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RVブームの只中にあっても、まだまだセダンが全盛だった1990年代初頭。 各メーカーとも、大小さまざまなセダンモデルをラインナップしていました。 たとえば、トヨタなら「コルサ」「カローラ」「コロナ」「カリーナ」「カムリ」「セプター」「ウィンダム」「マークII」「クラウン」「アリスト」「セルシオ」…… 日産なら「サニー」「パルサー」「ブルーバード」「プリメーラ」「セフィーロ」「スカイライン」「ローレル」「セドリック」「プレジデント」…… といった具合(兄弟車まで含めるとさらに多い!)。 ▲今回のテーマ車、ラファーガ そんななかでもホンダは、“ワイド&ロー”を強調したスポーティスタイルのモデルで個性を発揮。 モデル名でいえば、「シビック」「コンチェルト」「アコード」「アスコット」「インスパイア」「ビガー」「レジェンド」など。 アイルトン・セナが活躍したホンダF1の全盛期だったこともあり、特に走りやスタイリングにこだわりを持つ“クルマ好き”な人たちに選ばれていました。 今回のテーマ車「アスコット/ラファーガ」兄弟は、1993年10月に登場したクルマ。 アスコットとしては2代目で、ラファーガはその兄弟車として登場したニューネームでした(初代アスコットはアコードの兄弟車だったから、ちょっとややこしい)。 ■キャッチコピーは「背が高いこと」 直列5気筒エンジンを縦置きにしたユニークなFF(前輪駆動)プラットフォームは、アコードインスパイア譲りのもの。 ここに「背高・高効率」のボディを載せたことが一番の特長でした。 当時を知っている人なら、「背が高いこと」のキャッチコピーを覚えているかもしれません。 具体的にいえば、初代アスコットの全長4680mm×全幅1695mm×全高1390mm(ホイールベース2720mm)に対し、全長4550mm×全幅1695mm×全高1425mm(ホイールベース2770mm)。 「短く・背高く・ロングホイールベース」とすることで、取り回しのしやすさと室内空間の拡大を狙ったというわけ。 ▲2代目アスコット さらに、サイドウインドウの傾斜角を少なくし、シートのヒップポイントを高めるなどして使い勝手にも配慮。 ホンダは、これを「ホンダ発・セダン新潮流」「高密度ダイナミックセダン」と表現していました。 スタイリングは、長いホイールベースを生かしたロングノーズ・ショートデッキで、まるでFR(後輪駆動)車のよう。 シンプルな面構成のボディに、小さなグリルが特徴です。 ワイド&ローを強調するため、薄型かつ横長のグリルが多かったホンダにあって、この小さなグリルが新鮮でした(どっしり感を出すため、バンパーグリルはワイドにデザイン)。 アスコットとラファーガは、ヘッドライト・グリル・フォグランプ・ウインドウトリムでそれぞれを個性化。 ▲左:アスコット、右:ラファーガ アスコットは、ブライトメッキのヘッドライトに縦格子のグリル、丸形フォグランプ、クロームウインドウトリムで落ち着いた雰囲気。 ラファーガは、ブラックのヘッドライトに横格子のグリル、角型フォグランプ、ブラックウインドウトリムで、スポーティな装いです。 インテリアもシンプルな意匠で、高級感と使い勝手の良さを両立。 上部まで生地貼りのドアトリムがユニークで、ホンダでは「シンプルでありながら、完成度の高いウェルテーラードインテリアが新しい感覚をもたらしています」としていました。 ▲アスコットのインテリア ▲レザー内装も設定 エンジンは2.0リッターと2.5リッター、2種類の直列5気筒を搭載。 2.0リッター車は5速MTと4速AT、2.5リッター車が4速ATで、全車2WDのみの設定でした。 サスペンションは全車、4輪ダブルウイッシュボーンと“走り”のホンダならでは。 2.5リッター車では、フロントタワーバーも標準装備していました。 ■最大のライバルは身内にあり 現代の目で見ればコンパクトで上質、凝ったメカニズムのセダンはとても魅力的に見えますが、残念ながらこの2代目アスコット/ラファーガは、大きなヒットに恵まれることもなく4年で生産が終了。 アスコット/ラファーガの名称もここで途絶えてしまいます。 ホンダ渾身のセダン新潮流は、どうしてヒットに至らなかったのでしょうか。 その理由は、名車&迷車列伝で取り上げるクルマの多くがそうであるように、クルマのデキによるものではなく、外的要因によるものだったといえます。 しかも、アスコット/ラファーガの場合、“身内”によるところが大きいのが、悲運なところ。 1つはホンダ・セダンモデルの旗艦車種、アコードのフルモデルチェンジ。 アスコット/ラファーガが登場するわずか1カ月前、5代目アコードが発売されています。 ▲5代目アコード この5代目アコードは、マークIIを始めとしたライバルたちが続々と“3ナンバー化”をしていくなかで、北米向けと同様のワイドボディを採用し上級移行。 グラマラスになったボディは、ホンダらしいスポーティネスを備えていました。 しかも、ボディの拡大はボディ全体におよび、全高は1410mmにアップ。 アスコット/ラファーガとの全高の差はわずか15mmしかなく、アスコット/ラファーガの「背が高いこと」は、発売時点ですでにそれほどアピール力を持つものにはならなくなっていたのです。 もう1つは、アコードをベースとした派生車種の登場。 1994年の「オデッセイ」に、1995年の「CR-V」、そして1996年の「ステップワゴン」と、新しい価値観を持つ(そしてずっとずっと背の高い)クルマが現れ、セダンという狭いくくりのなかでチャレンジしたアスコット/ラファーガの新鮮さは、さらに失われてしまいます。 1995年のマイナーチェンジ時には、大胆なリヤスポイラーを装着し、スポーティさを強調した「2.0CS」を追加しますが、販売向上の活力とはならず。 1997年にアコードが6代目へとフルモデルチェンジするのと呼応するように、生産終了となりました。 ▲ラファーガ2.0CS ▲2.0CSのインテリア なお、6代目アコードには新たに「トルネオ」という名の兄弟車が登場しており、「アコードの兄弟車」という意味で、このトルネオをアスコット/ラファーガの後継車とする向きもあります。 ■生まれるのも廃れるのも必然だった 「ホンダ発・セダン新潮流」へのチャレンジの方向性は間違っていなかったといえますし、実際に生まれたクルマはとても魅力的なものであったと思えます。 それでもヒットに結びつかなかったのは、バブル崩壊により人々の志向が大きく変わり、またRVやミニバンへの“ファミリーカーのシフト”が起こった激動の時代にあったためでしょう。 また、5代目アコードと登場の時を同じくしてしまったことも、アスコット/ラファーガが今ひとつ頭角を現せなかった一因だと言えそうです(その点ではホンダの失策でしょうか)。 ▲アスコットにはアスコット・イノーバという兄弟車も存在 仮にアスコット/ラファーガがあと3年早く登場していたら、その存在感はもっと大きなものになっていたはず……というのは簡単ですが、バブルに向かっていくイケイケの1980年代後半にこの実直なコンセプトが生み出せたかというと、難しかったでしょう。 アスコット/ラファーガは時代の中で必然的に生まれ、必然的に悲運を背負っていったのです。 まさに名車&迷車として語りたい、そんなクルマではないでしょうか? [ライター・木谷 宗義 / 画像・ホンダ]
