はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 7回目となる今回は「1冊の冊子がオーナーの人生を変えた」ともいえる愛車との物語をお届けします。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 オーナープロフィール 菊池修です。年齢は51歳(取材時)、職業は会社員です。 所有するクルマは、1995年式BMW M3(E36)です。所有歴は今26年目、オドメーター上はおよそ14万キロです。私が手に入れてからおよそ10万キロ乗りました。 定期的にエンジンを動かすように心掛けているので、週1回のペースで乗っています。 菊池さんがクルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 思い返すと、小さい頃からトミカが好きだったんですね。あまりにもトミカが好きすぎて両手に持ったまま母親を追い掛けて転んでしまい、鼻に大けがをしました。いまでも鼻には傷が残っています(笑)。 「自分がクルマ好き」だとはっきり認識したのは小学生の頃だと思います。親戚の叔父さんが小さな自動車販売店を営んでおり、ヤナセの代理店だったこともあり、お店には何台かドイツ車がありました。 叔父さんはプライベートでもドイツ車に乗っていて、そのなかでもメルセデス・ベンツ190Eやアウディ100を所有していたことはいまでも覚えています。 幼少期の頃からドイツ車にご興味が? そうですね。クルマといえばドイツ車でした。高校生くらいになると、モノマガジンやBeginといったライフスタイル系の雑誌を読むようになり、ここでもドイツ製品の作り込みの良さに惹かれるようになっていきましたね。 18歳になって運転免許を取得後、最初に手に入れた愛車はフォルクスワーゲン ゴルフ2 CLI(AT)でした。実はミニクーパーやパリダカが好きなこともあってパジェロにも興味があったんですが、親戚の叔父さんのクルマ屋に下取りで入ってきたゴルフ2を手に入れました。 人生初の愛車はやはりドイツ車だったんですね 高校生の頃はいろいろ考えてましたが、いざクルマを買うとなると「やっぱりドイツ車に乗りたい」という気持ちが強くて。高校卒業後は就職したこともあって、通勤の足になるクルマが必要だったんです。 そんなタイミングで現れたのがゴルフ2でした。もう30年以上も前のことですが、当時、65万円ほどの価格で手に入れた記憶があります。 ゴルフ2は最初の愛車ですし、とにかく運転するのが楽しくて、あちこちにドライブに行ったり、スキーにも行きましたね。 ゴルフ2からゴルフ3へ 高校を卒業後、1度就職したんですが、思うところがあって専門学校に入り直したんです。専門学校を卒業後、再び就職したタイミングで、ゴルフ3 GTI(MT)に乗り換えました。 ゴルフ2には3年ほど乗りましたが、ATだと物足りなさを感じるようになってしまって……。さすがに新車は買えなかったので中古車ですけどね。 愛車であるBMW M3の存在を知ったきっかけを聞かせてください 「ダカールイエローのBMW M3」との出会いのきっかけは、かつての勤め先の社長から譲り受けた1冊の冊子でした。 あるとき「菊池くん、クルマが好きだろうからこれあげるよ」と手渡されたのが、ダカールイエローに塗られたBMW M3(E36)が表紙を飾った『BMW MAGAZINE』だったんです。 このクルマの印象がずっと残っていて。社長が『BMW MAGAZINE』をくれたのってこの1回限りなんです。もしあのとき社長から『BMW MAGAZINE』をもらっていなければ、あるいは他の号をもらっていたとしたら……。私が『ダカールイエローのBMW M3』を手に入れることもなかったかもしれません。 BMW M3を買うと決めたのは20代のときですか? そうです。ゴルフ3 GTIはとても気に入っていたんですが、エアコンが壊れてしまいまして。見積もりを出してみたところ、修理代に30万円掛かることが分かったんです。 そこまでエアコンの修理代に費やすなら乗り換えようと思い、候補に挙げたのがポルシェ911 カレラ2(964)と、ダカールイエローのBMW M3だったんです。 ポルシェ911も欲しいけれど、買うことができたとして、維持する自信がない……。それならば、ということで「ダカールイエローのBMW M3、サンルーフなし」に狙いを定めて探したんです。 叔父さんの会社でオークションサイトをチェックしてもらったのですが、条件に合致したクルマがなかなか見つからないんですね。なんだかんだで1年くらい探しました。 当時のBMW M3というとサンルーフ付きの割合が圧倒的に多かったようです。 納車後に雑誌の取材でダカールイエローのBMW M3だけで集まった際も、20数台のなかでサンルーフなしは私のクルマだけ、ということもありました。 それほどレアな仕様だったみたいです。 BMW M3が納車された日のことを覚えていますか? 叔父さんから「この日にM3が届くよ」と連絡があり、キャリアカーで運ばれてきたM3を観に行った日が納車された日になるんでしょうね。 ナンバーがついていて自走可能だったので、試乗がてらガソリンスタンドまで運転したんです。さすがに緊張しましたね。 ガソリンスタンドに着いたら、店員の女の子から「すごく目立つクルマですね」って声を掛けられたことを覚えています。 ついに「ダカールイエローのBMW M3」のオーナーになりましたね! 念願のBMW M3を手に入れることができたのが25歳のときでした。その翌年から、働きながら大学に通うことになり、さすがにダカールイエローのM3で通学すると目立つので(笑)、10万円のダイハツ オプティーを足車として増車しました。 大学は26歳から30歳まで通ったんですが、仕事しながら課題やレポートの提出などに追われて、平日の夜間と土日をほぼフルに使っていましたね。我ながらよくやったなと思います。 私が所属していた研究室の先生がクルマが好きで、クルマ談義していただいたことで救われた部分もありますね。 大学を卒業後、都内の設計事務所に転職したんですが、BMW M3は実家に置いてきました。土曜日も仕事だったので、終わったあとにM3に乗るために帰省して、少しドライブして日曜日の夜か月曜日の朝に都内の家に戻る、そんな生活をしていました。 これまでの26年の愛車生活のなかで、BMW M3との一番の思い出はなんですか? 1度だけ、母親と弟夫婦を乗せて東京ディズニーランドまで出掛けたことですね。助手席に母親を乗せて、弟夫婦はリアシートに座って。2ドアクーペだけど、リアシートが広いこともあって不満はなかったみたいです。 菊池さん個人としての思い出があったら聞かせてください 納車した年に、雨の日に運転していてスリップしてしまい、BMW M3を縁石にヒットさせてしまったことがあるんです。あのときは悲しくてさすがに泣いちゃいました。 修理に3ヶ月くらい掛かったんですが、直ってきたときは心の底から嬉しかったですね。 失礼ながら・・・これまでBMW M3を手放そうと思ったことはありましたか? それはなかったです。 むしろ、手に入れて7年くらい経ったとき、転職して東京で暮らすことになって。やむを得ずBMW M3を実家に置いていかざるを得なくなったんです。離れることの寂しさもあり「これはもう手放したくないな」と思うようになりましたね。 平日は帰りが遅いのでクルマに乗る時間なんてないし、当時住んでいた都内の地域では駐車場代が2〜3万円台だったので、借りてまで乗ろうとは思わなかったんです。 これまで、菊池さんが欲しいクルマはありましたか? クルマ仲間の方から、当時所有していた911カレラ4S(993)を買わない?といわれたときはさすがに悩みましたね。 このときも維持できるか自信がなかったので断念しました。聞くところでは、今でもカレラ4Sをお持ちだそうです。 菊池さんが思う「愛車との理想の別れ方」「これだけは避けたい別れ」とは? 「愛車との理想の別れ方」ってどうすればいいんだろうって、考えれば考えるほど答えが出せないんです。率直にいうと「いまはまだ考えたくない」ともいえるかもしれません。 「これだけは避けたい別れ」は、やはり事故でしょうね。いずれにしても「このBMW M3との別れなんて考えたくない」というのが正直な気持ちです。 菊池さんがこれほどまでに溺愛する、愛車とはどのような存在ですか? もはや家族の一員なんですよ。私だけでなく、母親や弟もM3が好きですし、一方的に情が入ってしまっているんです。だから、できればずっと乗り続けたいですよね。 BMW M3の取材を終えて思うこと 内外装はもちろんのこと、エンジンルームやホイールハウスにいたるまで……。まさにコンクールコンディションと呼べるほど、美しい状態を維持した菊池さんのBMW M3。 驚くべきことに、ガレージ保管ではなく、カーポート、しかもボディカバーを被せずに保管しているそうです。実際に菊池さんの愛車を見たらガレージ保管だと信じて疑わないレベルのコンディションです。 もちろん、この取材のために急に洗車をしてもこの状態にはなりません。コーティングショップなどの専門店に何十万もの大金を投じてリフレッシュを依頼してもここまできれいにはなりません。 つまり、日ごろから細部にいたるまで妥協せず、きれいに磨き上げているからこそ……のコンディションなのです。 これほどまでに「想い切れる」愛車に出逢えた菊池さんが心底うらやましいと思えた取材でした。
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 5回目となる今回は「クルマに選ばれしオーナー」とその愛車の物語をお届けします。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 オーナープロフィール 久我 玲士です。年齢は23歳(取材時)、職業は会社員です。重機の整備や販売を行う企業に勤めています。 所有するクルマは、1993年式メルセデス・ベンツ SL280(R129)です。 所有歴は半年、オドメーター上はおよそ5.8万キロです。*イギリス仕様なのでマイル表示です。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 実はクルマが好きになったの高校生のときなので、割と最近なんです。 高校3年生だった12月のある日、父が不意に「いいクルマがあるんだけど」と見せてきたクルマがトヨタ スープラ(A70型)でした。 父が若いときに、タルガトップのスープラに乗っていたことを知っている母親も「買っちゃいなよ」的なノリで後押ししてきて(笑)。 父親が「オマエも乗るか?乗るんなら買おうよ」といってくれたこともあり、「俺もスープラに乗りたい!」って答えたんです。 ここまででわずか5分たらずのできごとです。 ただ、この時点ではクルマ熱はそれほどではなくて、実際に火がついたのはスープラが納車されたときですね。 エンジンに火が入った瞬間の音を聴いて「これ、俺のクルマなんだ!」と気づいた瞬間、一気に「目覚めた」ことを覚えています。 その後はテンションがあがりすぎてしまい、声が出なくなるほどでした(笑)。 スープラが納車されたのはまだ運転免許を取る前だったこともあって、父親の運転で高校の卒業式にも送迎してもらいました。 スープラに乗ってきたこともあってさすがに友だちもびっくりしていました(笑)。これが5年前、2021年のことです。 割と最近じゃないですか!ということは、幼少期はというと・・・? 小さい頃、フェラーリ テスタロッサや512TR、光岡オロチのトミカを買ってもらったり、父親の友だちが所有する日産スカイラインGTS-R(R31型)に乗せてもらったことは覚えています。 頭の片隅にクルマがある…そんなレベルでした。 むしろ、機動戦士ガンダムや装甲騎兵ボトムズといったロボットアニメやプラモデルに関心がありましたね。 プラモデルにも興味があって、組み立て書の分解図や解説を夢中になって呼んでいました。 いまの仕事にも通じるところがありますが、基本的にメカっぽいものが好きなんでしょうね。 久我さんのこれまでの愛車遍歴を教えてください 父親と共同所有している1992年式トヨタ スープラツインターボR、1999年式 BMW Z3ロードスター2.2i エディション2、そしてこの1993年式メルセデス・ベンツ SL280です。 スープラは実家にあるため、手元にあるのはBMW Z3とメルセデス・ベンツ SL280の2台です。 あとは親族から譲り受けた1978年式いすゞ117クーペXEです。 この117クーペはレストアベース車で、時間の合間を見て少しずつレストアしています。 ご自身で最初に手に入れたのはBMW Z3だったんですね 一人暮らしをはじめることになったとき、スープラに関しては、私よりもクルマに精通している父親に任せることにしました。 そうなると新天地でも乗れるクルマが欲しなりますよね。 そのときの条件が「FR・2ドア・直6エンジンのクルマ」でした。 トヨタ セリカXX(厳密にいえば3ドアですが)やソアラ、MG-Bも考えたんです。 そんなとき、母親から「BMW Z3なんていいんじゃない?」と提案されたんです。 小さい頃からBMWというメーカーのクルマがあることは知っていたんですが、当時はキドニーグリルがカッコイイとは思えなくて。 でも、大人になって見てみると、Z3のたたずまいに惚れ込んでしまったんですね。 そんなとき、新天地からそれほど離れていない中古車販売店で現在の愛車となるBMW Z3ロードスター2.2i エディション2の売りものを見つけたんです。 友人に連れていってもらって現車を見た瞬間、「これだ!」と思い、即決しました。 母親にとってBMW Z3は新車当時を知るクルマだし、私がZ3に乗ることで少しは喜んでもらえるかなという想いもありましたね。 いまの愛車の存在を知ったきっかけを聞かせてください 初めてR129型のSLの存在を知ったのは、小学生低学年、おそらく5、6歳頃だと思います。 タミヤのメルセデス・ベンツ SL500AMGのプラモデル(1/24スケール)を見掛けたことがきっかけです。 この頃はガンプラやミリタリーのプラモデルに夢中だったんですが、中古ショップに行ったときに、たまたまタミヤのSL500AMGのプラモデルを見掛けて以来、ずっと頭の片隅にあったんです。 その記憶は大人になってからも不思議と残っていて、火が点くきっかけとなったのは、メルセデス関連のミーティングの手伝いをしたとき、知人のメルセデス・ベンツ560SEL(V126)に乗せてもらう機会があったんですね。 昔からメルセデスってずっと高嶺の花だという印象があったんですが、思い切って手に入れてみたい。それも、せっかくならば「FR・2ドア・直6エンジン」にこだわりたい。 そのことを560SELを所有する知人に話したところ、メルセデスでもその組み合わせのモデルがあると教えてくれたんですね。 そこで、「FR・2ドア・直6エンジン搭載のメルセデス」と「小さい頃に見たSL500AMGタミヤのプラモデル」の記憶がひとつになり、「SLを手に入れたい」と思うようになったんです。 そしてついにこの個体と出会うことになるのですね それ以来、中古車検索サイトや個人売買などの情報を常にチェックしていました。 実車を観に行ったことも何度かありましたし「これいいな」と思う個体もあったんですが、タイミングが合わなかったりして、結局よいご縁に恵まれなかったんです。 昨年7月のことです。 後輩と飲んでいたとき、XのタイムラインにこのSLの投稿が流れてきたんです。 中古車販売店がアップした「FR・2ドア・直6エンジン」に加えて「希望していた前期モデル+ソリッドブラックのR129」という、すべての条件を満たした個体でした。 