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増田 真吾の記事一覧

ボルボ P1800は半世紀以上前のクルマなのに現役! イメージとは異なるもう1つのボルボ
旧車の魅力と知識2023.09.19

ボルボ P1800は半世紀以上前のクルマなのに現役! イメージとは異なるもう1つのボルボ

ヘッドライト上部の盛り上がったラインが、ボディ後端部のフィンまでつながるクラシックカーらしいデザイン。ボルボ P1800は、1960年代に登場したボルボ初の本格スポーツクーペです。 現在のボルボとはイメージの異なるスタイリングの一方、伝統的な高い耐久性を持ち合わせるP1800の魅力をモデル変遷も含めて詳しく紹介します。 空飛ぶレンガとはまったく違う流麗なボルボ ボルボの代名詞といえば、1980年代に発売された「空飛ぶレンガ」の異名で知られる240ターボです。直線基調で大柄、いかにも頑丈そうなスタイリングが人気を集めました。 しかし、240ターボ発売から遡ること20年余り。1960年代にボルボは、流麗なボディラインをもつ、いかにもクラシックカーらしいスポーツクーペを登場させます。 12年間にも渡って生産された、ボルボ初の本格スポーツクーペ、P1800の開発背景を振り返ってみましょう。 ボルボ初の本格スポーツクーペ 1961年に登場したP1800は、ボルボ初の本格スポーツクーペとして4年の歳月をかけて開発されました。実は、ボルボはP1800以前にもオープンスポーツの開発を手掛けていましたが、さまざまな問題から生産はわずか67台(68台の説もあり)に留まり、1年限りで生産終了してしまいます。 シャシーをはじめ、多くの部品を当時ボルボが販売していた中型車アマゾンから流用する一方、ボディとエンジンはP1800用に新開発しました。特にボディデザインにはこだわり、デザイナーにマセラティミストラルやクアトロポルテを手掛けたピエトロ・フルアを起用。当時のボルボのイメージを一新する、流麗なボディラインが特徴的です。 また、エンジンには、最高出力100馬力の新開発のB18型を搭載しました。デザイン性だけではなく、本格スポーツクーペとして高い走行性能を誇るモデルです。 高い耐久性はボルボの伝統 耐久性の高さも、ボルボP1800の大きな魅力です。1950年代から製造されているベースの中型乗用車アマゾンは、すでに耐久性に定評がありました。 また、P1800が残した記録からも、その耐久性の高さがうかがえます。個人が1台の乗用車で走行した距離の世界記録として、2013年9月に300万マイル(約480万km)の走行距離がギネス認定されました。1966年製のP1800を50年近く走らせ続けたという、驚くべき記録です。 ボルボの代名詞にもつながった4種のP1800 P1800は1861年の発売以来1973年の販売終了までに、スポーツクーペとして3モデルをリリース。さらに、ボルボの伝統へつながる派生車種も、生産終了間際まで意欲的に開発が続けられました。 P1800シリーズとして登場した4モデルについて、変遷と特徴を紹介します。 P1800(1961〜1963年) 1961年、最初に登場したモデルがP1800です。ヘッドライトからリアフィンへとつながる流れるようなボディラインが特徴的で、最終型まで基本的なスタイリングは変わりません。 なお、ボルボはスウェーデンの会社ですが、初期モデルはイギリスのプレスト・スチール社とジェンセン モーターズ社で生産されていました。 P1800S(1963〜1969年) P1800Sにモデルチェンジしたのは、発売から2年後の1963年でした。イギリスでの生産で問題が生じたことが、モデルチェンジの理由の1つです。品質や物流といった問題が常に発生していたうえ、2社は改善する意欲がなかったといわれています。 そこで、ボルボのお膝元スウェーデンでの生産に切り替えました。P1800Sの「S」は、スポーツの頭文字がイメージされますが、実は「スウェーデン」を表しています。 外観上はほとんど変わりませんでしたが、エンジンは108馬力に出力を向上。さらに、1968年にはエンジンを2Lに拡大し、118馬力にまで出力が高められました。なお、エンジンが拡大された後も、車名は「P1800S」から変更されませんでした。 P1800E(1970〜1972年) P1800Eへのモデルチェンジでは、エンジンが圧倒的な進化を遂げます。従来のツインキャブを近代的なEFI(電子制御燃料噴射)に変更。最終モデルでは、130馬力まで一気に出力を向上させました。 P1800ES(1972〜1973年) P1800シリーズ、モデル最終年に登場したのがエステートモデルのP1800ESです。「エステート」とは「ステーションワゴン」の欧州名で、2ドアクーペではなく3ドアハッチバックにボディスタイルを変更しました。 フロントからキャビンに至るボディラインはクーペタイプを踏襲しつつ、自然な形でボディ後端のデザインをステーションワゴンスタイルに改めています。ボルボといえばステーションワゴンという伝統の、先駆けとなったモデルです。 半世紀以上前のモデルなのに現存台数も多い 「質実剛健」というボルボの代名詞の礎となったP1800シリーズは、累計4万7,492台が生産されました。1966年モデルを乗り続けていた人が2013年にギネス記録を樹立したように、クラシックカーでありながら現役ともいえるモデルです。 一方で、やはり50年前の車種ということで、メンテナンスは欠かせません。また、売却する際は、単に旧車としてではなく「現役車輌」としての価値と、「クラシックカー」としての希少性を正しく評価してもらうことが重要です。P1800を購入、売却をする際は、必ず専門業者に相談しましょう。

ハイソカーの代名詞GX71系マークⅡ3兄弟が成功した理由とは? 豪華な内装を始めとする魅力の全貌に迫る
旧車の魅力と知識2023.09.08

ハイソカーの代名詞GX71系マークⅡ3兄弟が成功した理由とは? 豪華な内装を始めとする魅力の全貌に迫る

トヨタ GX71系マークⅡ3兄弟は、日本の自動車史の一時代を築き上げたモデルです。当時の日本で巻き起こったハイソカーブームをけん引しました。 端正なフロントマスクに直線基調のボディライン、実用的で野暮ったい一般的なマイカーのイメージを一新。潤沢な予算を背景にメーカーが技術を惜しみなく注ぎ込み、ユーザーに新たなクルマの楽しみ方を与えたのがGX71系マークⅡ3兄弟です。 マークⅡ3兄弟が成功した理由とその魅力を、ハイソカーブームも含めて紐解いてみましょう。 時代の流れに乗って登場 1970年代の高度経済成長によって、庶民でもマイカーに手が届くようになりましたが、クルマはあくまでも実用品。「便利な道具」という域を出ない存在でした。そこに訪れたのが、戦後最大ともいわれるバブル景気です。経済的にゆとりが生まれ、「生活必需品以外は贅沢品」といった風潮から徐々に高級志向へと国民の意識が向き始めます。 そんな時代背景に見事にマッチして空前のブームを巻き起こしたのが、これまでにはないジャンルのクルマ「ハイソカー」でした。 経済的ゆとりから生まれたハイソカーブーム ハイソカーの「ハイソ」とは、上流社会や上流階級を意味する「ハイソサエティ(HighSociety)」の略語で、ハイソカーは「上流階級のクルマ」という意味です。80年代後半のバブル景気とともに一大ブームへ発展したカテゴリで、上質な内外装と高い性能が多くの人を魅了しました。 単なる乗り物としての側面が強かったクルマに、ラグジュアリー志向という新たな価値観を持ち込んだのがハイソカーです。経済的なゆとりを背景に、豪華な内装やパワフルなエンジン、現代では不必要とも思えるような先進装備を搭載し、実用面だけではなく所有欲も満足させる仕様のクルマが次々に登場しました。 ハイソカーの象徴にもなったマークⅡ3兄弟 ハイソカーブームを牽引したのは、トヨタのマークⅡ3兄弟です。前モデルまでは大衆車の派生車種「コロナ マークⅡ」として販売されていましたが、1984年に5代目へのフルモデルチェンジで「マークⅡ」として独立。共通のプラットフォームを使用する「チェイサー」「クレスタ」を含めたGX71系3車種が、多少の方向性の違いこそあれハイソカーの象徴的存在となりました。 当時のトヨタはハイソカーの一種ともいえるクラウンをすでに高級車として販売していましたが、単なる高級路線ではなく、庶民でも手の届くクルマが上質になった点がハイソカーブームのポイントです。 ハイソカーブーム以降もマークⅡ3兄弟としてモデルチェンジを重ねましたが、実は登場時期はそれぞれ異なります。最も古いモデルがマークⅡで、1968年に初代が登場しました。続いて1977年にマークⅡの姉妹車としてチェイサーが登場、さらに1980年の4代目マークⅡ投入時にクレスタが追加されます。つまり、チェイサーとクレスタはマークⅡの派生車種ということで、マークⅡ3兄弟と呼ばれるようになりました。 なお、共通プラットフォームの別車種は一般的に「姉妹車」と呼びますが、なぜか「マークⅡ3兄弟」だけは「兄弟」という呼び名がついているのも面白いポイントです。 当時の技術を詰め込んだ贅沢仕様のGX71系 GX71系のマークⅡ3兄弟には、スタイリッシュなハードトップ、豪華な内装、ハイパワーエンジンと当時の技術が惜しみなく投入されています。一方で、5ナンバーサイズという経済性も意識したパッケージングは、まさに庶民派の高級車でした。 ここからは、GX71系マークⅡ3兄弟の魅力をたっぷりと紹介します。 スタイリッシュな外観と豪華な内装 4ドアハードトップをベースにしたスタイリング(クレスタのみ4ドアセダン)にクローム調のモールを各部にあしらった華飾、直線基調のボディラインはエレガントそのものでした。内装面に目を移すと、たっぷりと厚みをもたせた光沢あるモケットのシートはリビングルームを彷彿とさせます。 さらに、デジタルメーターやフルオートエアコン、電子制御の足回り「TEMS」、独立したブレーキ制御を実現する4輪ESCまで装備。ボディカラーには、ソアラやクラウンで設定されていた「スーパーホワイト」も採用し、文字通りワンクラス上の上質さを実現しました。 日本初の技術が盛り込まれたハイパワーエンジン マークⅡ3兄弟のトップグレードには、160psを発生する2L直列6気筒DOHCエンジンが搭載されています。DOHCエンジンはまだ一部の車種にしか採用されていなかった当時、「Twincam24」のエンブレムは自動車ファンの憧れでした。 さらに、発売翌年の1985年には、日本初のツインターボを採用した1G-GTEU型エンジンが登場します。直列6気筒DOHCエンジンというだけでも十分なインパクトでしたが、最高出力を185psにまで高める日本初の技術を詰め込み、一気に人気が加速しました。 街道レーサーの走りにもなった マークⅡ3兄弟は「街道レーサー」と呼ばれる、レーシングカーのようにカスタマイズしたクルマを楽しむ層からも人気を集めました。1970年代に登場した街道レーサーは1990年代以降に盛んになった「走り屋」のルーツとも言われ、マークⅡ3兄弟は真っ盛りの時代に登場したのです。 大型のフロントスポイラーやリアスポイラー(ウィング)、サイドスカートを装着すると、低重心で直線基調のボディラインが強調され、よりスポーティな外観が手に入ります。また、エンジンについてもブーストアップやタービン交換、シリンダー直径を広げて排気量を増やすボアアップまでさまざまなチューニングエンジンが存在していました。 GX71系の人気が今も衰えない理由 ハイソカーと呼ばれる車輌のなかには、トヨタ クラウンやソアラ、日産 レパードなどもともと高級路線で開発されていた車種も含まれます。しかし、5ナンバーサイズや高すぎない価格といった条件のなか、豪華な内外装や先進技術を装備したという意味では、マークⅡ3兄弟は他車種とは異なる存在のハイソカーです。 特にGX71系のクルマが今も人気を集める理由は、コストカットの進む現在では考えられない豪華な内装と、一方で旧車然とした直線基調のスタイリングでしょう。角のある旧車を象徴するかのようなデザインでありながら、クロームメッキ調の華飾といった現代的要素も共存しているのは、後にも先にもGX71系だけです。2Lで185馬力を発生するハイパワーエンジンも魅力ですが、GX71系の車種がグレードを問わず人気を博している理由には、現在では決して真似できない“あの”時代だからこそ実現できた特別な仕様が強く影響しているのではないでしょうか。

