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増田 真吾の記事一覧

日産が世界に影響を与えたパイクカーシリーズ第2弾! レトロデザインがかわいらしい日産 パオの魅力
旧車の魅力と知識2023.06.28

日産が世界に影響を与えたパイクカーシリーズ第2弾! レトロデザインがかわいらしい日産 パオの魅力

レトロデザインなのに、なぜか新しいかわいらしさを感じる日産 パオ。日産が世界に先駆けて開発に取り組んだパイクカーシリーズの、第2弾としてリリースされました。懐かしい三角窓や独立設置されたバンパーなど、とことんこだわったデザイン性の高さは今も色あせることがありません。 発売から30年以上が経過しても人気の高いパオの魅力をたっぷりと紹介します。 パイクカーシリーズの人気を不動のものにしたパオ パイクカーシリーズ第2弾のパオは第1弾Be-1をわずか2週間で上回る注文を受け、シリーズの人気を不動のものにしました。Be-1に端を発した日産のパイクカーシリーズ。常に最新・最先端を求める車業界の流れに逆行する、レトロ感あふれるデザインが高い人気を得ました。 まずはパイクカーの定義と、パオの発売経緯を振り返ってみましょう。 日産が世界の先駆者だったパイクカー 「パイク」とは「尖った」という意味の英語です。他にない特徴的なスタイリングの、文字通り「尖った」車をパイクカーと呼びます。パイクカー本来の意味では、三岡自動車のオロチのように先鋭的なスタイリングのクルマも含まれますが、全体としてはレトロ調のノスタルジックなデザインの車種が比較的多いです。 日産がパイクカーの開発に乗り出したのは、技術力の向上とともに激化していた性能競争の最中の1980年代です。各社がしのぎを削って、エンジン出力の向上や内外装含め現代的なアプローチの新型車を開発するなか、他社と一線を画すレトロチックなデザインを施したパイクカー第1弾のBe-1を発売。大ヒットを記録し、国内のみならず海外にも衝撃を与えました。 1990年代にビートルやミニといった名車が相次いでリバイバルされましたが、その源流は日産 Be-1の成功ともいわれています。 Be-1に間をあけず発表されたパオ 1987年の東京モーターショーで、第2弾パイクカーとしてパオが発表されました。この年は日産がパイクカーシリーズの第1弾として発表したBe-1の発売年。Be-1の発売中にも関わらず発表するほど、パオに力をいれていたことがわかります。ベース車輌はBe-1と同じK10型マーチでしたが、よりレトロ方向に踏み込んだスタイリングでした。 パオが発売されたのは、東京モーターショーでの発表から2年後の1989年の1月15日。平成元年になって最初に発売された国産車の1台です。(もう1台も日産車のC33型ローレル)Be-1以上にレトロデザインを全面に押し出したパオが、新しい時代の幕開けとともに登場というのも運命的なものを感じます。 受注期間わずか2週間でBe-1を超える受注 パオは、一定期間の予約受付後に予約分のみを生産するという販売方式をとります。予約期間わずか3ヶ月で、パイクカー第1弾のBe-1を超える5万1,657台もの申し込みを受けました。すべての注文分を納車するのに、1年半を要したというエピソードも残っています。 パオのかわいいレトロデザインは今見ても魅力的 ベース車輌がK10型マーチのパオは、車として特筆すべき性能を備えているわけではありません。それでも、現在でも人気の理由は圧倒的なデザイン性の高さでしょう。 何かを真似して作ったわけではないのに、懐かしさを感じるレトロ感。さらに、冒険というテーマをしっかりと表現していて、すぐにでもどこかに出かけたくなるデザインです。 パオのデザイン上の魅力を内外装それぞれ紹介します。 モチーフはサファリを旅する冒険者の衣類 ノスタルジックなデザインが魅力のパオですが、特定の車を真似したわけではありません。パオのデザインモチーフは、サファリを旅する冒険者の衣類です。ボディと独立した前後バンパーやルーフ部のモール、ボンネットやボディサイドのあしらいなど、レトロ感とアウトドア感溢れるデザインに仕上がっています。 また、むき出しになったドアヒンジやミラーや窓の取り付け部、三角窓に2分割のリアウィンドーと細部までこだわり抜いてデザインされました。当時はすでにパワーウィンドウが一般的でしたが、窓の開閉も手動という徹底っぷりです。パオの世界観を妥協することなく表現したクルマとして、見事に完成しました。。 また、ノーマルルーフに加えて、キャンバストップも用意されました。開放的なキャンバストップを開ければ、心ゆくまで冒険気分を味わえます。 パオの魅力は内装に詰まっている パオの魅力を最大限感じられるのは、外観よりも内装かもしれません。車内に乗り込むと外観は見えませんが、こだわりの内装によって常に特別な車に乗っていることを思い出させてくれます。 パオの特徴的な内装イメージを決定づけているのが、ボディと同色に塗装された鉄板むき出しのダッシュボードです。エアコンのコントロールパネルは現代車のインパネのように埋め込まれておらず、いわゆる「取り付けられた」状態。オーディオもインパネ下部に「取り付け」られていて、本当にオールドカーを感じさせる作りがシンプルで好印象です。 一方で、各種スイッチ類はオーディオユニットに至るまで統一されていて、単にシンプルに仕上げただけでなくデザイン性を追求した結果だとわかります。 コックピットもシンプルでかわいらしくまとめられており、大型の円形メーターパネルを1つだけ備え、白いレトロデザインに仕上げられた2本スポークのハンドルに目を惹かれます。自然とノスタルジックな気持ちに浸ってしまう、パオならではの特別な室内空間です。 すでに旧車として扱われ希少性が高まっているパオ レトロ基調のデザインを現代の車で再現したパイクカーのパオ。発売当時、古いのはあくまでもデザイン上の話でしたが、現在ではパオそのものが旧車にカテゴライズされています。発売からすでに30年以上が経過し、限定販売だった影響もあり状態のいい個体も徐々に減っていく時期です。 パオを売買するのであれば、古いクルマに特化した専門業者を探しましょう。特に売却する際は、単なる中古車として取り扱われないよう旧車の取り扱いが多い業者への査定をおすすめします。

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由
旧車の魅力と知識2023.06.22

GTの元祖は意外にもいすゞだった! 日本の自動車史に残るベレットGTが今なお人気の理由

高いパフォーマンスとラグジュアリーさを兼ね備えた、最上級スポーティーカーにつけられている「GT」という名称。日本で初めて名前に「GT」を採用したメーカーは、意外にもいすゞでした。2ドアクーペとして開発された、ベレットGTです。 今回は、流麗なボディに最高の性能を備えていたベレットGTと最上位モデルのGTRについて紹介します。ベレットGTの魅力を紐解き、今もなお高い人気を誇る理由に迫ってみましょう。 GTの意味を体現していたベレットGT 現在ではトラックやバスといったイメージの強いいすゞですが、当時はレースにも参戦するなど高性能車の開発に力を注いでいました。 その流れを汲んで、いすゞはセダンタイプのベレットをベースに、2ドアクーペのベレットGTを発売。「GT」本来の意味を体現する、完成度の高いクルマでした。いすゞ ベレットGTの誕生背景とそもそも「GT」とはどういう意味なのか詳しく解説します。 東京オリンピックとともに登場したいすゞ ベレットGT いすゞベレットGTは、東京オリンピックが開催される1964年4月に登場。前年1963年に発売された、セダンタイプのベレットをベースに開発されました。首都高速が整備され、高い走行性能のクルマを求める機運のなか、ベレットGTは誕生します。 実はこの頃のいすゞは、ワークス体制でレースに参戦しており、ベレットGTにはレースで獲得したノウハウが惜しみなく注がれていました。 スポーツカーを中心に使われるGTの本当の意味 GTとは、イタリア語のGranTurismo(グランツーリスモ)の略称です。もともとは、大旅行を意味する「グランドツーリング」から派生した言葉で、長距離ドライブもこなせる高い性能とラグジュアリー感を備えたクルマを指します。 いすゞベレットGTも、ベースとなったセダンタイプのラグジュアリー感を活かしつつ、走行性能をとことん高めたモデルでした。 ペレットGTには「R」モデルも存在していた ベレットGTの発売から3年後の1969年、さらにパフォーマンスを高めたベレットGTRが誕生します。ベレットGTRは、レース車輌として活躍していたGTXをベースに、ロードカー仕様にチューンされ、極限まで走行性能を高めたモデルに仕上がりました。 なお、ベレットGTRは1970年に行ったマイナーチェンジの際に、ベレットGT typeRと名称を改めています。GTR、TypeRともに、現在では走行性能の高い国産車の象徴ともいえるグレード名です。どちらの名前も1960年代に使用していたいすゞは、先見の明があったのかもしれません。 GTの名にふさわしい走行性能を誇ったベレットGT ベレットGTは、GTの名前にふさわしく、ベース車輌のセダンタイプとは別のクルマといっていいほど充実した装備が盛り込まれていました。 さらに特別感を高めたGTRとともに、ベレットGTの装備を見ていきましょう。 走行性能を高めるために注ぎ込まれた先進技術 ベレットGTに搭載されたG160型1.6L水冷4気筒OHVエンジンは、最高出力88ps/rpm、最大トルク12.5kgm/4,200rpmを発揮。わずか940kgの車体を軽快にドライブしました。 さらにベレットGTには、当時の市販車としては最新とも呼べる技術によって、高い走行性能を実現します。サスペンションは4輪独立懸架、ステアリング機構はラック&ピニオン式、ディスクブレーキ(フロントのみ)、4速MTなど、名称だけであれば現在のクルマとほぼ遜色のない技術と装備が投入されました。 Rの名前は伊達じゃない ベレットGTRに搭載されたG161W型1.6L水冷直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力120ps/6,400rpm、最大トルク14.5kgm/5,000rpmを発生。GTRの名に恥じない最高峰の性能を誇っていました。 ベレットGTRはGTカーのラグジュアリーの側面を満たすべく、内外装でも特別感のある仕様になっています。 外装面では、ダクトの開いた専用ボンネットにリムにメッキを施したホイール(スチール製)、そしてフロントにはベレットGTRの象徴の大型フォグランプが備えられていました。さらに、マイナーチェンジ後のGT TypeRでは、スカイラインGT-Rを想起させるような「R」のエンブレムがボディサイドにあしらわれています。 内装は本革巻き3本スポークステアリング、木目シフトノブといった高級感のあるアイテムが特別装備されていました。一方、インパネには220km/hのスピードメーター、センターコンソールには水温系、電圧計、燃料計の3連メーターを備えるなどレーシーな雰囲気がいかにもGTRらしさを演出しています。さらに、シートはヘッドレスト一体型のバケットシートでした。 名前だけではなく日本の自動車史に残る性能を誇っていた ベレットGTとGTRが、登場から50年以上経った今も高い人気を保っている理由は、単に日本で初めて「GT」の名を冠したクルマだったからというわけではありません。レースからのフィードバックを、ロードカーに詰め込んだ高性能マシンだったからです。ちなみに、日本で初めて「発売」されたGTとなると、発売日の関係でスカイラインGTにその座を譲っています。 半世紀を超えるクルマだけに、中古車の売買は慎重に行いたいところです。仮に程度のいい車輌を探し出しても、維持するためにはメンテナンスは欠かせません。専門の知識をしっかりともった業者と取引をしましょう。

