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● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
きょうだいや夫婦はもちろんのこと、友人・知人。 人が2人以上集まれば、何らかのトラブルやゴタゴタは避けられない。 しかもホンの些細な、あとから考えると本当にどうでもいいようなことでトラブっていたりする。 それは身近な人間関係だけでなく、趣味の世界、クルマ界隈においても同様だ。 取材や雑談を通じて聞き知ったエピソードを集約した「こういう人とは絡みたくない」というポイントを5つにまとめてみた。 まとめているうちに他人事とは思えなくなってきたのも事実。というわけで、改めて自戒を込めて・・・。 ■1.自分の身の上&自慢話ばかり(人の話を聞かない) おおっぴらにしないまでも「自分の愛車がベスト!サイコー」と思っている人も多いだろう。オフ会やイベント会場で注目されたいという気持ちも痛いほど分かる。さまざまな人たちと絡むとき、いっぽうてきに自分語りをしていたら確実に嫌われる。 それでも珍しいクルマ、貴重なクルマを所有していたら注目はしてもらえるだろう。あくまでも「はじめのうちは」という条件付きではあるが。 これに加えてSNSのコメント欄を見ていると、書き込まれたコメントにマウンティングしている人を見掛けることがある。投稿された内容に対して「俺は○○○を持ってる」とか「俺は○○○さんと友だち」といった、自己主張強めな内容が多い。マウンティングしなければ気が済まない人も確かに存在する。 ■2.当事者がいないところでリアル&SNSでの悪口 当事者がいないところでリアルまたはSNSで放った悪口が巡り巡って本人の耳に入る・・・というのは、どの世界でも同じ。思っている以上に世の中は狭い。「これくらいは気づかれないだろう」と油断していても、たいていは本人の知るところとなる。その内容といえば嫉妬や妬みの類いだったりする。 そして、本人の知る頃には話に尾ひれがついて、かなり誇張されていることも少なくない。こうして逆鱗に触れ、お互いに絶縁状態となってしまう。傾向としては、InstagramやFacebookなどのストーリー(24時間で投稿が消える仕組み)がよく使われるようで「ターゲットにされた当事者はもちろんのこと、その周囲にいる人も誰に対していっているのか分かる」のが特徴だ。こういった陰湿な行為に嫌気が差して、長年所有していたクルマを手放した人も実在するので要注意だ。 ■3.リアル&SNSで他人の愛車を批評 傾向として割とベテランオーナーさんに多いよう。頼んでもいないのに「ここはオリジナルじゃない」とか「ここは●●の方が似合うから替えた方がいい」といった批評をはじめる。そんなこと頼んでいないし、オーナー自身がよく分かっている。つまり、余計なお世話なのだ。 悪質なものになると、批評に加えて点数で評価したりするからタチが悪い。その評価基準もあいまいで、しかも極めて主観的だったりする。どれほどすごいクルマを所有していたり、強力なネットワークを持っている人でも、この行為が常態化していると、かなりの確率で敬遠される。 ■4.自分が困ったときだけ連絡してくる 意外に多かったのがこちら。自分が困ったときだけ連絡してくるケースだ。 出先で故障したから助けに来てほしい、調べものをしているけれど分からない、当日になっていきなり暇だからツーリングでも行きませんか?と連絡が来る・・・等々。自分の都合が優先で相手のことはお構いなし。 時間と手間を惜しんで助けてあげても、何のフォローもなし。逆にこちらからお願いごとをしてみても素っ気ない・・・。こんなことを繰り返していたら人は離れていくに決まっている。 ■5.派閥作りが好き やはりというか、予想通りというか「派閥作りが好き」な人も敬遠される傾向が強い。 自分と気の合う、またはいうことを聞いてくれるイエスマンばかりを贔屓して、それ以外の人は除外またはスルー・・・。やがてグループやクラブ内で内紛を引き起こし、その結末は空中分解・・・。グループに属した経験がある方なら、いちどは巻き込まれたことがあるかもしれない。 これはいつの時代も、どのクルマのジャンル(もちろんクルマ以外の世界でも)日常茶飯事のようだ。10年経っても同じようなことでトラブっているはずだ。やれやれ。 ■結論:クルマ趣味を通じて「友人に囲まれる人」と「孤立する人」の違いとは? この問いに対する答えがあるとしたら、それは「ギブ・アンド・テイクができるか否か」のように感じる。 結果的に相手から「テイク」することばかりしている人は、やがて周囲から人が離れていき、仕方なく別のグループに顔を出して、やはりそこでも・・・というパターンを繰り返す傾向にある。そしていつしかトラブルメーカーのレッテルを貼られてしまうのだ。 不思議なもので「孤立する人」の多くが「悪いのは相手で、正義は我にあり」の思考から抜け出せないことが多い我が強いのか、自分が負けたと思うのか・・・。 そこに気づいて行動を変えるだけで、(多少の時間が掛かっても)いつかは「友人に囲まれる人」になれるはずだ。 [画像/Lamborghini,Adobe Stock・ライター/松村透]
旧車&ネオクラシックカーオーナーを取材するときに必ず尋ねていることがある。それは「旧車(ネオクラシックカー)に乗るには果たして『覚悟』がいるのか」という問いだ。 この問い対して、これまで取材してきたほとんどのオーナーが「覚悟がいる」と答えてくれた。実体験を伴うだけに説得力がある。 では実際に「旧車に乗るには果たして『覚悟』がいる」のだろうか。7つの理由を元にひもといていきたい。 ■理由1:部品調達のリスク 旧車、そしてネオクラシックカーと呼ばれるクルマも含めて、もう数十年も前に生産を終了している「絶版車」だ。いうまでもなく、純正部品もはるか以前に生産終了(欠品)か製造廃止になっていて当然と思った方がいい。一部の輸入車、そして日本車メーカーも絶版車の純正部品の再生産を行っているが、特定のモデルにスポットライトが当たっているような状況で、ほとんどのモデルの部品はネットオークションなどを駆使して入手するしかない。 国内専用モデルとして販売された国産旧車およびネオクラシックカーよりも、世界各国に輸出されたメーカーのモデルの方が部品を入手できる確率が高い。また、一部のモデルはリプロパーツが出回っており、純正品にこだわらなければ入手にはそれほど困らないモデルもある。分かりやすい例を挙げると、クラシックミニやフォルクスワーゲン ビートル(タイプI)がその代表例といえる。 ■理由2:故障のリスク どこかのメーカーの格言ではないが「最新は最良」であることはひとつの真実だと思う。先代モデルよりも進化し、クルマとしての性能が相対的に向上しているからだ。その反面、旧車およびネオクラシックカーは古くなるいっぽうだ。いつ何時故障するか分からない。前触れがある場合もあれば、突然やってくることも少なくない。そのリスクは最新モデルより間違いなく高いといえる。 要はこの「故障のリスク」と向き合える覚悟があるかどうか、自分の胸に手を当てて問うてみればいいわけだ。最新モデルではまずありえないような、出先で故障して帰りはバスか新幹線で・・・なんてことも現実的に起こりうるかもしれない。実際に故障するかもしれないし。しないかもしれない。ただ、その確率は現代のクルマより確実に高い。旧車に乗る以上、そのリスクを常に意識しておく必要がある。 ■理由3:信頼できる主治医の存在 旧車ライフにおける生命線のひとつといえるのが「信頼できる主治医や専門店の存在」だと断言できる。「オーナー兼主治医」という人であれば、時間と手間と予算を気にせず思う存分メンテナンスに費やせるが、ここまでできる人はさすがに少数派だろう。