「車売却ってそもそもどんな流れなのか」「車の相続について相談したい」など車売却をご検討の際に出てくる悩みに無料でお答えいたします!
【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
昨今の昭和および平成初期の時代を掛け抜けた「国産スポーツカーの人気再燃の勢い」は留まることを知らない。 その加熱ぶりは、一般誌やニュース番組の特集でも取り上げられるほどだ。 これまで20年以上、輸入名車専門店として数多くの貴重なクルマをユーザーに届けてきたガレージカレントは、そのノウハウを活かし新たに国産名車専門店「ガレーヂカレントジャパン」を立ち上げた。 1970年代〜90年代の国産スポーツカーを中心に極上の国産名車に出会える専門店になったということで、スタッフに直撃取材を敢行した。 ■ひと昔、ふた昔前にあたりまえだった光景はもう戻らない 昭和後半から平成初期にかけてクルマ、なかでもスポーツカーは多くの若者を虜にした存在であり、大人の階段を上るためのマストアイテムだったのかもしれない。 しかし、現実は甘くない。 運転免許取得後、いきなり百万円単位のクルマを購入できた方はごく僅かであった。 必死にアルバイトをしてお金を貯め、先輩から5万円で譲ってもらったボロの国産ハッチバックが最初の愛車だった・・・というエピソードもしばしば耳にする。 その後、社会人となり、若いときに憧れた国産スポーツカーをようやく手に入れることができた方は幸運かもしれない。 むしろ、好きになったクルマが高嶺の花で、憧れのまま時間だけが過ぎていってしまったという方も少なくないだろう。 ■現役時代を知る方も、認識を改める時期かもしれない 多くの中古車には「底値」がある。 スリーオーナー車、フォーオーナー車と持ち主が代わるにつれて、相対的にコンディションも下がっていく。 こうして、生産終了から10年もすれば、中古車として価値が低い状態、いわば「底値」を迎えるのだ。 その結果、乱雑に扱われる。 そして多くの個体が淘汰され、街中や市場から姿を消していくのだ。 しかし、ある時期を迎えると「もう一度乗りたい」「若い頃の憧れを現実にしたい」というユーザーが増えはじめ、日に日に需要が高まっていく。 それに呼応するかのように中古車相場も上昇カーブを描きはじめる。 最近はここに「今のうちに純内燃機関を持つスポーツカーを楽しんでおきたい」という要素が加わり、上昇カーブが二次曲線的になる。 なかなか認めがたいとは思うが、かつてのようにS13型シルビアをタダ同然で手に入れることができたといった時代は終わりを告げたようなのだ。 ■ガレーヂカレントジャパンスタッフに10の質問 生産から四半世紀、あるいはそれ以上の年月が経過したクルマであれば、経年劣化は避けられない。 その劣化スピードも、保管環境や歴代オーナーの接し方によって驚くほど変わる。 今回、どのような経緯でカレント自動車が国産名車スポーツカーを扱うことになったのか? 販売車両への想いやこだわり、ユーザーへのメッセージなどを10の質問にまとめ、スタッフの栗田氏に直撃取材した。 Q1.「ガレーヂカレントジャパン」とは? 日本の名車をガレージカレントクオリティでお届けしたいと、2022年夏に立ち上げた新サービスです。 これを機会に、当時を知らない若い方たちにも古き良き日本車の魅力を知っていただきたいと願っています。 Q2.国産名車専門店をオープンさせたきっかけとは? 当社はこれまで、20年以上にわたってメルセデス・ベンツやポルシェをはじめとするヨーロッパの名車に注力してきました。 その経験を活かし、ここ日本で誕生した名車たちの魅力を発信していきたいという想いを実現させたかったのです! Q3.「ガレーヂカレントジャパン」で取り扱う年代やジャンルは? 1970年代~90年の自動車文化をけん引してくれた日本の名車、スポーツカーを軸に注力してまいります! Q4.仕入れに対するこだわりや商品車の状態に対する自信は? 自分たちが「乗りたい」と思えるようなクオリティを維持するクルマを厳選しています。 具体的には、オリジナルコンディションを維持した個体、あるいはワンオーナー車など、当時の雰囲気を感じられるものを積極的に仕入れていきます。 また、当時流行したカスタムなども検討中です。 購入してから各部の仕上げやレストアを行った場合、納期や金額など、お客様へのご負担がかなりあることも予想されます。 そのためにも「現車の状態をご確認」いただけるクオリティを意識した商品化をしていく所存です。 Q5.現在の商品車のセールスポイントをひとことで! ●日産 シルビア 2.0 K’s オリジナルコンディション 5速 SR20DET 走り屋文化をけん引したS13型シルビアK’s。 フルオリジナル、無事故という非常に貴重な存在です。 今後、これほど貴重な条件のS13型シルビアK’sが見つかるかどうか。 昔乗っていた方であれば、この個体が現代においていかに希少な個体であるかがご理解いただけるはずです。 オリジナルのS13型シルビアK’sがどのようなフィーリングを持っているのか、再確認したい方はもちろん、実感してみたい方にもオススメです。 ◎詳細はこちらhttps://www.carsensor.net/usedcar/detail/AU0097098795/index.html ●トヨタ セリカXX2.0 GT ワンオーナー デジパネ タイベルWP交換済み (スーパーレッド) 「ワンオーナー、フルオリジナル、レースカバー」。 これ以上ないと断言してもよいレベルであり、オリジナル度の高い一台といえます。 今や、博物館に収蔵できるクラスといってもいいほど、新車当時の雰囲気を存分に感じていただける個体です。 タイミングベルト等も交換済みで、すぐに走り出せるコンディションを維持しています! ◎詳細はこちらhttps://www.carsensor.net/usedcar/detail/AU0051398575/index.html ●日産 スカイラインクーペ2000ターボRS-X ENKEI15inchAW エアコン修理済 オリジナル (グレーブラック) 通称「鉄仮面」と呼ばれた顔をもつ日産スカイラインです。 年代を感じさせないコンディションに仕上がっており、エアコンの効きもOK! いい意味で「普通に乗れる旧車」といえます。 消耗品も交換済みで、残るは名義変更だけです! これ以上ない一台です! ◎詳細はこちらhttps://www.carsensor.net/usedcar/detail/AU0051338301/index.html ※その他、こちらのホンダS2000の販売も予定しております。 Q6.実車を見てみたい場合のお問い合わせ方法は? カーセンサーやグーに記載されている電話番号またはお問い合わせフォームにてご連絡ください(どちらからでも対応可能です)。 また、下記直通の電話番号からのお問い合わせもお待ちしております。●直通番号:03-5905-4448 専門店というと敷居が高そうなイメージがあるけれど、実際は? そんなことはありません。 どうかご安心ください(苦笑)。 この機会に、ぜひ当社が誇るクオリティをご体感いただきたいです。 わざわざショールームまでお越しいただくに値するコンディションへと仕上げたつもりです。 Q8.保証や整備体制などのアフターフォローについては? 保証についてはガレージカレント同様に自社保証をお付けいたします。 詳細は担当者にご確認くださいませ。 また、整備については自社工場を完備しております。 さらに専門の提携工場もございますので、旧車もお任せくださいませ。 Q9.どういった方に乗っていただきたいか? 自動車通を自認する方のご期待に応えられるクルマをご用意いたしました。 また、古いクルマに乗るのが初めてという方も大歓迎です。 当社としてもしっかりとサポートさせていただきます。 クルマ好きの皆さまからのお問い合わせ、ご来店をお待ちしております!! Q10.最後にひとことメッセージを! 輸入名車専門店ガレージカレントのクオリティをそのままに、日本の名車をご案内させていただくサービスが誕生しました。 このクルマがレストアベースにということではなく、現車をご検討いただけるクオリティだという自負がございます。 古いクルマですが、私たちが納得できるコンディションの車両のみを展示しております。 どうやって古いクルマと付き合っていけばいいのか・・・という方もご安心ください。。 ご納車後の愛車との向き合い方までしっかりサポートさせていただきます。 お問い合わせならびに現車確認のご連絡を心よりお待ち申し上げております。 ■WBS(ワールド・ビジネス サテライト)が取材 8月某日「WBS」ことワールド・ビジネス サテライト(テレビ東京系列)スタッフの方たちが「ガレーヂカレントジャパン」の模様を取材している様子を逆取材。 その撮影風景を撮影させていただいた(画像はリハーサルの模様)。 取材スタッフはディレクターさん、カメラマンさん、音声さんの3名。 暑いなか、じっくりとていねいに取材する姿勢に頭が下がる思いだ。 ビジネスマン必見の番組作りの一端を垣間見ることができ、深い感銘を受けた(WBSスタッフの皆さま、ありがとうございました)。 (8/27追記)WBS公式HPでも紹介されています。こちらもぜひご覧ください。 ■ケーザイのナゼ「ちょっと古い日本のスポーツカーが人気」https://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/feature/post_258026/ ■まとめ:古いクルマでもできる限り安心して乗りたい方に 少し前までは街中であたりまえのように見掛けた国産スポーツカーが、いつの間にかプレミアがつくほどの値打ちを持つようになってしまった。 この現実に驚き、戸惑っている方がいるかもしれない。 しかし、考えてみれば、30年以上も前に造られたクルマなのだ。 オリジナルコンディションや、ワンオーナー車で残っていること自体が奇跡に近い。 何万点という部品の集合体であるクルマは屋外で使われることが大前提だ。 壊れもするし、経年劣化は避けられない。 厚化粧を施し、表面上だけをきれいにして販売することもできるだろう。 しかし、それでは手に入れたオーナーはもちろんのこと、国産スポーツカーにとっても不幸な結末になりかねない。 ガレーヂカレントジャパンなら内外装はもちろん、機関部についても当時の雰囲気を色濃く残し、まるでタイムスリップしたかのようなコンディションのクルマが手に入る。 「乗り出し」は高くつくかもしれないが、長い目で見れば「コンディション重視で選んで正解だった」という結論にいたるに違いない。 人もクルマも一期一会。 ほんのちょっと勇気を出しはじめの一歩を踏み出すことで、懐かしい青春の1ページとの再会、そして憧れの存在を自分の愛車にするという現実をグッと引き寄せることができるはずだ。 ■ガレーヂカレントジャパン店舗情報 ●屋号:ガレーヂカレントジャパン●店舗所在地:東京都練馬区東大泉2-26-3●電話番号:03-5905-4448●FAX番号:03-5905-4449●営業時間:AM9:30〜PM6:00●定休日:不定休(完全予約制)●メールアドレス:gcj@currentmotor.co.jp●コーポレートサイト:https://www.currentmotor.co.jp●YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCRtFspru_W01-nUATpuHUYQ●古物商許可:神奈川県公安委員会許可 第451930000216号 自動車商 カレント自動車株式会社 ●お車でお越しのお客様・練馬インターチェンジより6分・環状八号線 練馬中央陸橋より9分*展示場につきましたらお電話ください。駐車場をご案内いたします。 ●公共交通機関でお越しのお客様・石神井公園駅よりバスにて三原台中学校にて下車9分 徒歩1分 [ライター・撮影/松村透]