FC3S型RX-7にもアンフィニが存在した!1〜4世代の特徴を紹介
旧車の魅力と知識2023.06.20

FC3S型RX-7にもアンフィニが存在した!1〜4世代の特徴を紹介

マツダの販売チャンネル名にもなった「アンフィニ」という名称で真っ先に思いつくのは、3代目RX-7のFD3S型です。しかし、実は2代目RX-7のFC3S型にはアンフィニシリーズという限定モデルが存在していました。初代から劇的に進化したFC3S型に、さらにファインチューニングを施した限定車輌、マツダ サバンナ RX-7 アンフィニシリーズを振り返ってみましょう。 性能だけでなく取り組みも画期的だったFC3S 1980年代中盤に登場した2代目サバンナ RX-7。型式名もFC3S型と改められた2代目サバンナは、ピュアスポーツとして初代から大きく生まれ変わりました。 さらに、FC3S型には、限定販売されたマツダ純正のチューニングモデルが存在します。「アンフィニ」と名付けられたシリーズは、合計4世代も開発するという意欲的な取り組みでした。アンフィニシリーズがいかに画期的なアプローチだったかも含めて、FC3Sの概要を紹介します。 初代サバンナを昇華させたFC3S型RX-7 1985年10月、2代目サバンナ RX-7としてFC3S型が発売されます。1978年の登場から、7年間もの長きにわたって販売されていたRX-7初のフルモデルチェンジでした。ロングノーズショートデッキにリトラクタブルヘッドライトというスタイリングは先代を踏襲しつつ、バンパー形状を一体型とするなど現代的なアプローチでデザインされています。 プラットフォームも刷新され、独立懸架に変更されたリアサスペンションに、国産車初の対抗4ピストンのアルミキャリパーを採用するなど性能面で大幅な進化を遂げました。さらに、エンジンは3代目FD3S型にも受け継がれる13B型ターボエンジンを搭載。初代サバンナ RX-7を、FC3S型でピュアスポーツに昇華させました。 メーカー純正のチューニングカー「アンフィニ」シリーズ FC3S型サバンナ RX-7には、「アンフィニ」の名を冠した限定のチューニングモデルが存在します。シリーズ累計でわずか3,000台という限定生産ながら、スポーツカーファンの人気を集めました。FC3Sアンフィニシリーズの成功が、後にマツダの販売チャネル名に採用されることにつながったのでしょう。アンフィニシリーズは、1986年のアンフィニIを皮切りに合計4世代が投入されました。 日本のチューニングカー市場は1995年の規制緩和で大幅に拡大しますが、アンフィニシリーズの登場ははるか10年近く前。ただでさえチューニングカーの販売が難しかった時代に、メーカー純正のチューニングカーが生産されたことは画期的なことでした。 限定生産ながら4世代も投入されたサバンナ RX-7アンフィニシリーズ 2代目マツダ サバンナ RX-7のメーカー純正チューニングカーとして限定販売されたアンフィニシリーズは、ピュアスポーツとして徹底的にこだわって開発されました。 全モデル2シーター化され、ボンネットは専用のアルミ製、BBS鍛造ホイールに加え、専用ダンパーまで備えています。さらに、エンジンや足回りもそれぞれの世代でチューニングされていて、スポーツカーファンにはたまらない仕上がりでした。アンフィニシリーズの全4モデルの特徴を一気に紹介します。 専用設計パーツ満載で登場したアンフィニI(1986年) アンフィニシリーズの記念すべき初代は、FC3S型発売の1年後、1986年8月に登場した「アンフィニI」です。当初限定300台で発売されましたが、翌年にはさらに300台追加販売されました。内外装、さらに性能面で多くのパーツが専用開発され、単なる特別仕様車の枠を超えたメーカー純正チューニングカーとして話題を呼びます。アンフィニIの基本仕様は、アンフィニII以降のシリーズにも踏襲されました。 販売価格:278万8,000円〜 <性能面の主な専用装備>・専用開発の低圧ガスダンパー・リミテッドスリップデフ <外装の主な専用装備>・BBS製鍛造アルミホイール・ボディ同色リアスポイラー・ブロンズペンガラス・アルミ製ボンネット・アルミ製スペアタイヤホイール <内装の主な専用装備>・2シーター化(リアには小物入れ=ストレージボックス)・MOMO社製本革ステアリングホイール及びシフトノブ・ニット製専用ハイバックスポーツシート&ドアトリム・防眩電動ドアミラー・助手席フットレストバー・新色外板色(ノーブルホワイト) 初代同様に追加販売までされたアンフィニII(1988年) 1988年1月に限定300台として登場したアンフィニIIは、発売からわずか7ヶ月後の8月にさらに300台を追加販売します。初代から大幅な変更はなかったにもかかわらず限定台数が完売してしまう事実から、いかにアンフィニシリーズがファンから支持されていたかがうかがい知れます。 販売価格:281万8,000円〜 <性能面の主な変更点>・最終減速比の変更(4.100→4.300)・ステアリング/シフトレバーなどの剛性向上 <外装の主な変更点>・新設計リアスポイラー(ウイングタイプ)の採用・新色外板色(クリスタルホワイト)・ブロンズ色サンシールド採用 <内装の主な変更点>・ドア内張りとシート地をグレーからブラックに変更 価格が下がったのに性能向上を果たしたアニフィニIII アンフィニIIIは1989年8月に登場。限定台数は600台でしたが、歴代アンフィニシリーズ同様に600台が追加販売されました。エンジン性能の向上やタワーバーの標準装備化、16インチホイールの採用など性能も装備も先代から大幅に向上したにもかかわらず、販売価格は約10万円も引き下げられています。 販売価格:270万4,000円〜 <性能面の主な変更点>・エンジン性能の向上・ストラットタワーバーの標準装備・ショックアブソーバとブッシュ類のファインチューニング <外装の主な変更点>・BBS製16インチ鍛造アルミホイールの採用(205/55R16タイヤ)・新デザインのエアロパーツキット採用・新色外板色(シェイドグリーン) <内装の主な変更点>・専用バケットシート・運転席/助手席ニーパッド 最後までアップデートの手を緩めなかったアニフィニIV アンフィニシリーズ最後のモデル、アンフィニIVは1990年に登場。600台の当初限定台数に追加300台を加えた合計900台が販売されました。シリーズ最終モデルながら、日本車初のトルセンLSDやハンドメイドのフルバケットシートの採用など最後まで意欲的に開発。メーカー純正チューニングモデル、アンフィニシリーズの名に恥じない仕様に仕上げられました。 販売価格:284万3,000円〜 <性能面の主な変更点>・トルセンLSD採用・ブレーキマスターシリンダーのサイズアップ・ブレーキパッド材質変更・ショックアブソーバー&ブッシュのファインチューニング <外装の主な変更点>・専用仕様のピレリP-ZEROタイヤ採用(205/55R16) <内装の主な変更点>・レーシングタイプフルバケットシート(ハンドメイド:運転席)採用 FD3Sにも引き継がれたアンフィニシリーズの手法 FC3S型マツダ サバンナ RX-7のアンフィニシリーズで培われた専用チューニング車を限定生産する販売手法は、続くFD3S型アンフィニ RX-7でも引き継がれます。タイプRZ、バサーストなどさまざまな限定車が販売され、それぞれ人気を集めました。 中古車でFC3Sアンフィニシリーズを入手する際は、信頼のできる中古車業者に依頼しましょう。特殊なロータリーエンジンのメンテナンスには、専門知識とノウハウが欠かせません。最終型のアンフィニIVの追加販売からでもすでに30年以上が経過する旧車のため、しっかりと整備された個体かどうかの見極めが重要です。 また、売却時には、価値のわかる専門業者に正しく査定してもらいましょう。シリーズ合計でわずか3,000台しか販売されなかった希少性の高い車種だけに、単なるFC3Sと査定されてしまうと損をしてしまう可能性もあります。※経過年数は2023年6月執筆当時