そうなれば、大なり小なり、そのクルマに精通した主治医や専門店の腕とノウハウに頼ることとなる。 オーナーよりも愛車に精通し、適切なアドバイス、そしてメンテナンスを施してくれる。適切なエンジンの始動方法から、暖機運転の方法、アクセルおよびクラッチワークのコツ・・・などなど。もはや主治医であり、師匠とも呼べる存在ですらある。 ■理由4:「ヨコのつながり」の大切さと重要さ クルマ趣味のなかには頑なに仲間を作らず、黙々と楽しむ人がいる。あくまでも趣味なので個々の自由ではあることを前提として、やはり「ヨコのつながり」は大切にした方がいいと思う。おすすめの主治医やショップ、クルマや部品の売買情報、トレード、ツーリングや忘新年会の連絡など・・・。ここで得られる情報は恩恵は計り知れない。 それゆえ、敢えて最初はお互いに深入りせず、時間を掛けて連帯感と信頼関係が揺るぎないものへと変わっていく。接点はクルマのみ。幼なじみとは違う、趣味を通じて知り合った大人の関係だ。たまにはイヤなヤツもいるが、不思議と自然淘汰されていくから心配はいらない。むしろ、自分が淘汰される側にまわらないように注意する必要がある。 ■理由5:自身でどこまでメンテナンスできるか エンジンを掛けようと思ったら始動しない、出先で故障して動けなくなった。その都度、ショップや主治医にSOS発信をすれば、例え休日であっても救援に来てくれる可能性が高い。しかし、それには当然ながら費用が発生する。これらをタダでお願いしようと思うこと自体がナンセンスだ。 それであれば、ある程度は自分自身でメンテナンスや修理できた方がいい。愛車のコンディションをもっとも把握しているのは主治医であったとしても、オーナーにとってはブラックボックスである領域が多いことも事実。主治医によっては、オーナーが勝手にいじくることを嫌う人もいるので、相談しつつ、落としどころを探るといいかもしれない。 ■理由6:快適装備とは無縁 これは「言わずもがな」だと思われるが、現代のクルマで当たり前に装備されているエアコンやカーナビ、パワステ、パワーウィンドウ、シートヒーターなどの快適装備は期待しない方がいい。特にエアコンは、年代よっては装備されていないモデルも少なくない。きちんと動作するかはさておき、よくてクーラーだろう。 暑いだの寒いだの疲れるだの、乗るたびにストレスになるようなら旧車およびネオクラシックカーは向いていないと思った方がいいかもしれない。 ■理由7:1台ですべてをこなすのはほぼ不可能 記事やYouTubeなどの動画でサラリと「このクルマ(旧車)1台でなんでもこなしてます」といった具合にオーナーが紹介されていることがある。しかし、いったん冷静になってみて考えて欲しい。「他の人とはあきらかに違う何か」があるから取材対象となるのであり、インパクトがあるのだ。同じ土俵で考えない方がいい。 買い物や家族の送迎などの短距離走行、大雨のなかで走ることもあるだろう。ゲリラ豪雨のなか、エンジントラブルで立ち往生したらなす術もない。雨漏りしてくる可能性も大いにある。錆だって進行する。コンディション維持を考えたらなにひとついいことはない。万能に使える足車が必須となってくる。1台ですべてをこなすのはほぼ不可能だと思っておいた方がいい。 ■まとめ:やせ我慢の美学?結論として「覚悟はいる」 筆者自身、1970年製の旧車を所有しているが、イベントのときなどは真夏でもクルマを走らせることがある。エアコンはもちろんクーラーすら装備されていないから暑いことこのうえない。充電式の小型扇風機を室内に持ち込んでまわしてみるのだが、熱風をかきまわすだけでちっとも涼しくならない。 それでも、現代のクルマでは決して味わえない、ダイレクト感、直結感は何ものにも代えがたいものがある。運転中はBGMはおろか(そもそもオーディオレスだ)、水を飲むことさえ忘れるくらい運転に没頭できる。 不便さを差し引いてもあまりある魅力にあふれているからこそ、エアコンレスだろうが何だろうが苦にならないのだ(大変だけど)。旧車およびネオクラシックカーでしか味わえない世界を知ってしまったら最後。「やせ我慢の美学」といえばそれまでだが、多少苦労してでも古いクルマならではの魅力を選ぶか、現代のクルマならではの快適性が享受できるなかでクルマ趣味を謳歌するのかは人それぞれだ。 [撮影&ライター・松村透(株式会社キズナノート)]
1954年製メルセデス・ベンツW196 R ストロムリニアン ヴァーゲンのオークションが、このほどドイツで行われグランプリレーシングカー史上最高額(約80億円)で落札されました。メルセデス・ベンツの旧車は人気がありますが、その理由を一緒に探ってみましょう。 ■F1で優勝した伝説のマシン ドイツ・シュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ博物館は2月1日、W196 R ストロムリニアン ヴァーゲンのオークションを開催。すると、みるみるうちに入札金額が釣り上がっていき、最終的に5115万5000ユーロ(約80億円)という、グランプリレーシングカーとして史上最高額で落札されました。 このマシンは2.5リッター直列8気筒エンジンを搭載し、最高時速300km/hを誇り、1950年代半ばにF1シーンを席巻。2シーズンかけて257馬力から290馬力まで性能が向上しました。 当時のF1ルールはホイールカバーを禁止しておらず、伝統的なオープンホイールと、重量を上回る空力性能に賭けたクローズドホイールのボディ・デザインがありました。 幅広で重心が低く滑らかな流線型のボディには、アルミニウムよりもさらに軽いマグネシウム合金が使われ、重量はわずか40kgでした。 W196 R ストロムリニアン ヴァーゲンは1954年フランスグランプリでデビューすると、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオとカール・クリングが1位・2位でフィニッシュ。 1955年アルゼンチングランプリでは、ファン・マヌエル・ファンジオが母国で優勝を飾りました。 ■流線型ボディは世界にわずか4台 このモデルのマシンは14台しか製造されておらず、1955年のF1シーズンを生き抜いたのは10台。そのうちエレガントな流線型ボディのものは、わずか4台しかありません。 今回、オークションに出されたマシンは、1965年にメルセデスが米国インディアナポリス・モーター・スピードウェイ博物館に寄贈したものです。このモデルが個人所有になるのは、今回が史上初となります。 当時メルセデスのマシンは、銀色のボディから「シルバーアロー」(銀の矢)という愛称がつきました。 1世紀以上の伝統を持つメルセデスのブランドイメージと美しいデザインと希少性。そしてF1を戦った歴史が刻まれたことで、このマシンに高値がついたといえるでしょう。 ■カーオークション史上最高額もメルセデス・ベンツ ちなみに、クルマのオークション全体における史上最高の落札額は、2022年に記録された1億3500万ユーロ(約211億円)で、1955年製メルセデス・ベンツ 300SLR ウーレンハウト クーペです。 今回の80億円は、クルマのオークション全体では史上2位となります。こちらでもメルセデスが1・2フィニッシュとなりました。 今回の約80億円という落札価格は驚きですが、主催者側の事前の予想とほぼ一致していたということです。 2013年に英国グッドウッドでオークションにかけられた1954年製メルセデス・ベンツW196は、1960万ポンド(約36億円)で落札されました。こちらは、この段階でカーオークション史上9位の高値となっています。 ■廃車場で半世紀も放置されていた300SLが14億円に その他にもメルセデス・ベンツのクラシックカーが高値で落札されている事例があります。 メルセデス・ベンツ300SLは、カモメの翼のように上に開くガルウィングドアが特徴のスポーツカーで、コレクターの間で人気が高いモデルです。