とにかく「現車確認希望」のDMを送って、後日観に行きました。 実車を見て運転席に座らせてもらった瞬間「すごくしっくりきた」んです。 初めて触れたのがうそみたいに。もはや迷う理由はありませんでした。 その場で即決です。 ただ、すでにZ3のローンを組んでいたこともあって、SLのローンが通るか分からなかったので不安でしたね。 それでも、結果として無事にローンの審査をクリアして、晴れて正式に契約することができました。 お店の方もR129のSLを乗り継いできた方で、前オーナーさんが大事に乗っていた個体だし、本当にR129が好きな人に乗り継いでもらいたいという想いがあったようです。 私にとってもあらゆる理想と希望を満たした個体であり、「オーナーがクルマを選ぶのではなく、クルマがオーナーを選んだ」かもしれないと思わずにはいられませんでした。 SL280が納車された日のことを覚えていますか? 納車は去年の8月上旬でした。 納車日は雨だったんですが、SL280が置いてある場所に着いたところでちょうどあがったんです。 お店の方から鍵を受け取り、初めて運転しました。重いアクセルペダルやブレーキフィールに驚きました。 Z3と同じ「FR・2ドア・直6エンジン」の組み合わせなんですが、こうも違うのかと知ることができたのは良かったですね。 納車直後、そしていま現在もそうなんですが、これほど早く手に入れることができると思っていなかったんです。 そんなこともあって「ついに買っちゃったよ」と「いまの自分がこのクルマを手に入れてよかったのかな」という、喜びと戸惑いが交錯しているんです。 職場までは公共交通機関で通勤しているので、クルマに乗れるのは休日のみ、なんです。実は仕事から帰って来て、自宅の駐車場にSL280とZ3が止まっているのを眺めるだけ。 もっとも「俺の愛車なんだ」と実感できる瞬間は、ジャッキを掛けてリフトアップして下まわりを触っているときかもしれません。 SL280とZ3の違いを教えてください SL280の重厚さに対して、Z3はとても軽快です。 アクセルペダルをグッと踏み込んだらしっかり加速してくれますし、人馬一体感を味わえるのはZ3の方ですね。 SL280とZ3、そしてスープラ。長く乗りたいと思っているクルマは・・・? この3台は固定です(キッパリ)。手放すつもりはありません! 117クーペも含めると4台ですね。今後さらに増える可能性があります(笑)。 愛車との一番の思い出は? 昨年10月に栃木県足利市で開催された「足利モーターフェス2025」に参加できたことですね。 もともとSNSでつながっていた後期型のSL320のオーナーさんと直接会って話すことができましたし、2台並べて展示できたのは良かったですね。 イベント終了後には2台並べて撮影しましたし。 失礼ながら、これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? 一瞬、頭をよぎったことは正直いってありました。 念願だったSLを手に入れることができたんですが、1度だけ「本当に俺がこのSLに乗っていていいのかな」とすごく悩んだことがあったんです。 そのことを友人に話しました。その友人は私がSLを手に入れるまでの経緯をすべて知っているので、「こうして託してもらったSLをここで諦めるのか」っていってくれたんですね。 その瞬間ハッと我に返って「このSLの歴代のオーナーの想いを受け継いで『預かったクルマ』だからこそ、こんなヤワなことで降りちゃいけない!」と気づき、気持ちを切り替えることができたんです。 この個体より程度が良いSLが出てきたり、AMGの売りものが出てきても買い換えません。SLはこの1台でいいんです。 持つべきものは良き友人ですね!故障などは大丈夫ですか? エンジンの回転がハンチングしたことがありました。 エアフロなどのセンサー類をすべて用意して、吸気系をすべてバラして清掃し、組み付け直したら収まりました。 原因はおそらくどこからか2次エアを吸っていたのかなと推測しています。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマは? フェラーリ テスタロッサですね。 ボディカラーは黒。512TRではなくテスタロッサがいいです。 ご両親にSLを購入したことは伝えてあるのですか? いずれバレると思ったので母には伝えました。でも父にはまだ伝えていないんです。この記事の存在を知ったらバレますね(苦笑)。 もしバレたら「なんでベンツなの?」といわれるでしょうね。V6エンジンのモデルを買ったと思うでしょうから。 でも実際には直6エンジンですし、興味を示してくれるはずです。 久我さんが思う「愛車との理想の別れ方」「これだけは避けたい別れ」とは? これはSLに限らずなんですが、手元にある愛車すべてに対して思っていることがひとつあるんです。 本当にそのクルマが好きで、好きで憧れている人、若い人でもいいし、年配の方でもいいです。 本当に憧れていて、絶対にこのクルマがいいっと断言してくれる人、私が心底そう思える方、自分の想いを超えた方に託せたとき…じゃないでしょうか。 これだけは避けたい別れがあるとしたら…やはり事故でしょうね。 久我さんにとって愛車とはどのような存在ですか? 「自分の写し鏡」だと思っています。 このSLは普段使いの小傷があるけれど、佇まいはしっかりしています。 前のオーナーのクルマとの接し方に1本筋が通ってるなと思うんです。その想いを受け継ぎつつ、自分なりの「1本筋が通す」接し方を貫いてみたいです。 最後に、前オーナーさんが記事を見つけてくれるかもしれないのでメッセージを なかなかない仕様のSLですし、これまでどこかのタイミングで廃車になってしまってもおかしくないはずなのに、しっかりとメンテナンスしてコンディションを維持してくださったことにお礼の気持ちを伝えたいです。 どこまでお金を掛けられるか分かりませんが、このSLに対して前オーナーさんと同じぐらいの愛着は持っているので、そこは安心してください。 なぜ手放してしまったのか、その経緯を知りたいですし、できることなら1度お会いしてみたいです。 トランク右側のアンテナがどのような機能を持っているのか、調べても分からないんです。もしご存知でしたら教えていただきたいですし。 自分自身がこのSLから感じ取った前オーナーさんの想いが本当にあっているのかっていう答え合わせをしてみたいです。 メルセデス・ベンツSL280の取材を終えて思うこと 「オーナーがクルマを選ぶのではない。クルマがオーナーを選ぶのだ」。 これは筆者がオーナーインタビューをはじめたときから一貫して感じていることです。実際にはそんなことはありえないし、選んでいるのはオーナーです。 しかし、偶然とは思えない、運命の導きに違いない出会いが日本中に、そしておそらくは世界中にエピソードがあるはずです。 「クルマに選ばれたオーナー」に一貫していえることは「引力の強さ」、そして「その個体を想う強さ」です。 新車同様のコンディションを維持するオーナー、車体のあちこちに飛び石によってできた傷があるけれど、気にしないオーナー。自分好みにモディファイを楽しむオーナー。 本当にさまざまです。しかし、根っこの部分は皆同じです。 今回取材した久我さんも、間違いなく「クルマに選ばれたオーナー」といえます。 23歳の若さでアガリのクルマを見初めた久我さん。これからどういったカーライフを送ることになるのでしょうか。 [撮影/松村透・画像ご提供/久我玲士さん(スープラ/BMW Z3/足利モーターフェス2025)・ライター/松村透]
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 5回目となる今回は、前オーナーがこの世を去ったあと、周囲のクルマ好きの導きによって現在の愛車を手元にたぐり寄せたオーナーと、その愛車の物語をお届けします。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 オーナープロフィール SAWAです。年齢は62歳、勤めていた企業を定年退職して、現在は無職です。 所有するクルマは、1955年式ポルシェ356スピードスターです。 クルマが好きになったきっかけを覚えていますか? 幼稚園に通っていたころにはすでにクルマ好きでした。幼少期に住んでいた地域の周辺はマイカーを所有している人が少なくて、基本的に電車やバスで移動していたんです。 それだけに、クルマに対する憧れが強かったのだと思います。 中学生になると、友だちと話すことはクルマやバイク、そして音楽(ロック)が中心でした。当時、クルマだと街道レーサーが絶頂期で、音楽ではヴァン・ヘイレンやチープ・トリック、ディープ・パープルが人気でした。 同時期にブームとなったスーパーカーに熱狂していたのは、私より下の世代の方たちでしたね。6歳下の弟がまさにスーパーカーブーム直撃世代でしたよ。 SAWAさんのこれまでの愛車遍歴を教えてください 日産チェリーやローレルなど、日産車を何台か乗り継いだあと、フォルクスワーゲン タイプ1やタイプ3、カルマンギア、プーマというレアなモデルを所有していた時期もあります。 ふとしたきっかけでポルシェに乗るようになり、最初に手に入れたのは1973年式ポルシェ911Tです。その後、1968年式ポルシェ912や1964年ポルシェ365C、ポルシェ924に乗っていたこともあります。 現在はこのポルシェ356スピードスターと、普段使いをしているフランス車の2台体制です。 愛車であるポルシェ356の存在を知ったきっかけについて教えてください はっきりとは覚えていないのですが、たしかポルシェの専門店か映画だったと思います。 学生時代にフォルクスワーゲン系のショップの方と仲良くなり、学校帰りに毎日のように立ち寄っていました。 ひんぱんに通っていると、工場にあるクルマの細かな進行状況が分かるようになってくるんですね。外されていた部品がクルマに取り付けられたり、整備が終わってエンジン音が軽やかになったり。その様子を眺めているのが楽しくて。 そのショップに、いまは亡くなってしまったんですが、Mさんというポルシェの世界では名の知られた方がいらっしゃるようになって。 「もしポルシェを買いたいのであればMさんが面倒を見てくれるよ」ということで、縁あって手に入れたのが73年911Tというわけです。 たしか150万円くらいで購入したと思います。 あと50万円くらい出せれば、911Tではなく911Sに手が届いた時代です。このころ、私は23、4歳で安月給だったこともあり、プラス50万円がどうしても捻出できなかったんですが…。 この911T、エンジンの調子は良かったものの、見た目もボロくてひんぱんに故障して苦労しました。 いまにして思えばハズレの個体でしたね。それでも6年〜7年ほど所有したあと1968年式ポルシェ912に乗り換えました。 912を所有していたときに結婚してマンション住まいとなり、青空駐車で雨ざらしになるのが忍びなくて手放しました。 それから10年くらい経ったころ、両親が高齢になり、所有していたクルマを整理したことで、実家の屋根付きの駐車スペースが確保できたんです。 久しぶりに古いポルシェに乗ってみたくなり、手に入れたのが1964年式ポルシェ356Cでした。この356Cに乗っていたときにさまざまなクルマのオーナーさんと知り合うこととなります。 そして、現在の愛車と出会うわけですね 356Cに乗っていたとき、車種を問わないクルマ好きが集まるクラブに入っていたんです。 そのメンバーのおひとりの住まいがあった軽井沢までツーリングを兼ねて仲間内で出掛けたんですが、数ある愛車のなかにこの356スピードスターが含まれていました。 このオーナーさんが実に太っ腹な方で、誰にでもご自身の356スピードスターを運転させてしまうんです。 なにしろ、古いクルマの運転経験がない妻にも「乗ってみたら?」と勧めてきたほどです(笑)。 その後、この方が他界してしまい、所有していた何台もの愛車を処分することになりまして…。そのなかにはこの356スピードスターも含まれていました。 どこからともなくうわさを聞きつけた人たちがご遺族のところにやってきて、「譲って欲しい」という依頼が相次いだそうです。 そんなとき、亡くなったオーナーと共通の知人が「SAWAさんなら大切にしてくれるから」と、ご遺族の方たちに話してくれたんです。 そんなご縁もあって、356スピードスターを譲り受けることになりました。 ポルシェ356が納車された日のことを覚えていますか? 覚えています。 エンジンが掛からない状態だったこともあり、キャリアカーを借りて友人と一緒に引き取りに行きました。 今後、走れるようになるのか一抹の不安はありましたが、同時に356スピードスターを手に入れることができた喜びの方が大きかったですね。 その足で主治医のところにクルマを運び、点検してもらったところ、簡単な調整で走れるようになったんです。このときは本当にうれしかったですね。 このとき、東日本大震災が起こる直前のタイミングで、あと1ヶ月引き取りに行くタイミングが遅かったらキャリアカーが借りられなかったんです。 現在の走行距離と所有年数はどれくらいですか? 所有歴は約15年、走行距離はメーター上の表示によると5万1300マイルです。私が手に入れてからは2万マイルほど走りました。 普段の移動にはフランス車を使うことが多く、356スピードスターに乗るのはイベントや仲間とのツーリングのときです。あとはコンディション維持のため、月に2、3回は乗るように心掛けています。 ポルシェ356が「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 手に入れる前からそのつもりでした。実際に手に入れて、主治医の手で動くようになったときに「これは一生モノになるな」という思いが確信へと変わりましたね。 愛車であるポルシェ356とのいちばんの思い出は何ですか? 繰り返しになってしまいますが、走らないクルマを主治医に預けて「直った!」との連絡を受け、引き取りに行ったときですね。 それまで356Cに乗っていたので、356というクルマのイメージは多少なりともつかんでいるつもりでした。 しかし、実際にスピードスター乗ってみると、クーペのような「カッチリ感」はない代わりにクルマが軽いんです。クーペとの明確な違いに驚きました。 クーペの356とスピードスターは別モノなんですか? やっぱり違いますね。さらにいうと、オープンモデルでも違いがあるように感じます。 356のオープンモデルって「カブリオレ」「ロードスター」「スピードスター」「コンバーチブルD」の4種類が存在します。 コンバーチブルDは運転した経験がないので言い切れない部分はあるんですが、オープンモデルのなかでもスピードスターは特に身のこなしが軽いんです。 それとフロントウィンドウやサイドスクリーンが小さいため、より着座位置が低く感じる点も魅力です。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? ・欲しい車:ポルシェ911R・乗ってみたいクルマ:ポルシェカレラ10・買いたかったけど諦めたクルマ:ポルシェ930スピードスター です! 失礼ながら、これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? 1度もありません。私自身が運転できなくならない限り売りたくはないです。 SAWAさんが思う「愛車との理想の別れ方」「これだけは避けたい別れ」とは? もし「愛車との理想の別れ方」があるとしたら…それは泣く泣く手放さなければならない状況に陥ったとき、私と同じか、それ以上に大切にしてくださる方に引き継いでもらえることでしょうか。 できれば日本国内に留まって欲しいですが、場合によっては海外に行ってしまうのもやむを得ないかな…と思いますね。 そして「これだけは避けたい別れ」は、やはり盗難などでクルマがなくなってしまうことです。 最後に、SAWAさんにとって愛車であるポルシェ356はどのような存在ですか? 「宝物」です!これに尽きますね。 ポルシェ356の取材を終えて思うこと 国産車からフォルクスワーゲンを経てポルシェの世界に足を踏み入れたSAWAさん。 愛車である356スピードスターは、多くのライバルのなかからSAWAさんがクルマから選ばれたように思えてなりません。 恋い焦がれたクルマのオーナーに「選ばれる」には「欲しい!」と周囲にアピールするだけではダメです。 熱意が必要なのはもちろんですが「この人(今回であればSAWAさん)なら大事に乗ってくれるだろう」という評価と信頼を得る必要があります。 撮影中も、356スピードスターのことを気に掛けている姿が印象的だったSAWAさん。天国の前オーナーもきっと喜んでいることでしょう。