ホンダ・スピリットの象徴Sシリーズを振り返る! S360からS800まで歴代モデルをすべて紹介
旧車の魅力と知識2023.06.15

ホンダ・スピリットの象徴Sシリーズを振り返る! S360からS800まで歴代モデルをすべて紹介

オープン2シーターにスポーティなボディデザイン、現代でも通用しそうなスタイリングが魅力のホンダ S360。ホンダが世の中に初めて発表した4輪乗用車です。S360は残念ながら市販には至らなかったものの、Sシリーズはホンダスポーツモデルの象徴として絶大な人気を誇りつつ進化。意欲的に開発され、毎年のようにモデルチェンジが繰り返されました。 S360から市販モデルS500を経て、S800に至るSシリーズのすべてを紹介します。今なお色褪せないホンダ・スピリットの詰まったSシリーズを一緒に振り返ってみましょう。 世界一を目指したホンダ初の4輪乗用車Sシリーズ 2輪での成功を受けて、ホンダはかねてからの目標だった4輪自動車の開発に乗り出します。しかし、初の4輪開発にもかかわらず命題は「世界一」。期待の高まりから開発を急ぐ技術陣に、本田宗一郎氏は「早く出すよりも、世界一のモノにすることに重点を置かなければなりません」と語り、最初から最高のクルマ作りをすることを目指しました。 世界一を目指して作られた、ホンダ4輪の起源「ホンダ スポーツ360」(以下S360)と続くSシリーズの開発について紹介します。 商用車全盛の時代にスポーツカー開発に着手 S360が発表された1962年当時の日本の自動車事情は、商用車が中心的存在でした。しかし、本田宗一郎氏はレースでの活躍も見越して、スポーツカーの開発から着手します。「乗ることが愉快であって、誇りでなければ自動車の価値はない」と、現在にも通じる理念のもとS360は開発されました。 実際には、専務だった藤澤氏の市場を見据えた進言によって、軽トラックT360も同時開発されたものの、初めての4輪開発でいきなりスポーツカーにチャレンジするあたりに、ホンダ・スピリットを感じます。(市販されたのはT360が先) S360が市販されなかった理由 1962年6月、建設途中の鈴鹿サーキットでS360は華々しくお披露目されます。その後、第9回全日本自動車ショー(現東京モーターショー)でも、T360と同時に展示されました。しかし、T360がホンダ初の4輪車として発売された一方、S360は市販には至りませんでした。 理由は諸説ありますが、開発車両バリエーションを軽自動車だけではなく普通車にも広げたかった説が有力です。最終的には廃案になりましたが、1961年に当時の通商産業省が発表した「特定産業振興臨時措置法案」によって、国内自動車メーカーの統廃合が進められる懸念が生じました。軽自動車のみの生産実績では、今後の開発に制限がかかるおそれがあったためです。 また、本田宗一郎氏はすでに世界を見ていて、世界に通用するボディサイズで作ろうと急遽変更されたといった逸話も残っています。いずれにせよ、本田宗一郎氏が迷いなく作り上げたクルマがこの世に送り出されなかったことは、今となっては残念でなりません。 毎年のようにリリースされた歴代Sシリーズ列伝 Sシリーズは他社にはない、特徴的な機構を採用しています。また、ホンダらしい高回転型エンジンは今でもその輝きを失っていません。ここでは歴代Sシリーズのユニークな装備と魅力的なエンジンを紹介します。 超高回転型の4気筒DOHCエンジンを搭載した幻のS360 S360の排気量はわずか354ccながら、4気筒DOHC機構を採用した本格的なスポーツエンジンを搭載していました。最高出力の33psを9,000回転で発生する超高回転型エンジンで、2輪車開発で培ってきたノウハウが活かされています。 また、S360の残した功績は性能面だけではありません。本田宗一郎氏が乗り込んで颯爽と登場したボディカラーの「赤」も、実は時代を切り開いた結果でした。当時日本では、緊急車両との混同の問題から「赤」の使用が法律で規制されていました。しかし、本田宗一郎氏が世論に訴え、担当者が運輸省と度重なる交渉を重ねた結果、ついに赤色の使用を勝ち取ります。 世界を見据えたS500を市場投入 S360発表のわずか1年後の1963年に、ボディとエンジンを拡大したS500をついに発売します。先に販売されていたT360はあくまでも商用車という位置付けのため、S500がホンダ乗用車の幕開けでした。 エンジンは、S360のコンセプトを忠実に踏襲。531cc直列4気筒DOHCエンジンは、最高出力44PS/8,000rpm、リッター当たり約83PSを誇りました。量産車としては当時珍しかったDOHC機構、さらには小排気量ながら4気筒を採用した本格スポーツエンジンは自動車業界を驚かせます。 わずか1年後に正統進化のS600を発売 ホンダ初の乗用車S500の発売からわずか1年後の1964年、後継のS600が発売されます。エンジンは606ccへ排気量アップされ、最高出力は57PS/8,500rpmまで引き上げられました。リッターあたりの出力は94psで、ハイパフォーマンスカーの目安のリッターあたり100psに迫る数値を叩き出しています。 最高速度は約145km/hで、倍以上の排気量を持つ他車種と肩を並べるまでに到達しました。S600は本田宗一郎氏が目指したレースの世界でも、高い実績を残します。発売から2ヶ月後に開催された第2回日本グランプリ GT-1クラスでいきなり優勝。さらに同年、ドイツのニュルブルクリンク500km耐久レースに挑み、1,200cc以下クラスで優勝を飾りました。 モナコ公妃も愛したS800 1966年には、さらに791ccまで排気量アップしたS800がデビュー。この頃には、Sシリーズの半数はヨーロッパやアメリカなどの海外へ輸出されていました。著名人でもS800を選ぶ人が出てきて、特に有名なのはモナコのグレース・ケリー公妃です。アメリカの女優出身でモナコの公妃へ華麗なる転身を遂げた彼女は、アイボリーカラーのS800をこよなく愛したとされています。 本田宗一郎氏が当初目指した「世界に通用するクルマ」を、コンセプトモデル発表からわずか4年で成し遂げました。 50年以上が経過するSシリーズ 「世界のホンダ」「ホンダ・スピリット」を体現したSシリーズ。初の乗用車開発でこれだけ魅力的なクルマを生み出したメーカーは、世界的にみてもあまり例がありません。Sシリーズの基本コンセプトは、現代のS2000やS660にも受け継がれています。 ただし、Sシリーズを中古車で取引する際には注意が必要です。最終型のS800の発売からでも50年以上が経過しているため、車両の状態が万全とは限りません。一方で、残存台数の減少から希少価値は高まる傾向にあるため、売却する際は正しく価値を評価してくれる専門業者への相談をおすすめします。

