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10月1日から中古車の販売価格が「支払総額表示」になって、間もなく3か月が経過しようとしている。 支払総額表示?何それ?と初耳の方もいらっしゃるかもしれない。 なぜ、「支払総額表示」が義務化されたのか。 一社)自動車公正取引協議会の公式サイトには、「大手等専業店の中古車販売の問題点を解決するための対応」と記されている。 中古車販売の問題点は、ユーザーに直接かかわってくる。 知らずに言われるがまま不明瞭な費用を収めることがないよう気を付けて欲しい。 支払総額表示や購入時の諸費用、オプション費用などについて正しい知識と情報を持っておくことは、これから旧車をはじめとした中古車を買おうとしている人にとって非常に大切である。 簡単に言うと、本来は車両価格に入れるべき費用を諸費用としてユーザーに負担させ、逆に必須ではないオプション費用を「外せない」として見積もりに計上するなどの不適切行為を禁止し、明朗な会計にするのが主たる目的である。 なお、支払総額表示の義務化が対象となる店は自動車公正取引協議会や中販連(JU)の会員店となるが、わが旧車王を運営するカレント自動車も会員である。またカーセンサーやグーネットなどの大手中古車情報メディアも含まれているため両誌に掲載される中古車はすべてが支払総額表示の対象となる。 では、支払総額表示とは何なのか?内容と義務化された経緯について理解し、悪徳業者に騙されて不正に多額の費用を払わされることのないよう、どうかよく知っておいて欲しい。 ■中古車価格の「支払総額表示」とは? 「支払総額」とは「車両価格」に、当該中古車を購入する際に最低限必要な「諸費用」を加えた価格のことである。 ●車両価格とは? ①車両を引き渡す場合の消費税を含めた現金価格で、店頭で車両を引き渡す場合の消費税を含めた現金価格で、展示時点で既に装着済の装備(ナビ、オーディオ、カスタムパーツ)等を含む。 ②定期点検整備や保証を付帯して販売する場合、その費用は車両価格に含めて表示する。 ●諸費用とは? 保険料、税金(法定費用含む。)、登録等に伴う費用(新規又は移転登録を行う場合の検査登録手続代行費用及び車庫証明手続代行費用)をいう。 しかしこの諸費用には、適切であっても支払総額に含んではいけないものや、そもそも諸費用としては不適切な費用ゆえ、車両価格に含めて掲示する必要がある費用もある。 ■諸費用としては適切だが、支払総額に含まれない費用 ●1.保険料 ①任意保険料(自賠責保険ではないいわゆる自動車保険のこと、購入者により要否が異なるため支払い総額には含まない)。 ●2.法定費用 ①希望ナンバー申請費用(証紙・印紙代など)②リサイクル料金(未預託又は追加が必要な装備がある場合) 2.リサイクル料金(未預託又は追加が必要な装備がある場合) ●3.登録等に伴う費用→購入者が行うべき手続きを、購入者の依頼に基づき販売店が代行する場合に発生する費用 ①下取車諸手続代行費用→信販会社または他の販売店の所有権留保車両を下取る場合の解除費用②下取車査定料→徴収する場合は事前に説明し必ず査定書を発行すること③管轄外登録(届出)費用→県外登録(届出)など管轄外の運輸支局で登録(届出)する際の追加費用④納車費用→購入者の指定する場所まで配送する際の費用 ※積載車で陸送する場合は許可が必要 ■諸費用ではなく、車両価格に含めて掲示する価格 ●1.販売店が中古車を販売するにあたり、当然行なうべき作業にかかる費用 「納車準備費用」「通常仕上げ費用」「車内清掃」「ボディコーティング」など ●2.納車前の最低限必要な点検・軽整備や、販売店が必ず実施する軽整備の費用、必ず付帯して販売する場合の費用 「保証費用」「定期点検整備費用」「納車点検費用」「納車整備費用」など、その名称を問わず納車前の「点検」や「オイル、バッテリー交換」等の軽整備の費用。 保証や定期点検整備の実施が条件である場合の費用 ●3.その他、販売する中古車の「車両価格」に含まれるべき性質のもの 「土日祝納車費用」「販売手数料」「オークション陸送費」「広告掲載料」などは支払い総額に含まれない費用のため、車両価格に含むべき費用である。 ■まとめ 安価な車両価格を提示することでお客を引き寄せ、いざ店舗にて商談となると有料保証や納車準備費用や納車前点検などの費用が車両価格に載せられて、車両本体価格+30〜50万円という金額になったというケースも珍しくない。 これらは近年、大手中古車販売店で当たり前のように行われてきた 「車両価格を安価に表示してオプションで儲ける」というスタイルだ。 このようななか、悪徳中古車店を排除し中古車業界の信頼回復を目的と画期的な取り組みも始まっており、その最たるものが10月1日から中古車の価格を「支払総額表示」と義務付けること規約変更が行なわれている。 中古車販売店で表示した支払総額で購入することができない等、不当な価格表示に対しては、悪質な場合は違約金として100万円(初回最高額)~500万円(再違反最高額)を課すなど厳しい処分がある。 このたびの支払総額表示が浸透し、不正な費用を計上する業者が激減してゼロになり安心して中古車を購入できる環境が整うことを強く願っている。 [ライター / 加藤 久美子 画像・一般社団法人 自動車公正取引協議会(一部) ]
■1.サファリラリー優勝の日本人唯一のドライバーが伝説のセリカをレストア! 1970年デビューの初代(A20系)から世界の名だたるラリーに参戦し、好成績を収めてきたトヨタ・セリカ。 4代目セリカとして1985年にデビューしたT160系は、流麗なボディデザインでも話題となった。 その翌年には初代セリカGT-FOURが登場。 87年公開の映画「私をスキーに連れて行って」に起用されたことでも、当時の若者たちが憧れる非常に有名なクルマとなった。 ラリーの世界でも、WRC世界ラリー選手権においては2つのマニュファクチャラーズ・タイトル、そして4つのドライバーズ・タイトルを獲得するなど、輝かしい戦績を残しトヨタのラリー黄金時代を築いたのである。 その後、セリカとしては5代目、GT-FOURとして2代目となるST185は市販モデルが89年9月に登場。 92年にWRCデビューを果たし、4年連続のサファリラリー優勝や日本車初のモンテカルロ優勝など、「ラリー黄金時代」にさらなる輝かしい戦績を重ねていった。 その黄金時代に、日本人として初めて1995年サファリラリー(WRC併催の「FIA 2リッター世界ラリーカップ(2L-WC)」シリーズ第4戦として開催)のドライバーとして優勝を飾ったのが、トヨタのワークスチームに在籍していた藤本吉郎選手(現:株式会社テイン専務 テイン中国董事長)である。 藤本氏のマシンはセリカ GT-FOUR(ST185)、3S-GTE型2.0ℓ直列4気筒エンジンを搭載する真のラリーカーだ。 サファリラリーとは、80年代はケニア、ウガンダ、タンザニアの3カ国5000キロ、90年代はケニアだけで3000kmを走破する過酷な自動車競技で、藤本選手は日本人初であると同時に、現在まで日本人唯一のサファリラリー優勝ドライバーである。 さて、その藤本氏が優勝を飾ったセリカGT-fourだが、1995年4月サファリラリーにゴールしたそのままの状態で日本に空輸されて帰国した。 トヨタ自動車所有のもと、トヨタ博物館やMEGA WEB、TRDなどで20年以上にわたって展示されてきたわけだが、とくに本格的なメンテナンスをされることもなかったので、車輌の腐食が進み、もはやレストアさえも不可能になる一歩手前という状態になっていた。 藤本氏は、風化しつつある伝説のセリカをレストアしたい意向を2018年末にトヨタに申し出て、2019年に個人として譲り受ける形が実現した。 ■2.スタート前の状態にレストアし後世に伝えていく価値のあるクルマ 「年数も経ってかなり朽ちてきたため、トヨタの手からも離れる可能性も出ており、トヨタ自動車に動態保存をお願いしてみましたが、予算が理由でレストアはできないとのことでした。