■まずは自動車誕生の時代からの歴史を振り返ってみよう ●蒸気自動車の誕生から技術の確立 最初の自動車は、重量級の荷物を運ぶため、頑強な台車の先端に馬の代わりに蒸気エンジンを付けたもので、1769年に誕生した。 その後、ワットは蒸気機関をさらに改良、高効率化と著しい信頼性の向上に成功している。 さらに、ピストンの上下運動を回転運動に変える技術で特許を取得。 こうした新技術の確率により、1700年代後半になると、人間用の馬車も蒸気自動車へと移行していったわけだ。 ●対抗する動力源の出現 第1号はバッテリー&モーター!? その後、蒸気機関は技術を進化させながら、100年以上も自動車の主力動力として君臨するのだが、同時期に別の動力源を模索する流れもあった。 最初に頭角を現したのは電気自動車だったという。 おそらく、廃バッテリーの処理問題や、電解液漏れ防止の難しさなどの扱いにくさ、充電時間や航続距離などの問題が多々あったと思われるが、蒸気自動車の一角を崩すことには成功したようだ。 ●次世代の主力、ガソリンエンジンの誕生と乗用車の普及 ガソリンエンジンの登場は1886年のこと。 それは、G・ダイムラーの四輪車と、C・ベンツの三輪車だ。 上の画像は1889年のダイムラーだ。自転車のような細いタイヤに時代を感じる。 1900年代初頭の段階では、高速性能面も含め、蒸気自動車優位の状態でスタートしたようだが、自動車産業界にアメリカが参入したことで大きく変貌を遂げることになる。 そう、大衆化の潮流である。 ヨーロッパでの自動車は、上流社会のステータスという存在だったが、アメリカでは馬車に代わる一般大衆の長距離移動手段。 オールズ・モビルは量産化によるコストダウンに成功、フォードは当初より大衆車を目指して構造の簡素化とイージードライブに徹したT型フォードを開発し、自動車の普及に大きく貢献した。 上の画像は1909年式 Ford Model T Town Car。この時点でのスターターはまだ手動式だった。 加えて、セルスターターシステムの発明も大きなポイントである。 手動でクランクを回してエンジンをかける従来方式から解放された事で、非力な女性オーナーにも容易に扱える道具となったわけだ。 ■日本での自動車産業黎明期 日本での自動車生産は、1904年の山羽式蒸気自動車に始まるが、実用上の国産一号車は、1907年の純国産ガソリンエンジン車である、吉田式「タクリー号」だった。 ただし、残念ながら当時、日本の工業技術は未熟で、多くのチャレンジはあったものの、成功を遂げたモデルはなかった。 やがて、GMとフォードがノックダウン生産を始めると、国産メーカーは解散。 その後、1932年に、現在の日産自動車の前身「ダットサン商会」が、翌33年には現在のトヨタ自動車の前身となる「豊田自動織機製作所自動車部」が設立され、国産自動車開発にチャレンジを始めたが、第二次世界大戦前には軍需用トラック製造が優先されることになる。 ■国産乗用車生産の実質的スタートは第二次世界大戦後 日本国内での自動車生産が自由にできるようになったのは、1949年に、GHQによる自動車生産制限が解除されてから。 上の画像は、純国産を貫いたトヨタのトヨペットクラウン。1955年に発売された。 創業以来、純国産を貫いてきたトヨタはそのフィロソフィを貫いたが、1951年に東日本重工(現三菱自動車)がカイザー・フレイザー社製「フレイザーJ」のノックダウン生産を開始したことを皮切りに、53年頃から、日産はオースチンのA40、日野はルノーの4CV、いすゞはルーツのヒルマンのノックダウン生産をスタートしている。 その後も多くのメーカーが自動車メーカーとして名乗りを上げ、自家用車普及を目的とした1955年の国民車構想政策にも後押しされ、日本独自のユニークなクルマが数多く誕生した。 そして、1964年のオリンピック開催地が東京に決まると、高速道路などのインフラも急速に充実し、クルマの高性能化競争や価格競争が激化。 現在も愛され続ける、数々の名車が誕生したのだ。 ■国産旧車、年代別の特徴と魅力 ●1960年代以前 最初から純国産を貫いたトヨタを除けば、アメリカ、イギリス、フランス製車両のノックダウン生産車から国産乗用車はスタートした。 特に、日産が生産したオースチンA40&A50は、本家バージョンの熱狂的愛好者が多いだけに、古いわりにパーツ供給の不安は少ない。 上の画像は、日産がノックダウン生産したオースチンA50ケンブリッジ。今見るとなかなか洒落ている。 また、初のダットサンとして知られる、ダットサン110型が登場したのもこの時代だ。 純国産を貫いたトヨタからは、観音開きが特徴で、現在でも優れた実用性を持つ初代のトヨペット・クラウン&トヨペット・マスター、初代コロナ(ST10型)などがリリースされている。 その他では、プリンス・スカイライン&グロリア、スバル360、ダイハツ・ミゼット、そしてダットサン・ブルーバード(310型)が誕生している。 この年代のクルマ達はまさに文化遺産。 日本の産業文化史に残る個体を動態保存しているのだ、と、誇りを持って楽しんでいただきたい。 ●1960年代 ある意味、最も輝いていた時代が1960年代だ。 1964年に開催される東京オリンピックに向け、道路の舗装、高速道路建設などのインフラも急速に整備され、各メーカーの開発競争、販売競争も激化。 多くのニューモデルが誕生しただけでなく、従来車のモデルチェンジやマイナーチェンジサイクルが短かった時代だ。 また、二輪の世界で大成功をおさめたホンダが、初の四輪車としてS500&S360を発表している。 実際に発売されたのはS500だけだったが、S360用に開発したドライブトレーンを搭載した軽トラック、T360を発売。 スポーツカー用エンジンを搭載した軽トラであり、農道のフェラーリなどと呼ばれ、趣味人にも人気が高いモデルである。 ホンダがF1レースに初参戦したのもT360発売と同時期、1963年8月のことである。 マツダが四輪車市場に参入したことも大きなニュース。 この画像は、マツダ初の四輪自動車として1960年に発売されたR360クーペ。62年にはファミリーセダンのキャロル360を加え、日本のモータリゼーションに貢献した。 R360クーペ、キャロル360の発売から、初代ファミリア、ルーチェ、そしてコスモスポーツに始まるロータリーエンジン搭載車シリーズの発売まで、一気にトップブランド総合自動車メーカーの一角を担うまでに成長した。 逆に、高度な技術をウリにしていた名門であるプリンス自動車が、日産自動車に吸収合併されたのもこの時代の出来事。 また、通産省による自動車産業再編構想の影響もあって、日野自動車とダイハツはトヨタグループとなり、日野は乗用車事業から撤退している。 この年代のクルマは、個性に溢れるモデルの宝庫であり、我が国におけるクラシックカー趣味の主役といえる年代。 特に東京オリンピック以降に誕生したクルマ達の強い個性は別格。 そのクルマのオーナーになったその日から、メーカーや設計者の理念を感じるに違いない。 自分好みにモディファイするのも良いが、できることならノーマル状態を知り、設計者との時空を越えた対話を楽しんでもらいたい。 いや、そうすることが先人に対する礼儀であり、クラシックカー趣味道入門の心得だと思う。 ●1970年代 70年代は激動の時代となった。 アメリカのマスキー法施行によって、排出ガス中に含まれるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の量を1/10以下にすることが決定されたことを受け、日本でも排出ガス規制を強化することになったのだ。 日本では、本家が施行を延期する中、より厳しい規制値を定め、それをクリアするべく全メーカーが生き残りをかけて開発に注力することになる。 そのため、70年代のクルマは、規制強化前で60年代の余韻が残る70~73年、段階的に強化される規制値クリアに四苦八苦していた73~77年、目標規制値達成後の78年以降と、大きく3パターンに分けられ、それぞれの時代背景を感じるクルマが誕生している。 特に興味深いのが、公害対策をクリアしながら生き続けたトヨタのツインカム・エンジン車たち。 カタログから消えた時期もあったし、対策前よりパワーダウンはしているが、2T-G型や18R-G型搭載車の存在は、当時も現在も趣味人を刺激する。 この画像は、セリカLB2000GT。排出ガス規制をクリアした18RGE-U型エンジンを搭載している。 なお、JCCA(日本クラシックカー協会)主催のイベントでは、レースについては1975年以前に生産されたクルマ、展示イベントの場合は、基本的に79年までに発売されたクルマ、またはその同型車と規定されている。 つまり、旧車の中でもクラシックカーの世界を楽しみたいのであれば、70年代までの車両にこだわった方が賢明だろう。 ●1980年代 この時代の特徴は、多くの国産車が、FRからFWDへと移行したことだ。 そんな中、時の流れに抵抗するようにFRを貫いたAE86やFC型RX-7などは、人気アニメ「イニシャルD」の影響もあって、世界中に熱狂的ファンが生まれている。 もちろん、FWD車にも魅力的なモデルが多く誕生しているが、FR車が華やかだった最後の時代という風潮が強いためか、この時代に生まれたFWD車は、中古車市場での人気が低い。 たとえば、FRの310型サニーとFWDになってからのB11型サニーでは、市場価格に数倍の差が出てしまうし、他の車種でも同様の傾向があるのだ。 失われたパワーをカバーするターボ車が注目されるようになったのも80年代の特徴。 ただし、初期のターボ車は、3000回転を越えたあたりから急に目覚める「ドッカン・ターボ」だったので、回転を上げれば強いGを感じる強力な加速を楽しめるものの、低回転域でのトルクはNAモデルより小さく、街中では扱いにくいことを知っておくべきだろう。 この画像は、日本初のターボ搭載車となった430型セドリック。グロリアとともに、1981年に発売された。 