6代目ポルシェ911として登場した997は、ファンを唸らせる完成されたデザインと性能からベストモデルとも評されています。「原点回帰」と「進化」をうまく融合した結果、商業的な成功も収めました。911の本質を取り戻したともいわれる997型の魅力を、レースでの活躍とともに徹底解説します。 ポルシェ本来のスタイリングに回帰した997 997型へのフルモデルチェンジでは、先代996型で不評だったポイントを中心にデザインの見直しが図られています。一方性能面でも、マイナーチェンジで新開発エンジンやトランスミッションを投入するなど、997型はポルシェが意欲的に開発したモデルといえるでしょう。マイナーチェンジでの変更点も含めて、997の特徴を改めてみていきましょう。 先代の外観と性能から大きく進化 2004年に登場した997型ポルシェ911は、7年ぶりのフルモデルチェンジを果たして2004年に登場しました。基本骨格やエンジンの一部こそ先代996型と共通ですが、賛否を呼んだ外観デザインは大幅に刷新されています。 ヘッドライトの形状は、不評だった「涙目」形状から丸型に戻されました。また、スモールランプとウインカーも、空冷時代を思い起こさせる別体型に変更。リアコンビネーションランプとリアバンパーの刷新とあわせて、再び“ポルシェらしさ”を取り戻したモデルとして高く評価されました。 マイナーチェンジでさらなる性能アップを果たす 997型は、発売後も意欲的に開発が続けられました。フルモデルチェンジから4年後の2008年6月には、ビッグマイナーチェンジを実施します。特筆すべきはエンジンの改良で、以前のモデルから大幅に出力を向上させました。自然吸気モデルに採用した新開発の直噴(DFI)エンジンによって、カレラが20psアップの345ps、カレラSでは30psも出力を向上させて385psを実現しています。 さらに、トランスミッションには、新開発のPDK(7速デュアルクラッチ)が新たな選択肢として投入されました。スポーツ走行だけでなく日常使用でもスムーズな変速を実現するPDKによって、さらなる操作性と快適性の向上が図られています。 多彩なラインナップを展開 997型では、ベーシックなカレラ/カレラSに加え、タルガ、カブリオレ、4WDモデル、ラグジュアリー路線のターボ/ターボSといった多彩なラインナップが展開されました。さらに、スポーツ性と快適性を両立したGTSに加えて、GT3やGT2という走行性能に特化したモデルも投入されています。 志向やライフスタイルに応じてモデルを選べるようにしたことで、幅広いユーザー層から支持を獲得しました。スポーツモデルという大きな枠組みはあるものの、さまざまな楽しみ方ができる点が997の大きな魅力です。 ポテンシャルの高さをレースで証明 旗艦モデルである911は、レースで結果を残すことが至上命題です。レースで勝てる力強い走りこそ、ポルシェ911最大の魅力だといえます。 幅広いモデル展開が特徴の997は、周囲の期待どおりレースで輝かしい実績を残しました。一方で、評価の高い997には、ひとつだけ大きな欠陥があります。997のレースでの活躍と、有名な「インタミ問題」について紹介します。 2度のル・マン24時間レース制覇 997のレーシングモデル「997 GT3 RSR」は、フルモデルチェンジから2年後の2006年に実戦投入されます。エンジンの最高出力は455psにまで高められ、435 N⋅mという強大なトルクも相まってさまざまなレースで実力を発揮しました。 過酷なレースとして知られるル・マン24時間レースでは、2007年と2010年にGT2クラスを制覇。また、プチ・ル・マンでも、2007年、2013年にクラス優勝を果たします。997のもつ高いポテンシャルと信頼性を、レースの結果で証明しました。 唯一の弱点「インタミ問題」 実力、人気ともに折り紙つきの997ですが、実はひとつだけ構造的な弱点を抱えています。「インタミ問題」という通称までつけられた、インターミディエイトシャフトを保持するベアリングが破損する問題です。 997のエンジンは、クランクシャフトとチェーンを介してつなげられたインターミディエイトシャフトによって、カムシャフトを回転させる機構を採用しています。しかし、インターミディエイトシャフトを保持するベアリングの耐久性に問題があり、数多くの破損が報告されました。ベアリングが破損すると当然インターミディエイトシャフトの回転に影響がでるため、カムシャフトを正確なタイミングで回せなくなります。結果、バルブタイミングが狂ってしまうことで、最悪の場合エンジンブローにもつながりかねません。 ただし、インタミ問題が発生するのは、初期モデルを中心にした前期型です。2008年のマイナーチェンジ以降のモデルでは、インターミディエイトシャフト自体が廃止されたため発生しません。。また、対策パーツがすぐに開発され、ポルシェがキャンペーンで交換を推進したため、現在ではあまり気にしすぎる必要はなさそうです。997を購入予定で気になる方は、販売店にインタミ問題の対応について確認してみましょう。 20万台以上も売り上げた6代目ポルシェ911 インタミ問題という致命的な欠陥があると、一般的に販売数は伸び悩みます。しかし、メーカーの真摯な対応と997のもつ魅力の高さから、実際には商業的にも大成功を収めました。997の販売台数は、2004年から2011年までの間で累計213,004台にものぼります。販売実績だけで車の価値は判断できないものの、モデルとしての完成度の高さを物語っている数字です。 スタイリングの原点回帰、幅広い層にリーチするラインナップの多彩さ、そして何より走行性能の進化とレースでの実績によって、997型ポルシェ911は伝説とも呼ばれる評価を得ました。販売終了からすでに14年(※2025年7月執筆当時)が経過していますが、今もなお高い人気を集める車種というのもうなずけます。
切り立ったリアハッチの形状が特徴的な、ホンダ 3代目シビック。ワンダーシビックの愛称で親しまれるこのモデルは、シビックファンのみならず世界中のホットハッチ愛好家にインパクトを与えました。 ワンダーシビックがなぜ革新的モデルといわれるのか、その理由をレースでの輝かしい戦績とともに振り返ってみましょう。 3代目シビックがもたらした新たなホットハッチの形 「ワンダーシビック」と呼ばれる3代目ホンダ・シビックは、当時のハッチバックの概念を覆す存在でした。海外の有名自動車デザイナーでさえ解決できなかったデザイン上の問題を、見事な手法で解決します。 ワンダーシビックのデザインの特徴について、詳しくみていきましょう。 未来を予感させるデザイン 3代目シビックは、1983年に登場しました。先代のイメージを大きく刷新するばかりか、世界の常識をも打ち破った革新的なデザインが話題になりました。2代目シビックの販売台数がふるわなかったことから、大きな変化を求められていたという側面もあったのかも知れません。 ワンダーシビック最大の特徴は、リアハッチの切り立ったコーダトロンカです。ルーフラインを後方ギリギリまで水平に伸ばし、リアゲートを垂直に切り落とすという当時としては大胆な形状をしています。先代以前のシビックも含め、国産車では類を見ない未来的なフォルムでした。 その先進性と完成度の高さは専門家からも認められ、1984年度には自動車として初めてグッドデザイン大賞を受賞。さらに、同年の「'83~'84 日本カー・オブ・ザ・イヤー」にも輝きました。 名デザイナーでさえ避けた問題を打破 ワンダーシビックのデザインへの関心の高まりには、世界的な有名デザイナーでさえ避けた点に挑戦したことも影響しています。当時のハッチバック車は、フォルクスワーゲン社のゴルフを模倣したデザインのものがほとんどでした。イタリアの有名デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏が徹底的に合理性を追求して生み出したフォルムだったため、覆す必要がなかったのです。 しかし、ゴルフのデザインには、唯一といえる欠点がありました。垂直にすると商用車にみえるという理由から、リアハッチに傾斜をつけていた点です。車室後部にリアハッチが倒れ込んでくるため、荷室の容積にどうしても制限が発生してしまいます。 そこで、ホンダ開発陣はリアハッチを垂直に立てつつも、ハッチバックの軽快さを失わないデザインを追求します。後部まで伸びたルーフになだらかな傾斜をつけつつ、リアのサイドウィンドウの下端ラインを後方に向かって微妙に上昇していくデザインとし、シャープな印象を与えるウェッジ効果を発揮しています。