「スパルタン」とも評される日産 R32型GT-R。無駄が削ぎ落とされたボディデザインや大型のリアウィングなど見た目の印象が強いクルマですが、世間での評価通り機能性を追求した末に生まれた高性能スポーツカーです。 レース仕様を意識して開発されたエンジンなど、勝つための工夫が随所に凝らされたR32型GT-Rの誕生背景と実力を振り返ってみましょう。 レースで勝つために作られたR32型GT-R 1985年に始まった日本国内のグループA規定のレース、JTC(Japan Touringcar Championship)で思うような結果が残せていなかった日産は、「サーキットレースで勝てなければスカイラインの存在価値はない」とGT-R復活への決意を固めます。 スカイライン 2000GT-R以来16年ぶりに登場した、R32型GT-Rの誕生背景を振り返ってみましょう。 16年ぶりに復活したGT-Rの称号 スカイラインは、1989年にR32型へのフルモデルチェンジを果たします。同時に、1973年以来16年ぶりにGT-Rのグレードが復活しました。このタイミングでのGT-Rの復活には、単なる最上位グレードの設定ではなく、「レースで勝つ」という明確な目的がありました。 「GT-R」とは、「GrandTouring」と「Race」を意味しているといわれています。しかし、直接的にレースを意識して開発されたGT-Rは、初代PGC/KPGC10型とR32型の2モデルのみです。 あらゆる造形がグループAを意識していた グループA規定は市販車からの改造範囲が狭く、性能向上のために基本構造を変更することができません。そこで、R32型GT-Rは、あらゆる部分がレースへの参戦を前提に設計されました。特に外装部分の造形は、スポーツカーとしての見た目ではなく機能性に重点が置かれています。 例えば、フロントの大きな開口部とバンパーの特徴的なエアインレットは、冷却性能を最大限に高めることが目的です。加えて、ワイドホイールを使用する目的で採用されたブリスターフェンダーの存在もR32型GT-Rの魅力を語るうえで欠かせません。大径ホイールの装着が実現したためにグリップ力が向上し、走行性能にさらなる磨きがかかりました。。 圧倒的な速さを実現した2つの要素 R32型GT-Rは、当初の開発目的どおりレースで無類の速さを見せつけます。高い戦闘力に直接的に影響したのは、エンジンと先進的な駆動システムです。 レースでの結果も交えて、R32型GT-Rの実力を再確認してみましょう。 速すぎたRB26DETT R32型GT-Rに搭載されたのは、新開発のRB26DETTエンジンです。市販車の最高出力は、自主規制いっぱいの280ps。さらにレース仕様では、600ps+αのパワーを発揮したといわれています。 R32型がいかにレースを意識して設計されていたのかがわかるポイントが、エンジンの燃焼室の形状です。実は、RB26DETTの燃焼室は、市販車に適した形状ではありません。レースで高過給圧仕様にして圧縮比を下げた際に、最適になるように設計されています。 さらに、このエンジンの実力の高さをうかがわせるエピソードが残っています。当初、レース仕様の過給圧は1.6kgf/cm2を想定していました。しかし、他車が相手にならないほどの圧倒的な速さになることが判明し、何らかのハンディを課せられることをおそれた日産は過給圧の引き下げを決断したそうです。最終的な過給圧は、1.4kgf/cm2まで下げられました。 直線でもコーナリングでもライバルを引き離すアテーサET-S 高出力エンジンのパワーを余すことなく地面に伝えるアテーサET-Sも、GT-Rの圧倒的な速さを支えました。GT-Rの駆動方式は一般的に4WDだと認識されていますが、正確には後輪駆動がベースのパートタイム4WDです。 アテーサET-Sは、後輪のトルクが過大になるシチュエーションで湿式クラッチを介して前輪にもトルクを配分します。湿式クラッチを電子制御することで、0:100〜50:50の広範囲でシチュエーションに応じた最適なトルク配分を実現しました。 4年間負けなしの29連勝という大記録を樹立 R32型GT-Rは、開発の目的通りレース参戦直後から無類の強さを発揮します。市販の翌年にJTCに投入されると、1990年から1993年の4シーズンにわたって負け知らずの29連勝という大記録を打ち立てました。 最終年の1993年には7〜8台のGT-Rが出場していましたが他車を寄せ付けない速さだったため、GT-R同士の熾烈な順位争いが常に繰り広げられました。同型車同士の争いだっただけに、クルマとしての速さはあってもなかなか表彰台を獲得できないチームもありました。 特に1992年のRd.3 SUGOでのレースは、GT-Rを擁するチーム間での争いがいかに過酷だったのかがわかります。師と仰ぐ高橋国光氏とSTPタイサンGT-Rでチームを組む土屋圭市氏は、念願の3位表彰台を獲得しました。高橋氏の他界後に「オレが国さんをグループAの表彰台に上げる!」という固い決意をもってレースに臨んだことを土屋氏は語っています。 販売台数からわかる圧倒的な人気ぶり レースでの速さだけではなく、R32型GT-Rは商業的にも成功したモデルです。最上位グレードという位置づけにも関わらず、販売台数は4万3,934台にものぼりました。後継のR33型が1万6,422台、R34型が1万1,345台に留まったことからも、いかに驚異的な販売台数だったのかがわかります。 GT-Rには数々のモデルがありますが、初代と同等かそれ以上に特別視されているのがR32型です。エンジンのスペックやニュルブルクリンクでのタイムなど絶対的な性能は後発モデルのほうが向上していますが、R32型GT-Rにこだわるユーザーは少なくありません。販売終了からでもすでに30年以上が経過し年々残存台数は減ってきていますが、不滅の記録を打ち立てた歴史的なクルマとして後世に永く語り継がれていくでしょう。
風を切りながら走る爽快感を、軽自動車ながら存分に味わえるホンダ ビート。わずか一世代しか生産されなかったにも関わらず、現在でも多くのファンの心を掴んでいるクルマです。 そこで今回は、ビートに込められたホンダ開発陣のこだわりと、今も愛される理由を徹底的に紹介します。 ビートは初物づくしのすごい軽自動車 1990年代に登場したビートは、「初」という冠のつく仕様が多数盛り込まれた画期的なモデルでした。しかし、初採用の仕様の数々は決して奇をてらったものではなく、ホンダがこだわり抜いて開発した結果です。 まずは、ビートの仕様を改めて振り返ってみましょう。 世界初のミッドシップフルオープンモノコックボディ 1991年に発売されたビートは、量産車として世界で初めてミッドシップレイアウトとフルオープンモノコックボディを採用したモデルです。普通車でも存在しなかった世界初の仕様を、軽自動車で実現した点にホンダの高い技術力がうかがえます。 まず、ミッドシップレイアウトを軽自動車で設計するのは、容易なことではありません。ボディサイズが規格で決められているため、限られたスペースのなかで座席後部にエンジンを配置する必要があります。 さらに、フルオープンという仕様も、本格スポーツという方向性の軽自動車で実現するのは困難です。排気量の小さなエンジンで十分な走行性能を発揮するには、ボディの軽量化は欠かせません。しかし、ボディ剛性を確保しておかないと、キビキビとしたハンドリング性能が犠牲になってしまいます。そこでホンダは、主要なボディパーツの板厚をアップしつつ入力部分に効果的に補強材をいれることで、ビートの高い剛性を実現しました。 軽自動車で初めての仕様を詰め込んだ、ホンダのこだわり ビートには、軽自動車初の仕様が数多く採用されました。なかでも注目したいのは、フロント13インチとリア14インチの異径ホイールです。ミッドシップレイアウトによってリア側の重量が増した分、ホイールサイズを前後で変えることで重量バランスの最適化が図られています。 なお、ミッドシップレイアウトを軽自動車に採用したのもビートが初めてです。さらに、4輪ディスクブレーキ、SRSエアバックも軽自動車としては初の装備でした。 また、単なる軽自動車ではない、本格スポーツとしてのこだわりも随所にみられます。例えば、トランスミッションは5速MTのみが設定されています。日常の足という軽自動車本来の利便性を考えるとATを用意したほうが販売台数を伸ばせたはずですが、あえて5MTのみに限定し、走りを最大限に楽しめるモデルとしてリリースされました。 他にも、エンジン出力が犠牲になるパワーステアリングは装備しておらず、万人受けする利便性より走行性能を重視していたことがわかります。 ビートが今も愛されている理由 軽自動車初の仕様が数多く採用されたビートですが、他の高性能スポーツカーに比べて特別優位な点はあまり見当たりません。