全体を見ると、インパクトの強いモデルが少ないように思えるが、80年代半ば以降に誕生したモデルの多くはエアコンも装備されているだけに、日常的に使いやすい旧車として狙ってみたくなってしまう。 主にヨーロッパの市場で高く評価された、1978年発売のプレリュードに始まるパーソナルカー市場も、80年代の大きな特徴だが、その極め付けは81年に発売されたトヨタ・ソアラだ。 当時の最先端技術を惜しみなく投入した高級パーソナルカーであり、動力性能、快適性能共にライバルを寄せ付けないクルマだった。 80年代も後半になると、バブル景気で日本経済全体が急成長する。 クルマの世界でも、輸入車が爆発的に売れ、特に人気が高かったBMW320iに代表される3シリーズBMWは、六本木カローラの愛称(?)で、若者の間に浸透した。 本来はハイソサエティカーとして誕生した、日産のシーマも予想以上に若者の人気が高くなった。 シーマ現象と呼ばれる不思議な傾向で、ただ所有し優雅に乗るだけでなく、大胆なシャコタンとキンキラのモールやオーナメントを基本とするVIPカーという世界が確立したのだ。 まぁ、楽しみ方はイロイロだが、80年代半ば以降に生産されたクルマなら、快適装備も問題なく、日常的な使用もノープロブレムという点も魅力。 旧車の香りと現在の快適性がうまく調合されたモデルが多いので、旧車入門にもオススメの年代だ。 ●1990年代以降 80年代後半から90年代前半までの数年間は、まだバブル景気の勢いがあったためか、ユニークなクルマが多く誕生している。 日産のBe-1、パオ、フィガロ、エスカルゴ、そしてトヨタのオリジン、クラシック、WILLシリーズ、ダイハツのミゼット2など、いわゆるパイクカーが大量発生したのだ。 こうした、シリーズとしての継続性がない、いわばメーカー純正のカスタム車両は、比較的新しい旧車といえる90年代車両独自の世界かもしれない。 国産車としては約20年ぶりとなるオープン2シーター、89年発売のマツダ(ユーノス)ロードスターも90年代を代表する趣味人御用達実用車。 この画像は、ミアータの名で先行発売された輸出仕様のロードスター。軽快な運動性能で、スポーツドライビングを満喫できる。 ミッドシップのホンダビート&トヨタMR2、FWDのホンダCR-X、FRのマツダロードスター、日産シルビア&スカイライン、ホンダS2000と、各駆動方式ごとにワクワクするモデルが誕生している。 さらに、98年にはFRの4ドアセダン、トヨタはアルテッツァを発売。 ドライビングを楽しめる正統派スポーツセダンとして、人気上昇中のようだ。 旧いといってもまだ新しい年代なだけに、残存する絶対数は多いはずだが、かなりの数がアメリカに輸出されていることも事実だ。 これは、製造から25年以上経過した車両はクラシックカー扱いとなり、ハンドルが右であっても、アメリカに持ち込むことが可能となるルールがあるから。 国内の旧車ファンにとっては、価格高騰に直結するだけに迷惑な話しだ。 アルテッツアも間もなく25年ルール適用となるので、興味があるなら、早めに動いたほうが良さそうだ。 ■まとめ:旧車の世界は奥が深い ここまで、クルマ誕生の歴史から、国産乗用車誕生にふれ、大雑把であるが各年代の時代背景を確認してみた。 本当はもっと深く考察し、その時代を疑似体験できるほど掘り下げ、そのクルマが生まれた年代の社会環境を感じてほしい。 要するに、あなたが選んだそのクルマとの生活を楽しみながら、当時の空気感というか、イメージというものに理解を深めていっていただきたいのだ。 そうすれば、多くの旧車ファンが敬遠する、近代的な色への塗り替えや、最新の超扁平タイヤなど、時代に合わない手法でのモディファイを選択することもなくなるだろう。 時代というものにこだわるのは、クルマは道具であると同時に、その時代が生んだ文化遺産だからだ。 でもね、ボディだけを活かして、エンジンは別のクルマからスワップするのも一つの楽しみ方だし、時代は合わないけど夜間走行の安全性優先でヘッドライトをLED化するのもアリ。 まぁ、イロイロ言ったところで、楽しみ方は千差万別なのだ。 [画像/トヨタ・日産・マツダ ライター/島田和也]
愛車との付き合い方は千差万別である。 多くのユーザーは購入したクルマを一定期間乗って買い替える、いわば「消耗品感覚」で接していることが大半である。 最近では、カーシェアやレンタカーを利用することで、愛車を持たないスタイルも出てきている。 この記事を読んでくださっているクルマ好きの皆さまは、愛車を文字通り「愛している」に違いない。 ■1.旧車オーナーに増えている複数台所有の現状 愛車との時間を長く、より密に、すべての情熱を注ぎたいと思っているだろう。 そして旧車に関しては「不必要な消耗」を減らしたいというのが本音だと思う。 通勤や買物といった日常使いの多くは「不必要な消耗」と考えても良いと思っている。 無駄に(あえてこのように表現するが)増えてしまう走行距離、買物先での駐車中のトラブル・・・などなど。 現行車にとって、これらは大きなリスクにはならないが、旧車にとってはそうではない。 近年では外装部品はもちろん、走行に必要な部品も入手困難になっている車種も発生している。 そんな環境のためか、旧車オーナーのあいだでは複数台所有の方が増えているそうだ。 今回実際に複数所有オーナーたちの話も交えメリット•デメリットを紹介していきたい。 ■2.メリット:気分や目的に合わせて選べる! 多くの複数台所有オーナーは、違う車種やジャンルのクルマを所有していることがほとんどである。 ・走りを楽しむクルマ・快適に出かけるためのクルマ・アウトドアレジャーを楽しむクルマ・お買い物や通勤と機動性の高いクルマ・・・などなど 筆者の周りにいる複数台所有のオーナーはそれぞれ好みの車種選定を行っているため、その日の目的や気分に合わせて選び出かける楽しみがある。 ごく稀に、同一車種や同一ジャンルのクルマを複数台所有するオーナーもいる。 すべて同じクルマだと一般ユーザーからは思われることもあるそうだ。 しかし実は、ミッションやエンジンなど仕様が異なっているため、オーナーはその日の気分で選び、違いを楽しみ乗っていることもあったりする。 これはかなりのツワモノである(笑)。 ■3.メリット-1:クルマとおサイフへの負担を分散 一台のクルマで通勤、買い物、レジャーと使用していた場合、自ずと走行距離は増えてしまう。 特に通勤で使用すると、驚くほど走行距離は増えていく。 ハイオク指定や、燃費の悪いクルマに乗っているとガソリン代とダブルパンチだ。 筆者の友人がスポーツカーばかり所有していたとき、その一台でサーキット走行から買い物、アウトドアレジャーまですべての用事をこなしていた。 燃費があまり良くなく、高速を使用しても燃費は10km/Lに届かないと聞いて驚いたことがあった。 さすがに燃費の悪さと消耗品の交換頻度を考慮して、中古の軽自動車を導入した。 驚いたことに、中古の軽自動車を導入した結果、浮いたガソリン代で維持費が賄えたとのことだった。 元々運転が好きな友人なので、購入した軽自動車はMTを選択し、操る楽しさも妥協せずガマンしないカーライフを送っている。 ■4.メリット-2: 壊れた時の救世主⁉自己代車利用 旧車オーナーにとっての悩みは愛車の急な故障だったりする。 故障とまではいかなくとも不調がある場合、無理に動かし悪化はさせたくないものだ。 過保護でなくとも、気候によっては稼働させたくないこともあると思う。 だからといって、カーシェアやレンタカーが普及したとはいえ、都度借りるのは面倒であり、急用の際は手間が気になる。 しかし、愛車が増えることにより、不安や手間もなんと解消されるではないか! 急な故障だけでなく、長期にわたる大がかりなレストアや修理の際も代車を用意してもらう必要もない。 「余計な心配をせずに作業に専念できること」は、旧車趣味を楽しむオーナーにとっては実は大事なことだと筆者は思う。 ■5.デメリット-1:クルマの数だけ増える備品 クルマの備品のなかで1番かさばるものは何か?と考えた際、真っ先に思い浮かぶのはタイヤである。 多くはスタッドレスタイヤだったり、サーキット走行を楽しむ人は走行用のタイヤだったりする。 筆者の場合、スタッドレスタイヤが3台分あるため、置き場所をどうにか工面している。 旧車オーナーとしてはストックパーツを持っている方も多いかと思う。 周りにいる旧車オーナーは多かれ少なかれ何かしらのパーツを保管していると聞く。 小物もあれば外装パーツといった大物部品もあり、予防整備で交換した際に元々装着されている部品を予備として残しておくケースもある。 メインの愛車だけで済めば良いのだが、複数台所有しそれぞれの部品が増えだすと置き場所で困るのは筆者の実体験である。 部品単体で置いておくと邪魔で仕方ないため「動く部品取り」としてもう一台同車種を所有する友人がいる。 しかし友人はその車種が好きでたまらないので、結局は「動く部品取り」もきれいにしてしまったのである(笑)。 ■6.デメリット-2:乗るのに準備が必要!? 所有する愛車を自宅に置くことができる環境であれば理想的だ。 屋根付きガレージであればベストだろう。 さらに、並列に駐車できる環境であれば最高だが、なかなかそこまでの条件をクリアするのは難しいことも多い。 一軒家で自宅に複数台止められるお宅でも、縦列で止めるスタイルが多いと思う。 その場合、乗りたいクルマを出しやすいように並べ替えが必要になる。 また、駐車場を借りている場合は入れ替えに行かなくてはならない。 乗る頻度が少ない場合、保護のためのボディカバー、バッテリー上がりを防ぐためにバッテリー端子を外す対策も必要になる。 この手間に関して一番の解決策は、日頃こまめにローテーションで乗ることである。 ■7.まとめ:あると便利で心強い存在! 旧車オーナーにとって一台の愛車に全力で愛情を注ぐことは素敵なことだと思う。 その愛車と末永く過ごすためにも、さらに愛車を増やすことで、一台にかかる負荷を分散させるメリットがある点をご理解いただければ幸いである。 実は筆者自身、最近新たに軽自動車を手にすることになった。 旧車といえる年代の軽自動車だが、この機動力の高さに驚いている次第だ。 一般的に複数台所有は理解されがたいこともあるが、可能であれば新たなクルマの楽しみや驚きにも触れられるので、ぜひおすすめしたいと思っている。 [画像・AdobeStock/撮影&ライター・お杉]