さらに、Bピラーを黒く塗りつぶすことで、横からみても愚鈍な商用車にはみえない軽快なデザインを実現しました。 ジウジアーロ氏が懸念したデザイン上の問題点を、新たな発想で見事に解決してみせたのです。ゴルフの呪縛ともいわれるほど定番化していたハッチバックのデザインを、根底から覆す画期的なアプローチでした。 高い走行性能がデザインの正当性を裏打ち いくらデザイン上の問題を解決して軽快に見せても、クルマとしての性能が伴っていなければ高い評価は得られません。ワンダーシビックは、デザイン性と走行性能を両立させるため、細部にまで徹底的にこだわって開発が行われました。 ワンダーシビックの走行性能とレースの活躍を振り返ってみましょう。 軽快な走りを実現したサスペンション ルーフデザインが大きな特徴といわれるワンダーシビックですが、実はボンネットラインを下げたことも外観のスポーティさを高めているポイントです。しかし、ボンネットラインを下げるには、足回りの構造が大きな課題として立ちはだかりました。 エンジン、ミッションともに横置きのFF車では、サスペンションのスペースに大きな成約が生まれます。一方で、ボンネットラインを下げるという命題があるため、コイルバネの高さを必要とするストラット式サスペンションも使用できません。 そこで、ポルシェ911にも採用されていた、トーションスプリング(ねじりバネ)式のサスペンションを採用して、低いボンネットとスペースの制約問題を解決します。さらにこだわったのはリアサスペンションでした。分類上はトーションビーム式サスペンションの一種ですが、極めてユニークな形状をしています。後部座席の制約も受けるなか、トレーリングリンク式ビーム・サスとも呼ぶべき形状のサスペンションは、後席の居住性と運動性を両立すべく考案されました。 シーズン全戦優勝 ワンダーシビックの性能が優れていたことは、レースの世界でも証明されています。発売から2年後の1985年に、ホンダはワンダーシビック(AT型)で全日本ツーリングカー選手権(JTC)に初参戦しました。 参戦2戦目の鈴鹿サーキットで、並み居る強豪を抑え総合優勝という快挙を成し遂げます。時折雨の降る優れない天候のなか、中嶋悟/中子修組はFFの強みを活かして安定した走りを披露しました。 さらに、「MOTUL 無限 CIVIC」にエントリー名が変わった1987年には、他を寄せ付けない圧倒的な速さを見せつけます。中子修/岡田秀樹組が6戦全勝を達成。ドライバーズとマニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得しました。 最終的に、JTCで通算12勝という輝かしい戦績を残し、1988年シーズン途中でその役目を終えました。 シビックの方向性を決定づけたワンダーシビック ワンダーシビックは、名車と呼ばれるEF型、EG型の原型ともいわれるモデルです。ホンダ・シビックは、1987年から1993年までの全日本ツーリングカー選手権(JTC)において、グループA規定の最小排気量クラス(1987年はクラス1、後にクラス3に改称)で、マニュファクチャラーズタイトルを7連覇という偉業を達成しました。ワンダーシビックは1988年のシーズン途中まで出場しており、偉業達成のきっかけとなったモデルです。 EG型になってやや丸みを帯びたものの、リアハッチが切り立った形状はシビックの伝統として踏襲され続けました。デザイン性と走行性能を両立したホットハッチとして、日本のみならず世界で愛され続けているシビック。ワンダーシビックの開発陣が踏み切った、コーダトロンカがなければ実現していなかったかも知れません。
無駄を削ぎ落としたコンパクトボディに、ハイパワーターボエンジンを備えたS15シルビア。シリーズ最終型として投入され、低い全高と吊り目の精悍なマスクで多くの人気を集めました。また、高い運動性能から、現在もドリフト競技を中心に第一線で活躍しています。 40年近くにわたるシルビアの歴史を締めくったS15の、開発背景や魅力を改めて振り返ってみましょう。 常識外のアプローチで進化を遂げたS15 長くモデルチェンジを繰り返す車種は、一般的に大型化していきます。スポーツモデルも例外ではなく、ホンダ シビックやマツダ ロードスターといった軽量コンパクトが特徴のモデルでさえ、現行型は3ナンバーです。 シルビアも6代目のS14で3ナンバー化しましたが、S15では再び5ナンバーに戻すという驚くべき手法で進化を遂げます。シルビアの歴史やグレードとともに、開発背景を振り返ってみましょう。 FRという駆動方式と進化が方向性を決定づけた 初代シルビアはダットサン フェアレディのシャシーをベースに開発され、1965年に登場しました。しかし、商業的には成功せず、わずか3年、544台の生産で一旦絶版になります。その後7年のブランクを経て2代目が登場、以降最終型のS15まで合計7世代が生産されました。 そして、シルビアの地位を確立したのが、1980年代後半にバブル景気を背景に生まれたデートカーブームです。先行するホンダ プレリュードの対抗馬として開発された5代目シルビアのS13型は、高い走行性能と豪華な内装によって人気を集めました。 また、駆動方式がFRだったことも、シルビアの個性をより際立たせたポイントです。デートカーの代表格といわれたプレリュードはFF、トヨタ セリカ GT-FOURは4WD(ベースはFF)だったのに対し、コントロールする楽しさを味わえるシルビアは、スポーティな走りを求めるユーザーから支持を集めました。 以降、6代目のS14、最終型のS15と走りに磨きがかかっていきます。 シェイプアップして戦闘力をアップしたS15 S13で高い評価を得たシルビアは、6代目のS14を経て1999年に7代目S15に進化しました。最大の変更ポイントは、ボディサイズです。S14で3ナンバーサイズに大型化したものの、販売当時はシルビアらしい軽快さが失われたとして不評でした。 そこで、S15では無駄を徹底的に削ぎ落とし、再び5ナンバーサイズとして登場します。「見て、乗って、走って、エモーションを感じる軽快コンパクトなスポーティクーペ」をコンセプトに開発され、精悍な印象のエクステリア、3連メーターなどを配したレーシーなインテリアがシルビアらしい鋭い走りを予感させました。 ユーザーニーズを満たす幅広いグレード展開 S15に搭載されるSR型エンジンは、S13の後期で初めて採用されたエンジンです。2世代に渡って改良を重ねて熟成の域に達していたS15では、ターボ付きのSR20DETで最高出力250ps(Spec-R)にまで達します。さらに、6速MTを組み合わせることで、エンジンパワーを活かした走りを楽しめました。 また、セダン並の幅広いグレード展開も、S15シルビアの特徴です。ターボモデルのSpec-Rと自然吸気モデルのSpec-Sを基軸に、上質なインテリアのLパッケージやカスタマイズベースというコンセプトのType-Bといったさまざまなグレードが発売後も追加されます。 さらに、日産のカスタマイズブランドのオーテックが専用チューニングを施した、オーテックバージョンやStyle-Aといったモデルもラインナップに加えられました。特に、オーテックバージョンでは自然吸気のSR20DEエンジンに専用チューニングを施し、200psという高出力を実現しています。 守備範囲の広いFRスポーツクーペ スペシャリティカーという位置付けだったシルビアですが、最終型のS15はさまざまなファンを魅了するモデルです。ドリフトというイメージの強いシルビアですが、ドレスアップ分野からレースまで幅広い人気を集めています。 S15シルビアの魅力を、ドリフト以外の側面も含めて探ってみましょう。 幅広いカスタマイズ性が魅力 S15がもっとも活躍したのは、ドリフトシーンです。パワーアップを図る吸排気パーツ、コントロール性能を向上させるアーム類やサスペンションといった多くのチューニングパーツが販売されています。 また、「魅せる」要素も強いドリフトから派生して、エアロ類を中心にドレスアップパーツも豊富です。レーシングドライバーの谷口信輝氏が所有するS15シルビアのように、究極のドレスアップ仕様も存在します。 実はレースでも高い実力を発揮 ドリフトのイメージの強いS15ですが、実はレースでも好成績を残しています。S14から大幅に軽量コンパクト化されたS15は、全日本GT選手権(JGTC)投入初年度から実力を発揮しました。GT300クラスに参戦し、シリーズ全7戦でポールポジションを獲得。シリーズチャンピオンこそ逃しましたが、圧倒的な速さをみせつけました。 さらに、デビュー2年後の2001年には、ダイシンシルビアが念願のシリーズチャンピオンを獲得します。市販車として販売されていた期間がわずか4年だったにも関わらず、レースシーンで輝かしい実績を残しました。 今も現役で活躍し続けているS15シルビア 販売終了からすでに20年以上が経過するS15シルビアですが、現在もドリフトを中心としたモータースポーツやカスタマイズカーファンから多くの人気を集めています。GR86やGRスープラの登場で一時期よりは減ったものの、D1グランプリの参加マシンをみてもS15はまだ中心的な存在です。 また、精悍なスタイリングからドレスアップを楽しむユーザーからの支持も厚く、今のところ人気に陰りは見られません。一旦3ナンバー化したモデルを再度小型化するという日産の大英断で生まれたS15は、他に類をみない5ナンバーサイズのターボモデルとして今後も注目され続けることでしょう。