空飛ぶレンガの再来?! ボルボ伝統のスクエアボディ850 T-5Rエステートの魅力
旧車の魅力と知識2023.05.30

空飛ぶレンガの再来?! ボルボ伝統のスクエアボディ850 T-5Rエステートの魅力

ボルボ 850のスポーツタイプ特別仕様車として、1995年に発表された850 T-5R。日本国内では、T-5Rエステート(ステーションワゴン)とT-5Rセダンの両モデルが限定650台で販売されました。 特に人気を集めたのが、ステーションワゴンタイプのT-5Rエステートです。イギリスではツーリングカー選手権で優勝、日本ではグッドデザイン大賞を受賞するなど輝かしい経歴をもつ、ボルボ 850 T-5Rエステートの魅力を紹介します。 空飛ぶレンガの名にふさわしい850 T-5R エステート ボルボ 850 T-5Rエステートは、レースでの活躍を受けて開発された限定仕様のスポーツモデルです。もともとスポーティさを追求して設計されたボルボ 850は、異例の形でレースに投入されると、高い実力を証明してみせました。かつてレースで活躍した240の呼び名から「空飛ぶレンガの再来」とまで評されます。 ベース車輌の850も含めて、T-5Rの開発背景を振り返ってみましょう。 ステーションワゴンブームの火付け役ボルボ 850 ボルボ 850 T-5R エステートのベース車輌のボルボ 850 エステートは、先行して発売されていたセダンタイプに加わる形で1993年に登場しました。ボルボの新たな主力車種として位置付けられた850は、ボルボ初のFFレイアウトを採用するなど意欲的に開発されたモデルです。 日本にも同時期に正規輸入されると、大ヒットを記録。輸入車にもかかわらず、スバル レガシィとともにステーションワゴンブームの火付け役といわれています。「頑丈で安全なクルマ」という従来のボルボのイメージに、スポーティな要素を新たに加えた850は、日本のステーションワゴンにも大きな影響を与えました。 真の空飛ぶレンガはT-5R エステート ボルボ 850 T-5R エステートが誕生した直接のきっかけは、850でのレースへの参戦です。ボルボはかつて240ターボでレースに参戦し、直線基調のボディスタイルと輝かしい実績を評して「空飛ぶレンガ」と呼ばれました。 「空飛ぶレンガの再来」と話題になった850でのレース参戦ですが、さらにボルボの選んだ参戦車輌が注目を集めます。レースでは不利といわれるステーションワゴン、エステートを選んだのです。ボディ剛性の不足、リア側の重量など決してレース向きとはいえないステーションワゴンでの参戦は異例のことでした。 そして、1994年に英国ツーリングカー選手権(BTCC)で見事入賞を果たします。シリーズ優勝こそ掴めなかったものの、何度かの入賞で高い運動性能を証明。レース成績によって850 エステートに多くの注目が集まったことから、よりスポーティなT-5Rのリリースにつながりました。 なお、850 T-5Rはセダンも投入されますが、レースで結果を残したことを考えると、真の空飛ぶレンガはステーションワゴンのエステートです。 レースをきっかけに生まれたT-5Rエステートは数週間で完売 レースでの成功を受けて開発された850 T-5Rは、レース車輌のイメージを可能な限り投影したモデルに仕上げられます。チューニングが施されたエンジンに、専用のエアロパーツなどファンの心を掴む特別仕様車T-5Rは、限定2,500台が用意されたクリームイエローの完売後には、追加カラーが投入されるほどの人気ぶりでした。 日本国内でもおよそ600万円という高額だったにもかかわらず、限定台数650台(エステート500台、セダン150台)は数週間で完売。よりスポーティな限定仕様車だったことと、850が火をつけたステーションワゴンブームを背景に高い注目を集めました。 R-DESIGNのルーツらしく魅力的だった850 T-5R 現在のボルボのスポーツモデルには、「R」の文字が含まれるモデル名がつけられていて、総称して「R-DESIGN」と呼ばれています。そして、実はスポーツモデルとしてR-DESIGNが確立したルーツは850 T-5Rでした。 特別仕様にふさわしい数々のチューニングが施された、850 T-5R エステートの魅力を紹介します。 コンプリートカー並みの高性能モデル 850 T-5Rには、専用設計の2.3L直列5気筒ターボエンジンを搭載。ベースモデルの2.5Lよりも排気量が小さいものの、最高出力240ps、最大トルク30.6kg・mを発生するまでにチューニングされていました。0→100km/h加速は6.9秒を誇り、鈍重な印象の強いステーションワゴンのイメージを払拭します。 また、しっかりと固められた足回りやホイールなど、コンプリートカーと呼べるほど専用パーツが盛り込まれていました。 クリームイエローが「T-5R」の証 ホンダ シビック タイプRのチャンピオンシップホワイトのように、特別なスポーツモデルには専用カラーが用意されていることが少なくありません。850 T-5Rも例外ではなく、特別色「クリームイエロー」が限定車の証です。 850 T-5Rは、性能面だけではなく外装も専用設計でよりスポーティに仕上げられています。大きな開口部が目をひくフロントバンパー、ステーションワゴンらしからぬ大型リアスポイラーとレーシングカーを強く意識したデザインが印象的です。 ボルボ特有のボクシーなボディデザインとの組み合わせによって、より骨太な特別感あるエクステリアに仕上がっています。 ボルボ 850 T-5Rは即完売の人気車だっただけに慎重に取引したい ボルボ 850 T-5R エステートの発売の翌年には、実は後継車850Rも販売されました。しかし、こちらもT-5R同様即完売したという逸話が残っています。どちらも限定販売で希少性が高いため、つい細かな確認をしないまま取引してしまいがちです。 しかし、発売からすでに30年近くたっている旧車でもあるため、状態の確認はしっかりとしましょう。 また、売却する際に希少性を理解していない一般中古車店に持ち込むと、正しい評価をしてもらえないおそれもあります。ボルボ 850 T-5Rを取引する際は、必ず知識のある旧車専門業者に相談しましょう。

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る
旧車の魅力と知識2023.05.25

EVで復活?! ファイナルミニでもっとも人気の高かったポールスミス・ミニの魅力に迫る

2022年10月に開催された「MINI×Paul Smith in東京」でEVバージョンが展示されたことで、再び脚光を浴びたポールスミス・ミニ。伝統のスタイリングを守りながら、ポール・スミス氏のデザインが随所に光る特別仕様車は、当時はもちろん現在でも人気の高いモデルです。 今回は、オールドファンの心をつかんで離さないミニの誕生秘話と、特別仕様車ポールスミス・ミニの魅力をたっぷりと紹介します。 革新的なコンパクトカー「ミニ」 1950年代に登場したミニは、当時としては画期的なコンパクトカーでした。しかも、40年以上に渡って基本的なスタイリングを一切変えなかった珍しい車種です。 ブリティッシュ・モーター・コーポレーションの技術者、アレック・イシゴニス氏が作り上げたミニの開発背景と魅力を改めて振り返りましょう。 ミニの開発は矛盾した挑戦だった 初代ミニが登場したのは、イギリスが石油危機にさらされていた1959年でした。各社が燃費の改善に躍起になるなか、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が発売したコンパクトカーがミニです。 ミニの開発にあたって、BMCの技術者アレック・イシゴニス氏は、「広々とした4人乗りの座席を確保したままで、車体サイズはできるだけコンパクトにする」というテーマを掲げます。車体サイズを小さくするのに、車内のサイズは変えないという大きな矛盾を抱えた挑戦でした。 しかし、ミニは当時としては画期的な方法で、「ボディサイズの縮小」と「居住空間の確保」という相反する2つの要件を満たします。当時は一般的だった縦置きエンジンのFRではなく、ミニは横置きエンジンのFFレイアウトを採用することで、エンジンルームの大幅な縮小に成功。さらに、当時BMCが生産していたエンジンのなかで最小の850ccクラスのAシリーズエンジンを搭載し、コンパクトサイズでありながら居住空間は広い画期的なミニが生まれました。 ミニの名を世界に知らしめたレース参戦 ミニにはいくつかの呼び名がありますが、「ミニ・クーパー」という名で覚えている方も多いのではないでしょうか。「クーパー」は、正確にはミニのスポーツグレード名で車名ではありません。しかし、ミニの存在を世界に知らしめた存在として「クーパー」とミニは切り離せない歴史があります。 ミニの開発当時、テストドライバーとしてステアリングを握っていたジョン・クーパー氏は、開発者のアレック・イシゴニス氏にレース参戦を持ちかけます。あくまでも経済車として開発を進めていたミニのレース参戦に当初は難色を示していたものの、ミニ発売から2年後の1961年についにレース参戦を決定しました。 そして、レース参戦から3年経過した1964年のモンテカルロラリーで、真っ赤なボディカラーの「ミニ クーパーS」が見事に初優勝を飾ります。レースでの活躍によってミニは一気に注目を集め、初代のMK-1は販売台数100万台超という大成功をおさめました。 ポール・スミス・ミニは英国の最強コラボレーション 1998年に限定1,500台で販売された、ポール・スミス・ミニ。イギリスのファッションデザイナー、ポール・スミス氏がデザインを手がけた特別仕様車です。多くの人から愛されるデザインで、40年の販売実績をもつミニに、ポール・スミス氏のデザインが加わるというイギリス最強のデザインコラボレーションが実現したモデルです。 内外装の至るところにポール・スミス氏の遊び心が光るポール・スミス・ミニは、ベース車両のミニ最終型のなかでも圧倒的な人気を誇りました。 ミニのスタイリングに取り込まれたポール・スミス氏の遊び心 ポールスミス・ミニは、ボディデザインが大幅に変わっているわけではありません。歴代のミニ同様、1959年に登場したスタイリングを忠実に踏襲したモデルです。 一方で、専用カラーの設定やエンブレム、ホイール、内装など多くの箇所にポール・スミス氏のデザインが盛り込まれています。オリジナルの良さをスポイルすることなく、新たなデザインを施したことで一気に人気が高まりました。 ポール・スミス・ミニの特徴をさらに詳しく紹介します。 特別感あふれるインテリア ポールスミス・ミニの内装は、ボディカラーに関係なくブラックレザーで統一されています。ドアの内張りといったボディ側だけではなく、シートまでブラックレザーで高級感ある仕上がりです。 一方で、インストゥルメントパネルはボディカラーと同色でペイント。気に入ったボディカラーを選んでも運転をしていると見ることができません。しかし、インテリアにボディカラーを取り入れることで内外装の統一感をもたせるとともに、ドライバーの満足度も向上します。 また、さすがイギリスを代表する有名デザイナーであるがゆえの細部に渡るこだわりも見逃せません。たとえば、グローブボックス内にも塗装が施され、車載ジャッキをいれる工具袋はジーンズ生地で作られるなど遊び心あふれるデザインです。 キラリと光る外装デザイン ポールスミス・ミニのボディ全体のデザインは、歴代のミニと大きくは変わりません。しかし、随所にポール・スミス氏のデザインが光ります。基本的なスタイリングを守っていたことも、オールドファンからの人気を集めた理由かもしれません。 外装面でもっとも大きなポイントは、専用カラー「ポールスミス・ブルー」の設定です。標準車にはないカラーリングを楽しめます。また、チャコールブラックの8本スポークホイールも足回りを引き締め、外観上の印象に大きく影響を与えるポイントです。 一方で、遠目に見ても大きく印象がかわらないものの、エンブレム類には強いこだわりがみられます。ボンネットエンブレムは、ポール・スミス氏が手がけたデザインを宝石職人が七宝焼きで仕上げたものを採用。グリルにはグレート・ブリテン島をかたどったエンブレムもあしらわれています。 リアエンブレムもグレートブリテン島をテーマにしたものを使用。極め付けはリアウィンドウに洋服のタグを思わせるポール・スミスのロゴが施されています。 現在でも色褪せないポール・スミス・ミニ ポールスミス・ミニは、最終型がベースだったとはいえ登場からすでに25年が経過しています。しかし、クラシックミニのスタイリングとともに当時の人気は今も変わらず続いているようです。 ただし、設計の古いミニを中古車で売買する場合は注意が必要です。車輌状態の確認など、専門業者でないと正しく判断ができません。とくに1,500台という限定販売だったポールスミス・ミニは希少車で、正しい査定をするためにはベース車両以上の知識が必要です。 ポールスミス・ミニの売却を検討する際は、名車・希少車・旧車の専門業者に一度ご相談ください。