しかし、現在も中古車市場では活発に取引され、多くの人が大切に乗り続けています。 ビートがなぜ今も愛されているのか、2つのポイントで探っていきましょう。 F1の技術がフィードバックされた自然吸気エンジン ビートに搭載されているE07A型エンジンは、トゥデイやライフなどにも搭載される汎用エンジンです。しかし、ビートに搭載するにあたって、F1のテクノロジーを応用した技術で徹底的なチューニングが施されました。自然吸気エンジンながら、軽自動車の自主規制いっぱいの64psを発揮します。 E07A型エンジンで特筆すべきは、普通車でもあまり採用されていない3連スロットルです。気筒ごとに独立したスロットルを設けることで、吸気効率を高めています。さらに、レスポンスとアイドリングを両立するために、2つの燃料噴射制御マップを切り換える方式が採用されました。このホンダ独自のエンジンシステムは、「MTREC」(Multi Throttle Responsive Engine Control System)と呼ばれています。 ミッドシップレイアウトというスペース的な問題もあったのかもしれませんが、ターボに頼らないというホンダのエンジンへのこだわりは、ビートが愛されている理由の1つでしょう。 クルマを操る楽しさを追求 ビートは、実際に運転してみるとそれほど速いと感じるクルマではありません。最高出力の64psを発生するのは8,100rpmと極めて高い回転数で、ターボ車のような爆発的な加速力はないためです。 しかし、軽自動車というサイズとミッドシップレイアウトを活かした、キビキビとしたハンドリング性能はビートでなければ味わえません。また、8,000回転以上まで到達するエンジンは、スポーツカーに乗っているという感覚を満足させるには十分です。 絶対的な速さではなく、手足のようにクルマを扱える感覚こそが人々を惹きつける魅力なのでしょう。 残存台数の多さから今も愛されていることがわかる ビートは1991年から1996年の1世代しか生産されず、販売台数はそれほど伸びませんでした。デビュー当時は、前年発売されたNSXと同様のミッドシップレイアウトというイメージ戦略と138万8,000円という手頃な価格から予約が殺到。しかし、1990年代の「RVブーム」のあおりを受けて販売台数が伸び悩み、最終的な生産台数は3万3,892台にとどまりました。 一方で、2021年12月時点で日本全国に残るビートは、1万7,072台にものぼるという情報もあります。生産終了から30年近くを経ても、なお半数以上が残っているのは驚異的です。軽自動車規格の2シーターという日常的には使い勝手の悪いパッケージのうえ、5MTでパワステはなしという快適性もないモデルですが、今も多くの人に愛されていることを残存台数が証明しています。
販売終了から20年以上が経過しているにも関わらず、現在でもプロドリフト競技でも活躍するJZX100 チェイサー。いわゆる100系チェイサーと呼ばれるこのモデルは、スポーツグレードのツアラーVを筆頭に、スポーツ性能の高さにより人気を集めました。 本記事では、ツアラーVを中心に100系チェイサーの特徴と魅力を紹介します。 フルモデルチェンジでマークⅡと人気を二分した100系チェイサー マークⅡ3兄弟と呼ばれるように、90系までのシリーズの中心はマークⅡでした。チェイサーは、3兄弟のなかでもっとも人気が低かったといわれていますが、100系では、マークⅡと人気を二分するほどの存在感を放ちました。 マークⅡやクレスタとは違う性格をもたせて成功した、チェイサーの開発背景について振り返ってみましょう。 チェイサー最後のモデルはスポーティーさを意識して開発された チェイサーは1996年に100系へとフルモデルチェンジし、明確なスポーティーモデルに進化しました。また、マークⅡの次モデルでは3兄弟体制が解体されて発売されなかったため、結果的に100系がチェイサー最後のモデルになりました。 マークⅡやクレスタとのもっとも大きな違いは、前後のオーバーハングが切り詰められている点です。オーバーハングが長く安心感を与える2台に対して、運転のしやすさや俊敏性につながる設計にしたことでスポーティモデルという位置づけを明確にしています。 また、BMW E36型3シリーズに似ているといわれる4灯ヘッドライトの形状やリアスポイラーなどが取り付けられた端正な見た目も、100系チェイサーを象徴するポイントです。 上級モデルという車格にふさわしい装備 高級サルーンとしての充実した装備も、100系のマークⅡ3兄弟の魅力です。100系が登場したのは「セダン・イノベーション」を掲げてトヨタがセダンの充実に取り組んでいた時期で、従来よりも装備が豪華になっていました。 エアコンのルーバーが自動で左右に動くオートスイング機構や、自発光するオプティトロンメーターといった上位モデルの装備までも盛り込まれていました。さらに、トヨタ車初となるディスチャージヘッドライト(HID)やシリーズで初めて衝突安全ボディ「GOA」を採用するなど、先進性も高められています。 100系チェイサーの性格がもっとも色濃く反映されたツアラーV 数あるチェイサーのグレードのなかで、「ツアラーV」がスポーティさをもっとも反映したモデルです。名機と呼ばれる1JZ-GTEエンジンを搭載し、レースでも輝かしい実績を残しました。 ここでは、100系チェイサーを代表するグレード、ツアラーVの魅力を掘り下げます。 90系から性能アップを遂げた1JZ-GTE 100系チェイサーのエンジンは、先代90系に引き続き1JZ-GTEでした。しかし、型式こそ同様ですが、100系に搭載されたエンジンは大幅な進化を遂げています。 最高出力は自主規制いっぱいの280psのままですが、ツインターボからシングルタービンに変更したことで最大トルクを37.0kgmから38.5kgmにまで向上させました。さらに、シリンダーヘッドにはVVT-iと呼ばれる可変バルブタイミング機構を搭載。全回転域で連続して吸気バルブのオーバーラップ量を変化させることで、出力特性と燃費性能の向上が図られています。 セダンなのにLSDまで装備 チェイサー ツアラーVには、トルセン型LSDまで装備されていました。(AT車はメーカーオプション)LSDとは、ディファレンシャルギアの差動を制御する装置です。 ディファレンシャルギアはコーナリングで生じる内輪と外輪の回転差を吸収できる一方、吸収した回転差分のトルクは失われてしまいます。常にクルマを前に進めたいスポーツ走行において、トルクのロスが発生するのは致命的です。そこで、LSDでディファレンシャルギアの動作を抑えることで、トルクロスを低減させます。 一方、ディファレンシャルギアの働きを抑制するため、通常走行時の回頭性や乗り心地が犠牲になってしまう点がLSDのデメリットです。乗り心地を重視する高級セダンなのにLSDが装備されている点からも、チェイサー ツアラーVがいかに運動性能を重視していたのかがわかります。 ドリフトだけでなくレースでも示した高いポテンシャル 100系チェイサーに対して、ドリフト車というイメージを持つ方も少なくありません。事実、多くのドリフトユーザーから愛されて、現在でも競技で使用されています。最近では、フォーミュラドリフトジャパン2023で、チームオレンジのKANTA選手(柳杭田貫太選手)がチャンピオンの座に輝きました。 一方で、短期間しか参戦していないためにあまり語られませんが、レーシングカーとしても高い実力をもつモデルです。1997年からわずか2年間しか参戦していないものの、JTCC最終年の1998年にチャンピオンを獲得しています。1997年シーズンの最終戦、インターTECでは、つちやエンジニアリングのチェイサーのステアリングを、土屋圭市氏がステアリングを握りました。 人気モデルだけに中古車購入時には注意が必要 100系チェイサーは、販売台数が多かったため中古車で比較的入手しやすいモデルです。特にツアラーVはセダンにも関わらず販売台数の3割がMTともいわれていて、ドリフトをはじめとするスポーツ走行目的で購入する方も少なくありません。 しかし、ツアラーVを中心にドリフト競技で酷使された個体も少なくないため、中古車を購入する際は注意が必要です。特にMT車を選ぶ方は、クルマの状態を細かく確認してください。AT車であれば比較的状態のいい個体も残っているため、あえてAT車を選ぶというのも選択肢の1つです。 100系チェイサーは、スポーティセダンという3兄弟のなかで明確な立ち位置を確立しました。チェイサー最終モデルということも相まって、今後も高い人気を保ち続けるでしょう。