ランボルギーニ ディアブロはミレニアル世代?! フラッグシップモデルの系譜を受け継いだ歴史を振り返る
旧車の魅力と知識2023.08.31

ランボルギーニ ディアブロはミレニアル世代?! フラッグシップモデルの系譜を受け継いだ歴史を振り返る

名車カウンタックの後継車として開発されたランボルギーニ ディアブロ。独特のスタイリングとV12サウンドはスーパーカーの象徴としても讃えられ、現在も多くのファンに愛されています。 20世紀末に登場し、次世代の基礎を築き上げたディアブロの歴史を振り返ってみましょう。 世紀末の10年を駆け抜けたディアブロ ランボルギーニ ディアブロは、1990年〜2001年まで販売されました。奇しくもちょうど20世紀末の10年が販売期間にあたり、21世紀に登場する後継フラッグシップモデルを形作った車種でもあります。 まずは、ディアブロの開発背景や基本性能を詳しく紹介します。 名車カウンタックの後継車種 ランボルギーニ ディアブロは、16年もの長期間販売されていた名車カウンタックの後継車種として1990年に登場しました。ディアブロの開発にあたって、ランボルギーニは「最高速は最低でも320km/h(時速200マイル)を超え、力強く異端でなければならない」と厳しい開発ハードルを自ら課します。スーパーカーの代名詞にまでなった名車カウンタックの後継車だけに、普通のクルマでは意味がないと考えていたのでしょう。 カウンタックと同様ミッドシップに縦置きで搭載した5.7LのV型12気筒エンジンは最大492psを発生。ボディデザインは、現代的な曲線を取り入れて新たに生まれ変わったものの、残された直線部分からカウンタックの面影も感じます。また、カウンタックで世界で初めて採用されたランボルギーニの象徴であるシザーズドアも健在です。 結果的にカウンタックの16年には及ばなかったものの、ディアブロは2001年までの11年間に渡り生産され、全モデル合計2,903台が販売されました。 スペイン語で「悪魔」を意味する「DIABLO(ディアブロ)」という言葉を車名にしたという背景からも、カウンタック以上に独自性をもったクルマにしたかったメーカーの想いがうかがい知れます。 縦置きミッドシップはフラッグシップの系譜 ディアブロはカウンタックと同様に、大型のV12エンジンを縦置きミッドシップに搭載しています。実は縦置きミッドシップは、カウンタック開発時にランボルギーニが苦心したポイントでした。 横置きミッドシップで発生する後輪の軸荷重問題を解決するため、カウンタックでは縦置きレイアウトの採用を決めます。一方、巨大なV型12気筒エンジンを縦に置くと、ホイールベースが長くなり旋回性能が低下してしまう点が課題でした。 そこで、前後を入れ替えて、エンジンの前側にトランスミッションを置く配置を考案。理想的な重量バランスと、旋回性能の両立を成功させます。ディアブロにも同様のレイアウトが採用され、ランボルギーニのフラッグシップモデル伝統のパッケージに仕上げられました。 柔軟な姿勢で開発されていた フラッグシップという位置づけのディアブロは、いわばランボルギーニの顔です。V12エンジンやミッドシップレイアウトといったスーパーカーとしてのこだわりをみせる一方、実は社外の意見やパーツを取り入れる柔軟な側面もありました。 ディアブロのボディデザインは、マルチェロ・ガンディー二がデザインしたプロトタイプ「P132」がベースです。「P132」は直線基調のカウンタックのデザインを踏襲したものでした。しかし、当時の親会社クライスラー社の意向もあって、大幅に手を入れることが決定。最終的には、前モデルのカウンタックと比べると、角を落とした滑らかなボディラインでリリースされました。 また、ディアブロの後期型では、実は日本の自動車メーカー日産のパーツが流用されています。一部地域の法令への対応でリトラクタブルヘッドライトを廃止する際に、日産 Z32型フェアレディZのヘッドライトを流用しました。正式に部品供給を受ける契約を日産と結べなかったとの話も残っており、その証拠にヘッドライトには「NISSAN」のロゴが入っています。 世界で337台しか生産されなかったディアブロ VT 6.0 ディアブロは2001年に生産終了するまで、意欲的に新モデルやバリエーションを投入し続けました。なかでも、世界でわずか337台しか生産されなかったディアブロ VT 6.0は、高い走行性能と希少性から人気を博しているモデルです。 ディアブロ最後のモデルにもなった、ディアブロ VT 6.0について紹介します。(正確にはディアブロ VT 6.0SEが最終モデル) アウディ傘下で登場したディアブロ VT 6.0 ディアブロ VT 6.0は、ディアブロの発売からちょうど10年が経過した2000年に登場しました。1999年からランボルギーニはアウディの傘下になっていましたが、ディアブロの開発は続行されます。 初の社内デザイナー、ルク・ドンカーヴォルケによるスタイリングの変更が行われるなか、ディアブロ VT 6.0は誕生しました。エンジンは当初の5.7Lから6.0Lに拡大され、最高出力550ps、最大トルク63.2kgmを発生。強力なパワーは4WDによって余すことなく路面に伝えられ、豪快な加速を味わえます。初期モデル登場から10年を経て、ディアブロは最終モデルで最大の進化を遂げました。 実は4WDを前提に開発されていたディアブロ ディアブロの初期モデルは、後輪駆動のいわゆるMRです。しかし、ディアブロは当初から4WD化を想定していました。ディアブロ登場から3年後の1993年に、ランボルギーニ初の4WDグランツーリズモ「ディアブロ VT」をリリースします。 「VT」とは「ビスカス・トラクション」の略で、ランボルギーニの4WDシステムです。ディアブロ VTのリリース後、1995年のディアブロVTロードスターを経て、ディアブロ VT 6.0に繋がります。 後継フラッグシップにつながったディアブロ ディアブロは、2000年以降のランボルギーニフラッグシップモデルに大きな影響を与えました。カウンタックから引き継いだレイアウト、圧倒的にパワーアップしたV型12気筒6.0Lエンジン、初の4WDと後継のムルシエラゴやアヴェンタドールにもみられる特徴は、すべてディアブロで実装されています。 ディアブロはある程度買い手が限定される車種のため、購入時も売却時も注意が必要です。希少車の取扱いに慣れた専門業者でないと、車輌状態の確認や価格の妥当性に不安が残ります。 ランボルギーニ ディアブロを売買する際は、流通の少ないモデルでも問題なく取り扱える専門業者への相談をおすすめします。