他人に渡るくらいなら個人で買い取ってレストアをしようと。私にとってもサファリラリー優勝という大変思い出深いクルマであり、またしっかりとレストアをして走れる状態にし、後世に伝えていく価値がある車輌だと考えました。」(藤本氏) ▲「後世に伝えていく価値があるクルマ」とドライバーの藤本氏 「まず考えたのは、レストアの方向性をどうするかということでした。一般的に競技車両をレストアする場合、ラリーのスタート前の状態にするか、それともゴール後のリアリティ溢れる状態に戻すか、いずれかになるのですが、このセリカの場合はゴールから23年もの時を経てかなりひどい状態であったので、ゴール後の再現は不可能という判断となり、競技スタート前のきれいな状態に戻すことを決めました。」(同) 藤本氏がレストアの委託先に選んだのは、独ハノーバーに構えるCAR-ING社である。 サファリラリー優勝を支えたG.ツィジック氏が率いる同社は80‐90年代にTTE(TOYOTA TEAM EUROPE、現TOYOTA GAZOO Racing Europeの前身)で、メカニックやエンジニアとして在籍していたトッププロの方々が退職して作ったスーパー職人チームである。 2019年6月にコンテナで独CAR-ING社に向け船便で日本から出荷され、同8月にCAR-ING社到着後、車輌はバラバラに分解されて完全なレストアがスタートした。 「傷だらけの外装パーツをすべて取り外すことから始まりました。サファリラリー参戦時にボディの補強を担当していたフランスのマター社に持ち込まれてレストアが行われました。ウェットブラストで塗装を完全に剥がして点検を行い、錆を落とし腐食部を補修し再生。腐食で再使用不可能になっていたフェンダーなど一部のボディパネルは、部品取りとして、当時セリカRC(カーロスサインツエディション)として欧州で販売されていた量産車の中古車を現地で探して移植しています。幸いなことに根幹となるエンジン自体に大きな損傷はなかったので、CAR-ING社による軽度の修復と洗浄で当時の状態へ蘇らせることができました」(同) ■3.エビスサーキットにて28年ぶりの全開走行! 順調に進んでいたレストア作業だったが、2020年には新型コロナウィルス感染症の影響で作業が中断。 2021年にようやく組み付けを再開させ、同年6月にすべての作業が完了し日本に戻ってきた。 レストアには約2年の年月がかかっており、費用は輸送費、部品代、作業代など含めて数千万円に達した。 ちなみにサファリラリー出場時(1995年)のセリカは1億円オーバー。 チームの体制は50台のサービスカー200名の人員、ヘリコプター、セスナの体制で軽く2桁億円に達する壮大なものであった。 ▲数千万円の費用をかけて、サファリラリースタート前の状態にまで完全レストアが実現した 日本に戻ってきたセリカはさまざまなイベントに展示されることになり、2023年1月には東京オートサロンのテインブースに出展された。 伝説のセリカを一目見ようと多数の来場者がブースを訪れた。 肝心な「走り」の方は、保管場所であるテイン本社(横浜市)の駐車場でときどき、ゆっくり走る程度だったそうだが、それもやっとコロナ禍が明けた今年6月下旬、報道関係者への公開が実現した。 エビスサーキット(福島県二本松市)で開催された同乗試乗会にて、ついに28年ぶりの「全開走行」が実現したのである。 ハンドルを握るのはもちろん、藤本吉郎氏だ。 ▲福島県のエビスサーキットにて28年ぶりに全開走行が実現 「完璧な状態でレストアが行われましたが、エンジン保護のため当時と同じチューニングではなく、出力が抑えられた状態でECUセッティングがされています。ラリーでいえば競技区間を走る「SSモード」ではなく、リエゾンを走るための移動用「ロードセクションモード」のセッティングです」(同) ▲藤本吉郎選手が運転するセリカで夢の同乗試乗を体験! 同乗試乗会ではヘルメットを着用し、高性能なインカムもセットしてセリカの助手席に収まった。 凄まじいパワーと強大なトルク、そしてサファリラリー優勝ドライバー藤本氏の圧巻の走りを体感することができて、ただただ感動。 パワーもさることながら、本物のラリーマシンのけた外れの剛性感も初体験だった。 爆音の中、インカム越しの会話も新鮮そのものだった。 なお、今後この伝説のセリカは今年夏に、富士スピードウェーモータースポーツミュージアム(FMM)に展示予定である。 [ライター・撮影 / 加藤 久美子]
■2022年6月に公開された映画「アライブフーン」 『ALIVEHOON アライブフーン』(監督 下山天)は、日本初の本格ドリフト映画である。 FIA公認のモータースポーツであり、世界数十カ国で競技としても開催されているドリフトだが、その始まりは日本だ。 しかし、日本で生まれたにもかかわらず、これまで本格的な実写のドリフト映画は作られてこなかった。 日本を舞台にしたワイルド・スピード『TOKYO DRIFT』(2006年)はハリウッド映画だし、実写版映画『頭文字D』(2005年)も香港映画である。 アライブフーンのすごいところは監督、スタッフ、俳優陣、そしてクルマに、ロケ地に至るまですべてが純日本製。 土屋圭市氏監修のもと、CGは一切なく、中村直樹、久保川澄花、横井昌志、北岡裕輔、齋藤太吾、川畑真人のトップレーサーたちがド迫力のリアルなドリフトを披露している。 また、土屋圭市氏とレーシングドライバー織戸学氏も本人役で出演している。 映画はレースゲームに驚異的な才能を持つ若きゲーマー、大羽紘一(野村周平)が解散の危機に瀕するドリフトチームにスカウトされたところから始まる。 リアルのドリフトレースに挑戦し仲間たちに支えられ、その才能をさらに昇華させていくストーリーだ。 日光サーキットを除くロケのほとんどはドリフトの聖地「エビスサーキット」をはじめ福島県内各地で行われており、登場する競技車両は日産シルビアS15(エンジンは2JZ)、トヨタMarkII(2JZ)、トヨタチェイサーなど海外でも人気急上昇中の旧車が中心となっている。 ■海外で快進撃!その勢いは日本に「逆輸入」 2022年6月に日本で公開された際も非常に評価が高く、「フォーラム福島」では11週にもわたるロングラン上映となった。 だが、高評価のわりには全国的な盛り上がりにはやや至らない部分もあった。 しかし、その後、8月末頃からスタートした海外での上映で日本を大きく上回る快進撃が始まる。 2022年末までに世界15カ国で劇場公開されシンガポール、タイ、台湾ではTOP10入りしてタイの映画サイト人気ランキング1位を獲得。 台湾では6週間のロングラン、フィリピンでは25万人を動員した。 9月に米国シカゴで開催された映画祭【Asian Pop-Up Cinema】では最高栄誉である《Audience Choice Award/観客賞》を受賞。 オランダの映画祭では観客投票3位を獲得した。 そして2月半ばには、世界最大の映画評価サイト『IMDb』における米国在住者からの評価の平均が、日本映画史上最高点の「9.0」を記録した。 アメリカでの本格上映は始まっておらず、シカゴで開催されたアジア映画の祭典【Asian Pop-Up Cinema】の2回だけでこの高評価である。 アメリカでの日本車旧車の人気は留まるところを知らないし、ドリフト人気も日本をはるかに上回る。 アメリカでの公開が実に楽しみである。 いち早く配信が始まった台湾でもすこぶる高評価だ。 台湾では『AliveDrift 極速甩尾』とのタイトルで配信が始まり、前宣伝ゼロの状態でスタートしたものの、直後に春節連休期間を迎え、視聴ランキングは堂々の1位を獲得している。 台湾にも熱狂的なファンが多数存在している。 1月14日には日本映画の歴史を変えるできごともあった。 この日、米軍三沢基地(青森県)にてアライブフーンが上映されたのである。 日本映画が米軍基地で上映されるのは前代未聞。 