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今年は例年になく、猛暑を越して“酷暑”という言葉がぴったりだった。 あまりの暑さに、屋外活動のやる気が起きない話もよく耳にした。 それは、クルマを趣味とする、読者の皆様も同じことと思う。 ようやく涼しくなってきた今、スポーツの秋ならぬ“モータースポーツ”の秋は、いかがだろうか。 今回は、クルマ好きなら一度は思う「愛車の性能をフルに試してみたい!」が体験できる、走行会について紹介したいと思う。 ■そもそも「走行会」とは? 走行会とは、サーキットなどを使用して、普段体験することができない、限界付近の旋回性能や加減速を、安全に愛車で楽しむことができるイベントである。 プロのレーサーがおこなうレースを、オリンピックといった陸上の大会と例えるならば、走行会はオリンピックの会場でおこなう、運動会と思っていただければよい。 プロが走行するコースを愛車を駆って走行できる、貴重なチャンスである。 ■走行会にもジャンルがある! まず“走行会”には、いくつかのジャンルがある。 ・サーキット走行・ジムカーナ・ゼロヨン 今回は、この3つを紹介していきたい。 ●サーキット走行 走行会の多くは、サーキットで開催となる。 メジャーなレースで使用される国際コースから、隠れ家的なミニサーキットでも実施されている。 驚くことに、探せば意外な身近な場所にも、サーキットは存在している。 多くのサーキットでは、そのサーキットのライセンスを取得しないと、フリー枠でも走行ができない。 定期的にスポーツ走行をおこない、腕を磨く目的がないと、なかなかに敷居が高い。 しかし、走行会は運営が提示するレギュレーションを満たしていれば、走行することができるのだ。 今回、取材させていただいた「初音レーシング」さんの走行会は、クルマ好きなら誰もが知る、あの富士スピードウェイ 本コースを使用した走行会であった。 しかも、約1時間連続で走れるのは、貴重な機会だ。 ●ジムカーナ サーキットとは異なり、広い敷地内にパイロンが設置され、パイロンを目標に指定された道順で走る競技である。 ジムカーナは、広大な駐車場でもおこなわれることがあり、多くの場所で実施されている。 また、速度域もサーキットほど高くはなく、1台ずつ走行するため、他車を気にせず滑り出しの感覚などを楽しめる。 ●ゼロヨン 全長400メートルのコースを止まった状態から加速して、速さを競う。 ストリートでのゼロヨンレースが舞台であった、ワイルドスピードの第1作目を思い出していただければ、想像に容易いと思う。 全国的にコースは多くはないが、愛車の加速性能をフルに体験するには、もってこいのステージである。 …と、どのジャンルも、参加するにあたっては最低限の準備は必要だが、普段乗っている愛車で走行可能だ。 ■走行会に向けての準備 では、走行会に参加するにあたっての準備について説明しよう。 申し込みについてだが、開催告知と募集の多くはSNSで行われているだろう。 走行会を主催する多くは、チューニングショップやカー用品店である。 スポーツパーツに熱心な、大手のカー用品店では、お店が独自で開催していることもある。 初めてで不安な場合は、お店での募集に申し込むのが良いだろう。 今回、走行会を主催されている「初音レーシング」さんは、VOCALOIDとモータースポーツが好きなメンバーで結成された総合モータースポーツクラブである。 その活動の一環として、“サーキット走行体験して楽しんでもらいたい!”との思いから企画されているとのこと。 このように、モータースポーツが好きな有志によって、開催されるパターンもある。 走行会参加にあたって、1番大事なことは“愛車で無事に帰宅できること”だろう。 レーシングカーのように、積載車で搬入出をするのではなく、自走での参加が基本となる。 そのため、無理を通して、愛車を壊してしまっては元も子もない。 また、走行会といえども、走る場所はサーキットである。 街中やワインディングを走っているのとは、異なるレベルで高負荷がかかるステージなのだ。 走行前は、適切なメンテナンスを行わないと、愛車が壊れてしまうどころか、多くの方を巻き込む事故につながる恐れもある。 今回の走行会は8月の半ば、真夏のなかでの開催となった。 そのため、参加者の方にお話を伺うと、口々に「車よりも人の方がバテてしまいますよ(笑)」とおっしゃっていた。 この暑さのなか、約1時間全開に近い状態で走行されていたが、コース上で止まってしまう車輌はいなかったことが印象的だった。 それは、参加されている方の多くが、きちんと事前にメンテナンスをおこなっていたからこそ。 任意保険の多くは、サーキット走行による事故では適用されない。 その点も留意いただきたい。 自車の破損はもちろん、サーキットを破損した場合も自腹となってしまうのだ。 ただ、サーキット走行用の保険もあるので、走行会前に加入するのも手だ。 走行会の多くは、ヘルメットや長袖、長ズボン、グローブの着用が必要である。 普段着ている服装でも、問題ない。 ヘルメットと滑りにくいグローブを用意すれば、参加準備はOK! その点も敷居を低く、参加しやすくしてくれている。 他に必要なものは、主催者から事前にアナウンスがあると思う。 過去、筆者が参加した経験から、ガムテープやビニールテープ、養生テープは忘れずに持参した方が良いだろう。 配布されるゼッケンの貼り付けはもちろん、レギュレーションによっては、事故時の破片飛散防止に、灯火類へのテーピングが必要となる。 また、ブレーキフルードのキャップやバッテリーの端子なども、脱落防止のためテーピングが必要になることもある。 テープは持参必須のアイテムなのだ。 ■走行会当日の流れ ここからは、今回取材にご協力いただいた「初音レーシング」さんの流れをもとに説明していこう。 走行会当日、受付でゼッケンを手渡される。 サーキットによっては、トランスポンダと呼ばれる計測器も一緒に渡されることもある。 車輌に取り付けることで、周回タイムを測定される。 走行終了後、各ラップのタイムを渡される。 同じコースを走るレーシングカーとのタイム差を知ることができるのも面白い。 周回ごとに、何がタイムに影響を及ぼすのかの発見にも繋がるだろう。 車輌の準備としては、ゼッケンを貼り付け、不要な荷物を下ろす。 必要ならばテーピングもここで済ませておく。 準備がある程度終わったタイミングで、ドライバーズミーティングがおこなわれる。 その際、主催者からサーキット走行上の注意点、黄色や赤のフラッグの意味などが説明される。 初めての方でも、不明点は遠慮なく質問をすれば良い。 走行開始時間になったら、誘導に従いコースインする。 最初は、先導車について完熟走行から。 車内から見たコースの広さに驚くことだろう。 先導車がピットに入ったタイミングから、待ちに待った愛車の性能を試すチャンス! ただ、油断をしてはならない。 公道とは違い、景色の流れがゆっくりと感じるため、想像以上にスピードが出ている。 これは過去、筆者が走行した際に感じたことだ。 コーナー進入時、きちんと減速をおこなわないと、クルマは遠心力で外側に引っ張られていく。 さっきまで広いと感じたコースだが、気を付けないとコースアウトしてしまうほどなのだ。 安心して欲しいのは、サーキットは仮にコースアウトしてしまっても、エスケープゾーンが広く設定されていることが多い。 愛車の性能、自身のテクニックを踏まえ、無理のない範囲でコーナーを攻める経験をしてもらいたい。 ただ、あくまでも“愛車で帰宅する”点をお忘れなく。 運動会は、余力を持って楽しむことが重要なのである。 走行が終了したら、各車ピットに戻り片付けをしつつ、走行タイムの一覧表を受け取ろう。 閉会式後には、参加者へさまざまな景品が当たる抽選会がおこなわれた。 勝敗を決めるレースではないため、アットホームな雰囲気である。 先述したように、「初音レーシング」さんは、VOCALOIDとモータースポーツが好きなメンバーで結成された総合モータースポーツクラブである。 そのため、当日もラッピングされた痛車の展示も同会場で行われていた。 今回の走行会で、筆者の琴線に触れる車輌も走行していた。 T31型エクストレイルのMTだ。 意外と知られていないが、ガソリンエンジンにもMTの設定があったのだ。 そこに、ワンオフでスーパーチャージャーを取り付けられていた。 走行している姿は、エクストレイルとは思えない走りだった。 何度かこの走行会に参加されているそうだが、今回はあまりの暑さにエアコンを入れて走行していたとのことだった(笑)。 ■ちょっと走ってみたい人向けに体験走行枠も ここまで読んでいただき、サーキットを走ってみたいが、走行会でも不安な方は居られるだろう。 そんな方向けに「初音レーシング」さんでは、体験走行枠も用意されている。 これは、ヘルメットの着用はいらず、乗車定員まで同乗可能となっている。 先導車に続き、追い抜きは禁止。 トップスピードも100キロほどと、高速道路を走行する感覚で、サーキットを走行できるのだ。 また、車輌規定も「自動車専用道路走行可能なクルマ」なので、軽トラ含め、さまざまな車種が参加されていた。 体験走行なら、家族みんなで楽しむことができるので、お子様が同乗すれば「サーキットを走った」という、特別な思い出になるだろう。 ■愛車でサーキットを駆けたくなった! 久しぶりに、愛車でサーキットを走りたい衝動にかられた。 涼しくなり、人にも車にも過ごしやすい季節となった。 もっぱら“食欲の秋”を満喫中だが、走行会に参加して“モータースポーツの秋”にするのも楽しそうだ。 興味を持った方は、冬が来る前にぜひ、行動してもらいたいと思う。 今回取材にご協力いただいた初音レーシングの皆様、ありがとうございました。 ●初音レーシングHPhttp://hatsune-racing.club/ [ライター・画像 / お杉]