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介
旧車の魅力と知識2023.08.28

歴史を作ったトヨタ TE27の魅力とは? レビンとトレノの違いや開発背景を徹底紹介

ハチロクの通称で知られ、自動車ファンのみならず幅広い層の支持を集める昭和の名車トヨタ AE86。大ヒットを記録したAE86につながったのが、レビン/トレノの初代モデルであるTE27です。 絶対的なパワーや性能はないのに、ドライバーに走る楽しさを教えてくれるというAE86の素性は、TE27ですでに実現されていました。高度経済成長期真っ只中に誕生したTE27レビントレノの歴史を振り返ってみましょう。 テンロクスポーツというジャンルを切り開いたTE27 トヨタ TE27 レビン/トレノ(以下TE27)は、“テンロクスポーツ”の先駆け的な存在です。テンロクスポーツとは、軽量コンパクトながら高効率の1.6Lエンジンを搭載し、胸のすくような走りを楽しめるスポーツモデル。特に1980年代後半〜1990年代にかけて、自動車メーカー各社の競争が激化していたカテゴリーです。 TE27の開発背景とレビン、トレノの違いやラインナップなどを詳しく紹介します。 大衆でも手の届くスポーツカー TE27が登場したのは、高度経済成長末期の1972年です。庶民でも自動車を購入できる時代に入り、大衆車として地位を確立したカローラ/スプリンターの2代目を発売するにあたって、同車種のスポーツモデルとして開発されました。 豊かになったとはいえ、用途の限られる本格的スポーツカーは高嶺の花。若者でも手の届く価格に抑えた小型車サイズで、手軽に楽しめる“スポーツカー”としてTE27は人気を集めました。 レビンとトレノの違いは見た目だけではない TE27 レビンとトレノは、姉妹車として多くの共通コンポーネントが使用されており、違いはそれほど大きくありません。主な違いは、前後ライト周りの形状やフロントマスクの意匠です。しかし、トヨタはそれぞれに明確な個性をもたせて開発しています。 実際、全長3,955mmのレビンに対してトレノは3,970mmと15mm長くなっています。さらに、車重もレビンは855kgで、トレノは10kg重い865kgです。実はボンネットやフロントフェンダーは別物で、さらにエアダクト裏のスリットもレビンとトレノで別形状です。 また、設定されたボディカラーもトレノとレビンで異なります。「モンテローザオレンジ」と「インディアナポリスオリーブ」と呼ばれるダークグリーンの2色がレビン。トレノには「ヘイトアッシュベリーオレンジ」と「デイトナオリーブ」のレビンと同系色ながら別のボディカラーが設定されました。 幅広い層に届けるため下位グレードも設定 TE27は発売の翌年に、「レビンJ」と「トレノJ」を追加します。いずれもエンジンやサスペンションなどの低コスト化を図った下位グレードながら、オーバーフェンダーなどの外観は受け継いだモデルです。 性能を追求しないユーザーでも、スポーツモデルのスタイリングを比較的安価に楽しめるように設計されました。下位グレードを設定する手法は、実はAE86以降のレビン/トレノでも採用されており、レビトレの伝統の一つでもあります。たとえば、名機4A-G型エンジンを搭載するAE86に対して、廉価版のAE85には3Aエンジンが搭載されていました。 レビトレらしさとして定着した爽快な走り レビン/トレノのイメージは、軽量な車重と高回転型エンジンによるきびきびとした走りです。実はこのイメージは初代TE27によって決定づけられ、レビトレの伝統とされました。 高性能エンジンとチューニングカーを思わせるオーバーフェンダー、さらには締め上げられた足回りと、TE27はシリーズ初代にもかかわらず徹底して作り込まれたモデルです。その魅力の一部を紹介しましょう。 上位車から移植した2TーGエンジン TE27のエンジンに採用されたのは、セリカ1600GTに搭載され評価の高かった1.6Lの2T-G型エンジンでした。トヨタの量産DOHCエンジンの先駆けだった2T-G型は、最高出力115ps、最大トルク14.5kgmを発揮する高回転型の高性能エンジンです。セリカよりボディサイズが小さく車重の軽いTE27では、最高時速190km/h(メーカー発表)の高いパフォーマンスを発揮しました。 軽い車重によく回るエンジンを搭載しドライバーの意のままに操るレビン/トレノ伝統の爽快な走りは、初代のTE27から続く系譜だったのです。英語(古語)で「稲妻」を意味する「LEVIN(レビン)」、スペイン語で「雷鳴」を意味する「TRUENO(トレノ)」のイメージにふさわしい、爽快な走りを楽しめました。 トヨタ市販車史上初のオーバーフェンダー TE27の外観上で最大の特徴は、4輪全てに装着されたオーバーフェンダーです。しかも、FRP製というチューニングカーさながらの仕様を、トヨタ市販車で初めて採用しました。 純正でも当時としては幅広い175/70HR13のタイヤを装着していましたが、さらに幅広いタイヤの使用も視野にいれていたのでしょう。スタイリングのインパクトだけではなく、幅広いタイヤで2T-Gエンジンのパワーを余すことなく路面に伝え、大衆車カローラ/スプリンターのスポーツモデルとは思えないほどの力強い走りを実現しました。 50年以上が経過してもなお高い人気 TE27 レビン/トレノの登場からすでに50年以上が経過していますが、今もなお高い人気を集めるモデルの一つです。AE86の人気の高さはいうまでもありませんが、シリーズの性格を決定づけたTE27にも根強いファンが存在しています。 また、ドリフトやサーキット走行などで酷使されたAE86に比べ、TE27は比較的状態の良い個体も残っています。中古車市場では、絶対的な残存数が減少し希少性が高まっていることもあり、AE86よりも高い評価になるケースも少なくありません。 ただし、50年以上前のクルマということを考えると、TE27の購入や売却を検討する際は専門性の高い業者の選定をおすすめします。特に売却する際は、仕様や状態を正しく見極められないと、正当な買取額にならないケースも少なくありません。旧車の取り扱いに慣れている業者に相談して、TE27本来の価値を査定してもらいましょう。 ※経過年数などは2023年8月執筆当時