全国各地にある米軍基地の映画館ではアメリカと同じ映画が上映されるのが基本だからだ。 70年に及ぶ米軍基地の歴史の中で純然たる日本映画が上映されたことはこれまでなかった。 ■日本でも今、全国各地で再上映が行われている!東京では4月2日に上映 そして海外の勢いは日本に「逆輸入」されつつある。 昨年12月にはドリパス(一般登録者から要望のあった上映リクエストを元に、上映イベントを開催するためのサービス。株式会社インコムが運営)の再上映リクエスト「もう一度映画館で観たい映画」において、1位となったことで再上映が決定。 1月15日のTOHOシネマズ日本橋から再上映がスタートしており、これまで、東京、栃木、茨城、大阪、福岡、仙台、そして3月4-5日の福島で上映された。 福島は当初3月4日だけの予定だったのだが、あまりにも希望者が多く、急遽、5日の上映も行われた。 すでに上映した青森(3月10‐11日)、尼崎(3月17日)に続き、今後は苫小牧(3月25日)での上映が予定されており、4月2日(日)には再び東京(秋葉原UDXシアター)で上映される。すでにチケットは発売開始となっているが、限定170枚で売り切れ次第販売終了となるので、見たい方はお早めに。 3月4日にはアライブフーンの聖地巡礼ツアーが福島県内で開催され、遠くは何と台湾からの参加者含めて選ばれた約20名が下山監督とともに映画の舞台を回った。 福島県相馬市の相馬港や松川浦、伊達市梁川町のナプロアース、二本松市のチューニングショップRGF、福島市の福島日産自動車福島郷野目店など。 なお、福島郷野目店の倉庫は主人公の部屋として最初から何度か登場する印象的な場所だ。 非常に好評だった「聖地巡礼ツアー」だが、今後はアライブフーンのファン有志によって開催される可能性もあるとのこと。 ■下山天監督からのメッセージ 「自動車を取り巻く環境が激変する中で、本作で描いた《クルマと人間の熱い関係》が、将来寓話にならないように、まだまだ世界中の皆さんにアライブフーンを観ていただきたいですね」 『ハリウッドが100億円かけても作れない奇跡のドリフト映画』と絶賛されるアライブフーン。 クルマ好き、旧車好きならぜひとも見て欲しい映画である。 [ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
■1.戦前から出ている創刊91年!!!「自動車年鑑」って何? ▲最古の自動車年鑑。1931年の創刊で戦時中を除き90年以上発行され続けてきた 自動車年鑑という一般向けの自動車関連定期刊行物としては、日本最古(1931年創刊)の書物があるのをご存じだろうか? 創刊から90年以上という、とてつもなく長い歴史を持っている。 ▲2022年11月30日に刊行された自動車年鑑2022~2023(日刊自動車新聞社,日本自動車会議所共編) 筆者は日刊自動車新聞社出版局に在籍していた90年代前半の数年間、編集に携わっていた時期があった。 また、2022年11月には最新号となる自動車年鑑2022~2023が刊行されている。 ニューモデル、自動車産業日誌、日本の自動車産業、諸外国の自動車産業をはじめ、各種の統計やデータなど自動車業界のすべてが844ページの中に詰まっているといっていいだろう。 そこで気になったのが、果たして創刊号はどんな内容だったのか?今も残っているのか?ということだ。 調べてみたところ、日本自動車図書館(日本自動車工業会が運営)に、なんと創刊号からすべてそろっているという。 一般利用者向けには閉館しているなか、特別に開けてもらい、創刊号ほか、昭和時代の自動車年鑑を何冊か見せてもらうことができた。 ▲歴史を刻む自動車年鑑(日本自動車工業会・自動車図書館収蔵) 創刊号の表紙広告は「ダンロップタイヤ」である。 ダンロップタイヤは1888年、イギリスで創業した企業で1905年から自動車用タイヤを生産している。 ▲自動車年鑑創刊号(1931年12月23日創刊) そして、1932年自動車年鑑が創刊した翌年に国産初のタイヤメーカー「ブリヂストン」が誕生している。 当時の社名は「ブリッヂストン」。 創業者石橋氏の「石」「橋」を英語にした社名であることは有名だが、創業時は英語の発音に近い「ブリッヂ」だった。 ▲「純国産」「超舶来」の文字が誇らしい。当時は「タイヤ」ではなく「タイヤ―」と表記していた。 そして1932年は「ダットサン」が誕生した年でもある。 前年に戸畑鋳物の傘下となった「ダット自動車製造」が排気量495ccの小型乗用車生産1号車を完成。 「ダットソン」と名付けられたが、その後「ダットサン」と車名を変えている。 理由は「ソン」は「損」のイメージなので、「サン」(sun英語で太陽)に変更した。 ちなみに、DATSUNのDATとは、創業メンバーである田、青山、竹内氏の頭文字を合わせたものだ。 翌1933年から戸畑鋳物(株)自動車部を設立し、本格的な自動車生産に向けて動き出している。 日産自動車(株)に社名変更したのは1934年である。 日本産業の100%出資となり、社名も日産自動車株式会社と変更された。 ▲当時、まだごく少数だった国産車。ダットソン号以降、本格的な国産車生産がはじまる ▲当時、ディーラーを整備して販売をしていたのは米国車が中心だった ■2.当時、『東京府』には2万台強の自動車が保有されていた ▲昭和6年の東京には約2万台のクルマが保有されていた。意外と多い? 90年前の日本にはどんなクルマが、どれくらい保有されていたのだろうか? 自動車年鑑には日本国内東京府内に存在する自動車の台数が馬力別ブランド別に紹介されている。 馬力の低さにもびっくり。 最低10馬力から最高でも32馬力だ。 資料によると乗用車+貨物車で21,948台のクルマが東京で保有されている。 大蔵省による調査で昭和6年8月末現在の数字だ。 馬力は警視庁課税馬力(当時、「警視庁馬力」という測定方法があった)に基づいている。 【乗用車】・10馬力:フィアット 203台・11馬力:モリス 139台・12馬力:フィアット、モリス 126台・14馬力:アームストロング、アサノ 96台・15馬力:ホイペット多数を占む 893台・17馬力:エセックス 291台・18馬力:スター、アースキン 892台・19馬力:ムーン、オークランド、オールヅモビル 214台・20馬力:ウイリスナイト 240台・21馬力:殆ど舊(旧)シボレー 1602台・22馬力:T型フォード 294台・23馬力:ビウイク、クライスラー、グラハムベージ 783台・24馬力:殆ど新フォード 3702台・25馬力:クライスラー、ダッジブラザース、ナッシュ 559台・26馬力:殆ど新シボレー 3126台・27馬力:ポンテアク、ダッジブラザース、スチュードベーカー 432台・28馬力:ムーン、ナッシュ、ハップモビル・29馬力:ビウイク、クライスラー、ハドスン、ナッシュ・31馬力:クライスラー 101台・32馬力:パッカード 110台・調査もれ 363台〇合計:14,717台 【貨物車】・21馬力:全部舊(旧)シボレー 721台・22馬力:全部T型フォード 2272台・24馬力:全部新フォード 2299台・25馬力:ジーエムシー、フェデラル、レパブリック 311台・26馬力:全部新シボレー 646台・27馬力:ダッジブラザース、フェデラル、ガーフォード 374台・28馬力:マツク 120台・29馬力:パッカード 71台・調査もれ 417台〇合計:7,231台 こうしてみると、フォードやシボレーの台数がとても多いと感じるが、これらは当時、日本国内で製造(KDノックダウン生産)されていたからである。 1925年に日本フォード、1927年に日本GMがそれぞれ設立されたことにはじまる。 日本で製造といっても当時の日本に自動車を製造できる技術はなく、ボディもエンジンも各種部品もすべてアメリカから輸入したものを日本国内で組み立てていた。 GMは大阪鶴町の工場にて組み立て生産をスタートさせており、月産2,000〜2,500台で、アジアの生産拠点としてもアジア諸国へも多数輸出されていた。 一方、日本フォードは横浜市新子安の工場にて1日の稼働時間8時間で約80台のT型フォードをはじめとする乗用車や貨物車を組み立てていた。 いずれも太平洋戦争の始まりとともに操業を終了している。 フォードを生産していた新子安の工場は現在のマツダR&Dになっている。 フォードやGM以外、ダッジ、クライスラーなどの米国車に加え、シトロエンも組み立て生産されていた。 90年前の自動車年鑑1932年版をはじめ、これまで世に出た自動車のカタログや自動車雑誌、各種の自動車に関する資料は「自動車図書館」で見ることができる。※現在はコロナ感染拡大防止の観点から休館中だが資料検索などは可能だ。 ●自動車図書館(現在は休館中)https://www.jama.or.jp/library/car_library/index.html 旧車ファンにとっても聖地のような場所だ。 再開されたらぜひ訪れてみて欲しい。