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 4回目となる今回は、人生の半分もの時間をともに過ごしたオーナーと、その愛車の物語をお届けします。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 オーナープロフィール 安藤 一弘です。年齢は62歳、勤めていた企業を60歳で定年退職して、現在は無職です。 所有するクルマは、1991年式三菱 GTO ツインターボです。所有歴は35年、オドメーター上はおよそ70万キロです。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 幼少期の頃はクルマよりも鉄道好きでした。さらには家にクルマがなく、身近な存在ではなかったんです。最初の就職先も鉄道関係の企業でしたし。運転免許を取得したのも二十歳を過ぎてからでした。教習所に通いはじめてクルマを運転するうちに楽しいと思えるようになっていったんです。 これまでの愛車遍歴を教えてください 実はこのGTOを含めて2台だけなんです。 1台目の愛車は、運転免許を取得してから数ヶ月後に手に入れた日産スカイライン(R30型/6代目)でした。通称「ニューマン・スカイライン」と呼ばれていたモデルですね。本当は「鉄仮面」が欲しかったんですが、さすがに高くて買えませんでした。結果的に2ドアの「GT」を手に入れたんです。仲間たちからは「ATだと飽きるからMTにしておけ」とアドバイスされたこともあってMT車にしました。このときはまだ若葉マーク(初心者)だったこともあり、納車当日はエンストの連続でしたね。そのうち慣れましたが、最初の頃は「ATにすればよかったかも」と思ったものです。 実はこのスカイライン、専門のショップに依頼してオープンカーに改造したんです。…といっても、初日の出に暴走するためのカスタムじゃありませんよ。幌を開ければ完全なオープンカーになるだけでなく、トランクに収納できるように改造してもらったこともあり、見た目もすっきりしていてとても気に入ったんです。しかし、もともとオープンカーにする前提のモデルではありませんし、剛性が足りずにそのうちボディにゆがみが生じてきて…。雨が降ると雨漏りするようになったんです。6年・6万kmほど乗りましたが、最後は手放しました。あのスカイラインは今ごろどうなっているのか…。 愛車であるGTOの存在を知ったきっかけを教えてください 友人が「モーターショーのチケットがあるから行かない?」と誘ってくれて、第28回東京モーターショー(1989年開催)の三菱ブースに展示されていたコンセプトカー「HSX」に一目惚れしたことがGTOを手に入れるきっかけです。「タダだし、行ってみるか」といった軽いノリで東京モーターショーに行ったことがすべてのはじまりだったんです。 1989年の東京モーターショーは、ホンダNSXのプロトタイプや、日産スカイラインGT-R、マツダユーノスロードスター、トヨタセルシオなど、今でも残っているようなクルマが相次いで出品された年でした。数ある展示車のなかで私の心をつかんだのは三菱「HSX」だけでした。このとき「市販されたら絶対に乗る!」と心に決めました。この日以来、毎日のようにHSXのパンフレットを眺め、無駄遣いをやめて必死に貯金に励んだんです。 GTOが納車された日のことを覚えていますか? テンションがあがってしまい、前日はあまり寝られなかったことを覚えています。納車当日は、仕事を終えてからスカイラインに乗ってディーラーに引き取りに行きました。もちろん仕事中も上の空でした(笑)。念願のGTOを受け取って帰宅したんですが、いまでも覚えているのは1速と2速しか使った記憶がないんです。緊張していたんでしょうね。気づいたら自宅に着いていましたから。 念願だったGTOを手に入れることができた…。あのときの感動を超える体験はいまもないほどうれしかったですね。 現在の走行距離と所有年数はどれくらいですか? およそ5万2000キロの時点で一度メーターを交換しているので、トータルすると約70万キロ。所有年数は約35年です。メーター交換時に距離数をリセットしてしまったんですが、あとになってこのように取材を受けることになるなんて夢にも思わなかったので…そのままにしておけばよかったです(苦笑)。 GTOを見掛ける機会もかなり減りましたよね 「長年、憧れの存在でした」と中古のGTOを購入される方もいらっしゃるんです。でも、壊れるし、部品はないし、修理代も高額になりがちです。結局、1、2年で手放してしまう方が多いんです。これは所有してみないと分からないので仕方がないと思います。これからGTOを手に入れたいと思っていらっしゃるとすれば「覚悟」が必要です。 GTOのメンテナンスはどうしているのですか? 新車で購入して以来、ずっと三菱ディーラーにお世話になっています。工場長さんに主治医として私のGTOの面倒をみていただいています。ときどき別の店舗に転属になるんですが、私も追い掛けていきます(笑)。まさに「追っ掛け」ですね。 日々のメンテナンスについては、エンジンオイルの交換とタイヤローテーションを2500キロごとに行います。トランスミッションとトランスファー、デフのオイル交換は1万キロごと。これには理由があって、バラバラに交換しているといつ作業したのか分からなくなる可能性がありますし、自分自身で決めた交換サイクルにきたら無条件にディーラーに入庫です。遠出してまれに2700キロになってしまうこともあるんですが、その場合は次回は2300キロに到達した時点で交換です。こうすれば間違いがなくなりますから。 現時点でエンジンが2基目、トランスミッションは3基目、そしてクラッチを4回交換しています。なんだかんだでこれまで1000万円以上はGTOに費やしていると思いますね。なんだかんだで日本でもっとも過走行なGTOかもしれないです。 GTOが「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 手に入れてから10年ほど経った頃です。 たしかデフの調子が悪くなり、純正部品は欠品ということが分かり途方に暮れていたんです。知り合いが譲ってくれてどうにかなったんですね。その後も、もちろんいまも「純正部品がない」という危機には常に直面しています。 しかし、そのたびに主治医であるディーラーの工場長さんや、GTOのオーナーズクラブの仲間や知人たちがどこからか部品を探してきてくれるんです。結果的にそれでどうにかなっているんですね。これはもう「最後まで乗りなさいよ」という天の声だと勝手に解釈しているんです。 愛車であるGTOとのいちばんの思い出は何ですか? あんまりいいエピソードではないんです(苦笑)が、手に入れてから10年ほど経ったある日、遠方の友人宅に遊びに行った際にGTOのコンピューターが燃えてしまったことですね。GTOではよくあるトラブルだとは聞いていましたが、まさか!というのが正直なところです。友人宅に向かう途中でトイレ休憩をしたときのことです。アイドリングがバラついたんです。直観的に「ここでエンジンを切ったら動かないかもしれない」と思い、そのまま友人宅に向かったらそのとおりになりました。 友人宅から食事に行こうとしたらエンジンが掛からないんです。センターコンソール付近から煙が見えるんですね。クルマの不具合といいますか、ずっと一緒にいればいつもと違うなということが分かるようになるんですね。結局、積車で友人の地元の三菱ディーラーまで運んでもらい修理してもらいました。 失礼ながら、これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? これが、いままで1度もないんです。自宅に1台しか止められないこともあり、増車しようと考えたこともないんですね。近くの月極駐車場を借りてもいいんですが、もう1台クルマが増えると、その分維持費が掛かりますよね。その分の費用をGTOに充てたいんです。もし、GTOを手放してしまったら…クルマ熱も冷めるでしょうね。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? しいていえば「ジャガー XJ220」なんですが、これはもう別次元の存在ですからね。現実的に手に入るクルマではないですし、そもそも維持できるものではないですから(苦笑)。ミニカーだけは買いましたよ。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? どれほど大切にしていてもいつかは別れなきゃいけない。本当は「墓場まで持っていきたい」くらいです。 理想の別れ方があるとすれば…。私は体力的に無理になったとしても、GTOは元気であって欲しいですね。日本だけでなく、海外も含めて、このGTOを大事にしてくれる方に引き継いでもらえるなら、それが理想の別れ方なんでしょう。とはいえ、考えたくないというのが正直なところです。 勤め先を60歳のときに定年退職した理由も「元気なうちにGTOに乗っておきたい」という思いがあったから、なんです。65歳でリタイアしたとき、いまよりは確実に体力が衰えているはずですから、「あ、あのとき60歳のタイミングで定年退職していれば…」といった流れになることだけは避けたかったんです。 これだけは避けたい別れ…。やはり事故による廃車ですね。あとは「どうしても部品が手に入らずにやむを得ず手放す」ことでしょうか。日本ではだめでも、アメリカなど海外で何とかなるなら…それでもいいと思っています。とにかく廃車という結末だけは避けたいです。 安藤さんにとって愛車であるGTOはどのような存在ですか? ひと言でいうなら「カッコイイ相棒」ですね。 家族でもパートナーでもない、相棒。 飛行機を見るのが好きで、百里基地(茨城県)まで行くんです。普通のクルマでは遠出したいと思わないけれど、GTOなら出掛けてみたくなる。移動中のドライブも楽しいんです。それが35年、70万キロ走っても飽きることがないし、やっぱりいいなと思える。GTOを世に送り出してくれた三菱には「ありがとう」という気持ちを伝えたいです。 三菱GTOツインターボの取材を終えて思うこと 日本国内に現存する三菱GTOのなかで、安藤さんの愛車はもっとも走行距離が長い個体であると思われます。 定年退職するまでの毎日の通勤の足として、また近所の買いものや片道1000キロ近い旅行のお供として、年間で360日はGTOのステアリングを握っていた時期もあったのだとか。 その間、ただの1度も飽きることもなければ気持ちが冷めることもない。雨の日や雪の日であろうとも、臆することなくクルマを走らせ、汚れたら徹底的に洗車して愛車を磨きあげる。予防整備に掛ける費用も事実上の青天井なのだそう。自他ともに認めるクルマ好きであっても、なかなか真似できるものではないはずです。 およそ35年ものあいだ、ただひたすらGTOに情熱を注ぎ込んできたことに尊敬の念を抱きます。 とことん惚れ込める愛車と出会い、人生の半分以上の時間をともにしてきた安藤さんがうらやましいとさえ思えた取材でした。
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 3回目となる今回は、人生の半分もの時間をともに過ごしたオーナーと、その愛車の物語をお届けします。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 オーナープロフィール ひでぼーさん。年齢は50歳、職業は会社員です。 所有するクルマは、2000年式トヨタ チェイサー ツアラーV(JZX100型)です。所有歴は25年、オドメーター上はおよそ18.8万キロです。 2000年に新古車で購入しました。四半世紀を経たいまも、エンジンをかけるたびに胸が高鳴ります。「このクルマがある限り、まだ頑張れる」――いつもそう感じています。 現在は通勤にも使っていますが、25年というスパンで考えると、年間の走行距離は1万kmは届かないということになりますね。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 中学生の頃でしょうか。同級生にもクルマ好きがいて、2人で自転車に乗って国道沿いにある日産ディーラーに行き、スカイライン(R32型)やフェアレディZ(Z32型)のカタログをもらいにいきましたね。そのディーラーではクルマを買えるはずがない中学生にもカタログをくれたんです。 その後、私が運転免許を取得した1990年代前半は個性豊かなクルマが街を走っていました。なかでもソアラ(Z20型/2代目)は憧れましたね。「いつか自分も、胸を張って"これが俺のクルマだ"といえる1台を持ちたい」と思ったのが、本格的にクルマ熱に火がついたきっかけかもしれません。 これまでの愛車遍歴を教えてください 叔父に譲ってもらったトヨタ カリーナ マイロード(AT150型/4代目)が最初の愛車です。その後、トヨタ カリーナED(ST182型/2代目)を経て、満を持して迎えたのが現在の愛車であるチェイサー ツアラーVです。この3台が、私の「走りの系譜」を形づくってくれたように思います。 カリーナ マイロードは、叔父に譲ってもらった時点ですでに11万キロ走っていたこともあって、1年くらい乗ってカリーナEDに乗り換えました。このクルマにはは5、6年乗ったと記憶しています。 奇しくも、3台ともトヨタ車ですね 叔父が自衛官で「車輌器材隊」という、クルマ関連の整備の仕事に就いていました。その叔父がトヨタ党で、常々「クルマを買うならトヨタ車だ。いいかトヨタ車だぞ」っていわれ続けたことが影響しているかもしれません(苦笑)。なにしろ、運転免許を取得したときに憧れたクルマもトヨタ ソアラ(2代目)でしたから。 当時のソアラの最上級グレードだった3.0GTリミテッドが憧れの存在でしたね。中古車でも300万円オーバーの時代でしたから、当時10代の私には手も足も出ない値段でした。いうまでもなく、スカイラインGT-R(R32型)なんてとてもとても…。 愛車であるチェイサー ツアラーVの存在を知ったきっかけを教えてください 先代モデルにあたるJZX90型のマークIIの頃から、スポーツグレードにあたる「ツアラー」のデザインに強く惹かれていました。1996年にフルモデルチェンジしてJZX100型になったとき、「これしかない」と心を奪われましたね。 決定打になったのがテレビCMです。霧のなかから鮫が姿を現し、その奥からチェイサーが静かに登場する…。