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!
旧車の魅力と知識2023.05.24

日産 サファリY60の魅力!ワイルドな風貌で悪路を走破する、クロカンブームを支えた実力派!

どっしりとしたスタイリングと大型グリルガードが演出するワイルドな風貌が印象的な、日産 Y60型サファリ。販売台数こそトヨタ ランドクルーザーに及ばなかったものの、ラダーフレームによる頑丈な作りと、高い悪路走破性は本格クロカン車として引けをとりません。 Y60型 サファリの本格クロカンとしてのこだわりを、歴代モデルも交えながら振り返ってみましょう。 軍用から民間用へ変化をとげたクロカン車 日産 Y60型サファリは、屈強な四輪駆動車として君臨しました。どんなに厳しいロード環境でも難なく切り抜けるそのタフさは、かつて自衛隊車両として製作された「パトロール」譲りといえます。 パトロールからサファリへ変化をとげたクロスカントリー車の歴史と開発背景を紐解いていきます。 サファリの起源は軍用車輌として開発された4W60 サファリの起源は1950年に登場した4W60です。開発されたきっかけは、日産が警察予備隊(現在の自衛隊)から車輌納品の要請を受けたことです。最終的に採用されたのは三菱 ジープでしたが、サファリはランドクルーザーと並んで国家警察(現在の警視庁)に納車されました。 日産は培ってきたトラック生産の経験に加え、ジープやダッジの下請け修理から学んだ経験をいかし、4W60を独自開発。「パトロール」の愛称で呼ばれた4W60は国家警察に納品後も改良を重ね、消防や医療、建設といった業務用車両として販路を拡大しました。 初代サファリを大きく刷新して地位を確立した2代目Y60型 パトロールと呼ばれた4W60は、業務用車輌としては高い信頼性を得ましたが、個人用としてはランドクルーザーに大きく遅れをとっていました。そこで日産は、国内の一般ユーザー向けにパトロールを一新することを決断。1980年に初代サファリ160型が誕生しました。 サファリの地位を確立したのは、1987年に登場した2代目Y60型です。シャシーと足回りを刷新し、新設計のエンジンも搭載。さらに、現代的な曲線を取り入れた、迫力のあるスタイリングに生まれ変わりました。 骨太設計が光るY60型サファリ ライバル、ランドクルーザーがSUV路線へと舵を切るなか、2代目サファリはあくまでもクロカン車としての性能を追求します。 クロカンとして高い性能を誇っていたY60型サファリの魅力を紹介します。 足回りを中心に悪路走破性を飛躍的に向上 Y60型でのもっとも大きな進化は足回りです。歴代のリーフリジッドサスペンションから、スタビライザー解除装置付きコイルリジッドへ変更。ストロークの長いコイルリジットによって、オフロードでの走破性を格段に向上させました。 さらに、タイヤの動きを制限しないタイヤハウス、障害物の影響を受けにくいボディ形状、頑強なラダーフレームを採用し、徹底的に悪路走破性を追求しました。本格クロカンとして最高の性能を備えたモデルといえるでしょう。 悪路で実力を発揮する大排気量エンジン Y60型の標準モデルに搭載されたエンジンは、TD42型4.2L直列6気筒ディーゼルエンジンです。最高出力135ps、最大トルク28.5kgm・fを発生しました。また、吸気方式をNAとしたことで扱いやすいエンジンに仕上がっています。 さらに1991年には、輸出モデルのみに搭載されていた最高出力175ps最大トルク32.6kgm・fを発揮するTB42E型4.2L直列6気筒ガソリンエンジンを国内向けモデルに追加しました。ライバル車にも引けを取らないスペックを誇るモデルです。 個人ユーザーも強く意識したモデル展開 Y60型サファリは、歴代で初めて4速ATを1988年に追加したモデルです。ほかにも、1991年には3ナンバーサイズのワゴンを追加するなど、ヘビーデューティ目的の特定ユーザーだけではなく個人ユーザーの幅広いニーズにこたえるモデルを展開しました。 ロングボディ、ショートボディ、欧州仕様のディーゼルターボの投入といったバリエーションが多彩にある点もY60サファリの魅力です。 中古車の売買は旧車専門業者に相談が全体条件 本格クロカンとしてさまざまな場面で酷使されやすいY60型サファリ。購入後の思わぬ故障やトラブルを避けるためにも専門業者からの購入をおすすめします。 また、売却する場合も注意が必要です。Y60サファリの本当の価値を評価してもらえない買取業者に査定を依頼すると、経年劣化やヘビーデューティによる傷みから過小評価される恐れもあります。 Y60型サファリは販売台数こそランドクルーザーに及ばなかったものの、高い悪路走破性と風格のあるボディデザインが魅力のクルマです。購入時も売却時もぜひ専門店に相談しましょう。