ある晴れた週末。 愛車のS2000で走っていたときのこと。 対向車線を走ってきたマツダ ロードスターとすれ違うとき、オーナーが片手をあげて挨拶してくれた。 筆者も当然のように手を振って応えた。 ロードスターは屋根が開き、オーナーの笑顔がよく見えた。 筆者も笑顔になった。 バイクでは「ヤエー」と呼ばれている挨拶である。 このような「心のハイタッチ」ができることは、オープンカーの魅力のひとつではないかと思う。 もちろん「ヤエー」は強制でもマナーでも何でもなく、わかり合っている者同士のコミュニケーションであるが、オープンカーに乗るとこのようなイベントを含めて非日常という刺激を味わうことができる。 前回のコラムで、オープンカーの魅力について少しふれた。 景色、匂い、温度、音の変化からドライブの余韻を味わったまま飲むビールのおいしさまで、五感 で楽しむ乗り物だと感じている。 ●18年・33万キロを駆けぬけてきた愛車、ホンダS2000の3つの魅力とは?https://www.qsha-oh.com/historia/article/attractive-3-points-of-s2000-s2k/ 今回はオープンカーのいちオーナーとして、魅力やオーナーならではのエピソードを綴ってみたい。 ■オープンカーの魅力 ▲筆者の愛車はホンダ S2000(AP1) よく語られる「オープンカーの魅力」。 そもそも屋根がないというだけで非日常を楽しめるが、具体的な「魅力」とはどんな感覚なのか、 そして走らせているときはどんな感情なのかを改めて考えてみたい。 ●「オープンエアーを感じる」とは? オープンカーの魅力としてよく語られるのが圧倒的開放感、そして「風を感じて走る」こと。 走り出した瞬間、体が「風に包まれる」ような感覚を覚える。 風が吹きつけるというよりは「やわらかさ」を感じられて本当に心地良い。 風の感じ方は車種によって異なるだろうが、フロントガラスがあることで風当たりが緩和されるのかもしれない。 風と一体になったようなオープンエアーがクセになるので、屋根を開けて走る理由は大きい。 ●人生が楽しくなるとは? オープンカーに乗ると「所有の喜び」を感じられるのはもちろん、生活のさまざまな部分にこだわりたくなり、カーライフとリンクさせたくなる。 それは人生を楽しむことにもつながっていく。 例えば、オープンカーがきっかけでドライビングシューズを履く人もいるかもしれない。 愛車の色と 同じ色のシューズにすれば、愛車と離れている時間も愛車を感じることができ、所有の喜びを感じられる。 生活の些細な部分で幸せを感じる瞬間が増える。 筆者はオープンカーミーティングでオープンカーの仲間と知り合った。 20年近く経つが、仲間とは今も交流が続いている。 ▲※写真はイメージ ■オープンカーのベストシーズンは冬? オープンカーのベストシーズンが冬といわれるのはなぜなのだろうか。 春先は気候も良く、桜を見ながら走れてベストシーズンと思われがちだが、花粉症の人にとっては地獄の季節。 オープンドライブどころではない。 筆者の周囲にも「花粉症で屋根なんか開けられない」というオーナーは多い。 夏のオープンドライブは...やめておいたほうが無難だ。 カンカン照りの日中に屋根を開けて走る人を見かけることがあるが「オーブンカー」と呼ばれる通り。 重度の日焼け、熱中症の危険がある。 それに暑さは体力を消耗させる。 安全運転のためにも夏の日中は避けたい。 夏に乗るなら早朝か夕方が良いだろう。 秋は涼しく、紅葉の季節でもあってベストシーズンといっても良いかもしれないが、林道など山の中を走るときは虫に注意。 オープンカーはまれに虫が車内に入ってくる。 筆者はアブが入ってきて、追い払うのに苦労したことがある。 また、秋はスズメバチが攻撃的になる季節でもあるので要注意だ。 そうなると、やはり冬がベストシーズンなのである。 ▲S2000の場合はエアコンに「こたつモード」と呼ばれる機能がある。足元まで暖かく快適 ■オープンカーのデメリットと対策 デメリットよりもメリットのほうが多いと思っているが、デメリットは工夫次第でカバーできるし、こだわりのポイントとして楽しむこともできる。 ●紫外線から目を守って疲労軽減 ファッションアイテムとして見られがちなサングラス。 もちろんファッション性も高いが、遮るものがないオープンドライブでも必需品。 紫外線から目を守って疲労を軽減してくれたり、飛来物から目を守ったりしてくれる。 軽量で強度のあるものだとなお良い。 ●手がベタつかない日焼け止め 日焼け止めは、こまめな塗り直しが必要とされる。 しかし、手にとって塗るタイプはベタついてしまうので、運転中に使うのは少し億劫かもしれない。 そんなときはミストタイプの日焼け止めを常備しておくと便利。 素早く使えるし、メイクの上からでもOK。 手がベタつかない日焼け止めはオープンドライブの強い味方といえる。 ●グローブは手汗や日焼けも防ぐ ロングドライブも多くなるのでグローブは必須。 冬は防寒として役立ち、夏は手汗でステアリングが滑るのを防いでくれる。 筆者はレーシングタイプが気に入っている。 手首までカバーでき、ふかふかしてつけ心地が良い。 それに、ジムカーナなどの走行会にも対応可能だ。 ●鳥の糞や雨漏りなどに備える タオルや洗車シートを載せておくと便利。 オープンにしていると、車内に砂やホコリが舞い込んで ダッシュボードが汚れがち。 気になったらサッと掃除できる。 筆者のS2000はウェザーストリップから雨漏りするので、雨水を拭き取るタオルを常備している。 それから、鳥の糞が落ちてくることがまれにある。 小鳥の糞は問題ないが、鷺のように大型鳥の糞になると大惨事! 筆者はフロントガラスに直撃した経験があり、大量の糞を拭き取るのに苦労した。 洗車シートを常備していれば、万が一のとき本当に助かる。 もし体に直撃したら...温泉にでも入りにいこう。 オープンカーに乗るには、おおらかさも必要かもしれない。 ▲基本はキャップだが冬場はニットキャップに。耳もカバーできて暖か。シーズン通してアームカバーよりも機能性アンダーウェアを着る機会が多いかもしれない ●幌の劣化を想定しておく オープンカーの最大のデメリットといえば、幌が破れてくることかもしれない。 ソフトトップの車種は、交換を見据えたメンテナンスが必要となる。 ハードトップの装着、屋内保管などで幌を長持ちさせる方法もあるが「開けてナンボだろ!」という人は、幌の限界を試すのも楽しいかもしれない...!? ▲S2000の純正幌は「HVデニム」と呼ばれるビニールレザー製。過去2回交換。破れるとシリコン剤で補修していた ■筆者のこだわりは? 筆者は隙があれば屋根を開けるタイプだが 「いつでも開けてます、オープンジャンキーです!」というわけではない。 仕事場へ向かうときはクローズだ。 緊張感もあるが、これから取り組む仕事に集中したいと思ってしまい、開けたいという気持ちにはならない。 仕事が終わった帰り道にオープンドライブすることはよくある。 長く乗るために遠回りすることも。 仕事の余韻と解放感を味わいながら走るのが好きだ。 筆者のオープンドライブは、メンタルと連動している。 ▲S2000 は仕事でも乗るのでいつも一緒にオープンドライブを楽しんでいる ■とにかくオープンカーはいいぞ 旧車の国産オープンモデルは多く、選択肢が多いという魅力がある。 好みのスタイルや乗るシーンに合わせながら選ぶのは楽しいと思う。 これから秋も深まり、オープンカーでのドライブが気持ち良いシーズン。 今まさに購入を検討している方はぜひ。 「オープンカーはいいぞ!」 このひとことに尽きる。 [ライター・撮影 / 野鶴 美和]