VR38DETTは国産史上最強エンジン?! R35・GT-Rの心臓部の開発秘話に迫る
旧車の魅力と知識2023.08.21

VR38DETTは国産史上最強エンジン?! R35・GT-Rの心臓部の開発秘話に迫る

日産の、いや日本の誇るハイパフォーマンスカーR35・GT-R。世界が認める高い走行性能を支えるのが、専用開発されたVR38DETTエンジンです。バランスのよいシャシーも、応答性の高い足回りも、すべてはエンジンの実力あってこそ成り立ちます。伝統を捨ててまで開発したVR38DETTは、日産の性能へのこだわりが存分に詰め込まれたエンジンです。 ロボットによるエンジン組み立て精度が向上した今もなお、手組みで1基ずつ丁寧に作られているVR38DETTの実力と開発秘話を詳しく紹介します。 GT-R初のV型エンジンVR38DETT 歴代のGT-Rは、直列6気筒エンジンを搭載していました。しかし、R35・GT-RにはV型6気筒3.8Lエンジンを採用します。そこには、世界に誇るハイパフォーマンスカーとして、「GT-R」の性能向上を最優先に考えていた日産開発陣の想いが込められていました。 なぜV型エンジンのVR38DETTを採用したのか、開発の経緯とこだわりの生産体制について紹介します。 伝統より性能を優先 VR38DETTエンジンがGT-R初のV型エンジンとして開発されたのは、日産開発陣の性能へのこだわりによるものでした。車を開発する際は、心臓部であるエンジンの仕様を決定したうえでシャシーやボディデザインなどを決めていきます。しかし、R35・GT-Rでは運動性能を重視し、リアのトラクションや前後重量バランスの決定後にエンジンの開発に着手。フロントミッドシップに搭載するために、縦置き配置にした際にエンジン長が長くなる直列ではなくV型エンジンを採用しました。 また、エンジンの初期開発は、F1エンジンの開発で知られるコスワースに依頼したとの情報もありました。当時の日産にはエンジン開発の人的資源が不足していたため、外部に委託する形を取ったとされています。情報の真偽は定かではありませんが、本当だとすれば日産の象徴ともいえるGT-Rのエンジンの開発を外部の、しかも海外メーカーに任せるのは異例です。しかし、そこまでしてもGT-Rの性能向上を図りたかったということでしょう。 匠による手組み VR38DETTエンジンは、すべて人の手で組み立てられています。しかも、13万人以上いる日産社員(2022年時)のなかでも、たった5人しかいない(2017年時)「匠」と呼ばれる限られたスタッフの手によるものです。 ロボットの作業精度が向上した現在もなお手組みにこだわるのは、最高の性能をバラツキなくユーザーに届けるためです。たとえば、ハイパワーを絞り出すVR38DETTのヘッドクリアランスは、量産エンジンの半分といわれています。わずか0.01mmの幅で、エンジンパーツを吟味して組み付けなければなりません。組み付けた部品の重量によるわずかな歪みを熟練した匠の技術で感じ取って、繊細な調整作業を行います。 弱点のない最強エンジン VR38DETTエンジンは、弱点の見当たらない最強エンジンです。国産他車を寄せ付けない圧倒的なパワーと、実用回転域からかかる強大なトルク。また、エンジンパワーだけでなく、ノーマルのままでもサーキット走行に耐えられるよう設計されています。 実用性まで考え抜いて開発されたVR38DETTエンジンを詳しくみていきましょう。 どんな状況でもスペックを発揮できなければ意味がない VR38DETTエンジンは、ノーマルのままで激しいサーキット走行までこなせることを考えて開発されました。オイルパンの前方を膨らんだ形状にし、常にストレーナーがオイルに浸かるように工夫が施されています。さらに、大きなG変化があっても安定したオイル供給ができるよう、オイルラインをクロスさせるといった細かな対策も盛り込まれています。 サーキット走行をする際は、高負荷でもオイル切れが起きないようそれなりの対策を講じる必要がありますが、VR38DETTはノーマルの状態でオイル管理まで考えて設計されているのです。 国内最強スペックを目指して開発が続けられた VR38DETTエンジン登場時のスペックでも、最高出力480ps、最大トルク60.0kgmを誇るハイパワーエンジンでした。しかし、発売からわずか3年後の2010年には500psの大台に乗る530psを実現します。2019年に発売されたNISMOモデルでは、NISMOが開発したGT3用タービンを使用し、最高出力はなんと600psです。 実は、VR38DETTエンジンの設計当初の目標出力は420psでした。しかし、「将来的に600psまで対応できるように」と480psで発売し、年次改良を重ねた結果、計画通り600psを実現しました。 先日発表された2024年モデルでは、通常モデルでも570psを発揮します。発売時から90psものパワーアップを果たしました。すでに500ps近くの出力を誇っていた同型エンジンを、純正のチューニングでこれだけパワーアップしたという点に、日産の技術力を感じます。 1,000馬力も狙えるモンスターエンジン VR38DETTは高い精度で組み上げられていて部品のブレが極端に少ないため、チューニングベースのエンジンとしても最適です。チューニング事情を調べたところ、800ps程度までならエンジン本体に手を入れることなく、タービンやブーストアップなどで対応できるとの情報もありました。 さらに、ボアアップなどエンジン本体に手を入れることで、1,500psを実現しているチューニングマシンまであるようです。エンジンチューニングは年数が経過するほどノウハウが蓄積されて、より高馬力を発揮できるようになります。さらに、年次改良によってベースエンジンのスペックも高まっているだけに、VR38DETTがチューニングでどこまで出力をあげられるかにも注目したいところです。 R35・GT-Rとともに名機の予感 VR38DETTが搭載されたR35・GT-Rの発売は、今から16年前の2007年です。日進月歩で新技術が開発される現代で、16年もの長期間にわたって同型エンジンを作り続けているのは珍しいことです。 まだ新モデルが発表されているため今後について確実な予想はできませんが、VR38DETTは「名機」と呼ばれるエンジンの仲間入りを果たすでしょう。歴代GT-Rに搭載されたRB26DETTやトヨタ 2JZ-GTEのように、R35・GT-Rの販売終了後も、その魅力や逸話は語り継がれるはずです。 今から5年後、10年後にVR38DETTエンジンがどういった形でチューニング市場で取り扱われているか、今から楽しみです。

旧車に多いターボエンジンってなに? なんとなく理解している車用語を詳しく解説
旧車の魅力と知識2023.08.08

旧車に多いターボエンジンってなに? なんとなく理解している車用語を詳しく解説

ハイパワー化を追い求めていた時代に生み出されたクルマ、現在では旧車と呼ばれる車種に搭載されていることの多い「ターボ」。エンジンの高出力化にターボが有効とわかっていても、詳しい仕組みまでは知らないという人も少なくありません。 そこで今回は、ターボの仕組みを基本から特性まで詳しく紹介します。 排気量以上のパワーを生み出すターボ ターボの正式名称は「ターボチャージャー」で、日本語では「過給機」と呼ばれています。「チャージ」するのは、燃料の燃焼に欠かせない空気です。 同じ排気量のエンジンでも、ターボの装着によってより高いパワーを発揮できます。なぜターボでパワーアップができるのか、エンジンの基本的な仕組みとともにみていきましょう。 エンジンパワーは爆発力で変わる ターボの説明をする前に、まずはエンジンがパワーを得る仕組みを簡単に解説します。一般的なガソリンエンジンは、シリンダーに取り込んだ空気と気体化した燃料を混ぜた混合気に点火し、爆発した際に発生するエネルギーを取り出すという仕組みです。 つまり、爆発力を高めれば、それだけエンジンパワーが上がります。燃料を増やせば爆発力を上げられると単純に考えがちですが、燃焼(爆発)させるには燃料に見合った量の酸素も必要です。空気(酸素)の量が変わらなければ、残念ながら燃料を増やしても爆発力は向上しません。 そこで、エンジンに送り込む空気量を増やすために、ターボチャージャーが開発されました。ターボによって空気を圧縮しエンジンに送り込む空気量を増加させ、混合気の爆発力を高めます。 ターボは排気ガスを利用して空気を圧縮 ターボは空気を圧縮して、より多くの酸素をエンジンに送り込む装置です。空気は圧縮すると密度が高まり、同じ体積でも量を増やせます。さらに、ターボで空気を圧縮する際は、排気ガスの圧力を使用するため、別のエネルギーを必要としません。本来、ただ排出するだけであった排気ガスのエネルギーを再利用するため、効率的にパワーアップできる点もターボの特徴です。 大まかな仕組みは、排気管の途中に「タービン」と呼ばれる風車を取り付け、排気ガスの圧力で風車を回し、吸気菅側にあるコンプレッサーを回して空気を圧縮します。 ターボには実は欠点もある 排気量以上のエンジンパワーを引き出せるターボですが、残念ながら万能ではありません。圧縮された空気の温度上昇と、「ターボラグ」と呼ばれる空気を圧縮できるエネルギーが得られないタイミングが存在します。ターボの欠点と補うための装置を紹介します。 ターボの効率を最大化するインタークーラー 空気は、圧縮されると温度が上昇する性質があります。温度が高い空気をエンジンに送り込むと、ノッキングが発生しやすくなりパワーや燃費面で不利です。また、気体は温度が上昇すると密度が下がる性質もあるため、十分なパワーを発揮できません。そこで、圧縮して温度が上がった空気を冷やす装置として、インタークーラーが開発されました。 インタークーラーは、ラジエーターと同じ仕組みです。圧縮して温度が上昇した空気をインタークーラーに送り込み、フィンで放熱して温度を下げます。 ただし、国産ターボ車が登場した1979年当時はインタークーラーを装備していないクルマも多く、パワー競争が激化した1980年代に入ってから各メーカーがこぞって採用しました。 ターボラグのないスーパーチャージャー ターボは、排気ガスの圧力でタービンを回して空気を圧縮します。つまり、排気ガス圧力の低い低回転域では、空気を圧縮する力を十分に得られません。タービンが回って空気を圧縮できるまでの時間差を「ターボラグ」といい、この間には十分なパワーを発揮できないため、ターボの弱点だといえます。 ターボと同じく空気を圧縮する「スーパーチャージャー」は、この弱点を克服しました。空気の圧縮にエンジン自体の回転を利用する仕組みのため、低回転域から効率よく空気を圧縮できます。しかし、エンジンパワーの一部を空気の圧縮に利用するため、少なからずパワーロスが発生する点がデメリットです。特に高回転域では、スーパーチャージャー自体が足かせになってしまい、あまりパワーが伸びません。 ターボ車は部品点数が多いので中古車の場合はしっかりと確認 ターボは、ハイパワー化の一途をたどっていた1980年代以降、多くのクルマに搭載されました。特にスポーツカーなど、現在でも中古車として人気の高い車種に数多く搭載されています。また、タービンやインタークーラーの交換といったチューニングで、簡単にパワーアップをできるのもターボ車が人気の理由です。 ただし、自然吸気エンジンに比べてターボ車は部品点数が多いうえ、過給によってエンジンに大きな負担をかけるため中古車を購入する際は状態をしっかりと確認しましょう。 また、ターボ車を売却する際は、ターボ関連の部品を正しく査定してくれる専門業者に依頼しましょう。一般的に中古車として価値が高いのは、純正で状態の良い個体です。しかし、旧車の場合は状態の悪くなった純正パーツを交換している場合も多いでしょう。旧車の取り扱いに慣れていない業者だと、純正ではないという理由だけで査定額を下げられるかもしれません。流通量の少ない旧車であっても、車輌状態を正しく評価できる業者に持ち込むことが重要です。