あのシーンを初めて見た瞬間、全身が震えました。「牙を隠した猛獣」のような美しさと力強さに、完全に心を掴まれましたね。 個人的に、映像にインパクトがあるのは後期型のCMでしたが、前期型の「The Strong.強い高級車に乗ろう。」のキャッチコピーがなにより強烈でしたね。事実、あのコピーが「刺さった」人は多かったのではないでしょうか。いま思い返してみても、あのCMこそ私にとっての運命の出会いでした。 初めてチェイサー ツアラーVの実車を見たのは地元のネッツ店でした。定期メンテナンスで入庫してきたパールホワイトのチェイサー ツアラーV(純正オプションのフルエアロ仕様)を目の前で見ていっぱつで魅せられました。 その後、ディーラーでチェイサーのカタログを入手して以来、毎日のように読み返し、写真を眺めては胸を高鳴らせていました。気づけば、頭のなかはチェイサー一色になっていましたね。 そこから貯金にはげむことになるわけですね チェイサー ツアラーVの購入を決意したのが20代前半でしたから、そこから給料を毎月コツコツと貯めていくことになります。あるとき、職場の先輩が『とにかく1年で100万円貯めてみな。そこまで貯めたらもったいなくて使えなくなるから』とアドバイスしてくれたんです。そこで一念発起、実際に1年間で100万を貯めることができました。その後もコツコツと貯金を続けた結果、25歳になる頃には450万円になっていたんです。 450万円あれば新車のチェイサー ツアラーVが購入できます。しかし、今後のことを考えると、貯めたお金をすべて使うのはどうかという思いもありました。そこで、程度の良い中古車を手に入れようとチェイサーの中古車を販売していたネッツ店に電話をして「いい個体が入庫したらすぐに連絡して欲しい」と頼んでおいたんです。 それから数ヶ月が経過したある日、そのディーラーから『新古車のチェイサー ツアラーVが入庫した』と連絡が入ったんです。現地に赴き実車を確認すると、オドメーターの走行距離はわずか21キロ。ATなのに、メーカーオプションのトルセンLSDが装着されており、しかも未登録車。新車ではなく新古車扱いとのことでしたが、新車と比較しても破格の条件でした。 いざ買うときになって迷っていると、母が「お金はそういうときのために貯めて使うもんなんだから、また働けば貯められるじゃない」と背中を押してくれたんです。そんな後押しもあり、同時にまたとないチャンスであることは間違いないので、現金一括で購入しました。 愛車であるチェイサー ツアラーVが納車された日のことを覚えていますか? 契約した近県のディーラーまでカリーナEDに乗って引き取りに行きました。帰り道、夕暮れの交差点でふとカーブミラーに映る自分とチェイサーを見て、「本当に自分のクルマになったんだ」と何度も確かめましたことを覚えています。窓を少し開けて吸い込んだ新車の匂い、まだ慣れないドライブフィーリング――すべてが宝物のような記憶です。 初ドライブは慣らし運転を兼ねて草津温泉まで行きました。驚いたのはエンジンの静かさです。これが「シルキーシックス」といわれる、滑らかで静かなエンジンなんだと感激しましたね。それでいて、白根山の登り坂でもグイグイ加速していくんです。CMのキャッチコピーのとおり、まさに「強い高級車」であることを実感した瞬間です。 チェイサー ツアラーVが「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 購入する前から「このクルマは一生乗り続ける」と心に決めていました。穴があくほどカタログを眺めながら、何年も貯金を続けつつ「このクルマを手に入れたら、ずっと大切にしよう」と心に誓ったクルマですから。実際に手に入れてみて、デザインも走りも存在感もどれを取っても理想を超える存在でした。25年経った今も、その想いはまったく変わっていません。 愛車であるチェイサー ツアラーVとの一番の思い出は何ですか? 所有歴が20年を過ぎた頃から、雑誌やWeb媒体の取材を受ける機会が増えました。「こんな長く、しかもノーマルのままずっと大事に乗っていて、どうやったら取材に来てくれるんだろう」と思い続けていたんです。いきなり取材のオファーが届いたときは本当にびっくりしました。私としても「長く、大切に乗り続けている」ことを評価してもらえたのがとても嬉しかったですね。取材を受けるのって、何かのステージに立つような、まるでスポットライトが当たるような、そういう感覚がありますよね。 そしてもうひとつ、忘れられないできごとがあります。それは、自宅のローンを繰り上げ返済できた日のことです。この車に乗り続ける事で出費を抑え、長年の目標を達成して法務局に手続きへ向かうとき、ハンドルを握っていたのはチェイサーでした。運転しながら、「ここまで頑張ってこられたのは、このクルマがそばにいてくれたからだ」と心から思いました。人生の節目も喜びも、いつもチェイサーとともにありましたね。 失礼ながら、これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? これまでの25年間、1度もありません!むしろ「このクルマがあるから頑張れる」という気持ちで今日にいたっています。どんなに仕事が辛い日も、帰りにチェイサーを見ると心が落ち着くんです。私にとって、チェイサーは自分の軸を取り戻させてくれる存在です。 純正部品も製造廃止が増えてきて、リアアームや足回りの部品も「出ない」っていわれてますね。外装はもちろんガラスやモール類、コンピューターも「出ない」し、内装もエアコンのルーバーやホース関係もかなり欠品になっていると聞きます。そのほか電装系も含めると、いまやないもの尽くしです。 貴重なオリジナルコンディションを維持されていますが、これもこだわりですか? BLITZ製のターボタイマーは購入直後すぐに装着しましたね。あとは傷んできたタイミングで、ステアリングとシフトノブをTRD製に交換しました。あとは、ナンバーのボルトを盗難防止用のものに換えたり、インストルメントパネルの照明をLEDに交換したくらいです。 手に入れたときは維持するのが精一杯で、改造掛けるお金が捻出できなかったです。あとは、ディーラーのメカニックさんにも「ノーマルが一番長生きするよ」ってアドバイスされたことも大きいですね。改造するってことは、やっぱり無理をさせるってことだから。見た目は純正フルエアロが気に入っているので手を加える必要がありませんし、やっぱりノーマルの方が長生きするっていうので、それは正解でしたね。 3年前、これまでの感謝の気持ちを込めて新車時と同じボディカラーに再塗装してもらいました。ガラスを外してもらうなど、かなり念入りに塗ってもらった結果、2ヶ月くらい掛かりました。クルマが完成してディーラーに行ったとき、あまりの仕上がりの良さに感激しすぎてディーラーの商談ルームでワンワン泣いてしまったほどです。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? 強いていうなら「チェイサー ツアラーV TRDバージョン」と2代目ソアラです。どちらもあの時代のトヨタを象徴するクルマだと思います。今でも街で見かけると、思わず目で追ってしまいますね。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 私の理想としては、博物館やレストア施設のような場所で動態保存してもらうことです。「生きた文化」として、次の世代に残ってほしいと思っています。トヨタ博物館に収蔵できたら…なんて密かに思っています。反対に避けたいのは、事故、部品欠品で走れなくなることですね。まだまだ元気に走れるのに、そんな形で終わらせたくはありませんから…。 ひでぼーさんにとって愛車であるチェイサー ツアラーVとはどのような存在ですか? 家族であり、相棒であり、人生の証です。このチェイサーがあるから、前を向いて頑張ることができました。家のローン返せたのもチェイサーのおかげですし。 これまでこのクルマを最高の状態で維持してくれたメカニックの方々には、この場を借りて心から感謝の気持ちを伝えたいです。一台のクルマを25年守り続けることは、ひとりの力ではできませんでした。 そして国には、初年度登録から13年を過ぎた車に重税を課す制度を見直してほしいです。古いクルマをていねいに維持しているオーナーたちは、むしろ「文化を守る人たち」だと思います。 メーカーにもお願いがあります。ネオクラシックカーが再び脚光を浴びる今こそ、部品の再生産やサポート体制の拡充を進めてほしいです。 チェイサーは、単なる移動手段ではありませんでした。人生の喜びも苦しみも共にした「もう一人の自分」でした。これからもできる限り長く走り続けたいです。そしてその姿が、次の世代のクルマ好きの心に届けば嬉しいですね。
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 2回目となる今回は、30代半ばとなったオーナーにとって人生初の愛車であり、「青春の一部」と語るクルマを紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は人生初の愛車である「ハチロク」ことトヨタ スプリンター トレノを18歳のときに手に入れ、以来15年間、大切に所有しているオーナーの方を取材しました。 オーナープロフィール 尾形隼です。年齢は34歳、職業は会社員です。 所有するクルマは、1986年式トヨタ スプリンター トレノGT-V改(後期モデル)です。所有歴は15年、オドメーター上はおよそ30万キロ、手に入れてからは7万キロです。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 小さい頃からクルマが好きでした。3歳か4歳頃に、父親にドライブに連れて行ってもらったことも覚えています。小学生のときに転校してきた同級生が大のクルマ好きで、彼の影響が大きいと思います。ほかの同級生たちはポケモンやベイブレード、ミニ四駆、あとはムシキングに夢中でしたね。高校卒業後は自動車関連の専門学校に進学したこともあって、周囲はクルマ好きばかりでした(笑)。 本格的にクルマ熱に火がついいたのは中学生に入ってからです。頭文字D(アニメ版)や、土屋圭市さんのAE86をホットバージョンのDVDで見てから、大人になったらハチロクに乗ってみたいと思うようになりましたね。 これまでの愛車遍歴を教えてください このAE86が人生初の愛車です。その後、通勤用の足としてダイハツ ムーヴを2台乗り継ぎました。現在はAE86と、今年に入って手に入れた2023年式トヨタ カローラ スポーツの2台体制です。 AE86とカローラスポーツとは、理想的な組み合わせですね ムーヴから乗り換えるとき、次はトヨタ車にしようと決めていました。当初は現行型のカローラツーリングも候補に入れていました。ただ、カローラツーリングには限定車を除いて2リッターモデルの設定がないんですね。最終的に候補として残ったのがカローラスポーツというわけなんです。新車も考えたのですが、今年の一部改良でハイブリッドエンジンだけになってしまい…。2年落ちの中古車を手に入れました。トランスミッションは6速MTではなく、CVTの方です。 カローラスポーツに乗り換えてみて気づいたのですが、運転の疲労度がまったく違います。とにかく疲れないし、快適です。と同時に、これまで最新モデルのクルマを所有したことがなかったので、AE86に慣れた身にはカルチャーショックを受けることばかりです。先日も運転していて突然安全装置が作動してしまい、驚きました。AE86はエアコンやパワステ、パワーウィンドウすら装備されていませんし。 愛車であるAE86の存在を知ったきっかけを教えてください 18歳になって運転免許を取得し、いよいよ自分のクルマを手に入れる年代となったわけですが、買うとしたらAE86か、あとは日産180SXを考えていました。当時はまさかこれほどのめり込むとは想像もしていなくて、2、3年で乗り換えるつもりで探していたんです。 中古車検索サイトで何台かのAE86をチェックしましたが、実車を観に行ったのは現在の愛車だけです。頭文字Dの影響もあり、劇中車と同じ色にオールペンされるハチロクが多いなか、この個体は新車時からハイテックツートンに塗られていました。車両本体価格は約120万円で、この個体を手に入れた2010年当時の相場より少し高めの個体でした。いまでは考えられませんが、15年前は100万円未満のAE86も珍しくなかったんです。それに、高くても200万円を超える個体はほとんどなかった時代です。 AE86が納車された日のことを覚えていますか? AE86が納車された日のこと、覚えています。…といっても、学校に行っているときに自宅に納車されたので、帰宅したら「あ、AE86がある」といった感じでした(笑)。遅い時間だったので納車当日にドライブはしませんでしたが、運転席に座って「自分のクルマなんだ」と思うと、気持ちが落ち着ついたことを覚えています。 このAE86が「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 手に入れてから4、5年経った頃だったと思います。年齢でいうと、23〜24歳の頃ですね。エンジンをチューニングしたり、自分でシートやマフラーを交換するうちにこだわるポイントが定まってきて、いつの間にか手放すなんて考えられないような存在になっていました。 現在のハチロクの仕様を教えてください この15年間でエンジンの仕様を何度か変更しています。購入時にはAE111型用の4A-G(ノーマル)が搭載されていたんですが、ハイカム(IN/EX 288度)を組み込み、コンピューターをフリーダム製のものに交換しました。その後、点火系をディストリビューターから同時点火へ変更しています。 現在の仕様は以下のとおりです。計測していないので実馬力は不明ですが、180馬力くらいではないかと思われます。スペック上は8000回転までまわせます。 ハチロクの詳しい仕様はこちら 愛車であるAE86との一番の思い出は何ですか? 10年ほど前、トヨタの「GAZOO」愛車広場で取材してもらったことです。実は、このAE86が愛車広場の第1回目に取材したクルマだと聞いています。その後、スピードハンターズや、ベストカー、ベストカーWeb、デアゴスティーニ「週刊AE86」など、さまざまなメディアで取材してもらえるようになったんです。 スピードハンターズのときはイベント会場で撮られていたんですが、クルマから離れている間だったので、いつの間に?という感じでした。RAYSのイベントときはイベント会場で広報の方に声を掛けていただき、ホームページに掲載する写真を撮影していただきました。 これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? 手放そうと思ったことはありませんが、1度だけ本気で「箱替え」を考えたことがあります。現在の愛車よりボディのコンディションが良い3ドアのレビンを手に入れ、あらゆる部品を移植しようかと真剣に考えました。 愛車が3ドアのトレノからレビンになること自体にそれほど抵抗はありませんでしたが、これまで所有してきたトレノのボディを手放すことには抵抗がありましたね。箱替えすることでクルマのコンディションは良くなっても、ふとトレノのことを思い出すに違いない…ということは薄々気づいていました。結局、悩みに悩んで、箱替えはせずにトレノを残し、レビンを手放すことにしました。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? このAE86を手放してまで乗りたいクルマは思いつかないです。