタイプだった。 ドアグリップを握るのか、掴むのか?入稿が近いのに、そんな言い回しを延々と議論した記憶がある。 当時はそんなことより早く仕事を終わらせたかった(笑)ので、正直めんどうだなぁと思うこともしばしばあった。 しかし、あのときの経験がいまの仕事で活きているのだから、人生何が起こるか分からない。 面倒だけどじっくり取り組んでよかった、と、今さらながらに思っている。 ひとつ、予言をすると、いまの編集長業務、さらにいうとマネジメント業務があと10年くらいしたら活きるのではないかという気がしている。 正直、めんどくさい。 実際にやっていて、これならライター(受け身)に徹している方があきらかに楽だ。 締め切りに原稿が届かず、モヤモヤする。 もう関わりたくないなぁと思うこともたまにだけど正直いってある。 思わず感情的な返信をしてしまいそうなときは、少し時間をあけてから返すようにしている(笑)。 日々、(ありがたいことに)いくつもの締め切りと納期に追われて休む暇もないし、気持ちの余裕がなくなりかけることもしばしばだけど、大西氏の仕事に対する誠実な姿勢は忘れないようにしたいと改めて思った次第だ。 ●NHK プロフェッショナル仕事の流儀「縁の下の幸福論 〜校正者・大西寿男〜」編https://www.nhk.jp/p/professional/ts/8X88ZVMGV5/episode/te/8XW78LPXYG/ [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
昨日、今日と成人式を開催した自治体も多いと思う(現在は「二十歳のつどい」など名称が異なるケースもあるようだ)。 成人式といえば・・・少なくとも自分の頃は自慢の愛車で"乗りつける"一大イベントだった。 かつてのクラスメートや同級生と数年ぶりに再会するにあたり、先輩や身内などからタダ同然で譲ってもらったクルマでは意味がない。 やはりそれなりのクルマでないとカッコがつかない。 要するに見栄ってやつだ。 ウン十年前、R32GT-RやZ32フェアレディZで成人式に乗りつけたら、それはもう羨望と嫉妬の視線を集めることになっただろう。 二十歳そこそこでこれらのクルマに乗って成人式に現れるとしたら、高校を卒業して、就職して、必死に頭金を貯めて鬼ローンを組んでも手が届かない。 例え中古であってもだ。 両車ともに人気があったので、中古車といえども300万円を優に超える価格で売られていたからだ。 残る手段は親に買ってもらうか、親ローンか、これまでお金をすべてつぎ込み、現金一括しかない。 そこで、実際にはどんなに背伸びしても中古のRX-7(FC3S)や、スカイラインGTS-TタイプMあたりが双璧となるのだが、それでもインパクトは充分だったように思う。 ハチロクで乗りつけるような同級生がいたかもしれないが、現代のように崇められる存在ではなく、どちらかというと地味で、マニア寄りな印象だった気がする。 1月5日に、ソニー損保から年明け恒例の「20歳のカーライフ意識調査」が発表された。 1,000名の有効回答のうち 「自分のクルマを持っている」19.6%「クルマを購入するつもりはない」23.6%「若者のクルマ離れとは自分自身のことだと思う」32.4%「クルマに乗る必要性を感じない」25.3%「クルマを所有する経済的な余裕がない」57.9%「クルマを購入する際の予算の上限額は平均201.3万円 ・・・などなど、興味深いデータがいくつも掲載されている。 リンクを張っておくので、ぜひ目を通してみてほしい。 ●ソニー損保「2023年 20歳のカーライフ意識調査」https://from.sonysonpo.co.jp/topics/pr/2023/01/20230105_01.html 今回、旧車王ヒストリア的にも特に興味深かったのが 「最新装備を搭載した車に乗りたい」79.8%「ネオクラシックカーに乗りたい」33.7%、「クラシックカー、ビンテージカーに乗りたい」30.2% という項目だ。 ソニー損保の記事をそのまま引用すると 男女別にみると、男性では『乗りたいと思う』は≪ネオクラシックカー≫では38.8%、≪クラシックカー、ビンテージカー≫では36.4%と、女性(順に28.6%、24.0%)と比べて10ポイント以上高くなりました。