ロングノーズ、ショートデッキにまとめられた個性的なスタイリングが魅力のトヨタ スポーツ800。「ヨタハチ」という通称までつけられるほど、多くのファンから愛されたモデルです。 スポーツカーを大衆の身近な存在にしたスポーツ800の、開発時の様子と魅力について詳しく紹介します。 コンセプトカーを見事に実車化したトヨタ スポーツ800 スポーツ800は、2シーターオープンスポーツという独特のスタイリングと大衆が手の届く価格を両立したモデルです。当初販売予定はなかったものの、コンセプトカーの反響が大きかったことが量産化につながりました。 大衆車であるパブリカをベースにしながらも、性能にこだわって設計されたスポーツ800の誕生背景を振り返りましょう。 大衆の手の届くスポーツカー スポーツ800は、高度経済成長期真っ只中の1965年に登場しました。「スポーツカーを大衆の手に」というコンセプトのもと、豊かになってきた若年層でも手の届く価格で発売されます。 安価に製造できた最大の理由は、大ヒットを記録したパブリカのコンポーネンツを多用したことです。ボアアップによって100ccほど拡大したものの、エンジンもパブリカのものを流用していました。 一方で、モノコックボディは専用設計され、外観からはパブリカの雰囲気を感じません。スポーツカーらしい個性的なデザインを実現しつつも、価格はわずか59万2,000万円に抑えられました。 スポーツカーとしての性能を追求 スポーツ800は、多くの部品をパブリカと共用した一方で、数々の専用パーツによってスポーツカーとしての性能がとことん追求されました。パブリカと同型で非力といわれたエンジンも、可能な限りのチューニングが施されています。 ボアを5mm拡大して排気量が697ccから790ccに向上し、ベンチュリーを拡大したキャブレターが2気筒それぞれに装備されるツインキャブレター仕様でした。また、クランクシャフト周りを強化して、圧縮比も8.0から9.0へと高められています。 さらに、スポーツカーとして重要な空力性能は、風洞実験を重ねて入念に研究開発されました。前面投影面積はポルシェ904とほぼ同等の1.33平方メートルを実現し、空気抵抗を示すCd値は0.30を上回る数値になっています。航空機の空力理論を徹底的に応用し、空気抵抗を限界まで抑えました。 話題を呼んだコンセプトカーを量産化 スポーツ800のもととなったのは、1962年の「第9回 全日本自動車ショウ」で公開されたパブリカスポーツです。乗降用のドアはなく、軽飛行機を思わせるキャノピーをスライドさせる機構は、多くの注目を集めました。発表当時はパブリカのイメージアップを図るためのショーモデルでしたが、高い注目度とスポーツカー人気を背景にトヨタは実車化に踏み切ります。 スライド式のキャノピーこそ実現しませんでしたが、有名なポルシェ911のタルガトップよりも1年半も早く着脱式のルーフを実装することでイメージを踏襲しました。さらに、ロングノーズと先端の丸目ヘッドライトといった、ボディデザイン全体はパブリカスポーツのスタイリングを見事に再現しています。 徹底した軽量化がレースでの結果にもつながった スポーツ800は、空力性能やデザインだけでなく、車重という点でもスポーツカーとしての性能を追求したモデルでした。徹底的ともいえる軽量化は、弱点の補強だけでなく燃費性能の向上にも寄与します。 レースで優勝という結果にもつながった、スポーツ800の軽量化について詳しくみていきましょう。 弱点を補った軽量化で高い運動性能を実現 スポーツ800はパブリカのエンジンを流用していたため、チューニングを施したものの非力さは否めませんでした。そこで、外装パーツを中心に、徹底的な軽量化が図られます。 ボンネット、ルーフ、トランクリッド、バンパー、シートパンなど細部に渡って、可能な限りアルミ合金が使用されています。さらに、リアウィンドウにアクリルパネルを使用するという徹底ぶりで、0-400m加速18.4秒を実現しました。市販車ながら、車重はわずか580kgに抑えられています。 また、軽量化は燃費面でも有利に働き、車体価格のみならず維持費の面でも庶民的な性能を実現しました。うまく走行をすると、市街地では18km/L、郊外では28km/Lにも達する燃費性能を発揮したようです。 ライバル車より非力ながらノーピットストップで優勝 優れた空力性能と燃費性能によって、スポーツ800はレースで輝かしい成績を残します。1966年に日本で初めて開催された長距離レース、第1回鈴鹿500kmで見事にワンツーフィニッシュを遂げました。 プリンス スカイライン、トヨペット コロナ、いすゞ ベレットといった大排気量の高性能車が数多く出走するなか、スポーツ800が優勝できた要因はピットストップを行わなかったことです。ライバル車は1回以上の給油ピットストップを余儀なくされましたが、スポーツ800はノーピットストップで完走。前を走るロータス エランの故障によって終盤にトップに躍り出たことから、信頼性の高さもアピールしました。 歴史的価値と希少性の高さは今も評価され続けている スポーツ800の累計販売台数は、わずか3,131台ほどです。パブリカスポーツの注目度やスポーツ800の価格と性能を考えると販売台数が伸びなかったのは意外な印象ですが、1960年代に2シーターという特殊な用途のモデルだったことを考えると妥当だったのかも知れません。 一方で、旧車ファンやスポーツカーファンからは、今も高く評価されています。トヨタにとってもスポーツ800は重要な存在なようで、復活プロジェクトを立ち上げ「スポーツ800 GR CONCEPT」として1台限定でレストアされました。 半世紀以上前のクルマで販売台数も少なかったために、300万円以上もの高額な買取価格がつけられることもあります。希少性と歴史的価値の高いクルマだけに、現存するスポーツ800は大切に乗り継いでいきたいものです。
5ナンバーサイズながら、ワイド&ローなスタイリングに迫力を感じるトヨタ AE92 レビン/トレノ。FFへのレイアウト変更、シリーズ初の過給機エンジン採用など大幅な刷新が図られたモデルです。 多くの若者の心を掴んだAE92の誕生背景と、魅力的な性能をたっぷりと紹介します。 大転換を図ったカローラ レビン/トレノ AE86の成功で地位を確立したレビン/トレノでしたが、AE92へのフルモデルチェンジで歴史的な大転換を図ります。また、「デートカーブーム」を追い風に、スポーツカー好き以外のファン層を切り開きました。 当時の時代背景とともにAE92が誕生した経緯について振り返ってみましょう。 プラットフォームを現代的なFFに刷新 AE92は、5代目レビン/トレノとして1987年に登場しました。最大の変更点は、駆動方式にレビン/トレノ史上で初めてFFが採用された点です。また、3ドアハッチバックが廃止され、ボディタイプは2ドアクーペのみに統一されました。一方で、レビンが固定式角目、トレノがリトラクタブルというヘッドライトの形状は踏襲されています。 スタンダードモデルのエンジンはAE86の4A-GEU型を横置きに搭載し、型式を「4A-GE」と改めました。1.6Lの直列4気筒DOHCエンジンで、最高出力120ps、最大トルク14.5kgを発揮します。また、先代と同様に、1.5Lの廉価版モデルもラインナップされました。型式はAE91で、キャブ仕様の5A-F型とインジェクション仕様の5A-FE型の2種のエンジンが用意されています。 若者のデートカーとして定着 AE92が登場した1980年代後半は、バブル景気を背景に若者の間でデートカーブームが巻き起こっていた時期です。日産 シルビア、ホンダ プレリュードといったスポーティでスタイリッシュなクルマが人気を博します。なかでも、トヨタ 2代目ソアラは、デートカーの代表格として憧れの的になっていました。 クーペタイプに統一されたAE92はソアラを小型化したかのようなスタイリングだったことから、「ミニソアラ」とも呼ばれました。新車時の販売価格が100万円台前半だったAE92は、高額なソアラに手の届かなかった若者の心を掴んだのです。 AE92になって大幅に進化したポイント 駆動方式がFRからFFに変更されたことで、落胆の声を上げるピュアスポーツファンも存在しました。しかし、AE92がテンロクスポーツを牽引するモデルだったことに間違いありません。 続いて、AE92になって進化したエンジン性能、レースでの活躍を紹介します。 最上位グレードのGT-Zはクラス最高峰 最上位グレードのGT-Zには、名機4A-G型エンジンにスーパーチャージャーを搭載した4A-GZE型エンジンが搭載されています。大幅に最高出力が引き上げられ、前期モデルでは145ps、後期型では165psにも達しました。