アメリカでは、2024年に930万ドル(約14億円)で売却されました。1956年製メルセデス・ベンツ300SLの29台製造されたうち、26台目にして唯一エクステリアが黒でインテリアが赤のものです。廃車場で半世紀も眠っていた掘り出し物で、よくぞスクラップにしなかったと拍手が送られたことでしょう。 超高級車として知られるメルセデス・ベンツ600(W100)ですが、長いルーフと6ドアのランドーレットのものは9台しかなく、そのうち、ヨシップ・ブロズ・チトー元ユーゴスラビア大統領が乗っていた1台は、2017年にイギリスで250万ポンド(約4億7000万円)で売却されました。 メルセデス・ベンツ190E 2.5-16 エボリューション IIは500台限定で生産されたモデルで、国内外で高値で取引され5000万円以上の値がつくこともあります。 ■質実剛健でステータスの象徴 私たちが日常よく目にするメルセデス・ベンツも、やはりラグジュアリーカーというイメージが定着しています。 メジャーな高級車で富裕層の間で人気があり、オーナーのステータスを象徴する存在になっています。 メルセデス・ベンツは、いかにもドイツらしい質実剛健な設計哲学に基づき造られています。非常に耐久性がありブランド力もあいまって、中古車市場で高値で取引されています。 企業の重役がベンツの中古車を購入して乗っているのをよく見聞きします。 一般的に新車は、購入したその日から価値が落ちていきます。メルセデス・ベンツの中古車は比較的、高値で売り買いされています。首尾よくお得な価格で購入しておけば価値が下がりにくく、いざというときにほぼ同じ金額で売却できる可能性があります。 普段は便利な移動手段で、ステータス・シンボルとしてしっかりと役割を果たし、現金が必要になったら高値で売ることができるのです。メルセデス・ベンツに乗っている社長は、意外と堅実な経営者ということでしょう。 ■まとめ メルセデス・ベンツの希少価値があるクラシックカーは、世界的に随一の高値がつくことが分かりました。 高性能で耐久性に優れ、信頼性は高いものがあります。また、伝統と実績に裏打ちされたブランドイメージもあり、ステータスを確立しています。 そして、一般的なメルセデス・ベンツの中古車も資産価値が高くなっています。高級車のなかで比較的、売り手も買い手も多い大きな市場を形成。つまり、売るのにも買うのにも選択肢が多いクルマだということです。 誰でも気軽に手が出せるわけではありませんが、予算に余裕があれば検討するに値するクルマということができるでしょう。 [画像/Mercedes-Benz・ライター/Takuya Nagata]
「自分のクルマを売ったら、いくらになる?」と考えたことはありませんか。金額は、おそらく購入したときより低くなることを想定したでしょう。しかし、クラシックカーは、買ったときよりも高く売れることがあります。 クラシックカー投資には、愛好家やコレクターだけではなく投資ファンドも参入しています。つまり、それだけ儲かる可能性があるということなのです。 日本の状況も交えながら、海外で盛んに行われているクラシックカー投資について紹介します。 ■クラシックカー投資とは? クルマの価値は、一般的には経年劣化とともに下がっていきます。しかし、コレクターに人気がある一部の車種については市場価値が上昇することがあります。 クルマは、所有することに喜びがあり、便利な移動手段なだけではなく、資産でもあるのです。 クラシックカー投資は、ヴィンテージカーや希少な車両を購入し、長期的に価値が上昇したら売却する投資手法です。これらのクルマは、デザインや製造数、逸話などが要因となり、市場価値が高まることがあります。 たとえば、フェラーリ250GTOやポルシェ911の初期モデルなどは、コレクターの間で高値で取引されています。2018年には、1962年製フェラーリ250GTOが、オークションで4800万ドル(約52億円)で落札され、大きなニュースとなりました。 ■海外のクラシックカー市場について 歌手やハリウッドのセレブにも、クルマコレクターが多くいます。たとえば、レディー・ガガ、ニコラス・ケイジ、アーノルド・シュワルツェネッガー、リチャード・ギア、ローワン・アトキンソンといった面々です。有名人が所有すると、オークションの際により一層、価値が高まります。 海外ではクラシックカーの取引がとても盛んです。特にヨーロッパやアメリカでは、大規模なオークションや展示会が定期的に開催され、多くの投資家やコレクターが集まります。 主要なクラシックカーイベント ●ペブルビーチ・コンクール・デレガンス(アメリカ): カリフォルニア州の有名なゴルフ場で開催されるクラシックカーイベントで、よりすぐりのクルマが展示され、オークションも行われます。 ●グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード(英国): リッチモンド公爵家が主催する由緒正しき催しです。希少なクラシックカーが公道やサーキットで走る姿を見ることができます。 このようなクラシックカーのイベントでは、プロの鑑定士が車両の価値を査定し信頼性が高い取引が行われます。そしてクラシックカーの希少性や保存状態の評価によって、価格が大きく変動することがあります。 ■クラシックカー投資の魅力とは? ●希少価値: 生産台数が少ないモデルは、人気に応じて市場価値が上昇する傾向があります。 ●デザインと芸術性: クラシックカーの多くは、現代のクルマにはない独特のデザインや味わいがあります。 ●資産の分散: 株式などとは異なり、クラシックカーは実物資産として投資ポートフォリオに多様性をもたらします。仮に株価が暴落してもクルマの価値への影響は限定的です。また、金融市場のボラティリティ(変動)に比べたらクラシックカーの価値の推移は、なだらかです。 昨今は、日本でもインフレに転じていますが、そうすると現金の価値は目減りしていきます。クラシックカーは、インフレにも強いのが利点です。これは金や不動産、腕時計の投資にも同じことが言えます。 ●クルマ愛好家にとって最高の体験: クルマ好きの人にとって、クルマを購入し所有して、手入れをするだけで大きな喜びです。そんなコレクションに将来、高値がつくかもしれないと思うとワクワクします。 ■クラシックカー投資において注意すべき点とは 投資にはリスクがつきもので、クラシックカー投資も例外ではありません。 ●維持費: まずクルマを管理する駐車場や車庫が必要です。運転しないとしても、大事な資産ですので保険をかけるのが無難です。クルマは機械ですので経年劣化していきます。クラシックカーのメンテナンスは高額な傾向があります。パーツの入手が難しく、修理は専門の技術者への依頼が必要な場合があり、維持費がかさみます。 ●市場の流動性: 株式や債権と比べると、クラシックカーの市場は流動性が低いです。適切な買い手を見つけるまでに時間がかかることがあります。急きょ、現金が必要なときには不向きです。 ●価値の変動: 市場のトレンドや需要により、クラシックカーの価値は変動します。必ず価値が上がるわけではないことを理解しましょう。クルマとしての性能は何もしなければ次第に劣化していきます。新車より中古車が低価格なのはそのためです。それ以上に価値が上がる何かを持っているクルマ、あるいは価値が上がる可能性があるクルマを選ぶことが重要です。 ●偽物の流通: 高価なクラシックカーに似せて偽造された車両が出回ることがあります。不安がある場合は、専門家によるチェックを推奨します。 ■日本のクラシックカー事情について 日本でも、旧車への関心は高まっています。例えば、トヨタ2000GTや日産スカイラインGT-R(ハコスカ)など、日本のクラシックカーは国内外で人気があります。 