「パジェロ」や「デリカスターワゴン」のヒットにより、RVブームの先陣を切ってきた1980年代の三菱。 RVが一般に浸透するとともに、高級化や乗用車化が求められるようになります。 そこで三菱は、RVテイストの外観を持つコンパクトなワゴンを誕生させました。 1991年に登場した「RVR」です。 3列シートワゴン「シャリオ」のボディを短縮し、パジェロのような2トーンボディカラーと小さなグリルガードで外観を仕上げたこのモデルは、価格が手頃なこともあり、たちまちヒットモデルとなります。 ▲2代目RVRスポーツギア しかし、今回の1990年代名車&迷車烈伝で取り上げるのは、この初代ではなく、1997年にフルモデルチェンジした2代目のほう。 この2代目、なんとも迷車性が高いのです。 ■乗用車ライクなパジェロ風ワゴン 1991年に登場した初代RVRは、カープラザ店のみの扱いだったにも関わらず(当時はギャラン店とカープラザ店の2系列があった)、他社ユーザーも誘引し、一躍ヒットモデルとなりました。 どこかパジェロを思わせるアクティブな外観と、4,280mmの全長に片側スライドドア、2列シート(しかも主力は4人乗り)というユニークなパッケージングは新しく、楽しく豊かなカーライフを想起させてくれたものです(バックスバニーが登場したCMも楽しさを感じさせてくれた)。 ▲初代RVRスポーツギア さらにRVテイストを強めた「RVRスポーツギア」に加え、「ギャランVR-4」や「ランサーエボリューション」とベースを同じくする4G63ターボエンジンのハイパワーモデル、さらにはオープンルーフ仕様の「RVRオープンギア」を追加するなど、初代RVRのモデルライフは“乗りに乗った”ものでありました。 ■キープコンセプトで登場した2代目はしかし…… 件の2代目RVRは登場するのは、1997年。 大ヒットしたパジェロや「デリカ・スペースギア」が後期型になり、「RAV4」や「CR-V」がヒットしていたころのことです。 RVRは5ナンバーサイズのボディに片側スライドドアという基本パッケージングを変えず、キープコンセプトで作られました(シャリオはこのとき3ナンバーのシャリオグランディスに進化)。 ▲2代目RVR(GDI RVR) ▲シャリオグランディス 標準車(新たにGDI RVRと名乗った)とRVテイストを強めたRVRスポーツギアの2本立てであることも、初代を踏襲。 オーバーフェンダーにより3ナンバーサイズとなるスポーツギアには、新たに2.4リッターGDIエンジンが搭載されました。 では、なぜ迷車となっていったのでしょうか? この連載でたびたびお伝えしている「ヒット車の次の難しさ」がここにあります。 初代RVRは、シンプルなスタイリングがヒットの一因でした(シンプルだからこそスポーツギアも際立った)。 それが、先代よりスポーティに仕立てられた2代目は、凝った造形が裏目に出てやや中途半端な印象に……。 特にモノトーンカラーとした標準車Xは、ホイールベースやトレッドが狭く見え(実際には大きく変わっていないのに)、スポーツギアは衝突安全性の高まりから大型グリルガードを廃止したことで、「らしさ」が薄れてしまったのです。 シャリオグランディスと同形状のインストルメントパネルは、高級感と使い勝手をうまく両立させたデザインである一方、RVRに求められる(今でいう)ギア感に乏しい印象となってしまいました。 ▲2代目RVRスポーツギアのインテリア ■RVも多種多様なカタチに変化 RVブームも一段落し、多様化が進んでいたことも、2代目 RVRを迷車の道へと導いた一因です。 それまでパジェロや「ハイラックスサーフ」を筆頭とする本格的なクロスカントリー4WDがRVの代表格だった時代は終わり、RAV4をはじめとしたライトクロカンや「レガシィグランドワゴン」のような乗用車派生のクロスオーバー、ワンボックスワゴンのドレスアップ仕様など、多種多様なRVが誕生。 RVRも当初は多様化するRVニーズの一翼を担っていたわけですが、キープコンセプトで戦えるほど1990年代後半の「ニーズの多様化」は甘くありませんでした。 同じ三菱の中に「パジェロイオ」や「チャレンジャー」が登場したことも、ニーズの多様化が表れています。 ▲チャレンジャー 同時に、RV一辺倒だったニーズの変化も起きていました。 RVとは真逆のローダウン/エアロパーツというスタイルも、徐々に浸透してきていたのです。 RVライクな乗用車というスタイルを浸透させたのはRVRでしたが、そのスタイルを守ったばかりに時代においていかれる状況となった、ともいえます。 ■RVからエアロ仕様に大胆チェンジ 変わりゆく時代を生き抜くために、2代目RVRはたびたび改良を行います。 1999年にはシャリオグランディスのようなラグジュアリーな仕立ての「スーパーエクシード」を加え、同年のマイナーチェンジでスポーツギアをエアロ仕様に一新。 このマイナーチェンジでは、グレード体系が見直された他、これまで片側のみだったスライドドアが両側に装着されました。 ▲RVRスポーツギアエアロ ▲RVRスーパーエクシード しかし、日産「キューブ」や「エルグランド」、トヨタ「ハリアー」、マツダ「デミオ」など、新しい価値観のクルマが続々と登場するなかで、RVRが再び注目を集めることは叶いませんでした。 以後は大きな改良を受けることなく、2001年に登場した「エアトレック」にバトンを渡すようにして、2002年に生産を終えることとなります。 なお、現在のRVRは2010年に登場した3代目。 約10年のブランクを経ての復活となったモデルです。 とはいえ、こちらもマイナーチェンジを繰り返し、10年以上も生産が続いています。 ▲現行RVR 「ASX」の名で販売されていた欧州仕様は、2022年にフルモデルチェンジし、なんとルノー「キャプチャー」のOEMとなりました。 日本国内で販売される現行RVRは、早くも迷車の匂いがしてきますね……。 ■RVR不遇の時代は今も? 販売面では成功しなかった2代目RVR。 しかし、クルマそのものをよく見てると、実にユニークなキャラクターを持っていることがわかります。 ネオクラシックの入口に差し掛かっている今、乗っていたらオシャレかもしれません……と、中古車情報サイトを見てみると、なんと掲載はわずか3台でした。 2002年まで作られていながら早くも絶滅危惧種とは、迷車度の高い迷車といえそうです。 4G63ターボを搭載するスポーツギアなんて、なかなか良さそうな気がしますけどね。 [ライター・木谷 宗義 / 画像・三菱自動車]
三菱「パジェロ」や日産「テラノ」、いすゞ「ビッグホーン」を始めとした、クロスカントリー4WDがRV(レクリエーショナル・ビークル)として一時代を築いたのは、1980年代後半のこと。 1990年代に入ると、さらなる高性能化や高級化が求められ、それらの車種は次世代型へとモデルチェンジしていきました。 今回のテーマ車となるスズキ「エスクード」も、まさに1980年代後半に生まれ、1990年代にフルモデルチェンジを実施した“あの時代”のクルマです。 ▲2代目エスクード前期 初代モデルは1988年、パジェロやテラノよりも小さなボディに1.6リッターエンジンを搭載して登場。 扱いやすいサイズと手頃な価格から、(特に5ドアの「ノマド」が加わって以降)大ヒットモデルとなりました。 「ならば、2代目もさぞかしヒットしたのでは?」と思うでしょう。 しかし、そううまくいかないのが、激動の1990年代というものです。 フルモデルチェンジのタイミングが1997年と少々遅く、“クロカンブーム”が衰退期に入っていたうえに、キープコンセプトで新しいチャレンジに乏しかった2代目は、エスクードを名車から迷車へとその存在を変えてしまったといえます。 ■ヒットした初代のイメージを踏襲するが・・・ 1.6リッターの3ドアから始まり、5ドアを追加。 モデルライフ後半にはボディをワイド化した2.0リッターのディーゼルとガソリン(V6だった!)をラインナップに加え、さらに排気量を2.5リッターに拡大するなど(スズキ初の3ナンバー車に!)、パジェロ顔負けのバリエーションを誇った初代エスクード。 ▲初代エスクードノマド 2代目もこの流れを汲み、ホイールベースの異なる3/5ドアボディに4気筒1.6リッター/2.0リッター、V6 2.5リッター、2.0リッターディーゼルと多彩なラインナップで登場しました(脱着式トップを持つレジントップは廃止)。 デザインは、グリルと一体感を持たせたヘッドランプやブリスター形状のフェンダーなど、初代からのモチーフを踏襲。 1980年代らしい角ばったスタイルが、1990年代らしく丸っこくアレンジされました。 そう、2代目エスクードは、“ヒットした初代の後継”として、ごくまっとうな姿と中身で登場したのです。 では、なぜ迷車となっていったのでしょうか? ▲2代目エスクード前期 それは、スタイリングを見ればわかるでしょう。 初代モデルは潔いほどに直線的で、「上質さ」や「高級感」とは無縁ながら、クロスカントリー4WDらしさの中にアーバンなイメージを溶け込ませた、絶妙な世界観を持っていました。 