増車してでも欲しいクルマも見つからないです。このAE86があればそれでいいと思っています。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方…があるとすれば、そして、将来どうしても手放さなければならない状況にあるとしたら…大切に乗ってくれる方に引き取ってもらいたいです。できればこのクルマのことを知っている人がいいですね。これだけは避けたい別れがあるとしたら、それは事故で廃車になってしまうことです。 普段の乗り方で気をつけてることはありますか? エアコンが装備されていないので、夏場は乗りません。あと、雨の日も乗らないようにしています。 尾形さんにとって愛車であるAE86とはどのような存在ですか? 「青春の一部」でしょうか。やっぱり若いときに手に入れたからこそ、このクルマに没頭できたことは確かです。若いときにAE86を手に入れて、それなりに回り道もしたけれど、だからこそ得られたノウハウやクルマに対する考え方もあると思うんです。 かつては価格の安さや見た目などで決めていましたが、年齢を重ねるにつれてクオリティー重視になりました。10代後半、20代、そして30代半ばになった現在まで、このAE86と過ごすことができて本当に良かったと思っています。 ハチロクの仕様詳細 エンジン ・AE111型用4AG改 5AG・BC 5AGクランクシャフト・BC H断面コンロッド・CP 5AG用ピストン82パイ(特注)・強化クランクキャップボルト・TRD メタル(クランク、コンロッド)・TRD ヘッドガスケット 0.8mm・戸田レーシング ハイカム IN EX 288度 9.2ミリリフト・戸田レーシング カムプーリー IN EX・戸田レーシング 強化バルブスプリング ・戸田レーシング 強化タイミングベルト ・TRD オイルフィラーキャップ ・インパルス エアファンネル・RS知多 水周りキット・SARD インジェクター 300cc 12ホール・SARD フューエルレギュレータ・RUN-MAX メッシュホース・フリーダム ECU・E&E クランクピックアップユニット・AE92 4AGZ用 同時点火・永井電子 プラグコード(特注)・トラスト レーシングプラグ 外装 【フロント】・後期純正バンパー・前期純正リップスポイラー・シツアモデル製ドライカーボンリトラカバー(ボディ同色ペイント)・RAYBRIGマルチリフレクター(ブルーレンズ)・カーボンボンネット【リア】・純正バンパー・TRD FRPリアゲート TRDリアスポイラー【サイドステップ】・純正(ボディ同色)【ドアミラー】・シツアモデル製ドライカーボン・ブルーワイドミラー・RSハラダ クリアウインカーレンズ・クリスタルボディ横浜 ドライカーボンフロントガラスロアモール・シツアモデル製ドライカーボンフューエルリッド・クールベールフロントウィンドウ・UVカットフィルムクリア ドアガラス クォーターガラス バックドアガラス タイヤ&ホイール ・ホイール:RAYS TE37 7J オフセット0 14インチ・タイヤ:ブリヂストン RE71RS 185/60R14・KYO-EI ホイールナット 内装 ・シート:TRDスポーツシート2脚・ステアリング:TRD NARDIコラボ、Works Bell & Works Bell RAPFIX II・シフトノブ:TRD・追加メーター トラスト油圧計、integral 水温計/油温計、イノベートAF計・KARO フロントマット・GT-APEXステアリングチルト機構取付 吸排気系 ・インパルス エアファンネル・Altrack タコ足・サード スポーツキャタライザー・インパルス フルチタンマフラー デフ上 中間タイコ付き その他 ・バッテリー:SUPER B・ラジエーター:TABATAアルミ・電動ファン:SPAL・オイルクーラー:トラスト16段 オイルエレメント移設・フジツボ ボンネットフードロッド(チタン製) 駆動系 ・ATSカーボンシングルクラッチ・強化フライホイールボルト・ATS フライホイール・ステンメッシュホース・タカタ製3速クロス(5速ハイギヤー)・強化ミッションマウント・effect ボールシート、シフトカラー・LSD TRD 2way・ファイナルギア(4.556) 足まわり 【フロント】・クスコ ピロアッパーマウント・直巻スプリング 7キロ・TRD レース用ショック 減衰5段・ロールセンターアダプター 40mm・クスコ ピロテンションロッド 専用ブラケット付き・クスコ ロアアーム強化ブッシュ・TRDスタビライザー・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・ロングハブボルト・強化ステアリングラックブッシュ・クスコ テンションロッドバー・SuperPrivate フロアサポートバー・ステアリングラック 2ドアGT用3.5回転ラック・ナックル 2ドアGT用純正【リア】・インパルス 5.8キロスプリング・TRD レース用ショック 減衰8段・TRD スタビライザー・クスコ コントロールアーム N-1リンク アッパー ロア・クスコ ラテラルロッド・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・Super Pro リアスタビライザーエンドブッシュ ブレーキ 【フロント】・MZ12 ブレーキキャリパー・ディクセル MZ12用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース【リア】・インパルス ブレーキ大径キット・ディクセル S13シルビア用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース
はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 記念すべき初回は、私とこれまでに所有してきたクルマたち。そして、運命の出会いを果たした愛車「1970年式ポルシェ911S」ついて紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は私自身について、自己紹介を兼ねてお話いたします。 オーナープロフィール 松村透。年齢は50代、職業は自動車関連メディアの編集兼ライターです。 所有するクルマは、1970年式ポルシェ911S。 所有歴は13年、オドメーター上は9万7千キロ、手に入れてからは7千キロ程度です。 クルマが好きになったきっかけ 実はクルマ熱に火が点いたのは中学生になってからなので、どちらかというと遅咲きでしょうか。 ちょうど初代シーマがデビューしたり、スカイラインGT-Rが復活したり、ユーノスロードスターが登場した頃です。 まさにバブル全盛期。 日本車が新たな時代に入ったタイミングで、書店の自動車コーナーはいつも人がいっぱいで、さまざまな雑誌が山積みになっていた記憶があります。 クルマが好きになり、そのなかでも特にドイツ車に興味を持ちました。 そのきっかけは、1990年4月~1992年3月にTBSでオンエアされていた『所印の車はえらい』というテレビ番組。 高級チューンドカー大会という特集でABTアウディ90、BMW525シュニッツァーコンプリート、ポルシェ911964)ゲンバラコンプリート、メルセデス・ベンツ 500SLAMGコンプリートを、所ジョージさんと夏木陽介さんが乗り比べるという内容でした。 このとき、夏木陽介さんが「メルセデスは床が厚い」とおっしゃっていたことが強く記憶に残りました。 「それってどういう意味なんだろう」と興味を持ったのが原体験かもしれません。 ポルシェに興味を持ったのも同じ頃でした。 所ジョージさんが監修したアメ車専門誌『Daytona』が創刊されたのです。 『Daytona』編集部の方が新車の911ターボ(964)を購入し、そのレポート記事を読んだことがきっかけです。 「ポルシェの神様」と呼ばれていたメカニックの方とのエピソードや、マフラーのテールパイプを真っ白にする乗り方があること、慣らし運転ひとつでエンジンのコンディションやパワーに差が出る…などなど。 新車のインプレッション記事とはまったく異なる切り口に夢中になりましたね。 それからほどなくして、幼馴染みのアルバイト先の社長がポルシェ911を所有しているということを知りました。 幼馴染みに頼み込んで、自分もアルバイトとして採用してもらうことになりました。 アルバイト先の雰囲気にも少しずつ慣れてきたある日曜日、社長から連絡があり「ポルシェのディーラーに行くけど乗ってく?」と連れて行ってもらえることになったのです。 このときはまだ高校3年生。まさか人生初の輸入車ディーラー訪問がポルシェになるとは…。 緊張しっぱなしだったところ、セールス担当の方のご厚意で、911の試乗車に同乗させてもらえることになったんです。 忘れもしない964型の911カレラ2 MT、ボディカラーはルビーストーンレッドでした。 メカニックの方の運転でポルシェのディーラーを飛び出したカレラ2、背後で吠える空冷フラットシックスエンジン、横断歩道のわずかな段差がはっきりと伝わってくる乗り心地。 いままでに乗せてもらった、どのクルマともまったく違うフィーリングに一瞬で魅せられてしまったのです。 まさに自分自身のその後の人生が決まってしまった瞬間でした。 この日から、寝ても覚めても考えるのはポルシェ911のことばかり。 特集が組まれた雑誌を片っ端から手に入れ、カーグラフィックTVの911特集はビデオテープがすり切れるくらい観ました。 これまでの愛車遍歴 初の愛車は24歳のときに手に入れた「1973年式ポルシェ911S」です。 どこぞのボンボンだと勘違いされてしまいそうなので補足しておきますと、100万円の頭金と60回ローンを組んで購入。 とはいえ、人生初の愛車が旧車ということもあり、維持するのが辛くなって短い期間で手放してしまいます。都内のショップから自宅まで1→2速で帰ったのも懐かしい思い出です。 このクルマを所有したことが後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。 次に手に入れたのがパジェロ イオの3ドアです。 まったく違う路線ですが、急ぎクルマが必要な事情があって、近所の三菱ディーラーの中古車センターに並んでいたのを手に入れました。 懐かしのGDIエンジン搭載車です。 このエンジンはハイオク指定でしたが、どうも納得がいかずにケチってレギュラーガソリンを入れたところ、坂道でノッキングするようになり…。仕方なくハイオクを入れていた記憶があります。 次に乗り換えたのが、父と共同所有のパジェロショートです。父がパジェロ好きで、それならば本家に乗り換えようということになりました。 ちょうど三菱のリコール隠しが発覚した時期で、土曜日のショールームなのにお客さんが誰もいなくて、ディーラーでとても感謝された記憶があります。 V6 3.5リッターGDIエンジンはすこぶる快適で、大柄なボディの割に7〜8km/L走ってくれるし、3年間で6万キロも走らせてしまうくらい気に入っていました。 その次に三菱コルトに乗り換えます。パジェロの維持費が私には厳しく、コンパクトカーに乗り換えました。 「ビームエディション」という特別仕様車でした。よくできていたクルマなのですが、私には刺激が少なく物足りなく感じました。 ちょうど2回目のリコール隠しが発覚した時期と重なり、国道を走っているとトラックがスーッと車間を開けるんですね。避けられていることが分かるんです。 これで気持ちが冷めてわずか半年で乗り換えることにしました。 次に乗り換えたのがゴルフ4ワゴンです。勤め先の社長がゴルフ4GTIに乗っていて、これは中古車でも高くて手が出ないため、デザインが好きなワゴンを買うことにしたんです。 4年落ちの中古車でしたが、ドイツ車らしさを味わいました。 1度、外出先でエンジンが掛からなくなってしまい、レッカー車にお世話になったこと、エンジンオイルの警告灯が点灯してディーラーに入庫した以外は大きなトラブルもありませんでした。 次に入手したのがゴルフ5GTI。ゴルフ4ワゴンをディーラーに預けたとき、たまたま試乗するという運命のいたずらによって手に入れることになります。 DSGの電光石火のシフトチェンジに心を持っていかれました。たまたま3月末の決算期ということもあり、純正ナビが無償で装着されることを知り即決しました。 このクルマでは、暇さえあれば遠方にドライブしました。mixiで知り合ったポルシェ仲間とのツーリングもこれで行きました。 皆さんがポルシェに乗っていたのが羨ましかったことを覚えています。 次に乗り換えたのが、ゴルフ6R。初のゴルフRです。 当時はゴルフで500万円かよ!なんてツッコまれたものですが、いまやゴルフRも800万円クラスですからね…。 OPのレカロシートを装着して快適だったけど、運転する楽しさや刺激の度合いは5GTIの方が上でした。 このゴルフ6Rを所有していた24歳のときに、一度手に入れた1973年式ポルシェ911Sを買わないかという話をいただき、清水の舞台からダイブする思いで手にいれることになります。 そんなこともあって、ゴルフ6Rを所有していたのは2年ほどでした。 この頃から、もう1台のクルマを手に入れ2台体制となります。 二十歳のときから、いつか手に入れたいと思っていたユーノスロードスターVスペシャルを29万円で購入しました。 見た目は綺麗な個体だったんですが、クラッチが滑る、エンジンのオイル漏れなどのトラブル続きで…。最初の2年くらいは修理ばかりしていました。 ヤフオクなどを駆使してできるだけ安く抑えつつ、若いときに果たせなかった自分の理想のロードスターに仕上げた思い出深い1台です。 そしてこのタイミングで1973年式ポルシェ911Sを手に入れます。2012年のことです。空冷バブルが起こりはじめていた時期ですね。 完成までになんと7年半を費やすことになります! 1973年式ポルシェ911Sが完成したらロードスターと趣味車が2台体制になってしまうため、泣く泣くロードスターを手放し、中古のゴルフ6ハイラインに乗り換えます。 地元の先輩がゴルフ6に乗っていたこともあり、遅まきながら素のゴルフの良さに気づいたんです。メーカー認定中古車だったため、程度は上々でした。 フリーとして独立した直後で、取材もこれで行っていました。 良いクルマでしたが、あまり記憶がないのは独立直後で日常に忙殺されていた時期だったからかもしれません。 地元のVWディーラーに就職した後輩から「ディーゼルゲート事件絡みで手放した程度の良いゴルフ7があるから観に来ません?」と連絡を受けたのが、またしても運命のいたずらか。 いつの間にかゴルフ7の特別仕様車「ラウンジ」に乗り換える話に。 「ローンの審査をクリアしたらね」と念を押したのですが、まさかの審査通過。 とにかくVWが売れない時期だったこともあり、破格の条件で乗り換えることとなりました。 いまの妻と知り合ったのもこのクルマに乗っているとき。さまざまな思い出が詰まった1台です。 結婚して子どもが生まれ、そろそろウチもミニバンか!? ということで、メーカー認定中古車のゴルフ トゥーランに乗り換え。 先述の後輩が頑張ってくれたこともあり、今回も破格の条件で手に入れることができました。 納車早々、大雨のなか家族で伊勢神宮まで旅行したのも懐かしい思い出です。 ただ…トゥーランに乗り換えた2年後、下の子が生まれたのを機に、奧さんが「私もミニバンを買う!」と言い出し、新古車の日産セレナを購入。 家族での移動は、もっぱらセレナでとなります。 約1.6万キロで購入したゴルフ トゥーランも、気づけば約8万キロに。 