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10
旧車の魅力と知識2023.05.24

限定800台のレアモデル! ランクル70をベースに40を復刻したネオクラシックPX10

ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランドクルーザー70系(以下ランクル70)をベースに40系(以下ランクル40)のスタイリングを復刻したカスタムカーです。ランクル40の復活を強く望むファンの声に応えるため、1997年に800台限定で生産されました。 実質的にトヨタ純正のカスタムカーとして開発されたPX10の魅力と、ベース車輌のランクル70と40の歴史を振り返ります。 ロングセラーモデルをかけ合わせたPX10 ランドクルーザー・ネオクラシックPX10は、ランクル40をモチーフにランクル70をカスタマイズする形で開発されました。ランドクルーザーのなかでも販売期間の長かった2車種をかけ合わせた魅力的なモデルです。 両車の歴史とPX10誕生について振り返ってみましょう。 レトロスタイリングが魅力的なランクル40 ランクル40は、3代目ランドクルーザーとして1960年に発売されました。北米で人気の高かった先代ランクル20を踏襲しつつ、乗用車としての快適性や高速安定性を重視して開発されたモデルです。 ランクル40は、国内のみならず海外からも高い評価を受け、1984年のモデルチェンジまで24年も生産され続けました。 本格クロカン車としての信頼性とデザイン性の高さから、世界で100万台もの売上を記録。ランクル40発売終了後も、特徴的な丸目ライトに挟まれたグリル、左右独立して張り出したフェンダーというスタイリングにコアなファンは魅了され続けました。 世界でもっとも活躍しているサバイバルカーランクル70 ランクル70は、ランクル40のフルモデルチェンジで1984年に発売。2004年に国内での販売は終了したものの、オーストラリアでは現在も販売され続けているロングセラーモデルです。さらに、国内でも人気の高さから2014年に1年限定で再販されました。 高い悪路走破性を誇るランクル70は、世界でもっとも活躍しているサバイバルカーとして、現在も世界各国で走り続けています。 一方スタイリングは、ランクル40から大幅に現代的に変更されました。独立したフロントフェンダーは残っているものの、大幅にサイズが縮小されています。また、2007年のモデルチェンジでは、特徴の1つだった独立フェンダーそのものが廃止されました。 トヨタ純正のカスタムカーPX10の誕生 PX10の製作は、トヨタのボディ組み立てメーカーである「アラコ」の、創業50周年記念事業として企画されたのがきっかけです。販売終了後も根強い人気のあった、ランクル40の復刻版を製作しようと計画されました。 ランクル40のスタイリングを忠実に再現するため、当初は保存されていたランクル40の金型を再利用して完全復刻する予定でしたが、コスト面などの事情により、ランクル70のミドルサイズ(HZJ-73V)のシャシーを利用して開発されます。 結果的に、ランクル史上もっともモデルライフの長い2車種のかけ合わせという、ファン垂涎のカスタマイズモデルが完成しました。 アラコと同じくトヨタ系列の架装メーカー、モデリスタがPX10としてリリース。90年代のクロカンブームの最中ということもあり、ランクルファンのみならず、幅広い顧客から支持されました。 ランクルマニアの心をくすぐるネオクラシック PX10の魅力 2ドアミドルサイズのランクル70(HZJ73V)をベースにカスタマイズしたPX10。 メーカー直系のカスタマイズモデルだけあって、ドアとリアゲート以外のほとんどを新たに製作するなど、ランクル40ファンを裏切らない忠実な復刻を実現しました。 PX10の魅力を再確認してみましょう。 細かな点まで徹底的にランクル40を再現 PX10の魅力は、なんといってもフロントフェイスです。丸目ヘッドライトに挟まれたグリルやフロントバンパー、フロントフェンダーはランクル40を完璧に再現しています。また、ウインカーやミラー、サイドエンブレムといった細かな点も忠実に復刻され、ランクル40の息づかいを感じられます。 さらに、インテリアでは、初期のランクル40で特徴的だった三角窓とCピラーのリアクオーターガラスを復活。内装面は、保安基準の問題から鉄板むき出しにはできなかったものの、オプションで鉄板風パネルを用意するほどのランクル40へのこだわりをみせました。 70系の馬力と足回りはそのままに ボディデザインや架装はランクル40を再現しているものの、走行性能は最新のランクル70と同等です。エンジンは、1HZ型4.2リッター直列6気筒OHCディーゼルを搭載。最高出力135PS/最大トルク28.5kgmを発生し、レトロ感溢れる見た目とは裏腹に力強い走りを実現しました。 また、足回りも前後共にリーフスプリングとリジッドアクスルを組み合わせたランクル70のものを採用。高い悪路走破性と搭乗者の快適性を確保しました。 人気モデルだからこそ専門業者に相談したい PX10は、ランクル80にランクル60顔を移植するといったユーザーレベルのカスタマイズではなく、メーカー直系のコンプリートモデルです。こだわりをもって開発されただけに、現在でも多くのランクルファンからの支持を集めています。 しかし、PX10は800台限定で生産されたことから、中古車市場でもほとんど見かけません。希少車の場合、専門の業者でないと正しい価値判断ができなかったり、販売力の問題で取り扱いできなかったりすることもあるので注意が必要です。 売却を検討する際には、1990年代の車種を取り扱う旧車専門の業者に相談されることをおすすめします。

トヨタ セラに時代が追いついた!? 当時の不人気車の魅力が見直されている理由
旧車の魅力と知識2023.05.11

トヨタ セラに時代が追いついた!? 当時の不人気車の魅力が見直されている理由

ほぼ全面がガラスで覆われたキャビンにガルウィングドア、国産車とは思えない個性的なスタイリングのトヨタ・セラ。一方で、派手な見た目とは裏腹に販売台数が伸びなかった不遇の車種でもありました。 しかし、セラの登場から30年経った現在、再びセラの魅力が脚光を浴びつつあるのをご存じでしょうか。今回は、トヨタ・セラが登場した背景を振り返りつつ、人気が高まっている理由を解説します。 挑戦的なデザインを採用したセラ トヨタ・セラは国産の乗用車として初めてガルウィングドア(正式名称はバタフライウイング)を採用したモデルです。当時大衆車のイメージの強かったトヨタが、挑戦的なデザインのクルマを投入したのには理由がありました。 まずは、セラの開発背景と販売台数が伸び悩んだ理由を紹介します。 トヨタのヤング・プロジェクト発足が始まり 1980年後半、トヨタは若年層向けのシェア争いでホンダや日産に遅れをとっていました。そこで、トヨタはシェアを増やすべく、若者向けの車を開発する「ヤング・プロジェクト」を結成します。ヤング・プロジェクトは若手を中心に構成され、若者にアピールできる商品開発に取り組みました。 若者が好む個性的なデザインを追求した結果、プロジェクトの成果物としてコンセプトカー「AXV-II」を1987年に東京モーターショーに出展。ガルウィングと開放感のあるガラスキャノピーという象徴的なデザインを採用し「翼をつけたライブコンパクトビークル」というキャッチフレーズがつけられました。 コンセプトカーをそのまま市販化 東京モーターショーの出展から3年後の1990年、「AXV-II」は“セラ”という車名で市販化されます。社内上層部の評価が高かったことから、ほぼコンセプトカーのスタイリングのまま発売されました。 ルーフまで伸びたガラスウィンドウをはじめ、車体上部のほとんどをガラスで覆ったデザインは“グラッシーキャビン”と呼ばれ、オープンカーとも異なる独特の開放感を演出。ガルウィングドアとあわせた近未来的なスタイリングは、まさにコンセプトカーそのものといえます。 人気が長続きしなかった理由は先進的なデザイン 上層部の高い評価と話題性から注目されたセラですが、残念ながら人気は一過性のものでした。初年度こそ9,665台と1万台近い販売を記録しますが、翌1991年にはいきなり3,737台の販売と大幅に減少し、人気が再燃することなく1995年7月のに生産を終了しました。 セラの販売台数が伸び悩んだ理由は、皮肉にも先進的なデザインです。全面ガラス張りのキャビンは、夏には灼熱となるうえ、外から丸見えで恥ずかしいという意見もありました。また、車体上部の重量がガラスによって増加したため、スタイリングに対して運動性能があまり高いとはいえなかった点も不人気だった理由の一つです。 現在では実現できない独創的なデザインが再評価 全面ガラス張りというセラのデザインは、安全基準が高められた現在では開発が困難です。ボディの半分がガラスにもかかわらず、美しい曲面で構成されたセラの独特のスタイリングは今も色褪せません。 当時、不人気の理由となっていた「重い」「暑い」といった要素も、実はそれほど問題にならないと再評価されています。クルマとしての個性を追求したセラの魅力を詳しく紹介します。 実は軽くて扱いやすいガルウイングドア 上部が全面ガラスのセラのガルウイングドアは重いイメージがありますが、ダンパーが装備されているので実は驚くほど軽く操作できます。外部から開ける際は指一本でも持ち上がるほどで、内部から開く際も肘で軽く押し上げるだけです。 また、ドア全体が上に持ち上がるため横のスペースもそれほど必要ありません。普通のドアを全開にすることと比べると、はるかに少ないスペースで開閉できます。 実はそれほど重くなかった車重 ガラスルーフが重く、動力性能があまりよくないというのが発売当時の評価でした。しかし、実は最軽量モデルの重量はわずか890kg。現在の基準に照らすと十分に軽い車重です。 また、搭載された1.5Lハイメカツインカムの5E-FHEエンジンは最高出力110ps、最大トルク13.5kgmを発生。1tを切る車重をドライブするには十分なパワーを備えていました。 暑さ対策に1クラス以上大きいエアコンを装備 ガラスルーフの最大の問題は、夏場の車内が灼熱になることです。しかし、ガラス上部を覆う日除けバイザーが搭載されているうえ、エアコン容量も1クラス以上大きいものが装着されています。 一般車と比べると快適性が高いとはいえませんが、個性的なスタイリングと引き換えなら我慢できないレベルではありません。また、ガルウィングによって大きな開口部を確保できるため、駐車後の熱気の放出が早いというメリットも少なからずあります。 セラを売るなら旧車専門の業者へ 実用性重視で車作りをしてきたトヨタが、デザインに特化して開発したセラ。当時の若手エンジニアが実現したデザインは、現代になって再び脚光を浴びています。また、新車販売台数が伸びなかったことから流通台数が少ないため、希少性が高いのもセラの特徴です。 セラの売却をご検討されている場合、こうした背景をしっかりと把握している専門の業者に依頼しましょう。知識や実績に乏しい一般的な買取業者だと、クルマのもつ魅力が価格に反映されません。おすすめなのは、セラが発売された1990年代頃の旧車を専門に取り扱っている業者です。古いクルマについて知り尽くしているため、あなたの大事なセラの価値を最大限に評価し、高価買取を実現します。 

名車「テスタロッサ」を継承するV型12気筒エンジン! フェラーリ 512TRの魅力を紹介!
旧車の魅力と知識2023.04.28

名車「テスタロッサ」を継承するV型12気筒エンジン! フェラーリ 512TRの魅力を紹介!