それに対し2代目は、先の「上質さ」や「高級感」を求めたばかりに、キャラクターがボヤけてしまったのです。 外観と同様に曲線を取り入れたインテリアも、かえって安っぽさを感じさせる結果となってしまったといえます。 木目調パネルなどで飾ったところで、本質は変わりません。 しかも、このころにはトヨタ「RAV4」を筆頭とした、乗用車のような感覚で乗れるライトクロカンが登場しており、アーバンなイメージのコンパクト4WDへのニーズはそちらへシフト。 本格的なオフロード走破性を持つエスクードは、クルマそのもののキャラクターは変わらずとも、市場の中ではマニアックなクルマへと存在感を変えていたのです。 クルマそのものは(少々質感は低くても)決して悪くなく、時代の流れを見誤ったというのが、迷車への入口となったといえます。 ■3列シート7人乗り「グランドエスクード」も登場 それでも、グローバルで見れば小さなオフロード4WDへの需要は少なからずあり、エスクードは進化を続けます。 2000年には、ホイールベースを延長し、2.7リッターのV6エンジンを積んだ、7人乗りの「グランドエスクード」を発売。 北米でも「XL-7」の名で販売されました。 ▲グランドエスクード前期 スズキとしては意欲的なモデルだったものの、全長4640mm×全幅1780mmというボディサイズは、パジェロや「ランドクルーザープラド」に近く、7人乗りの4WD車を求める層にとって、あえて選ぶ理由に乏しかったのも事実。 マイナーチェンジで内外装の大幅なデザイン変更を行うものの、手を加えれば加えるほど“エスクードらしさ”から遠ざかってしまうという、ジレンマを抱えることになっていきました。 ▲グランドエスクード後期 そしてエスクードは、2005年に3代目へとフルモデルチェンジ。 それまでのラダーフレーム構造から、ビルトインラダーフレームというラダーフレームとモノコックの中間的な構造へと成り立ちを変え、スタイリングも初代に立ち返ったようなシンプルなデザインへと、時代のニーズにあった姿形へと生まれ変わります。 2023年現在、販売されているエスクードは2015年に登場した4代目で、こちらはFF(前輪駆動)ベースのモノコック構造に。 ハイブリッド仕様も用意し、グローバルで展開されています。 ■試行錯誤の中で生まれた必然 1997年に登場した2代目エスクード。 そのスタイリングやメカニズムを深く見ていけば、「よく考えられたクルマ」であることは明らかです。 それでも、どこか中途半端な存在で終わってしまった要因の多くは、発売のタイミングが遅きに失したからでしょう。 たしかに、スタイリングに初代ほどのインパクトはないし、内装は凡庸で、RAV4をはじめとしたライバルを圧倒するものでなかったことは否めません。 でも、2代目エスクードとして考えると、この形は必然だったと思わざるを得ないのです。 ▲3代目エスクード ジムニーが先代JB23を挟んで現行のJB64で突き抜けたように、ヒット作の次のモデルは難しく、迷車化しがちなタイミングというはあるもの。 仮に自分がスズキのエンジニアで、「エスクードの2代目を作れ」と命じられたら、初代をまっとうにアップデートした同じようなクルマを企画したことでしょう。 初代ほどのインパクトは残せなかったとしても、やはりこの2代目エスクードなくして、3代目以降へと名を残すバトンはつなげなかったはず。 試行錯誤の中で生まれ、モデルライフのなかでも試行錯誤を繰り返し、21世紀へとバトンとつなぐ。 1990年代ならではの迷車性が、ここにあります。 [ライター・木谷 宗義 / 画像・スズキ]
1位:トヨタ「ヤリス」16万8557台2位:トヨタ「カローラ」13万1548台3位:日産「ノート」11万113台4位:トヨタ「ルーミー」10万9236台――。 これは、2022年の乗用車新車販売台数ランキングの上位4位(自販連調べ)。 このランキングで注目したいのは「ルーミー」です。 なぜ「ワゴンRワイド」の記事でルーミーを……と思うかもしれませんが、もう少しお付き合いください。 ▲ワゴンRワイド(1997年) 実は、このランキングのヤリスとカローラの販売台数には、SUVの「ヤリスクロス」と「カローラクロス」が含まれています。 つまり、「単一ボディで」の販売台数を考えれば、実質的な2022年のトヨタナンバーワンはルーミーなのです。 ルーミーは、「軽自動車ではないハイトワゴン」としてヒットしているわけですが、ここからやっとスズキ車の話へとつながっていきます(お待たせしました)。 何を隠そう、この「軽自動車ではないハイトワゴン」というジャンルを開拓したのは、ルーミーではなく、それよりも早く発売していたスズキ「ソリオ」。 さらに、その源流を辿ると1997年に誕生した「ワゴンRワイド」に行き着くのです! ▲トヨタ ルーミー(2020年) ■ワゴンRを180mmワイドにしたボディ 外観からもネーミングからも「ワゴンR」の登録車版だということがよくわかる、ワゴンRワイド。 このクルマが登場した1990年代中盤は多種多様なワゴンが登場した時代で、ホンダのクリエイティブムーバー「ステップワゴン」「S-MX」、トヨタ「ラウム」「カローラスパシオ」、日産「キューブ」、マツダ「デミオ」……と、個性豊かなモデルが続々と生まれていました。 そんな中で、小さなクルマを得意とするスズキが黙っているわけにいかず(と思ったかどうかは定かではありませんが)、大ヒット作となったワゴンRのイメージとメカニズムを用いて、新ジャンルのコンパクトワゴンとして発売したのが、ワゴンRワイドです。 ▲初代ワゴンR RR(特別仕様車 1998年) スタイリングは、その名の通り「ワイドなワゴンR」そのもの。 実際にヘッドライトやフェンダー、ドアといったサイドパネルはワゴンRのものを流用して、ワゴンRのイメージ踏襲と低コストでの開発を上手に両立したといえます。 105mm長くなった全長はバンパー形状によるものですが、車幅はなんと180mmも拡幅され(それでも1575 mm)、軽自動車とはまったく異なるアピアランスに。 さらに、フェンダーモールや幅広のサイドモールを標準装着することで、「アストロ」コンバージョンのようなカスタム感と楽しさを感じさせるスタイリングとしていました。(バンパーやフェンダーモールが黒の素材色となる低グレード、75.8万円も存在) ▲ワゴンRワイドのインテリア インパネなどのインテリアデザインも、軽自動車のワゴンRが道具っぽさを全面に押し出した直線的なデザインなのに対し、ワゴンRワイドでは曲線的な乗用車ライクな形状として差別化。 また、登録車のため、4人乗りのワゴンRと異なり、5人乗りとなっているのも特徴です。 プラットフォームは、ワゴンRのものをベースに新規開発したもの。 パワートレインも新開発で、オールアルミの1.0リッターガソリンエンジン(K10A型)を搭載。自然吸気とターボ(リッター100馬力!)、5速MTと4速AT、2WDと4WDが用意されるワイドラインナップでした。 ■「ワゴンRワイド」の名は2年で改称へ コストとのバランスを図りながら、「コンパクトな5人乗りワゴン」という新ジャンルに挑戦したワゴンRワイド。 実のところ、大ヒットといえるほどの存在にはなりませんでしたが、従来からのスズキユーザーを中心に、一定の販売数を得ることに成功します。 しかし、わずか2年後の1999年フルモデルチェンジ、さらに「ワゴンR+(プラス)」へと名称変更することとなりました。 その理由は、国内視点で見れば、1998年の軽自動車規格の改定により、ワゴンRがフルモデルチェンジを実施したため。 ▲ワゴンR+(1999年) ワゴンRの車幅拡幅(1400mm→1480mmに規格改定)に加え、デザインチェンジと歩調を合わせる必要があったからです。 本家ワゴンRが新しくなったのに、その上級車種が古いままで魅力は半減してしまいます。 もうひとつの理由は、グローバルカーとしての役割を担うようになったこと。 独・オペルと英・ボクスホールで「アギーラ」として、欧州で販売されるようになったのです。(インド版は軽自動車ベースでスタート) ワゴンRワイドは、業界再編や業務提携が加速した1990年代の混沌に巻き込まれたクルマ……というとネガティブに聞こえてしまいますが、「ワイドなワゴンR」というサイズ感は欧州で重宝され、別の道を歩んで行くことになったというのが真相でしょう。 ▲2代目オペル アギーラ(2008年) その後、欧州では「スプラッシュ」が誕生し、2代目アギーラはこのスプラッシュがベースとなります。 ■わずか1年半でまたまたネーミングチェンジ その後、日本国内ではどうなったのか? なんとワゴンR+はわずか1年半ほどで、またもや名称変更を行います。 2000年12月のマイナーチェンジで、「ワゴンRソリオ」になったのです。 現在まで続く「ソリオ」の名が誕生したのが、このときというわけ。 ▲ワゴンRソリオ(2000年) 標準車こそ欧州テイストのデザインが踏襲されましたが、先に軽自動車版ワゴンRに登場していた「RR(ダブルアール)」に似たカスタムテイストのグレードも登場。(シボレー「クルーズ」という兄弟車も誕生しました) このカスタム路線のほうが、日本に市場にはあっていたのでしょう。 “ソリオ路線”が中心となり、2005年のマイナーチェンジでワゴンRの冠が取れ、スズキ「ソリオ」が正式名称に。 そして、2010年に現在の細い2本のAピラーと持つソリオが誕生します。 ▲ソリオ(2010年) ■20年後を予見した名車性 「ワゴンRワイド」→「ワゴンR+」→「ワゴンRソリオ」→「ソリオ」 ……と、短いスパンの中でこんなにも名称変更を繰り返した一連の「大きなワゴンR」シリーズは、間違いなく迷車ですが、なかでもわずか2年しか生産されなかった、初代ワゴンRベースのワゴンRワイドは迷車の中の迷車。 でも、こう考えてみるとどうでしょう。 ▲ワゴンRワイド マイナーチェンジモデル(1998年) 名前やキャラクターを変え、迷走しながら自らの存在感を追求し続けたという点では、名車とは言えないかもしれません。 ですが、今のルーミーの人気ぶりに見る「小さなハイトワゴン」というコンセプトをいち早くカタチにしたという点で、ワゴンRワゴンに名車性を見出せるのではないでしょうか? [画像:スズキ / ライター:木谷 宗義]
2023年の今、マツダ「ボンゴ」というと、トヨタからのOEMとなる商用車「ボンゴバン(タウンエース)」と「ボンゴブローニィバン(ハイエース)」となりますが、かつてはトヨタ「タウンエースワゴン」や日産「バネットラルゴ」などと同様の(どちらも絶版ネームですが)乗用タイプ1ボックスワゴンでした。 1983年に登場した3代目は、フォード「スペクトロン」としてオートラマ店も販売され、三菱「デリカスターワゴン」にも似た雰囲気のRVテイストで一定の人気を獲得。 しかし、1990年代に入ってもフルモデルチェンジは行われず、古さが目立ってきたものでした。 そんな中、1995年に突如として登場したのが、「ボンゴ フレンディ」です(フォード版「フリーダ」も同時に)。 ▲ボンゴフレンディ シティランナーNAVIエディション(2002年) 完全なワンボックススタイルから、衝突安全性への対応のため短いボンネットがついたセミキャブオーバー(エンジンは運転席下のままだった)となり、昭和の面影が残るスタイルから平成時代のテイストへとチェンジ。 しかし、ボンゴ フレンディの真骨頂は、「屋根」にありました。 「オートフリートップ」です。 ■画期的な車中泊テント標準装備 「オートフリートップ」とは、いわゆるポップアップルーフのことで、車中泊などアウトドアユースを意識したもの。 他社にもこうしたルーフを持つモデルはありましたが、特装車扱いで、通常グレードの中にラインナップされたことが画期的でした。 ▲ボンゴフレンディRFS Aero(2001年) テレビCMや新聞広告でも、このオートフリートップが盛んにアピールされ(ここしかアピールされなかったともいう…?)、「ボンゴ フレンディ=屋根が開くワゴン」というイメージが定着。 乗用ワゴンとしては特殊な仕様ではあったものの、当時、流行っていたオートキャンプブームの波に乗って、多くの台数が売れました。 オートフリートップは電動でルーフがポップアップし、テントが出現。 車内が2階建てになるという仕組み。その広さは、大人2人の就寝スペースとして使えるほどでしたから、なかなかのものです。 ▲オートフリートップ ▲RFS Aeroのインテリア (全高以外は5ナンバーサイズだったけど)スクエアで立派に見るスタイリングも相まって、「家族思いの頼もしいお父さんのクルマ」というイメージが定着し、一定の成功を収めます。 以後、同様のルーフを標準ラインナップの中に持つモデルは、日本メーカーから出ていません。 そういう意味では、唯一無二の「名車」といえます。 ■一世代限りで終わった「そんな時代」 では、「迷車」の要素は? それは、わずか一世代で終わってしまったその存在感にあります。 たしかに、キャブオーバーからFFベースのミニバンへの過渡期にあったセミキャブオーバーというパッケージングは、やや中途半端な存在ではありました。 しかし、それは日産の初代「セレナ」だって同じ。 ▲バネットセレナ(1991年) でも、セレナはFFベースへとパッケージングを改め、“カジュアルなスタイルの5ナンバーミニバン”というキャラクターを変えることなく、生き続けました。 一方のボンゴ フレンディは2006年に生産を終了すると(意外やロングセラーでした)、フルモデルチェンジを行うことなくフェードアウト。 約2年のブランクを経て、マツダはFFベースのミニバンを「ビアンテ」として発売します(これも10年販売されフェードアウトした名車&迷車といえそうです)。 もちろん、オートフリートップの設定はありません。 ▲ビアンテ(2008年) ビアンテを“事実上の後継車”と見る向きもありますが、ボンゴ フレンディの要素はキレイサッパリなくなってしまったのです。 だからといって、マツダの判断が間違っていたとはいいません。 なぜなら、“そんな時代”だったから。 1990年代後半は、ホンダ「オデッセイ」や「ステップワゴン」がヒットし、日産が「エルグランド」で高級ミニバンというジャンルを開拓。 それと相関するように「ハイラックスサーフ」や「パジェロ」といったクロカン4駆の販売が下降し、RVブームが終焉を迎えます。 そして2000年代に入ると「ヴォクシー」や「アルファード」も登場し、3列シート車に求められるものが、1990年代とはまったく異なるものに変わっていくのです。 ■もしも、登場が3年早かったら・・・? 仮に2代目ボンゴ フレンディが2000年代半ばに登場していたところで、オートフリートップ車がたくさん売れる状況にはならなかったでしょう。 事実、ボンゴ フレンディは1999年にエアロパーツ装着グレードを追加し、販売の主力はエアロ仕様に移っていきました。 ▲ボンゴフレンディ シティーランナーIV (2002年) オートフリートップ標準装備のボンゴ フレンディが登場し、10年でモデルライフを終えたのは、まさに“そんな時代”だったからなのです。 ボンゴ フレンディというクルマそのもの、というよりも、惑う時代の中で生まれた結果、その存在感が迷車とさせた。そういったほうが正確かもしれません。 歴史に「もしも」はありませんが、ボンゴ フレンディの誕生が1995年ではなく、オデッセイ発売前夜で、パジェロが飛ぶように売れていた1992年だったら。 あるいはエスティマ誕生と同じ1990年だったら……。 もしかしたら、オートフリートップが爆発的に売れ、マツダやRV車の歴史を変えていたかもしれません。 そう考えると、名車と迷車は紙一重。 だから、こうして「名車&迷車」として書き記しておきたかったのです。 [画像:マツダ、日産自動車/ライター:木谷宗義]