10万キロあたりでそれなりの修理が必要になってきそう…ということもあり、リセールがあるうちに…という思いと、久しぶりにステーションワゴンに乗りたいということで、パサート ヴァリアントの認定中古車に乗り換えます。 人生初のディーゼルエンジン車。 「移動がラク・飛ばす気にならない・ゆったり乗りたい」という希望をすべて叶えてくれたクルマです。 いまの愛車の存在を知ったきっかけ 忘れもしない2012年のことです。 いまもお世話になっている主治医の工場の片隅に、ナナサンカレラ仕様・エンジンレスの状態で置かれていた1973年式ポルシェ911Sを「松村くん、買わない?」とのオファーを受けたのがきっかけです。 ボディは修復するから好きな色に塗って良いよ、エンジンは3.2カレラあたりのものを載せる予定だよ、とのこと。 金額を教えてもらったら頑張れば買えなくもないけれど、実はこのとき、別の911を買うつもりで現車確認も済ませていたのです。 GWが終わった5月半ばの週末、ポルシェ仲間の二人が某誌の取材を受けるということで同行させてもらいました(このときは完全にいちギャラリーです)。 そこで「やっぱり自分も乗りたい!」というテンションになり、現車確認を済ませていた911を契約すべくお店に連絡したところ、すでに売れてしまったとのこと…。 こうなったらヤケだ!と、勢いで主治医のショップに連絡をして「1973年式ポルシェ911S買います!」と伝え、頭金+72回ローンを組んで契約しました。 ボディカラーは悩みに悩んで24歳のときに購入した1973年式ポルシェ911Sに近い「パステルブルー」をチョイス。 ちなみに、この時代のポルシェの純正色です。のちに主治医から「プラレール号」と命名されることになります。 見た目のナナサンカレラ仕様はそのまま活かすことにして、エンジンは頼み込んでメカポン(メカニカルポンプ)にしてもらいました。 ノーマルの2.2Lではなく、エンジンを組んでもらう際にそれなりに手が入っています。 プラレール号(2号機)を手に入れた翌年あたりから、空冷バブルにより相場が上昇していくこととなります。あと1年遅かったら間違いなく買えませんでした。 プラレール号(1973年式ポルシェ911S)が納車された日のこと 私にとっての2代目1973年式ポルシェ911S「プラレール号」が完成した納車日をしっかりと覚えています。 2019年12月28日。 およそ7年半、その間に会社員からフリーランスになり、結婚して子どもが生まれ…と、これまでの生活パターンから大きく変化した時期でもありました。 ナローポルシェ仲間のKさんと緊張しながら主治医の工場の周辺を運転して工場に戻しました。 なぜ乗って帰らないのかって?このときは自宅に置き場所がなかったのです。 初代プラレール号は青空駐車で、日に日にクルマが傷んでいくのを見ていたので、今度は屋根付きの駐車場に止めたいという切実な思いがありました。 家族構成が変わったこともあり、奧さんとも相談した結果、プラレール号が保管できる場所を確保した家を建てることになりました。 その間、プラレール号は主治医のところに10ヶ月ほど居候させてもらいました。 プラレール号が完成した年は、1ヶ月に1度くらい乗りに行って主治医の工場の周辺をドライブして…という生活でした。 プラレール号が一生モノになるなと思うようになったのはいつか 正直「一生モノになるな」という確証はまだ持てていません。一生モノにするために、日々、必死に働いています。 こればかりは「なるようにしかならない」と思っているので、運を天に任せます。 愛車との一番の思い出について どれかひとつというなら、7年半掛かってプラレール号が完成して、その後1年間主治医のところに居候して、ようやく自宅が完成してガレージに収めた瞬間ですね。 ようやく安心して止められる場所が確保できたのと、自宅の敷地内にプラレール号があるという安心感。 長年の夢がかなった瞬間でした。 何しろ、プラレール号ありきでガレージを造ったので、大きなクルマは入りません。992型もギリギリだと思います。 これまで愛車を手放そうと思ったことは? 実はごく最近の話です。 先日車検から戻ってきたんですが、その費用が想定外に掛かってしまい「これが2年に1度はさすがにしんどいな…」と思ったことは事実です。 一瞬ですが「さすがにもう無理かも」という考えが頭をよぎりました。しかし、いまプラレール号を手放したら2度と買えないことは分かっていますし、これまで経験していないような喪失感に襲われるかもしれない、という怖さもあります。 家族がいちばん大切な存在であることは間違いないんですが、プラレール号は、「別名保存」な存在なんです。 これはこれでなくてはならない存在です。この感覚、男性の方なら理解してもらえるんじゃないかと…。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマ 欲しいクルマ プラレール号を手放してまで乗りたいというクルマは思い浮かばないです。 同じような考えをお持ちのオーナーさんを取材することはよくありますが、私もようやくこの境地に達することができました。 もし増車できるなら、最新モデルの911を手元に置いておきたいですね。 1世代前になってしまいましたが、去年(2024年)911ダカールに乗る機会があって、不思議と印象に残っているんです。 水冷911で「街中を走らせるだけでも楽しい」と初めて思えたモデルでした。 乗ってみたいクルマ まっ先に思い浮かんだのがポルシェ959です。 プラレール号の主治医から「959の真骨頂が、2つ目のターボが効いたところから」と伺っているので、その感覚を味わってみたいです。 でも、スペックだけでいえば、現行モデルの方が上回っているんですよね。時代の流れを感じます。 あと、人生のうちであと1回、ボロボロのクルマをレスキューしたいと思っています。 1台目はユーノスロードスター(ボロボロではありませんでしたが、年式相応にくたびれていました)、2台目がこのプラレール号。 3台目は何になるんでしょうね。時期とタイミングがくれば直観的に「これだ!」って分かるような気がします。 買いたかったけど諦めたクルマ 数え上げればキリがありませんが、スカイラインGT-R(BNR32)はとうとうご縁がなかったようです。 20代前半の頃、無理すれば買えたかもしれないというチャンスが何度かありました。 中古車としても少しずつこなれてきていましたし、さまざまなチューニングショップでもスカイラインGT-Rを扱っていましたから「お金さえあれば」ハイパワーのGT-Rに乗れた時代だったと思います。 いまではすっかりオリジナル志向になってしまったし、ベース車両が高くなりすぎましたよね。 2010年あたりまでは100万円以下のスカイラインGT-R(BNR32)なんてゴロゴロありましたから。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方。 考えたくはないですね。できれば子どもたちに乗り継いでもらいたいです。上の子があと12年、下の子があと14年。 その頃、旧車を取り巻く環境がどうなっているのか想像もつきませんが、今よりも維持が大変になっているかもしれません。 少し前までEVシフトしていた各自動車メーカが、やむを得ずICE搭載車を今後も発売するという方向転換を余儀なくされています。 EV化の流れは止められないけれど、少し後ろ倒しになったことは確かです。旧車オーナーとしては古いガソリンエンジン車が少し延命できたような心境です。 これだけは避けたい別れは、やはり資金難での売却です。やはり自分の引き際は自分で決めたいのです。 あとは事故による廃車…。 オーナーにとって愛車とはどのような存在か? ひと言で表現するなら「アイデンティティー」だと思います。 10代のころから、気づけばアラフィフになった現在まで「自分=ポルシェ911」に対する想い入れがとうとうブレませんでした。 人生の半分以上の時間を魅せられてきているんです。 24才のときに初代プラレール号を手に入れ、挫折して、それでもやっぱりもう1度乗りたいという気持ちは変わらなかった。十数年間浪人しましたが、どうにか復帰できた。 そして、さまざまなオーナーさんを取材する機会に恵まれ、大切に乗っている方たちの考えかたや重視していることを知ることができました。 今回の企画は「現在の愛車を手放すつもりがゼロのオーナーに対して、あえて『別れ』について考えてもらう」といった趣旨ですが、やはり可能な限り側に置いておきたいという気持ちを新たにしました。 大変なこともいろいろありますが、どうにかこのまま現状維持ができたらと思います。できれば早く「大変じゃない状況」にしたいものです。
2019年から取材を続けている、「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」代表・綿引雄司氏がハンドメイドで完成させた「6輪F1タイレルP34」。 アルミの板が綿引マジックで少しずつフォーミュラカーへと形作られ、やがて6輪F1タイレルP34となった。 はじめのうちは信じられなかったけれど、本当にハンドメイドなのだ。 プラモデルでいうなら「フルスクラッチ」だ。 いつしか6輪F1タイレルP34には命が吹き込まれるようになった。 排気量1.3リッターの隼のエンジンが搭載され、その動力はチェーンを介して後輪に伝達される。 そして後方からは隼エンジンのエキゾーストノートがうなりを上げる。 トランスミッション、サスペンション、ブレーキ、フューエルライン・・・。 マシンとしての命が吹き込まれた6輪F1タイレルP34は、ついに実走行が可能になった。 ここまでで充分だろう。 しかし綿引氏はこれに留まらず、サーキットで走れるように6輪F1タイレルP34をセットアップし、シェイクダウンにも立ち会うことができた。 その後、福島県にあるエビスサーキットでスポーツ走行を行い、国産スポーツ勢を抑えてトップタイムをたたき出してしまった。 そしてついにレースデビュー・・・。 筑波サーキットを舞台にバトルを繰り広げるフォーミュラカーが、かつて1枚のアルミの板であったことを誰が想像できるだろうか。 ■ハンドメイドの6輪F1タイレルP34が、筑波サーキット2000を走る! 2025年6月1日、筑波サーキット2000で開催されたアイドラーズFS-CUP第2戦に綿引氏の6輪F1タイレルP34がエントリーすると聞き、応援を兼ねて現地へ。 FS-CUPにエントリーした他のマシンたちが並べられた一角に6輪F1タイレルP34の姿をを見つけたとき、不覚にも「ホントにレースに出るんだ・・・」と思ってしまった。 ハンドメイドで6輪F1タイレルP34を造り上げるだけでも「タダゴト」ではないのに、実際に走行できるだけでなく、いまやサーキットでバトルできるマシンへと進化したのだ。 FS-CUPの当日のスケジュールは ・受付:05:00〜08:20・ブリーフィング:08:30-09:00・車輌/装備検査:09:05-・フリー走行&予選:10:35-10:55・決勝(10周):14:00-14:15 ・・・と、息つくヒマもないほど忙しい・・・というほどではないが、のんびりもしていられない。 ●今回のレースに備えて、6輪F1タイレルP34に以下の変更が加えられた。 ◯バックスターター&ギア取り付け◯それに伴いチェーンテンショナー位置を変更◯フロント前後のベルクランクアームの中心軸にベアリングを組み込み◯フロントのサスペンションを減衰力調整機構付きグロム用サスペンションに変更◯エンジンストップスイッチ取り付け◯バックミラーをセブリングミラーから砲弾型タイプに変更◯リアランプはダミーだったものを、内側の反射板にライトホルダーを作り点灯可能な仕様に変更◯集合管マフラーに変更◯フロントカウルフレームを強化、前回のレースでは曲がってしまったので、鉄に変更ではなくアルミのまま補強で対応◯フロントカウルリップスポイラーの吊り下げロッドを追加◯ヘルメットはハンスデバイス装着がレギュレーションで決まっていることに伴い、アライGP6Sへ変更。ニューカラーのロニーレプリカに変更 実はFS-CUPの参戦は今回が2度目になる。前回は惜しくもリタイア (フロントカウルが風圧に負けて路面に擦ってしまったのだ)となってしまったが、今回はフレームを強化するなど、対策も万全だ。 ■予選&決勝 FS-CUPエントリーしたマシンは20台。10:35にフリー走行がスタート。 途中、赤旗中断はあったものの、無事に予選を終了。 ベストラップは1分8秒477、決勝は16番グリッドからのスタートとなった。 綿引氏によると、予選のピットイン時にセルモーターでエンジンが始動せず、押し掛けしたことが違反行為とみなされてしまったのだという。 そのため、ベストラップのタイムが適用されず、次に速いタイムだった1分10秒003が適用された。 昼食をはさみ、午後から決勝・・・だったのだが、6輪F1タイレルP34のセルモーターとバッテリーが不調で、レース直前まで他チームのサポートもあって充電をすることに。 決勝は1週のローリングスタートをはさんでレーススタート! 6輪F1タイレルP34は順調にラップタイムを重ねて・・・かと思いきや、エンジンが不調だった模様で、排気音がおかしいかなと思う周もあった。 それでも無事に完走し、ベストラップは1分8秒342、14位という結果に終わった。最終コーナー入口付近のトップスピードは159km/hをマーク。ちなみに前回参戦したときのトップスピードは163km/h、ラップタイムは1分8秒993だったことを考慮すると、他のコーナーでタイムを縮めていることが分かる。 予選時よりも速いタイムが出ただけでなく、プロのコンストラクターが製作したフォーミュラーマシン(スーパーセブンもいたが)と互角のバトルを繰り広げたことになる。 エンジンの不調という課題は残ったものの、次なるステップへとつながる一戦だったことは確かだ。 なお、当日の模様は「CBR WATAHIKI」YouTubeチャンネルに公開されている。鮮明かつ迫力あるオンボードカメラによる映像も必見だ。 ●2025 FSカップ第2戦筑波自作タイレルでどこまで行けるか!https://youtu.be/Enk_Yj1QhgM?si=aYqd1r1KK9wO8LPa ●Fsカップ筑波6月1日決勝オンボード ハンドメイドタイレルhttps://youtu.be/6cA92O5U7fc?si=hYmMN0QYLq1dFYE5 ■道の駅おおたで開催されたサンブレフェスタ2025にエントリー アイドラーズFS-CUPから3週間後の6月22日には、道の駅おおた(群馬県太田市)で開催された「サンブレフェスタ2025」にエントリー。 昨年はあいにくの雨だったが、今年は晴れ。真夏並みの暑さとなったが、雨よりはいい。 サンブレフェスタではおなじみとなった場所に「6輪F1タイレルP34」が展示されると、綿引氏のYouTubeチャンネルを観ているファンはもちろんのこと、偶然道の駅おおたを訪れたギャラリーも足を止めていた。 サインボードがなかったので、初見の人はオリジナルの6輪F1タイレルP34だと思ったに違いない。 ここでサンブレフェスタにおける毎年恒例。これまでのサンブレフェスタに展示されたときの6輪F1タイレルP34と見比べてみよう。 ●2021年仕様●2022年仕様 ●2023年仕様 ●2024年仕様 ●2025年仕様 まさにハンドメイドタイレルの進化の過程そのものだ。いまにして思えば、2022年仕様のアルミ地むき出しの状態の展示が、多くのファンにとってスッピンのハンドメイドタイレルが見られる貴重な機会であったことが分かる。 ハンドメイドタイレルの進化はこれで終わりではない。まだ先がある。