直列4気筒水冷DOHCエンジンを武器に、レースでも商業的にも成功をおさめたホンダ S800。一方で、ライバル車だったトヨタ スポーツ800の登場が華々しかったこともあり、一部では「ヨタハチのほうが速い」と誤解されています。 それでは、レースでの実際の戦績はどうだったのでしょうか。本記事ではS800の特徴やヨタハチとの違いを詳しく解説します。 S800の成功とライバルヨタハチとの違い S800は、同クラスのトヨタ スポーツ800と常に比較される存在でした。同じ時代に販売された同排気量、同コンセプトの2台ですが、実はまったく異なる構造で開発されています。 S800とヨタハチの違い、レースでの実力を詳しくみていきましょう。 S600の成功を受けて登場したS800 S600が好調な販売を続けていた1965年秋。東京モーターショーで、排気量を791ccに拡大したS800が発表されました。直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力70ps、最大トルク6.7kgmを発揮し、パワー不足感が否めなかったS600の弱点を克服しました。 一方で、車重はS600と同じ720kgに抑えられ、最高速度160km/h、0-400m加速16.9秒という本格スポーツカーという名にふさわしい性能を実現しています。 ヨタハチと大きく異なる車体構造 S800と比較されるのが、同車格だったトヨタ スポーツ800です。「ヨタハチ」という通称に対して、S800は「エスハチ」と呼ばれました。ほぼ同時代に開発されたスポーツモデルという点で両車は共通していますが、まったく異なる車体構造で開発されています。 非力なエンジンながら軽量なモノコックボディで軽快な走りを求めたヨタハチに対して、S800は専用シャシーにボディを架装するというオーソドックスな構造でした。一方で、ヨタハチの45psに対して70psという圧倒的なエンジン性能を誇り、ホンダがスポーツカーとして絶対的な性能を追い求めていたことがわかります。 レースで見せつけたヨタハチとの実力差 S800がレースデビューをすると、またたく間にライバルのヨタハチとの大きな実力差を見せつけました。ヨタハチとS800のライバル関係は有名ですが、軽量なヨタハチのほうが速いイメージをもっている人のほうが多いでしょう。しかし、実はこのイメージは、第1回自動車クラブ選手権で浮谷東次郎のヨタハチに生沢徹のホンダ S600が惨敗したことから作り上げられました。 後継のS800はデビュー当初こそ先行するヨタハチにリードを許したものの、高いポテンシャルを背景に登場からわずか1年でGT-Ⅰクラスの主導権を握る存在になります。デビュー翌年の1967年の5月に行なわれた第4回日本グランプリ自動車レース大会では、リザルトボードをS800が独占しました。 商業的にも成功したS800 レースで結果を残す一方で、S800は商業的にも成功をおさめました。最大の理由は、発売後も販売マーケットを考えて進化を続けたことです。 最終型S800Mへの進化とともに、ヨタハチに大きな差をつけた販売台数について振り返ってみましょう。 マーケットに合わせて進化し続けた 1966年1月に登場したS800は、4月に早くもマイナーチェンジを果たします。主な変更ポイントはリアの足回りで、一般的な5リンク・コイルのリジッドアクスルに改められました。独自のチェーンドライブ機構がS600から続く特徴だったものの、欧米諸国で歓迎されなかったためです。結果的に、発進時のトルクでリアが持ち上がる挙動も解消されました。 さらに、アメリカの安全基準への対応で、1968年5月に最後のマイナーチェンジを行います。S800Mと名称を改めた最終型では、四隅に大型のリフレクターを装着、フロントにディスクブレーキを採用といった安全装備のアップデートが実施されました。また、145SR13インチのラジアルタイヤを標準装備し、性能面の向上も図られています。 総販売台数もヨタハチに大きく差をつけた S800の総生産台数は、1970年の生産終了までの5年間で1万1,406台にものぼりました。わずか3,512台のトヨタ スポーツ800に、レースだけでなく販売台数でも圧勝したということです。 1960年代後半という、国内では自動車が普及し始めたばかりの時代背景を考えると、なお驚異的な数字といえるでしょう。1,000cc未満のライトウェイトスポーツという特殊なジャンルながら、1万台以上の販売台数を記録したことはS800が絶大の支持を集めていた証です。 現代的な装備が成功につながったS800 水冷DOHCという極めて現代的なエンジンの発揮する、絶対的な性能がS800の大きな武器です。軽量なモノコック構造でレース界を席巻していたヨタハチに対して、エンジンパワーで真っ向勝負を挑んだS800は勝利を掴みました。 また、大型のリフレクターやラジアルタイヤ、ディスクブレーキの採用といった現代的な安全装備によって商業的な成功も手にした点もS800を振り返るうえで欠かせないポイントです。S600によって世界に存在感を示したホンダは、S800の成功で自動車メーカーとしての地位を確かなものにしたといえます。次はどんなクルマで世界を驚かせてくれるのか、今後もホンダの挑戦に期待したいものです。
トヨタ セリカ通算7代目のZZT231型は、ロングホイールベース&ショートオーバーハングという個性的なデザインで登場しました。FF化以降も上位モデルとして4WDをラインナップし続けてきたセリカですが、7代目ではついにFFのみとなります。 しかし、ライトウェイトスポーツで頭1つ抜けるVTECのホンダに対して、トヨタの技術人が意地をみせた新型エンジンが搭載されていました。 隠れた名機ともいわれる2ZZ-GEエンジンを搭載する、ZZT231型セリカの魅力をみてきましょう。 30年以上の歴史をもつセリカの最終モデル 6代目のST200系が生産終了し、1999年に7代目セリカが登場しました。7代目ZZT231型セリカは、スポーツカー人気が陰りを見せるなか2006年までの7年間も販売されたモデルです。人気だった先代を超える販売期間でしたが、残念ながら後継モデルは開発されませんでした。 ダルマの愛称で親しまれた初代セリカが登場した1970年から続いた36年の歴史に幕を下ろした最後のモデル、ZZT231型セリカの誕生について振り返ってみましょう。 FFモデルとして登場 ZZT230系と呼ばれる7代目セリカは、FF車のみがラインナップされました。大まかなグレードは、本記事で紹介する上位モデルのZZT231型の「SS-II」と廉価グレードの「SS-I」の2種類です。それぞれに4ATが設定され、マニュアル車はSS-Iが5MT、SS-IIには6MTが用意されていました。さらにSS-IIには、足回りを強化したスーパストラットパッケージがあります。 FRや4WDモデルがWRCで活躍してきたセリカのイメージからすると、FF車のみというのは物足りなさが否めません。しかし、ロングホイールベース&ショートオーバーハングデザインの採用による安定性と、リアサスペンションに備えたヴァイザッハアクスル式ダブルウィッシュボーンによる路面追従性と運動性は抜群でした。さらに、1.8Lで190馬力を発生し、1Lあたり105馬力にも達する新開発の2ZZ-GEエンジンも7代目セリカの魅力です。 FR化されたモデルが全日本GT選手権(JGTC)で活躍 7代目セリカは、現在のスーパーGTの前身、全日本GT選手権でも2003年のデビューイヤーから活躍しました。