ミニカーに興味があるクルマ好きにとって、値上がりを続けるミニカー事情に頭を悩ませている人は少なくないだろう。 そんな人にオススメなのが書店で購入できるミニカーシリーズ。 なかでも日本車ミニカーを1/43スケールで製品化した『国産名車プレミアムコレクション』は、価格とクオリティのバランスが取れたミニカーとして着実にファンを獲得している。 そこで今回は、『国産名車プレミアムコレクション』の魅力を掘り下げてみたい。 ■1/43ミニカーの救世主 ミニカーの値上げが止まらない。 生産コストや原材料費の上昇などにより、モノにもよるがだいたい20年前の2倍になったような感覚がある。 そんな状況から買える人も次第に限られてきて、今はコアなファンがマーケットを支えているような状況だ。 筆者自身、以前はミニカーを片っ端から買い集めていたが、今は本当に欲しいアイテムだけを厳選して買っている。 また、以前は1/43ミニカーをメインに買っていた仲間も、最近はトミカとかホットウィールなど数百円で買えるミニカーがメインになっている。 今や1万円以下で買える本格的なコレクター向けミニカーは、絶滅危惧種となりつつあるのだ。 そんな状況のなか、アシェット・コレクションズ・ジャパンが2021年12月に創刊した『国産名車プレミアムコレクション』は、出来の良い1/43ミニカーを求めていたファンにとって久しぶりに明るい話題となった。 創刊号のミニカーは日産 スカイライン 2000GT-R KPGC110 1973で、価格は1,499円。 2号目のホンダ NSXは2,499円という低価格だった。 3号目以降は定価3,999円となったが、それでも標準的な出来の1/43ダイキャスト製ミニカーが現在5千円〜7千円程度で販売されている状況を考えれば、かなりリーズナブルな価格設定といえる。 ■クオリティの高いディテール表現 クオリティの高さも特徴的だ。 書店流通系のミニカーには「安かろう悪かろう」というイメージが少なからずあり、クオリティはあまり期待できないというのがこれまでの常識だった。 しかし、『国産名車プレミアムコレクション』では細部の作り込みがしっかりしていて、いわゆる「つくりの甘さ」の要素が少ないのが特徴的だ。 例えば、クローム部分の再現とかコンビネーションランプの塗り分けなどは忠実に再現され、モデル全体にシャープな印象を与えている。 ミニカー自体も厚みのあるアクリルケースに収められ、高級感を演出している。 この手の書店流通系ミニカーは、台座はあってもアクリルケースが省略されている製品が多い。 その意味でも、アクリルケースが付いていることはコレクターにとってはとても重要なことだ。 ■製造元はミニカーのトップブランド そこで気になったのは製造元である。 台座を外してシャシーを見てみると、“AR box ALMOST REAL SUMS MODEL” という刻印がある。 SUMS MODELは「オールモストリアル」のブランド名で高品質なミニカーを製造している中国のミニカーメーカー。 ハイディテールな製品内容で知られ、1/43ミニカーは1万円前後、1/18ミニカーは2万円台から5万円台という高価格帯のミニカーをラインアップしている。 ドイツでは「ミニチャンプス」ブランドで知られるポールズ・モデル・アート社が販売を行っており、日本では現在、エスワンフォー株式会社が輸入販売代理店となっている。 高品質なミニカーづくりで知られるメーカーが設計および製造を担当しているため、大量生産品でありながら非常にしっかりとした製品内容となっているのだ。 ■ディフォルメのない忠実な表現 ミニカーでは実車の持つ雰囲気を伝えるためにボディをディフォルメしたり、タイヤ/ホイールサイズを調整したりすることがよく行われている。 しかし、このシリーズではそのようなディフォルメがほとんど見られない。 それをもっとも象徴しているのがタイヤで、創刊号のケンメリGT-Rのミニカーを手に取ったときは、あまりのタイヤの細さに違和感を覚えたほどだ。 輸入販売元であるエスワンフォー株式会社の担当者に話を伺う機会があったので、その件について尋ねてみた。 すると、実車を正確に再現するために、あえてディフォルメを行っていないのだという。 確かに改めて調べてみると、オリジナルのタイヤサイズを再現したものであることが分かった。 逆にいえば、それ以前の1/43ミニカーなどで見慣れてきたタイヤは、モデルとしての見栄えを良くするために太くされていたということだ。 車高についても「ちょっと腰高かな?」と思えるようなものが少なくない。 これもモデルとして捉えるなら、もう少しローダウンしたほうがカッコよく見えるに違いない。 しかし、あえてそれをしないで忠実にオリジナルの姿を再現しようとする姿勢は、このシリーズの独自性につながっている。 ■低価格を実現できた理由 『国産名車プレミアムコレクション』が低価格を実現できた理由は大量生産にある。 近年のコレクター向けミニカーは多品種少量生産が基本で、樹脂製のレジン素材でボディを成形しているものが少なくない。 逆に大量生産に適したダイキャスト製ボディは、金型製作の費用がかかるため敬遠されることが多くなった。 しかし、このシリーズでは書店流通系ミニカーということで大量生産に向いたダイキャスト製ボディを採用。 量産効果でコストを下げていることが大きい。 とはいえ、もちろん欠点も存在する。 このシリーズの最大の欠点は内装が無塗装であること。 メーターパネルはデカールで表現されていているし、ウッド製のステアリングやシフトノブは塗装で再現されている。 その反面、シートやインテリアは黒いプラスチックの成形色のままなのだ。 昔の国産車の内装はブラックを基調にしたものが多いのであまり気にならないが、'80年代のハイソカーあたりになるとその欠点が気になる。 特にトヨタ・ソアラをはじめとするハイソカーなどは、ベージュやワインレッドの内装色が特徴のひとつとなっている。 そのため、真っ黒な内装だと魅力が半減してしまうのだ。 このあたりはコストの兼ね合いもあって妥協しなければならないポイントだったのだろう。 そのため、車種によっては残念な印象になっているものもある。 明るい内装色が特徴だった車種の場合は要注意だ。 ■国産車ミニカーの新たなスタンダード このようにメリット・デメリットがそれぞれ存在する『国産名車プレミアムコレクション』。 ただ、今時の1/43ミニカーで3,999円という価格を考えれば、破格の内容であることは間違いない。 特に今後は原材料の高騰や円安などで、ミニカーのさらなる値上げが必至な状況にある。 その意味では、高品質なミニカーが手軽に入手できるだけでも非常にありがたい存在といえるだろう。 [ライター・画像/北沢剛司]
近年、新たなるヴィンテージカー、クラシックカーのカテゴリとしてネオクラシックカー、ヤングタイマー(以下ネオクラ車)と呼ばれる1980~90年代のクルマが注目されています。 中古車市場でも1980~90年代のクルマの販売価格は高騰気味、極端な例ではR32~34型のスカイラインGT-Rは状態が良ければ1000万円以上、新車当時価格の3倍ほどの値を付けることも珍しくありません。 しかし、これらの「ネオクラシックカー」も、製造から30年が過ぎ、本格的なフルレストアを要している個体も珍しくありません。 実際に筆者が某旧車専門店の現役従業員として感じるのは、ネオクラシックカーのレストアは想像以上の「試練」が待ち受けている印象すらあります。 その結果、時間的ば猶予もなく、解体処分という最悪の結果を招いてしまうこともあるのです。 ■実はオールドタイマーよりも維持やレストアが難しいネオクラシックカー 時に神格化され、まるで工芸品のような扱いを受ける1970年以前のクラシックカーより、1980~90年代のネオクラ車のほうが実は維持や修理が難しいというのをご存じでしょうか? 筆者が、現在所有するスバル360やトヨタ セリカリフトバックに乗りはじめた頃、「昔のクルマに乗りたいけど、1960~70年代のクルマは大変そうだから80年代のクルマに乗る」という話をしばしば耳にしたものです。 そんなときは「『簡単そうだから』という理由だけで手を出すと、アセンブリ交換でしか対応できないケースがある。また、樹脂部品や電子制御部品が入手困難になったときに、思わぬ苦労をするかもしれないから注意した方がいいかも」とやんわりと伝えていました。 一般的にオールドタイマー世代の車両は、維持やレストアが難しいと思われがちですが、自動車は古くなればなるほど機構がシンプルになります。 そのため、故障の個所も要因も特定しやすいことが多いのです。 よって、修理する作業事自体はそれほど難しくないとさえいわれることもあります。 シンプルな機械式のデバイスは分解修理が可能なうえ、他車種および汎用の工業機械の部品や消耗品を流用できることもあります。 また、材料から切り出して部品を作ったりすることも可能です。 時には磨り減ったり割れた部品を、アーク溶接で接合したうえで「肉盛りして」再生するケースもあります。 「持続可能」という点において、クラシックカーのレストアは意外と「サスティナブルな行為」といえる・・・かもしれません。 しかし1970年代後半から、自動車は快適性の向上や運転の省力化に加え、安全性、排ガス対策、製造工程の効率化等も求められるようになっていきます。 その後、電子制御デバイスが普及するようになると、軽量化する目的で樹脂部品が多用されるようになります。 結果として次第に故障要因も複雑になっていきます。 モジュール型の精密機械や、コンピューター等の分解修理が困難なデバイスが多くなり、樹脂製の部品は一度外せば再使用不可のものもあります。 また、それらの部品は専用設計となっていることが多く、他車の部品や汎用品では代用することはできません。 市場に流通している部品がなくなれば、もう直す術はなくなるのです。 この数年で、ボディ・エンジン本体は何ともないが、機能部品・保安部品が1個入手出来なかったがために、車検をどうしても通せないという個体が増えてきました。 ギリギリの「延命処置」として、部品が見つかるまで保管。 それでもだめな場合は、継続車検を断念し、そのまま解体処分・・・なのです。 ■そもそもクルマは何十年も使用されることは想定していない? 国産車は古くから10年10万kmが耐用の基準となっています。 近年は使用年数が延びたとはいえ、20年、20~30万km以上乗る人はごく少数でしょう。 近代化された結果、故障率が下がり、1980~90年代のクルマはメンテナンスフリー化が進んだ印象があります。 とはいえ、油脂類の交換のみで乗りつづけて「ノーメンンテで」乗れるは最初の10年・10万km程度でしょう。 それ以降は、部品の摩耗や経年変化から逃れることはほぼできないと考えるのが自然です。 実は、2022年7月現在、筆者の愛車である1973年式トヨタ セリカリフトバックは、ヘッドガスケットが吹き抜けてしまいエンジンオーバーホールに出している最中です。 整備工場の社長の話によると、特に筆者のセリカに搭載されている2T-Gエンジン、さらに18R-Gエンジンは、シリンダーブロックやシリンダーヘッドが、今まで見たことがないような歪み方をするケースが増えたそうです。 それだけは済まされず、クラックが入った状態でオーバーホールする事例が急に増えたというのです。 前述の社長曰く、どうやら「元々、高回転型で燃焼温度高めの高負荷のエンジンに、近年の夏場の猛暑が関係しているのではないか。当時の開発設計担当者でさえ、想定できなかった負荷がかかっているのではないか」という話でした。 製造から30年どころか、50年、あるいは60年経ったクルマに「高回転型のエンジンに対して高負荷を掛ける行為」が「当時のメーカーの想定をはるかに超えた使い方」ということが想像できます。 結果として「20年・30年無交換だった部品が寿命を迎えた頃には、既に補修部品は入手不可になっていた」という事態が起こるのです。 大半の車両が部品が寿命を迎える前に解体処分されてしまうのであれば、メーカーとしては「この部品が寿命を迎える前に、車両自体が廃車になってしまう。それならば、長期間に渡って補修部品を供給する必要があるのか否か」という判断基準を持つこともやむを得ないでしょう。 「280馬力モデル」も登場から早や30年。いまや3オーナー、4オーナー車も少なくありません。もちろんなかにはワンオーナー車も含まれますが、「経過した時間」はどれも同じ。 あとはどの程度の負荷やダメージを負っているかによって、機関部はオーバーホール、ボディはレストア・・・という選択肢が視野に入ってもおかしくない時期にきているのです。 ■旧車・ネオクラシックカーを後世に残せるかどうかは「現オーナー次第」 最近ではユーノスロードスターや第二世代GT-RといわれるR32〜R34スカイラインGT-R、ハチロク、スープラなどの部品再販やレストアサービスを自動車メーカー主導で行うようになってきました。 とはいえ、それはごく一部のモデルや、さまざまな条件が課せられることもあります。 個人では限界がありますが、同じクルマを持つ仲間や専門店などと協力して「後世に残せるかどうかは現オーナー次第」という気概を持つ必要があるのかもしれません。 [ライター・撮影/鈴木修一郎]
