スターレットは、1973年から1999年まで製造・販売されていたスポーティーなコンパクトカーです。2代目パブリカの上級モデル「パブリカ・スターレット」として登場しました。パブリカの派生車種だったために、デビュー当時は2ドアファストバッククーペのみでしたが、1973年10月に4ドアセダンが追加され、スターレットとして独立しました。
初代(KP4#・5#型)に搭載されていたエンジンは2K型 1.0Lと3K型 1.2Lの2種類。1.2Lには68馬力のシングルキャブと74馬力のツインキャブが用意されていました。4気筒 OHVにも関わらず高回転だったことから、傘下にあったダイハツのコンソルテにも搭載されました。
モータースポーツで広く用いられ、サーキットレースやラリー、ジムカーナ、ダートトライアルなど多くのレースに参戦しました。富士スピードウェイのマイナーツーリングレースで繰り広げられた、日産のサニーとホンダのシビックとのバトルは特に印象的です。
1978年に初のモデルチェンジが実施され、2代目(KP6#型)が登場します。FFのライバル車が多いなかで駆動方式はFRのままで発売され、最軽量クラスのFRスポーツとして人気を博しました。初期のバンには先代と同じ3K型エンジンが搭載されましたが、その他のモデルには排気量がアップした4K-U型が採用され、最高出力は3K型を凌ぐ72馬力を発生させました。1982年のマイナーチェンジの際には、さらにパワーアップしたEFI仕様の4K-EU型を搭載したモデルがリリースされます。最高出力は79馬力にまで向上しました。
サスペンションはフロントが先代と同じくマクファーソンストラット・コイル、リアはリーフから4リンク・コイルに変更。また、トヨタの2000GT以来初めてラック&オピニオン式ステアリングが採用されたことも大きなトピックです。市場への流通量が多く、アフターパーツも充実していたために競技用として普及し、多くのレースやラリーに参戦しました。全日本ツーリングカー選手権や、パリ・ダカールラリーにも出場し見事完走を果たしています。
3代目(EP7#・NP70型)が登場したのは1984年。新開発の2E型エンジンが採用され、1986年にはインタークーラー付きターボチャージャー搭載車が追加されました。俊敏に動く様子から「韋駄天」「かっとび」の異名がつけられました。
駆動方式がFRからFFに変わり、全長が45mm小さくなった一方で、全幅は55mmに拡大。FFだからこその利点を活かして、広い室内空間を実現させました。レイアウト変更に合わせて、サスペンションの仕様も一部変わっています。フロントに関しては先代と同じマクファーソンストラットであるものの、ロアアームがI字型からL字型に変更されました。リアは、FFということもありシンプルなトーションビーム式が採用されています。
FFに変わってもなおモータスポーツ向けグレードが用意され、サーキットレースをはじめ、ジムカーナやダートトライアルなどさまざまなレースに参戦しました。
1989年リリースの4代目(EP8#・NP80型)では、エンジンが一新されます。排気量が1.3Lに拡大し、SOHC 12バルブの2E型からDOHC 16バルブの4E型、ハイメカツインカムⅡに変更されました。キャブレター仕様が82馬力、EFIが100馬力、GTターボ仕様が135馬力の最高出力を誇ります。ディーセルモデルには、55馬力を発生させる1N型を採用。1990年にはNAエンジンを搭載したフルタイム4WDが追加されました。
ターボモデルはもちろん、NAモデルも走行性能に優れていたために、レースで頻繁に使用されました。富士チャンピオンレースのN1400クラスが3代目スターレットのNAモデルの実質的なワンメイクレースになっていたほどの人気を誇ります。
1996年には5代目(EP9#・NP90型)が発売されます。ベーシックモデルのルフレ、スポーティーモデルのグランツァの2種類が用意されました。
先代と同じ4E型エンジンと1N型エンジンを搭載し走りのスポーティーさを受け継ぎながらも、安全装備の充実が図られました。エアバックとABSのほか、シートベルトプリテンショナーとフォースリミッターも標準で装備されました。
一方で、ターボモデルでは快適装備をなくしたモータースポーツパッケージ装着車が用意されました。ホイールスピン防止のために過給圧を抑制する機構も追加され、より安全にスポーツ走行を楽しめるようになりました。