今後も進化の過程を可能な限り追い続けたいと思う。 余談だが、TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO(東京都港区)オープン1周年記念として6輪F1タイレルP34が展示されている(7月7日まで)。 筆者も実車を観てきたのだが、ぜひオリジナルのタイレルと、綿引氏が造り上げたハンドメイドタイレルを並べて展示する光景を観てみたい。 ■「道の駅おおた」について ・所在地:〒370-0421 群馬県太田市粕川町701-1https://goo.gl/maps/E3vus5Vmbpjn8mz68・電話:0276-56-9350・FAX:0276-56-9351・駐車場;普通車:126台、大型車:40台、身体障害専用:4台・URL:http://michinoeki-ota.com ●道の駅 おおた <公式> Facebookページhttps://www.facebook.com/michinoeki.ota/ ●道の駅おおた広報「おっくん」 Facebookページhttps://www.facebook.com/ekicho.ota/ ●道の駅 おおた <公式> Twitterhttps://twitter.com/michinoekiota ■手作りの6輪F1タイレルP34とは? 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI(以下、CBR WATAHIKI)」代表の綿引雄司氏が、仕事の合間を縫って手作りで製作してきた、6輪が特徴的なF1マシン「タイレルP34」。 その完成度の高さから、ネット上ではタイレルP34のコンプリートマシンを綿引氏が所有していると誤解されることもしばしばだ。 また「タイレルP34のレプリカ」と評されることもあるが、綿引氏独自の解釈で製作された箇所も少なからずあることは事実だ。 そのため、忠実なレプリカというわけではない。 つまり、この「レプリカ」という表現がこのマシンに当てはまるかどうかは人それぞれの解釈に委ねたい。 製作者である綿引氏によると、このF1マシンが存在することは、タイレルのルーツでもあるケン・ティレル氏のご子息、ボブ・ティレル氏も把握しているという。 しかも、ボブ・ティレル氏は好意的に受け止めてくれているとのことだ。 ぜひ、イベント会場などで実車を観て、細部の作り込み、フィニッシュワーク美しさをその目で確認してみてほしい。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されていますhttps://www.youtube.com/@cbrwatahiki※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・カメラ/松村 透]
2025年5月11日、埼玉県川越市を舞台にした初のクラシックカーイベント「小江戸川越まちかどモーターギャラリー」が開催された。 参加条件は、国産車および輸入車を問わず1975年までに製造されたクルマであること。初開催となる今回は、70台を超えるクラシックカーが川越の街に集結した。 個人的な話で恐縮だが、川越の街は幼少期から慣れ親しんだ場所でもある。1970年製の古いクルマを所有する筆者も、いち参加者としてエントリーしつつ、初開催となるイベントを取材してみた。 ひとまず、A〜Fの6つのエリアに展示された国内外のクラシックカーを可能な限り撮影してきたので、ご紹介していこう。 ■A:蓮馨寺エリア 西武新宿線本川越駅から750m、徒歩10分ほどのところにある「蓮馨寺(れんけいじ)」には、プリンススカイラインや、いすゞ117クーペ、「ヨタハチ」ことトヨタ 800などの国産車を中心にメッサーシュミットやフィアットアバルトを展示。 このエリアには物販コーナーやフードコーナーもあり、観光で川越を訪れた人もふらりと立ち寄れるのが魅力。「GTroman」でお馴染みの西風先生のサイン会も開かれた。 ■B:大正浪漫夢通り&連雀町繁栄会エリア 中小企業庁の「がんばる商店街77選」にも選ばれている川越市内7商店街のひとつでもある大正浪漫夢通り&連雀町繁栄会エリアには、イギリス車やイタリア車を中心に展示した。 鯉のぼりが5月18日まで掲揚されていたこともあり、クルマ好きだけでなく、偶然立ち寄った観光客も撮影せずにはいられないほどの光景が広がっていた。 個人的にはここが「映えスポット」としてもっとも画になったエリアに感じた。なかにはスケッチブックを片手に絵を描いているギャラリーもいた。また、丸徳商会ブースでは全日本ラリー選手権に参戦中のハイエースのラリーカーが特別展示され、こちらも注目を集めていた。 ■C:コエトコエリア 大正浪漫夢通り、連雀町繁栄会エリアから少し奥まったところにある「コエトコ(正式名称は川越市文化創造インキュベーション施設)」は、川越市指定文化財にもなっている、2024年4月にオープンしたばかりの施設だ。 ここには、ダイハツミゼットやマツダ ポーターキャブ、ミニ トラベラーなど、懐かしいはたらくクルマたちを展示。あまりにも画になっているので、このまま常設展示して欲しいと感じたほどだ。知らない人が見たら、映画のワンシーンのように、クルマと風景が見事にとけ込んでいたのが印象的だ。 ■D:りそなコエドテラスエリア 蔵づくりの街並み沿いにある「りそなコエドテラスエリア」には、マクラーレンMP4/4をやブラバム BT16Aをはじめ、懐かしいホンダ車を中心に展示。 いまや伝説のドライバーとなったアイルトン・セナがドライブしたF1カー(1988年ベルギーGP優勝車)が間近で観られるとあって、常に多くのギャラリーが、懐かしいMarlboroカラーのF1マシンを撮影していた。 ■E:本丸御殿エリア りそなコエドテラスエリアから徒歩で15分ほどの位置にある「川越城本丸御殿エリア」では、2014年にこの世を去った、モータージャーナリストの故・川上完氏が所有していたという「ブリストル406」や、ロータスのワークスマシンである「Mk8」を特別展示。 嘉永元年(1848年)に建てられたという川越城本丸御殿と、異国の地で造られたジャガー、シトロエン、ポルシェ、BMWなどの名車が不思議なほどしっくりと馴染むことに驚いた。 また、フェラーリF40やランボルギーニカウンタックLP400といった、時代を超えて憧れの存在であるスーパーカーも特別に展示され、会場の雰囲気をより一層華やかなものにしていた。 ■F:川越市立博物館エリア 本丸御殿エリアの向かいにある「川越市立博物館エリア」には、シボレーコルベットやキャデラッククーペといったアメリカ車やフォルクスワーゲンビートル、カルマンギアなどを展示。 個人的に驚いたのは、アルファ ロメオ F11が展示されていたことかもしれない。なかには「初めて観た!」と興奮気味にスマートフォンで撮影しているクルマ好き(・・・であるに違いない!)がオーナーと談笑していたり・・・と、終始和やかな雰囲気に包まれていた。 ■イベントも盛りだくさん 午前中の開会式の盛り上げに一役買った地元の和太鼓チーム「響」の演奏が午後からは本丸御殿エリアでも行われた。本丸御殿をバックに、子どもたちの力強い演奏とクラシックカーの共演にギャラリーも感激していたようだ。 また、大正浪漫夢通り&連雀町繁栄会エリアではジャズのミニライブも行われたほか、その他にも、甲冑姿の武士がいたり、着物美人と愛車の撮影会が開かれるなど、オーナーはもちろん、来場者を喜ばせるホスピタリティあふれる企画が満載であった。 ■まとめ:「小江戸川越」の立地を最大限に活かしたイベントはひと味もふた味も違うゾ! 仕事柄、筆者もさまざまなクルマ関連のイベントを取材している。施設の駐車場などを貸し切り、参加者同士が楽しむイベントがあるいっぽうで、商店街や観光地の一角に展示スペースを設けて、偶然居合わせた観光客でも楽しめるスタイルのイベントもある。今回はあきらかに後者だ。 川越の街並みに映えるクラシックカーを展示し、さらにはオーバーツーリズム対策を考慮してエリアを分散させる。さらにはただ単にクラシックカーを眺めるだけでなく、マニアから一般の人まで、さまざまな視点で情景も楽しむことができる。 筆者自身、このイベントがなければ歩くことがなかった(気がつかなかった)場所がいつくもあり、新たな発見となったことは確かだ。近々、散歩がてら川越の街を改めて散策してみるつもりだ。 事実、家族連れからご近所に住んでいると思しき高齢者のご夫婦など、さまざまな人が行き交い、普段なかなか目にする機会がないクラシックカーを間近で眺めたり、スマートフォンで撮影している光景をあちこちで見掛けた。 企画からイベント開催までおよそ1年の歳月を費やしたそうだが、行政との調整や安全面および来場者の回遊、クラシックカーの配置など、細部にいたるまでさまざまな協議を行ったことがうかがえた。まさに、小江戸川越の立地を最大限に活かしたクラシックカーイベントといえるだろう。 ・・・とはいえ、事前に企画を煮詰めに煮詰めても「実際にやってみなければ分からない」ことが山ほどあったはずだ。無事に初開催を終え、今後の課題が浮き彫りになった点をブラッシュアップしていくことで、よりイベントの魅力が増していくに違いない。 参加者だけでなく、観光客や地域の人たちの目も楽しませてくれるクラシックカーイベントは貴重だ。 主催者の方に話を伺ったところ、一般的なオーナー中心のクラシックカーイベントではなく『美術館の作品を散策するイメージ、そしてクルマに興味がない方々や興味をもつきっかけとなっていただくこと』をコンセプトに企画したのだという。イベントの名称が「まちかどモーターギャラリー」なのも合点がいく。 つまり、今回展示されたクルマは、小江戸川越の街を舞台にしたクラシックカーを愛でる「1日限定の屋外鑑賞会」というわけだ。 小江戸川越の魅力をより多くの人たちに発信するためにも、今後も「小江戸川越まちかどモーターギャラリー」が継続して開催されることを心から願うばかりだ。 ●公式サイト 小江戸川越まちかどモーターギャラリー公式サイトhttps://www.coedo-mobile.club/ [撮影&ライター・松村透 / Special Thanks・中尾博 & 中込健太郎 ]
2025年4月11日〜13日にかけて、幕張メッセで開催された「オートモビルカウンシル2025」の模様を取材した。 今回が記念すべき第10回目の開催となるオートモビルカウンシル。今回のテーマは『クルマを超えて、クルマを愉しむ Classic Meets Modern and Future(クラシック ミーツ モダン アンド フューチャー)』だ。 文字にするとサラッと読めてしまうが、これだけ大上段に構えれば、主催者自らが高いハードルを課していることが分かる。・・・と同時に、来場者の期待値だって否が応でも高まる。肩透かしを食らったら来年からは足を運んでもらえないことだってある。イベント主催者のプレッシャーも相当なのものがあったと思う。 オートモビルカウンシル 2025出展社一覧(2025年4月9日現在) ・日本車メーカー・インポーター・新世代自動車:9社・スポンサー:10社(うち出展6社)・特別協力スポンサー:2社・協力:1社・サプライヤー:5社・プレミアムライフスタイル:8社・ARTCOUNCIL:8画廊・2輪・3輪:1社・ヘリテージカー販売店(含SUV販売店):37社・自動車関連商品等販売店(マルシェ):39社・オーナーズクラブ:4団体・フード・ドリンク:7店舗 展示車両台数186台、出展者数は過去最多の131社、自動車関連商品等の販売店(マルシェ)が39社、オーナーズクラブが4団体、フード・ドリンクのコーナーが7店舗。そして来場者数も過去最高の44,963人となった。さらに、会場の規模が拡大され、幕張メッセ9-11ホールの3ホールを使用したのも今回が初となる。 イベント初日の特別内覧日というと、来場者は報道関係者が中心で比較的落ち着いているイメージがある。しかし、今年は違った。入場待ちの長い列ができており、例年以上に来場者の熱気と期待が伝わってきた。 ジョルジェット・ジウジアーロ氏の来日に合わせ、彼の代表作10台の展示 今回の最大のハイライトといえば、ジョルジェット・ジウジアーロ氏がこのイベントのために来日したことだろう。トークショーは満員御礼。筆者も場内を駆けまわるうちに、気づいたときにはステージのまわりは人だかり。空いている空間を見つけるのも一苦労であったほど。おそらく、本物のジウジアーロ氏をこの目で見たいがために会場へ足を運んだ人も多いはずだ。 筆者の記憶では、ジウジアーロ氏ご本人を観る機会に恵まれたのは、2013年フォルクスワーゲン ゴルフ7のプレス発表会発売でお見掛けしたとき以来だと思う。1938年生まれのジウジアーロ氏は御年86歳。年齢を感じさせないほどエネルギッシュで、どこか少年ぽさを感じさせる笑顔が実に素敵な方だ。 トークショーは4月11日と13日の2回。11日に開催されたトークショーのテーマは「 “A Young Talented Designer was Born” 才気あふれる若きデザイナー誕生」。画家の家系に生まれたジウジアーロ氏の生い立ちから、17歳でフィアットが設立したデザインセンターに入社した経緯。そしてベルトーネ社を経て、1967年に30歳の若さでイタルデザイン社を起こした経緯などを語ってくれた。 当日、会場を訪れた人のなかにはジウジアーロ氏のファンだけでなく、同氏がデザインを手掛けたモデルを愛車にしている人も来場していたのだろう。「ジウジアーロ氏の生の声を聞き、同じ空間に居る」ことへの充足感・満足感に浸っている人も見受けられた。 今回も見みどころ満載だった企画展 ジウジアーロ氏の来日にあわせて、Giorgetto Giugiaro展「世界を変えたマエストロ」と題して、同氏が手掛けた10台の名車が展示されたほか、THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN <歴史を飾ったラリーカー展示>のテーマに沿って6台の懐かしいラリーカーがずらりと並ぶ姿は壮観のひとことだ。 Giorgetto Giugiaro展「世界を変えたマエストロ」展示車輌 ・アルファ ロメオ ジュリア スプリント GT ・マセラティ メラク SS ・フォルクスワーゲン ゴルフ ・BMW M1 ・いすゞ アアッソ ディ フィオーリ ・ランチア デルタ ・フィアット パンダ ・DMC デロリアン ・イタルデザイン アズテック ・バンディーニ ドーラ THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN <歴史を飾ったラリーカー展示> ・フィアット X1/9 アバルト プロトティーポ ・BMC ミニ クーパーS ・ランチア ストラトス HF ・フィアット アバルト 131 ラリー ・ルノー サンク ターボ ・アウディ クワトロ 各国産車メーカーも、トヨタは歴代スープラを中心に、第28回東京モーターショー出展車両として当時注目を集めた「4500GT」を展示。 そしてホンダは歴代プレリュードを展示。 またマツダは「MAZDA DESIGN STORY “心を揺さぶる、モノづくりへの追求”」のテーマとともに、若きジウジアーロ氏がベルトーネ社に在籍中に手掛けた初代ルーチェのプロトタイプをはじめ、ユーノス500や過去の東京モーターショーに出展したコンセプトカーを軸に展示。 三菱は「時代を切り拓いてきた名車たち」のテーマを掲げ、東京モーターショー出展車「HSR-II」をはじめとする懐かしいモデルを展示した。 