男性には、“旧車ブーム”を背景に、ネオクラシックカーやクラシックカーに対し最新モデルにはない魅力を感じる方が多いのではないでしょうか。 とのことだ。この結果にはかなり驚いた。 今年、二十歳を迎えた多くの人たちが産まれたのは平成14年(2002年)4月2日から平成15年(2003年)4月1日までの期間だ。 それはつまり、日韓ワールドカップが開催された年(!)に産まれたことを意味する。 国産スポーツカーでいうなら、初代NSXやR34GT-R、RX-7がギリギリ発売されていた頃だ。 確かに、取材していて20代のクルマ好きの方はとにかく熱い。 これにはいくつかの要因があるだろうが、ひとつはご両親がバブル期にクルマでデートを楽しみ、チューニングに勤しんだ世代なのではないかという気がしている。 成長過程で親御さんからクルマの楽しさを教わり、幼少期にはグランツーリスモや頭文字D、ワイルドスピードなどの作品に恵まれた結果、次の世代を担うクルマ好きが増えてきたような気がしてならない。 いずれにせよ、20代のときだから楽しめる、乗っておくと幸せになるクルマがあることを知っていただけたらいいなぁと願うばかりだ。 翻って自分は成人式の頃はというと、学生だったということもあり、とても自分のクルマを買える状態ではなかった。 ・・・で、どうしたかというと、親父のクルマを借りて成人式に行ったのだ。 クルマは確かチェイサーツアラーS(JZX90)だったように思う。 それなりにインパクトはあったように思えるが、それでも親父のクルマ(借り物)だけに、今の表現でいうならあまりドヤれなかったあたり、我ながら情けない。 成人式といえば・・・夜の部も忘れてはならない。 今ごろは同窓会も兼ね、居酒屋で飲んだくれている新成人も多いだろう。 自分はというと・・・なぜかその日の夜に高熱を出し、震えながら眠りについた記憶しかない。 それはさておき、今年、めでたく二十歳を迎えた皆さま、本当におめでとうございます。 これからは思う存分、堂々と(?)飲んだくれてください。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
趣味車を走らせるとき、トイレなどの緊急事態でもないかぎり、1度エンジンを掛けたら帰宅するまでクルマから降りないというタイプの人がときどきいる。 かくいう、自分もそのタイプだ。 自宅から1時間以内で、気兼ねなく趣味車を駐車できて、美味しいコーヒーが飲めて(さらには食事もできて)、お店の方や常連さんと他愛ないクルマ談義で盛り上がり、リフレッシュして帰宅する・・・みたいな飲食店があればなぁ、とは常々思っていた。 しかし、そんなに都合よくいくわけがない。 1度、エンジンを始動したら、あとは帰宅するまで走り回ればいいのだ。そう考えていた。 そんなある日、取材を通じて懇意にしていただいているオーナーさんから「クルマ好きの人が楽しめる飲食店があるよ」というメッセージが届いた。 Google Mapで検索してみると、自宅から40分くらいのところにあり、ちょっとしたドライブの目的地としては行きやすい場所にあるではないか! Instagramのアカウントがあるとのことで、さっそくフォローしてみたところ、フォローバックしていただけた。 御礼方々メッセージを送ってみると、きちんとした内容の返信がかえってきた。 その後、オーナーインタビューをする機会があり、インタビュー場所に件の飲食店がいいかもしれないということで、ご相談のメッセージをお送りしたところ、快くokしてくださったのだ。 この時期、屋外でインタビューするには寒すぎて風邪を引いてしまう。 かといってファミレスでは不安だ。 スターバックスのようなカフェでもいいのだが、店内から愛車の様子が見られないケースが多く、オーナーさんも気が気でないのだ。 取材日が近づいてきたある日、オーナーさんの事情で取材日変更の連絡が入った。 しかし、件の飲食店は予約済み、しかも貸切にしてくださったという。 そのままキャンセルではあまりにも申し訳ないし、事情を伝え、ご挨拶方々、趣味車でお邪魔することにした。 そこはまさに「クルマ好きによる、クルマ好きのための」飲食店、カフェ&バーであった。 愛車を眺めながらお店の方や他のお客さんとのんびり話してもいいし、仕事で近くに来たときに立ち寄ってもいい。 マスターによると「かなりのシャコタンでもスムーズに入れる」ように配慮されているから、段差を気にする必要もない。 