名車ヨタハチにもつながった大衆車パブリカ! トヨタが新たな時代を切り拓いたモデルを徹底紹介
旧車の魅力と知識2023.07.28

名車ヨタハチにもつながった大衆車パブリカ! トヨタが新たな時代を切り拓いたモデルを徹底紹介

勤労者でも手の届く大衆車パブリカ。発売時に搭載されたエンジンはわずか0.7Lながら、十分な居住性を確保した本格的な乗用車でした。また、大衆車のパブリカは、実は対局にあるスポーツカーのトヨタ スポーツ 800に繋がったモデルでもあります。パブリカの成功がなければ、名車「ヨタハチ」は生まれなかったかもしれません。 一部の高所得者層しか所有できなかった自動車を、多くの国民の手の届くものにしたパブリカの開発背景、そしてスポーツ 800に繋がったパブリカスポーツについて紹介します。 トヨタ初の大衆車パブリカ トヨタ初の大衆車のパブリカは、走行性能や居住性、ネーミングまでとことん「大衆」を意識して開発されました。しかし、当時の技術力でコンパクトかつ安価ながら実用性の高いクルマを開発するのは、トヨタといえども多くの苦労があったようです。 そんなパブリカの開発背景とコンセプトを振り返ってみましょう。 国策に呼応して誕生した本格大衆車 パブリカの登場した1961年は、高度経済成長期にさしかかり国民が豊かさを享受し始めていた時代でした。1955年に当時の通商産業省から発表された「国民車構想」に呼応する形で、トヨタはこれまでのラインナップにない大衆車の開発へ踏み切ります。発売当時のカタログには「本格的大衆乗用車」と記載され、自動車が特別なものでなくなる新時代の幕開けを予感させました。 搭載された水平対向エンジンは、0.7Lながら28psを発揮。当時としても高性能車には見劣りする出力ですが、わずか580kgにまとめられたボディを最高時速110km/hまで加速させる技術力は驚くべきものでした。 名前の決め方や意味もコンセプトに合っていた トヨタ初となる大衆車の名称は、公募で決定されました。110万通近くあった応募総数からも、多くの人が大衆車へ寄せた期待の高さがうかがえます。 最終的に選ばれた「パブリカ」の由来は「Public」と「Car」を合成した造語で、「国民から愛されるクルマ」という意味を込めて名付けられました。 名前を公募で決めること自体、「このクルマはみなさんのもの」というメッセージ性を感じる取り組みです。また、「世間」や「民衆」を意味する「Public」という言葉を含め、車名だけをとってみても大衆車というコンセプトを的確に表現していました。 大衆車として運転のしやすさや居住性にこだわった 当時の軽自動車や小型車のほとんどは、構造が単純なRR(リアエンジンリアドライブ)レイアウトでした。しかし、パブリカはFR(フロントエンジンリアドライブ)レイアウトを採用。直進安定性の問題や不安定な挙動になりやすい特性をもつRRではなく、FRとすることで運転のしやすさを追求しました。 大衆車としてもう1つこだわったポイントが、広い車内空間による居住性の向上です。しかし、コンパクトFRでの居住性の確保は簡単ではありませんでした。縦置きによるエンジン設置スペースの問題、プロペラシャフトの車底部通過による車内空間の圧迫、後輪にはデフなどの駆動装置も搭載するため後席の設計にも制限が発生するからです。 それでも、トヨタはFRにこだわって課題の解決に取り組みます。軽量コンパクトな水平対向2気筒エンジンの選択やプロペラシャフト搭載位置を限界まで下げるなど、可能な限りの技術と工夫を詰め込んでパブリカは開発されました。 名車ヨタハチにつながったもう1つのパブリカ パブリカ発売の翌年1962年には、高性能化を図ったコンセプトモデル「パブリカスポーツ」が全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)に出展されます。ベースはパブリカだったものの、大衆車としての使い勝手にこだわって開発されたパブリカとは異なり、クルマとしての性能を徹底的に追求したモデルでした。 性能面を突き詰めたコンセプトモデルだったため、このまま発売されることはありませんでしたが、後に発売されるトヨタ スポーツ 800、通称「ヨタハチ」の開発に繋がります。先鋭的なスタイリングが特徴的なもう1つのパブリカ、「パブリカスポーツ」についてみていきましょう。 戦闘機を思わせる先鋭的なスタイリング パブリカスポーツ最大の特徴は、戦闘機・キャノピーを連想させるスライド式のルーフ開閉システムです。乗員が乗降時に、サイドウィンドウとリアウィンドウを含むアッパーボディ全体が後方へスライドするユニークな仕組みでした。 スライド式ルーフは、単に見た目のインパクトを演出するためではありません。走行性能の向上という面で、大きな意味をもっていました。左右にドアの開口部がないため、剛性面で圧倒的に有利な構造です。しかも、二重鋼板構造で内部に発泡ウレタンを注入し、軽量かつ高剛性という相反する2つの性能を実現しました。 快適性という意味では乗り降りしづらい形状ですが、高い走行性能を実現するというコンセプトがわかりやすく表現されたデザインだといえます。 ヨタハチと同様にツインキャブを装備したエンジン パブリカスポーツのエンジンは、パブリカと同様の水平対向2気筒をベースとしています。しかし、ツインキャブなどのチューニングが施され、38ps/5,500rpmを発揮。最高速度は、パブリカを大きく上回る150km/hを記録しました。 スポーツ 800ではさらに性能が高められますが、1965年に発売される3年前にも関わらずエンジンがほぼ完成の域に達していたのは驚くべき事実といえるでしょう。 ヨタハチ発売後に登場したパブリカ スーパー 1967年には、スポーツ 800と同型のエンジンを搭載したパブリカ スーパーが登場しました。特徴的なスタイリングは再現されなかったものの、1962年に発表されたパブリカスポーツを5年越しに実現した形です。 パブリカは発売後も意欲的に改良され続けた 大衆車として成功したパブリカですが、実は最初のモデルは目標販売台数に届きませんでした。実用性を追求しすぎた結果内外装が質素だったためです。そこで、トヨタはデラックス仕様の投入、ボディデザインの変更、エンジンサイズの拡大と意欲的に開発を続けます。 結果的に、パブリカには初代だけでも複数の仕様とグレードが誕生しました。中古車で購入する際は、年式だけでなく仕様など細かい点もしっかりと確認しましょう。 また、手元のパブリカを売却する際は、状態だけではなく仕様もしっかりと評価してくれる旧車専門業者への問い合わせをおすすめします。初代パブリカの生産終了は1969年と50年以上も前であるため、当時の情報を元に正しく判断できる業者は多くありません。また、流通の少ないクルマのため、最悪の場合買い取ってもらえない可能性も考えられます。パブリカはトヨタのみならず、日本の自動車文化にとっても貴重なクルマです。売却を検討する場合は、旧車の取り扱いに慣れた業者に相談しましょう。 ※経過年数などは2023年7月執筆当時