■クイーンの生涯とともに歩むLand Rover 1948年、女王エリザベスは21歳という若さでクイーンとなりました。 あの美しさからは想像できませんが、若いころから冒険家で好奇心旺盛、家のなかより外へ出て活動することを好んでいたそうです。 自らメカニックについて勉強し、クルマの知識も一般人よりはあったといいます。 第二次世界大戦中は、軍用車を運転していたほどです。 クルマ好きのクイーンが所有していた車輌は、アストンマーティンをはじめ、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、GM、フォルクスワーゲンなどさまざまですが、そのなかで彼女にもっとも愛され、生涯乗り続けたクルマが、ランドローバーでした。 21歳のころクイーン憲章を受けたとき、憲章と一緒に父が所有していランドローバーも受け継ぐことになりました。 数々のクイーンを写す映像や写真はいつもランドローバーと一緒で、このクルマに乗ってパレードをしていたこともありました。 クイーンの住むバッキンガムパレスはロンドンにがありますが、ノーフォークという田舎町にも家があり、ほとんどの時間はそこで過ごしていたようです。 王室の仕事以外は、シカを追って銃ハンティングしたり、山でのピクニック、馬の世話と乗馬など、趣味も多岐に渡っていました。 そんな趣味のためにはこのクルマは必須であったようで、彼女にとってフィールドを走るのにランドローバーが最適だったのでしょう。 ■Land Roverと英国皇室の長い歴史 ランドローバーが製造されたのは1948年で、オリジナルのLand Rover社によってこの世に出始めました。 皇室との結びつきは約70年に及び、Land Rover社がクイーンの父ジョージ6世に献上したことから、王室との付き合いが始まりました。 1951年、Land Rover社は王室から勲章を与えられ、王室の特別な自動車ブランドとなったのです。 またクイーンの夫であったエディンバラ公フィリップ王配もランドローバーの大ファンであり、彼もまたアウトドア派であったため、夫婦ともにランドローバーが生活にかかせないものでありました。 王室パレードの際は、必ずといっていいほどランドローバーでのお目見えでしたので、英国民誰もが知っているほど、クイーンとランドローバーの付き合いは深いものでした。 何台かのランドローバーのうち、クイーンが好んで運転していたのは、ランドローバー ディフェンダー110でした。 初代のランドローバーは普通サイズで見た目もかっこよくなく、贅沢さが一切ないオフロード用、すなわち山道やでこぼこ道を走るためのものでした。 しかし1984年にディフェンダーシリーズができ始めてから、ディフェンダー90、その後110、127、130などが製造され、外見や性能なども磨かれていきました。 ■ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたクルマ クイーンや王室にはとっても好かれていたランドローバーですが、その乗り心地はどうなのでしょう。 まず、最初にいわれるのがサスペンション。次に大きくて重ステ、足元は飛行機のエコノミークラスと同じくらい狭い、エンジン音が大きい、外見がかっこよくない、故障しやすわりに簡単に修理ができない、などなど…。 ランドローバーはそもそもオフロード用に製造されたため、農家のクルマなどと呼ばれていたこともありました。 一般の国民にとって日常生活に必須のクルマであれば、あえて農家のクルマなど選択しないでしょう。 逆に少数派ランドローバーファンにとってのこのクルマの魅力は、象徴的なデザインと四駆ならではのパフォーマンスであるといいます。 デコボコの山道を走る際、サスペンションの悪さゆえに体が上下にゆれたり、沼地にはまったときのランドローバーの見せどころなど、これらを楽しむ人もいるのです。 また車体の各パーツは頑丈で、強度の高いもが使用されていたり、クルマのフレームはアルミニウムを使った梯子型に作られており、剛性を増しています。 エンジンは、初期の1948年製は1.6Lガソリンエンジン、1958年には2Lエンジンができ、その後は徐々に大きさを増していって、ディーゼルエンジンも使用されるようになりました。 他にも、4シリンダーエンジンから、さらにV6エンジン搭載となり、馬力も徐々にアップされていきました。 ちなみに、初期のまだそれほど馬力がないオリジナルランドローバーは、第二次世界大戦中にはジープ同様、軍用車としても活躍していたのです。 ■Land Rover は、いまやセレブリティ車 クイーンはランドローバーの他にも、いくつかのクラシックなレンジローバーも所持していました。 特にお気に入りなのは、2004年製レンジローバー ヴォーグでした。 レンジローバーはランドローバー社のラインアップのひとつであり、1970年代からフラッグシップモデルとして認識されています。 2013年にJager Land Rover社に代わってから、莫大な数のレンジローバーを世に売りだしてきました。 ランドローバーの各モデルはオフロード向け、そしてレンジローバーは、もっとゆったり感と贅沢さを加えたSUVという位置付け。 この贅沢なレンジローバーが、一般層にも人気が出てくるようになりました。 それはセレブリティ達が乗るようになってきたからです。 キーンの名曲「Somewhere only we know」をカヴァーしたことでも有名な歌手リリー・アレン、映画「アンブレイカブル」シリーズに出演しているサミュエル・L・ジャクソン、映画「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で数々の主演女優賞に輝いたリース・ウィザースプーンなどが所有しています。 最近ではランドローバー車全体がブラッシュアップされ、外見もスマートになり、品格を感じさせる方向性へシフトされました。 乗り心地のよい贅沢さや洗練さを追求するために、もちろんサスペンションのコイルも変え、ハンドルを軽くし、もっと静かに、そして車内には広いスペースを確保。 インテリアにもこだわりの素材を使用して、一般人が憧れるクルマへと進化していきました。 現在では、クイーンもよく運転していたディフェンダー110のニューモデルが発売されています。 かなりのお値段ですが、こちらも現代的かつ贅沢さを備えている素敵なクルマです。 70年以上の年月とともに、農家のクルマが贅沢な高級車へと変化してきた理由の根源にあるものは、やはりこのクルマが王室から始まり、クイーンに溺愛されてきたからだと思います。 クイーンが亡くなった今も息子のチャールズ現国王へと受け継がれ、ロイヤルファミリー全員に可愛がられています。 そのためクラシックランドローバーは、今後ますます希少なものとなるでしょう。 もし機会があるのならば、私は「とっても乗り心地が悪い」と指摘されることもある、初期のランドローバーに乗ってみたいと思いました。 [ライター・SANAE / 画像・Land Rover]
寿司の世界には、握り、巻物、押し、炙り…といった種類(カテゴリー)があり、「まずは中トロの握りで!」と食べる順番すら楽しみであったりする。 冒頭から日本の食文化を語るつもりはないが(汗)、クルマ購入の際、まずはカテゴリーを念頭に置いておくことが第一歩といえ、そのカテゴリーを築いていったパイオニア(開拓者)にスポットを当てるシリーズ企画。 最終回となる3回目は、「コンパクト」カテゴリーを世間へ広く認知させていった、立役者にして開拓者の、ホンダ初代フィットの真の魅力に迫ってみたい。 今振り返っても、まさに「小さなスーパースター」である! ■今や月販1万台を超える超人気車もある「コンパクト」カテゴリー。現行4代目フィットの先祖が広く認知させていく トヨタならヤリスやルーミー、日産はノート、スズキはスイフト。そしてホンダはフィット(上写真。左はフィットクロスター)……など。 2023年現在、手軽に使える&乗れるクルマとして日本のユーザーに浸透したカテゴリーが「コンパクト」。 月販台数が1万台を超える超人気車もあり、ヤリスクロスやヴェゼルなど、コンパクトモデルのプラットフォームをベースに人気のSUVに仕上げたクルマもある。 この「巨大マーケット・カテゴリー」を築いた先駆者が、2001年に登場したホンダ初代フィットと言っていいだろう。 しかし、それ以前、小さなクルマが国産車になかったかといえばそうではない。 トヨタ スターレットや日産 チェリー、日産 マーチ、ホンダ シビック、ホンダ シティ、三菱 ミラージュなど、軽自動車とは一線を画す、登録車としての小さなクルマは人気が高かった。 思えばシビックはホンダのコンパクトカーの代名詞だった。 世代を重ねるたびに少しずつ巨大化し、現行モデルは全長4595mmもあるセダンクーペというカテゴリーに属している。 ……立派な姿になりましたね。 ■「MM思想」を体感できる室内。キャパでやってきたことは間違いではなかった…という証だ 前項で述べたように、少しずつ変化し、巨大化していくシビックに成り代わる、魅力的なコンパクトカーの開発が、ホンダには求められていた。 