もちろん料理も絶品だ。 ここまで書くと掲載料でももらっているじゃないかと思われそうだが、個人的な雑記なのでもちろんノーギャラだ(笑)。 さらに、嬉しいことに今日(29日)から、年末年始は休まず1/4までお店が開いている(AM11:00〜PM11:00)という。 年末年始休暇で暇をもてあましているお父さんたちにも朗報だろう。 私も、年内にもう1度お邪魔する予定だ。 ●Garage, Café and BAR monocoque(ガレージ・カフェ&バー モノコック) Instagram:https://www.instagram.com/monocoque.cafebar/営業時間:11:00〜23:00定休日:不定休(Instagramに情報あり)住所:東京都青梅市畑中1-126-1電話:0428-84-0644 [ライター・撮影/松村透&Tさん]
今夜はクリスマス・イブ。 BIGLOBEが全国の20代~50代の男女1,000人を対象に、年末年始の過ごし方に関する意識調査を実施したところによると「クリスマスの予定」についての質問に57.8%が「予定はない」と回答したという。 また、「クリスマスをひとりで過ごすことについて」は、全体の74.2%が「あまり気にしない/気にしない」と回答したそうだ。年代が上がるにつれ、上記の回答をする人の割合は多くなるものの、20代に限定しても約6割が気にしていない、とのことだ。 いまでこそ「クリぼっち」は市民権を得たような気がするけれど、当時は数々の恋愛ドラマやクリスマスに関係するヒットソング、そしてトドメのJR東海のクリスマスエクスプレスの影響もあってか「クリスマスは恋人と過ごすのが勝者で、それ以外は敗者」だったように思う。 その証拠に、いまはなき「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルでクリスマス・イブを過ごしたいと思ったら、1年前から予約しないと部屋を押さえられないんていわれた時代だ。 ちょうど30年前の今日。 1992年12月24日。 オリコンの1992年12月の月間シングルCDランキングによると、第1位は稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」だった。 そして、1988年から5年間続いたJR東海の名作CM「クリスマス・エクスプレス」シリーズ最後の年でもあった。 当時は高校生だった自分にとっては、多感な時期に嫌というほど「クリスマスは恋人と過ごすのが勝者で、それ以外は敗者」という強烈な刷り込みを脳裏に焼き付けられたのだ。 それはまさに呪縛だった。 そんなわけで、自分だってキラキラしたクリスマス・イブの夜の街でデートがしてみたい(笑)と思わない方が無理なハナシだ。 で・・・どうしたかというと、このとき彼女はいなかったので、前日にクラスで比較的仲が良かった女子の家に電話をして、デートに誘ってみることにしたのだ。 爆発的にポケベルや携帯電話が普及するのはここから数年先の話しで、当時気になる相手に連絡をするには直接話すか、手紙か家電するしかなかった。 この時点では「家電」が唯一の選択肢だった。 あまり時間が遅くなるとさすがに迷惑だ。 意を決して「家電」したところ、家族の誰かが出たのだろう。 学校の宿題だか何だかの理由(口実)で電話したことを伝え、本人につないでもらった。 それなりに仲が良かったとはいえ、普段から家電で話すような間柄ではなかったので、相手も驚いたはずだ。 先ほどの用件を伝えつつ、イチかバチか明日(つまりクリスマス・イブだ)、一緒に出掛けようよ、と誘ってみた。 夜遅くならなければokということで、翌日、放課後(久しぶりにこのキーワードを使った気がする)に駅で待ち合わせ、電車に乗り、一緒に渋谷へ向かうことになった。 なんで原宿でなくて渋谷だったのかはよく覚えていない。 原宿より渋谷の方が大人の街(笑)だと思い込んでいたのかもしれない。 郊外に住んでいたので、地元の駅を出発して、渋谷駅に着いたころには日が暮れてきていた。 そのときの渋谷駅周辺はというと・・・いまのハロウィンほどではないが、それでも人で溢れかえっていたように思う。 ムスカ大佐の言葉を借りるとすれば「人がゴ○のようだ」そのものの光景がひろがっていた。 そういえば、夜の渋谷の街を歩くのはこのときが初めてだったかもしれない。 