日本でもクラシックカーのイベントが各地で開催され、愛好家の交流の場となっています。 海外に比べると日本のクラシックカー市場は、まだ成長途上です。今後、さらに発展していくことを期待しましょう。 ■敷居が高いと感じる人のための奥の手とは 「価値が上がるまで気長に待ちたくない。短期間で成果を出したい」という人は、壊れているものの潜在的な価値が高いクルマを入手して修理したりカスタムパーツをつけたりするのはいかがでしょうか。手間暇はかかりますが、短期間でクルマの価値を高めることが可能です。 クラシックカー投資には、ある程度まとまった資金が必要になります。「予算があまりないけどクルマ投資をしてみたい」という人は、中古車市場であまり買い手がつかない手頃なクルマを購入して、レストア(復元)や修理をして、再び中古車市場で販売するという手もあります。低価格帯のクルマは長期的な価格の上昇幅が小さくなりがちですので短期決戦で売り手を見つけるのが懸命でしょう。 ■まとめ ラシックカー投資は、腕時計投資やアート投資、ワイン投資に近いものがあります。 脱炭素の流れで煙たがられがちなエンジン車ですが、EV化が進んでいることから将来的に骨董品として価値が上がることが期待できます。現在の機関車の価値を想像してみてください。 ハイリターンを狙うなら、価値が上がりそうなクルマを入手して長期的な価値の上昇をゆっくりじっくり狙うのが良いでしょう。 「真剣に売却益を追い求めるのか」もしくは「趣味の延長として行うのか」。自分はどちらが向いているかを考えてみましょう。 [画像/Porsche, Lamborghini, Mercedes-Benz, Toyota, Rolls-Royce・ライター/Takuya Nagata]
「老婆心」という言葉があります。曰く「余計なお世話だと分かってはいるけれど、敢えていわせて・・・」という意味合いです。端から見れば、老婆心というよりも老害丸出し。 ただ、そこには「気づいてからでは遅いのよ」というメッセージが込められていることも事実です。もしよかったら聞いてやってください・・・。 ■10年後・20年後に手が届かない存在かもしれない 多くの人がもしやと思い、同時にまさかここまでとは!と感じているのではないでしょうか。いわゆる旧車およびネオクラシックカーの価格高騰です。コンディションが良くなった分が価格に反映されて高くなった・・・のではほぼありません。そのままの状態で相対的に値上がりしている個体も含まれます。 欲しいクルマはあるけれど、あれこれと条件をつけて妥協せず、とうとう買い時を逃した人を何人も知っています。ちなみに、自分のその1人です。「欲しいと思ったときが買いどき」は事実です。迷っているとあっという間に5年、10年と時が過ぎていき、結果としてタイミングを逸し(あるいは気持ちが冷めてしまい)、買い時を逃してしまうのです。 ■結婚したら乗れないかもしれない 取材していると「結婚して子どもが生まれても2ドア(3ドアハッチバックタイプ)のクルマに乗りつづけた」というオーナーさんと、そのご家族にお会いすることがあります。身重の奧さんを助手席に乗せて産婦人科へ連れて行き、無事にお子さんが生まれたあとはリアシートにチャイルドシートを載せ、そこに赤ちゃんを乗せてそれぞれの実家に帰省・・・なんて聞くと「奥さまは心が広いなあ・・・」と思ってしまいます。 日本の路上にミニバンが溢れている理由、それは子育て世代の理に適っているからです。狭い駐車場でも電動でドアがスライド式に開閉できて、箱形ゆえに室内が広くて、リアシート用にモニターを追加すれば、大人しくトトロを観て、飽きたらそのうち子どもたちが寝てくれる(こともある)からです。パパの希望や本音とは無関係に、家庭の平和のために、ミニバンに乗り換えざるを得ない現実がそこにあることも事実です。 ■乗りたくても時間がとれないかもしれない 年齢を重ねるにつれて会社でも立場が偉くなり、その分、責任も重くなり・・・。仕事量が激増して帰宅後に仕事をしたり、休日出勤することも増えてきます。さらに家族がいれば、自分の時間なんてほぼ無きに等しいのです。奧さんと子どもを置いてパパが遊びほうけていたら・・・。ある日突然、帰宅したら家のなかがガランとしていて奥さんと子どもが家を出てしまった。そのまま音信不通で、結果として離婚・・・なんてことになりかねません。 奧さんに「たまには遊びに行かせやってもいいか(仕方ないか)」と思わせるくらい、普段から家事育児をしっかりこなし(手伝うや協力はNGワード)、バッチリポイントを稼いでおく必要があります。子どもが大きくなれば、自然とお父さんの自由(放置ともいう)時間も増えていきますから、そのときまでの辛抱です。・・・というより、お子さんとの時間を大切にしてください。振りかえるとあっという間に過ぎていますから。 ■気力・体力的に厳しいかもしれない どれほど体を鍛えていても、節制をしていても、老いには勝てません。こればかりは何人たりとも避けてとおれない宿命のようなものです。ふと、時間があいたときに、若いころなら「よし!走りに行くか!!」と出掛けていたものが、いつしか「今日は疲れたから寝よう・・・」という思考に切り替わります。つまり、おっくうになるのです。もちろん、そうでない人もいますが、少数派です。 さらには長時間、フルバケットシートに座っていると腰が痛くなってくる。車中泊をすると体が痛い、夜間に走行すると目がチカチカする・・・。いずれも若いときには想像もつかないような「老い」を実感するときが必ず訪れます。気力があっても、体がいうことを聞かなくなってきているのです。 ■法改正があるかもしれない いまでも、新規登録から13年経過したガソリン車およびLPガス車は自動車税が約15%増加します(電気自動車やハイブリッド車などのエコカーは対象外)。また、ディーゼル車は11年で税率が重くなります。さらに重量税は新規登録から13年経過で約15%(ガソリン車)、そして18年経過するとさらに加算されます。しかも、1年おきまたは車検のたびに加算された分を含めた金額を納税しなくてはなりません。ただでさえ、古いクルマは維持費が掛かることが多いのに、さらに出費がかさむのです。 ここ数年、あるいは最新モデルを手に入れたいのであれば問題ありません。しかし、今後、この税率がさらにあがったり、別の税率が加算されるなど、さまざまな形で旧車およびネオクラシックカーオーナーを苦しめる可能性があります。 ■まとめ:「欲しいと思ったときが買いどき」。それを逃すと手に入らなくなる 繰り返しになりますが、クルマに限らず「ほしいと思ったときが買いどき」であることは確かです。この先、もっとよい条件のクルマが見つかるかもしれないとか、もう少し待てば安くなるかもしれないなど・・・「かもしれない」に期待しすぎると、結果として買いどきを逃してしまうのです。 大きな買い物をする以上、大なり小なりリスクは避けられません。金銭面では厳しいこともあるでしょう。食費を抑えなければならないこともあるかもしれません。しかし、どこかのタイミングで意を決する必要があるのです。それにはなるべく自由度が高く、気力と体力が充実している若いときに決断をした方が思う存分楽しめるということを、老婆心ながらお伝えできればと。・・・などと書き連ねつつも、そんなこと、余計なお世話ですよね。 [ライター・撮影/松村透]