それを受け、1996年にはロゴ(上の写真)が誕生し、そのプラットフォームを流用したキャパが1998年に誕生。 ……が、いずれも人気を得ることはできず、残念ながら数年期間の販売という短命に終わった。 キャパは「キャパシティ」(許容範囲)という英語から取った名前のとおり、コンパクトサイズなのに室内が広いという部分が自慢だったが、コンパクトカーのわりには値付けがやや高めというマイナス面が行き渡り、販売面は厳しかった……。 が、それら2台の「イマイチな空気感」を断ち切ったのが、2001年登場の初代フィットだ。 ロゴ後継車とされるが、21世紀に入ったばかりのなか、ブランニューモデルの輝きが実に新鮮だった。 なんといっても最大の特色は「室内の広さ」。 ホンダの4輪モデルの根底に流れる「MM思想」(MMとはマンマキシマム・メカニズムミニマムを意味する)がここにあり!というパッケージング。 それは、スペース効率に優れたグローバル・スモールプラットフォームを採用した功績が大きく、コンパクトカーとは思えない広さに専門家も、ユーザーも驚いたものだ。 初代フィットを横から見ると、エンジンルームをできるだけ狭くした分、室内を広くとっていることがわかる。 MM思想の典型といえよう。 当時、筆者も乗り込み、「レジェンドより広いんじゃないの!?」と思ったほど(いや、マジです)。 世間に室内の広さでインパクトを与えたこの事実は、キャパでやってきたことは間違いではなかったということだろう。 ■日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2002年は年間販売台数で登録車1位という快挙! もちろん、見た目のインパクトも絶大で、それまでのハッチバック・コンパクトカーとはベクトルが違う丸みがあり、どこか親しみが湧くデザイン。 女性ウケもよかった。 燃焼効率を高めた新開発の1.3Lエンジンで燃費もよく、シートアレンジも多彩。 普段の買い物はもちろん遠乗りでもストレスはなし。 「このクルマ、いいね!」 そう感じさせる出来映え。 さらに、筆者的には3連メーターが気に入っている。 デジタルメーター旺盛な今、改めて見ると、どこかスポーティな雰囲気にワクワクしますね! 初代フィット登場前にもトヨタ ヴィッツやマツダ デミオなどのコンパクトカーは多数あったが、フィット人気は絶大。 その2001年、日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞という快挙も成し遂げた。 2002年以降、トヨタ ist (イスト)や日産 マーチの新型が発売されるなど、各メーカーはコンパクトカー・カテゴリーにも重きを置く戦略を敷く。 それでもフィットは売れまくり、2002年の年間国内販売台数は、なんと25万790台。 33年間トップを維持していたトヨタ カローラを抜き、登録車1位になった。 「新しい時代の国民車」といっていい存在となった瞬間である。 ■初代の魅力をしっかり受け継いだ2代目と3代目。「コンパクトカーの顔」となっていくフィット 室内パッケージングに革命をもたらし、年間販売台数1位を記録。 さらに日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞と、数多くの勲章を得た初代フィット。 コンパクトカー・カテゴリーのベンチマーク的存在となり、その後、誕生する日本のコンパクトカーたちに多大なる影響を与えたクルマであったことは間違いない。 まさに「コンパクトカー・カテゴリーの開拓者」である。 そして、ホンダ フィットの2代目(2007年誕生・上写真)は初代のDNAを受け継ぎ、2世代続けて日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ハイブリッドモデルも追加される。 3代目(2013年誕生・下写真)はグローバル市場でも最量販車となることを目標にしたモデルで、顔つきがシャープに変わったことが話題を呼んだ。 現行4代目(2020年誕生)は、クロスターという時代のニーズに合わせたクロスオーバーモデルも設定するなど、バリエーションの妙が実にユニーク。 目(ヘッドライト)が初代のように丸っこいものに戻ったのもエクステリアの特徴だ。 正直、売れゆきはいまひとつの現行4代目モデルだが、筆者は好きである。 「この室内の広さにはやっぱり驚く!」 初代が生み出した「賜物」は、4代目でもしっかりと体感できる。 [ライター・柴太郎 / 画像・photoAC、Dreamstime、Honda]
私(ライター・林)、この夏に新たなクルマをお迎えしました。 2001年式の「アルファ ロメオ 145」というクルマです。 右ハンドルの正規輸入車、色はシルバー。 すでに所有している2002年式のアウディ 初代TTは据え置きで、いわゆる“増車”というヤツです。 ご縁があって我が家にやってきたイタリアっ子、なかなか小粋で良いクルマ。 これから色々な場所に連れて行って、ドライブを楽しみたい素敵な一台。 …ということで、今日はそんな新たな仲間、アルファ ロメオ 145をご紹介したいと思います。 ■予想だにしない選択・アルファ ロメオ アルファ ロメオのクルマ、以前の私にとっては何だか縁遠く感じるものでした。 アルファ ロメオといえば妖艶で熱血派、そんなイメージがあったのです。 私にとって、クルマとは等身大で向き合うべき道具。 アルファロメオは私の生活には釣り合わない、明らかにトゥーマッチな、エネルギッシュな嗜好品だと考えていました。 ところが知人から「アルファ145興味ある?」という連絡が届いたとき、なんだか私でも扱いきれる気がしたのです。 写真にうつるアルファ ロメオは、さして特徴のないシルバーの塗色で、凹凸に欠ける四角いフォルムをしていました。 妖艶とはほど遠く、むしろ寡黙、悪く言うなれば地味な印象。 「これなら私でも普段使いできるかも」と思えたのです。 ヘッドライトはガラス製で曇らないし、リアウィンドウはかわいらしいポップアップ式の開閉機構付き。 そしてリアシートはダブルフォールディング(座面跳ね上げ式)で、フルフラットになる優れモノ。 ボクシーかつ低く構えた華美過ぎないデザインは、世界的に名を馳せるデザイナー、クリス・バングルによるもの。 魅力的に映らないはずがありません。 ■侮るなかれ、ぴりりと辛いドライブフィール 私のアルファ145に搭載されるパワーユニットは、直列4気筒DOHC16バルブ・排気量2Lの自然吸気エンジン。 一気筒あたり2本の点火プラグを有する、ツインスパークと呼ばれるエンジンです。 肝心のスロットルはワイヤー式で、アクセル開度に応じて自在にエンジンのスロットルを制御できる点が非常にグッド。 変速機は5速マニュアルです。 現車確認の舞台は都内某所。 交通量の多い幹線道路に出てアクセルを踏み込むと、実に気分よく加速していくのです。 大排気量エンジンの緻密さこそ持ち合わせていないものの、「クォーン」といった音がします。 吹けあがりも豪快で、ビュンビュン回るエンジンには驚きました。 2Lエンジンでも、こんなにも豊かなフィーリングを得られるものなのか…! 車線変更をしてみると、予想よりもクイックなハンドリングに思わずニンマリ。 アルファ ロメオのステアリングは、イタリアの峠道を愉しめるよう、鋭いハンドリングに仕立てられていると以前に聞いたことがありました。 少しハンドルを切っただけで、鼻先が軽く動く楽しさといったら! いつもなら苦痛な都内の幹線道路が、なんと楽しい事でしょう。 ■同じようなクルマでも、やっぱり全然違うから面白い そんなこんなで、現車確認中に「買います!」と宣言してしまったので、すで所有しているアウディ 初代TTとアルファ ロメオ 145の2台持ちをすることになりました。 初代TTとアルファ145は、全長・全幅・全高のスリーサイズはほぼ一緒。 変速機はどちらも5速マニュアルで、駆動方式がFFである点も共通しています。 ついでに年式もほぼ同じです。 「いやいや、その2台はキャラ被りじゃん」と思ったアナタには、ぜひ2台を乗り比べていただきたい。 私が所有する2台、スペックこそ近似しているけれど、全く異なった設計思想を感じるのです。 ドイツ的「特別なクルマ」である初代TTと、イタリア的「普通のクルマ」であるアルファ145。 2台乗り比べてみると、驚くほど異なっていて面白いのです。 まず、運転席から見える景色が全然違います。 初代TTが目指したものは、パーソナルなスポーツカー。 窓の天地は意図的に狭められていて、閉塞感を感じます。 運転していて、特別感があるのが嬉しいポイント。 対して、アルファ145の窓はかなり大きめ。 乗員が広々と感じられるように、ウィンドウデザインが工夫されている点が特徴的です。 全体のデザインを見比べてみると、明らかなる設計意図の違いを感じることができるでしょう。 