■「SEMAショー」とは? SEMA(Specialty Equipment Market Association、米国自動車用品工業会)が1967年より年に一回開催している自動車アフターマーケットの見本市である。 日本ではカスタムカーイベントのイメージが強いかもしれないが、チューニングパーツだけでなく、タイヤやオフロード用品、板金塗装、補修、カーケア用品など、自動車アフターマーケットに関わるすべての商品がお披露目されている。 出展各社のブースには自社や協力会社の製品を装着したデモカーが展示されており、これもSEMA SHOWの大きな魅力の一つ。 近年は北米での人気に合わせて日本の旧車カスタムカーの出展が急増。こちらではそれらのなかでも特に注目を集めた5台を紹介してみたい。 ■1.40年の眠りから覚めたスズキ ジムニー LJ20 ▲40年の眠りから覚めたジムニーを1年かけてレストア パウダーコート塗料を扱うプリズマティックパウダーズ社のブースに出展された金色に輝くスズキ ジムニーは、1972年に日本で発売された LJ20である。 わずか600kgの車重で登坂能力は27.5度。最小回転半径4.4mの小さなボディもあいまって圧巻のオフロード走破性能で大人気となった。 出展されたLJ20はみた目にも美しい仕上げが施されているが、実はこのジムニー、遠い昔になだれに巻き込まれ、シエラネバダの山奥に40年以上も放置されていたのである。 なお初代ジムニーLJ10は1971年ごろ「ブルート」として約2000台が北米に輸出されたが、その後LJ20の輸出はなく、こちらの個体は並行輸入でアメリカに持ち込まれたと思われる。 山奥に長年放置されたジムニーを引き上げたのはYouTubeチャンネル「Matt's Off Road Recovery」のスタッフだ。 同チャンネルはどんな悪路も走破するために改造されたジープ チェロキーでさまざまなレスキュー活動を展開しており、このLJ20もオーナーであるエドに許可をもらってサルベージに挑んだ。 山奥から引き上げたあとは、川に浸したり、巨大な落石を乗り越えたり難儀を極めながらもなんとか自社のガレージまで運んでくることができたとのこと。 激しく損傷したボディは完璧な姿に修復し、エンジンとトランスミッションはスズキ サイドキック(エスクードの北米仕様)用に換装。 歴史に残る圧巻のレストモッドプロジェクトとなった。 ■2.1000馬力の四輪駆動 RX-7(FD3S) ▲1200馬力発生の4ローターを搭載したAWD仕様のFD ヴァルヴォリンのブースに展示されたRX-7は、ギャレット社が取り揃えている最大容量106mmのターボを搭載し、1200馬力超えまでチューニングされた4ローターを搭載。 さらに駆動方式は全輪駆動という信じられない仕様となっている。 大量の燃料を必要とするため50ガロンの燃料電池を装備していることも注目を集めた。 なお、フルスロットルで走行するとわずかな時間で1.5ガロン以上(約5.7L)の燃料を消費するという。 世界が電動化に向かうなか、今や希少な究極のガス・ガズラーである。 全輪駆動部分には日産スカイラインGT-R用のトランスミッションを採用しており、リアのディファレンシャルはBMW 3シリーズ(E36)用を流用して、この唯一無二のマシンを作り上げたとのこと。 制作期間は6年!とのことなので、オーナーであるロブ・ダーム氏の苦労や思い入れの強さがひしひしと伝わってくる。 ■3.1200馬力のドラッグマシンへと変化したトヨタ4ランナー ▲2JZ-GTE搭載で出力は1200馬力 日本の旧車を中心に、自動車用アフターマーケットパーツのディストリビューターとしてアメリカで急速にその存在感を高めつつある「TURN14」は、今回のSEMA SHOWに多数のカスタムカーを出展している。 そのなかでももっともアグレッシブで、多くの注目を集めていたのが、こちらの1993年型トヨタ 4ランナー(日本名ハイラックスサーフ)である。 一見、車高を落として綺麗にまとめられた普通の4ランナーに見るが、実はフレームをすべてパイプフレームにし、エンジンには3.4リッターまでボアアップした2JZ-GTEを搭載。 出力は1200馬力超えというとんでもないマシンに仕上がっている。 また、注目すべきは今はなき「TAKATA」のフルハーネスベルトを採用していること。 日本ではエアバッグ関連の大規模不祥事などもあって、すっかり「終わった企業」というイメージが強いが、アメリカでは今も根強い人気がある。 レーシーなJDMにTAKATAのフルハーネスを装着することは旧車オーナーにとってステイタスでもあるようだ。 ▲SEMA SHOWのデモカーにもTAKATAのフルハーネスが多数見られた ■4.パガーニ ゾンダのエンジンを積んだ RX-7 マツダ RX-7はその美しいルックスとカスタム用ベースカーとしての魅力にあふれることから日本はもちろん、世界多くのクルマ好きを虜にしてきた。 トーヨータイヤの屋外ブース「トーヨータイヤ トレッドパス」に展示されたRX-7はその外装色から「ピスタチオFD」との愛称がつけられているが、人気の理由はそこにとどまらない。 驚くことに心臓部にはデフォルトのツインターボ 13B-REW エンジンではなく、パフォーマンス ワークショップである Gooichi Motors によって組み込まれたメルセデス・ベンツ製 V12エンジンにシフトされている。 同エンジンはイタリア製スーパーカー「パガーニ ゾンダ」などに搭載されるV12エンジンでノーマルの状態でも、720bhp と 780Nmのパワーを吐き出すハイパワーで知られる。 ホイールはBergmeister fifteen52 アロイ ホイールに、トーヨータイヤのハイパフォーマンスタイヤ「Toyo Proxes RR 345」を装着。 ボンネットが取り払われた状態で展示され、興味津々にエンジンルームをのぞく来場者たちが多く見られた。 ■5.ENEOS ダットサン521ピックアップトラック アメリカで人気のドリフトメディア「DSPORTマガジン」のマネージャーと、その息子によって作られた1台はENEOS USAからの出展となる。 ダットサントラックはアメリカにおいて長く愛されてきたライトトラックだが、こちらは6代目となる1971年型 ダットサン 521 ピックアップをベースに世界中からレストアパーツを集め、5年間かけてレストアされたもの。 50年前の車両から摩耗したガスケットとシールをすべて取り外し、元の L16 1.6Lエンジンと 4速トランスミッションはキープ。 サスペンションは QA1ショックと エナジーサスペンションのウレタンブッシングでアップグレードされている。 エクステリアはPandem製ボディキットをベースにハコスカ フェンダーミラー、Eimer Engineering 製テールゲート パネルとロール バーなどを装備。 シートはバーバリー チェック パターンのカスタム シートに張り替えられ、クイック リリース ハブ付きの NRG ステアリング ホイール、騒音と熱を抑えるためのDEI サウンド コントロール、Lokar シフター ブーツと CNC トリムに交換されている。 [撮影・加藤ヒロト/ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