名車「テスタロッサ」の後継車種として1991年に発表されたフェラーリ 512TR。ボディデザインが似ていることから、テスタロッサのマイナーチェンジモデルと思われることも少なくありません。 しかし、512TRは正真正銘の後継モデルです。エンジンからフレーム、そして似ているといわれる外観デザインに至るまでフラッグシップモデルに相応しく徹底的にこだわって作られました。テスタロッサの弱点を補って余りある進化を遂げた512TRの魅力を紹介します。 名車テスタロッサの後継車として開発された512TR 512TRの前身、テスタロッサは実に8年間に渡って大きな変更がないまま販売されました。その間、エンツォ・フェラーリの死去など社内体制が落ち着かなかったこともありますが、もともとそれだけ完成度が高かったということです。 512TRは、名実ともにフラッグシップモデルに君臨していたテスタロッサを超える必要がありました。まずは、前身テスタロッサの概要と512TRの開発背景を振り返ってみましょう。 新たなフラッグシップモデルとして登場したテスタロッサ 512TRの前身の名車「テスタロッサ」は、1984年の秋にモンディアル・ド・ロトモビルで初披露されました。フェラーリの新たなフラッグシップモデルとして、MRレイアウトに180度V型12気筒エンジンを搭載。フェラーリ製の180度 V12として初めて4バルブヘッドが採用され、最高出力は390psを発揮しました。 「テスタロッサ」は「赤い頭」という意味のイタリア語で、1960年代にフェラーリのレースカーとして活躍したシリーズでも同じ名称が使われています。ヘッドカバーが赤く塗られていたことから名付けられました。 1992年に512TRにバトンを渡すまでの8年間で、合計7,177台が製造されました。スーパーカーという特殊なモデルを考えると、大成功といえる生産台数です。 テスタロッサと同じ「赤い頭」を持つ512TR フェラーリ社内が落ち着いてきた、1988年に512TRの開発はスタートします。そして、開発から3年後の1991年秋、ついにテスタロッサの後継「512TR」が発表されました。 テスタロッサの後継であることを示す「TR」の文字が冠された512TR。先代同様の赤色のヘッドカバーを持つ、5L180度V型12気筒エンジンを搭載しています。ちなみにモデル名の「512」は、「5L」「12気筒」を示す数字です。 最高出力428psを誇るエンジンを新設計のシャーシに搭載し、名門フェラーリのフラッグシップモデルらしい進化を遂げました。課題だった重心の高さとボディ剛性を改善するなど、大幅な性能アップを果たしていて、史上最高の「テスタロッサ」と評価されることもあります。 テスタロッサのデザイン的要素を踏襲 512TRのエクステリアデザインは、基本的にテスタロッサを踏襲しています。外観上の特徴であるリトラクタブルヘッドライトはもちろん、ボディサイドのフィンなど多くの点が共通していました。 一方で、フロントバンパーを一体型にしグリルも変更、エンジンフードの形状もシンプルなものに見直すなど、8年の時代変化を取り入れたデザインも随所に見られます。エンジンやシャーシの進化だけではなく、大幅な変更はなかったものの実はエクステリアも正統進化しているのです。 先代の弱点を解消してさらなる進化を遂げた512TR 512TRは、先代テスタロッサの抱えていた課題を徹底的に解消します。しかも、パワーアップをしにくいNAエンジンながら、約10%のパワーアップにも成功しました。 512TRの進化について、一つ一つ紐解いていきましょう。 テスタロッサの課題を徹底解決 先代テスタロッサの課題は、居住性の確保に伴ってエンジン搭載位置が後方よりになったことにより、前後重量配分と重心の高さが失われた点です。また、ハイパワーエンジンを支える車体のボディ剛性の弱さも問題でした。 512TRでは、テスタロッサの弱点を徹底的に解消しました。まず重心の高さの問題は、オイル循環方式をドライサンプに変更、ブラケットの改良などによってエンジンアッセンブリの搭載位置を30mmほど下げることに成功します。 課題のボディ剛性は、各所に補強を施して向上させます。フレームそのものはテスタロッサを踏襲していましたが、ねじ止めだった床を溶接に変更、荷室やエンジンルームとの隔壁にも鉄板を張り込むといった改良でボディ剛性を高めました。 同排気量のまま大幅にパワーアップしたエンジン 512TRに搭載されたのは、先代と同じ5LV型12気筒エンジンです。しかし、最高出力は先代の390psに対して428psを発揮、38psものパワーアップに成功しました。 新形状の吸入ポートの採用、バルブ径の拡大による吸排気効率の向上。さらに圧縮比10.0を達成した新設計ピストンやカムのプロフィール変更といった、細かい改良の積み上げで大幅なパワーアップを達成しました。 テスタロッサの課題だった重量バランスと剛性の改善とあわせて、当時のフェラーリ最強のマシンに仕上がっています。 世界で2,200台あまりの希少車種 512TRはテスタロッサと比べて販売期間が短かったこともあり、世界でわずか2,200台あまりしか生産されなかった希少車種です。大手中古車サイトで検索したところ、わずか1台しかなく、しかも価格は公開されていませんでした。 希少車でも精力的に買い取る旧車王では、1993年式の512TRを1,600万円で買い取りました。512TRの売却を検討している方は是非、旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時