アルファ145のデザインはスクエアで、室内空間を極力無駄にしないよう努力した痕跡が、あちこちに見られます。 対して初代TTは、曲線を多用してキャビンを大きく絞り込んでいるから、室内空間は非常にタイト。 デザインが最優先であったことを感じさせます。 初代TTの魅力は、直進安定性が高い(比較的応答性が鈍い)ハンドリングに、中間加速が気持ち良いターボエンジン。 休日にアウトバーンを駆け抜けることに適しているのかもしれません。 やっぱり、少し特別なクルマです。 対してアルファ145は、普段使いがより楽しくなるクルマ。 ストップアンドゴーが多い街中を駆け回るのが楽しい、愉快なクルマなのです。 ■2台あるともっと楽しい、等身大のクルマ遊び アルファ145と初代TT、どちらも捨てがたい魅力を有しています。 どちらも20年落ちの安価な輸入中古車、傍から見れば「壊れそうなオンボロばっかり集めて…」といった感じかもしれません。 けれども、この2台だったら、私は胸を張って乗り回せる気がするのです。 アルファ145と初代TTの2台は、私の「クルマ観」の体現に他なりません。 あっそうそう、そういえば、アルファ145は既にエンジンオイル漏れとフューエルリークで1回入庫させています。 コツコツと手を入れていって、少しずつクルマのことを理解して、懸念なく連れ出せるように仕上げることが当座の目標です。 ときどき、記事を通じてアルファ145のお話をすることもあるかと思います。 今後とも、お付き合いくださいね。 [ライター・画像 / 林哲也]
前回、旧車界のアイドル「S30型 フェアレディZ」の魅力をお伝えする「基本編」をお送りしました。 今回はその続きとなる「中級編」をお届けしようと思います。 みなさんは初代のフェアレディZというと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか? 近年の旧車ブームから旧車に興味を持った人や、マンガの「悪魔のZ」が好きな人は、ショートノーズのスタイルを想像するでしょう。 その一方で、私のようにスーパーカーブームのころZに出会ったという人や、タミヤなどの模型で知ったという人などは、ノーズ先端が流線型に尖った「Gノーズ」を装着した「240Z」のスタイルを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。 この、どちらがS30型のフェアレディZっぽいのか?というイメージは前述のように人それぞれで、おそらくそのまま好きなZの姿と一致しているのではないかと思います。 ちなみに私は「どちらも好き」です(笑)。 初めて見て心を奪われたのは240Zの流麗な姿でした。 前回お伝えしましたが、スーパーカーブームの時に、大判のスーパーカーの写真集に堂々と載っていたのがマルーン(あずき色)の「240z」でした。 ランボルギーニやフェラーリ、マセラティなどのスーパーカーに魅了されていた同級生達と写真集を囲みながら「おれはカウンタック!」「じゃあボクは512BBもらう!」なんてワイワイいい合っていたなか、それらのイタリアン・スーパーカーに後ろ髪を引かれつつ、「日本のフェアレディZもかっこいいよ!」と言った私に対して、周囲の反応は真っ二つに分かれたのを覚えています。 赤や黄色など華やかなボディカラーをまとった、いかにもエキセントリックな形のスーパーカー達に比べると、わりと身近な感じがするZのデザインとマルーンの地味なカラーは、少年達の心を奪うにはいささか物足りなかったのかもしれません。 ただその当時、そんな友達といっしょに自転車で走っているときにZとすれ違えば、やっぱり他の乗用車とは異なる存在感と、走る姿のカッコ良さに、しばらくみんなで見とれていたシーンも忘れられません(淡い記憶では、白の240Zだったと思います)。 そして時が経ち、オトナになってから改めて出会ったZは、ショートノーズでした。 オトナになった私の、子供時代からのZに対する印象をガラッと塗り替えてしまった車輌は、ゼロヨンのコースで現行車に負けない迫力の走りを見せつけていました。 その迫力と共に、ノーズの短いスッキリとしたスタイルリングが、私の心にしっかりその存在感を刻みつけたのでした。 ■Gノーズ装着の「240Z」の誕生と根強い人気のワケ 「240Z」はS30系・フェアレディZの派生モデルの一つで、流線型のノーズカウルとリヤゲート後端のスポイラー、そしてリベット止めのオーバーフェンダーが装着された性能上位モデルとして、初期の発表から2年後にラインナップされました。 旧車ファンの間では「240(ニーヨンマル)」または「240Z」といえばGノーズ装着のモデルを指しますが、正式名は「フェアレディ240Z-G」となります。 さらにいうとこの「240Z」の元祖は、北米輸出仕様の「ダットサン240Z」です。 排気量が大きく広い土地を突っ走るアメリカ車の市場に食い込むため、1,998ccのL20型エンジンのボア&ストロークをアップして、2,393ccに拡大したL24型エンジンを搭載した左ハンドル仕様の車です。 意外と知らない人もいるかもしれませんが、「240Z-G」と同じ時期に、「ダットサン240Z」を逆輸入したようなショートノーズの「フェアレディ240Z」も併売されていました。 このGノーズは見掛けだけのものではなく、れっきとした空力パーツとして開発されたものです。 「240Z」同士でショートノーズの車両と最高速度(カタログ値)を比べると、ショートノーズ車の205km/hに対して、「240Z-G」は210km/hと5km/hアップしています。 参考までに、L20型搭載の初代フェアレディZの最高速は185km/hです。 当時は、カタログや雑誌で発表される最高速の数値を見てはスポーツカーのファン達が一喜一憂していた時代なので、この5km/hの差はけっこう大きいものでしたが、近年の300km/hオーバーが当たり前の時代では誤差のような数値でしかありません。 しかし、今の旧車ファンの心を捉えている要素はもはやそこではなく、やっぱりあの流麗なシルエットに惹かれて憧れたという人が多いのではないでしょうか。 ■もうひとつの派生モデル「Z432」がいかに特別だったのか 当時の日産が力を入れていたのがレースで勝利することでした。 日本でもツーリングカーレースの観覧席が毎回満席になるほどの盛り上がりを見せていた時代で、フェアレディZのイメージアップのためにレースで勝つという目的で高性能モデルの「Z432」を投入しました。 レースで勝つための最大のポイントとなるエンジンは、当時合併したばかりのプリンス自動車が開発した、レース用エンジンとほぼ同じ設計である「S20型」が搭載されました。 「432」の由来は4バルブ・3キャブレター・2カムシャフトという意味で、今風に言うとDOHCの高性能設計エンジンに、競技用のスポーツ・キャブレターを装着、という感じです。 当時の国産車で4バルブ機構を持つエンジンは他に無く、160馬力というパワーは2000ccクラスのエンジンとしてはぶっちぎりの性能でした。 そのため、市販車を改造した車輌にもかかわらず、ほぼレース専用設計の車輌(ポルシェ908やフォードGT40など)とレースで互角に渡り合い、狙った以上のイメージアップを達成しました。 実物の「Z432」を見掛ける機会が何度かありましたが、そんな素性にもかかわらず、低回転での排気音は意外なほど静かで、「さすがに市販車はいろいろ規制されているんだな」と思いました。 しかし、エンジンの回転を上げたときにその印象はガラッと変わり、精密な部品が高回転でキレイに作動したときに生まれるキレイな高音を響かせていたのが印象に残っています。 ■当時と今では人気の度合いがまるで逆!?4シーターの「2by2」 初代の発売から4年後に施行された「48年排出ガス規制」によって、高出力なモデルが直撃を受け、「240z」や「Z432」がカタログから姿を消していきました。 そんななかで追加されたのが、ボディ中程を延長して4シーターにした「2by2」です。 イメージリーダーだった高性能モデルが無くなり、活気が削がれた感のある販売状況でしたが、この「2by2」がカンフル剤として効き、フェアレディZの売り上げをV字回復させました。 当時のフェアレディZは2シーターだたっため、一部の限られた層にしか需要がありませんでしたが、この4シーター化によってファミリー層にも需要が広がったのです。 その結果、S30系全体で最も多くの販売台数を記録したモデルとなったそうです。 しかしこの人気は近年の旧車ブームになると真逆といって良い状況になってしまいます。 美しいフォルムを持つ昔のスポーツカーというイメージで見たときに、「2by2」の長いフォルムが野暮ったく受け取られ、一転して不人気車扱いになってしまったのです。 昨今に目を向けると、フェラーリやポルシェの4シーターモデルがひとつのジャンルを確立している状況もありますが、趣味のクルマとしてのS30系・フェアレディZはやっぱりカッコ良さが第一、ということなのでしょう。 