ホンダの誇るVTECを搭載したB16A型エンジンの160ps(当時)を超え、クラス最高峰のパワーを実現しました。 また、足回りの設計も最上位グレードにふさわしく、GT-Z専用設計になっていました。前後のワイドトレッド化やリアアームの延長、ピロボールブッシュの採用など直進安定性を高める工夫が随所に施されています。また、外装面でも、ホイールアーチにモールが追加され、他グレードとの差別化が図られました。 マイナーチェンジで大幅な進化 AE92は、登場から2年後の1989年にマイナーチェンジを行いました。バンパーやグリルといったデザイン面での変更が目立ちますが、最大の違いはエンジン性能です。 実は、AE92登場当時の4A-GE型エンジンは、AE86の130psから120psに出力が絞られていました。しかし、マイナーチェンジによってハイオク仕様になり、最高主力140ps、最大トルク15.0kgmにまで引き上げられています。同型の自然吸気エンジンで、登場時から20ps、AE86最終型から考えても10psも最高出力を引き上げているのは驚異的です。 グループAでのシビックとの死闘と活躍 AE92は、AE86に続いてグループAでのレースに参戦しました。最小排気量クラスはVTECを備えたEF型シビックの独壇場で、事実1987年から1993年までの7年連続でメーカーズタイトルをホンダが獲得しています。 AE92は1988年シーズンの2戦目から投入されましたが、当初はシビックに阻まれて思うような成績は残せませんでした。しかし、富士スピードウェイで開催された最終戦のインターTECで、ついにシビックを打ち破ります。トムスの走らせる「ミノルタカローラレビン」が、クラストップ、総合5位という成績を収めました。 続く1989年も全体としてシビックの優位は変わらなかったものの、つちやエンジニアリングの「ADVANカローラ」が2勝と2度の表彰台を獲得してドライバーズタイトルの座に輝きます。さらに、1990年にもドライバーズタイトルを獲得して2連覇を達成。シビック優勢のなかでのまさに死闘と呼べる戦いでしたが、AE92は確実にその実力を証明しました。 レビトレ史上最も売れたAE92 FRスポーツだったことと、ドリフトドライバーや漫画の影響などからAE86が異常な人気だったため、今振り返るとAE92はやや地味な印象を受けます。しかし、実はAE92は、レビン/トレノ史上で最も売れたモデルです。 バブル景気やデートカーブームといった時代背景の影響もありましたが、クルマとしての高い実力が備わっていたからこその成功でしょう。AE92へのフルモデルチェンジでは、スーパーチャージャーやハイオク仕様による大幅な出力性能の向上、格上のソアラのようなスポーティでスタイリッシュなエクステリアデザインといった点など、しっかりと作り込まれました。マイナー車種と思われがちなAE92ですが、改めてその価値を見直したいところです。
スタイリッシュなSUVは今でこそ数多く販売されていますが、1997年に登場したいすゞ ビークロスは、時代を先取りした先進的なデザインで大きな話題を呼びました。曲線を多用したうねるような外観と、SUVとしても文句のなしの力強い走破性を併せ持ち、今でも根強い人気があります。 今回は、SUVの歴史のなかでもひときわ異彩を放つビークロスの魅力と、中古車市場について解説していきます。 ほぼコンセプトカーどおりの姿で登場したビークロス いすゞ のスペシャリティカーSUVとして、1997年4月に発売したビークロス。発売のきっかけは、1993年の第30回東京モーターショーに出品したコンセプトカー「VehiCROSS(ヴィークロス)」であり、近未来的なデザインで当時注目を浴びました。 その特徴的な造形が人気を博したことで、いすゞはヴィークロスの市販化を決定。ビークロスと名前を変え、市販車でありながらコンセプトモデルとほぼ変わらない姿で登場しました。さらに車体ベースを4WDのジェミニから、ビッグホーン・ショート型に変更したことで車体サイズは拡大。市販モデルで大型化したビークロスは、コンセプトモデル以上のインパクトを発揮していました。 通常、市販モデルは外観デザインが控えめになることがほとんどですが、ビークロスはほぼコンセプトどおりの姿で登場したことで、いまでも人々の記憶に残るSUVとして、車史にその名を残しています。 先進的すぎるデザインで後方視界に難あり? コンセプトモデルから大型化したビークロスのサイズは、全長4,130mm×全幅1,790mm×全高1,710mm。開発は欧州で行われ、デザインは当時いすゞのデザイナーだった中村史郎氏と、のちにインフィニティのロンドンスタジオのトップに就任するサイモン・コックス氏が担当していました。 ビークロスのテーマは「ワイルド&フレンドリー」であり、力強い走破性を持ちながらも、デザインは先進的で、どこか愛らしい雰囲気が取り入れられています。丸くねじれたようなフォルム、ボディ下半分を覆う樹脂パネル、スペアタイヤを内側に内蔵したバックドアなど、目につく全てが斬新なスタイリングです。 しかし、デザインを優先させたことで室内からの後方視界は悪化。それを解消するため、ビークロスはバックアイカメラを標準装備し、これは乗用自動車としては初の試みでもありました。 見掛け倒しじゃない確かな走破性能 ビークロスは最高出力215ps、最大トルク29.0kgf・m/3,000rpmを発生するビッグホーンと同型の3.2リッターV6エンジンを搭載。いすゞのSUVとしては珍しく、ディーゼルエンジンの設定がなくガソリンエンジンのみとなっていました。 駆動は前後輪のトルク配分制御システムを搭載したパートタイム4WDを採用しており、エンジンの力強さも合わせて、十分な悪路走破性を与えられています。 足回りはフロントにダブルウィッシュボーン、リアが4リンク式コイルサスペンションを採用し、ショックアブソーバーはラリー用にチューンされたものを使用しているため、オンオフ問わず安定した走行性を発揮します。 中古車在庫は少なく、すでに希少車の域に そんなビークロスですが、日本国内での中古車市場はどうなっているのでしょうか。原稿執筆時の2021年11月時点で、ビークロスの市場価格を大手中古車サイトで調べてみました。 中古車サイトでのビークロスの在庫台数はわずか3台と少なく、希少性の高い車だということがうかがえます。車体価格は安いもので、1997年式109,000km走行の個体が148万円。最高値では1998年式79,000km走行で218万円。ビークロスの市場価値は新車価格の295万円(ベースグレード)に達するほどではありませんが、中古車としては比較的高プライスの部類に入ります。 また1997年~2001年の販売期間中、約1800台しか流通していないということもあり、ビークロスの希少価値を高めているのもしれません。 まとめ コンセプトモデルからほとんど姿が変わらないという、まさかの状態で販売されたビークロス。 未来感あふれた斬新な姿は多くの人に驚かれた一方、その奇抜さは当時のクロカンファンにヒットし、今でも根強い人気を持っています。そんなビークロスも現在は台数が減っており、中古車の価格もそれなりの値段になっているのが現状です。 悪路走破性が高く、人とは違ったSUVが欲しいという方にはビークロスは非常におすすめですが、今や希少車となっているこの現状なので、購入を考えているならば早めの行動が重要になってくるでしょう。 [ライター/増田真吾]
国産ホットハッチといわれて、ホンダ シビックを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。今回紹介するEF9型シビックは、ハッチバックのみならずライトウェイトスポーツにおいての地位を確立するきっかけになったモデルです。高回転で響き渡る心地よいVTECサウンドと運動性能の高さが、多くのファンの心を掴みました。 シビックとして初のVTECを搭載した、EF9の歴史と魅力をたっぷりと紹介します。 国産ホットハッチ最強のEF9 グランドシビックの愛称で呼ばれるEF型シビックのうち、EF9は特に注目を集めたモデルです。可変バルブタイミング機構を同クラスでいち早く取り入れ、VTECの実力と名前を世間に知らしめました。 まずは、EF9の誕生やVTECの高いパフォーマンス、レースでの結果を振り返ってみましょう。 EF9はシビック初のVTEC搭載車種 1987年に4代目として登場したEF型は、半世紀以上続くシビックの歴史のなかでも特にエポックメイキングだったモデルです。モデルチェンジから2年後の1989年に、シビック初のVTECエンジンを搭載したEF9が追加されました。 VTECエンジンは、今やホンダの代名詞ともいえるハイパフォーマンスエンジンです。