ベースがビートルとは思えない! 流麗なボディラインが魅力的なカルマンギア
旧車の魅力と知識2023.07.27

ベースがビートルとは思えない! 流麗なボディラインが魅力的なカルマンギア

ヘッドライトの形状に合わせて盛り上がったフロントから、リアエンドにかけての流麗なラインが魅力の名車・フォルクスワーゲン カルマンギア。70年近く前の1955年に登場したクルマにもかかわらず、現在でも人気が高いうえ、中古車市場での流通台数もそれなりにある珍しい旧車です。 フォルクスワーゲン社が戦後のブランド地位確立を目指して開発した、カルマンギアの開発背景と魅力をたっぷりと紹介します。 フォルクスワーゲンのブランドイメージを高める1台 フォルクスワーゲン社は、第2次世界大戦前に開発した「KdF Wagen」の車名を戦後「タイプ1」と改めて再生産します。「ビートル」の愛称で親しまれる、ヒット作を生み出すことに成功しました。 さらなるブランドイメージの向上を目指した経営陣は、新たに上級モデルのパーソナルカーの開発を考えます。当初は別のモデルが予定されていましたが、紆余曲折の末に生み出されたのがカルマンギアです。 カルマンギアの開発背景を振り返ってみましょう。 開発期間短縮のためにビートルをベースに開発 カルマンギアが登場したのは1955年。ビートルの成功後、早い段階で上位のパーソナルカーを考えていたフォルクスワーゲンは、当初はビートルの2シーターモデルをそのポジションにおく予定でした。しかし、生産拠点の火災の影響などもあって、ブランドイメージを構築できないまま1953年には生産が頓挫しました。 そこで、フォルクスワーゲン社は、ビートルの派生ではなく新たなモデルの開発を決断します。しかし、上級モデルの立ち上げは、すでに当初の予定から遅れていたため、できるだけ開発期間を短くする必要がありました。そこで、開発期間とコストを抑えつつ新たな車種を生み出すためには、主要コンポーネントの多くをビートルと共通にせざるを得なかったのです。 車名の由来となった開発2社 新たな車種の開発を決断するものの、残念ながらすんなりとは完成しません。カルマンギアの開発は、フォルクスワーゲンのカブリオレの生産を一手に引き受けていたカルマン社に依頼します。しかし、カルマン社のデザインしたプロトタイプは、フォルクスワーゲン首脳陣に採用されませんでした。 そこで、カルマン社はイタリアの代表的なボディデザイン会社、ギア社に相談を持ちかけます。ギア社の仕上げたプロトタイプは、左右が盛り上がったデザインのフロントノーズからルーフ、リアエンジンフードまで流れるような素晴らしいデザインでした。カルマン社のデザインに首を縦に振らなかったフォルクスワーゲン社の首脳陣は、感嘆とともにプロトタイプを承認。ボディ生産を担うカルマン社、車輌をデザインしたギア社の社名を合わせて、「カルマンギア」と名付けられました。 もし、当初提案したカルマン社のデザインが採用されていたら、車名は「カルマン」だったかもしれません。 ボディデザインの変更は失敗 1955年に発表したカルマンギアは、フォルクスワーゲン社の狙い通り成功を収めます。さらなる地位の確立を目指して、より豪華で速いモデルを発売しました。 タイプ3をベースに開発した、通称タイプ34と呼ばれるカルマンギアを1961年にリリースします。アメリカ市場や近代化を意識して、直線的なボディデザインを採用しますが、変更したボディデザインが裏目に出て、ユーザーからの支持を得られませんでした。結局、タイプ1(通称:タイプ14)のカルマンギアが1973年まで生産されたのに対して、タイプ34の生産は1969年に打ち切られました。 意欲的に改良が続けられたカルマンギア 市場に投入されたカルマンギアは、フォルクスワーゲン社経営陣の狙い通り販売台数を伸ばしていきます。しかし、販売台数と高まったブランドへの上昇機運をより高めるため、意欲的に開発を続けました。 1955年から1973年の18年間にも及ぶカルマンギアの生産期間中、性能の向上を図り続けたカルマンギアの歴史を振り返ってみましょう。 度重なる性能向上が図られたエンジン カルマンギアは、走る楽しさを追求したモデルだけに、エンジンの開発は精力的に行われました。カルマンギアに当初搭載されたエンジンは、1,192ccの水平対向4気筒OHVエンジンで、パワーは30hp。1961年には細かな仕様を見直し、同排気量ながら最高出力が34hpに引き上げられました。 さらに、1966年に排気量を1,285ccにアップし最高出力は40hpに向上、最高速度も128km/hを記録しました。1967年には、1,493ccにまで排気量が引き上げられると、最高出力は44hpで最高速度は136km/hに達します。 最終的には、1970年モデルで、排気量1,584cc、50hp、最高速度は実に140km/hにまで高められました。 市場ニーズを的確に取り入れた内外装 カルマンギアの発売2年後の1957年には、カブリオレモデルを発表します。また、標準モデルを含めた内装も、専用ステアリングやサンバイザー、オルガンペダルの装着といった改良が加えられました。 1960年には大幅なマイナーチェンジが図られます。とくに外観面の変更は大掛かりなもので、フロントフェンダーの形状、ヘッドライト位置の変更やクロームメッキのグリルの装着、テールランプを角型から三日月型に変更と、従来のスタイリングを踏襲しつつ徹底的に全体の設計が見直されました。 また、運転席のアームレストや助手席のフットレスト、ウィンドウウォッシャーの装備など快適性を高める装備も時代に合わせて追加されていきます。さらに、エンジン性能の向上にともなって、トランスミッションのフルシンクロ化や1960年代後半にはフロントディスクブレーキの装備といった形で走行性能に関連する装備も次々にグレードアップされていきました。 ビートル以上に一部ファンから人気を集める ビートルは独特なスタイリングから、今でも人高い人気を誇っています。カルマンギアもビートルと同様に、今もなお根強いファンの支持を集めるクルマです。むしろクルマの特殊性から、ビートル以上に熱狂的なファンも多くいます。 販売台数は44万台あまりにのぼり、1973年に生産終了したクルマとしては比較的入手しやすいです。しかし、状態の良い個体は一般的な旧車に比べて少なく、なおかつ意欲的に年次改良が重ねられて年式ごとに仕様がバラバラであるために、目当ての1台を見つけるまでにはかなりの根気が必要でしょう。 また、年式によって細かな違いがあるために、一般的な買取業者だと正しく査定してもらえないかもしれません。売却の際には、カルマンギアをはじめとした旧車を専門に取り扱っている業者に査定を依頼しましょう。旧車の知識が豊富な業者なら、年式や仕様に応じた適切な価格を提示してもらえます。

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車
旧車の魅力と知識2023.07.22

フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナは世界でわずか448台しか販売されなかった超希少車

日本国内でわずか24台しか販売されなかったフェラーリの特別限定車、550 バルケッタ ピニンファリーナ。フェラーリ車でありながら、提携会社の名称をわざわざ冠して作られた特別なオープン2シーターです。ごく限られたオーナーしか手に入れられませんでした。。今回は、希少性の高い550 バルケッタ ピニンファリーナが製造された背景と限定車としての魅力を徹底的に掘り下げます。 フラッグシップモデルを記念車に採用 2000年に登場した550 バルケッタ ピニンファリーナは、長らくフラッグシップにミッドシップレイアウトを採用してきたフェラーリが、久々にFRレイアウトを採用した550 マラネロをベースに製造されました。 フラッグシップモデルに名前をつけられるほど、深い関係性を築いていたフェラーリとピニンファリーナ社。その繋がりの重要性を含めて、550 バルケッタ ピニンファリーナの誕生背景を解説します。 創業70周年モデルとして台数限定生産 550 バルケッタ ピニンファリーナは、2000年のパリサロンでお披露目されました。「バルケッタ」とは「2人乗りのオープンカー」を意味し、ピニンファリーナ社の創業70周年を記念して制作されたオープン2シーターの限定モデルです。 日本に割り当てられた販売台数は、わずか24台という新車販売時から希少価値の高いモデルでした。なお、生産台数は当初444台の予定でしたが、アジア圏からの「不吉」という声を受け、448台に増台されたという逸話も残っています。 フェラーリの美しいボディラインを作り続けるピニンファリーナ モデル名にも採用されている「ピニンファリーナ社」は、フェラーリ車のデザイン全般を1951年から手がける会社です。創業70周年の記念モデルとして、550 バルケッタ ピニンファリーナをフェラーリよりリリースしました。メーカーのアニバーサリーイヤーではないにも関わらず、特別限定車を製造・販売したことから関係性の深さがうかがえます。 250GT ベルリネッタ、365 GTB/4 デイトナ、512 BB、テスタロッサと数多くの名車をピニンファリーナ社はデザインしました。そして、550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌の550 マラネロもピニンファリーナ社がデザインを手がけたモデルです。 ベースはFRに回帰した550 マラネロ 550 バルケッタ ピニンファリーナのベース車輌は、1996年発売の550 マラネロです。長年フェラーリのフラッグシップモデルはミッドシップレイアウトでしたが、365 GTB/4 デイトナ以来23年ぶりにFRレイアウトを採用したモデルとして話題を呼びました。 エンジンは車名のナンバリング通り5.5LのV型12気筒DOHCで、最高出力は485psを発揮。高出力エンジンを支える足回りには、フラッグシップにふさわしい先進装備の電子制御可変ショックアブソーバーを採用し、超高速域でも安定した走りを実現したモデルです。 記念車として別の車輌を用意するのではなく、メーカーの顔であるフラッグシップモデル、しかも久々に採用したFRレイアウトのクルマをベースとできたのも、フェラーリのピニンファリーナ社への厚い信頼からでしょう。 フェラーリ・550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力 550 バルケッタ ピニンファリーナは、エアロや内装を少しモデファイした程度の特別仕様車ではありません。ピニンファリーナ社がフェラーリのデザインを手がける威信をかけて、細部までこだわって作ったモデルです。 ここからはそんな550 バルケッタ ピニンファリーナの魅力を紹介します。 オープンモデルとしてリデザイン 550 バルケッタ ピニンファリーナは、単に550 マラネロの天井を切り取っただけのモデルではありません。デザイン全般を手がけるピニンファリーナ社らしく、細部にこだわってリデザインされました。 まず外観上の大きなポイントは、550 マラネロよりも10cmほど短くしたフロントガラスです。さらにAピラー上部の塗装を黒にすることで、全体的に低さを強調したデザインに仕上がっています。 内装のデザインでは、コノリーレザーのレーシングタイプのシート、レザー張りのロールバー、メーターナセルとトンネルコンソールはスウェード調とするなど記念モデルにふさわしいデザインと質感が特徴的です。さらに、センターコンソール、メーターパネルにはカーボンパネルを使用して、レーシーな雰囲気を高めました。 走行性能は550マラネロを踏襲 550 バルケッタ ピニンファリーナの走行性能は、基本的に550 マラネロを踏襲しています。ただし、オープン形状のため抵抗係数が悪化し、最高速度は550 マラネロより20km/h遅い300km/hでした。 オープン化に伴って、ボディ剛性の強化や安全面での装備も追加。万が一の転倒に備えてAピラーの強化とロールバー、ボディの補強など走行性能には不利な重量増につながるチューニングが施されます。しかし、ボディワークを含めてデザインを一手に引き受けたピニンファリーナ社だけあって、車体重量は550 マラネロと同様の1,690kgに抑えました。 パッケージング自体はベースモデルとまったく同様で、FRレイアウトに置かれた485psを発揮する5.5LのV型12気筒DOHCエンジンに6速MTが組み合わされています。記念のオープンモデルだからといって性能を犠牲にしなかった点は、フェラーリと二人三脚で歩んできたピニンファリーナ社へのリスペクトがあらわれています。 記念モデルだけあって別格の価値を誇る550 バルケッタ ピニンファリーナ 発売が1996年と比較的新しいことと5年間という販売期間の長さから、550 マラネロ自体はそれほど希少性の高い車種ではありません。しかし、550 バルケッタ ピニンファリーナは、全世界でわずか448台、日本国内では24台しか販売されなかったため、限られたオーナーしか手にできなかった希少車です。 ただし、希少車だからといって高く売却できるとは限りません。極端な希少車の場合、かえって値段がつけにくくなるため、誤った査定をされてしまう場合もあります。550 バルケッタ ピニンファリーナのように、ほとんど取引のないクルマを売却する際は、必ず旧車や希少車の取り扱い実績のある専門業者に依頼しましょう。