伸び悩んでいたMR-Sの後継として、ロングホイールベースで限界の高いZZT231セリカが選ばれます。また、エンジンの搭載方向や駆動方式の変更が可能になった、同年のレギュレーション変更もセリカのJGTC参戦を後押ししました。 FR化したセリカにGT500で活躍したスープラの3S-GTEを搭載し、圧倒的な速さを見せつけます。デビュー戦こそ結果を残せなかったものの第5戦の富士スピードウェイで初優勝を飾ると、その年は参戦6戦中4勝という驚異的な結果を残しました。 エンジンや駆動方式こそ変更されていますが、運動性能にこだわったベース車輌の設計のよさが好成績につながったのかも知れません。 VTECを超える機構をもつ2ZZ-GEエンジン FFのみがラインナップされた7代目セリカで注目すべきは、新開発された2ZZ-GEエンジンです。可変バルブタイミング機構は4A-Gにも備えられていたものの、バルブのリフト量は固定でした。 しかし、カムの切り替え機構をもち、VTECのようにバルブリフト量の変化も実現したのが2ZZ-GEです。 2ZZ-GEエンジンについて、詳しくみていきましょう。 名機4A-Gや3S-Gの後継として新型エンジンを開発 ZZT231セリカが発売された1999年当時は、まだ4A-Gや3S-Gの生産は続いていました。しかし、いずれも基本設計は1980年代だったため、後継スポーツエンジンの開発が求められます。 そこで、1ZZ-FEをベースにVVTL-i機構を組み込んで、2ZZ-GEエンジンが開発されました。5バルブの4A-GEにも組み込まれていた吸気側の可変バルブタイミング機構を連続可変にしたうえ、一定回転数以上でカムを切り替えることで吸排気のバルブリフト量と作用角の変化も実現させました。バルブタイミングの連続可変とバルブリフト量の切り替えをもつ機構は、当時世界初だったともいわれています。 結果的に最高出力は190馬力まで高められ、145馬力の1ZZ-FEから実に45馬力もの大幅な性能向上を果たしました。排気量1L当たりの出力は105馬力で、4A-GEの103馬力を上回っているうえ、熟成を重ねたひと回り大きい3S-GE最終型の出力効率とも同等です。 名門ロータスからも搭載車が発売 2ZZ-GEが画期的なエンジンだったことは、イギリスの名門自動車メーカー ロータスが自社モデルに搭載したことからもうかがい知れます。ローバー製エンジンを搭載していた2代目エリーゼに、2004年から採用されました。また、2004年にフルモデルチェンジをおこなったエキシージにも搭載されています。 トヨタ車に搭載された2ZZ-GEは自然吸気モデルのみでしたが、エリーゼSCとエキシージSでは、220馬力を発生するスーパーチャージャーモデルも追加されています。 わずか1世代ながら可能性を感じるエンジンだった 自然吸気でも200馬力に迫るハイパフォーマンスを実現した2ZZ-GEですが、実は1代限りで生産を終了しています。また、画期的な機構だったVVTL-iも、2ZZ-GE以外には搭載されませんでした。 開発が止まった理由は明確にはされていませんが、時代背景が少なからず影響していたのかも知れません。国産スポーツカーがやや下火になっていたことと、省燃費性能が求められるようになっていたためです。 燃費面でも有利に働く可変バルブタイミング機構はその後も開発が続けられましたが、VVTL-iの核となるカム自体の切り替え機構は熟成には至りませんでした。しかし、ロータスにも採用された2ZZ-GEの実力は、ライトウェイトクラスのエンジンとして可能性を感じさせたことは間違いありません。2L以下クラスのトヨタの名機といえば4A-Gや3S-Gが挙がりますが、2ZZ-GEも高いポテンシャルをもつ隠れた名機です。
FRレイアウトと高効率エンジンという組み合わせで、軽量コンパクトながら本格的なFRスポーツとして人気を集めたAE86。絶対的なパワーをもたないにも関わらず、格上車種を相手にレースで結果を残すほど高い実力を秘めたモデルでした。 ドリフトというイメージが先行するAE86ですが、本記事ではクルマとしてのポテンシャルの高さと人気の秘密を紹介します。 ドリフト車というイメージの強いAE86 AE86は、長年ドリフトシーンで活躍しているモデルの1つです。軽量で思い通りにコントロールしやすく、構造的にリアをスライドさせやすいことがドリフトに活用されている理由だといわれています。 一方で、1.6LのDOHCエンジンとFRというパッケージングは、レーシングカーとしても高い完成度に達していました。 ここからは、AE86の知名度があがったきっかけと、レースでの活躍を詳しく紹介します。 AE86人気を押し上げた「頭文字D」と土屋圭市氏の存在 AE86の知名度が一般層にまで広まったきっかけは、しげの秀一氏原作の「頭文字D」(イニシャルD)という漫画のヒットです。非力なAE86 トレノで、主人公がハイパワーマシンに勝利していく姿が人気を呼びました。 しかし、「頭文字D」の連載開始は、AE86販売終了後の1995年です。1983年から1987年の販売当時、AE86の高い実力を示したのはレーシングドライバーの土屋圭市氏でした。峠で腕を磨いてプロドライバーに転向した土屋氏は、ドリフトを多用するドライビングスタイルから「ドリフトキング(ドリキン)」と呼ばれて人気を集めます。 ドリフトだけでなくレースシーンでも大活躍したAE86 土屋圭市氏とAE86の名を一躍広めたのは、1984年のフレッシュマンレースです。AE86 トレノのステアリングを握った土屋氏は、開幕6連勝という圧倒的な速さを見せつけました。 翌年の1985年から始まった全日本ツーリングカー選手権には、レビンに乗り換えてフル参戦。そのうちの1戦として開催されたインターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)では、大排気量が占める上位陣の一角に食い込む総合6位という成績を収めました。 また、星野薫氏がドライブするトランピオレビンも、1985年と1986年のスポーツランドSUGOで総合優勝を果たしました。格上の日産 スカイラインや三菱 スタリオンが相手だったことを考えると、驚くべき結果です。 レビンとトレノの甲乙はつけがたい AE86には、カローラ レビンとスプリンター トレノという2種の兄弟車があります。基本構造は変わらないものの、それぞれにファンが存在しています。 販売台数や特別仕様車の存在など、レビンとトレノの違いをみていきましょう。 基本性能はどちらも同様 レビンとトレノの基本性能は、どちらも同じです。ボディタイプは、2ドアクーペと3ドアハッチバックが双方に用意されていました。心臓部も共通で、130psを発揮する4A-GEU型エンジンは後に名機として評価されます。 足回りは、フロントにストラット方式、リアにリジット方式を採用。エンジンの耐久性の高さと、改造が容易だったことも多くのユーザーから愛された理由です。 一方で、レビンとトレノの大きく異なる点は、ヘッドライトの形状です。一般的な角目形状のレビンに対し、トレノはリトラクタブルヘッドライトを採用しています。 販売台数が多かったのはレビン 人気漫画「頭文字D」の主人公が乗っていたこと、土屋圭市氏が個人所有していることからトレノのほうが露出が多く人気が高いと思われがちです。しかし、実際の販売台数は、レビンが約6万6000台、トレノが3万5000台と2倍近くレビンのほうが多く売れています。 1985年に始まった全日本ツーリングカー選手権での活躍がレビンの販売台数増加につながったのかも知れません。また、大衆車としてすでに地位を築いていた、カローラブランドだったという点も影響したのでしょう。 トレノにのみ設定されたブラックリミテッド 販売台数では大きくレビンに水を開けられたトレノですが、実はトレノのみに設定された特別仕様車がありました。1986年に最上級グレードのGT APEXをベースに開発された、ブラックエディションです。 ゴールド塗装を施した専用の14インチホイールをはじめ、ボディサイドの「BLACK LIMITED」ステッカーやフロントグリルのエンブレムなど、ブラックのモノトーンにまとめられたボディにゴールドの装飾が特別感を演出しています。 また、内装では、オレンジ色の専用メーターパネルやステアリングの「TWINCAM16」の文字、シートバックレストの「APEX」の刺繍など随所に専用の装飾が施されていました。 40年近くが経過した現在も進化し続けるAE86 AE86は販売終了して40年近く経過する現在もなお、多くのファンから愛されています。AE86はチューニングベースとして優秀なクルマで、アフターパーツメーカーから毎年のように新パーツがリリースされており、ユーザーは自分なりのチューニングを楽しんでいます。 現行車種でさえチューニングパーツは減少傾向にあることを考えると、AE86のアフターパーツの進化は驚異的です。クルマとしての古さは否めませんが、シンプルな構造がカスタマイズ性の高さにつながっているのでしょう。今後も、さらなる進化と人気の高まりが予想されます。