日中の渋谷とは違う大人びた雰囲気にちょっと気圧されてしまった。 しかも今夜はクリスマス・イブ。 どの店も超満員だ。 結局、ただ何となく2人で夜の渋谷の街を歩き、東急ハンズあたりでUターンしてふたたび渋谷駅に戻って超満員の山手線に乗り、私鉄に乗り換え、最寄り駅まで彼女を送り、クリスマス・イブのデートは終わった。 あれってデートだったのか?いまでも分からない。 とはいえ、こうして振り返ってみると、何だかんだでこの30年間のクリスマス・イブでも思い出深い夜となったかもしれない。 件の彼女はその後紆余曲折を経て、クラスメートだった友人と結婚して子どもを授かった。 数年前、彼女に会ったときに当時のことを聞いてみたら、向こうも覚えているとのことだった。 さすがに野暮なので、当時なんでデートしてくれたのかは聞かないでおいた。 自分はこのときのことを友人には話してないけれど、彼女はどうしたんだろう。 そして、今夜の渋谷の街は、あのときのように混んでいるのだろうか? 検索してみたら、渋谷スクランブル交差点のライブカメラの映像を見つけた。 意外と空いているような・・・。 【LIVE】渋谷スクランブル交差点 Shibuya Scramble Crossing Live Camera https://www.youtube.com/watch?v=3kPH7kTphnE それはさておき、皆さまもどうか素敵なクリスマスをお過ごしください。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
最近、TwitterやAmazonの社員に対して人員削減の報道を目にした人も多いだろう。 Twitterにいたっては、新たに同社のオーナーとなったイーロン・マスク氏が社員に向けて「激務か退職か」の選択を迫るメールを送信したとして話題となった。 額面通りに受け取れば、会社に残れば激務が待っているし、退職をすれば(3ヶ月分の給与を受け取れるとはいえ無職だ。 企業のトップとしてはしごく真っ当な判断なんだろう・・・ということは、頭では理解できる。 しかし、これぞまさに現代における踏み絵に思えてならないのだ。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない。 解雇された本人はもちろんのこと、その家族も路頭に迷うことになりかねない。 恥を忍んで告白すると、何を隠そう、私自身、リストラされた経験がある。 だから「身に染みて分かる」のだ。この辛さや絶望が。 それは忘れもしないリーマンショックが日本経済を直撃し、その余波が色濃く残る2009年の春だった。 当時、勤めていた会社にいつものように出社した。 その日は4月下旬に差し掛かった、ゴールデンウィークも間近の金曜日だった。 社内でとくに親しく、そしていまでも付き合いのある上司が昼食に誘ってくれた。 これまで何度も一緒にランチに出掛けたし、それは日常の一コマにすぎないと思っていた。 少なくともこのときまでは・・・。 上司オススメの日替わりランチを食べ終えたころ、不意に「このあと、おそらくリストラされるから」といわれた。 この日の朝、社長を含めた上長会議の際に伝えられたのだという。 いきなりではしんどいだろうから、いまのうちに心の準備だけはしておいてねという、上司なりの配慮だったんだと思う(実際、心の準備ができて良かった)。 事実、前日の木曜日にも解雇予告をされ、この会社を去って行った同僚が数人いた。 それから一日経ち、まさか自分もターゲットになろうとは・・・。 この日も自分を含め、中途採用組の何人かがリストラされるという。 そしてランチから自席に戻り、ほどなくして社長室に呼ばれた。 案の定、解雇予告の通知が差し出され、いますぐサインしろというのだ。 いまとなれば、(ストレートにいうと)刺し違えるだけの度胸も、徹底抗戦する悪知恵も働くのだが、覚悟していたとはいえ、やはり動揺した。 まぁ、もともとこの会社には長くいるつもりはなかったし、遅かれ早かれかなと思い、あっさりとサインをした。 いきなり退職が決まったこともあり、また新規プロジェクトだったため、会社も後任あてがう時間がなかったのだろう。 大した仕事の引き継ぎもできないまま、デスクまわりの片付けをはじめた。 すると件の上司が話し掛けてきて、階段の踊り場で少し雑談をした。 