■世界最大の改造車ショーで旧車EVが続々登場 ▲シボレーブースに展示された1957年型ベル・エア アメリカでは今、「コンバージョンEV」がアツい。 昨今の環境意識の高まりによるEVブームは新車のみならず、「旧車」を未来へのこしていく手段としても注目されている。 今回は毎年11月上旬に開催される世界最大級のアフターマーケット・カスタムカー見本市「SEMAショー」にて見つけたコンバージョンEVたちを簡単に紹介してみたい。 SEMAショーではアフターマーケットのメーカーやチューニングショップのみならず、自動車メーカーも積極的に出展している。 なかでも目をひいたのが、シボレーブースに展示された1957年型ベル・エアだ。 派手なイエローのボディカラーに、「ジェット時代」の流行を反映させたスタイルは典型的なアメリカ車のイメージをまとう。 だが、V型8気筒のLSエンジンを搭載するために広く設けられたエンジンルームの中にはエンジンが見当たらない。 その代わりに鎮座するのが、シボレーが開発した実験用の電動モーターとバッテリーである。 このユニットはモジュール化も行われており、シボレーは使用者の要望に応えて、より大型のバッテリーを搭載することも可能としている。 とりあえず搭載されているプロトタイプのスペックは400Vのユニットで、容量は30kWhとなる。 元々搭載されていたエンジンほどのパワーは出ないし、シボレー自身も街乗りぐらいにしか使えないと紹介しているが、これも今後の開発でより「パフォーマンス寄り」に進化していくことが期待される。 ■自動車メーカーが旧車の電動化を提案 ▲初代ランドクルーザーもEV化で半永久的に乗れる? メーカーによる電動化の提案は、シボレーとともに「ビッグ3」を形成するフォードでも見られた。 毎年お馴染みの巨大なフォードブースの目玉の一つが、フォードのパフォーマンス部門「フォード・パフォーマンス」が開発した電動ユニット「イルミネーター(Eluminator)だ。 出力210kW(281hp)、ピークトルクは430 N・mを誇るイルミネーターは重さたったの93kgの電動ユニットで、元々はフォードの純電動SUV「マスタング マッハE」に搭載されていたものをベースに開発されている。 今回の展示にはユニット本体とともに、実際にそれを1978年型F-100に搭載させた「F-100 イルミネーター」をお披露目。 イルミネーターのユニットは3900ドルで実際に販売されたが、販売開始後わずか一週間で完売したとのこと。 SEMAショーでは例年、電動化に特化した「SEMA Electrified」のブースが設けられるが、そのスペースは年々拡大されている。 なかでも印象深かったのがパステルブルーをまとった初代フォード ブロンコだ。 1966年から1977年まで生産された「アーリー・ブロンコ」と呼ばれるこのブロンコも電動モーターとバッテリーを搭載するコンバージョンEVとなる。 製作はフォードより正式にライセンスを取得し、初代ブロンコのフレームを生産している「Kincer Chassis」が担当。 サイドのドアを除去したり、エンジンルームは目隠し用の木目調パネルで綺麗に埋められていたりと、ミニマリスティックなカスタムが非常に特徴的である。 ここまではどれもアメリカ車のコンバージョンEVを紹介してきたが、この流行はなにもアメリカ車に限るものではない。 同じ「SEMA Electrified」のブースにはトヨタの伝説的な四輪駆動車「初代ランドクルーザー(J40型)」や、フォルクスワーゲン タイプ181のコンバージョンEVなども展示されていた。 また、外のブースにはまだ新しめのクルマであるホンダ S2000をEV化した個体も来場者の注目を集めていた。 ■デロリアンをEV化したオーナーが日本にもいた! ▲デロリアンの美しいシルエットそのままにEV化 ▲2年の歳月をかけて仲間たちとデロリアンのEV化に成功 ところで、日本にも旧車をEVにコンバートして乗り続けているパイオニア的存在のEVオーナーがいるのをご存じだろうか? 日本EVクラブ広島支部の藤井智康さんがDMCデロリアンのEV化をスタートしたのはなんと2007年!2年の歳月をかけて完成したのが2009年だった。 「当時、デロリアンに乗りたいという気持ちが強かったのですが、80年代前半のクルマですし壊れやすく、修理するのも大変という話を耳にしていました。維持していくのが大変だろうなと。そんななか、環境問題を勉強しているときにEVのことを知りました。そこでデロリアンをEVにしてみるのはどうだろうかと考え始めたのです。 旧車はオリジナルの状態で維持することがクルマにとっても最高であることは間違いないのですが、長く乗り続けていくうちに部品が入手できなくて直せない…、また完璧に直せる人もどんどん減っていく…という状況になってきます。 クルマを直さず放置しておくのか?それとも廃車にして捨ててしまうのか?これまではそのような選択肢しかなかったわけですが、“パワーユニットを電気にかえればEVとして長く乗り続けられるのでは?“という考えに到達したのです」 クルマを買い替えることがエコではなく、ずっと乗り続けることが一番のエコであること。EVにコンバートすることでそれが実現できることを藤井さんは自らのデロリアンで証明している。 しかし、藤井さんいわく、なんでもかんでも「EV化」するのが良いわけではないとのことだ。 「クルマにはデザインは素晴らしいけどエンジンがいま一つの『ボディエンゲル係数』が高いクルマと、逆に、デザインは今一つだけどエンジンが素晴らしい『エンジンエンゲル係数』が高いクルマが存在します。そのあたりを見極めていくのがポイントかもしれないですね」 ■今後「旧車のEV化はあり」なのか? 急進的なEVシフトが進む昨今の情勢を鑑みれば、いつかはガソリン車に乗れなくなる時代が来るのかもしれない。 旧車という技術的にも文化的にも貴重な存在を、未来永劫のこしていく一つの手段として「旧車のEV化」は「あり得る」選択肢の一つかもしれない。 また、ガソリン車として残していくためのパーツの供給も同様に盛んなアメリカのアフターマーケット事情にはどことなく羨ましさも感じる。 旧車の保存に関しては数歩先を進んでいるアメリカでのノウハウを、数多くの名車を生み出している日本でもメジャーになっていくことに期待したい。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]