今や入手困難となりつつあるシールドビームと、今日なんとか入手できるセミシールドビームとのデザインの違いから、シビエやマーシャルなど当時の一流ブランドをご紹介します。 また、ベテランオーナーがこだわるポイントや、右側通行や車検への適合についても触れてみます。 さらには、日本国内ならではの注意ポイントなどを、むずかしくなり過ぎないようにまとめました。 パーツ単体を深掘りして、自動車産業の進化の過程を読者のみなさまとともに考えていきたいと思います。 ■当時、デザインの大きな制約であった旧車のヘッドライト ▲ただいま編集中のリフレクターが錆びてしまったシビエ製のセミシールドビームをレストアする動画 こちらは[YouTube]BEARMAN'sチャンネルで8月下旬公開予定。 ※チャンネル登録お待ちしております。 [YouTube]BEARMAN's チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCTSqWZgEnLSfT8Lvl923p1g みなさまは旧車のヘッドライトについて、いかがお感じだろうか? 旧車のヘッドライトといえば、丸型や角型のシンプルな形状が多い。 これらが人間味のある顔に見えてカワイイと感じる方もいれば、機能そのものがデザインとなっており、メカメカしくカッコイイと感じる方も多いことではないだろうか? クルマの旧い新しいに関係なく、顔つきの印象を大きく左右するヘッドライトのデザインは、そのクルマのキャラクターを決定する、たいへん重要な部分ともいえる。 クルマのデザイナーにとっては、まさに力の入れどころである。 旧車の世界に話をうつせば、そもそもヘッドライトといえば当初は丸型のみであり、当時のクルマのデザインにとって大きな制約となっていた事実を、みなさまはご存じであっただろうか? 今回はこの旧車の顔「ヘッドライト」について、すこし掘り下げてみたいと思う。 ■限られた選択肢が、より強くオーナーの個性を光らせる! ▲北米仕様のシールドビーム式ヘッドライトが装着された一例。よく知られた欧州仕様とは顔つきが異なる(ポルシェ911) 先ほど述べたとおり、旧車のヘッドライトといえば当初は丸型のみであった。 これは当時のアメリカの法規が深く関わっている。 アメリカでは1940年に米国内で販売される新車へ「7インチ規格型シールドビーム」の装着が義務付けされたことが事の発端である。 シールドビームとは、レンズ・リフレクター・バルブ(発光フィラメント)が一体となったものに不活性ガスを注入し、その名の通り完全密閉(シールド)されたヘッドライトである。 長所は、当時としては高寿命かつ高輝度であり、密閉構造のため内部の劣化による曇りの心配が少ない。 また、全体がガラス製であるため、現代のクルマのヘッドライトのように樹脂製のレンズが劣化して曇るといったことは無縁だ。 採用されるクルマも消耗品としての交換を前提に、規格に沿って設計されているため、整備性も良く、比較的簡単に交換ができる。 短所は、レンズとリフレクターが一体化しているため、発光フィラメントが寿命を迎えた場合、シールドビーム一式で交換が必要な点である。 ハロゲンバルブが普及した現代から見ると、若干高価に感じる点でもある。 規格によって寸法その他が決められてしまっているため、当然、デザイン性に大きな制約がある。 これは当時、国土の広いアメリカの、どこのガソリンスタンドでも交換ができることを優先したためともいわれている。 ただ、このアメリカ国内の法規が、ヨーロッパや日本のクルマ作りに大きく影響した。 それはなぜか?理由は簡単だ。 アメリカはもとよりモータリゼーションの先進国であり、また、今も昔も世界最大の自動車消費国でもあるからだ。 ヨーロッパ車では、はやくも1960年代初頭には角型ヘッドライトが登場する。 アメリカに輸出をすることを念頭に設計・生産されたクルマは、同じ車種であっても本国仕様と北米仕様で顔つきが異なることが多い。 当時の自動車メーカーは、最大の消費地であるアメリカの法規を無視できず、規格ヘッドライトありきでクルマのフロントフェイスのデザインが決めていったという時代背景があるのだ。 この状況は1984年にアメリカ国内で法規が改訂され、バルブ交換型のヘッドライトが許可されるまで続く。 国産車の場合も、アメリカの法規に追従する形で、その影響を受けているといっても過言ではないだろう(日本の場合は、戦後、進駐軍によりシールドビームを装着した軍用車が大量に持ち込まれ、これらの消耗品が一部国産化され普及したという特別な背景も一部ある)。 特に国産車のヘッドライトは、丸形と角型のそれぞれ2灯と4灯、合わせて4種類のシールドビームしか無かった時期が長く続いた。 当時のクルマのオーナーだった方は、その頃の選択肢の無さを思い出すことであろう。 しかし、現代の旧車乗りにとっては、むしろこの部分がオーナー自身の個性を発揮するポイントとなっている。 今日では国産のシールドビームは数年前にすべて生産終了し、ハロゲンバルブ交換型のセミシールドビームが主流となっている。 このセミシールドビームは往年のレンズカットのあるガラス製のものから、カスタム志向のマルチリフレクター式、または、まるで最新の現行車のようなデザインのLED式のものまで存在する。 ▲規格型シールドビーム装着車であれば、このようなカスタムヘッドライトという選択も可能だ(プリムス・ベルベディア)画像提供:NezRodz氏 https://www.instagram.com/nezrodz/ 逆に旧車のオリジナリティを求め、現在入手困難となったシールドビームや、当時はハイパフォーマンスパーツであった、絶版のシビエやマーシャルのセミシールドビームを探し当て、自身の愛車に装着するオーナーも存在する。 今日現在、一般的に入手できるセミシールドビームはレンズが平面であるものがほとんどであるが、これらはレンズ面が丸みを帯びた凸形状であることが共通する。 ▲ 絶版のシビエ製セミシールドビーム(左)と、今日新品で入手できる小糸製セミシールドビーム(右)。レンズの丸みが異なる 当時物のノスタルジーを得ようとする者、今日のテクノロジーを旧車に反映しようとする者、クルマのフェイスデザインの制約でしかなかった規格ヘッドライトが、いまや旧車乗りの個性をアピールする場となっているのだ。 この記事の読者の方は旧車イベントを訪れた際には、ぜひクルマのヘッドライトを一台一台覗き込んでいただきたい。 とても細かい部分であるが、ここにオーナーのこだわりが垣間見えるからだ。 ■パーツ探しは意外と困難!?日本国内ならではの注意ポイント ▲試しに海外のサイトでヘッドライトAssyを検索してみた。画像はBMWのあるモデルのHELLA製新品であるが、左側通行用はまず見当たらない。だが諦めてはいけない。これらを加工してシールドビームを装着する強者(ツワモノ)も存在する 旧車ヘッドライトのパーツ選択に趣(おもむき)があることを述べたが、日本のオーナーには、注意をしなければいけないポイントがあることをお話しする。 それは日本国内の特別な事情だ。 クラシックミニをはじめとする英国車のオーナーは特に心配する必要はないことであろう。 といえば、分かる方もいるはずだ。 そう、日本は世界でも珍しい左側通行の国だ。 いったい何が問題なのかというと、左側通行用と右側通行用のヘッドライトはレンズカットの形状が異なり配光が異なる。 左側通行用のヘッドライトはロービームで点灯させると、カットオフラインと呼ばれる境界線を境に、対向車が眩しくならないように、かつ歩道側が先まで見通せるように、左上がりの配光となる。 これが右側通行用のヘッドライトでは正反対になるのだ。 当然、右側通行用のヘッドライトでは日本国内の車検に合格することは不可能だ。 特に困るのは、旧車でもヨーロッパ車のオーナーであろう。 先述の規格型ヘッドライトのクルマであれば特に困ることはないが、車種専用のヘッドライトであった場合、左側通行用は世界的に見ても希少、かつ入手困難なレアパーツとなる。 昨今はインターネットが普及し世界中からパーツを取り寄せることができる旨を前回の記事で述べたが、筆者の経験上、こればかりはかなり厳しい一例といえる。 もし中古部品で探し出せたとしても、必ずしも光軸を調整する部分などに異常がないとも言い切れない。 この部分も車検を通すための重要な部分だ。 良質なリプロダクション(再生産品)や社外品があればいいが、右側通行用であることがほとんどである。 ヘッドライトのみならず、こういった車検にかかわる部分は事故などのアクシデントに遭う前に、何らかの予備的手段を用意しておくことをおすすめしたい。 なお、筆者の場合、本命パーツは車体に装着せず、いざという時のために常に保管している。 日の目を見ない保有パーツばかり増えていくのだが、これは悲しい旧車オーナーの性ともいえる。 ■温故知新。個々のパーツを通し、自動車産業の進化の歴史を考える ▲クルマを横から見た場合のヘッドライトレンズのデザインや形状にも、さまざまな「趣」がある。どれも決して間違っていない。あなたもぜひこの部分にこだわってみませんか? 今回この記事を執筆するにあたって、私クマダにとってクルマの先輩ともいえる方々のうち何人かに、当時の状況を伺ってみた。 そのなかでも特に心象に残ったのが、当時シールドビームの丸いデザインが古臭くて嫌いだったという話だ。 この方は現在70歳代半ばで、まさに1970年代に20歳代を過ごした「旧車リアル世代」だ。 この方はどちらかというと当時から輸入車を多く乗り継いでいるが、1980年代になると仲間内はこぞってボッシュ製のハロゲンヘッドランプユニットに交換したという。 これらのソリッドなデザインの平面レンズに時代の最先端を感じたということだ。 先ほど述べた、当時物のシールドビームにレンズ面の丸さを求める趣とはまるで正反対の意見だ。 確かに当時はもとより、現代に至るまで自動車メーカーは、商品性向上のためにマルチリフレクターや、キセノンやLEDヘッドライトなどなど、われ先にと自社の販売するクルマに新しい技術を導入したものだ。 しかし、振り返ってみればそんなクルマのヘッドライトにサプライヤー(部品供給元)のロゴが入らなくなったのはいつ頃からであろうと筆者は考えた。 少なくともヘッドライトレンズがガラス製であった時代には、サプライヤーのロゴが煌々と輝いていたように感じる。 すっきりとしたデザインを優先したためと思うが、これはこれで寂しく感じるものである。 ヘッドライトはさまざまな時代背景を持ちながらも、常にクルマの顔であったパーツである。 旧車オーナーであれば、ぜひこの部分にこだわりを持ってみてはいかがだろうか? [YouTube]BEARMAN's チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCTSqWZgEnLSfT8Lvl923p1g [画像/AdobeStock ライター・撮影/クマダトシロー]