取材を通じて、さまざまな20代のクルマ好きの方と知り合う機会がある。そして取材を終えるたびに、赤い彗星シャア・アズナブルことクワトロ・バジーナ大尉が機動戦士Zガンダムの劇中で放った「新しい時代を作るのは老人ではない!」の台詞が脳内でフラッシュバックする(「なんのこと?」と思ったら、友人知人のガンダム好きに聞いてみてください。喜んで教えてくれます)。 劇中のシャア(クワトロ・バジーナ)の年齢は27歳という設定。いまでこそ20代の発言とは思えないと感じるが、このシーンをリアルタイムで観たのは小学生のとき。当然ながらものすごく年上の人が発しているセリフに思えた。妙に大人びて見えたシャア(クワトロ・バジーナ)の「新しい時代を作るのは老人ではない!」の台詞は、小学生のガキンチョには理解不能で、いまだに記憶に残っているほどだ。そしていつの間にかアラフィフになってしまった現在、この台詞がボディーブローのように効いてくる。 なぜなら、20代のクルマ好きの人たちと話をしていると、もう、明らかに自分が新しい時代を作ろうとしている世代の人たちとは違う星?の住人であることをを否が応でもでも実感してしまうからだ。もちろん、この内容自体が老害発言であることは自覚しているつもりだが・・・。 敢えて自戒の念を込めて、ギャップに感じたことをいくつかまとめてみた。 ■1.もしやインターネットの恩恵?初対面同士でも和気藹々 かつてプロ野球では、他球団の選手との交流(特にグラウンド上)は御法度だったという。しかし最近では、1塁ベース上で他球団の選手同士が楽しそうに会話をしている光景を見ることがある。WBCやオールスターなど、球団の枠を超えて同じチームで戦えば、チーム(ライバル球団)の垣根を超えて関係性がより深まるだろう。ましてや、お互いにライバルであっても敵ではないのだから、これはこれでいいのかもしれない。 翻ってクルマ界隈の話。かつて、走り屋が集まるようなスポットにやってくるクルマとそのオーナーたちは一匹狼的な人か、仲間同士でつるんでいるようなイメージがあった(もちろん、地域や場所によって違いはあると思いますが)。 しかし現在は、深夜のパーキングエリアなどに集まっている人たちを見ていると、初対面同士でも和気藹々と楽しそうに話している。事実、カッコいいと思ったクルマの所有車と思しき若い人に筆者が話し掛けてみて素っ気ない(いわゆる塩対応)だったことはほとんどといっていいほどなかった。むしろ、お父さん世代の方が「話し掛けるなオーラ」が出ていることが多い気がする。 ■2.リア充度高め 一昔前のクルマ好きというと、男同士でつるんで女性とは縁遠い…というケースも珍しくなかったように思う。手塩に掛けて造り上げた愛車を手放し、結婚資金や指輪代に充てたというエピソードを、数え切れないほど聞かされた。人はこうして大人になっていくのだろうか・・・。 (単なる偶然かもしれないが)取材先で知り合う20代のクルマ好きの人たちの仲間に、女の子が混じっていることが多い(しかもかわいい子が多い!)。フットサルやポケモンGOなど、さまざまな娯楽のひとつにクルマ趣味があって、アングラ臭がしないのだ。彼氏がクルマ好きで、仕方なくついてきている(なので機嫌悪い)・・・そんな時代を経験してきた身としてはうらやましい限りだ。 ■3.見た目やんちゃだけど、バリバリ稼いでいる ちょっといかついクルマに乗っていて、昔だったら明らかにやんちゃな格好をしている人に取材するべく話し掛けることがある。正直「この人に話し掛けて大丈夫かなあ」と思うこともある。ところが、いざ話し掛けてみると、拍子抜けするくらいものすごく好青年で、しかもかなりディープなクルマ好きだったりする。見掛けで判断してはダメだなと猛省した次第だ。 ちょっといかついクルマに仕上げるまでの試行錯誤やこだわりも興味深い。絶妙な車高を導き出し、実用性を兼ね備えるまでいかに大変だったとか、愛車に掛けるこだわりだとか、かなりの研究を重ねていることが分かる。「若いし、独身だから無茶できるんでしょ?」というおじさん世代からのイヤミが聞こえてきそうだが、さにあらず。妻子がいて、ローンを組んで家を持ち、仕事もバリバリこなしているような方も少なくない。 「昔は結構やんちゃしてたっスけどね」といいつつ、バリバリを仕事をこなし、実際、結構稼いでいるようだ。そうでなければ、家族を支え、マイホームを手に入れて、なおかつ現行モデルのトヨタ アルファードにフルエアロは組めないだろう。仮に共働きだったとしても、たとえ残クレで手に入れたとしても、それなりに稼ぎと社会的な信用(きちんとローンが組める)がなければこの構図は成り立たない。「将来、独立して稼げるようになったら、ベンツのSクラスを新車で買ってみたいっスよね」も、ビックマウスでもなんでもなく、数年後にはあっさりと実現していそうな気がする。 ■4.原体験で決まる。父親がクルマ好き 話を伺っていると、父親がクルマ好きで、気づけば自分も…という方が多い。泣かせるエピソードとして、ステアリングや追加メーターなど、父親が若いときに愛用していた部品を受け継ぎ、自分の愛車に取り付けているという方が何人もいた。反面、父親がクルマ好きで、息子さんはさっぱり興味なし、というケースも少なくない。その分岐点はどこにあるのだろうか?ちょっと本気で研究してみたい。 父親が憧れや尊敬の対象であったり、大人になったいまでも良好な親子関係を築き、会えばエンドレスでクルマ談義。目下、電車大好きの5才の息子がクルマ好きになってくれるかは未知数だけど、仕事で借りてきたクルマを見せたり、助手席に乗せたりするなどの「原体験」になるような種まきはしているのだが、果たして・・・。 ■まとめ:いつの時代も「新しい時代を作るのは老人ではない?」 かつてNHKで放映されて、最近になって復活した「プロジェクトX」。放送開始から割と初期の段階で「執念の逆転劇 世界を驚かせた一台の車/名社長と闘った若手社員たち」という特集が組まれた。要約すると、アメリカの排ガス規制法である「マスキー法」に、ホンダの当時の若手社員が奮起してCVCCエンジンを開発し、見事世界で初めてクリアするというストーリーだ。当時の社長であった本田宗一郎は、手塩に掛けて育ててきた若者たちの成長した姿を見るにつけ、その座を退いたという。 「ったく、若いモンのクルマは…」などと思っている老害の方が危険かもしれないと思うことも正直ある。もちろん、筆者も例外ではない。もう、若くはない。認めたくないけれど、退化(老化)がはじまっている。かつてやんちゃをしていたはずのおじさん世代の方も、もうその感覚を忘れてしまっているのかもしれない。 取材を通じてさまざまな世代の方と接して感じるのは、年齢を重ねた方のほうが「えっ…」と思うことが(正直いって)少なからずある。社会的地位が上がるにつれて「バカヤロー、ふざけんな!」と怒鳴りつけられることも少なくなるからだろうか。それなりのクルマに乗る以上、それに相応しい人格も持ち合わせていなければ…と、自分への戒めとして考えるようになった。20代の方々と頻繁に接するようになり、自分が知らず知らずうちに「老害」になっていないか、あるいはこれから先、なってしまうのではないか?常に冷静になって見極めたいと思う。 [画像/TOYOTA,Honda,Adobe Stock・ライター&撮影/松村透]