バルブタイミングとリフト量の可変機構によって、高回転での出力と力強い低中速域の加速を両立しています。VTECが初めて搭載されたのは2代目インテグラで、発売はEF9登場と同年の1989年です。つまり、ホンダはシビックへの搭載も強く意識して、VTECの開発を進めていたのではないでしょうか。 シビックの地位を一気に高めたVTEC EF9に搭載されたエンジンは、1.6L直列4気筒の名機B16A型です。可変バルブタイミング機構のVTECを備え、最高出力160ps、最大トルク15.5kg・mという、現在のスポーツモデルと比べても見劣りしない圧倒的なスペックを誇ります。わずか990kgの車重(SiR)ということもあって、まるでターボ車のような爆発的な加速力を体感できました。VTECを搭載したEF9によって、単なる大衆車だったシビックは国産最高峰ホットハッチとしての地位を確立したといえます。 VTECとは、給排気バルブの開閉タイミングとリフト量を変えることで、エンジン特性を劇的に変化させる可変バルブタイミング機構のことです。具体的には、バルブを動作させるカムを一定回転数以上で切り替えることで、チューニングエンジン並みのパフォーマンスを実現しています。他社の同クラスでもさまざまな可変バルブタイミング機構が採用されますが、いずれも1990年代以降だったこととVTECほど過激な挙動をするエンジンはありませんでした。 レースでの活躍によってさらに人気を集めた EF9は、市販車ベースのグループAで争われるJTC(全日本ツーリングカー選手権)に登場翌年の1990年から参戦します。当初はVTECを搭載していませんでしたが、信頼性が確立されるとすぐにVTECを投入。2位のトヨタを6ポイント差で退けて、参戦初年度からメーカータイトルを獲得しました。 2年目の1991年にもメーカータイトルを獲得し、2連覇を達成。さらに、同年にはドライバーズタイトルも獲得しました。速さと信頼性の高さを過酷なレースで証明したことも、EF9の人気が高まった理由です。 EF9に詰め込まれたホンダのこだわり 数あるホンダ車のなかでもっとも長く同一車名のまま販売され続けているシビックは、ホンダにとって特別なモデルです。とりわけ、今やシビックの代名詞ともいえるVTECを初めて搭載したEF9には、ホンダのこだわりが詰め込まれていました。 後のタイプRにもつながったといわれる、EF9のこだわりポイントを2つ紹介します。 EF9に設定された2つのグレードSiRとSiRⅡ EF9には、SiRとSiRⅡの2種類のグレードが設定されています。名称だけを見ると単純にSiRⅡのほうが後から登場した発展型という印象を受けますが、実はこの2グレードは同時に投入されました。 SiRⅡは最上位グレードらしく、パワーウィンドウや電動ミラー、電動サンルーフやABS(オプション扱い)といった豪華装備が備えられていました。一方のSiRは、パワーステアリングすらついていないという、最上位グレードとは思えないほどの簡素な仕様です。 しかし、実はこのSiRの存在こそがホンダのこだわりの現れで、競技車ベースとして設定されていました。SiR最大の特徴は車重の軽さで、1,050kgに達するSiRⅡの車重に対して、余計な装備を極限まで削り落とした結果わずか990kgに抑えられています。ホンダが誇るVTECエンジンの実力を最大限に感じてほしいという、開発側の意図が込められているのでしょう。 タイプRにつながる系譜の源流 実は、EF9こそが、8年後に発売された初代シビック タイプRの基礎を作ったといわれています。エンジンはEF9に搭載されたB16A型の発展型で、ダブルウィッシュボーン方式という足回りもEF型へのモデルチェンジ時に採用されたものです。さらに、EF9の登場に合わせて、ボディワークにも変更が加えられています。 EF9のデザインでもっとも大きな変更点は、フロントバンパーやヘッドライトの形状だといわれています。しかし、ボンネット形状の変更こそが、EF9の特徴だといえるでしょう。従来は左右のフェンダーからつながるラインに対して、ボンネット中央部が凹んだ形状になっていました。しかし、EF9では、中央部のほうが盛り上がったデザインに変更されています。エンジンヘッドの大きい、B16A型エンジンを搭載するためだったといわれています。また、先代から続いていた、ボンネット左端のパワーバルジも廃止されました。 初のシビック タイプRの型式名も、EF9からの系譜であることを示唆しています。シビックで初めてタイプRが設定されたのは、6代目のEK型でした。EK型タイプRの型式はEK9、EF9と同様に「9」が割り振られています。EG型の最高グレードSiRⅡの型式がEG6だったことを考えると、EK9型タイプRはEF9の系譜を直接引き継ぐモデルだといえるのかも知れません。 混沌とした時代に明確な立ち位置を確立した名車 1990年代のライトウェイトスポーツの代表車種としてシビックが定着したのは、間違いなくEF9が大きな功績を残したためです。トヨタ レビン/トレノやMIVECエンジンが話題だった三菱 ミラージュといった強豪がひしめくなかにあって、圧倒的な実力差を見せつけました。後のEG6やEK4、そしてタイプRのEK9が成功したのは、EF9で実現したVTECの爆発的な加速力があったからこそでしょう。 EF9は、クルマの歴史的価値を認める旧車ファンのみならず、競技車輌を求めるモータースポーツ愛好者からも高く評価されています。設計の古さは否めませんが、軽い車重とシンプルなボディ構造から、チューニングベースとして最適なモデルです。ホンダVTECの元祖ともいえるEF9シビックの加速力を、機会があればぜひ一度味わってみてください。
初代登場から20年以上を経て4代目に達したBMW M3は、8,000回転オーバーという超高回転まで一気に吹け上がる自然吸気エンジンを搭載した魅力的なモデルです。伝統の直6エンジンではなく、シリーズ初のV8エンジンの官能的なサウンドに多くの人が魅了されました。 今回は、V8エンジン以外にも独自の進化を遂げた4代目M3のクーペモデル、E92型の魅力を紹介します。 独自性の高かった4代目M3 現在6代目まで進化したM3ですが、4代目のE92型は歴代モデルのなかでも独自色の強かったモデルです。唯一のV8エンジン、ベースモデルからの大幅な刷新と、チューニングを担当したBMW Mのこだわりが詰まっていました。 先代から7年ぶりの大幅な刷新をして登場した、E92型4代目M3の誕生を振り返ってみましょう。 V8エンジンの搭載で大幅刷新したM3 M3は、主力車種の3シリーズをベースに専用のチューニングを施したモデルです。レースへの参加条件(ホモロゲーション)取得のために、初代E30型が1985年に制作されました。E92型は、M3の4代目として2007年に登場します。3シリーズで初めてV8エンジンを搭載するなど、ボディからパワートレインに至るまで大幅刷新されました。 直6エンジン、いわゆるシルキーシックスを伝統としてきたM3だけに、E92型でのV8エンジン搭載は画期的なことです。最高出力は先代E46の346psに対して、420psにまで引き上げられています。伝統を途切れさせてでも性能を向上させたいという、BMWのこだわりの現れといえるでしょう。 ボディの大部分もM3専用に開発 M3の「M」とは、3シリーズにチューニングを施したBMWのレースやモータースポーツの研究開発部門「BMW M Motorsport GmbH」(通称BMW M)の名称が由来です。E92型 M3で進化したポイントは、初のV8エンジンだけではありません。BMW Mが培ってきたノウハウが、惜しげもなく注ぎ込まれました。 特にボディには、カーボン製のルーフ、エアアウトレットを配したアルミ製ボンネット、巨大なエアインテークを備えたフロントスカートなど、ベースの3シリーズと比較して実に80%もの新開発パーツが盛り込まれています。さらに、迫力のある4本出しマフラーや330km/hまで表示されるスピードメーターなど、Mモデルとしてのキャラクターを打ち出すことに余念がありません。 E92型がM3最後のクーペにして唯一のV8エンジン搭載車 4代目M3は、実は歴代M3のなかでもメモリアルな1台です。初のV8エンジン搭載で大きな話題を呼びましたが、5代目M3では伝統の直6エンジンに回帰します。また、次世代のクーペモデルは、4シリーズに移行。結果的に、M3シリーズ唯一のV8エンジン、最後のクーペという特別な存在になりました。 なお、4代目M3では、セダン(E90型)と日本未発売のカブリオレ(E93型)という、クーペモデル以外のボディタイプも展開されました。セダンは5代目M3以降も継続しましたが、カブリオレもクーペと同様に4シリーズに移行したためM3としては最後のモデルです。 