60フェイスへのカスタムも人気のランクル80! クロカン車の地位を築いたモデルの魅力に迫る
旧車の魅力と知識2023.04.26

60フェイスへのカスタムも人気のランクル80! クロカン車の地位を築いたモデルの魅力に迫る

クロスカントリー車として70年以上の歴史を誇る、トヨタ  ランドクルーザー。なかでも、伝統のスタイリングを色濃く残した60系(以下「ランクル60」)と、現在の旗艦モデルにつながる80系(以下「ランクル80」は今でも高い人気を集めています。 そして、両車の人気の高さから「ランクル86」と呼ばれるカスタムが生まれました。ランクル80にランクル60のフロントマスクを移植するというものです。そこで今回は、ランクル60と80、それぞれの魅力をたっぷりと紹介します。 ファンの間で人気の「ランクル86」 「ランクル86」は、ランクル60のスタイリングはもちろん、ベースのランクル80の人気も高かったことから生まれました。レトロ感あふれるスタイリングを持ちつつ、高い性能をもつカスタムカーです。 ファンを魅了するランクル60と80の概要を紹介します。 ランクルの歴史を変えた60系 ランドクルーザーシリーズは、現在3系統が展開されています。もともとのコンセプト通りのクロスカントリー車、業務用などのヘビーデューティーに対応するヘビー系とその簡易版ライト系、そして旗艦モデルのステーションワゴンです。 ランクル60は、旗艦ステーションワゴンの事実上の最初のモデルでした。これまでの実用車から乗用車に舵を切り、普段使いしやすいスタイリングとラグジュアリー志向のインテリアに生まれ変わります。実用車以外のニーズを掘り起こし、新たなファンを獲得したモデルがランクル60です。 正統進化で高級SUVの方向性を確立したランクル80 実用車から乗用車へ舵を切ったランクルは、1989年末に正統進化した後継モデルを発表します。発表わずか2ヶ月前、1989年の東京モーターショーで初披露されたランクル80です。主戦場である北米、中東、オーストラリアに向けて、先代のランクル60よりもボディを一回り大きく設計。さらに、内外装の質感を向上させ、装備も現代的になったランクル80は、高級SUVという方向性を確立しました。 4WDシステムをフルタイムに変更し、サスペンションに乗用車同様のコイルスプリングを採用するなど街乗りでも高いパフォーマンスを発揮できるように開発されています。 ランクル60の根強い人気から広まったランクル86 初代ランクルから受け継がれた、丸目ヘッドライトのフロントマスクは現在でも多くのファンの支持を集めています。しかし、ステーションワゴン系統では、ランクル60を最後に姿を消し、角型の大型ヘッドライトにスタイリングを変更しました。 一方で、高級志向で装備も現代的なランクル80に対し、まだ実用車の性格を色濃く残すランクル60は不便な面もあります。また、年式の古さから故障のリスクや補修の際の部品の確保という面でも決して維持しやすいクルマとはいえません。 そこで、ランクル80に60の丸目ヘッドライトを移植するカスタムが、ユーザーの間で人気になりました。両車の型式から「ランクル86」とも呼ばれるほど、定番のカスタムメニューです。 60から大幅な進化を遂げたランクル80の魅力 ランクル86が人気のカスタマイズメニューなのは、ランクル80の乗用車としての性能や内外装の質が高かったためです。ランクル60よりもクルマとして劣っていれば、わざわざフロントマスクを移植する必要はありません。 クロスカントリー車として生み出されたランクル本来の性能を高めつつ、高級SUVとしての性格も強めたランクル80の魅力を紹介します。 高級SUV路線へシフトチェンジ ランクル80へのモデルチェンジで、完全に高級SUVへ路線変更しました。前モデルのランクル60で実用車から脱却しましたが、まだ実用車としての側面が色濃く残っていました。ランクル80では、実用車の側面を完全に払拭。旗艦モデルに相応しい車格に仕上がりました。 曲線を多用したスタイリングは、乗用車として違和感のないものになり、ランクル60よりも一回り大型化したボディサイズと合わせて高級車の風格をまといます。フルトリム化した内装は、上質なファブリックや本皮シートを採用。ドアパネルに設置されたアームレストが布張りとなるなど、ヘビーデューティー車からの完全な脱却を匂わせます。また、エアコンやオーディオなどの快適装備も充実させ、「四駆のクラウン」とも呼ばれるほど高級感あふれる仕上がりでした。 本質の悪路走破性もしっかりと向上 乗用車としての乗り心地の追求から、サスペンションをコイルスプリングに変更。しかし、単なる乗り心地だけではなく、ランドクルーザー本来の性能面も追求して開発されています。構造がシンプルで耐久性の高い、これまでのリーフスプリング式をも超える耐久性と走破性を兼ね備えていました。 そして、高い悪路走破性を支える心臓部、エンジンが大幅にパワーアップしたのもランクル80の魅力の一つです。当時のランドクルーザー史上最強の直列6気筒4.5Lエンジンを投入。最大出力215PS(4,600rpm)、最大トルク38.0kg・m(3,200rpm)を発生し、大型になったボディをどんな環境にも運んでくれました。 リセールバリューの高いランクル80 ランドクルーザー自体が人気の高い車種であるためで、モデルを問わず高いリセールバリューが維持される傾向にあります。特にランクル80は、大きな転換点だった車種だけに価格も大きく崩れていません。 また、60フェイスにカスタムしてもデザイン的な違和感がほとんどないのもランクル80が人気の理由です。スタイリングとしては今もなお根強いファンのいる60フェイスにカスタムしたランクル80であれば、状態によっては査定額があがる可能性もあります。 旧車王では、ランクル80や60、60顔の「ランクル86」の買取実績も豊富です。ランクルがお手元にある方は、ぜひ一度旧車王にご相談ください。※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時のもの

ランエボ並の走行性能を有する限定2,500台の希少車種! 三菱ランサーエボリューションワゴンGTを紹介
旧車の魅力と知識2023.04.26

ランエボ並の走行性能を有する限定2,500台の希少車種! 三菱ランサーエボリューションワゴンGTを紹介

シンプルなデザインで、一見普通のステーションワゴンにさえ見える三菱 ランサーエボリューションワゴン。しかし「ランエボ」の名に恥じない高い走行性能を秘めたマシンです。特に6MT仕様は、本気でサーキットを攻められるステーションワゴンとは思えない実力を備えていました。 走る楽しみと使い勝手の良さを兼ね備えた、三菱ランサーエボリューションワゴンGTの魅力に迫ります。 ランエボの派生車種として誕生したランサーエボリューションワゴン 当初、世界ラリーのホモロゲーション取得のために限定生産された、4ドアセダンのランサーエボリューション、通称「ランエボ」。そして、9代目ランエボの派生車種として、ランサーエボリューションワゴン(以下「エボワゴン」)は誕生しました。 エボワゴンは、発売された翌年の2006年、デビュー戦である十勝24時間レースで堂々の5位入賞を果たします。 ランエボ(セダン)の走りと引けを取らない、エボワゴンの特徴を紹介します。 ランサーエボリューション初のステーションワゴン 2005年9月にランサーエボリューション初のステーションワゴンとして登場した「ランサーエボリューションワゴン」。通称「エボワゴン」は、2005年3月に発売されたランサーエボリューションIXをベースに開発されました。 スバル インプレッサスポーツワゴンのようにスポーティな見た目ではなく、箱型ボディにブリスターフェンダーという、一見商用車ともとれます。しかし、その見た目とは裏腹にすぐれた走行性能を発揮し、乗車する全ての人を驚かせました。 エボワゴンの設定はGTとGT-Aの2グレード ランサーエボリューションワゴンのグレードは、GT(6速MT)とGT-A(5速AT)の2グレードです。両グレードとも可変バルブタイミング機構をもつMIVECエンジン、4G63型直列4気筒DOHC16バルブターボエンジンを搭載していました。ただし、5速ATを採用するGT-Aは出力をやや絞ってあります。 6速MTのGTは、最大出力280ps(6,500 rpm)、最大トルク40.0kg・m(3,000 rpm)を発揮。GSRグレードのランエボセダンと比べるとややトルクは劣るものの、パワーはまったく同じでほぼ同様の高い性能を誇ります。 一方5速ATのGT-Aは、最大出力272ps(6,500 rpm)、最大トルク35.0kg・m(3,000rpm)とモータースポーツ用としてチューニングされているGTと比べ、やや数値的にはやや劣るものの、ステーションワゴンとしては十分すぎる性能を誇っています。 弱点のボディ剛性を徹底強化 ワゴンタイプの弱点はボディ剛性です。特にハッチバックのリアは開口部が大きい上、セダンにはある隔壁がないため、ただワゴン化しただけではボディ剛性が大幅に低下してしまいます。 エボワゴンは、リア部を中心に徹底したボディ剛性の強化を図りました。テールゲートでは50箇所以上にも及ぶ各部のスポット溶接増し、A・B・C・Dピラーとルーフの接合部の補強。さらに、リアダンパーの取り付け部に補強材、大型リヤフロアクロスメンバーを追加といった形で、リア部を中心にボディ剛性の強化を徹底して行いました。 ほぼ手作りともいえるほど製造工程が増したこともあって、わずか2,500台の限定生産でした。 走行性と快適性の2つの顔を持つエボワゴン 車とは、スポーツ性能を追求すると利便性が損なわれ、逆に室内空間の確保といった快適性を重視すると走行性能がスポイルされてしまうのが一般的です。 しかし、ランサーエボリューションワゴンは、この既成概念の払拭に成功します。ラリー並の走行性はそのままに、ドライバーと同乗者の快適性にもこだわって作り上げられました。 ステーションワゴンの概念を覆す走り エボワゴンをドライブすると、ステーションワゴンに対するイメージが180度変わります。スムーズな加速感にキビキビとしたハンドリング、車重を感じる場面も若干あるものの、限りなくセダンに近い乗り味です。 特に6速MTのGTでは、セダン同様のクロスレシオ気味のトランスミッションを備え、トルクフルな4G63エンジンによる気持ちのよい加速が味わえます。さらに、高いボディ剛性を活かしたハンドリングは秀逸です。ヘリカル式LSDの効果もあって、切り込んだ方向に思うがままに向きを変えられます。 走りだけに特化しない充実した装備はセダン以上 エボワゴンの魅力は、走行性能だけではありません。利便性や快適性を重視する、ステーションワゴン本来の性能にもこだわっています。 レカロシートも利便性を重視して専用設計され、セダンとは異なるものを使用。サイドポートを小さくし、乗降の利便性を向上させています。また、セダン以上の静粛性もステーションワゴンならではの設計思想です。ダッシュパネル付近の遮音性を向上させたほか、開口部となる荷室周辺も吸音材や遮音材に加えて制振材まで使用する徹底ぶりをみせています。 ほかにも、HIDヘッドランプや6スピーカー、プライバシーガラスといったユーティリティカーに欠かせない快適装備もしっかりと押さえています。 希少車だけに買取価格も高騰 三菱 ランサーエボリューションワゴンは、2グレード合わせてわずか2,500台の限定生産だった希少車種です。特にランエボのスポーツ走行を受け継いだ人気の高いGTだと、さらに希少価値が高まります。 大手中古車サイトで検索したところ、10万キロを大きく超える車体を含めてわずか25台しかありませんでした。旧車王での買取も、昨年の5月に2006年式で86,600km走行のランサーエボリューションワゴンGTを他社と比べて40万円以上もの高値の240万円で買い取っています。ランサーエボリューションワゴンの売却を検討している方は、ぜひ旧車王へご相談ください。 ※価格や経過年数は2023年4月記事執筆時のもの

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