トヨタ 86は、2代目の現行型の受注が一時停止になっていたほどの人気のスポーツカーです。車名の由来が名車「AE86」であることやスバルとの共同開発といった話題性の高さから、発売前から注目を集めていました。 スバルの水平対向エンジンにトヨタの燃料直噴技術を組み込むという、形だけではない真の共同開発によって生まれた名車の開発ストーリーを紐解いていきましょう。 両社の思惑が見事に融合して実現 初代86は、トヨタとスバルの業務提携を受けて開発されました。しかし、開発が決定した当初は、トヨタの掲げるコンセプトに対してスバル側が違和感を感じていた場面もあったようです。 最終的には両社の開発陣が強力なタッグを組んで完成させた、初代ZN6型86の開発時の状況を改めて振り返ってみましょう。 決め手となった1台の試作車 2012年に初代が発売された86の開発起源は、2005年のスバルとの業務提携にまで遡ります。両社の提携のシンボルとなり得る車種の開発を目指して、スバルの水平対向エンジンを搭載したFRスポーツという大枠のコンセプトが決定されました。 しかし、トヨタが提示した2Lの自然吸気エンジンのFRスポーツという企画に対して、スバル開発陣は当初は温度差を感じたそうです。長年ターボを装備したハイパワー水平対向エンジンと4WDという最強の組み合わせに価値を見出していたため、トヨタの開発哲学に違和感があったのかもしれません。 両社が一歩を踏み出すきっかけになったのは、レガシィをベースに製作したFRの試作車です。水平対向エンジン+FRスポーツの可能性を探るために、手作りともいえる手法で製作されました。実際に形にしたことで水平対向エンジンが新しい領域を切り開く可能性をスバルが感じたため、プロジェクトは一気に本格的な開発フェーズに移行します。 コンセプトカーを段階的に公開 車輌デザインを担当していたトヨタは、2009年の東京モーターショーで「FT-86 コンセプト」を発表します。このコンセプトカーの時点で、スバル製の2Lの水平対向エンジンを採用することも発表されました。 続く2010年の東京オートサロンでは、「FT-86 G スポーツコンセプト」を公開。東京モーターショーで発表したFT-86 コンセプトに、エアロやターボチャージャーでカスタマイズが施されていました。 さらに2011年のスイス・ジュネーブモーターショーでは、市販化に向けたデザインスタディとして「FT-86 II コンセプト」を発表します。また、同モーターショーでスバルが公開した「BOXERスポーツカーアーキテクチャ」も話題を呼びました。水平対向エンジンとFRのメカニズムをスケルトンの車体に搭載するという、技術コンセプトモデルとしての展示でした。トヨタのFT-86 II コンセプトとスバルのBOXERスポーツカーアーキテクチャを合わせると新車の全体像が見えてくるという、共同開発ならではの心にくい演出です。 スタートダッシュを決めて地位を確立 発売前から段階的にコンセプトカーが公開されて期待が高まっていたこともあり、86は発売直後から一気に注目を集めます。また、発売直後のレースで結果を残したことで、スポーツカーとしての実力を強烈に印象付けました。 続いて、86の人気と実力の高さをうかがうことができる、当初の販売台数とレースでの結果を紹介します。 計画の7倍にも達した販売台数 86発売当初の目標では、月間販売台数は1,000台だったといわれています。しかし、発売初月には約7,000台を売り上げ、年間での販売台数は2万2,510台にも達しました。翌年の2013年にも、1万2,400台を販売しています。 86が発売された2012年ごろは、多くのメーカーのラインナップからスポーツカーが消えていました。歴史のあるGT-Rのように従来からファンのついているモデルならまだしも、まったくの新車種が市場でユーザーを掴んだのは驚異的なことです。 発売翌月のレースで早くも結果を残す 86が発売されたのは2012年の4月ですが、5月にドイツのニュルブルクリンクで開催された24時間耐久レースでいきなりクラス優勝を果たします。記念すべき第40回大会という歴史あるレースで、新型車が優勝したことで世界からも注目を集めました。 また、全日本ラリーや全日本ジムカーナなどでも数々の優勝を果たしており、基本性能の高さをうかがい知れます。過酷なレースの世界での活躍によって、86のスポーツカーとしての評価をさらに高めました。 トヨタとしてのアイデンティティも表現 業務提携というビジネス上の思惑ありきではなく、2社の開発陣が文字通り「共同」で開発したことで86の完成度は高まりました。一方で、トヨタが販売する86には、AE86のDNAも組み込まれています。 基本設計は共同開発ながら、サスペンションや細部の最終的なチューニングは各メーカに委ねられました。トヨタは、AE86を彷彿とさせる、FRらしい旋回性能重視の乗り味に調整。また、極端な味付けをせず、ユーザーが好みにチューニングして仕上げていくという点もAE86と同様です。 スポーツカー不遇の時代に風穴を開けた初代ZN6型86は、現行型が進化し続けても特別な存在であり続けるでしょう。
マツダ FD3S型RX-7は、「ワイド&ロー」「ロングノーズショートデッキ」といったスポーツカーに欠かせない外観要素を備えたモデルです。しかし、RX-7の本当の魅力は、個性的な外観ではなく磨き上げられた運動性能にあります。 そこで今回は、FD3S型RX-7が誕生した背景と進化の軌跡を紹介します。 登場後も進化し続けたRX-7 FD3S型RX-7は、12年の販売期間の間、1度もフルモデルチェンジをしませんでした。製品サイクルの短くなりつつあった1990年代以降のモデルとしては、かなり珍しいことです。 基本設計がしっかりしていたからこそロングライフが実現した、FD3Sの開発の背景を振り返ってみましょう。 先代から正統進化を遂げた 3代目RX-7のFD3S型は、6年ぶりのフルモデルチェンジを果たして1991年に登場します。初代から続いた「サバンナ」の呼称がなくなり、当時の販売チャネルを冠した「アンフィニ RX-7」という名称に改められました。 「世界最速のハンドリングマシン」というコンセプトで開発されたモデルで、先代のFC3S型で強めたピュアスポーツという性格を完成の域にまで高めています。 なお、1997年にはマツダの販売チャネルが統合されたこと受け、「マツダ RX-7」に改められました。 意欲的にマイナーチェンジを重ねた FD3Sには、1〜6型までの合計6種類があります。さらに大きく3つの時期に分類され、1~3型が前期型、4型が中期型、5~6型が後期型です。また、各モデルで数多くの特別仕様車も投入されました。 初期モデルの販売台数が思うように伸びなかったなか、発売2年後の1993年に登場したのが2型です。内外装の改良に加え、タイプR2という2シーターモデルも投入されました。バブル崩壊の影響が色濃い1995年に誕生した3型では、大幅なプライスダウンが決行されます。これまでは400万円を超えるモデルもラインナップされていましたが、3型では全モデルが300万円台に抑えられました。 中期型と呼ばれる4型は、6種類のモデルでもっとも長く生産されました。デザイン面での大きな変更点は、テールランプがFD3S型を象徴する3連丸型に変更されたことです。また、エンジン周りでも、16ビットECUの採用やエアインテークパイプの材質変更といったアップデートが加えられています。 後期型の5型では、フルモデルチェンジ並みの大幅な変更が加えられました。特に目立ったのは、エンジン出力がついに国内自主規制いっぱいの280psにまで高められたことです。デザイン面では、開口部の大きなフロントバンパーに変更することでクーリングの解決が図られています。さらに、フロントのウィンカー部がコンビネーションランプに変わり、より現代的で洗練されたデザインになりました。最終の6型では、5型で洗練された箇所や仕様をさらに高める形で、内外装とグレード体系に手が加えられています。 