■第2回 ~アルミ弁当箱協会の設立とアルミ弁当箱の魅力~ どうも!「日本アルミ弁当箱協会」会長のマツド・デラックスでございます。 「旧車王ヒストリア」連載も2回目となりました!(心の広い編集部に感謝!) さて今回は「アルミ弁当箱協会の設立」と「アルミ弁当箱の魅力」について熱く語らせていただきます。 ■日本唐揚げ協会の会長の一言がきっかけで・・・ 私は個人的に「日本唐揚げ協会」の「カラアゲニスト」のひとりでもあります。 ●日本唐揚協会https://karaage.ne.jp イベントにも参加していましたが、その中で「朝食会」という、ただ一緒に朝飯を午前7時頃から食べるという企画がありました。 そこでは、異業種の方達と話す機会が多く、自分のスキルアップにもつながったように思います。 そのときに話題が出たのが「アルミ弁当箱協会」です。 設立し、名乗ってはいたのですが、活動もおぼろげで何をやっているのか、よく理解されていないようでした。 会長の「やすひさてっぺい」さんに『しっかりとしたサイトを作りなよ』といわれたことがきっかけで日本アルミ弁当箱協会の公式サイトが生まれました。 ●日本アルミ弁当箱協会https://kyokai.fans.ne.jp/arumibenntou/ おかげさまでそこから取材の申し込み等をいただき、本格的に動きだせるようになりました。 ■認知度が一気に上がった「アメイジング商店街」の展示と「ノスタルジック2DAYS」での登壇 運命の歯車がやっとまわりはじめたきっかけがありました。 それは2021年の12月に行われた、マクラウド様の主催の「アメイジング商店街」と、2022年の2月に行われた芸文社様の主催の「ノスタルジック2DAYS」でした。 アメイジング商店街はどちらかというとオタクの祭典。 初展示となったアルミ弁当箱は、昭和のノスタルジーを醸しだし、注目されることとなりました。 かたやノスタルジック2DAYSはクラシックカーをメインとしたイベント。 そこの特設ステージに登壇させていただき、トークショーを行いました。 アルミ弁当箱は、現在に至るまでまったく注目されることなく埋もれていたコレクションアイテムでもあります。 それを何年もコツコツ集め、大事にしていたことを、外車王SOKENのライターであった中込氏に取材していただき、不人気車と同じ感覚がするというような記事にとてもうれしく思ったことを覚えています。 ●「情熱の注ぎ方の大切さ」を再認識させられたノスタルジック2デイズ2022を振り返る!https://www.gaisha-oh.com/soken/nostalgic-2days-2022/ そうです。そこには誰にも負けない「愛情」があるからこそ魅力が倍増するのです!!! ■特撮車両が描かれているアルミ弁当箱 前回でもお話しましたが「スーパーロボット レッドバロン」のようなアルミ弁当箱には「くるま」が描かれているアルミ弁当箱が結構あります。 くるま好きにとっては、たまらない図柄も多々あるのですが、特にそのくるまたちは特撮車両、アニメーション、漫画に登場するものが多く、懐かしさから当時の記憶を甦らせてくれるアイテムの一つともなり得ます。 ■実は色々なファンに愛されるアルミ弁当箱たち ここでは「くるま」のアルミ弁当箱のことを中心に書いていますが、魅力の一つとして大きいのが、色々なイベントに併せられる多様性にもあります。 他のコレクションだとどうしても偏ってしまいがちなカテゴリーも、アルミ弁当箱だと「くるま」「鉄道」「スポーツ」「ヒーロー」「魔女っ子」と言うようにジャンル別に対応ができるのです。 それは、あるときはプロレスのトークショーであり、クラシックカーのイベントというように、展示やトークショーなど、テーマに応じてさまざまな企画を打ち出せます。 何かありありましたらいつでもお声をかけてくださいね! ■今回の斜めから見た旧車 「ダットサン・フィアレディ(1970年)」 さてまたまたやって来ましたこのコーナーは、本当に無理矢理アルミ弁当箱からの「斜め」から見た旧車コーナーです。 今回は「ダットサン・フェアレディ」です。 1962年~1970年までに製造されたオープンカー。 何故この車が今回の「斜め」なのか! 先ほど紹介させて頂いた「バロム・1」に登場する特撮車両「マッハ・ロッド」だからなんです。 ご存じの方もいらっしゃると思うのですが、このマッハ・ロッドには前期型と後期型がありベースが前期が「フェアレディ」後期が「サニートラック」となっています。 アルミ弁当箱界の常識として、版権契約をほとんどの製造メーカーが放映前に契約します。 そのため、こちらのベース車両は、前期型と想像し書かせていただいております。 そして、あえてここでこのくるまをチョイスしたのは、私が以前「SPL1600」を輸入し見事に失敗した経験があってのことをここに付け加えておきます。 本当は3座の1500が欲しかったのですが安価に目がくらみ・・・・。 こんなことを人生背ずっと続けております。 いつか、いつかフェアレディに乗りたい!乗ってる方が羨ましい!と思いつつ、アルミ弁当箱とコラボさせて頂きました! こんな感じで「ゆる~く」また旧車を紹介していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。 [撮影/ライター・マツド・デラックス(山本圭亮)]
■デザインと質感で提唱されたコンパクトカーの価値観 バブルの頃、優れた商品企画力の下、日産からBe-1やフィガロ、PAOやエスカルゴといった俗に「パイクカー」と呼ばれるクルマたちが発売された。 製品自体がメディアであった時代を象徴するかのように、30年以上経過した今でもその存在は響き続けている。 車両自体は同社のベーシックモデルであったマーチを基本としており、内外装のデザインや質感に大きく手を加えることによって商品価値の高いモデルへと昇華されていった好例といえよう。 その後、90年代中盤になると基本になるモデルに対し、クラシックカー風の仕立てが施された車両が各メーカーのレギュラーラインナップに増えた。 フロント部の造形を大きく変えたサンバー・ディアスクラシックや、マーチ・ルンバなど三岡自動車に負けず劣らずのレトロ調モデル。 ボディカラーと一部加飾でちょっと贅沢でクラシカルな雰囲気を纏ったミラージュ・モダークやスターレット・カラットなど、ベース車へ変化球を与えたモデルで商品力の訴求を図った。 それらの車種も、令和の今となっては“クラシックな仕立てが施された本当に古い車”となったが、時代が移り変わってもクラシック・モダンな可愛さや、カッコよさに対する尺度は形を変えて存在し続けているように思える。 それを裏付けるように、ムーヴ・キャンバスやワゴンRスマイルなどのモデルは今でも車体のいたるところにメッキの加飾を施し、カジュアルさだけではない佇まいの良さが魅力を放っている。 2022年の6月には3代目となるスズキ・アルトラパンがマイナーチェンジを行い、派生モデルとして追加された「アルトラパンLC」は、フロントバンパー部を同社の2代目フロンテを彷彿とさせる意匠となった。 これは2005年の東京モーターショーに参考出品されたスズキ LCコンセプトを思い返させるものでもあり、スズキデザインとして歴史的な財産を巧みに落とし込んでいるといえるだろう。 ■デビューから20年、飽きの来ないデザイン そんなラパンの初代モデルも“ちょっと贅沢な”スモールカーとして人気を博した。 レトロやクラシックといった符号だけではなく、モノとしての良さをカタチや質感で表現しているといえよう。 ベースとなったのは名前が表す通りスズキの「アルト」だ。 開発時はベーシックカーだったアルトよりも、ラパンに対して女性的な感覚を取り込んで開発が行われたという。 初代型の佇まいを現代の視点で眺めると、そのデザインは男女問わず親しみやすい印象を受ける。 ルノー・キャトルやモーリス・1100のようなちょっと洒落た国民車のようにすら感じると評したら言い過ぎだろうか。 車名のラパンはフランス語で“うさぎ”の意味で、フロントグリルに配されるスズキマークにもラパンのシンボルマークが与えられる。 搭載されるエンジンはK6Aで54馬力。 780kgの車両重量の恩恵か、踏み込めば意外や活発な印象で、街中を跳ねるうさぎを想像するとなんだか愛着が湧いてくる。 搭載されるコラムシフトの4段ATは同時期のCVT搭載車と比べて“走らせている!”という感覚があり、終始小気味いい雰囲気だ。 ■長く愛せるシンプルなカタチは“弁当箱”がモチーフ タイヤは155/65R13。取材車はベースグレードのGでスチールホイールにLapinのロゴが入るホイールキャップが装着される。 弁当箱をモチーフにした箱型のボディは、フロントフェンダーからリアエンドまで伸びやかなショルダーラインは安定感を感じさせてくれる。 そのシンプルさゆえに登場から20年経過した現代の目で見ても、意匠に古臭さをさほど感じさせない。 流行り廃りとは異なる尺度で捉える、柔らかく甘すぎないデザインは、無印良品のような洗練されたイメージすら与えてくれる。 アイポイントは同世代に開発された軽と比べても(コペンやエッセを除けば)それなりに低い方だ。 田舎道をゆったりと流していくと、どことなく小さなセダンに乗っているような感覚になるのは、視界に入るインテリアのリッチさと、触り心地の良いシートの居心地から来るものだろうか。 車窓の外に流れる田んぼや、風に揺れる草花の様子が身近に感じられるのも、角度が立ったフロントウインドウと低めの着座位置の恩恵といえるだろう。 ▲横基調の白いパネルが一番に目に飛び込んでくるインパネ。車内は近年の軽自動車に比べれば小ぶりだが、コラムシフトのおかげで足元は広々感がありさほど窮屈さを感じさせない インパネは水平基調で左右はシンメトリーぎみにできている。 軽自動車はサイズの規制上、ステアリングがある運転席側を優先して設計されるため助手席側が狭く見える車種もあるが、ラパンは各種計器類やオーディオが絶妙に配置され窮屈さをさほど感じない。 遊び心を感じさせるのは助手席前に配置された引き出しだ。 車検証などはグローブボックスにしまうとして、この引き出しにはどんなものをしまおうかワクワクしてしまう。 楽しい使い勝手を予感させるデザインは目にも嬉しいものだ。 ▲シンプルながらも必要十分な計器類だが、フォント類にもこだわりを感じさせる。面発光するメーターパネルは夜間も暖かさがありほっとするものだ 一眼式のスピードメーターは最近では少なくなったパネル裏面から照明を照らす方式。 自発光タイプも美しくて好きだが、均一に発光するこの方式も夜間目に優しいと感じる。 シートは起毛タイプで外装のブルーと相まって非常にモダンだ。 フロント席のヘッドレストを外して寝かせると、自宅リビングのソファより足を伸ばせる空間ができ上がる。 週末はラパンを郊外へと走らせてお気に入りの場所を見つける。 そこで読書や昼寝をするのもいいだろう。 ▲グレードによって異なるシート素材とカラーコーディネート。中古車サイトを覗くとこんな組み合わせもあるのか!と驚く。まだ中古車市場にあるうちにお気に入りをチョイスしておきたい リア席を倒せば、スーパーマーケットのお買い物ならば相当買い込めるくらいのスペースが生まれる。 2人分のキャンプ道具なら積めてしまうかもしれない。燃費も良いラパンだから、冒険気分でちょっとした遠出も悪くないだろう。 オーディオのヘッドユニットはカロッツェリアのCD/MDデッキである「FH-P510MD」が装備されている。 こちらは時代を感じさせるデザインだが、音場を変更できるDSPイコライザーを装備。 実はこういったアイテムも昨今じわじわとネオクラシックな車両の愛好家の中で気になりはじめている装備の一つだったりもする。 ■今だからこそ見えてきた、初代型の良さとは? 一見すれば古い軽自動車なのだが、そのコンセプトや佇まいを見直して捉えると、クルマ本来のこだわりを感じられるものだ。 使い捨てになりがちなプロダクトでありながらも、長く時が経てば、その時代を象徴する価値を帯び始めるかもしれない。 まだ旧車とは胸を張っていえないかもしれないが、現代のクルマとはすっかり異なる”未来の旧車”。 まださまざまな仕様、装備が中古車で安く狙える今だからこそ、味わえる面白さがあるはずだ。 古い自動車を買うというハードルは流石に高くても、筆者が今回行ったようにレンタカーを探してまず乗ってみるというのも楽しい経験になるだろう。 以前書いたトヨタ・ポルテの記事と同じように、ラパンはニコニコレンタカーでレンタルしたものだ。 近年では特に新しいクルマに力を入れている同サービスだが、店舗によってさまざまな車種が選べるのも魅力の一つだ。 気になったらまずはチェックしてみるのも良いかもしれない。 [ライター・撮影/TUNA]
アラカン筆者がまだ若葉マークだった頃の思い出話など 令和の今ではまったく想像できないような世界があった。 当時の道路交通法に抵触する部分もあるが、そこはもう時効ということでお許しいただきたい。 若くて、免許取り立てで、特に裕福でもない場合、昭和末期の若者は知り合いから譲ってもらったりしてクルマを入手していた。 当然、親に新車を買ってもらえる人もいたかもしれないが、少なくとも筆者の周囲には皆無だった。 友人のお父さんが買い替えるということで放出されたクルマを、縁あって破格(ヒトケタ万円とか)で譲ってもらったりしていた。 トヨタでいえばマークIIやクレスタ、日産でいえばグロリアやブルーバードあたりが定番だったように思う。 そういった安く手に入れたクルマを思い思いにいじっていた。 とはいえ、ほとんどのことは性能向上には貢献せず、カッコに関することばかりだった。 今回、その当時、カッコ優先でいじっていた5つのエピソードを振り返ってみたい。 ■1.鉄チンからアルミへ!インチアップも! 当時もアルミホイールは存在していたものの、多くの激安車はスチールホイールだった。 ホイールカバーがついていればまだマシな方で、実際には「ない」方が多かった。 そのため「鉄チン」と呼んでいた。 それにしても、なんで「チン」なんだろう?(笑)。 鉄チンじゃカッコ悪いので(当時ね)、まずは足元から引き締めて、ということでアルミホイールへの交換にチャレンジすることが多かった。 今のようにドライバーズスタンドがたくさんあったり、専門の店が多いわけでもなかった。 そして、新品を買うというアイディアはなかったようにも思う。 そこで街の解体屋さんや部品屋さんへ行って、サイズの合う、タイヤ付きのホイールを探した。 運が良ければ掘り出し物があって、インチアップもできた。 「インチアップ」とは、タイヤの外周のサイズは同じだが、ホイールの直径を大きなものに交換するということだ。 ホイールが大きいと何がいいのか? まず、何がいいってカッコがいい(笑)。 カッコ以外にもメリットはあって、重たいゴム(タイヤ)の量が減り、ホイール自身も軽くなる。 さらに足下のバネ下重量が軽減されるため、バタつき感がなくなり乗り心地が良くなる。 また、タイヤの左右のたわみも減るので、カチっとしたコーナーリングが可能になる。 カッコばかりでなく性能の向上にも貢献するのだ。 ■2.車高を調整する カッコいいアルミホイールに交換したら、次にタイヤとフェンダーの隙間が気になりだすのは当然の流れだと思う。 げんこつが入るほど隙間が開いていたら、ちょっと悲しい気持ちになってしまう。 かといって、スポーツショックや、ショートスプリングを買うお金もないが、スプリングコンプレッサーを買うくらいのお金だけはなぜか持っていたりした。 というわけで、若者はバネを切って車高を調整することになる。 その状態で車検を通るかどうか微妙なことになるし、乗り心地も悪くなる。 段差や障害物でサスペンションが深く沈んだあとの反発で伸びるときに、スプリングが外れるなんてリスクもあるし、アライメントもずれるので、再調整も必要になる。 いいことなんてないことはわかっているが、唯一いいのは「カッコいい」ことだけだ。 車種によっては、ジャッキで持ち上げてタイヤをはずし、スプリングコンプレッサーをかませておけば、グラインダーでバネを切ることができてしまうものもあった。 いま思えばありがたい時代だった。 少しでも臆病な若者は半巻または一巻きカットしたところで一度ジャッキから下ろし、調整の具合を確認するが、気の短い若者はいきなり二巻カットしたりする。 バネを切って、タイヤを着け、ジャッキを抜こうとするが、ジャッキをかける部分が下がり過ぎて、ジャッキが抜けなくなることがあった。 もう大バカものである。 しかし、当時の若者は「ジャッキが抜けなくなるほどバネを切った」ことが自慢話にもなった。 そんなバカなところも含めて昭和のカッコよさはちょっとおかしかった・・・のかもしれない。 ■3.カーフィルム(プライバシー保護は重要) 当時のクルマは今のクルマに比べて、ガラスの面積が広く、車外から車内の様子が比較的よく見えた。 エアバッグが入ったり、構造が強化されて太くなってしまったピラーがまだ細かったこともあるのかもしれない。 プライバシー保護のため、若者はガラスへカーフィルムを貼ることになる。 これはもう、必然なのだ。 夏の日差し対策でもあるが、車外から車内が見えない方が都合がいいことが多かったのだ。 ほら、シートを倒して助手席のカノジョ・・・まぁ、詳細は割愛することとしよう(笑)。 サイドガラスはたいていのクルマの場合、ほぼ平面だったが、リアガラスはクルマごとに差はあるものの、複雑な曲面になっている。 おかげでフィルムを貼る際に苦労したものだ。 失敗するとフィルムがシワシワになって縞状の模様になってしまい、これは一番ダサいとされたものだった。 何度かこのリアガラスの局面にフィルムを貼ってコツを掴んでくると、友人のクルマのフィルム貼りに駆り出されてさらに経験値があがって、回数を重ねるごとにみるみる上手になっていく「フィルム職人」が友だちにひとりくらいはいたものだ。 そして、透過度(フォルムの黒さ)は濃ければ濃いほどカッコいいとされていたようだ。 前列のサイドガラスには、透過度の低いフィルムを貼るのは違反ではあったが、おかまいなしの無法者も少なくなかったように記憶している(時効ね)。 ちなみにこのカーフィルム、通常は車内側から貼るものだが、併せて外側からも貼ると、もう、本当に真っ黒になる。 いわゆる「2重貼り」だ。 特に気合の入った一部の人は採用していたようだ。 良い子はもちろん、そうでない子も決して真似をしないように。 夜、何も見えなくなります。 ■4.チカチカハイフラ! ウインカーの点滅のタイミングは道路交通法に定められているが、点滅間隔をそれよりも短くして速い周期で点滅させる改造部品が存在していた。 当時の配線はアナログで単純な構造だったので、通常のリレーと入れ替えるだけで取り付けられ、運転席に点滅の速さ調整をするつまみをつけられるものもあった。 いざというとき、普通の間隔に戻せるように、だ。 これはあんまりカッコいいとは思えなかったので、筆者はチャレンジしなかったが、街中で見たことはあった。 そんな世代の筆者が最近驚いたのは、スローウインカーの存在だ。 ものすごくゆっくり点滅するので、これは危険なことこの上ない。 ウインカーもつけずに車線変更する大型車がいるなーと思ってみてたら、そのトラックは超スロー点滅のウインカーだったりすることがある。 これは危険だし、まずカッコ悪いと思う。 今すぐに止めていただきたい。 ■5.ハイマウントストップランプを後付け 今となっては、製造時から標準で装備されているハイマウントストップランプ。 昭和末期のそこそこ年式のいってしまった中古車には装着されていないものの方がまだ多かった。 新車についているハイマウントストップランプを旧型の自車にもつけようと思うのは、まあ、理解はしやすい。 リアガラスの内側に貼り付けるもの、トランクにくっつけるもの、屋根にくっつけるものなど、いろいろなタイプがあった。 確か、カーステレオの据え置き型スピーカーにストップランプが内蔵されているものまであったように記憶している、 ただ、このブレーキランプの増設のためには、ブレーキランプまわりの配線をいじる必要があった。 これは安全面で重要な制動灯の配線に関わるモノという観点で、無資格者の取り付けは禁止されていたはずだ。 なんてことおかまいなしに取り付けていたのは・・・、いま思えば昭和末期だからこそ許されそうな雰囲気と誤解していたからなのかもしれない。 ■まとめ:自ら手を動かし、汚すことで見える世界がある(はず) いろいろな改造をするのは、自分のクルマのことをよく知るには一番の近道だ。 足回りの構造、ダッシュボードの配線、ドアの構造を知り、内装をはがしたりと、一向に性能の向上には貢献しないにも関わらず汗だくで作業をしていたことを思い出す。 自分ではもう何もいじれなくなってしまった最近のクルマに魅力を感じなくなってしまったのは、そういうこともあるのではないか、と思う。 これから「アガリのクルマ」選びをする予定のアラカン筆者としては、どうしても若いころのこんな改造を思い出してしまう。 あの頃のクルマもいいなあ、と考えたりしてしまうが、今度選ぶクルマはせめてエアコンが装着されたクルマにしよう、とは思っている。 [画像/Adobe Stock ライター/ryoshr]