そして特別展示として日産はプリンス スカイラインスポーツ(1960年トリノ国際自動車ショー出展車)をはじめ、ダットサンブルーバード 1200 デラックス(スタイリング原案はピニンファリーナ)、ニッサン マーチ コレット(スタイリング原案:イタルデザイン社)、GT-R50 by Italdesign(スタイリング原案:イタルデザイン社)と、蒼々たる顔ぶれとなった。 ヘリテージカー販売も好調だったようで、早々に「商談中」や「成約済」の商品車を見掛けた。なかには自走して会場入りしたクルマもあるだろうが、多くはトランスポーターに積まれてここまで来たのだろう。 また、タミヤブースでは「タイレル P34」が展示されており、その場でハンドメイドタイレルを製作した綿引氏といつも取材に同行してくださるI氏にも連絡して、画像と動画を送りまくってしまった。 こうしてオリジナルを間近で眺めていると、改めて綿引氏が手掛けたハンドメイドタイレルの再現性に驚かされる。いつか、オリジナルとハンドメイドタイレルを並べた光景を見てみたいと思う。 まとめ:仕事を忘れそうになるほど夢中になった クルマ好きの友人知人にもよくいわれるのだが「(こういったイベントに)仕事で行けていいね」とうらやましがられることも少なくない。かつての自分もそうだった。東京モーターショーのプレスパスが初めて発給されたときのうれしさはいまでも忘れられない。 オフィシャルでイベント会場に足を運べる反面、失ったこともある。イベントを楽しむことがまったくできなくなってしまったのだ。ジウジアーロ氏のトークショーのことも忘れてしまうほど「撮れ高」を求めて会場内をひたすら歩く。あとで確認して驚いたのだが、この日の歩数も24,000歩を超えた。 今回、取材に入る前に会場内を練り歩いてみようと思い、各ブースをチェックした。ひととおりサラッと観た時点で仕事を放り投げたくなった。ここまで純粋にこのイベントを楽しみたいと思ったことはいつ以来だろう・・・。はるか昔、高校時代にわざわざ始発電車に乗って行った東京オートサロン以来かもしれない。 名車がずらりと並べられ、懐かしいクルマが商品車として展示されているとはいえ、間近で眺めることができる。普段ならネット上で探しているようなグッズが所狭しと並べられている。仕事ではなく、いちクルマ好きとして心からオートモビルカウンシルを楽しむことができた。こんな感覚は久しぶりだ。 これこそが10年という、短くて長い歳月を掛けて少しずつ熟成を重ねつつあるこのイベントのカラーなのだろう。過去の記事でも書いたような気がするが「鑑賞」という表現がふさわしい。成熟した大人のためのクルマのイベントなのだと思う。 イベント初日の特別内覧日(3000枚限定)の前売りが9,500円、当日券が10,000円。そして一般公開日の前売りが6,500円、当日は7,000円という価格設定は正直いって高い。その代わり、学生(中・高・大・専門)は2,000円に抑えられている(※小学生以下は保護者1名につき1名まで無料)。この高めのチケット価格にも臆することなく、会場へ足を運ぶ人たちの客層がいいのもこのイベントの重要なポイントだと思う。 今回のテーマ『クルマを超えて、クルマを愉しむ Classic Meets Modern and Future(クラシック ミーツ モダン アンド フューチャー)』は伊達ではない。よくぞここまでの名車を集めたものだと思う。そして、日本発のクルマイベントとして世界に誇れる充実したプログラムだと思う。 次回からは新たなステージに足を踏み入れることになるであろうオートモビルカウンシル。次回の日程は、2026年4月10日(金)から12日(日)の3日間の日程で幕張メッセで開催を予定しているとのことだ。 唯一無二であろうこの空気感が、これから先も少しずつ熟成を重ねつつ、日本が世界に誇れるクルマのイベントとなってくれることを願うばかりだ。 [ライター・撮影/松村透]
旧車&ネオクラシックカーオーナーを取材するときに必ず尋ねていることがある。それは「旧車(ネオクラシックカー)に乗るには果たして『覚悟』がいるのか」という問いだ。 この問い対して、これまで取材してきたほとんどのオーナーが「覚悟がいる」と答えてくれた。実体験を伴うだけに説得力がある。 では実際に「旧車に乗るには果たして『覚悟』がいる」のだろうか。7つの理由を元にひもといていきたい。 ■理由1:部品調達のリスク 旧車、そしてネオクラシックカーと呼ばれるクルマも含めて、もう数十年も前に生産を終了している「絶版車」だ。いうまでもなく、純正部品もはるか以前に生産終了(欠品)か製造廃止になっていて当然と思った方がいい。一部の輸入車、そして日本車メーカーも絶版車の純正部品の再生産を行っているが、特定のモデルにスポットライトが当たっているような状況で、ほとんどのモデルの部品はネットオークションなどを駆使して入手するしかない。 国内専用モデルとして販売された国産旧車およびネオクラシックカーよりも、世界各国に輸出されたメーカーのモデルの方が部品を入手できる確率が高い。また、一部のモデルはリプロパーツが出回っており、純正品にこだわらなければ入手にはそれほど困らないモデルもある。分かりやすい例を挙げると、クラシックミニやフォルクスワーゲン ビートル(タイプI)がその代表例といえる。 ■理由2:故障のリスク どこかのメーカーの格言ではないが「最新は最良」であることはひとつの真実だと思う。先代モデルよりも進化し、クルマとしての性能が相対的に向上しているからだ。その反面、旧車およびネオクラシックカーは古くなるいっぽうだ。いつ何時故障するか分からない。前触れがある場合もあれば、突然やってくることも少なくない。そのリスクは最新モデルより間違いなく高いといえる。 要はこの「故障のリスク」と向き合える覚悟があるかどうか、自分の胸に手を当てて問うてみればいいわけだ。最新モデルではまずありえないような、出先で故障して帰りはバスか新幹線で・・・なんてことも現実的に起こりうるかもしれない。実際に故障するかもしれないし。しないかもしれない。ただ、その確率は現代のクルマより確実に高い。旧車に乗る以上、そのリスクを常に意識しておく必要がある。 ■理由3:信頼できる主治医の存在 旧車ライフにおける生命線のひとつといえるのが「信頼できる主治医や専門店の存在」だと断言できる。「オーナー兼主治医」という人であれば、時間と手間と予算を気にせず思う存分メンテナンスに費やせるが、ここまでできる人はさすがに少数派だろう。そうなれば、大なり小なり、そのクルマに精通した主治医や専門店の腕とノウハウに頼ることとなる。 オーナーよりも愛車に精通し、適切なアドバイス、そしてメンテナンスを施してくれる。適切なエンジンの始動方法から、暖機運転の方法、アクセルおよびクラッチワークのコツ・・・などなど。もはや主治医であり、師匠とも呼べる存在ですらある。 ■理由4:「ヨコのつながり」の大切さと重要さ クルマ趣味のなかには頑なに仲間を作らず、黙々と楽しむ人がいる。あくまでも趣味なので個々の自由ではあることを前提として、やはり「ヨコのつながり」は大切にした方がいいと思う。おすすめの主治医やショップ、クルマや部品の売買情報、トレード、ツーリングや忘新年会の連絡など・・・。ここで得られる情報は恩恵は計り知れない。 それゆえ、敢えて最初はお互いに深入りせず、時間を掛けて連帯感と信頼関係が揺るぎないものへと変わっていく。接点はクルマのみ。幼なじみとは違う、趣味を通じて知り合った大人の関係だ。たまにはイヤなヤツもいるが、不思議と自然淘汰されていくから心配はいらない。むしろ、自分が淘汰される側にまわらないように注意する必要がある。 ■理由5:自身でどこまでメンテナンスできるか エンジンを掛けようと思ったら始動しない、出先で故障して動けなくなった。その都度、ショップや主治医にSOS発信をすれば、例え休日であっても救援に来てくれる可能性が高い。しかし、それには当然ながら費用が発生する。これらをタダでお願いしようと思うこと自体がナンセンスだ。 それであれば、ある程度は自分自身でメンテナンスや修理できた方がいい。愛車のコンディションをもっとも把握しているのは主治医であったとしても、オーナーにとってはブラックボックスである領域が多いことも事実。主治医によっては、オーナーが勝手にいじくることを嫌う人もいるので、相談しつつ、落としどころを探るといいかもしれない。 ■理由6:快適装備とは無縁 これは「言わずもがな」だと思われるが、現代のクルマで当たり前に装備されているエアコンやカーナビ、パワステ、パワーウィンドウ、シートヒーターなどの快適装備は期待しない方がいい。特にエアコンは、年代よっては装備されていないモデルも少なくない。きちんと動作するかはさておき、よくてクーラーだろう。 暑いだの寒いだの疲れるだの、乗るたびにストレスになるようなら旧車およびネオクラシックカーは向いていないと思った方がいいかもしれない。 ■理由7:1台ですべてをこなすのはほぼ不可能 記事やYouTubeなどの動画でサラリと「このクルマ(旧車)1台でなんでもこなしてます」といった具合にオーナーが紹介されていることがある。しかし、いったん冷静になってみて考えて欲しい。「他の人とはあきらかに違う何か」があるから取材対象となるのであり、インパクトがあるのだ。同じ土俵で考えない方がいい。 買い物や家族の送迎などの短距離走行、大雨のなかで走ることもあるだろう。ゲリラ豪雨のなか、エンジントラブルで立ち往生したらなす術もない。雨漏りしてくる可能性も大いにある。錆だって進行する。コンディション維持を考えたらなにひとついいことはない。万能に使える足車が必須となってくる。1台ですべてをこなすのはほぼ不可能だと思っておいた方がいい。 ■まとめ:やせ我慢の美学?結論として「覚悟はいる」 筆者自身、1970年製の旧車を所有しているが、イベントのときなどは真夏でもクルマを走らせることがある。エアコンはもちろんクーラーすら装備されていないから暑いことこのうえない。充電式の小型扇風機を室内に持ち込んでまわしてみるのだが、熱風をかきまわすだけでちっとも涼しくならない。 それでも、現代のクルマでは決して味わえない、ダイレクト感、直結感は何ものにも代えがたいものがある。運転中はBGMはおろか(そもそもオーディオレスだ)、水を飲むことさえ忘れるくらい運転に没頭できる。 不便さを差し引いてもあまりある魅力にあふれているからこそ、エアコンレスだろうが何だろうが苦にならないのだ(大変だけど)。旧車およびネオクラシックカーでしか味わえない世界を知ってしまったら最後。「やせ我慢の美学」といえばそれまでだが、多少苦労してでも古いクルマならではの魅力を選ぶか、現代のクルマならではの快適性が享受できるなかでクルマ趣味を謳歌するのかは人それぞれだ。 [撮影&ライター・松村透(株式会社キズナノート)]
2019年から取材を続けている、「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」代表・綿引雄司氏が造り上げたハンドメイドのタイレルP34。 これにF3000に参戦していた「レイナード93D」が加わった。現在「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」には2台のフォーミュラカーが収まっている。 「見せる」マシンから「攻める」マシンへと変貌しつつあるタイレルP34、そして不動の状態で綿引氏のところに嫁いできたレイナード93D。 この2台を並べてみると、まったく違和感がないことに驚かされる(フォーミュラー関係者の視点で見れば異なるかもしれないが)。 しかし、タイレルP34は昨年秋にエビスサーキットでクラッシュ。現在、復活に向けて作業中だという。 気になる2台の現状と今後について、カスタムビルド&レストア WATAHIKIに赴き、代表の綿引氏に取材を行った。 綿引さん、まずは「タイレルP34」の状況を聞かせてください 昨年秋にクラッシュしたあと、各部の修正作業を進めている状況です。それに加えて、タイレルP34のマフラーを変更しました。これまでは「4in2-2マフラー」だったものを1本出しに仕様変更を行っています。 その理由として「音量規制があるサーキットをタイレルP34で走ってみたいと思ったから」こと、そして「パワーアップおよびトルクアップ」が狙いです。 AE86カローラ レビン/スプリンター トレノ(4A-G用)のマフラーを加工して、集合管にしました。当初、専門の方に依頼することも検討していました。しかし、これまでタイレルP34を自作してきた経緯もあり、それならばということでマフラーも自分で作ることにしました。 AE86用をベースにしようと思ったのは何かヒントがあったのですか? 以前から「もしかしたら、隼のエンジンにAE86用タコ足マフラーが適合するんじゃないか」というイメージが湧いていたんです。 実際にピッチを測ってみたところ、取り付けられそうということでヤフーオークションで中古品を入手しました。隼用のノーマルのエキパイとパイプの径は同じでしたが「ポン付け」できるわけではなく、ここから先は試行錯誤の連続でしたね。詳しくは下記動画をご覧ください。 4AGでP34用集合菅制作 https://www.youtube.com/watch?v=lzOMVK9LkbA (お聞きするのは忍びないですが)カウルの修復も進んでいるのでしょうか? 2度のクラッシュで76年型および77年型のフロントカウルを破損してしまったので、現在は77年型の方を修理を進めているところです。現在、塗装まで完了しています。 実際に「サーキットを攻めた」からこそ見えてきたウィークポイントもあるそうで・・・ ロアアームやピロボールに負荷が掛かることが分かってきました。サーキット走行を繰り返すうちにロアアームの後ろ側のボルトや緩んできてしまったり、ピロボールもガタが出てきてしまっています。負荷が掛かる部分は高価だけど強化版に交換して、それ以外の箇所は汎用品にするなど、コスト面も考えつつ、進めています。 タイレルP34が復活を遂げたらエビスサーキットですか? エビスサーキットもだけど、筑波2000も走りたいですね。筑波サーキットでフォーミュラカーだけのカテゴリーで年に3戦、草レースを開催しているんです。筑波サーキットはマフラーの音量規制が厳しいので、今回の仕様変更もそれに合わせた仕様なんです。 YouTubeの動画を観てくださった方から、ウィリー防止用に低速ギヤでの高回転の制御をカットする製品があることを教えてもらい、こちらもタイレルP34に取り付けました。今後は低速ギヤでもエンジンが回るようになるので、特にショートコースでのタイムアップが期待できます。 レイナード93Dの方はいかがですか? レイナードに関しては、カウルの塗装してステッカーを貼った状態のままです。機関系に関してはそのままなのでもう少しお待ちください 直近で参加予定のイベント情報がありましたら教えてください 2025年4月27日(日)午前9時より、モビリティリゾートもてぎにて開催される「水戸道楽クラシックカミーテイング2025」にタイレルP34を展示予定です。 詳細が分かり次第、YouTubeでもお知らせします! 本業を終えたあとや週末などの時間を割いて、ハンドメイドタイレルP34およびレイナード93Dの復活に向けて1歩ずつ前進していることは確かだ。 巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html 綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" 「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・カメラ/松村 透]