1966年に初代がデビューし、現在販売されているのは2019年登場の12代目という、トヨタの看板車種にして、超ロングセラーモデルでもある「カローラ」。 その累計販売台数は5000万台を超えており、「ハイエース」や「ランドクルーザー」とともに世界で愛されている名車であることは間違いありません。 とはいえ、50年以上、通算12世代という長い歴史の間には当然、さまざまな試行錯誤や紆余曲折があり、中には迷いが見えたモデルも……。 それが、今回「名車&迷車」として取り上げたい、8代目カローラ(E10#型)です。 ▲1995年 8代目カローラ ■コンセプトは「ベストコンパクトカーの創造」 8代目カローラは、1991年から4年にわたって販売されてきたE9#型モデルに代わって1995年に登場しました。 当時のプレスリリースでは、「トータル コスト オブ オーナーシップに配慮した社会との調和をめざすベストコンパクトカー誕生」が掲げられ、次のように説明されています。 「コンパクトカーの本質を追求した『ベストコンパクトカーの創造』を狙いに、ジャストサイズや高い品質を維持しつつ、まず、社会との調和をめざすという観点から、省資源、省エネルギーおよび安全性を追求。 そして、デザインを一新するとともに、走行性能を飛躍させた上で、価格、維持費を抑え、トータル コスト オブ オーナーシップに配慮している」 7代目カローラは、バブル期の波に乗り高級化。しかし、バブルが弾けてコンパクトファミリーセダンたるカローラの存在価値が見直され、「社会との調和」や「価格、維持費を抑え」といった言葉が並んだのです。 参考までに7代目では、「21世紀に向けて、『新時代を見すえた次世代基準の創出』を基本コンセプトに、来るべき“心に響く感動を求める時代”にふさわしい、新しいクォリティをもつグローバルジャストサイズカーをめざして開発した」と謳われていましたから、イケイケなバブル時代から、コストなどを考えざるを得なくなった時代背景が浮かんできます。 実際、7代目カローラは高級化路線に乗って開発され、「セルシオを意識した」とも言われます。内外装の質感も高く、市場でもそれが受け入れられました。 ▲1991年7代目カローラ 一方、フルモデルチェンジにより8代目となったカローラはというと、見るからに質素。 「ぶつけても目立たず、また部分交換で補修も容易に」と配慮され、無塗装ブラックのパーツを装着したバンパーは高級感に欠き、ナンバー位置がバンパーから6代目以前のようにトランクリッドへと移されたリヤは、どこか1980年代的でありコンビランプの形状や配色もあって、安っぽく見られてしまったのです。 ▲1995年8代目カローラのリヤまわり ■ベーシックセダンであるがゆえのジレンマ? カローラというクルマの基本に立ち返り、「カローラってこういうものだよね」とベーシックセダンとしての姿を追求したこと自体はよかったものの、どこかで「カローラってこんなもんだよね」と、ベーシックセダンであるがゆえに上を見ることを忘れてしまったかのようでした。 これまで、「上級化」「高級化」を目指して進化してきたからカローラが、初めてその路線での歩みを止めてしまったのです。 これはもちろん、双子車の「スプリンター」も同様でした。 ▲8代目カローラのインテリア この変化をユーザーは受け入れられず、8代目カローラは迷走。デビュー翌年の1996年には、エクステリアの売りの1つであった無塗装ブラックのバンパーモールをシルバーに塗る仕様変更を行い、1997年のマイナーチェンジではついに別体モールを廃した一体型のフルカラーバンパーに変更されました。 また、インストルメントパネルのソフトパッド化など、インテリアの質感アップも実行。 モデルライフ後半には、すっかり“従来路線”に戻されたのです。 ▲1996年 カローラ 一部改良モデル ▲1997年 カローラ マイナーチェンジモデル ちなみに、最大のライバルであった日産「サニー」も、1993年の8代目はカジュアルで若々しい雰囲気で登場しましたが、こちらもマイナーチェンジでメッキのグリルを採用するなど、カローラと同様の変更が行われました。いずれも、試行錯誤が実らなかったというわけ。 ■マイナーチェンジによる軌道修正が功を奏した カローラの販売台数は、「カローラワゴン」「カローラレビン」「カローラFX」を含めた“シリーズ合算”となるため、セダン単体での台数は不明瞭ながら、1995年に発売された翌年は販売台数を減らし、質感アップのためのマイナーチェンジが行われた1997年は1995年を超えるレベルにまで回復しています。 マイナーチェンジによる軌道修正は、功を奏したといえるでしょう。 ▲1997年 カローラ マイナーチェンジモデルのリヤまわり その後、8代目カローラは2000年まで生産が続き、NCVカローラと呼ばれた9代目へとバトンタッチします。 NCVには、「New Century Value=新しい世紀の価値」という意味があり、キャッチコピーは「変われるって、ドキドキ。」でした。 ここからも8代目に対するトヨタ社内の評価が見えるような気がします。 ▲9代目 NCVカローラ では、8代目カローラはダメなクルマだったのでしょうか? 販売的には成功しなかったかもしれませんが、そこはトヨタが真面目に考えた世界のカローラです。 実用的な世代としての実力は高く、手堅く作られたクルマだったといえるでしょう。 一部の輸入車好きの中には、軽量な1.3リッターモデルに対し「どこかフランス車のような乗り心地だ」と評する人もいたほど。 あまりに真面目に作りすぎてしまったがゆえに、内外装のコスメティックを間違えてしまった……。これが8代目カローラを迷走へと導いてしまった要因でしょう。 ■昭和的価値観の終わりに でも、仮に8代目カローラが当初から後期型のような内外装で発売されていたとしても、「結果はあまり変わらなかったのではないか」と筆者は見ています。 「名車&迷車烈伝」で何度も触れてきたように、1990年代は激動の時代です。1990年代後半は、日産「キューブ」やマツダ「デミオ」といった実用的でおしゃれなコンパクトカーも生まれてきますし、ファミリーカーは「イプサム」やホンダ「オデッセイ」といった3列シートミニバンに移行していきます。 もうファミリーカーとしてコンパクトなセダンを求める若年層は、いなくなっていたのです。きっと8代目カローラは、どんな形で出ていたとしても、悲運な世代となっていたのではないでしょうか。 [画像:トヨタ/ライター:木谷宗義]
レガシィグランドワゴン――。この名前を知っている人は、よほどのスバル通かRV好き(当時はSUVをこう呼んだ)でしょう。 それもそのはず、たったの3年しか使われなかったモデル名なのですから。 でも、「レガシィグランドワゴン」が、今に続く重要な役割を果たしたモデルであることは間違いありません。 その姿から想像がつく人もいるでしょう。 そう、現在の「アウトバック」の原型となるモデルなのです。 ▲1995年「レガシィグランドワゴン」 ■ハリアーやフォレスターの誕生より前に セダンの「レガシィB4」が国内市場から姿を消した今、スバルのフラッグシップとしての位置づけを担うアウトバック。 先代まではレガシィB4も存在しており、その姿からも“レガシィの派生モデル”であることは、容易に想像がつきます。 では、いつレガシィから派生し、そして独立したモデルへとなっていったのでしょうか。 その起源を辿っていったときに行き着くのが、1995年に誕生したレガシィグランドワゴンです。 レガシィグランドワゴンは、レガシィツーリングワゴンをベースに車高(最低地上高)をあげ、大型フォグランプを埋め込む専用デザインのフロントマスクと2トーンボディカラー、オールシーズンタイヤの装着によりRV仕様としたもの。 エンジンは、レガシィよりも余裕をもたせた2.5リッターを搭載し、「フォレスター」誕生以前のスバルでオフロード色を強めたモデルとして登場しました。 ▲インテリアも専用のシート生地などを採用 1995年という時代は、1980年代後半から巻起こったRVブームの余波が残っていた時代。 前年の1994年にはホンダ「オデッセイ」が誕生し、レガシィツーリングワゴンGTが開拓したステーションワゴンの台頭もあったものの、街中では三菱「パジェロ」やトヨタ「ランドクルーザープラド」、日産「テラノ」、いすず「ビッグホーン」といったRV車が数多く走っていたものです。 レガシィツーリングワゴンGTによって“走りのワゴン”というジャンルを確立したスバルがRVをラインナップに加えたかったことは、想像にかたくありません。 実際に、いすずからビッグホーンのOEM供給をうけ、スバル ビッグホーンとして販売していたこともあります。 ▲スバル「ビッグホーン ハンドリング・バイ・ロータス」 しかし、スバル ビッグホーンは、いすず ビッグホーンのエンブレムを六連星に変えただけのクルマ。 スバルらしさは皆無で、“売れるクルマ”となるわけはなく、1993年に販売を終了します。 