ピュアスポーツを追求したRX-7 1980年代後半から、スポーティな走りにラグジュアリー要素を加えたスペシャルティカーの開発に自動車各社は傾倒していきました。しかし、マツダはRX-7の位置づけをピュアスポーツとして、運動性能を徹底的に磨き上げます。 マツダがこだわり抜いた、FD3Sの運動性能の高さについてみていきましょう。 ロータリーエンジンはモデルごとに進化 FD3Sに搭載されたロータリーエンジンの最高出力は、当初は255psでした。1990年初頭だったとはいえ、GT-RやNSXが自主規制いっぱいの280psを達成していたことを考えるとやや物足りない印象です。 しかし、初代登場以降も意欲的にエンジン開発は続けられ、16ビットECUを採用した4型(中期型)では265psにまで引き上げられます。さらに、後期型の5型では、ついに自主規制いっぱいの280psに到達しました。 脅威のパワーウェイトレシオが実現したハンドリング性能 パワーこそライバル車にやや劣っていましたが、FD3Sの魅力はエンジン搭載位置の最適化と軽量化によって実現した高い運動性能でした。徹底的な軽量化を図った結果、1型登場時の最高出力255psでもパワー・ウェイト・レシオ5.0kg/ps以下という難しい指標をクリアしています。 また、エンジンをフロントミッドシップに搭載し、50:50という理想的な前後重量配分を実現しました。さらに、エンジン搭載位置をFC3Sから25mmも下げ、安定したコーナリング性能も手に入れています。 スーパーGTでも証明したロータリーエンジンの実力 ロータリーエンジンのレースでの活躍といえば、1991年の日本メーカー初のルマン優勝です。それから10年以上の時を経て、FD3Sも日本最高峰のツーリングカーレース、スーパーGTでシリーズタイトルを獲得しています。 すでに販売を終了していた2006年のシリーズで、RE雨宮のRX-7がついにシリーズチャンピオンに輝きました。シリーズ2位のRE雨宮RX-7は最終戦の富士での逆転を目指しましたが、途中スピンを喫したこともあり、最終ラップまで逆転でのタイトル獲得は難しい位置でした。しかし、最終ラップのゴール直前で前走車がガス欠になったことで1つ順位が繰り上がり、ポイントでトップチームと並びます。結果的に、規定によってシリーズチャンピオンを獲得しました。 色褪せない個性的なスタイリング フロントからテールエンドまで、流れるような曲線で描かれたボディライン。FD3S型RX-7は、現代のスポーツカーと比較しても見劣りしない、美しさと圧倒的な個性を兼ね備えたモデルです。 また、FD3Sの個性的なデザインは、世界で唯一量産ロータリーエンジンを搭載できるマツダだからこそ実現しました。ハイパワーながら小型という特徴を活かすことで、他メーカーでは真似できない低重心化を成し遂げたのです。ピュアスポーツとしての性能を追い求めたために、長く愛されるスタイリングが生まれたのかもしれません。
元祖和製スーパーカーともいわれる、ホンダ NSX。自然吸気ながらハイパワーを発揮するVTECエンジンをミッドシップに搭載し、独特のスタイリングの軽量高剛性ボディで圧倒的なパフォーマンスを誇りました。 世界のスポーツカーメーカーにまで影響を与えたNSXについて、全日本GT選手権での活躍を中心に振り返ってみましょう。 世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディの国産スーパーカー NSXは、量産車として世界初発のオールアルミ製ボディを採用したスーパーカーです。ハイパワーエンジンをあえて不慣れなミッドシップに搭載し、「新しい時代のスポーツカー」を目指して開発されました。 あのF1ドライバーのアドバイスが完成のきっかけになったともいわれる、NSXの誕生背景を振り返ってみましょう。 アイルトン・セナの一言で完成を迎えた 国産スーパーカーの代表ともいわれるNSXは、アイルトン・セナの一言によって最終的な方向性が決まったといわれています。NSX登場直前の1989年に、アイルトン・セナがプロトタイプのステアリングを握りました。テスト走行の感想として、ボディ剛性を高めたほうがよいというアドバイスをホンダ開発陣に伝えたそうです。この発言をきっかけに、ホンダはドイツのニュルブルクリンクでの徹底的な走り込みを決断しました。 今でこそ市販車開発のテストコースとして有名なニュルブルクリンクですが、当時は現地に長期滞在してテストを実施する日本のメーカーはいませんでした。数ヶ月に及ぶテスト走行で、セナが指摘したボディ剛性を50%も高めることに成功します。ボディ剛性の向上により、スポーツカーとしての運動性能を高めつつ、高級車としての乗り心地も両立させました。結果として、ホンダが目指した「新しい時代のスポーツカー」というコンセプトを体現したモデルになりました。 VTECエンジンをミッドシップ搭載 ミッドシップに搭載されたV6エンジンには、ホンダを象徴する可変バルブ機構のVTECを採用。自然吸気エンジンながら、最高出力は自主規制いっぱいの280psを発揮します。 また、FFの開発を得意としていたホンダですが、NSXではミッドシップレイアウトを採用しています。誰もがドライビングを楽しめる、新時代のスポーツカーを提示したかったためです。 全日本GT選手権で発揮した高い実力 スーパーGTの前身である全日本GT選手権(以下JGTC)で、NSXは13年間の参戦期間で37勝という成績を残しています。参戦自体が後発となってしまったことや、トヨタ スープラ、日産 GT-Rといった競合がひしめいていた時代だったことを考えると輝かしい実績です。 JGTCでのNSXの活躍を、順を追ってみていきましょう。 本格参戦2年目で初優勝を達成 NSXがJGTCに本格的に参戦したのは、選手権発足3年後の1997年です。多くのライバルがハイパワーターボ車だったなかで自然吸気エンジンだったため、空力を中心とした運動性能でカバーする方針を打ち出して開発されました。 参戦初年度は多くのトラブルに見舞われつつも、第5戦のMINE、第6戦のSUGOで連続して2位表彰台を獲得。優勝こそ獲得できませんでしたが、参戦初年度から実力の片鱗を感じさせました。 続く1998年は、開幕戦鈴鹿の予選で上位3位を独占すると、毎戦ポールポジションを獲得します。そして、第4戦の富士で念願の初優勝を成し遂げた後、最終戦までの4戦とも勝ち続け、見事5連勝を飾ります。前半に勝利を重ねられなかったことでタイトルこそ逃したものの、全戦でポールポジションを獲得するという圧倒的な速さをみせつけました。 ランボルギーニと同じ方式の縦置きMR JGTC参戦時は、市販車と同様の横置きのMRレイアウトでした。しかし、2003年に自由なエンジンレイアウトが認められたことで、利点の多い縦置きへの変更に踏み切ります。 しかも、ただの縦置きではなく、ランボルギーニと同じ前後を逆に配置してトランスミッションが前方にくるレイアウトを採用。ウェイトハンデや実質的な空力規制といったミッドシップに不利な規制改定がされるなか、少しでも前後重量バランスを改善することが目的でした。 苦心の末に獲得した最後のタイトル NSXは参戦全105戦中、5割弱に及ぶ50回ものポールポジションを獲得しました。また、優勝を37回も数えていることからも、NSXの実力の高さがうかがえます。しかし、意外にもタイトルの獲得は、2000年と2007年の2度のみに終わりました。 特に2000年のタイトル初獲得以降は、度重なる仕様変更に苦心していたことがわかります。先のエンジンレイアウトの変更、自然吸気へのこだわりを捨ててターボエンジンを投入するといった多くの対策を講じたものの、思うような結果にはつながりませんでした。 しかし、最終的には自然吸気エンジンに回帰した結果、2007年シーズン開幕戦ではNSX勢が予選で上位4位を独占。シーズンを通じて速さを発揮し、2度目となるタイトルを獲得しました。 スポーツカーの時代を変えたNSX NSXの登場は、フェラーリやポルシェといった名だたるスポーツカーメーカーのアプローチを変えたともいわれています。オールアルミ製ボディの採用、アイルトン・セナの発言をきっかけに突き詰められた高剛性化によって、ミッドシップ本来の運動性能の高さを最大限に発揮するモデルとして誕生したNSX。 スポーツカーらしい人馬一体の操作感に加え、乗る人を選ばない運転のしやすさと乗り心地を両立しました。従来のスポーツカーは乗り手の技術を要求する存在でしたが、誰でも運転できるという新ジャンルを切り開いたのがNSXです。高性能で速いのに乗りやすいという現代のスポーツカーは、NSXの存在がなければ実現していなかったのかも知れません。