ちなみに、ここ数年の旧車ブームの様子を見ていると、徐々に「2by2」の人気が上向いてきた気配を感じます。 運転席に収まってしまえば2シーターのZと何ら景色は変わりませんし、趣味と実用性を兼ねて1台持ち、というスタイルの旧車ファンが「2by2」を求めるようになってきたようです。 ■おわりに この後は、昭和51(1978)年に施行され、さらに基準が厳しくなった「51年排出ガス規制」に対応させるため、キャブレターだった燃料供給装置がインジェクションに置き換わったり、触媒の装着など排気ガス規制対策デバイスが追加されました。 さらにパワーウインドウの導入などの電動化が始まったりと、細部に変更が加えられましたが、昭和53年に次期モデルの「S130系」にバトンタッチされ、生産が終了となりました。 世界全体では55万台もの数が生産されて、歴代のZの中でもトップと言われるS30系・フェアレディZですが、現存する台数は見る影もありません。 昨今は、手に入らないといわれていた外装パーツのリビルド品も増えてきたようで、ダメージを受けても修理が容易になってきたようです。 とはいえ、まだまだ替えが効かないパーツも多くあります。 ドライブに出掛けた後は水分を飛ばしてやるなど、できるだけケアをおこない、末永く一緒に過ごせるように目を掛けてあげてください。 次回はフェアレディZの系譜とその魅力【S30系・マニアック編】をお届けする予定です。 お楽しみに。 [ライター・往 機人 / 画像・日産]
■男のコはミニカーが好きである 男のコはナゼかミニカーが好きである。 それはほとんど本能といえるかもしれない。 とにかく、ほとんどの男のコはミニカーで遊ぶ。 もしも家の近くに鉄道が走ってたら「鉄っちゃん」に走るかもしれないが、そんな子たちでも「ミニカー遊び」は避けることのできない、男のコの儀式のようなモノなのだ。 このジェンダーフリーの世の中で「男のコ」だなんていうのもアレだが、それでも仕方がない。 カレーライスが好き、ハンバーグが好き、というのと同じレベルで、男のコはミニカーが好きなのだ。 みなさんはミニカーというと、何を思い出す? 国産だったら「トミカ」とか「ダイヤペット」かな。 英国製の「コーギー」とか「マッチボックス」なんかも有名どころ。 米国製だと「マテル」とか「ホットホイール」とか。 スーパーなどでは「マジョレット」など見かけるし、模型店だと「ブラーゴ」とか「シュコー」とか、ちょっと高級なモデルを見かけたりする。 そんなミニカーではあるけれど、多くの「男のコ」たちは、大人になる前にミニカーの多くを手放してしまう。 ナゼかわからないが、オトナになるにしたがって、自分の周りからミニカーがなくなってゆくのだ・・・・・。 ■オトナになってもミニカーが好きである さて、前置き(笑)はこのくらいにして、そうして育った「男のコ」たちの一部は、オトナになると、またミニカーを集め始める種類のヒトが現れる。 あるいは、旧いミニカーを実家の押し入れの中から発掘して、ノスタルジーにとらわれつつ、なんとなく手元に置いておいたり、机の上に飾ったりしたりしてしまうヒトたちもいる。 そして、そのなかの何人かは「自分の乗っているクルマ」や「自分の乗っていたクルマ」のミニカーを手に入れ、眺めてニヤニヤする、という性癖に陥る人たちもいたりするのだ。 ヤバいぜ。 またはミニカー繋がりで、プラスティックモデルに走る人もいるだろう。 いずれにせよ、ミニカーというのは、オトナになってしまった「男のコ」たちの郷愁を誘ったりするモノなのだ。 それが「旧い」モノであればなおさら。 いやはや、そういうワタクシも発掘してしまったわけですよ、ミニカーを。 いつ買ったのか?買ってもらったのか?なんでこんなの持ってるんだ?みたいなのが出てきて、自分でもびっくり。 今回はそんな「自慢(笑)」のミニカーを、ムリやりご覧いただこうと思う。 ■旧車のミニカー(あるいは)ミニカーが旧車 ●日産ディーゼルのダンプカー 「男のコはダンプだろ!」ということで、多分みんな持ってたダンプカー。 昭和生まれなので昭和っぽい日産ディーゼルのダンプだが、ゴツい感じがダンプっぽくって良いね。 ダイナマイトどんどん! もちろん荷台はダンプ可能。 ●トヨタメールカート って、車体の裏に書いてあるんだもん。 よく知らんけどこんな車あったんでしょうかね。 クラウンか何かの特装車なのかもしれません。 荷物室のドアが開くギミックがついてるです。 フロント周り見るとコロナっぽい気も。 ●トヨタセリカ(初代) スペシャリティカーのご先祖セリカ。 2ドアクーペでカッコいいスね。 このミニカーはちょっとぼてっとした感じだけど、まあ、誰が見ても「セリカ」だってワカるのがすてき。 コレは外せない1台。 ●メルセデス・ベンツ 300SL リアルで買ったら1億円オーバーのガルウイングも、小さな男の子の憧れかも。 ちゃんとガルウイングが開閉するのもカッコいいな。 色はシルバーに決まっている。 うむー、かっこいいなあ。 ●ランチア ストラトス スパーカーブームの中でも、ちょっと異端派のストラトスだけど、こうしてみるとシャープでなかなかイカす。 ボンネットのアミアミが黒くなってるのは、マジックで塗ったからかな? 元々そうだったのか全然覚えてないデス。 ●ランボルギーニ カウンタック コレは多分だいぶ後に手に入れたやつだろうか、傷ついてないから。 ブルーのカウンタックって正直似合わねーとおもって、あまり遊ばなかったのかもしれない。 だからキレイなのかも。 ホイールがストラトスと同じだ。 ●タダノクレーン車 ナゼかみんな持ってるクレーン車。 クレーンがちょっとだけ伸びたりするギミックで、いろんなもの釣り上げたりして遊ぶんだよなあ。 こうしてみると、なかなかいい造形ではないか。 というわけで、なんで持ってるんだかワカらない車種の数々だが、よく残ってたもので(笑)。 ■本命のミニカーは別にある そして、ここからあとは「積極的に自分で集めた」というより、自分が乗ってるクルマだから手に入れたというミニカーをご紹介。 そう、その車種はモチのロン、シトロエン2CVであります。 ●ブリキのシトロエン(赤) ワタクシがまだ2CVを手に入れる20年以上前に千駄ヶ谷あたりの雑貨屋で売ってた2CV。 中国製でプルバックゼンマイが内蔵されている「走るヤツ」だ。 たしか900円くらいで手に入れた。 プロポーションはまあまあだが、細かい部分の造形がやや甘い。 とはいえ、フランスの農民車らしい安っぽい感じがとても気に入っている。 安くて頑丈なのは本物の2CVと同じ。 ●ダイキャストのシトロエン そらいろの2CVは銀座の教文館で発見。 クリスマスプレゼント用に年末に売りに出されていて、こちらも980円とお手頃価格。 とはいえ、値段の割にはムッチャ出来がいい。 プロポーションも細部の作りも手抜きなしのGOODモデル。 自分の持ってる2CVに近い色なので即購入。 赤い2CVよりも一回り小さいけれど、コレもお気に入り。 とても良い買い物でありましたことよ。 ■やっぱりミニカーすきでせう? という感じで、歳を重ねてもヤング・アット・ハート(笑)。 男のコの時代からずっと付き合ってきたミニカーは、いまだに本棚の端っこにゴチャって固まって置かれていたりするのです。 さてみなさんいかが? 実は1台や2台や3台くらい、ミニカー持ってたりするでしょ? 自慢の1台、あるんじゃないすか? 捨てられないやつがあったりしませんか? 男のコだったら身に覚え、あるでしょう? うひひひ。 [ライター・画像 / まつばらあつし]
海外ドラマや映画の中には、よくクラシックカーが登場します。 特に歴史的な物語を描いている作品に多いといえますが、その時代に主流だったクルマのデザインを映像で知ることができ、映画もドラマも大好きな筆者にとっては楽しみな要素のひとつとなっています。 映画やドラマに出演している俳優や著名人の中にも、クラシックカー愛好家がいるのを知っているでしょうか? ときどき、ファッション誌の特集などで紹介されているのを目にしますが、富も名誉も手にしているスターが最先端の技術と機能を兼ね揃えたハイテクなクルマではなく、あえて古いクルマに乗っているということにとても興味を持ちました。 実際にはどんな人がどんなクルマに乗っているのでしょう? ハリウッドスターからスーパーモデルまで、海外セレブが愛してやまないクラシックカーを紹介していきたいと思います。 ■ランボルギーニ ミウラ SVJ 1971年製(Lamborghini Miura SVJ) 1966年にデビューした「ランボルギーニ・ミウラ」のサスペンションを作り直し、エアロエンハンスメントを追加し、V12を400馬力以上に改善した最高傑作といわれているのが、「ランボルギーニ ミウラ SVJ」です。 この希少価値の高いクルマに乗っているのは、なんと俳優のニコラス・ケイジ。 