上司のいうとおりにリストラされたこと、新規プロジェクトはいったん凍結されたことを知った。 退職しても付き合いが続くことを約束し、ふたたび自席に戻った(この上司とはいまでも付き合いがあり、数年前にNDロードスターを手に入れたのも完全に自分のせいだといわれた)。 そして定時になり、もうここへも来ることもないだろうし、「短い間でしたがお世話になりました」と挨拶するまでもなく(そこまでお人好しになる必要はもはやないだろうということで)、静かに退社した。 なにしろいきなりのリストラだったこともあり、無理やり押し込められた荷物で、通勤用の鞄はまるで腹を膨らませたフグのようにパンパンに膨らんでいた。 会社都合で退職したのですぐに失業手当が出るとはいえ、30才をすぎていきなりの無職。 しかも、奇しくもこの日は他界した母親の誕生日だった。 そんなわけで、母親の誕生日=リストラ記念日(?)となってしまったのだ。 あー、また転職活動しなきゃだなぁ(このときはまだ独立しようなんて考えはまったくなかった)、リーマンショックで仕事が見つかるかなぁ。 世間は花金で、さらにゴールデンウィーク間近で浮き足立っているなか、不安と絶望に苛まれつつ、電車に揺られて帰宅した。 この年のゴールデンウィークをどう過ごしたのかはまったく覚えていない。 ひとつ、強烈な印象として残っているのは、失業手当を申請するべく、ハローワークに向かったときのことだ。 自分のように失業者が殺到するかもしれない・・・。 そう考えて、早めに自宅を出た。 そしてハローワークに到着すると、失業手当申請待ちの行列ができていた。 すでに15人くらいは並んでいたように思う。 自分が列に並んだあとも続々と失業者が集まりはじめ、最終的には50人を超えたんじゃないかと思う。 無事、失業手当の申請は受理されたのだが、手続きを終えてふとあたりを見回してみると、自分を含めたその場にいる誰もが俯き、そして苛立っていた。 好んでこの場にいる人は誰ひとりとしていない。 誰もが早くこの場から立ち去りたいと思っていることは明白だった。 後にも先にもこれほど負のオーラが蔓延した場に遭遇したことはない。 自分も、早くこの場から逃げだしたかった。 と同時に、このときの光景を目に焼き付けておこうと努めた。 この先、どれほど仕事で嫌なことがあっても、これほどしんどい経験はそうはないだろうと感じたからだ。 リストラされてからわずか半月後、父が病で体調を崩し、入院することとなった。 結果論ではあるが、失業中ということもあって、頻繁に見舞うことができた。 就職活動も並行して行っていたが、思うような結果が出ず、悶々とする日々を過ごしたことを覚えている。 しかし、同じ年の秋に、父が退院して自宅に戻ることはぼほ不可能だと担当医師から告げられた。 その宣告を受けているとき、たまたま電話してきたのが、かつてお世話になった会社の社長だった。 久しぶりの会話だったが、こちらの事情を伝えるとかなり驚いていた。 「とにかく1度会おう」。 こうして久しぶりに社長と再会することとなった。 リストラされ、失業中であることを伝えると、別会社を立ち上げたからそっちを手伝ってくれないかという。 こうしてあれよあれよという間に仕事が決まり、そして父は天国へと旅立っていった。 奇しくも、明日が父の命日だ。 ここから数年間、ラジオ番組制作という、未知の世界に足を踏み入れることとなる。 そして、この数年後に別会社を閉じることになり、勢いだけで独立することになるのだから、人生何が起こるか分からない。 今年の秋、フリーランスから法人成りし、一企業の代表となった(一人親方だけど)。 日本の制度では社員のクビを簡単に切れないことになっているが、仮に切れるようになったとしても、従業員をリストラできるだけの冷酷さが自分にはないような気がする。 繰り返そう。 解雇された人の苦悩や不安は解雇された人にしか分からない・・・。 [余談] 後で知ったのだが、自分がリストラされ、ハローワークで絶望の淵をさまよっていたそのとき、通りを隔てたわずか数百メートル先の建物で妻は仕事をしていたのだという(ハローワークとはまったく別の仕事だ)。 知り合う10年近く前のことだから、お互いの存在など知るよしもない頃だ。 美空ひばりの愛燦燦の歌詞を引用するならば、人生って不思議なものですね。 [画像/Adobe Stock ライター/松村透]