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由
旧車の魅力と知識2023.07.20

RX-7のロータリーエンジンを新品で買える!? マツダが旧車パーツ供給を重視する理由

独特のスタイリングと優れた走行性能から、現在でも高い人気を誇るRX-7。維持や補修が困難になりがちな旧車であるにも関わらず、現在でも多くの補修部品が供給されています。特にRX-7の核であるロータリーエンジンは、現在でも新品の購入が可能です。 今回は、ロータリーエンジンという視点から、RX-7の魅力とマツダの取り組みを詳しく紹介します。なぜマツダが現在もなおロータリーエンジンの製造を続けているのか、その理由からRX-7の魅力を紐解いていきましょう。 世界で唯一ロータリーエンジンを量産したマツダ 量産ロータリーエンジンが世界で初めて採用されたのは、1967年発売のマツダ コスモスポーツでした。その後もマツダは数々の車種にロータリーエンジンを搭載し、世界で唯一無二の量産ロータリーエンジン生産メーカーとして技術を磨いていきます。コツコツと積み上げてきたノウハウを投入して作られたのがRX-7です。 ロータリーエンジンの実力を示した名車RX-7 マツダが作り続けてきたロータリーエンジンの実力を世界に知らしめたのはRX-7といえるでしょう。特に、2代目FC3S型、3代目FD3S型は現在でも多くのファンを魅了する人気車種です。 1985年のFC3S型RX-7のリリースによって、マツダが突き詰めてきたロータリーエンジンの実力が一気に開花しました。軽量でコンパクトなのに高出力というロータリーエンジン最大の武器を活かしたスポーツカーとして、低重心化と最適な前後重量配分を実現。世界のスポーツカーファンを魅了する、高い走行性能を発揮しました。 先鋭的なスタイリングも魅力 RX-7の魅力は、高い走行性能と他車とは異なる独特のスタイリングです。FC3S型でワイド&ロー、ロングノーズショートデッキというスポーツカーとして理想的なスタイリングを確立。さらにFD3S型では、曲線を取り入れた流線型で戦闘機を彷彿させる先鋭的なデザインに昇華させました。 ロータリーエンジンはコンパクトでレイアウトの自由度が高かったためにデザイン上の制約が少なく、マツダならではの独特の世界観をもつスタイリングの実現に至りました。 ロータリーエンジンを今でも購入できる理由 生産終了からかなり年月の経つRX-7ですが、現在でも補修用ロータリーエンジンを始め多くの部品が入手可能です。生産効率を考えると、旧車のパーツをいつまでも供給するのは無駄とも思えますが、これにはRX-7ならではの事情とマツダの企業思想が大きく影響しています。 ロータリーエンジンがなぜ作り続けられているのか、理由を紐解いていきましょう。 RX-7は現存台数が多い 補修用のロータリーエンジンが現在も入手可能な最大の理由は、RX-7の残存台数が多く高い需要があるためです。FC3S型RX-7が投入された1985年からは35年以上が経過し、最終のFD3S型の販売終了からもすでに20年が経ちますが、現在でもRX-7はかなりの台数が残っています。FD3S型なら16,000台、さらに古いFC3S型でも8,000台が残っているとの情報もありました。 スポーツモデルだけに酷使された個体もありますが、一方で多くの根強いファンが大切に乗っていることが要因といえるでしょう。また、高い走行性能と独自のスタイリングによって、新車販売自体も好調だった点も残存台数が多い理由です。 唯一無二のロータリーエンジンの評価の高さは世界規模 ロータリーエンジン車を所有するユーザーは日本国内のみにとどまりません。とくにクルマとしての完成度の高かったRX-7は、世界のスポーツカーファンから愛されています。独特のロータリーサウンドを味わいたいのであれば、マツダのRX-7に乗るしかありません。 マツダが展開するCLASSIC MAZDA ロータリーエンジンを始めとする旧車のパーツが供給され続けている理由は、マツダの企業としての思想による影響も少なくありません。「新しいクルマだけではなく、古いクルマをも大切にできる社会を育みたい」「世の中の自動車文化に貢献したい」として、マツダはCLASSIC MAZDAという取り組みを通じ、旧型車のレストアやパーツの復刻に取り組んでいます。 CLASSIC MAZDAの取り組みが始まったのは近年ですが、おそらくマツダそのものの企業文化として同様の考え方は以前からあったのでしょう。実際CLASSIC MAZDAの一環として2020年から取り組んでいるRX-7の復刻パーツはわずか91種類(FD3S用、FC3S用)ですが、そもそも全体の7割程度の部品が以前から継続供給されていたという情報もあります。 新型車で新たな活路を見出したロータリーエンジン 実は、燃費面では不利といわれていたロータリーエンジンが、新時代のプラグインハイブリッド車で復活すると最近発表されました。軽量かつコンパクトで高出力という特性が、プラグインハイブリット車の発電用エンジンに最適だったのです。 欧州で発表された「MX-30 e-SKYACTIV R-EV」は、発電用にロータリーエンジンを搭載。EV車と同様にモーターで駆動するため、大型の駆動用バッテリーを搭載するプラグインハイブリッド車にとって、システム全体をいかにコンパクトな設計にできるかは大きな課題です。ロータリーエンジンであれば、同出力のレシプロエンジンに比べて圧倒的に小型化できます。さらに、ピストンの往復運動がない分振動を抑えられるため、モーター駆動ならではの乗り心地も犠牲にしません。 マツダがこだわって作り続けてきたロータリーエンジンのノウハウは、決して過去の技術ではなく現在も生き続けていると証明しました。 人気のRX-7は今も安心して乗れる旧車 核であるロータリーエンジンを始め、多くのパーツが現在も供給され続けているRX-7は、旧車ながら購入後もメンテナンスについて心配しなくてもよい珍しい車種です。一方で、スポーツカーという特性からサーキットなど過酷な状況で使用されていた中古車もあるため、購入時には入念に状態を確認しましょう。 ロータリーエンジンは特殊なエンジンのため、整備ノウハウのある専門業者に相談することを強くおすすめします。 一方で、売却する際は旧車の取り扱い経験が豊富な業者を選びましょう。部品が供給されていると知らない業者に相談してしまった場合、故障箇所を指摘されて必要以上に減額される恐れがあります。さらに、RX-7は限定車が数多く販売されました。グレードや年式から、正しい価値判断をしてもらえる業者を選ぶと安心です。