名作「リービング・ラスベガス」でアカデミー賞主演男優賞やゴールデン・グローブ賞など数々のアワードを受賞し、「ザ・ロック」「フェイス/オフ」など大作映画に出演しています。 日本人のリコ・シバタさんと結婚したことでも話題となりました。 世界中に不動産を所有しているニコラス・ケイジですが、イランのシャーから1971年製「ランボルギーニ ミウラ SVJ」を購入したとのことです。 しかし経済的理由から、2002年にはすでに売却してしまったというエピソードもあります。 フォルムだけでなく、車内も同色で統一され、マットな質感がより一層高級感を引き立てています。 ■ポルシェ 356B 1963年製(Porsche 356B) ポルシェ社が1948年に初めて世に送り出したモデル、356シリーズ。 356Bは1959年に発表され、ボディはスチール製でエンジンは1.6Lになり、1961年には2.0Lエンジンが追加されました。 小型ながら丸みを帯びたフォルムがエレガントで女性に好まれそうですが、大道芸人から俳優へと転身したパトリック・デンプシーが溺愛しているとのことです。 「ザ・プラクティス/ボストン弁護士ファイル」や、大ヒットとなった医療ドラマ「グレイズ・アナトミー」で知られています。 クルマも多数コレクションしているとのことですが、最初に所持した1963年製の「ポルシェ 356B」が最もお気に入りのようです。 幼少期にポスターで見た「ポルシェ 911」を所持したかったようですが、当時は高価すぎたため「ポルシェ 356B」を購入したというエピソードもあります。 ■ロールスロイス シルヴァークラウドⅡ 1959年製(Rolls-Royce Silver Cloud II) 1959年に「シルヴァークラウド」からモデルチェンジしたのが「シルヴァークラウドII」です。 最大の違いは、エンジンが直列6気筒からV型8気筒に載せ替えられたことにより、排気量は6227ccとなりました。 デスティニーズ・チャイルドのメンバーとしてデビューし、ソロとしても3rdシングル「イレプレイスブル」が全米チャート10週連続1位、グラミー賞における多数の受賞歴など、輝かしいキャリアを誇る世界の歌姫ビヨンセ。 そのビヨンセが愛車として乗っているのが、1959年製の「ロールスロイス シルバー・クラウドⅡ」。 ラッパーで夫のジェイ・Zが、ビヨンセの誕生日にプレゼントしたとのことです。 美しいブルーのソフトトップとホワイトウォールタイヤを備えたコンバーチブルバージョンで、インテリアには豪華なソフトレザーが使用されています。 ■エクスキャリバー SSロードスター(Excalibur SS ROADSTER) 「エクスキャリバー SSロードスター」は、1930年代の名車メルセデス・ベンツ SSKを現代に蘇らせたモデルです。 主にスチュードベーカーのシャシーにSSK風のボディを被せ、シボレー製のV8エンジンを積んでいます。 SSKの美しいボディと、アメリカンなV8エンジンの組み合わせを楽しめるのは、まさにレプリカモデルならではと言えるでしょう。 そもそもモデルとなったメルセデスのSSKとは、ポルシェの生みの親であるフェルディナント・ポルシェが設計したスポーツカーです。 優れたデザインや性能で当時から人気でしたが、オリジナルはわずか37台のみという希少さ。 レプリカといえど、俳優、実業家、そして政治家と、あらゆるジャンルで成功を収めたアーノルド・シュワルツェネッガーの愛車とあって納得です。 ■MG MGB 1960年製 「MGB」は、1955年に販売開始された「MGA」の後継車として、1962年10月にMG(BMC)から発売されました。 マツダ・ユーノス ロードスターが登場するまで、世界で最も多く販売されたオープンカーとして知られています。 1962年から生産され、1980年10月までアビントンで生産されましたが、工場の閉鎖にあたり、周辺では反対運動が起こるほど支持されていました。 世界中から愛されたこのクルマを愛用しているのは、誰もが知ってる説明不要のスーパーモデルであり、UK版『ヴォーグ』のコントリビューティングエディターも兼任しているケイト・モスです。 クラシックカーでありながら、シャープで前衛的なデザインのオープンカーがとても似合いますね。 ■フォード ピックアップ 1940年製(FORD PICKUP) 主に農業の貨物輸送用に使用されていたピックアップトラックですが、1924年にフォード・オーストラリアが生産を開始したのがはじまりといわれています。 1950年代によりスタイリッシュなモデルを各社が生産し始めましたが、1940年に製造された「フォード ピックアップ」はコロンとしたフォルムが愛らしく、街中を走ってもトラックらしくないスタイリッシュなデザインです。 これと同じではないですが、似たデザインのクルマに乗っているのが、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ等に出演している人気俳優のオーランド・ブルーム。 これまでポルシェ、マクラーレンなどのスポーツカー愛好家として知られてきましたが、クラシックカーやEV車も愛用しているとのことです。 セレブリティーは多数のクルマを所持しているイメージですが、古くて希少価値の高いクラシックカーを長年に渡り、大事に乗っているエピソードは好感が持てますね。 [ライター・Kana / 画像・Lamborghini,Rolls Roycemotorcars,MG]
■「ステーションワゴン」の王道を走っていた。レガシィツーリングワゴンの物語のはじまり ナポリタンにミートソース、さらにはペペロンチーノ……。 カテゴリー(種類)豊富なスパゲティに選ぶ楽しさ、味わう楽しさがあるのと同様に、クルマにもカテゴリーは多く、クルマ選びの楽しさを倍増させていると感じる。 スパゲティの話からという、やや大胆な入りになったが(汗)、クルマのカテゴリーの基盤を築き、軸となっていった「開拓者」に迫るシリーズ。 その2回目のテーマはステーションワゴン。 そして開拓者は「スバルレガシィツーリングワゴン」の初代(上写真)。 これに異を唱える者はいないでしょう。 きっと! ■スキーや釣りなどのアウトドアレジャーの人気の高まりが、背景にあった スバル初代レガシィツーリングワゴンの誕生前夜、日本車にステーションワゴンがなかったわけではない。 1970年代末から1980年代にかけて、スキーや釣りなど、アウトドアレジャー人気が高まるのと並行するように、トヨタ スプリンターカリブや日産 サニーカリフォルニアなどのステーションワゴンが誕生。 そして、スバルレオーネからもステーションワゴンが誕生する。 この後継モデルこそ、初代レガシィツーリングワゴンだ。 1980年代に各メーカーからいくつか生まれたステーションワゴンは、それまでのライトバンと異なり、当時の人気のカテゴリー「セダン」と同じ、あるいはそれ以上の機能を備えるカテゴリーとしてジワリとユーザーに定着していく。 ■居住性に驚き、走りにも驚いた。「ツーリングカーの新時代」を感じた初代モデル ▲いきなりですが、時代を一気に駆け抜け、2009年登場のレガシィツーリングワゴン5代目モデルに登場いただいた! そして、バブル真っ盛りの1989年。 スバルレオーネの後継モデルとして、初代レガシィツーリングワゴンが誕生する。 レオーネ同様、4ドアセダンもあったが、注目はツーリングワゴン。 洗練されたスポーティなスタイリングが、なんといっても目を引いた。 1970年代末、それまで格好いいともてはやされた「ラッパズボン」が急に格好悪く見えたように(例えが古いですか?)、それまでの各社のワゴン・デザインが急に、やぼったく見えたほど……。 2Lターボエンジンが搭載され、セダンにも引けを取らない走行性能。 スバル特有の4WD走破性に加え、エアバネと減衰力可変ダンパーを備えるグレードもあり、乗り味は上質。 ……走りに関する、これらのウリ文句だけでもウットリするほど。 そのうえで5人がムリなく乗れる居住性があり、ラゲッジに荷物をたくさん積める実用性。 さらに後席を倒すと、長さ1685×幅1365mmという広大なフラットスペースが現れる。 この「優秀さ」がユーザーに認められ、初代レガシィツーリングワゴンの人気とともに、「ステーションワゴン」というカテゴリーは市民権を得ていくわけだ。 ■初代~3代目までは5ナンバーサイズ。「荷物満載の長距離移動でも快適でした!」 ▲こちらは2代目モデル。初代のDNAが注入され、レガシィ人気を定着させた どこか洒落た匂いがする、レジャーヴィークルという位置づけとなったステーションワゴン・カテゴリー。 各メーカーからも「ならばウチも出そう!」とばかりに、本格的に開発されたステーションワゴンモデルが次々と投入され、日本にステーションワゴンのブームが到来したのが1990年代前半。 この軸となったのは、間違いなく初代レガシィツーリングワゴン。 