最近「旧車」という言葉をよく耳にするが、そもそも旧車って、どういうクルマなのだろうか? 字面をそのまま解釈するなら「旧車=旧いクルマ」だから、モデルチェンジされれば、それまでのモデルは旧型となって、旧車の仲間入りと考えることもできる。 でも、イメージとして感じるのは、ある年代以前に生産されたクルマ。 またイギリスのミニのように、1959年の誕生から2000年に生産完了するまで、基本的なデザインを変更することなく生産されていた特例もあった。 90年代末期には、ミニは新車で買えるクラシックカーだと表現する人もいた。 ▲1998年発売の限定モデル、スポーツパックリミテッド。ボディカラーは塗り替えられている では、ある年代とはいつなのか? これは線引きが困難なテーマだ。 例えばR32型スカイライン。 ボクの感覚だと新世代モデルの部類であるが、デビューは89年だから旧車といってもおかしくないのかもしれない。 そこで考えたのが下記に示す旧車の世代分類だ。 分類することで旧車の話をする上で的が絞りやすくなるし、これから旧車道(?)に足を踏み入れようとする人にもイメージしやすいと思うからだ。 ■旧車第一世代:公害対策以前のクルマ 基本的に1973年までに生産されたモデルを示す。 ▲1969年型の対米輸出モデルで、国内ではフェアレディ2000、現地ではDATSUN 2000と呼ばれていた。我々愛好家は、型式であるSR311またはSRL311(輸出仕様)と呼ぶことが多い 日本の自動車産業が、自動車先進国である欧米に追いつき追い越そうと躍起になっていた時代だ。 1964年の東京オリンピック開催を目指し、道路をはじめとするインフラが急速に充実。 1963年には鈴鹿サーキットで第一回日本グランプリが開催されたことにも刺激を受け、国産自動車の高性能化に拍車がかかった。 各社の開発競争も激化し、その結果、今でも魅力に溢れる多くの名車が誕生している。 トヨタ2000GT、1600GT、S800、スカイライン2000GTR、S54型スカイライン2000GTA&B、510型ブルーバード、初代シルビア、フェアレディ1600&2000、ホンダS600&800、コスモスポーツ、ベレットGT&GTR、117クーペ、そして初代のサニー&カローラなど、時代を超えて輝く魅力的なモデルの宝庫だ。 ■旧車第二世代:公害対策初期から、パワー復活のきざしが感じられるようになった時代までのクルマ 概ね、1973年〜80年代初期頃までのモデルだ。 ▲は80年型サニークーペGX。旧車といってもかなり新しく感じる後期型の310サニーである。パワーステアリングやパワーウインドウなどの便利装備はないが、エアコンさえ装着すれば近代的モデルとほぼ同じ感覚で楽しめる 大気汚染防止のために自動車の排出ガス規制が強化されたことから、1973年以降、華やかだった国産スポーツカーは牙を抜かれ、自動車趣味人にとって暗黒の時代に突入する。 点火時期を遅らせたり、酸化触媒コンバーターを装着することで排出ガスを抑えることから始まったのだが、メーカーは年々強化される規制値に対応しなくてはならなかった。 目標としていた規制値を完全に達成できたのは1978年施行の昭和53年規制から。 三元触媒コンバーターの実用化によって達成できたのだ。 規制クリア後は、再び高性能化の流れが戻り、元気で楽しいクルマが復活。 今でも高人気のAE86型レビン&トレノや、KP60系スターレット、「マッチのマーチ」で知られる初代マーチ、直列3気筒エンジンを実用化したシャレードなど走りが楽しいクルマが数多く誕生している。 また、デートカー的イメージが強かったが、当時としては高いボディ剛性とバランスの良い軽量ボディで、FFながらFRに近い挙動を示す軽快な走りが魅力の初代プレリュード誕生もこの時代だ。 ■旧車第三世代:基本的に80年代中期から20世紀末(2000年)までに誕生したモデル 80年代半ばをすぎると、世の中はバブル景気で大賑わい。 ▲走行会仕様にモディファイされたホンダS2000。1999年に発売され2009年をもって絶版となった。イメージとしてはまだ新しいが、後継モデルのない絶版車であり、生産終了が発表された時点で旧車と同等以上に珍重されているモデルだ 旧車第二世代に誕生した初代ソアラが83年のマイナーチェンジ以降販売台数が増え続けていたが、86年に2代目にモデルチェンジするとさらなる大ヒット車となる。 日産の高級セダン「シーマ」と共に、ハイソサエティカーブームを巻き起こした。 スポーツモデルも元気いっぱいで、R32〜R34スカイライン、S13〜S15シルビア、アルテッツァ、SW20型MR2、EF型シビック&CR-X、インプレッサSTi、ランサーエボリューション、そして初代マツダ(ユーノス)ロードスターなど、各社の力作が次々に誕生している。 日産Be-1やパオ、フィガロ、エスカルゴといった限定生産車両や、異業種とのコラボレーションによるトヨタのWILLプロジェクトなど、個性に溢れるクルマが数多く出現したのも旧車第三世代だ。 旧車というより、ネオクラシックな絶版車という感じだけど実用性は高く、気軽に付き合える近代的旧車としての存在感は格別だ。 ■迷ったら「自分が興味を持つクルマの世代を確認」するといいかもしれない 大雑把な分類だし、各世代とも、世代をまたぐ車種もある。 しかし、自分が興味を持つクルマがどの世代付近にあるかを再確認することで、当時のライバル車が見えてくるからワクワク感もヒートアップしてくるのではないだろうか。 「何年式の〇〇が欲しい」とターゲットが決まっているならまっしぐらに進めば良いが、まだターゲットが決まっていないのであれば、世代ごとに魅力を感じるクルマをピックアップするといいかもしれない。 さらに予算を加味しながら少しずつ絞り込んでいくと良いだろう。 実際、ボクの初マイカーもこの方式で選択した。 もっともその当時はまだ旧車という概念がなく、モデルチェンジによって人気が出た旧型モデルや、公害対策等の理由で消滅した絶版車が注目されはじめた頃。 ネットなんてない時代だったから雑誌広告が大きな情報源で、興味あるクルマを見つけるとショップの住所&電話番号をメモし、並べ替えて効率良い訪問方法を考えて見に行ったことが懐かしい。 ■ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切 具体的な車種が決まったら、いよいよクルマ探しだ。 ターゲットとなるクルマが、旧車の中では新しい旧車第三世代のモデルであれば、情報も多く見つけやすいだろうけど、旧車第一世代&第二世代となると簡単には見つからない。 ・・・となると焦ってしまい、別の車種で妥協したくなってくる。 これは、「あのクルマが欲しい」から「あのクルマが」がするりと抜けおち「欲しい」だけが大きく主張してくる恐ろしい症状だ。 ボクも何度かこの症状に支配され、見に行った販売店で、ターゲットはすでに売れてしまってなかったけど、その時たまたま在庫にあった別のクルマを買っている。 でもね、不思議なもので、しばらくすると最初に狙っていたクルマがポロッと現れてくる。 もちろん、偶然の出会いの結果がすべて失敗だったわけではないけど、ピンポイントで狙うなら、辛抱強く、ジックリ構えることが大切だと思う。 ■「買いたい」と思えるクルマに出会えたら、コンディションチェックは必須! ボクの場合、まずボディ全般を観察したのち、下回りを覗き込む。 見たところで状態はよくわからないが、腐食部分や下回りのサビが目立つ場合は評価が下がる。 次にエンジンルーム、トランクルーム、そして室内をチェックする。 最後にエンジンをかけ、試乗できる場合は試乗して、その個体を感じとるようにしている。 このときのチェックポイントは音やクラッチの状態、ミッションの感覚、手を離しても真っ直ぐ走るかどうかなど。 オートマ車の場合は、停止した状態でブレーキを踏みながらニュートラルからリバース、ニュートラルからドライブとシフトして、シフトショックやシフトタイミングの遅れをチェックする。 旧車第三世代のモデルの場合、エアコンの効きやパワステの動きなどの快適装備も重要なチェックポイントだ。 まぁ、ボクが魅力を感じるのは40年以上前のクルマ、つまり旧車第二世代以前のクルマが大部分。 少々の問題は仕方がないことなので、大きくイメージと乖離している場合は別として、基本的にはさほど気にしないようにしている。 ただし、そのままで普通に乗ろうと思って買ったクルマでも、いざ自分のモノとなると、どうしてももっと良くしたくなってくる。 現車の観察は、購入後にかかる改善費用を想定する時間ともいえるかもしれない。 旧車と初めて付き合うという人にとって、購入時に、購入後にかかる改善費用を想定する感覚は理解できないかもしれない。 でもね、どんなに良いコンディションのクルマであっても、経年劣化という現象からは逃れられないわけ。 例えばタイヤ。 まだ山が充分に残っていたとしても、数年以上前のタイヤではいつトラブルが起きてもおかしくない。 安全で快適な旧車ライフを楽しむためにも、交換を前提に考えた方が良いと思う。 また、個人売買やオークションなどの現状販売車両であれば、購入直後に、すべてのオイル交換に加え、オイルフィルターや燃料フィルターなどの交換もやっておくべきだろう。 ■まとめ:積極的に出会いを求めていこう! いろいろな注意点はあるものの、魅力を感じたクルマを特定したなら現在の豊富な情報量を駆使して積極的に出会いを求めること。 そして、予算面がなんとかクリアできるなら、勇気を持って旧車ライフをスタートすると良い。 オイルレベルや水のチェックなどの古典的走行前点検作業に始まるクルマとの対話も楽しいし、走行中のサウンドや独特の匂いもたまらない。 旧車ライフは、手をかければかけるほど、ともに過ごす時間が長ければ長いほど、愛車とのキズナが深まるのだ。 そして、いつの日か心が通じ合い、愛車のちょっとした不調でもすぐに感じ取れるようになる。 そんなときは、「変だと思ったらすぐ工場」を励行すること。 そうすれば、意外なほどフツーに旧車ライフをエンジョイできるはずだ。 クルマとの出会いは偶然と思えても実は必然。 チャンスを逃さず一歩を踏み出し、ディープな旧車の世界を堪能していただきたい。 [ライター・撮影/島田和也]