年に数回「コレクションの一部を引き取ってほしいんだけど・・・」と相談を受けるのは筆者だけだろうか。 気持ちが分かるだけに引き取りたいのはヤマヤマだが・・・実はこちらも断捨離のまっ最中。ここでふたたびコレクションが増えたら・・・家族に何をいわれるか分かったものではない。 そうこうしているうちに、なんだかんだで今年も残り2ヶ月となってしまった。そろそろ忘年会シーズンに突入だ。そして、年末の大掃除のことも考えなくてはならない時期でもある。 そこで今回は「ベテランコレクターは決断の時!? 一念発起して膨大なコレクションを処分するべし!」と題してまとめてみた。 言わずもがなだと思うが、自他ともに認めるコレクターであれば、遅かれ早かれ決断しなければならないときが「必ず」訪れる。迷っているベテランコレクターの背中を押すきっかけになれば幸いだ。 ■寒い&暑い時期が来る前に覚悟を決める コレクションの多くは屋根裏部屋や押し入れ、倉庫など、空調設備が整っていないところに保管されていることが多い。それはつまり「暑いか、寒いか、暗いか。はたまた埃っぽいか」。そのいずれか(いずれにも)該当すると思われる。 筆者自身も経験があるのだが、暑くもなく、寒くもない気候のいい時期にコレクションを整理しないと、汗だく(または凍えながら)片付けをした記憶がフラッシュバックして、次に行うときにさらに腰が重くなる。2月に入るとスギ花粉に悩まされる人も多いだろうから、今の時期がベストかもしれない。 ■ヤフオクやメルカリに出品する コレクションの放出先として王道中の王道といえるのがネットオークション、主にヤフオクやメルカリに出品することだろう。多くのクルマ好きのセーフティーネット、そして駆け込み寺となっているのは知ってのとおりだ。 落札者とのやり取りや梱包および発送といった手間は掛かるが、思いがけず高値で落札されることもあり、苦労に見合う価値はあると思う。時間的な余裕があり、手間を惜しまないマメさがあるのであれば膨大なコレクションを資産に変えるもっとも有効な手段であることは確かだ。 ■友人や知人に代行して出品もらう 膨大なコレクションをどうにか処分したいけれど、ちょっと小遣い稼ぎもしたい。でもフリマは面倒。しかしヤフオクやメルカリに出品する方法が分からない・・・という人もいるだろう。それならば、パソコンやスマートフォンの操作に強い友人に代理出品してもらうという手もある。もちろん多少の謝礼を渡すことをお忘れなく。 そして、せめて落札後の梱包や発送くらいは自分でやろう(もしも、すべてを丸投げするなら、その分の謝礼も加算して渡したいところだ)。 ■フリマに出店してみる 1度にコレクションを処分するのは難しいかもしれないが、フリマに出店してみるのもありだ。梱包や発送の手間が省けて、ちょっとした小遣い稼ぎにもなる。「こんなの売れるのかな・・・」と思って出品したものが実は掘り出しもので買い手にめちゃくちゃ喜ばれたり、逆に秘蔵コレクションだと思っていた自慢の逸品が最後まで売れ残ったりするから不思議だ。 「これで一儲けしよう」と気負わなければゆるく楽しめるのでおすすめだ。ひとつ気をつけたいのは、他の出品者のモノを買わないこと。せっかくコレクションを減らしに来ているのにこれでは本末転倒だし(笑)。 ■コレクター気質の友人や知人に譲る ヤフオクやメルカリなどのネットオークションに出品してもいいのだが、同じ趣味を持つ友人や知人に譲るという方法も有効ではないだろうか。無償で譲るか多少のイロをつけるかは状況によるだろうが、相手も喜んでくれるに違いない(喜んでくれると思われるコレクションを譲る必要がありそうだ)。 ここぞとばかりにゴミ同然の不要品を紛れ込ませて押しつける人がいるが、それは御法度。このとき、誰が見ても不要なものを渡さないように心掛けたい。 ■手元に残すコレクションは5点以内 すべてのコレクションを放出するのはあまりにも忍びない。そこで、文字どおり「墓場まで持っていきたいコレクション」だけを残して、あとは処分するという作戦だ。ただし、5点以内など、厳格なルールを決めた方がいい。10点まで増やしてやってしまうとキリがないからだ。あれもこれもとなって結局絞りきれなくなってしまいかねない。 さらに、うっすらお気づきだと思うが、中途半端に残すとふたたびコレクションが増えていくことは間違いない。これは断言できる。自ら蒐集欲を完膚なきまでになくすことがそもそもの目的なのだから。 「ギリギリのギリ」までコレクションを減らし、厳選に厳選を重ねて3〜5点くらいにする。そして、これ以上増やさない。あれほど心血を注いだコレクションの大半を手放したショックでしばらくはかなり辛いと思うが、少しずつ慣れてくる(はずだ)。時間が解決してくれるのは失恋と同じ(はず)だ。 ■まとめ:一気に処分しようとするから辛いのよ 膨大なコレクションを一気にまとめて処分しようとしても1日で終わることはほぼないだろう。もしあるとしたら、全コレクションを友人知人にまとめて引き取ってもらうか、住まいがある市区町村のゴミ集積場に持ち込み、「ゴミとして」一気に処分してもらう方法くらいしかない。 処分すると決めた以上、早くすっきりさせたいと思う気持ちは分からなくもないが、段階的にコレクションを減らしていくことで、せっかくの貴重なアイテムを投げ売りせずに済むかもしれない。 いずれにしても、押し入れや倉庫の奥で眠っていたコレクションを、いまこの瞬間も血眼になって探している人が日本、あるいは世界のどこかに必ずいることを気に留めてみてほしい。捨てれば単なるゴミだが、しかるべきコレクターのところに嫁げば、立派な資産であり、資料やコレクションとなりうるのだから。 [ライター・撮影/松村透]
これまで、幾多のオーナーズクラブが生まれては消えることを繰り返してきた。そしてこの瞬間も「現在進行形」であり、10年後も、下手をしたら50年経ってもそれほど変わらないのかもしれない。 よくよく考えてみれば、人間が2人以上集まれば揉めごとが起こらないわけがない。共通のキーワードは、多くの場合「クルマのみ」という、非常に希薄な関係ともいえる。気がつけば疎遠になっていたり、自然消滅ということも少なくない。何しろ「苗字は分かるけど名前は知らない」といった程度の関係だからだ。 よくいえば絶妙な、裏を返せば実に危うい人間関係で形成されているオーナーズクラブ。今回は「不穏な空気は終わりのはじまり!? オーナーズクラブが空中分解する5つの前兆とは?」と題して、その前兆を考察してみた。 ■1.メンバー全員が参加しているLINEグループの投稿が減る NTTドコモ モバイル社会研究所が2023年4月17日に発表した統計によると、スマホ・ケータイ所有者のうち、LINEの利用率が83.7%に達するという。しかも、10~60代で8~9割以上が利用しているとのことで、もはやライフラインに近い。LINEアプリをインストールしていない人を探すのが難しいくらいだ。 そうなると、仲間同士の連絡網もLINEを介して行うのがもっともスムーズだ。さらにメンバーのみが閲覧・投稿できる非公開グループを作成すれば、普段の他愛ないやり取りからイベント等の業務連絡まで済ませることができてしまう。オーナーズクラブ管理者としては必須ツールだろう。 こうして作られたメンバー限定のLINEグループ。付き合いだしたばかりのカップルのように、クラブ創設直後はメンバー同士のやり取りが止まらず、日常生活が差し支えるほど(笑)。しかし、急速に熱せられたものは冷めるのも早いのが世の常。ある時期を境に倦怠期となり、気づけば1週間に数件。便りがないのは元気な証拠だとはいうけれど・・・。 ■2.内部分裂して別のグループが出来上がったうわさがたつ 本家LINEグループが妙に「過疎ってきている」場合、別のLINEグループが秘密裏に立ち上がり、そちらの方が盛り上がっている可能性もありうる。これこそが内部分裂、すなわち「空中分解」の初期段階ともいえるかもしれない。もちろん、メンバー同士で気の合う仲間同士が個別にLINEグループを作成し、よりフランクなやり取りをしている場合も大いにありうるだろう。 それくらいで収まれば何の問題もないのだが、メンバーの誰かが「本家のLINEグループがつまらないから」とか「いつも仕切る奴がいてうざい」などと愚痴りはじめたときは要注意だ。同じように思うメンバーが他にもいて、ヒミツのLINEグループになだれ込んでくる。そしていつしか、その噂は本家LINEグループでも話題になり・・・この時点で空中分解がかなり進行していると思っていいだろう。 ■3.リーダーの暴走 リーダーである本人にしてみれば「クラブの存続と発展のため」に身を粉にして頑張っているつもりかもしれない。しかし端から見れば単なるスタンドプレイ、つまり暴走しているとしか映らないこともある。人の話に耳をかたむけない、アドバイスを無視する、独断で決めてしまう。反対派をすみに追いやる。こうなると「裸の王様」そして「空中分解」の道へまっしぐらだ。 