「国産車ステーションワゴンの開拓者」、その称号にふさわしいモデルだ。 その初代に続き登場した2代目(1993年)は、初代のDNAを受け継いだモデルで、3代目(1998年)は大胆に顔つきを変えたのが話題になった。 それ以上に、FFモデルが廃止され、全グレードが4WDとなったことがクルマ好きの心を躍らせたのは記憶に新しい。 そして、この3代目までが5ナンバーサイズボディというのも、今となっては驚く。 そういえば2000年のころ、筆者は友人が所有する2代目レガシィツーリングワゴンに乗り、4名で東京~新潟・釣りドライブに出かけてことがある。 1泊2日の旅だったが、荷物や釣り具を満載した状態での長距離移動でも快適だったことを思い出す。 数時間ほどしか運転せず(寝ている時間のほうが長い!)、今でもみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだが(笑)。 ■トヨタ、日産、ホンダ……。各社からのワゴン包囲網をものともしない「安定した実力」 ▲3代目モデル。全グレードが4WDとなったのも話題になった! 初代がステーションワゴンというカテゴリーを切り拓いて定着させ、2代目でそのカテゴリーを盤石のものにしたといっていいスバル レガシィツーリングワゴン。 3代目が誕生した1990年代後半から21世紀に入ったころは、世の中に「RVブーム」が巻き起こり、各メーカーからのステーションワゴンの新規モデル投入はますます過熱。 トヨタからはカルディナ、カローラワゴン、マークⅡクオリス、クラウンワゴン、アルテッツァ・ジータなど。 日産からはプリメーラワゴンやステージア。 さらには、ホンダ アコードワゴン、三菱からはランサーセディアワゴン、ディアマンテワゴン、加えてマツダ カペラワゴン……など。 一部しか車名を挙げていないが、壮観ともいえる各メーカーのラインナップ数だ。 そのさなかでもスバル レガシィツーリングワゴンの凄みは圧倒的だった。 「ステーションワゴンとしての出来」で見た場合。 総合評価で、どのモデルもレガシィツーリングワゴンには及ばない、というのが当時の専門家の評価だったと記憶している。 数多のライバルを敵にまわしても、王者レガシィの座は揺るがなかった……ということである。 レガシィツーリングワゴン、恐るべし。 ■後継モデルとしてレヴォーグが誕生。ここにもレガシィDNAはしっかりと息づく ▲初代レヴォーグ ステーションワゴン・カテゴリーの開拓者となり、世代が変わっても常にステーションワゴン界の主役であったレガシィツーリングワゴン。 2009年誕生の5代目が最終モデルとなり(海外ではレガシィの名前は継続販売)、2014年、後継モデルとなるレヴォーグが誕生。 2023年現在、2代目が現行モデルとなり、スタイルや走りはもちろんのこと、先進安全技術などの評価も高く、人気を博している。 さらに、2023年9月にはレヴォーグをベースにした、レヴォーグレイバックというSUVモデルが登場するなど、「レガシィツーリングワゴンのDNA」は新章を迎えている。 ちなみに、筆者のイチ推し世代は2003年登場の4代目モデルである。 ▲レガシィ4代目モデル レガシィ初の3ナンバーサイズモデル(といっても車幅は1730mm)で、扱いやすさと徹底した軽量化が施された、街中でもロングツーリングでもベストな相棒というワゴンだ。 EJ20エンジンを踏襲しながらも、出力などをブラッシュアップ。 ドライバーになんら不満要素を与えないモデルだったと思う(……実燃費が悪いのはご愛敬ですが)。 多くの自動車評論家の評価が今でも高く、その年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝いたのも納得といえる一台である。 [ライター・柴太郎 / 画像・Dreamstime, 旧車王]
普通の人なら、ネジなんてドライバーかスパナで回せば緩むんじゃないの?と思われるかもしれません。 ですが、旧車王ヒストリアの取材対象になるような年式のクルマの場合、長年の使用でネジ山の隙間に埃が詰まったり、何度も再塗装されたために塗料が固着したり、ネジ同士が錆び付いたりなど、緩めることが困難になることが往々にしてあります。 その際に、無理にネジを回そうとしてネジの頭部分を破損する、いわゆる「ネジをナメる」ことで回せなくなったり、ネジが中で折れてしまいネジが取れなくなるという事があります。 ■基本は緩めるネジにあった工具を使い、強引に回さない ナベネジ、皿ネジの場合は必ず頭の切れ込みの大きさにあったドライバーを選びます。 切れ込みに入ればいいと小さいドライバーで無理に大きなネジを回そうとすると、切れ込みを破損する「ナメる」原因になります。 六角ボルトの場合はなるべくメガネレンチ、ソケットレンチを使います。 片口スパナやモンキーレンチは「ナメる」原因になります。 どうしてもスパナがやソケットレンチが入らない場所、手持ちに合うサイズが無い場合など、やむを得ない理由がある時以外は極力使わないようにしてください。 ■固着したネジの緩め方 まずは、CRCなどの浸透性潤滑剤をネジに吹き付けます。 鍋ネジ、皿ネジの場合、切れ込みに合った貫通ドライバーをあて、ドライバー後端をハンマーで叩いて打撃を与えると、かなりの高確率でネジが回ります。 打撃を回転力に変えることでネジを回す「インパクトドライバー」という工具も存在します。 自分でクルマを弄る人なら持っておいて損は無い工具です。 六角ボルトの場合は、同様にCRCを吹き付け、大き目のマイナス貫通ドライバーをボルトにあて、同じ要領で打撃を与えます。 ネジが回り出したら、無理に最後まで回そうとせず、回りにくくなったら一旦そこで止め、逆方向(締める方向)に回します。 この緩める・締めるの動作を繰り返しているうちに、ネジ山に詰まっているサビやチリが剥がれ、CRCが浸透していきます。 次第に回転角度が大きくなり、回転も軽くなり、最終的にネジを外すことができます。 DIYのお供として、CRCやMD-40などの浸透性潤滑剤が必須アイテムなのは言うまでもありません。 摺動部の潤滑よりも、固着部分の潤滑剤としてのほうが重要という方も多いと思います。 最近は「凍結浸透ルブ」という、ボルトを凍結収縮させることでサビや固着部分にクラックを入れ、潤滑剤を浸透させやすくするスプレーもあります。 ■ネジの頭をナメてしまった場合の緩め方 ドライバーやスパナがネジの頭の切れ込みや角をえぐり取ったときのグニッとした感触は、なんともいやな物です。 プラスネジの場合は、糸ノコやディスクグラインダーでネジの頭に切れ目を入れ、マイナスドライバーで緩めるという方法があります。 六角ボルトの場合、もしも12角のメガネレンチかソケットでボルト・ナットの角をナメかけた!と思ったら、即作業を中止して、6角のメガネレンチかソケットで作業を再開してください。 12角よりも6角の方が、ボルト・ナットに対する接触面が増えるためです。 ボルト・ナットの角が少しえぐれた程度なら、6角のメガネレンチでボルト全体を回せば持ち堪えてくれる可能性はまだまだあります。 完全にネジの頭が潰れてしまい、ドライバーもスパナ・レンチでは回せなくなった場合、バイスプライヤー、ロッキングプライヤーと呼ばれているプライヤーで直接ネジを掴んで回します。 バイスプライヤーは鋼鈑やパーツを貼り合わせるときの仮止めにもよく使うので、2~3種類は持っておいて良い工具だと思います。 ■破損したネジを外す専用工具を使う 最近は「ネジザウルス」という、破損したネジを緩める専用のプライヤーもあります。 ネジザウルスブランドを展開する「株式会社エンジニア」では、「ネジレスQ」という外れなくなったネジを外すための相談も受け付けています。 ネジの頭が完全に破損したり折れてしまった際は「エキストラクター」という工具を使います。 逆タップとも呼ばれ、テーパー型のタップに左回りのネジ山が切られています。 ナメてしまったネジの頭にドリルで垂直に穴をあけ、エキストラクターを左回転でねじ込んでいきます。 ポンチで位置決めをしてから、細いドリルで垂直に穴を開け、順番にドリル径を大きくしていきます。 ボルトに開けた穴にエキストラクターを差し込み「左回り」に回転させると、折れたネジが抜けるハズなのですが、撮影時はうまくいかず、ネジ山を別の方法で再生させました。 その様子が次項です。 ■いっそネジに工具を直接溶接してしまう 溶接機を持ってる人限定ですが、余っている工具や不要になった工具を、ネジに直接溶接してしまうという方法もあります。 熱を加えることで、膨張、収縮を繰り返し、固着部分が剥がれるという効果も期待できます。 いずれの方法を用いてもネジが緩みも外れもしないとなれば、あとはドリルやボール盤でネジをもみ切り、修正タップやリコイルヘリサートを使ってネジを再生することになります。 次回はネジの再生手段について書きたいと思います。 [ライター・画像 / 鈴木 修一郎]