M3最後のクーペにふさわしい圧倒的な走行性能 セダンやカブリオレも販売されていた4代目M3ですが、世代を象徴するのはやはりE92型クーペです。4シリーズへの移行に伴って結果的にM3最後のクーペになりましたが、圧倒的な走行性能の高さで存在感を放ちました。 ここからは、E92型の高い走行性能を紹介します。 サーキット走行にも耐えうる走行性能 シリーズ初にして唯一のV8エンジンS65B40型は、最高出力420ps/ 8,300rpm、最大トルク400N・m/3,900rpmを誇ります。また、特筆すべきは最高出力を発揮する回転数で、8,300回転という超高回転型の自然吸気エンジンというのもE92型の魅力です。車重が1,630kgもあるにも関わらず、0-100km/h加速はわずか4.8秒、最高速度は250km/hにも達します。 さらに、レース部門を担当するBMW Mが開発しただけあって、リミッターを解除することで最高速度は280km/hまで引き上げることも可能でした。ただし、約40万円のオプション料金の支払いと、「ハイスピードドライバーズトレーニング」という講習への参加が条件とされていました。 走りにこだわってドライブトレインを刷新 E92型の俊敏な走りをさらに向上させたのは、7速M DCT Drivelogic(エム・ディーシーティー・ドライブロジック)への変更です。先代の6速AMT(セミオートマチックトランスミッション)、SMGⅡに代わって装備されました。 エンジンとトランスミッションを物理的に接続するデュアルクラッチを採用することで、流体でトルクを伝達するトルクコンバーター式のATよりもロスのないダイレクトな操作感を得られます。なお、7速 M DCTDrivelogicは、セダンとカブリオレでも選択できました。グランツーリスモという位置づけながら、ピュアスポーツと肩を並べるほどのダイレクトな操作感こそが4代目M3の真骨頂です。 商業的な成功は微妙だったが希少性の高まりとともに再評価 新時代への幕開けを予感させたE92型M3ですが、商業的には大成功と呼べるモデルではありませんでした。販売台数は先代のE46型の8万6,000台に対して、クーペ、セダン、カブリオレの3種を合わせても6万6,000台ほどにとどまっています。 シルキーシックスという伝統の直6エンジンに代わって搭載されたV8エンジンに賛否両論あったことも、販売台数の伸びに少なからず影響したのかもしれません。実際、5代目のM3にはV8が積まれることはなく、直6に回帰しています。 しかし、販売台数が少なかったということは、旧車としての希少性が高いということです。また、M3としては画期的なV8エンジン、最後のクーペモデルという点を考えてもマニアの心をくすぐるモデルといえます。希少性の高まりからE92型の中古車相場がどう動くのか、ぜひ注目してみてください。
2代目インプレッサの前期型「丸目」には、少なからず不評の声がありました。しかし、「涙目」へのマイナーチェンジによって、市場の評価は大きく変わります。また、見た目だけでなく性能面のアップデートが多岐に渡ったことも、涙目の大きな特徴です。 本記事では、WRCでも活躍した涙目の魅力をたっぷりと紹介します。 涙目は2代目インプレッサの中期型 2代目インプレッサで実施された2度のビッグマイナーチェンジのうち、最初のマイナーチェンジによって誕生したのが涙目です。現代的なデザインが話題を呼び、その意匠は後期型の鷹目にも受け継がれていきました。 まずは、2代目インプレッサの変遷やWRCでの活躍を振り返ってみましょう。 2代目インプレッサは2度のビッグマイナーチェンジを実施 レガシィの兄弟車として1992年に登場したインプレッサは、2000年に初のモデルチェンジを行って2代目に生まれ変わりました。2007年まで販売された2代目インプレッサですが、2度のビッグマイナーチェンジが実施されたため3つのモデルが存在しています。 登場順に前期、中期、後期と呼ばれると同時に、ヘッドライトの形状から「丸目」「涙目」「鷹目」という愛称もつけられました。2002年に実施された最初のビッグマイナーチェンジで登場したのが涙目です。不評だった丸目から、大きくデザインを刷新しての登場でした。 現代的な鷹目につながった涙目 丸目が不評だった前期型に対して、中期型の涙目ではヘッドライトの形状を中心にバンパーやボンネット、フェンダーに至るまでフロント周りの意匠が現代的に大きく変更されました。後期型の鷹目で成熟の域に達した2代目インプレッサですが、涙目での変更点がいくつも踏襲されています。 また、グレードによって異なるキャラクターの内装が用意され、質感も全体的に高められました。特にSTiバージョンでは、ブルーに統一した内装や専用の赤色表示のメーターが装備され、特別感が一層高められています。 WRCでも活躍した涙目 インプレッサは、初代からWRCで実力の高さを証明していました。2代目の中期型である涙目も例外ではありません。涙目が登場した翌年の2003年には、インプレッサWRC2003を駆るソター・ソルベルグがドライバーズチャンピオンを獲得しました。また、2004年に初開催されたラリージャパンでは、初代王者に輝いています。 さらに、涙目のインプレッサはドリフトの国内プロリーグD1グランプリでも活躍し、WRCファン以外からも一躍注目を集めました。D1ドライバーの熊久保信重氏は、ラリーカーが好きだったという理由で涙目のインプレッサを選択し、2006年には、シリーズチャンピオンを獲得しました。 多岐に渡る涙目での変更点 2代目インプレッサの中期型は、ヘッドライトのデザイン的特徴から涙目と呼ばれています。しかし、変更点はヘッドライトや、フロントマスクだけではありません。アップデートされた箇所は多岐に渡り、クルマとしての完成度をより高めています。 涙目での変更点を、WRX STiバージョンのパワーアップポイントも含めてみていきましょう。 質感が向上したインテリアと機能性を備えたエクステリア 涙目のインプレッサでは、インテリアの質感が向上しました。また、構造の合理化によるシートの軽量化や補強など、性能面の向上も図られます。WRXモデルはブラックの文字盤とメタル調メーターリングによる特別感、1.5Lモデルは鮮やかなブルーの文字盤によるカジュアルさなど、モデルによるキャラクターの違いも明確に表現されています。 エクステリアは、見た目だけでなく機能性も考慮して変更が施されました。ボンネットの先端部を下げてバンパーからフロントウィンドウまで流れるようなデザインに仕上げたことで、空気抵抗の低減が図られています。また、ターボエンジン搭載モデルでは、インタークーラーのエアインテークを拡大して冷却性能を向上させています。 大幅にパワーアップしたWRX STiバージョン 涙目のWRX STiバージョンには、丸目の前期型と同型のエンジンが搭載されています。しかし、ファインチューニングによって最大トルクを2.2kgm向上させ、40.2kgmという強大な最大トルクを実現しました。排ガスの通路を2つにわけた「ツインスクロールターボ」による低回転域からの過給、エキマニ(エキゾーストマニホールド)の等長化といったエネルギーロスの低減といった変更が施されています。さらに、バルブの軽量化やピストンの強度向上といった細かい点も、徹底的に改良されています。 機能面では、トルク配分の制御が大きな変更点です。丸目で45.5:54.5だった前後のトルク配分は涙目で35:65に変更されました。また、センターデフの差動制限力(ロック率)を運転中にドライバーがダイヤルを操作することで任意に設定変更が可能なDCCDに、路面状況に応じて自動的に制御する「オートモード」が、新たに追加設定されています。 通常モデルでも高価買取が狙える人気モデル 涙目のなかでも人気のモデルは、やはり限定仕様車のスペックC タイプRA-RやS203です。しかし、通常のWRX STiバージョンでも状態次第では、十分に高価買取が狙えます。 また、WRX STiバージョンでないターボモデルでも、それなりに値段がつくことも珍しくありません。ただし、現代的なデザインになったとはいえ、涙目のインプレッサは生産終了からすでに20年が経過しているモデルです。売却をする際は、旧車としての正しい価値を査定してくれる経験豊富な専門業者に相談することをおすすめします。