クラブ内の内部分裂が深刻化し、事実上「リーダー派」と「反リーダー派」に分裂してしまう。この時点で双方の関係修復はかなり困難な段階となり、定例MTGや忘新年会など「可能な限りメンバーは参加が好ましい」集まりが成立しなくなる。 ■4.自分の商売を持ち込む 参加しているクラブにその道のプロ(整備士やコーティングショップ経営者など)が参加していると、お友達価格で請け負ってくれたりと、かゆいところに手が届き、何かと頼りになることがある。相手も商売だし、このくらいの距離感で収まれば何の問題もない"Win-Win"な関係となりうる。 問題は「メンバーのクルマの整備は●●、コーティングは■■」といった具合に、なかば強制的に預けざるを得ない決まりができたときだ。メンバーそれぞれに付き合いやネットワークがあるだろう。その選択肢が奪われることは得策ではないといいきれる。しかし、これが分からないというべきか、自分の都合(商売)を優先してしまう人がいるのだから、困ったものである。 ■5.メンバー同士の男女関係のもつれ いわゆる修復不可能な遺恨を残す典型的な例が「メンバー同士の男女関係」だ。女性オーナーが増えきているとはいえ、クルマの趣味の世界はまだまだ男性の比率が高い。男性メンバー(さらには独身)ばかりの集まりのなかに、若い女性メンバーが加入してきたら・・・。「自分にもワンチャンあるかも」と期待しない方が無理というものだ。 こうしてメンバーの多くが、新入りの若い女性メンバーに対してアプローチを試みていたある日のこと、メンバーのひとりと女性メンバーが密会しているという噂が流れる。噂が噂を呼び、もはや犯人探し状態と化したすえ、女性メンバーに手を出したのが既婚者であるメンバーだと判明する。怒りが頂点に達したほかの男性メンバーたちは、そのまま勢いでクラブを脱退。こうして空中分解の悲劇が繰り返される。 ■まとめ:あえてどのクラブに入らないという選択肢も 同じクルマに憧れ、オーナーとなった者同士、思うところが一緒である以上、話があうのは当然のことかもしれない。しかし、冒頭にも記したとおり共通のキーワードは多くの場合「クルマのみ」という、非常に希薄な関係だからだ。関係がより親密になり、深入りするからこそ、あつれきが生まれることだってある。ならば無理に深入りせず、「苗字は知っているけどフルネームは分からない」くらいの距離感がいいのかもしれない。 繰り返しになるが、人が集まる以上、衝突は避けられない。揉めごとを避けたいのであれば、あえてクラブに入らないという選択肢もあるように思う。団体に属さず、気の合う人と個別に付き合うことで得られることもあるはずだ。 [画像・Mercedes-Benz,Adobestock ライター・松村透]
新しいクルマへと乗り換える。新車であればボディカラーやオプションなども、予算が許す限り自分好みに仕立てることが可能だ。 いざ納車されたら、安全装備やハードウェアの進化など、最新モデルならではの劇的なアップデートに驚き、戸惑うかもしれない。 これに加えて、新型車のメーターパネルを占める面積の多くが液晶パネルになった。スピードメーターやタコメーターの針もデジタル表示だ。さらに、ステアリングにあるボタンひとつで表示パターンが切り替えられるという。10年後、あるいは20年後、液晶モニターが壊れて部品が製廃だとしたらどうなるんだろうと懸念しているのは筆者だけだろうか…。 また中古車であれば、探しに探して、ついに理想の1台が見つかったときの高揚感は何ものにも代えがたい。たまたま見つけたのが深夜で、当然ながら掲載店は営業時間外。「朝イチで連絡するにしても、その前に他の人に買われてしまわないか」と、浮き足だって夜も寝られないほどだ。 ■長年一緒に暮らした愛車から乗り換えるとなれば話は違ってくる 翻って、10年または20年、あるいはそれ以上、一緒に暮らした愛車から乗り換えるとなれば話は違ってくる。すっかり馴染んだ「愛車」だけに、多くの場合、できるなら手元に置いておきたいというのが本音ではないだろうか。 もし、いま現在「一大決心をして長年一緒に暮らした愛車を手放そうか迷っている段階」だとしたら…よくよく考えてからの方がいいかもしれない。これまで積み上げてきたありとあらゆることがリセットされる可能性があるからだ。これが趣味車であればなおさらだ。 ■愛車に関するノウハウが(ほぼ)リセットされる 例えば、スカイラインGT-R(R32)からスカイラインGT-R(R34)に乗り換えたとしよう。この2台のエンジンの形式は同じだし、それぞれ「第2世代GT-R」というカテゴリーに属している以上、ある程度はこれまでのノウハウが活かせる可能性がある。しかし、仮にR32GT-Rからポルシェ911GT3(991型)に乗り換えたとしたら…。これはもうまったく別枠のクルマだ。 クルマそのものの乗り方や、想定されるトラブルのウィークポイントなど、これまで積み上げてきたありとあらゆるノウハウがいったん「リセット」される。 もしも、911GT3が人生初の左ハンドル仕様だとしたら、左ハンドルの運転から覚える必要がある。たいていはすぐに慣れるとはいえ、若葉マークの頃を思い出すほど緊張しても不思議ではない。 これに加えてMT車だった場合、右手でシフトチェンジする必要がある。さらに交差点で右折するときも思いのほか苦労するかもしれない。この経験を新鮮と感じられるか否か…。慣れるまで時間が掛かったり、いつまで経っても違和感が消えず、せっかく手に入れた愛車を運転すること自体がストレスになりかねない。 ■人間関係もリセットされる(かもしれない) クルマが変われば人間関係も変わる。スカイラインGT-Rをこよなく愛する仲間と、ポルシェ911にシンパシーを抱く人たち。それぞれに好みのクルマが異なる分、話題がかみ合わない。これに加えてクルマ+周辺の話題も異なる。そして何より、オーナー像も変わってくるに違いない。 かといって、もともとのグループに戻ろうとしても、すでに「見えない壁」がある。スカイラインGT-Rのツーリングに911GT3で参加したとして、1度くらいなら大目に見てくれるだろうが、2回、3回と続くうちにお互いに気まずい雰囲気になる可能性がある。 このように、まったくの別カテゴリーのクルマに乗り換えるとなれば、これまで積み上げてきた人間関係をもう1度再構築する可能性が高いことを認識しておいた方がいいかもしれない。 ■そして、主治医との関係もリセットされる クルマが変われば当然ながら主治医も変わる。困ったときは夜遅くでもLINEで連絡できたり、出先で故障したときはわざわざキャリアカーで迎えに来てくれたり。たまに主治医の工場に足を運んで、コーヒーを飲みながら他愛ない話をしたり…。そんな「ざっくばらんな関係」はゆっくりと時間を掛けて醸成させるものだ。 新たに知り合った主治医は、その界隈ではよく知られた「名医」だけれど、どうもソリが合わない。話していて気を遣う…。そういった微妙な距離感は相手にも伝わる。お客だからひとまず愛車の面倒を見てくれるが、できれば他に行ってくれないかな…と密かに思われているかもしれない。もしそうなってしまっては悲劇だ。もっと気の合う主治医がいないものかと密かに動いてみたりするが、主治医同士の横(水面下)のつながりで筒抜けということもありえるので、慎重に行動すべきだと思う。 ■まとめ:すべてをいちから再構築する気力があるかが問われる まったく別ジャンルの趣味車に乗り換えたら…これまで積み上げてきたノウハウや人間関係をすべて断ち切るくらいの覚悟で、新たなコミュニティを創りあげる。40代よりは50代、50代よりは60代、60代よりは70代と、年齢を重ねるごとにそのハードルが高くなっていく。首尾良く継続できたら、それはラッキーくらいに思っておいた方がいいかもしれない。 新たなコミュニティで、自分の子どもか、下手をすると孫くらいの年齢のクルマ好きから「そんなことも知らないんスか?」と突っ込まれ、屈辱を味わう可能性だってある。 とはいえ、そこで相手に噛みついた時点でアウトだ。結果として新たなコミュニティに馴染めず、孤立していくようになるとさすがに辛い。そしてはたと気づくのだ。「やっぱり売らなきゃよかった」と。しかし、長い年月をともにしてきた愛車は戻ってこない。昔の仲間とも疎遠になってしまった。気がつくと帰る場所がない。そのときに気づいても遅いのだ。 学生時代の友人のように気の置けない仲間との関係、頼れる主治医、そしてガレージにあるだけで気持ちが満たされる愛車の存在…。いずれも長い年月を掛けて少しずつ積み上げてきた歴史そのものだ。もし、いま、愛車(趣味車)を手放してでも乗り換えたいクルマあるとしたら…。 そして「新たな愛車(趣味車)を迎えることで得られるもの < 愛車(趣味車)を手放すことで失うもの」の公式が成り立つとしたら、よくよく考えた方がいいかもしれない。リセットボタンを押してしまってからでは遅いのだ。 [画像:日産,PORSCHE,Adobe Stock・ライター/松村透]