■1.ロングビーチで17年前に開催された誇り高き旧車イベント「JCCS日本旧車集会」とは? 空前の旧車ブームに沸くアメリカ西海岸で17年前から開催されているJCCS(Japanese Classic Car Show日本旧車集会)というカーショウをご存じだろうか? 例年10月末にカリフォルニア州ロングビーチで開催されてきたJCCSだが、筆者が取材に足を運んだ2021年は諸々の事情でロングビーチではなく、大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・エンゼルスのホームである「エンジェルスタジアム」の途方もなく広い駐車場で開催された。 来場者は約1万人。 入場時には数百メートルに及ぶ長い列ができており、日本の旧車を見るためだけにこんなにたくさんのアメリカ人が我慢強く並んでいるのか!と、驚くとともに感動した次第である。 そして今年は9月10日に、いつものロングビーチ(マリーナ・グリーン・パーク)で17回目となるJCCSが開催された。 来場者数は史上最高の1万1千人。 展示された日本の旧車はこちらも過去最高の540台! ■主催者であるテリー&コウジ山口さんに今年のJCCSを振り返っていただいた 「今年は南カリフォルニア過去最大規模の台風が来ると予報が出ていて、実際最後の最後まで問い合わせが絶えませんでした。 私たち運営側も最後まで気が気じゃなかったのですが、開催前日の夜までの雨でなんとか切り抜け当日は朝から無事に雨無しで決行! ギリギリまで心配の声の嵐でしたが事前登録車両もほぼ全車参加となり、すばらしい結果を残すことができました。 そのような意味も含め、開催側や参加者全員が、ハラハラした印象の強いイベントとなりました。 今年はとくに、アメリカでの日本車の歴史に欠かせないレーシングレジェンド『BRE』のピーター ブロック氏のご参加いただいたので、これはファンにとっては非常に喜ばしいことだったと思います。 ロングビーチの公園が小さく思えてしまうほどの旧車ファンが集まり、ピーターさんはどこに行っても大忙しという盛況ぶりでした。 今年の出展車両の傾向としては80年代後半~90年代のクルマが多かったように思います。 今年初めて参加という方が全体の4分の1を占めていました。 コロナ感染拡大の中にあって十分な準備時間を使ってレストアを完成させたオーナー達もたくさんいらっしゃったでしょう。 かなり事前から参加計画しバッチリ実行したという感じが伝わりました。 また、アメリカ国内はもちろん、まだコロナによる規制などもギリギリあった時期にもかかわらず、日本からの出店を含め、合計80社を超える出店者数も史上最高でした」 ▲JCCSを主催するテリー&コウジ山口さん夫妻。自動車メーカーやパーツメーカーからの信頼も厚い ■2.アメリカにもこんなすごい旧車があるの?気合入りまくりの10台を紹介 第17回JCCSにはどんな旧車が出展されたのだろうか? どれも美しく丁寧に仕上げられた車両ばかりだが、中でもえりすぐりの10台を紹介してみたい。 なお、第17回JCCSでは合計35部門にわたって、アワードが設定されており、厳格な審査のもとそれぞれの部門で「BEST OF 〇〇〇」が選ばれている。 1『ベストダットサン240Z』部門の1位を獲得した Jay Atakaさんの1971年型日産フェアレディZ(S30 RHD/L20)。圧巻の完成度に会場の注目を集めていた。アメリカの有名自動車雑誌や有名TV番組でも紹介されている。 2『ベストダットサン80's』部門1位を獲得したGustavo Sanchezさんの1985年式日産200sx(S12/VG34E)。1985年式日産 200sx with a VG34E. JDMテイストとヨーロピアンテイストを合わせたS13コンバージョンだ。 3『ベストマツダ OLD SCHOOL』部門1位。Mike & Barbara Malamutさんの1964年式マツダR360(360cc)と、牽引するT2000 (マツダ初の空冷2気筒16馬力)は希少な左ハンドル仕様 4『ベストダットサン510』部門1位のErick Águilarさんの1971年式ダットサン510は、なんとホンダS2000のF22Cエンジンに換装。今年JCCSデビューさせる為に仕上げてきたレストモッドだ。 5『ベストトヨタカローラAE86 AE92』部門1位。Abraham Phanさんの1985年式トヨタカローラ(AE86)はこちらがJCCSデビュー作だ。 6『ベストホンダインテグラ』部門2位。Matt Garciaさんの1990年式ACURAインテグラ(DA9/B20)は、20年以上所有している「サバイバー」JCCS 初参加! 7『ベスト三菱』部門1位のAlejandro Serranoさんの1993年式三菱3000GT VR4 2ドア。こちらもJCCSデビュー作。 8『ベストマツダRX7』部門1位。Matt Craibさんの 1989年式マツダRX-7(FC3S/13-B Turbo)。なんとレストアなし!オールオリジナルの奇跡の1台。 9『ベストトヨタカローラOLDSCHOOL』部門1位。Dennis Aquinoさんの1975年式トヨタCorolla(TE31)は2TGエンジンを搭載。 10『ベストトヨタOld School』部門1位。Rob Tsuyukiさんの1973年式トヨタクラウンスーパーサルーン ▲ワイスピ超人気俳優、サン・カン氏(写真中央)とダニエル.ウー氏(写真左端)もDoc Zとともにプライベート参加!▲こちらがサン・カン氏のDoc Z(Erick’s racing booth) ▲JCCSの運営スタッフの皆さんお疲れさまでした! [撮影・写真:Kit, Johnny, Toshi & Riki / ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
台湾系アメリカ人のBenさんは2006年に「ジャパニーズ・ノスタルジック・カー」を設立。 アットホームな雰囲気のウェブサイトには全米で開催される日本製旧車のイベントレポートや、日本車の歴史、日本人でも知らない興味深いトリビアなど、日本製旧車のあれこれが網羅されています。 日本には数多くの旧車メディアが存在しており、この「旧車王ヒストリア」もその一つです。 日本には日本の旧車、ドイツの旧車、アメリカの旧車、フランスの旧車など、それぞれに特化した専門メディアもありますが、実はアメリカで日本の旧車に特化したメディアはただ一つだけ。 「ジャパニーズ・ノスタルジック・カー」(https://japanesenostalgiccar.com/)を運営するBen Hsu(ベン・シュー)氏にお話を伺いました。 Benさんご自身も古いランクル(ランドクルーザーFJ60)を所有しています。 ちなみに、Benさんのランクル60は、2021年秋にホットウィール「カーカルチャーシリーズ」でミニカーとして発売されました。 ▲赤枠で囲んだホットウィールがBenさんのランクル60 ホットウィールでも日本の旧車が大人気! ▲米国唯一の日本旧車メディア編集長のBenさんにインタビュー中の筆者(加藤博人) ■ジャパニーズ・ノスタルジック・カーを立ち上げた経緯を教えてください 私が2006年にこのサイトを立ち上げた当時は、日本の旧車に関する情報を発信しているウェブサイトはもちろん、紙の雑誌においてもゼロでした。 メディアが存在しないどころか、当時のアメリカにおいては日本の古いクルマは『価値のある存在』として見られていませんでした。 ちょうど、その頃、カリフォルニア州ロングビーチでは「Japanese Classic Car Show(JCCS)」(日本旧車集会)の第1回が開催されていました。 当時の私は東海岸に住んでいたのでJCCSの存在を知りませんでしたが開催2年目以降は毎年参加しています。 ■japanesenostalgiccar.comというサイト名に「クラシック」ではなく「ノスタルジック」が使われているのはなぜでしょうか? これも日本製の古いクルマは当時「旧車」(クラシックカー)とみなされていなかったことに関係しています。 アメリカの有名な旧車クラブに「Classic Car Club of America」がありますが、彼らの「クラシック」の定義ではアメリカ製やドイツ製、フランス製、イギリス製の旧車しか「クラシックカー」として認められず、日本製の旧車は彼らの眼中にありませんでした。 またこれとは別に、日本では「レトロな物」を「ノスタルジック」と形容することが割と一般的です。 そのような経緯からサイトの名前には「クラシック」ではなく、「ノスタルジック」とつけました。 ■Benさんがサイトを立ち上げて16年が経過しましたが、アメリカにおいて日本の旧車を取り巻く環境、日本の旧車の価値はどう変わったと思いますか? 本当に大きく変わったと思います。 例えば、少し前のバレット・ジャクソン(アメリカでもっとも権威があるコレクター用カーオークション)で印象に残っているのが、司会が「我々のオークションでホンダ・シビックを見ることはあり得ないでしょう」といっていたことです。 