WRCで今も破られていない金字塔、マニュファクチャラーズタイトル6連覇を成し遂げたランチア デルタHF 4WD。圧倒的な性能もさることながら、ブリスターフェンダーや上品な内装といったデザイン面も人気の理由です。 本記事では、レギュレーションの変更からわずか半年で完成させたといわれる、デルタHFについて詳しく紹介します。 WRCのレギュレーション変更に合わせて登場したデルタHF デルタHFは、WRCで勝つために開発されたクルマです。わずかな開発期間しかないなかで、ファミリーカーだったデルタをWRCで戦えるように仕上げました。 まずは、デルタHFの開発背景と、誕生に欠かせなかったアバルトの存在について紹介します。 開発決定からわずか半年で発表された新モデル デルタHFは、開発の決定からわずか半年で発表されました。開発のきっかけは、WRCが安全上の理由から参加車輌の規定を変更したことです。グループBでは重大事故が多発していたため、1987年からWRCのトップカテゴリーが市販車ベースのグループA規定に変更されました。 1986年半ばに突如発表された規定変更に各メーカーが対応方法を模索するなか、ランチアはシーズン終了前にデルタHF 4WDを発表します。開発を早期に決定し、余裕をもって間に合わせたことが1987年以降の輝かしい成績につながったのかも知れません。 影に徹したアバルトの高い開発力 デルタ HF 4WDを短期間で発表できたのは、同じフィアット傘下だったアバルトの高い開発力があったからこそだといわれています。グループ内のラリーマシン制作を担っていたアバルトは、習得したWRC車制作ノウハウを活かしてごく短期間でデルタ HFを完成させました。 しかも、ちょっとした変更ではなく、レースで勝つための戦闘力を備えたマシンに生まれ変わらせています。もっとも大きな変更点は、駆動方式とエンジンです。アウディ クアトロの登場により4WDでなければ戦えない状況だったため、FFだったデルタをフルタイム4WDに改変。さらに、ロードモデルにも165psを発揮する2Lターボエンジンを搭載し、ベース車輌がファミリーカーだと思えないほどのスペックに仕上げました。一方で、車体にはアバルトのエンブレムや名称の記載はなく、まさに影の立役者といった存在でした。 投入初年度から無類の強さを発揮 グループA初年度の1987年開幕モンテカルロで、ミキ・ビアジオンとユハ・カンクネンがワンツーフィニッシュを決め、デルタHFはいきなり圧倒的な速さをみせつけます。1987年シリーズは、9勝を挙げてドライバーズとマニュファクチュアラーズのダブルタイトルを獲得しました。 翌年以降も勢いは変わらず、1992年まで前人未到のマニュファクチュアラーズタイトル6連覇を成し遂げます。しかし、トヨタを中心にした日本勢の台頭もあり、ランチアは1991年にワークス体制を解消、さらに1993年にはデルタ自体もWRCから姿を消しました。 市販車としての完成度も高かった グループA規定では一定以上の市販車としての販売実績が必要なため、ランチアHFも当然市販されています。また、WRCで勝つために、毎年のように仕様変更されたこともデルタHFの特徴です。 ここからは、市販車としてのデルタHFの魅力を解説します。 アルカンターラを多用した上質な内装 デルタはもともとゴルフに対抗すべく作られたモデルで、大衆車ながら上品な内装が特徴です。デルタHFでも内装面の特徴は引き継がれ、随所に手触りのよいアルカンターラが使用されています。 レースカーとしての高い戦闘力を期待させるブリスターフェンダーを備えた外装と、上品な内装のコントラストもデルタHFの魅力です。 積極的な開発で生まれた3つの代表モデル デルタHFは登場以降、WRCで勝つために毎年のように改良を続けました。1989年には、エンジンを16バルブ化したHFインテグラーレ16Vを投入。前年のインテグラーレでブリスターフェンダー化して拡幅していたところに、高性能エンジンを搭載してさらなるパワーアップを実現しました。大型化したエンジンを搭載するため、盛り上がった形状のボンネットに変更されています。 さらに、1992年にはWRC参戦の最終形HFインテグラーレ エヴォルツィオーネへと進化を遂げます。市販車の最高出力は大台を突破する210psに達し、まさにエボリューションモデルと呼ぶべき存在でした。 最終的に市販モデルは、1993年のHFインテグラーレ エヴォルツィオーネⅡまで作られます。おもに日本市場を意識したモデルで、最後の限定車HFインテグラーレ16vエヴォルツィオーネⅡコレッツィオーネは限定台数を急遽増やすほどの人気を集めました。 ランチアが導き出したWRCグループAの最適解 フルタイム4WDに2L16バルブDOHCターボエンジン、ボディにブリスターフェンダーというデルタHFの仕様は、6連覇という偉業によりグループAの最適解であることを証明しました。事実、三菱 ランサーエボリューション、スバル インプレッサといった1993年以降に活躍するWRカーに多大な影響を与えています。 デルタHFの買取価格は優に500万円を超え、現在でも高い人気を誇っています。輝かしい成績を残したことだけでなく、WRCの歴史に大きな影響を与えた点も含めて価値が高まっているのでしょう。
3代目ポルシェ 911として登場した964型は、ボンネットの左右に張り出した丸目2灯という911伝統のフォルムを踏襲しています。しかし、中身に関しては、現在の911にもつながる劇的な変更が加えられたモデルです。 日本のバブル真っ只中に投入され、空前のヒットを記録した964型911の誕生背景と変更点を振り返ってみましょう。 さらなるユーザー獲得を目指して開発された964型 2代目911登場から20年以上経過した1989年。911は北米を中心に依然高い人気を保っていたものの、設計にやや古さが感じられるようになってきました。 新たなユーザー獲得を目指すために、時代に合わせた大幅な刷新が求められ、満を持して登場したのが、3代目911の964型です。一気に現代的な装備になった964型について、ポルシェの車名の解説とともに詳しく紹介します。 911とはポルシェの車名 まずは、「911」と「964型」の数字の違いについて解説します。 ポルシェの車名とモデル名は同じような数字を使用しているため、混同してしまう人も少なくありません。国産車を例に改めて整理すると、「911」とはトヨタの「カローラレビン」や「ランドクルーザー」などと同じ意味の車種名です。一方で、今回紹介している「964」は型式名で、カローラレビンであれば「AE86」や「AE92」、ランドクルーザーであれば「70系」や「80系」に相当します。 また、CarreraやTargaといった名称は、モデルの分類を示すいわばグレード名です。それぞれ、ボディタイプや搭載エンジン、装備といったスペックが異なります。 見た目は変わらないのにニューモデル 3代目911の964型は、930型の後継車種として1989年に登場しました。一般的な車種のフルモデルチェンジといえば見た目も先代から大きく変わりますが、964型の外観は先代930型からほぼ変更されていません。初代から続く伝統的な「911」の外観の変更が許されなかったためです。 しかし、964型のポルシェは、80%が新開発された正真正銘のニューモデルです。エンジンはもちろん、パワートレインや駆動方式、各種装備まで徹底的に見直されました。 現代的な装備に生まれ変わった 964型911が最も進化したポイントは、充実した装備で誰でも扱いやすいクルマになったことです。930型以前のモデルは、ピーキーな面もあり乗り手を選ぶクルマでした。しかし、細部まで見直された964型は、性能と乗りやすさを両立したモデルに仕上がっています。 足回りはトーションバーからコイルスプリング式に変更され、パワーステアリングやABSといった現代的な装備も備えられて操作性が格段に向上しました。また、MTライクな操作を可能にする、ティプトロニックという新型のATも搭載しています。仕組み自体は従来のトルクコンバーター式ATと大きくは変わりませんが、現在のATでは当たり前になっているマニュアルモードの元祖的な機構として業界全体に大きな影響を与えました。 さらに、964型では、4WDモデルも新たに追加されています。911伝統のRRは安定性が課題でしたが、4WDによって誰でもハイパワーポルシェを操れるようになりました。 930型から大幅にアップデートした964型 964型でアップデートされた多くの点が、現代の911にもつながっています。911における、エポックメイキングなモデルだったといってもよいでしょう。 964型のアップデートポイントを、詳しく紹介します。 3.6Lに拡大されたエンジン 964型最大の注目ポイントは、排気量が3.2Lから3.6Lに拡大された新型エンジンです。ポルシェ伝統のフラット6と呼ばれる水平対向6気筒のM64型エンジンは、最高出力250ps / 6,100rpm、最大トルク31.6kgm/4,800rpmを発揮。後継の993型にも搭載された、ポルシェ最後の空冷エンジンです。 