グランドワゴンが実質的なビッグホーンの後継者だと言うと少し乱暴ですが、スバルとしては待望の自社製RVだったのです(余談ですが、グランドワゴンと同じ1995年には同じ手法でインプレッサベースのインプレッサグラベルEXを発売しています)。 ■ランカスター、そしてアウトバックへ なぜ、レガシィグランドワゴンを「名車&迷車」として取り上げるのか。 それは、クルマそのもののデキや希少性などではなく、ネーミングにあります。 レガシィグランドワゴンという名称は、わずか3年しか使われなかったのです。 しかも、グランドワゴンからすぐに現在のアウトバックへと改称したわけではなく、なんとマイナーチェンジで名称変更されたのですから、不遇な話。 新名称は、イングランド北部、ランカシャー州北西部の都市名に由来する「レガシィランカスター」となりました(改称後、わずか1年でフルモデルチェンジを実施するので、BG型ランカスターもなかなかの不遇モデルに……)。 ▲わずか1年の販売となったBG型「レガシィランカスター」 とはいえ、レガシィグランドワゴンが残した功績は、小さくありません。 実はアウトバックの名で販売された北米でこのクルマはヒット。 1998年にはボルボが「V70XC」を発売し、1999年にはアウディが「オールロードクワトロ」を投入するなど、多くの追随車を生み出しました。 初代トヨタ「ハリアー」が誕生したのも、グランドワゴン登場以後の1997年です(フォレスターも1997年に登場)。 この流れは現在も続き、今ヨーロッパのワゴンモデルを見てみると、メルセデス・ベンツ「C/Eクラス オールテレーン」にフォルクスワーゲン「ゴルフ/パサート オールトラック」、ボルボ「V60/V90クロスカントリー」と、ステーションワゴンベースのクロスオーバーSUVのラインナップは多岐にわたります。 ▲2023年ボルボ「V60クロスカントリー」 その元祖がレガシィグランドワゴンだったと考えると、存在感は希薄でも残した功績は非常に大きなものだったと言えるのではないでしょうか。 なお、レガシィグランドワゴンはランカスターへと改称後、レガシィシリーズは3代目へとフルモデルチェンジ。そして、次のフルモデルチェンジで4代目となるとともにグローバルネームである「アウトバック」を名乗るようになり、現在へと至ります。 ▲BH型「レガシィランカスター」 ▲BP型「レガシィアウトバック L.L.Bean EDITION」 個人的には、BH型ランカスターに追加された水平対向6気筒エンジン搭載モデル(ランカスター6と名乗った)や、BP型アウトバックに設定された「L.L.Bean EDITION」も気になりますが、レガシィツーリングワゴンのRV仕様であると同時に、2.5リッターエンジン搭載の上級仕様として大人の雰囲気をまとったグランドワゴンに大きな経緯を評したいと思います。 [画像:スバル・Volvo/ライター:木谷宗義]
名車といわれるクルマは、たくさんの人に愛されたヒットモデルであることが多いもの。 しかし、そのヒットに至るには多くのトライ&エラーがあり、ときにチャレンジが裏目に出てしまうこともあります。 「フィット」誕生以前にホンダのエントリーカーを担っていた「ロゴ」は、まさにトライ&エラーのなかで数奇な運命をたどったモデルだといえるでしょう。 愚直なまでに実用性を追求した結果、ホンダ車に求められる“おもしろさ”が削られてしまったのです。 ▲ロゴ(前期型) ■トールボーイとスポーティ ロゴを語るためには、まずその前身となる「シティ」を理解しておかなくてはいけません。 シティは、1981年に初代モデルが誕生したホンダのエントリーモデルとなるコンパクトカー。 “ワイド&ロー”がカッコいいクルマの条件であった当時、あえて背を高くした箱型デザイン(トールボーイと呼ばれた)としたユニークなクルマで、高い空間効率とクラスレスな魅力を備えてヒットしました。 ▲初代シティ しかし、1985年のモデルチェンジでコンセプトチェンジ。 1470mmの全高は1335mmまで低められ、室内空間よりも走りを重視したクルマとなりました。 ▲2代目シティ このスタイルチェンジは「シティ ターボII」によるワンメイクレース(その名もシティブルドックレース!)が開催されたことなどもあっての判断でしたが、ユーザーの多くは戸惑いを隠せず、“みんなの楽しいクルマ”から“走りが好きな人のためのクルマ”に。 おりしも1980年代後半から1990年代前半はRV(今でいうSUV)ブームで、背の低いクルマへのニーズは相対的に低くなり、結果としてシティは、この2代目をもって日本国内市場から姿を消すことになります。 1995年のことでした。 そして1996年に今回のテーマ車、ロゴが発売となるわけです。 ■“実用車の鑑”のようなスペックで登場 では、ロゴとはどんなクルマだったのでしょうか。 ひと目でわかるように、全高が高く親しみやすい丸みを帯びたスタイリングを持つ、合理的なパッケージングのコンパクトカーです。 全長3750mm(前期型)×全幅1645mmのサイズは、トヨタ「スターレット」、日産「マーチ」、三菱「ミラージュ」、ダイハツ「シャレード」といったライバルたちと同等ながら、1470mmの全高(初代シティより20mm高い)は他車が1400mm程度であるなかで圧倒的に高く、それだけでも室内空間に余裕を持っていたことが想像できます。 ▲ロゴ3ドア エンジンは、1.3リッターのSOHCで最高出力66ps、最大トルク11.3kgm。ホンダのエンジンといえば「高回転高出力」のイメージが強かったなかで、最高出力や最大トルクの数値を追い求めず、街乗りでの使いやすいさを重視した中低速型のトルク特性を持たせていました。 トランスミッションは5速MT、3速AT、そして「ホンダマルチマチック」と呼ばれたCVTの3種類をラインナップ。 今、多くのコンパクトカーが採用しているCVTは、当時まだ“特別な変速機”という位置づけで、通常のステップATと同時に設定されることも多く、3種ものトランスミッションが選べる設定となっていました。 燃費は10・15モードで5速MTが19.8km/L、3速ATが17.2km/L、ホンダマルチマチックが18.0km/L。 価格は、5速MT車がもっとも安く、3速ATはその5万円高、ホンダマルチマチックは8万円高でしたから、安価で走り味に馴染みのあった3速ATが主力となったことは想像に難くないでしょう。 ▲ロゴ5ドア 価格は3ドア「B」の77万円から5ドア「L」の108万8000円まで(いずれも5速MT価格)。主力となる5ドア「G」でも、94.8万円という手頃な価格が打ち出されていました。 このようにロゴは実直で合理的、さらに経済性も高い“実用車の鑑”のようなスペックを持って登場したのです。当時のプレスリリースでも「オートマチック車で100万円を切る価格設定とするなど、これからの時代に求められるタウンカーを具体化しました」とありました。 ■なぜ“数奇な運命”を辿ってしまったのか スペックやプライスを見れば、ロゴは街乗り用コンパクトカーとして十分に魅力的なクルマです。 それでもロゴは、ライバルに打ち勝つことはできませんでした。 そこには、2つの理由があります。 1つ目は“質感”です。 実直に仕上げたスタイリングはシンプルすぎて大きな特徴がなく、シンプルに使い勝手が追求されたインテリアも、商用車のようなヘッドレスト一体のハイバックシートなどにより、“それなりのクルマ”にしか見られなかったのです。 ▲前期型のインストルメントパネル ▲前期型のシートはハイバックタイプ また、街乗りを重視するあまりスタビライザーを省いたサスペンションが、「安定感に欠ける」と受け取られ、総じて高い評価を得ることができませんでした。 1998年には、衝突安全性の向上を目的とした大掛かりなマイナーチェンジを実施し、同時にフロントまわりのデザインを変更。 さらに、16バルブ化した高出力エンジンにエアロパーツなどを装着したスポーツグレード「TS」と4WD仕様を追加するなど、ラインナップも拡充し、魅力アップを図ります。 ▲中期型で登場したTS さらに2000年にもフロントマスクのデザイン変更をともなうマイナーチェンジを行った他、モデルライフのなかではいくつものお買い得な特別仕様車を設定し、商品力アップや商品性の維持が行われましたが、決定的なヒット要因は生み出せず。 ▲後期型はグリルのあるデザインに ■デミオやキューブの登場でハイトワゴン時代へ 2つ目に“トレンドの変化“という大きな波もありました。 ロゴがデビューした1996年は、初代マツダ「デミオ」が誕生した年でもあります。 デミオは、フォード「フェスティバミニワゴン」という名の兄弟車を持っていたように、小さなワゴンのようなスタイリングを特徴とし、RVやステーションワゴン(筆頭はスバル レガシィ)が売れていた当時の世相にフィット。 瞬く間にヒットモデルとなりました。 ▲初代デミオ また、日産は初代「キューブ」を1998年に発売。 デミオの(1500mm)を超えた1610mmの全高を持ち、室内空間の広さと楽しさ(イチロー出演のCMも)をアピールし、ヒットします。 ▲初代キューブ 考えてみれば、軽自動車市場はスズキ「ワゴンR」とダイハツ「ムーヴ」というハイトワゴン2強の時代。 コンパクトカーにもワゴン的なスタイリングと高い全高による室内空間の広さが求められたのは、当然でした。 トレンドは“トールボーイ”どころではなくなっていたのです。 ホンダはロゴのプラットフォームを大幅に改良してハイトワゴンの「キャパ」(とクロスオーバーのHR-V)を1998年に発売し、ライバルに対抗。 一定の成果は得ますが、一方で1997年に発売した軽ハイトワゴン「ライフ」のヒットや、「CR-V」「S-MX」「ステップワゴン」といったRV&ワゴンのラインナップ拡充によりロゴの存在感が強まることはなく、フェードアウトするように2001年をもって生産終了となりました。 ▲キャパ およそ5年のモデルライフのなかで、ロゴが販売台数でベスト10に入ることはなく、1997年のマイナーチェンジ時に6000台を掲げられていた販売計画台数も、4000台、3000台とマイナーチェンジのたびに減少。 まさに“フェードアウト”といった幕引きでした。 ■名車「フィット」誕生を支えた迷車 Wikipediaによればロゴの「新車登録台数の累計」は、20万2601台。 販売期間は約5年でしたから、年間販売台数を平均すればおよそ4万台です。 1998年の年間販売台数を見ると、キューブとデミオが10万台、マーチとスターレットが9万台を販売していますから、ロゴの窮境がわかります。 しかし、ロゴの苦境を黙って見ているホンダではありませんでした。 ロゴと入れ替わる形で「フィット」を2001年に発売したのです。 ▲初代フィット フィットは、コンパクトなボディに広い室内空間、フットワークのいい足回り、燃費のいいパワートレイン、そして安っぽさを感じないお洒落な内外装を持って、発売するやいなや大ヒット。 わずか1ヶ月で、ロゴの1年分を上回る4万8000台を受注します。 その勢いは衰えず、2002年にはそれまで33年にわたり“不動の1位”であり続けたトヨタ「カローラ」を抜き、年間販売台数ナンバーワンに輝いたのです。 以後、フィットがホンダのコンパクトカーとして定着し、現在4代目が販売中なのはご存知のとおり(N-BOXに押され気味ですが……)。 トールボーイの初代シティ、スポーティな2代目シティ、実直さを追求したロゴと、さまざまなトライ&エラーののちにフィットの大ヒットがあるのだとすれば、ロゴが追い求めた姿も決して無駄ではなかったといえるでしょう。 ホンダの歴史のなかでロゴは“迷車”かもしれませんが、フィットという“名車”を生み出すためにたしかな足跡を残したことは、間違いありません。 [画像:ホンダ/ライター:木谷宗義]
1990年代は「RV」の時代でもありました。RVとは「レクリエーショナル・ヴィークル」の略で、今で言うSUVのこと。 1980年代に登場した「パジェロ」や「ビッグホーン」、「ランドクルーザープラド」などがヒットし、街の至るところで見られました。 まだ「ハリアー」が生まれる前、こうしたオフロード4WDを都会で乗るのが、カッコよかったのです。 パジェロは三菱、ビッグホーンはいすゞ(この話もまたいつか)、プラドはトヨタ。では、日産はどんなRVをラインナップしていたでしょうか? 答えは2つ、「サファリ」と「テラノ」です。 サファリが「ランドクルーザー(当時は80系)」と同等のラージサイズ、テラノがパジェロなどに近いミドルサイズです。 ▲テラノ(ワイドボディ) 販売の主力は、テラノのほう。 アーバンでアメリカンな雰囲気のあるテラノは、そのスタイリングからヒットモデルの1つになりました。 でも、どうしてもライバルには、叶わない決定的な欠点があったのです。 それは、「7人乗り」がないこと。 パジェロもビッグホーンもプラドも、5ドアモデルは3列シートの7人乗りが中心でした。 トヨタには5人乗りRVの「ハイラックスサーフ」あり、こちらもよく売れていましたが、このクラスに7人乗りがないのは、大きな痛手。 そこで日産は1994年、欧州から7人乗りRVの輸入販売を開始します。 それが今回の名車&迷車、「ミストラル」です。 ■Made By Nissan Motor Iberica 近年ではコンパクトカーの「マーチ」がタイからの輸入モデルとなって話題を呼びましたが、ミストラルはスペインからの輸入モデルでした。 生産は、日産の欧州市場向けモデルを担当していた「日産モトール・イベリカ」。 ▲ミストラルType-X イギリスの「NETC(ニッサン・ヨーロピアン・テクノロジー・センター)」で開発された欧州市場のためのモデルで、日本発表時のプレスリリースにも「欧州生まれ、欧州育ちのピュア・ヨーロピアン・オールローダー」であることが謳われていました。 1994年に発売されたのは、テラノと同様の2.7リッターディーゼルターボ(OHVだった)に4速ATが組み合わされた5ドアの7人乗り仕様。 「Type-S」「Type-X」の2グレードで、価格は261万円と279万円(オーテックジャパンのキャンピングカー仕様も発売された)。 ▲ミストラルType-Xのインテリア このクラスに7人乗りを投入した日産の目論見は成功。当初、月販目標1000台だったところ、最初の3カ月で約7000台を受注し、すぐに日本向けミストラルの増産を決定。 生産台数を月2000台としました。 1996年には、2ドアショートボディも導入します(グレード名はType-R!)。 こちらは、モノトーンのボディカラーにブラックのパーツを用いたインテリアでスポーティさを強調。 229万円という戦略的価格で、若者をターゲットとしていました(ライバルはいすゞ・ミュー)。 ピチカート・ファイヴが出演し『2人のベイビィ・ミストラル~♪』と歌ったCMを覚えている人も、いるかもしれません。 ▲ミストラルType-R アメリカンなテラノとヨーロピアンなミストラルは、当時のハイラックスサーフとランドクルーザープラド(今ならハリアーとRAV4)のような関係で、RVニーズを網羅。 ミストラルも、テラノとともに町中でもよく見かける存在となりました。 ■欧州モデルゆえの難しさ ところで当時、絶好調だった日産は、なぜ売れ筋のRVをわざわざスペインから輸入したのでしょうか? ここにミストラルが名車&迷車たる所以があります。 実はミストラルは、もともと「テラノⅡ」として欧州向けに開発されたモデルで、「マーベリック」の名でフォードへもOEM供給。 ランドローバー「ディスカバリー」などに対抗するモデルとして開発された、戦略的モデルだったのです。 実際、欧州ではディスカバリーを超え、クラストップシェアを獲得しています。 では、どうして「名車&迷車」として取り上げたのか。 ▲ランドローバー「ディスカバリー」 それは、1代限りで終わったしまったこと、欧州生まれならではの良さがあった反面、それが裏目に出てしまった“難しさ”があるからです。 イタリアのデザイン会社「I.DE.A」によるスタイリングは、直線的なデザインが多かった日本のライバルたちとは一線を画したものでした。 足回りも欧州テイストのテラノとは異なるもので、さらに日本向けにかなりの部分に手を入れていたようです。 しかし、欧州市場をメインとしていただけに、変わりゆく日本のRV市場に追いつけなかったのも事実。 日本国内ではビッグホーンやパジェロが、200馬力を超えるV6DOHCガソリンエンジン(当時としては超絶ハイパワー!)