それだけ日本の古いクルマはコレクション価値のあるものと認識されていなかったわけです。 日本車は「集めるほど価値のあるクルマ」というより、「実用的で道具のように使えるクルマ」と考えている人がとても多かったんだと感じています。 それが近年はスカイラインR32GT-Rや80スープラ、シビックタイプR、ランドクルーザーFJ40シリーズなどがバレット・ジャクソンに出品されて高額な価格で落札されることも増えました。 ■Benさんが日本の旧車に興味を持つようになったきっかけは? 初めて知った日本のクラシックカーはグランツーリスモに出てくるトヨタ2000GTやハコスカで、高校生のときに欲しかったクルマはホンダ NSXやマツダRX-7(FD)、トヨタ スープラなどの日本製スポーツカーでした。 1992年、家族で台湾に行ったのですが(初めて自分がアジアを訪れたとき)、当時はアメリカから台北への直行便がなく、トランジットのために成田で一泊しました。 当時はインターネットもなく、日本で走っているクルマの情報はほとんど把握していませんでした。 日本で走っているクルマはアメリカと同じなのだろうと勝手に想像していました。 しかし成田に着いて日本の街中を見るとまったく知らないクルマたちがたくさん走っていることに気づきました。 トヨタクラウンや日産セドリック、アメリカで見ないクルマばかりでとても興奮しました。 それ以降、初めて見る日本車にも興味を持つようになりました。 ■Benさんがいま、手に入れたい日本車はありますか? あります!日産スカイラインGT-R(R32/R33)です。 でもとんでもない金額になっていますけどね。 もし、GT-Rを手に入れても大切なコレクションにしてまともに走らせもしないでしょう(笑)。 運転するならマツダ・ロードスターなどのライトウェイトスポーツカーも好きですね。 でもロードスターを買うにしても、まったく同じクルマがアメリカで左ハンドルでも手に入るのなら、右ハンドルにこだわりません。 アメリカでは手に入らないクルマを日本から輸入して乗りたいですね。 先週、カリフォルニア州ロングビーチでは、Benさんも出展した第17回JCCS(日本旧車集会)が華々しく開催されました。 回を追うごとに参加台数が増え、来場者も1万人超となりました。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]
旧車の盗難は相変わらず多いのだが、特に今年6月以降、目立って増えているのが神奈川県だ。 ■2022年6月以降、神奈川県内で盗難被害が急増 自動車盗難情報局(jidoushatounan.com)に登録されたものや、TwitterなどのSNSで盗難が拡散されているものをピックアップしてみた。 ※盗難に関する内容は登録時点での情報です 神奈川県においては2021年の1年間で4台(うち1台は発見)の旧車が盗まれているが、2022年は6月半ばまではゼロ。 しかしその後、急増しており6月16日から9月11日まで報告されているだけで15台(未遂1台含む)!異常な数字である。 スカイラインGT-R(10台)と80スープラ(3台)の盗難が目立っている。 ■2022年6月〜9月にかけて神奈川県内で盗難された国産車 車種やボディカラー、盗まれた日、時間帯、場所、クルマのナンバーや特徴、そしてどのような盗難対策をしていたのか?などをお伝えしておく。 ●6月16日(0時~6時15分) ・車種:平成2年式 スカイラインGT-R NISMO(ガンメタ)・場所:神奈川県 横浜市 綱島駅付近の駐車場(自宅人近い月ぎめ駐車場)・ナンバー:横浜 330 や 2632・盗難対策:ハンドルロックとタイヤロック装着。月極駐車場のフェンスと繋いでいたチェーンロック。車カバー。*車部品の散乱は無し。タイヤロック破壊。車カバーを剥がされていた。右リアから出ている牽引フックに取り付けていたチェーンロックを外されていた。隣接している工場から延長コードを使用して電源を取り、エンジンを始動させたと思われる。 ●6月24日(5時~18時頃) ・車種:BCNR33 スカイラインGT-R(白)・場所:・場所:横須賀市スカイマンション下の駐車場・ナンバー:横浜 302 ひ 8681・盗難対策:ハンドルロックバー使用*マフラーの近くに溶けたあとがあり。HKSのスーパーターボマフラー。ホイールはボルクの17インチのアルミ金色。塗装はクリアが剥げていてまだらになっています ●6月26日(時間は不明) ・車種:日産スカイライン BNR32GT-R(スパークシルバー)・場所:神奈川県 横浜市泉区下飯田付近の駐車場・ナンバー:横浜 33 ら 4219・盗難対策:なし*純正16インチ ボンネット塗装ハゲあり フロントバンパー右ライト下擦り傷あり*ADVAN FREVA装着 GT-Rエンブレムは盗まれて接着部分のみ残っている ●7月17日11時半~18日3時 ・車種:平成9年式 マツダRX-7(ホワイト系)・場所:神奈川県 横浜市戸塚区 契約していた月ぎめ駐車場・ナンバー:横浜 303 る 7005*現場にはガラスの破片などはなし。フロントとサイドにC-WESTのエアロがついており、リアはノーマルでGTウィングがついているRX-7となります。フロントのエアロ右寄りの場所が割れ始めてきております。給油口には「全財産 inside」のステッカーが貼ってあります。 ●8月10日7時10分~17時8分 ・車種:日産スカイライン BNR32 GT-R(ブラック)・場所:神奈川県 藤沢市遠藤 勤務先駐車場 勤務先社屋から2~300M離れた社員専用駐車場内です。お昼頃、不審な車が駐車場から出て行く所が目撃されています。・ナンバー:相模 33 の 6426・盗難対策:対策なし。施錠のみ*エンジンはN1用に換装。外観はニスモ仕様。リアにカーボン製の旧ロゴのニスモマークのエンブレム。HKS関西のロールバー装着。リアウィンドウにカロッェリアのテレビアンテナあり。NISMO(ベルディな)マフラー。オーリンズの車高調サスです。右側のリアホイールアーチ後方下側に錆による穴あり。ドアノブにニスモマークのついた保護パットが付けられています。後輪のみN1用穴無しディスクを装着 ●8月13日20時頃~8月14日9時50分頃 ・車種:日産スカイラインGT-R(ブラック)・場所:神奈川県 海老名市中新田 自宅駐車場・ナンバー:相模 301 た 9420・盗難対策:ハンドルロック使用*R33GT-R純正のホイール、ニスモバンパー、柿本Rのマフラー、ARCのインタークーラー付き。車の部品の散乱はなし。 ●8月16日19時~17日5時頃 ・車種:80スープラ(グレー)・場所:横浜市緑区マンション駐車場機械式上段・ナンバー:横浜 35 に 1360・盗難対策:なし*色はグレー系ですがカタログ記載はグレイッシュグリーンマイカメタリックとなっていますフロントバンパー右わきにかすれ傷あり。運転席側ドアミラーそばに『猫バンバン』のマグネットステッカー貼っています。(ただし経年劣化で真っ白に)新車購入から20年以上乗っています。人生の半分以上はこの車と一緒に過ごしてきました再塗装していないのでボンネットは一部剥げている部分ありますフロントガラス(助手席側)に傷あり。特にカスタムしていないので特徴はノーマル仕様です ●8月16日朝 ・車種:80スープラ(白)・場所:横浜市緑区・ナンバー:横浜331す8320・盗難対策:バイパーセキュリティとラフィックスを付けていたがバイパーは1年前から不調で、ラフィックスもハンドルを外していなかった。 ●9月1日 ・車種:トヨタ スープラ(赤)・場所:川崎市宮前区野川自宅前の月ぎめ駐車場・ナンバー:川崎301 す 7717・盗難対策:タイヤロック前後輪に使用 ●9月3日19時~9月6日16時 ・車種:平成14年式 レガシィB4(青)・場所:神奈川県 厚木市三田・ナンバー:春日井 500 そ 86・盗難対策:なし*アパート前露天駐車場に駐車、数日間運転しなかった間に盗まれました ●9月8日未明から朝 ・車種:日産 スカイラインGT-R(ブラック系)・場所:横浜市金沢区 集合住宅敷地内の駐車場・ナンバー:横浜 33 ぬ 9482・盗難対策:タイヤにチェーンロックを掛けていた ■旧車およびネオクラシックオーナーは早急に「本気で盗まれないための対策」を! わずか3か月弱で未遂1台含む15台が盗難されているが、気になるのは『盗難対策:なし』が目立っていることだ。 またタイヤロックやハンドルロックなどを装備していても、実際はほんの数分で切断される(時間稼ぎにはなると思われるが)。 盗む方が悪いのは当然だが、盗まれやすい旧車のオーナーは、一刻も早く「本気で盗まれないための対策」をする状況にあることは間違いない。 特にスカイラインやスープラ、RX-7など人気の旧車スポーツカーにはお金がかかっても(20-30万円前後)、誤報ゼロのカーセキュリティを装着することをお勧めしたい。 たしかに痛い出費だと思うが、必要経費と割り切り、決断するときだと思う。 取り急ぎ何かやっておきたい、という場合はアップル社のエアタグなどを応急的に取り付けておくのもよいだろう。 神奈川県が急増している理由は・盗難多発の千葉、茨城、埼玉、愛知、三重の5県で導入されている『ヤード条例』が施行されておらず、解体ヤードに関する規制がとても緩い。・これまで旧車盗難がほとんどなく、盗難対策をせず簡単に盗める旧車が豊富 等が考えられる。スカイライン、80スープラのオーナーは特に注意してほしい。 ■9月12日夜に「国産スポーツカー窃盗未遂で男二人逮捕 神奈川県」の報道 [9月12日追記]なお、この原稿を書き終わった後、9月12日夜に「国産スポーツカー窃盗未遂で男二人逮捕 神奈川県」のニュースが流れた。 報道によると暴力団関係者と無職の男2名は6月以降、スープラやスカイラインなど合計20台(被害総額は1億円超)を盗んだとのことである。 自動車窃盗における検挙率は盗難の多い関東地方の場合、平均して3割前後。 旧車はさらに低いが、よく逮捕されたものだ。 [車両写真:自動車盗難情報局(jidoushatounan.com)から引用、画像/Adobe Stock、ライター・自動車生活ジャーナリスト加藤久美子]
1990年代の日本製スポーツカーが今、アメリカなどで絶大な人気を誇るのはもはやいうまでもない。 ■90年代の日本車が人気なのはアメリカにおける「25年ルール」の存在が大きい 漫画やアニメ、ゲームなどに登場する往年の名車たちの中古車価格は年々高騰を見せているが、それもアメリカにおける「25年ルール」の存在が大きい。 「25年ルール」を超簡単に解説すると、「右ハンドルのクルマであっても製造月から25年経過していればアメリカに輸入し、公道を走行すること」を可能とするもの。 詳しい解説は私が以前執筆した記事を参考にしてほしい。 ●旧車にも関わり深い米国「25年ルール」。その歴史や本来の目的は?https://www.qsha-oh.com/historia/article/ivsca/ とにかく、このルールによって日産 スカイラインやマツダ RX-7、トヨタ スープラ、ホンダ シビックなどの、多くの90年代スポーツカーがアメリカへ輸出されていっているのだ。 だが、アメリカでの日本車人気はそういったスポーツカーやスポーツコンパクトにとどまらず、今ではオールジャンルなものとなっている。 そのなかには意外な人気を誇るクルマたちも多数存在する。 いくつか見ていこう。 ■今、アメリカでは日本の軽トラが大人気! ▲軽トラだけじゃない。軽ワンボックスも人気!こちらはアクティストリート まずは、日本が世界に誇る労働者の道具、「軽トラ」だ。 軽トラは今、アメリカで絶大な人気を集めている。 日本中、特に農村部ではそこら中で見ることができる軽トラは、いまやアメリカでは「パワーがあって大きな荷物も積載可能、それでいて経済性にも優れているミニトラック」として認識されている。 学校や会社の広大な敷地を管理・清掃する際や、サーキットでの移動用、山奥での狩猟など、多種多様な需要にもマッチする最高のパートナーだ。 アメリカで人気となっている軽トラのほとんどが、製造より25年経過した古い軽トラ。 スバル サンバーやダイハツ ハイゼット、スズキ エブリィ、ホンダ アクティなど、日本では中古の軽トラといえば50万円もしないで取引されているものが多い。 だが、同じ50万円以下のモデルでも、アメリカでは100万円越えの価格が付けられて販売されている例はしばしば見る。 製造から25年以上経過した軽トラは他の日本車同様、アメリカにおける各種規制の対象外となるため、公道を走行するための登録が可能となる。 また、新車の軽トラをアメリカに輸入して使っている例もあるが、こちらは主に高速道路などを走行しない「オフロード登録」(悪路を走るクルマという意味ではない)を適用してナンバーを付けるカタチとなる(とはいえ、このケースは近年、州によっては認められなかったり、多額の税金や手数料を請求されたりすることも増えている)。 アメリカは州によってルールが違うので一概にいえないが、日本から新車の軽トラを輸入してオフロード車として登録することも可能ではある。 ■90年代のRVブームを牽引したモデルも人気急上昇中! ▲アメリカでの人気急上昇中!ハイラックスサーフ 軽トラ以外にもまだまだたくさんの意外な日本車が人気となっている。 例えば、90年代のRVブームで誕生したクルマたちもアメリカ人の注目の的だ。 2021年に2年ぶりの実地開催となったアメリカ西海岸最大の日本車集会「JCCS(日本旧車集会)」では、大半の出展車両がスポーツコンパクトのジャンルに該当するものだが、なかには三菱 デリカやトヨタ ハイラックスサーフなどの、アウトドア志向な旧車たちの出展も目立った。 コロナ禍によって後押しされた、人里離れた場所でアクティビティを楽しむ「アウトドアブーム」の需要にも、これら90年代の「レクリエーショナル・ヴィークル」はピッタリなパートナーとなるだろう。 そういった経緯もあり、今後はRVだけではなく、トヨタ カムロードや日産 アトラスキャンパーなど、アメリカでよく見るキャンピングカーよりも一回り小さい、日本製キャンピングカーが支持を集めるのもそう遠くない未来のことかもしれない。 ■今となっては懐かしい「パイクカー」も人気モデル これら以外に、パイクカーと呼ばれる部類のクルマたちもマニアからは密かな注目を集めている。 パイクカーを簡単に説明すると、1980年代の終わりから1990年代中頃まで流行っていた「レトロ調な外観を与えたクルマ」のこと。 代表格は日産のBe-1やフィガロ、パオなどが挙げられる。 これらのパイクカーも他の90年代の日本車と同様に人気が高まりつつある。 さらに意外なのは、根っからの「クルマ好き」ではないような人にもパイクカーが売れているという点。 もちろん、日本車への理解が深いクルマ好きが以前から注目していた存在ではあるが、それ以外にも、単純に「見た目が可愛らしい」という理由で、セカンドカーとしてクルマ好きではない人の所有が目立ってきている状況となっている。 コンパクトながら、どこか「国籍不明」感のあるルックスは間違いなく、日本のパイクカー独特の要素だろう。 ■まとめ:日本では不人気車種だったクルマがアメリカで花開く? ▲岩国基地で活躍する軽トラ、マツダ・スクラムトラックはスズキ・キャリイのOEM車だ このように、いまや日本の旧車はスポーツカーだけでなく、幅広いジャンルが人気となっている。 また、そういったスポーツカーから日本車の奥深い世界に興味を持ち始めたクルマ好きが突き詰めた結果、まったく別ジャンルの日本車を好きになってしまうという「興味の底なし沼」のような状態になっている人も多く見受けられる。 今後、日本では見向きもされなかったような意外な日本車が、アメリカで爆発的なブームとなる事例はますます増えていくだろう。 [ライター・カメラ/加藤ヒロト]