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン
旧車の魅力と知識2023.07.18

アルテッツァは打倒欧州車目指して徹底的に鍛え上げられた入魂のFRスポーツセダン

高い運動性能と、欧州でも通用する高級感を兼ね備えたアルテッツァ。トヨタ入魂のFRスポーツセダンであり、エンジンをフロントミッドシップに配置する本格的なFRレイアウトを採用しています。一方で、発売当時の評価はあまり高くなく、不遇なモデルでもありました。 打倒欧州車を掲げて開発したトヨタの意地を感じるアルテッツァは、近年評価が見直されつつあります。開発背景と魅力を改めて振り返ってみましょう。 1代限りながら7年間も販売されたアルテッツァ アルテッツァは結果的にモデルチェンジすることなく、1代限りで姿を消しました。しかし、7年間にも及ぶ販売期間からは、その完成度の高さがうかがえます。 実際にアルテッツァとはどのようなクルマだったのでしょうか。まずは開発背景やグレードについて詳しく紹介します。 欧州に通用するFRスポーツセダン 1998年に登場したアルテッツァは、欧州で通用するFRスポーツセダンを目指して開発されました。BMWの3シリーズやメルセデス・ベンツのCクラスといった、競合各社が力を入れるDセグメント市場を強く意識したモデルです。海外では、レクサスブランドのエントリーモデルである「IS」の初代として投入されます。 ベースは、当時のトヨタ プログレに採用されていた「FRマルチプラットフォーム」を徹底的に改良。ショートオーバーハングでホイールベースも短縮し取り回しやすいスタイリングにする一方、トレッド幅を広げて安定性を高め、FRスポーツセダンにふさわしいハンドリング性能を備えていました。 開発では、ニュルブルクリンクでの走り込みや公道での走行テストを繰り返し、2年間以上の年月をかけて走行性能が徹底的に煮詰められます。欧州のFRスポーツセダンと肩を並べるため、アルテッツァは限界まで鍛え抜かれました。 グレードは大きく2種類を用意 アルテッツァに用意されたグレードは、大きく2種類。ラグジュアリー志向のAS200と、高い走行性能を誇るRS200です。 AS200のエンジンは、2L直列6気筒の1G-FE型で最高出力が160ps。一方のRS200には、MR-2にも搭載されたトヨタのスポーツエンジンとして十分な実績をもつ2L直列4気筒3S-GE型エンジンを搭載し、最高出力は実に210psを発揮しました。 おすすめのグレードはやはりRS200です。トヨタがこだわり抜いたアルテッツァの高い走行性能を最大限発揮します。 スポーツセダンを突き詰めたアルテッツァ アルテッツァの魅力を紐解いていくと、細部に渡ってとことんこだわって開発されているのがよくわかります。ライバルが強力で、要求の高い欧州のスポーツセダンファンを納得させる性能を兼ね備えたモデルだといえるでしょう。 アルテッツァのこだわり、そして高性能を突き詰めたトヨタが限定で投入した280Tについて紹介します。 とことんこだわった運動性能 エンジンに名機3S-GEを採用するだけでなく、アルテッツァは運動性能にとことんこだわりました。軽快なハンドリングを実現するために、エンジンをフロントミッドシップに搭載。切り詰めたオーバーハングと相まって、FRスポーツセダンにふさわしい前後重量バランスに仕上げられています。 足回りも前後ダブルウィッシュボーンに加え、車輌重量がはるかに重いアリストと同クラスのブレーキを採用しました。さらに、徹底的な走り込みによって、減衰力からブッシュ特性に至るまで細かく調整。パワフルなエンジンで単に速いだけではなく、曲がる、止まるといったスポーツモデルに欠かせない要素をとことん取り入れています。 セダンとしての風格も一級品 高い走行性能を誇るアルテッツァですが、セダンのもつラグジュアリーな面にもとことんこだわって開発されました。 エクステリアには、フロント部に風格を与える大きな開口部と低くレイアウトされたグリル。さらに、ボディサイドは流麗で抑揚のあるラインを形成しています。 インテリアに目を移すと、スポーティで視認性の高いインパネメーター類には電圧計、水温計、油圧計まで配置され、スポーツ腕時計のクロノグラフを彷彿させる高級感を演出。ドライバーズカーとして機能性を重視しつつも、全体を黒でまとめてセダンならではのモダンシックな印象を与えました。 また、スポーツカーではなく、あくまでもセダンというコンセプトを表現しているのが後席です。十分に確保されたヘッドクリアランスや足元のスペースによって、スポーツモデルとは思えない快適な居住性を実現しています。独立したトランクスペースとともに、日常使いでの利便性も強く意識されました。 コンプリートカー280Tまでリリース アルテッツァには、トムスが専用チューニングを施した「アルテッツァ TOM'S 280T」という限定生産車が存在します。生産台数はわずか100台ながら、アルテッツァの本来もつ実力を極限まで引き出した魅力的なモデルです。 最大の特徴はターボ化されたコンプリートエンジンで、当時の自主規制限界である280psを発揮します。専用設計のタービンやインタークーラー、エキゾーストマニホールドを備え、インジェクターなど細部に至るまでチューニングされたエンジンをTOM'S製ECU(エンジンコンピュータ)で制御していました。 高出力エンジンのパワーをしっかりと受け止めるべく、クラッチはOS技研製のツインプレートクラッチ、足回りはAdvox製に交換され、サーキット走行にも耐えうる仕様に仕上げられています。 また、外装面でも専用のエアロパーツが装着され、標準車とは違うアルテッツァのスポーティな面が全面に押し出されました。 発売当時は不評だったものの再評価されつつある 限界まで鍛え上げられた走行性能と欧州車並の高級感を兼ね備えたアルテッツァですが、発売当時の評価は高いとはいえませんでした。。実際、モデルチェンジせずに1代限りで開発を中止している点からも、当時の不人気ぶりがわかります。 スポーツカーにしては重く、大排気量でゆったり乗りたいセダンにしては非力という見識が先行し、当時の日本ではどっちつかずのイメージがついてしまったのかもしれません。 しかし、スポーツセダンというジャンルが確立し多くのユーザーから支持を集める現在、アルテッツァの評価は高まりつつあります。特に評価の高いモデルは、名機3S-GEが搭載されたRS200です。限定販売の希少車、280Tはさらに高い評価を受けています。 一方で、時代を先取りしたアルテッツァが市場へ投入されたのは1998年。販売開始からすでに25年が経過しています。セダンであるため比較的状態の良い個体が残っているものの、購入する際は専門業者でしっかり整備された車輌を選びましょう。 また、売却する際は近年の評価をしっかりと査定に反映してくれる、旧車取り扱いに慣れた業者の選定をおすすめします。

ピラーレスハードトップの高級セダン! ブロアムの名を初めて冠した日産 330型セドリック
旧車の魅力と知識2023.06.29

ピラーレスハードトップの高級セダン! ブロアムの名を初めて冠した日産 330型セドリック

開放感のあるピラーレスハードトップが特徴的な、日産  330型セドリック。国産高級セダンでありながら、アメリカ車のデザインを融合させた異色のモデルです。 また、最上級グレード「ブロアム」が初めて設定されたのも330型セドリックでした。「輝ける変身」をキャッチコピーに掲げ、日本の経済成長とともに駆け抜けた330型セドリックの魅力に迫ります。 高度経済成長のなかで生まれた330型セドリック 330型セドリックの登場した1970年代は、日本が高度経済成長期を迎えて人々が豊かになりつつある時代でした。当時の日産は、アメリカ車のデザインからまだ脱却していない時期でしたが、330型セドリックは単なる模倣ではなく、アメリカンテイストを日本車に取り入れて見事に昇華させたモデルです。 高級志向の高まりに呼応するかのように登場した、330型セドリックの誕生背景を振り返ってみましょう。 迫力あるボディとわかりやすいラグジュアリー感 セドリックとして4代目の330型セドリックの登場は1975年。3代目の発売から約4年ぶりのフルモデルチェンジを果たします。コンセプトは先代を踏襲しつつ、さらにアメリカンテイストを取り込んで大柄で迫力のあるデザインに仕上がりました。 経済的に豊かになり、高級志向が高まりを見せつつあった時代に対して日産の出した答えが330型セドリックです。ボディサイズが大型化されただけでなく、開放感のあるピラーレスハードトップを筆頭に、内外装含めてアメリカ車のようなわかりやすい高級感を取り入れてデザインされました。 最上級グレード「ブロアム」は330型セドリックから始まった 日産セダンの最上級グレード名として、1990年代の終わりまで使われていた「ブロアム」。(一部車種では2000年代にも限定的に使用)最初にブロアムが設定された車種が330型セドリックでした。 ブロアムとはかつての馬車の形を指す言葉で、イギリス男爵ヘンリーブロアムが由来です。本来のブロアムは、御者の乗る席には屋根はなく後席のみにキャビンがある形状です。330型セドリック「ブロアム」とは、形式上の共通点は見当たりません。ブロアムと名付けた真意は不明ですが、最高級グレードとして後席のラグジュアリー感も重視したという意味合いでしょうか。 アメリカンテイストの高級車「330型セドリック」3つの魅力 流れるようなリアクォーターのラインに、コークボトルデザインを取り入れた豊満で複雑なフォルム。さらに内装や装備面も充実させ、330型セドリックは豪華さを目に見える形でわかりやすく表現しました。 豊かになって高級志向の高まったユーザーを釘付けにした、330型セドリックの魅力を3つ紹介します。 開放感を味わえるピラーレスハードトップ 330型セドリックのボディバリエーションの一つが、ピラーレス・ハードトップです。窓枠付きの硬派なセダンと異なり、Bピラーとサッシュをもたないため、サイドはスポーティな印象です。 ピラーレスのクルマが初めてお披露目されたのは、1949年のアメリカ、キャデラック・クーペドゥビルでした。現在でもメルセデス・ベンツやロールスロイスなどの高級クーペが採用しています。窓を全開にすると前席と後席が一体となり、アメリカのロードトリップを思わせる、この上ない開放感を味わえます。 また、豊富なボディバリエーションをそろえていた点も、330型セドリックの特徴です。ピラーレス構造を採用した4ドアハードトップに加え、通常の4ドア、2ドアハードトップをそろえ、豊かになった日本人の幅広いニーズに応えました。 存在感のあるフロントマスク フロントマスクの印象が、330型セドリックに車格にふさわしい風格と迫力を与えています。大型バンパーとフロントグリル、さらにヘッドライトを囲う四角い枠までクロムメッキ加工という徹底ぶりです。また、ボディの至る所にもクロムパーツが使用されていました。 特にブロアムを含む4ドア系ではヘッドライトに丸4灯を採用していたこともあって、フロントマスク全体が光り輝く威風堂々とした印象でした。全長4.7mにも及ぶ大型ボディに負けないフロントマスクのデザインによって、大きくて高級というセドリックのコンセプトをしっかりと表現しています。 高級感あふれる内装と豪華な装備 330型セドリックのシートには、厳選された生地を使用し、自宅のソファさながらの心地よさを再現しました。運転席には本革巻きステアリング、木目パネルを取り入れたコックピットには高級オーディオを装備しています。 さらに、デュアルエアコンや後席パワーシートといった先進の快適装備に加え、大型アームレストやトランクオープナースイッチ、高級カーペットまで備えた「高級車」にふさわしい仕様です。 330型セドリックは旧車ファンの間で人気 日産 セドリックは、後継車「フーガ」に引き継がれる2004年まで、44年間にわたるロングセラー車種でした。なかでも独特なアメリカンスタイルの330型は、今でも旧車ファンの間で人気モデルです。 しかし、330型セドリックは、販売開始からすでに50年近く経過している旧車です。納得のいく一台を見つけるには、信頼のできる中古車業者へ相談しましょう。購入する際は必ず現車を確認し、必要なメンテナンスや費用についてしっかり確認することが大切です。 また、人気の高さから、330型セドリックには思わぬ高値がつくかもしれません。売却する際には、旧車を専門に取り扱う業者で正しい価値を査定してもらいましょう。 ※経過年数は2023年6月執筆当時

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