を搭載するなか、ミストラルは1999年に販売を終了するまで2.7リッターのディーゼルターボのみ。 また、レザーシートを装備するなど高級化が進むなかでも、ミストラルは当初の路線を変えることができず・・・。 そればかりかマイナーチェンジによりメッキパーツの使用が抑えられ、ヘッドライトが丸型4灯となるなど、日本のニーズと逆行するような形になってしまうのです。 ▲ミストラルType-X後期型 このころには月販目標台数も700台まで下降。 実際に、丸型4灯ヘッドライトとなった後期型を見た記憶はあまりなく(特に2ドアは見なかった)、モデル末期にどれだけ売れたかは未知数です。 ■時代が変わりゆくハザマに生まれた「儚さ」 欧州生まれ・欧州テイストのRVミストラルが、クルマとして悪くなかったことは明らか。 しかし、ミストラルが販売された1994~1999年といえば、「オデッセイ」や「ステップワゴン」「イプサム」「グランディス」といったミニバンが誕生し、RVは「CR-V」や「RAV4」など、ラダーフレームを捨てモノコックボディとなった乗用車ライクなモデルに変化。 さらに「キューブ」や「デミオ」といったコンパクトカーの人気が高まった激動の5年間でした。 1980年代に端を発するRVが下火になっていくことは、承知のうえでのミストラル国内導入だったのかもしれません。 国内総販売台数は、4万台あまり。 決して多くはありませんが、1990年代半ばの日産ラインナップのなかで、明確や役割を果たしたことは間違いないでしょう。 こうした「儚さ」こそが、“名車&迷車を愛すべき理由”であると思わずにいられないのです。 [画像:日産自動車、Land Rover/ライター:木谷宗義]
1990年代は、クルマの世界が大きく変わった年代でした。 たとえば、安全性能や環境性能がまだそれほど厳しくなかった1990年代前半には、シトロエン「2CV」やサーブ「900」といった、20~30年以上も前にデビューしたクルマがまだまだ現役だったと思ったら、1990年代後半には今のミニバンブームにつながる日産「セレナ」や「エルグランド」が登場し、量産車初のハイブリッドカー、トヨタ「プリウス」も生まれています。 エンジニアリングの面でもユーザーニーズの面でも、20世紀から21世紀へと向かう、一大転換期だったのです。 そのため、この10年の間にはメーカーのチャレンジと試行錯誤によって生まれた、さまざまなモデルが登場しました。 とはいえ、そのすべてが成功し、名車と呼ばれるようになったわけではありません。 なかには、あまり日が当たらず、忘れられかけているクルマもあるものです。 前置きが長くなりましたが「1990年代 名車&迷車 烈伝」では、この時代に生まれた少々マイナーな名車&迷車にスポットを当てていきます。 第1回は、1991年に登場した三菱4代目「ランサー」です。 ■1.3~2.0リッター、商用車からエボリューションまで ランサーは、トヨタ「カローラ」や日産「サニー」ホンダ「シビック」など同じ1.3~1.5リッタークラスのコンパクトセダン。 3ドアハッチバックや2ドアクーペも用意された「ミラージュ」の兄弟車です。 4代目ランサーは、先代の5ドアハッチバックスタイルからセダンに変わった世代で、ランエボの愛称で親しまれるエボリューションシリーズが誕生したのもこのころ。 ▲MX SALOON ▲MX LIMITED 1991年デビューといえば、その設計や開発がバブル期の真っ只中。 4代目ランサーも、実に贅沢に設計され、また多彩なバリエーションを誇っていました。 まずは、「そんなにあってどうするの?」と思うほどのエンジンバリエーションを見てみましょう。 ・1.3リッターSOHC・1.5リッターSOHC MVV(リーンバーン)・1.5リッターDOHC(電子キャブレター)・1.5リッターDOHC(インジェクション)・1.6リッターDOHC MIVEC・1.6リッターDOHC MIVEC-MD(気筒休止)・1.6リッターV6 DOHC・1.8リッターターボ・2.0リッターターボ(エボリューション向け)・1.8リッターディーゼルターボ(のちに2.0リッター化) 当時はまだほとんどのグレードでMT/ATが選べた時代。 ▲1.6リッターV6 DOHCエンジンをはじめ、さまざまなバリエーションがあった また4WD仕様もあり、パワートレインのバリエーションだけでも相当なものでしたが、さらに商用仕様、乗用仕様、スポーツモデル、競技向けモデルまで用意されたのですから、ラインナップの数は半端ではなく、これもこのクルマの名車&迷車性を物語っています。 ▲RS この時代のランサー/ミラージュのトピックとして、世界最小の排気量を持つ1.6リッターのV6エンジンがよく語られますが、ホンダのVTECと似た可変バルブタイミング機構を持つ「MIVEC:マイベック」や、それに気筒休止機構をつけた「MIVEC-MD」、リーンバーン(希薄燃焼)を追求した「MVV:Mitsubishi Vertical Vortex」も、このとき生まれた注目すべきパワートレイン。 MVVは、存在感こそ薄かったものの、のちのGDI(ガソリン筒内直噴)エンジンにつながる技術の1つでした。 ■ディアマンテなみの豪華装備 バブル期の設計といえば、作りのよさがよくいわれます。 メカニズム面では、リアサスペンションがマルチリンクの独立懸架で、4速ATには当時、このクルマではまだ珍しかった電子制御式(ファジィシフトと呼ばれた)、4WDにはVCU(ビスカスカップリング)センターデフ式が採用されていました。 一体成型のインストルメントパネルや贅沢にシート生地が貼られたドアトリムのインテリアも、当時の気前のよさを感じさせるもの。 フルオートエアコン車には「ディアマンテ」と同様に、作動状況を表示するカラー液晶のディスプレイがついていました。 ▲ROYALのインパネ 1.8リッターターボを搭載する「GSR」は、MOMO製ステアリングやRECAROシートで装い、ラグジュアリーグレードの「ROYAL」にはパワーシートや空気清浄機、植毛ピラーなどを装備。 ▲ROYALのインテリア グレードによって、まったく異なるキャラクターを持たせていたのも、特徴でした。黒バンパーにビニールシート、パワステ・パワーウィンドウがオプションというグレードがあったのも、おもしろいところです。 ▲GSRのインパネ ▲MVVのインパネ これだけグレードの幅が広いモデルだけあって、価格レンジも90万~240万円台ほどと広く、廉価グレード、普及グレード、ラグジュアリーグレード、スポーツグレードはそれぞれ、形が同じだけで別のクルマと言っても過言ではないかもしれません。 さらに「GSRエボリューション」は270万円以上と、「ギャランVR-4」に迫るプライスタグがつけられていました。 ■気合い十分も販売は・・・ 贅を尽くして開発された4代目ランサー。 しかし、気合い十分で臨めば売れるかというと、そううまくいかないのがクルマの世界というものです。 ここで、1992年の乗用車販売台数ランキングを見てみましょう。 1位:トヨタ カローラ2位:トヨタ マークII3位:トヨタ クラウン4位:ホンダ シビック5位:日産 サニー6位:トヨタ スターレット7位;トヨタ カリーナ8位:トヨタ コロナ9位:日産 マーチ10位:トヨタ スプリンター なんと、ベスト10にも入っていなかったのですね。 当時を知っている人なら、「知ってはいるけれど、あまり見かけないクルマ」という印象を持っているかもしれません。 ▲MR 世界最小のV6エンジンなど話題性はありましたし、WRC(世界ラリー選手権)で活躍したエボリューションはクルマ好きを心酔させる魅力を持っていましたが、カローラクラスのセダンとしては決してメジャーな存在とはなりませんでした。 だからこそ、名車かつ迷車として取り上げたかったのです。 2022年12月現在、中古車情報サイトに載るランサーは、エボリューションを除くと十数台。 ▲GSRエボリューション そのなかで、この4代目はわずか1台しかありません。 それも、GSRのエボ仕様です。 MXサルーンをはじめとしたノーマルモデルは、ほぼ絶滅状態となってしまいました。 まさに1990年代の悲哀に満ちた名車&迷車だったといえるでしょう。 [画像:三菱自動車/ライター:木谷宗義]