特徴的な大型リアウィングと左右に大きく張り出したフェンダーが特徴的な三菱 パジェロ エボリューション。外観だけでなく、チューニングされたV6エンジンによる高いパフォーマンスも高く評価されているモデルです。 今回は、三菱の開発陣がダカール・ラリーで勝つためにこだわって作り込んだ、パジェロ エボリューションの誕生背景と魅力を紹介します。 1レースに勝つためだけに誕生したパジェロ エボリューション 三菱の「エボリューション」といえば、WRCを戦ったランサー エボリューション(通称:ランエボ)があります。同じくレースを制するために開発されたモデルが、パジェロ エボリューションです。しかし、ランエボがシリーズ戦での勝利を目的としていたのに対して、パジェロ エボリューションはダカールラリーただ1戦に勝つために開発されました。 たった1つのレースにかけた三菱の情熱がつまった、パジェロ エボリューションの誕生背景を振り返ってみましょう。 新レギュレーション対応のために開発 パジェロ エボリューションが登場した1997年から主催者が規定を変更し、メーカーは市販車ベースで改造範囲の狭いT2車輌でのみ参戦可能となりました。また、ガソリンエンジンの過給機使用が全面的に禁止されます。三菱は規定内の改造を施したパジェロを1997年のレースに投入すると同時に、翌年以降のホモロゲーション取得のためにパジェロ エボリューションを開発しました。 改造範囲が限られるため、パジェロは市販車の段階で強くレースを意識した仕様になっていました。例えば、当時のクロスカントリー車のリアサスペンションとして一般的だったリジット式ではなく、4輪独立懸架のダブルウィッシュボーン式を採用しています。また、エンジンには可変バルブタイミング機構を備え、全域でのトルクフルな加速を実現しました。 投入初年度から圧倒的な速さをみせた パジェロ エボリューションは、投入初年度の1998年に期待通りの成績を残します。優勝を飾ったJ-P. フォントネを筆頭に、3位まで表彰台を独占。前年にパジェロで日本人で初めてダカール・ラリーを制した篠塚氏も2位を獲得しています。 翌1999年は優勝こそ逃したものの、2位から4位までの上位を独占して存在感を示しました。また、優勝したのはプロトタイプのシュレッサーバギーだったことを考えると、パジェロ エボリューションが市販車ベースとしては無類の速さを誇っていたことがわかります。 市販モデルも抜群の個性と存在感を発揮 レースで輝かしい実績を残したパジェロ エボリューションですが、単に市販車としてみても個性的で魅力あふれるSUVです。 続いて、パジェロ エボリューションの魅力を紹介します。 NAながら280psを発揮したMIVECエンジン パジェロ エボリューションの圧倒的なパフォーマンスを支えたのは、三菱の可変バルブ技術MIVECを搭載した6G74型3.5LのV型6気筒エンジンです。過給機禁止のレギュレーションへの対応で、自然吸気エンジンながら最高出力は自主規制いっぱいの280ps、最大トルクは35.5kgmを発揮します。 また、過酷なラリーでの信頼性を高めるため、チタン製バルブリテーナー、中空吸気バルブ、ナトリウム封入排気バルブといった細かい点まで突き詰められました。さらに、エンジンの高出力化に対応するため、トランスミッションも剛性強化とセッティング変更が施されています。 空力性能を追求した迫力のエアロボディ レースでの空力性能を強く意識したエアロボディもパジェロ エボリューションの特徴です。WRCに参戦していたランサー エボリューションのように、個性的なエアロパーツを備えています。 大幅に広げられた前後のフェンダー、エアロバンパー、大型の個性的なリアスポイラーが「エボリューション」を主張するポイントです。さらに、フロント部の開口部と大型のボンネットエアインテークは、エンジンの冷却効率を追求した結果の機能美だといえます。 フラッグシップモデルにふさわしいインテリア ダカール・ラリーで勝つために開発されたものの、パジェロシリーズのフラッグシップモデルという肩書きにふさわしい内装もパジェロ エボリューションの特徴です。本革巻きのステアリングやメーターベゼルやエアコンの吹出口などに配されたカーボン調のパネルといった装備は、所有するドライバーの満足度を高めます。 また、フルオートエアコンやキーレスエントリーに加え、フロントにはホールド性の高いレカロ社製のシートが装備されるなど、日常使いからロングドライブまで快適にこなせる1台に仕上がっています。 初代限りの生産だった希少性の高いモデル パジェロ エボリューションは、1997年に発売された初代のみで生産を終了しました。もともとホモロゲーション取得のために販売されたということもあり、生産台数もわずか2,693台といわれています。パジェロシリーズのなかでも、特に希少性の高いモデルです。 新車価格は374万円(5MT車)という、優れた性能と現在のSUVの価格水準から考えると大変コストパフォーマンスに優れたモデルでした。しかし、その希少性の高さから、現在の中古車市場ではプレミア化しつつあり、高値で取引されるケースが増えているようです。ダカール・ラリーで残した輝かしい実績も影響して、今後価値がさらに高まっていくかもしれません。
一般的な2ボックスのホットハッチというフォルムながら、ミッドシップ4WDという個性的なドライブトレインをもつプジョー 205 ターボ16。WRCで勝つために開発され、圧倒的な速さで期待に応えたプジョーの歴史のなかで燦然と輝く名車です。 そこで今回は、プジョー 205 ターボ16が誕生した背景とWRCでの活躍について詳しく紹介します。 プジョーの歴史を作り上げた205 ターボ16 205 ターボ16は2年連続でタイトル獲得を成し遂げ、プジョーの実力の高さを見せつけたモデルです。WRCにおいて、プジョーは1970年代の限定的な活躍に留まっていましたが、205 ターボ16が歴史を大きく変えました。 あのジャン・トッドをトップに迎えたプジョー・タルボ・スポールが開発した205 ターボ16の概要を振り返ってみましょう。 空前の大ヒットモデル・205の人気を支えたターボ16 205 ターボ16は、同時期に登場した205をベースに開発されました。「新型ラリーカーは、開発中の205に似ていなければいけない」と、当時のプジョー社長、ボワローから要求されていたためです。 205 ターボ16の開発には、プジョーのモータースポーツ部門として設立されたプジョー・タルボ・スポールがあたりました。WRCで勝つべく中身はまったくの別物でしたが、社長の要求通り205の外観イメージを踏襲したマシンに仕上げられています。205が熱い支持を得た理由の1つが、圧倒的なパフォーマンスを誇る205 ターボ16の存在だと言ってもよいかもしれません。 プジョー・タルボ・スポールを設立したジャン・トッド 205 ターボ16の誕生に欠かせなかった人物が、ジャン・トッドです。のちにF1でのフェラーリ躍進の立役者となり、FIAの9代目会長まで務めた彼が、プジョー・タルボ・スポールを設立しました。 205 ターボ16の開発にあたって、ジャン・トッドは大胆なアプローチを行います。左右のドアと前後ウィンドウ、ルーフの前部を205と共有しつつ、パワーユニットをミッドシップに搭載する4WD仕様への変更を成し遂げました。 WRCで圧倒的な強さを証明 当時のWRCでは、アウディ クアトロが4WDで圧倒的な速さを誇っていました。しかし、205 ターボ16は、1984年の投入初年度から早速実力の高さを証明します。デビュー戦こそリタイヤに終わるものの、シーズン半ばから1000湖ラリー、サンレモラリー、RACラリーで3連勝を飾りました。 翌1985年シーズンでは、マニュファクチャラーとドライバータイトルをダブル獲得。さらに、続く1986年にも猛追するランチア デルタS4を制して、2年連続でダブルタイトルを手にしました。 WRCで勝つべく磨き上げられた205 ターボ16 205 ターボ16は、WRCで勝つために作られたモデルです。一方で、ベース車の見た目を踏襲するという限られた条件も課せられていました。 圧倒的なパワーと個性的な外装を備えた、205 ターボ16の魅力をみていきましょう。 圧倒的な戦闘力を発揮したパワートレイン 運転席後方に横置きで配置された直列4気筒DOHCエンジンは、一般発売された公道仕様でも最高出力200ps、最大トルク26.0kg・mを発揮。