実はボディもディテールが現代的に変化 930型と見た目がほとんど同じ964型ですが、実は細部が大きく刷新されています。特に、フルモノコック化されたボディによって剛性を強化したことで、より高いハンドリング性能を実現しました。 また、バンパーのデザインも、前後に張り出したデザインからボディラインと一体の形状に変更されています。この変更は後継モデルでも踏襲され、ポルシェの新たな伝統になりました。さらに、リアスポイラーも、964型での大きな変更点です。従来は大型の固定式リアスポイラーでしたが、走行速度に応じて自動的に開閉する電動スポイラーに変更されています。 ターボモデルは2種類ある点に注意 964型にも先代と同様に、ターボモデルが設定されています。しかし、人気の高いのは1993年に登場した後発の3.6Lターボモデルで、1991年に投入されたターボモデルは不評でした。1991年登場のモデルは、ボディこそ964型だったものの肝心のエンジンは先代930型のターボモデルと同型だったためです。さまざまな箇所の改善と改良に追われ、ターボ用の新型エンジンを用意するのが間に合わなかったといわれています。 一方、964型に搭載された新型エンジンをベースに開発された3.6Lターボモデルは、新時代を感じさせる十分なパワーを発揮しました。最高出力は360ps、最大トルクは52.0kgmにも達し、シートに押し付けられるような爆発的な加速力を味わえます。 さらに、走行性能だけでなく、内外装も特別感のあるデザインに仕上げられていました。外装面で目立つのは、赤色に塗装されたブレーキキャリパーとスピードライン製3ピース18インチホイールです。また、フロントには8ウェイ操作可能なパワーシートが備えられ、ダッシュボードまで含めたフルレザーインテリアになっています。 バブル景気に支えられ日本国内でも大ヒット 964型911がデビューした1989年は、折しも日本がバブル景気に沸いていたタイミングでした。現代的で扱いやすいクルマになったことも手伝って、日本国内でも大ヒットを記録します。大きく生まれ変わったモデルだけに現在でも人気は高く、安定した価格で取引されています。特に熱い支持を得ているのが、3.6Lターボモデルです。わずか1,875台しか販売されておらず、その希少性の高さから、標準車のカレラの3倍近い価格がつけられることも珍しくありません。 ただし、30年以上前のモデルである964型を売却する際は、旧車専門の買取業者に相談することをおすすめします。年式や劣化具合だけに着目した評価ではなく、市場での需要を踏まえて正しく査定してもらえるためです。964型911のご売却を検討される際には、旧車取り扱いの経験豊富な旧車王にぜひ一度ご相談ください。
丸目のヘッドライトと個性的なスタイリングが特徴のホンダ シティ。都会派の新しいコンパクトカーとして、こだわり抜いて作り上げられたクルマです。話題を呼んだCMとともに、当時の若者の心を鷲掴みにしました。 現在の軽自動車やコンパクトカーにもつながる、新しい思想で設計された初代シティについて振り返ってみましょう。また、コンパクトカーの枠を超えた走りが人気だった、シティターボⅡの魅力も紹介します。 シティはホンダが提案した都市型コンパクトカー 都市型コンパクトカーとして登場した初代シティは、発表の仕方も都会的でした。東京モーターショーの前夜に、新宿センチュリーハイアットで発表したのです。東京の、しかもど真ん中の新宿で発表したところに、ホンダがシティに込めた思いが表れています。 トールボーイという新しいスタイリングが話題を呼んだ、初代シティの誕生について振り返ってみましょう。 トールボーイという新しいアプローチ 1981年にデビューした初代シティは、都市圏に住む若者がお洒落に乗れるコンパクトカーという位置づけの車種です。トールボーイという新しいスタイリングで、デザイン性と居住性を両立しています。都市型のコンパクトカーとして最適なクルマを作り上げるため、開発の中心にはターゲット層と同じ20代のスタッフが起用されました。 コンパクトカー最大の課題は、居住性の確保です。トールボーイという呼び名のとおり、全高を高くすることでゆとりのある車内空間を実現しました。一方で、ただ全高を高くすると、デザイン性が損なわれてしまいます。そこで、全高が高くてもスタイリッシュにみえるよう、ボディの傾斜や全長とのバランスなど細部に渡ってとことん追求されました。 シンプルながらこだわり抜いたデザイン トールボーイと呼ばれる初代シティのボディデザインは、実によく考えて作られています。全長の短いコンパクトカーでキャビンの高さを上げると、不安定で野暮ったくみえがちです。しかし、正面からみたボディサイドの傾斜の角度、オーバーハングの長さ、先端部を低くしたスラントノーズなど、絶妙なバランスでスタイリッシュにまとめられています。また、全体的に直線基調のデザインであることも、シンプルながらおしゃれに感じられる理由の1つでしょう。 内装もボディと同様に、直線基調で余計な華飾のないシンプルなデザインです。ドアパネルも含めて抑揚のないデザインとすることで、居住スペースを最大限確保しています。一方で、視認性の高いメーターパネル、やや運転席側にオフセットされているセンタークラスター、各所に設けられた小物入れやポケットなど機能性は抜群です。徹底的に追求された機能美は、車格は異なるもののドイツ車のような雰囲気すらあります。 大きな話題を呼んだテレビCMとモトコンポ デザイン性の高さと新しさがインパクトを与えた初代シティですが、車輌そのもの以外でもさまざまなブームを作り出しました。まずは、イギリスのバンドマッドネスを起用したテレビCMです。彼らの曲に乗せたラップのような「ホンダホンダホンダホンダ」というフレーズとムカデダンスと呼ばれる動きは、子どもたちの間でも流行しました。 モトコンポという折り畳み式の50ccバイクも、シティとは切り離せない存在です。独特の直方体のデザインが特徴的で、シティの荷室にそのまま積み込めました。おでかけ先でバイクに乗るという、ホンダの遊び心が詰まっています。個性的なデザインは現在でも人気が高く、日本では未発売なものの「モトコンパクト」という電動バイクとして先日復活したほどです。 レース入門車にもなった迫力満点のシティターボⅡ 都市型コンパクトカーとして誕生したシティですが、実は性能面を突き詰めたモデルも存在します。ターボエンジンや専用の架装を施した、シティターボです。 ここからは、性能やデザインにさらに磨きがかけられ、レース入門車としても人気の高かったシティターボⅡを紹介します。 軽量ボディとターボエンジンで味わう過激な加速感 最高出力110psを発揮するエンジンと車重の軽さを活かして爆発的な加速を魅せるシティターボⅡ。0-400m加速は、同年に登場した名機4A-Gを搭載したトヨタ AE86の16.14秒を上回る、15.92秒を叩き出しました。また、加速力を示す指標の1つパワーウエイトレシオは6.68kg/psと、AE86の7.38kg/ps(GT-APEX)を大きく上回っています。 先代のシティターボと同様のER型1.2Lターボエンジンですが、クラス初のインタークーラーを装備したことで10psのパワー向上を果たしました。最大トルクは、シティーターボからさらに1.3kgmアップの16.3kgmを発揮します。 一方で、パワーのあるエンジンを支えるシャシー周りも、シティターボⅡ専用に作り込まれています。トレッド幅を広げることでコーナリング安定性を高め、単なる直線番長ではなく運動性能全体が高められていました。 ブルドックと呼ばれた個性的な内外装デザイン シティターボⅡは、メーカーのホンダ自らが「ブルドック」と名付けるほど個性的なスタイリングのモデルです。前後に「ダイナミックフェンダー」という名のブリスターフェンダーを装備し、併せて前輪30mm、後輪20mmもトレッド幅が拡大されています。 一方、内装で目を引くのはメーターパネルです。中央に配置したデジタル表示のスピードメーターを取り囲むように、回転式のタコメーターを配すという先進的なデザインでした。また、シートはサイドポートの張り出した、バケット形状になっています。 今でも人気のシティターボII 今見ても個性的なスタイリングと爆発的な加速力を兼ね備え、根強いファンをもつシティ ターボⅡ。登場から40年以上が経つにも関わらず、状態次第では100万円以上の買取価格がつくほどの人気を誇っています。 ただし、走りを楽しむ層の支持を集めていただけに、酷使されている可能性は否めません。中古車で購入する際は、状態を十分見極めることをおすすめします。 売却の際にも、状態によっては思わぬ高値がつく可能性があるため、価値を熟知した旧車専門の買取業者に依頼しましょう。