さまざまなオーナーインタビューを経験してきて思うのは「このクルマは一生モノ」といい切るオーナーが本当に多いことだ。仕事柄、たまたま熱量の高いオーナーばかりを取材しているだけで、実際には少数派なんだと思う。 ましてや、いまや残価設定ローン、サブスクリプションでクルマを所有する時代だ。期間が満了すれば新しいクルマに乗り換える。クルマではないが、筆者が普段使っているiPhoneとMacintoshのノートパソコンがこれだ。毎日使うものだし、いざというときに故障されては困る。この原稿を書くために使っているMacintoshだって、つい2日前に新しいモデルに換えたばかりだ。 翻って、一生モノとはいうけれど、悲しいかな愛車を墓場まで持って行くことはできない。骨壺にお骨といっしょに愛車に使っていたキーホルダーも収めてもらうとか、せいぜいそれくらいだ。 いつか必ず別れる日が訪れるという、誰もが逃れられない事実に想いを馳せつつ、長年所有した「愛車の卒業」について考えてみた。 ■人は1日に最大で3万5000回の決断を下している(らしい) 確率100%、誰にでも確実に訪れるできごとってそうそうあるものではない。 ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大で3万5000回の決断を下しているのだという。 朝、目が覚める。まず最初に何をするか?まだ眠いので2度寝するという選択肢もあるだろう。休日の2度寝はまさに至福だ。そういったさまざまな決断を下していくうちに、なんだかんだで1日あたり数万回というカウントになっていく。 万歩計(いまならApple Watchのようなウェアラブル端末か?)をつけて歩いてみると、いつの間にかに1万歩くらいの歩数を稼いでしまうこともあるわけだし、「1日で最大で3万5000回」という数字もあながち間違っていないように思えてくる。 ■誰もがいつか愛車と別れる日が必ず訪れる そして、確率100%、誰にでも確実に訪れるできごとのひとつに「死」がある。筆者自身はもちろんのこと、この記事に読んでくださっているそこの貴方も、確実にその瞬間に向かって突き進んでいる。 さらに「クルマを所有している人」という条件付きにはなるが「いつか愛車と別れる日が必ず訪れる」ことも事実だ。他に欲しいクルマが見つかった、家庭環境の変化、運転免許を返納してクルマに乗ることを止めるから、故障してしまい、膨大な修理費用が掛かることが判明したから、事故を起こして廃車になってしまったから…。理由はさまざまだろう。 筆者自身も、一生モノと決めて所有している愛車がある。このクルマとも、遅かれ早かれ別れる日が訪れるのは避けられない…なんてと書いてしまうとさすがに悲観的すぎる気がする。ならばいっそ「いつか手放すときまで、楽しめるだけ楽しんでおこう」と思考を切り替えた方が前向きでいいかもしれない。 ■一時の衝動や感情で「卒業」するべきではない 「いつか愛車と別れる日」の「いつ」を設定するかはオーナーの自由だが、さまざまな取材を通じてかなりの確率で失敗する例を挙げておく。 それは「なんとなく」とか「衝動的に」といった、後先考えずに、そのときの気分で愛車を手放す行為だ。 憧れのクルマが納車された当日は「フワフワした気分で、なんだか自分のクルマとは思えない」といった具合に、現実味がないほど有頂天になりがちだ。 憧れのクルマが愛車となり、ガレージや駐車場にあるのが日常となっていく。そのうち目が慣れてくる。そして冷静になるにつれ、少しずつアラが見えてくるようになる。ここで「まぁ、そんなもんさね」と割り切れるか、耐えられなくなるか。ここでふと思った。これって結婚生活に似ているかもしれない…。ただし、こちらは相手がいることなので、お互い様なのだろうけど。 そのうち、そこに「在る」のがあたりまえになってしまう。と同時にありがたみも薄れていく。「手に入れたときの感動なんてすっかり忘れてしまった」。こうなったら要注意だ。ふとしたときに魔が差してしまう。 不思議なもので、こういうときに限って「隣の芝生は青く」見えてしまうようなクルマが目の前に現れる。しかも、厄介なことに、いまの愛車を手放せばなんとか買えそうなところにあったりする。さらに、よせばいいのに商品車を観に行ってしまうのである。「見るだけ見るだけ」と自分にいいきかせながら。 この先の展開はおおよそ見当がつくだろう。一時の衝動や感情で「卒業」してしまい、やがてまた同じように魔が差して乗り換えてしまう。こうして同じことを繰り返す。浮気性は不治の病なのだ。 ■「○○○が起こったら卒業」と決めておくという手もある なかには「手放すタイミングを逸し、惰性で所有している」といったオーナーもいる。そろそろ卒業してもいいかなと思いつつ、手放すほど気持ちは冷めていないし、他に欲しいクルマも見つからない。さらに、長年連れ添った愛車を手放したあと、自分がどういった心境になるのか分からないといった怖さも秘めているようだ(と同時に、どういった心境になるのか知りたいといった矛盾を抱えているケースもあった)。 もしもいま、卒業するタイミングを探しているとしたら…、何らかの目標を決め、それが達せられたら決断するというのはどうだろうか。例えば、愛読してきた雑誌の表紙を飾ったら、主治医が引退したら、子どもが免許を取得して、クルマの運転に慣れてきたら…。 自分自身が納得できるものであればなんでもいい。卒業するポイントを決めて、その日から来たるべきXデーに向けて心の準備をしておくのだ。見事にその目標が達せられたらめでたく卒業だし、それで未練があると感じたらもう少し結論を先延ばしにしたっていい。大切なことは、どう折り合いをつけるか?あとは尾を引かないようにすることではないかと思う。 ■まとめ:自らの手で葬るというケースも・・・ これはオーナーにしか許されないことだが…。他の人の手に渡るくらいなら、いっそこの世から愛車の存在を消してしまうという方法もある。つまり「廃車」にしてしまうのだ。 この世から完全に愛車を消去してしまえば、「今ごろどうしているのか…」などと案ずることもなくなる。割り切るにはもっとも確実な方法かもしれない。ただ、1台の貴重なクルマがこの世から姿を消してしまう(しかもコンディションもそれなりに良いはずだ)としたら、あまりにも悲しい。 クルマをどう処分しようとオーナーの自由だ!といわれたたらそれまでだが、ある意味では究極のエゴ、自己中かもしれない。 あくまでも個人的な意見だが、コンディションが良い個体であれば家族に譲るなり、どこかのエンスージアストに託してもいい。動かすのが困難であれば、ドナー、つまりは部品取り車として他の誰かの愛車が延命できるようにしてみてもいいのではないかと思えるのだ。 [撮影&ライター・松村透]