KKK製ターボチャージャー、ボッシュ製Kジェトロニック、空冷インタークーラーを備え、レース仕様では205T16エボリューション1で350ps、エボリューション2で450psを発生したともいわれています。 生み出された強大なパワーは、5MTのギアボックスからフルタイム4WDのトルク配分を司るファーガソン・システムに至ります。トルクを余すことなく路面に伝達するため、足回りは4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションで固められました。 専用設計された個性的な外装 205の外観イメージを踏襲している一方で、205 ターボ16専用の外装パーツも数々装備されています。もっとも目を引くのが、前後に大きく張り出したブリスターフェンダーです。特にリアフェンダーには大型のエアインテークがデザインされ、ミッドシップレイアウトを象徴しています。 ボンネットに開けられた大型のエアアウトレットやリアスポイラーも、レーシーな雰囲気を高めるポイントです。左右のドアはベース車輌を踏襲した標準的なデザインだけに、モデファイされた部分がさらに際立ちます。 グループB終焉のきっかけにもなったモンスターマシン 205 ターボ16は見た目こそ市販車と同じですが、中身は全く別物のモンスターマシンです。当時のWRC グループBでは、プジョーに限らず、ランチアやアウディも同様のアプローチでマシン製作を行っていて、最高出力は500psを大きく上回っていたともいわれています。 市販車ベースに強大なパワーユニットを搭載することで、レースがエキサイティングになるのと同時に、ドライバーの危険性が高まります。実際、1985年のアルゼンチンでは、プジョーのエースドライバーがアクシデントで大怪我を負っています。さらに、1986年には、プジョーと死闘を繰り広げていたランチアの若きエースドライバーであったヘンリ・トイヴォネンが事故により他界しました。WRCは多くの痛ましい事故の発生を重く受け止め、グループBの廃止を決定します。 結果的に、205 ターボ16は、プジョーが持てる技術を最大限詰め込んで開発した最後のモンスターマシンになりました。グループB時代を締めくくる象徴として、205 ターボ16は今後も語り継がれていくことでしょう。
3ドアコンパクトカーでありながらミッドシップレイアウトを採用した、ルノーのサンクターボ。WRCのホモロゲーション取得のため大衆車のサンクをベースに1980年代に開発されました。 本記事では、個性的なレイアウトと外観、レースで勝てる確かな性能を備えたサンクターボについて詳しく解説します。 WRCで勝つために生まれたルノー 5ターボ ルノー 5(サンク)は、先進的なデザインと高い実用性によって欧州でベストセラーになった大衆車です。サンクをベースに開発されたサンクターボは、レースで勝つことを目的に生まれました。 大胆な設計変更を加えて開発された、サンクターボの誕生を振り返ってみましょう。 ベース車輌の後席を取り払ってエンジンを搭載 サンクターボは、ベース車輌のサンク発売から8年後の1980年に登場しました。サンクはもともとFFの大衆車でしたが、サンクターボでは後輪駆動、しかもMRに変更されています。3ドアハッチバックの後席を取り払ったスペースにエンジンを搭載するという、思い切った設計によって実現しました。WRCで勝つという、ルノーの強い意志を感じるレイアウトです。 エンジンには、5アルピーヌのエンジンをベースに開発した、水冷式直列4気筒 1397cc OHVユニットを採用。ギャレット製インタークーラー付ターボチャージャーを搭載し、最高出力160ps/6,000rpm、最大トルク22.5kgm/3,250rpmを発揮します。 しっかりと作り込まれた基本設計 サンクターボの特徴は、個性的なエンジンの搭載位置だけではありません。WRCでしっかりと戦えるよう、基本設計もしっかりと詰められていました。サスペンションにはダブルウィッシュボーン方式を採用し、タイヤは前後でサイズが異なり、フロント190/55VR340、リア220/55VR365を装着します。 また、ルーフやドア、テールゲートがアルミ製で、そのほかのパネルにも薄い鋼板が使われている点も、ルノーがレースでの勝利にこだわっていたことがうかがえるポイントです。もともとコンパクトなサンクに、さらなる軽量化が施されました。 ターボ車としてのWRC初勝利を飾る サンクターボは、WRC史上初めてターボ車が勝利を挙げたモデルです。WRCでの勝利を目指して開発され、タイトルこそ獲得できなかったものの、歴史に名を残す活躍をしました。 まず、グループ4時代の1981年開幕戦モンテカルロで、いきなりの初優勝。翌年の1982年ツール・ド・コルスでは、2勝目をあげて実力の高さを証明します。さらに、グループB時代に突入後も、1985年のツール・ド・コルス、1986年のポルトガルでそれぞれ勝利を挙げ、合計4勝を挙げました。 性能面以外も個性的だった WRCで実力を証明したサンクターボですが、ロードカーとしても魅力あふれるモデルです。迫力のある外観、有名デザイナーによる内装など、個性的で特別感のある1台に仕上げられました。 ここからは、性能面以外でのサンクターボの魅力をみていきましょう。 大衆車がベースとは思えない迫力ある外観 サンクターボで真っ先に目を奪われるのは、リアの大きく張り出したフェンダーです。フロント、リアともにブリスターフェンダーではありますが、リア形状が醸し出す迫力は唯一無二だといえるでしょう。また、フェンダー前部に設けられたエアインテークも、戦うマシンであることを主張しています。 一方で、フロント周りを中心に、サンクのイメージを踏襲している点もサンクターボのアイデンティティです。大衆コンパクトカーのスタイリングを維持しながら、戦闘力をあげる工夫が随所に凝らされています。 マリオ・ベリーニが担当した内装 ホモロゲーション取得のために開発されたサンクターボですが、市販車としての質感にも徹底的にこだわっています。内装デザインを担当したのは、イタリアの有名デザイナーマリオ・ベリーニです。 独特の真っ赤なシートやダッシュボードが大きな話題を呼びました。性能や外観に負けない内装のデザイン性の高さも、サンクターボの大きな魅力です。 こだわりのターボ1とコスパのターボ2 サンクターボには、ターボ1とターボ2の2種類があります。ターボ1は、最初に開発されたモデルということもあり、マリオ・ベリーニが手掛けた内装も含めて性能だけでなく質感も高められています。 一方のターボ2は、実用的な内装を組み合わせて生産性をあげることで、ターボ1よりも25%も安価な価格設定を実現したコスパの高いモデルです。 ターボ1が1,820台、ターボ2は3,167台が生産されました。価格が安かったため生産台数が伸びたターボ2ですが、中古車で入手するのであれば質感の高いターボ1がおすすめです。 輸入車ということもあって流通台数は少ない サンクターボは、ターボ1、2合わせても5,000台ほどしか販売されていないため、残存数はわずかです。しかも、正規輸入された台数は限られていたため、日本国内ではあまり流通していません。 希少性の高さから、新車時には安価に設定されたターボ2も、価値ある1台として評価されています。 【まとめ】サンクターボを売却するなら修理・修復の仕組みのある買取業者に サンクターボの歴史と魅力について紹介しました。 WRCの歴史に功績を残した名誉あるモデルでありながら、現存数は少なく、年々希少価値が高まっています。また、40年前のクルマであるために、ダメージが蓄積された個体が多いのが現状です。 希少性が高いクルマであるにもかかわらず、コンディションが理由で査定額が下がってしまうのは大変もったいないことです。サンクターボを売却をご検討されているのであれば、古いクルマを修理・修復する仕組みが整っている業者に依頼しましょう。自社でクルマのコンディションを蘇らせることができる会社であれば、故障している個体であっても査定額が下がりにくい傾向にあります。 レース史に名を刻んだ名車であるからこそ、慎重な売却先の選定をおすすめします。 なお、本メディアの運営元である「旧車王」では、10年以上経過したクルマに特化して買取を行っているのみならず、お客様からお譲りいただいたクルマを修理・修復して市場へ再流通させています。長年乗り続けて故障しているクルマであっても丁寧に査定いたしますので、売却先にお悩みの方はぜひご相談ください。